2019年8月18日 (日)

太刀岡山

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今年前半に登り損ねた甲府北方の山梨100名山のうちの三山(太刀岡山、曲岳、黒富士)をアプローチは自転車を利用して一度で登ってしまう計画を立てた。寝坊してしまって家を出るのが7時近くになってしまい時間切れとなる恐れもあったが、とにかく出発することにした。

竜王駅のスタートは10時半で、ここから登山口までは15キロ程度あるが、地図で調べた限りでは急な坂も無いようなので、昼前には登山口に着くかなととらぬ狸の皮算用をしていた。ところが猛暑の影響をモロに受けて、たいした傾斜でもないのにあえぎあえぎとなり、最後の傾斜が増した所では自転車を降りて歩きに変わってしまう始末で、登山口に着いたのは1時を過ぎてしまった。ここで、三山を縦走するのは諦めて一番手前の太刀岡山だけを登ることにした。

太刀岡山の中腹にある垂直の岩場はフリークライミングの対象にもなっていて、だいぶ以前に一度登りに来たことがあるが、なかなか登りにくそうな岩場だったので、もう少し奥にある甲府幕岩に転進してしまって登らず仕舞いの岩場となってしまった。登山道を登り出してしばらくすると登山道は岩場の下を横切っていくが、クライマーが3人休んでいたので、自分も立ち止まってルートを観察した。それで何故登らずに転進してしまった理由がわかった。通常は簡単なルートでアップしてから難しいルートに挑むのだが、太刀岡の岩場はどのルートも全力投球を要するものばかりで、しかも最初の支点までが遠くてグランドフォール(支点による支えがないので墜落すると地面に直接叩きつけられる)のリスクがあるからだ。

岩場を過ぎて頂上を目指すが、猛暑の中で自転車を漕いだダメージが抜けなくて数百メートルの登りにも難渋するほどだった。地図上の頂上の手前のピークに山梨百名山の標識があったが、時間が遅かったせいか暑さのためか他の登山者はいなかった。その先の最高点には標識はなく、そこから先は一気に高度を落としていく。やがて、当初の予定だった黒富士方面の縦走路と別れて左の道を下ると林道となって1時間ほどで登山口に戻ることができた。

登りで苦しんだ道も下りとなると楽チンだ。快調なペースで進めたので、甲府始発の快速に間に合うかなと思ったのだが、その直後にどしゃ降りの夕立に見舞われてブレーキの利きが甘くなってきたので、スピードを落として安全運転で行ったために快速には間に合わないことが確実になった。そこで雨中走行も煩わしかったので、甲府の手前の竜王駅から乗車したところ接続が悪く、乗り損なった快速よりも2時間遅れの帰宅となってしまった。

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2019年8月11日 (日)

大無間山 つづき

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2時前から起き出して3時半に軽装で出発する。送電線の鉄塔の先で道を見失うが、適当に登っていたら先ほどの道に合流できた。夜道は注意して歩いていても道を見失いやすい。登りの時はともかく、下りの時は要注意である。

小無間小屋までは急な登りが延々と続く。ようやく小屋にたどり着いても小無間山までは小さいピークをいくつも越えて行かなければならない。そして小無間山の手前が大きな切れ込みとなっていて、近年崩壊が激しいために登山地図によっては通行禁止として道を記載してないものもある。事前にネットで調べた限りではそれほど悪くはないという印象であった。実際に登ってみると、剣や穂高の鎖場を経験していればまず問題はないと思えた。ただナイフリッジの崩壊がさらに進めば本当に通行禁止となってしまうかもしれない。

小無間山の山頂は樹木に覆われているので、ガスがかかっていなくても展望はえられなきったろう。大小の無間山をつなぐ稜線は距離的にはかなりあるが、アップダウンがあまりないので2時間ほどで行ける。大無間山は200名山だが、今回の登路が唯一のコースなので他の登山者はいない。小無間山よりは頂上の樹林は疎らだったが、ガスが出ているため相変わらず展望はない。登頂は12時半で、ここまで9時間かかったことになる。果たして暗くなる前に下山できるだろうか。

帰りは小無間山を過ぎて崩壊地を無事越えると終わったような気分になるが、それから先も結構長い。小屋から先の尾根を下っている途中で暗くなってしまった。暗くなったからと行って道に迷うようなところではないが、暗闇のなかでテントを果たして見つけられるかが心配であった。GPS地図に設営地をマーキングしておけばよかったのだが、手懸りとなるのは、送電線の鉄塔の少し下ということと、テントを張れる緩傾斜であるという二点であった。該当する場所まで下りてきて重点的に探したが見つからない。今晩は諦めて明朝出直そうかとも思ったが、もう少し下の方にも緩傾斜地があるのではと思い直して、急傾斜地を下りて緩傾斜地までくると、待望のテントが見つかった。結局テントを探すのに1時間近くもかかってしまった。

田代の町に下りてきたのは9時近くになってしまった。予定では大井川鉄道の井川駅まで10キロを歩くつもりだったが、実質日帰りで大無間山を登ってきた疲れで、これ以上歩く元気はなく、キャンプ場にテントを張ることにした。有料ではあるが、温泉にも入れたしビールも飲めたので大正解であった。井川駅までのバスも午前中は7時の一本だけだがあるようなので、体調次第ではバスに乗ってもいいかなと思った。

翌朝は疲れも少しは取れているように思ったし、井川駅の始発が遅く、7時のバスに乗っても駅で3時間以上待たされるということで、井川駅まで10キロを荷物を背負って歩くことになった。初日は畑薙ダムから田代までの15キロを時速4キロ近くで歩いたが、今日はさすがに疲れが抜けきれておらず、時速3キロがやっとであった。

さて、初日は書かなかったが、畑薙ダムから井川まで歩いたのにはわけがある。日本海から太平洋まで日本アルプスを縦走するという企てをかなり前から手掛けていて(1週間前後で一気に駆け抜けるという限界を越えたレースもあるようだが、私の場合はそれとは違って数十年もかけてトロトロと歩くだけだが)、畑薙ダムから太平洋までの区間だけが未踏であった(自転車では踏破しているが)。もっとも、南アルプスの白峰三山から南に伸びる白峰南嶺を縦走して安倍川経由で太平洋に至るコースは完結しているのだが、南アルプスの三千メートル峰が連なる主稜線を縦走して畑薙ダムに下り、大井川を経由して太平洋に至るコースを辿るのが王道と考えられる。畑薙ダムから太平洋までとなると100キロ以上もあり、昔ならいざ知らず今の体力では二の足を踏んでいたのだが、昨年ウルトラマラソンに復帰しようと思い立ったことから、そのトレーニングとして畑薙ダムから太平洋までのコースに挑戦することになった。ただ結果的には、事前の台風等の影響で、畑薙ダムまでのバスは運休となり、代わりの大井川鉄道も井川のひとつ手前の閑蔵までしか行っておらず、閑蔵から南を走るだけとなった。今回は畑薙ダムから閑蔵までの踏破を目指したのだが、井川~閑蔵の6キロだけは持ち越しとなってしまった。大井川鉄道沿線には300名山ながら不遇の山がいくつかあるので、それらを登る際に今回持ち越しとなってしまった六キロ部分を踏破しておこうと思っている。

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2019年8月 9日 (金)

大無間山 1日目

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南アルプスはほとんど登りつくしてしまったので、200名山でありながら主稜線から離れているため、ほとんど登られない不遇の山を目指して昨年は池口岳を登ったが、今年は大無間山を登ることにする。登山口の田代は静岡から畑薙ダム行きのバスで通過するが停車してくれない。このバスは夏期限定の登山バスだが、登山者が希な大無間岳の登山口である田代は停車対象となっていない。まあ交渉すれば停車してくれるのかもしれないが、畑薙ダムから大井川鉄道の井川駅までは歩いておきたかったので(その理由は説明すると長くなるので省略)、畑薙ダムから田代まで約15キロを三時間半ほどかけて歩く。もちろんこんな酔狂をするのは私だけで、他の乗客は主脈の三千メートル峰を目指して、私とは反対方向に登っていく。途中で親切なドライバーに乗車をすすめられたが、丁重に断って歩きつづける。登山口の手前あたりで激しい雨に会い、トイレ前の屋根のあるベンチでしばらく雨宿りする。

雨も小降りになってきたので、大無間山への登山道を登りだす。雨が降り続くようならばライトをつけて小屋まで頑張るつもりだったが、雨も止み青空まで出てきたので、無理して小屋まで行くまでもないやと、ちょっとした平坦地を見つけてテントを張ることにした。当初の予定の小屋ははるか上だが、明日は軽装で早出すれば遅れは取り戻せるだろう。

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2019年7月30日 (火)

早川尾根縦走に向かったが

南アルプスの甲斐駒ヶ岳と鳳凰三山を結ぶ早川尾根は日本アルプスの一般的な縦走路の中で唯一トレースしていないコースであった。大学2年の時に鳳凰三山を縦走したのが、日本アルプスの初縦走だったので、ちょうど50年の記念すべき年に縦走を完成したいと思ったが、ただ未踏部分だけをトレースするのではつまらないと、鳳凰三山の地蔵岳から甲斐駒ヶ岳までの20時間以上を要するロングコースを夜間登山も交えて丸1日で登ってしまおうという大胆な計画である。こコ沢経由で行く。最初はトレランモードだったが傾斜がきつくなってくると歩きになってしまう。それでも先行する登山者をごぼう抜きして、鳳凰小屋にはコースタイムを一時間あまり短縮して3時前に着く。小屋の人が「お疲れ様」と声をかけてくれるが、それには答えずに小屋の裏手に回り込む。と言うのは、こんな時間に上を目指して登り続ける人はまずいないので、小屋に泊まらないことがわかると何か言われかねないと思ったからである。


小屋から上は誰にも会わずに、地蔵岳のオベリスク(尖塔)を目指して歩きにくい砂地を黙々と登って行く。一時間ほどでオベリスクの前に広がる賽の河原と呼ばれる地蔵がたくさん並べられている所に着く。50年前に来たときは白砂青松とでも呼べるような景観に感激したものだが、今日は天候のせいか素晴らしさは今一つであった。


ここから先は早川尾根に入るが、風雨が次第に激しくなる。高嶺を越えて白鳳峠に下るが、ここまでは50年前に来ており、ここから先が未踏となる。風雨の中を前進する厳しさに備えるために、素肌には乾いているセーターを身に付け、その上には濡れているスポーツシャツ、乾いているウインドブレイカー、そして濡れている雨具の順に着て完璧な準備をしたつもりであった。ところが、その直後に土砂降りの雨が降り、一番下のセーターまで濡れてきた。そして次の広河原峠に向かうために、森林限界を越えた稜線に出ると強風が濡れた体を急激に冷やして低体温症による遭難の危険が頭をよぎるようになる。甲斐駒方面に向かうと、森林限界を越えた稜線歩きが多くなるし、エスケープルートが無くて戻るしかなくなる。ここで意を決して早川尾根縦走を断念して、次の広河原峠から広河原に下山することになり、早川尾根は白鳳峠から広河原峠まで一時間の歩き程度の距離を前進させるだけに終わった。


広河原に降り立つと上空は満点の星空となっていたが、これは下界に降りたためで稜線は相変わらず天気が悪いに違いないとその時は思っていた。その晩はタクシー乗り場のベンチでごろ寝したが、寒さでよく眠れなかった。翌日は雲ひとつない晴天で、帰りのバスからは白峰三山もくっきりと見られた。昨夜は早川尾根小屋まで足を延ばして待機すれば今日は予定どおり縦走できたかもしれない。ただそれは結果論であり、昨夜の撤退の判断は正しかったと思っている。


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北丹沢耐久レース

北丹沢耐久レースの記録をアップし忘れていたので遅ればせながらアップします。

7月7日

日本三大トレランレースの一つと言われる北丹沢12時間耐久レースに参加してきた。三大レースのうち、他の日本山岳耐久レース(ハセツネ)と富士登山競争には元気な頃には何度も完走しているのだが(因みに富士山では2勝2敗で制限時間内完走ができなかった年もあるが)、北丹沢は走ったことはなかった。これは、富士登山競争を本命視していたので、北丹レースの時期は富士山のコース試走にあてていたということもあるが、コース取りがハセツネのように尾根通しに行くのではなく、無理矢理コースを作って高低差だけを稼いだもので、山屋の感覚すると魅力的なコースではないということも出場しなかった理由ではある。ただ来年の70歳で七千メートル峰登頂のための坂道トレーニングとして、十数年ぶりにトレランレース復活を考えた場合に、三大レースのうち予選会等なしにエントリーできるのが北丹だけだというのが最大の参加理由である(もっとも富士登山競争は今の体力ではとても無理ではあるが)。今大会のトレーニングとして、高尾~陣馬往復を2回やったが、トレランレースに出場していた頃のタイムの1.5倍もかかってしまい、ロードと同様にトレランでも体力が落ちているのを痛感したが、45キロを12時間以内なのだから平均時速は3.5キロということになり、これなら比較的楽なペースだと甘く考えていた。ところが、コースの約3分の2にある第二関門の制限時間が高尾~陣馬往復の練習時のタイムだとギリギリであることがわかり俄然焦り始めた。本番では渋滞もあることを考えると、練習時よりも少しペースアップするくらいで走らないと関門を突破できないと考えて気を引き締めることにした。

藤野駅からスタート地点までのシャトルバスは当日朝も用意されているので、始発で行ってもギリギリ間に合うのだが、それではあまりに忙しないので、前日早めに行って近くのキャンプ場にテントを張ることにした。会場に着いて受付をしていると、衝撃的な報せが入ってきた。先日の大雨で第一関門と第二関門の間の当初予定のコースが通行不能となり、両関門を通っている林道経由のコースに変更となったので、第二関門は設置されず、コース全体の制限時間も10時間半に短縮されることになったということである。その結果、コース全体の距離も30キロ強に短縮されることになったので、距離だけでみれば高尾~陣馬往復と大差ないことになり、一挙にハードルが下がってしまった。頭を切り替えて作戦を立て直して、目標を9時間内の完走とすることにした。そうは言っても、第一関門への制限時間内到達がそれほど簡単でないことには変わりはないのだが・・・

天気予報では曇りだったが、夜中じゅう雨が降り続いた。朝になっても雨は止まず、今日は雨中行軍を覚悟する。渋滞を避けるため、2グループに分けられ30分の時間差でスタートする。60歳以上は当然、後発の7時スタートする。終日雨が降り続くことが予想されたため上下雨具にスパッツ着装の重装備で臨んだが、皆はもっと軽装で特に先発グループの前列はランシャツ・ランパンである、山の上で低体温症にならないか他人事ながら心配である、最初から舗装路の急登である。先発グループを見送ってから後発の我々のスタートである。最近は足の調子が悪くて関節が暖まるまではゆっくり走っているものだから、たちまち追い越されて最後尾になる。まあ山道に入れば抜けるだろうとマイペースで行く。しばらく進むと上からランナーがどんどん降りてくる。折り返しはなかったはずだがと思っていると、「先頭が道を間違えた!」と教えられて慌てて引き返す。正しい道に戻った時には15分のロスがあり、第一関門突破に黄色信号が灯った。やがて山道に入ったが、大渋滞が待ち受けていた。道がぬかるんでいて滑りやすいため、まともに登れないのだ。やがて下りになると、登りほどの渋滞はなかったが、慎重に降りないとスリップするため、スピードがだせないのだ。初っ端のアクシデント続きで第一関門突破は絶望的になったが、まあ頑張れるだけ頑張ることにした。

山道が終わると小刻みのアップダウンが続く林道が10キロほど続く。後続のランナーは山道での遅れを取り戻そうとキロ4、5分のスピードで次々に追い抜いていく。自分と言えば、初っ端の登高と下降で体力を消耗したのか、キロ6、7分、登りでは10分以上かかってしまう。まあ、この程度のスピードでも、山道が普通の状態ならば第一関門はクリアできたはずなのだが

林道のランが終わり、鐘撞山~県境尾根への登り口に着いた時は、このまま登っても第一関門の制限時間を突破できないことは明らかであった。そのため、リタイアしてしまうランナーもいたが、標高差800メートルの急登は格好のトレーニングになると考えて登ることにした。速いランナーは通り過ぎてしまっているので渋滞はなかったが、道のぬかるみはますますひどくなり、田んぼの中を歩いているようで、レースというよりも泥んこ遊びをしているようであった。下りもぬかるみがひどくてとても歩けたものではなかったので、登山道の横の踏みあとのない斜面を降りて行ったが、気を付けないと登山道を見失ってしまうので、これまた神経を使わされる。長年山登りをしているが、こんなぬかるみ道は初めてだった。第一関門に着いたのは、中止となった第二関門の当初の制限時間も越えてしまったが、泥んこ遊びをしてきたのだからしょうがないか

今回は思い返すと予期しない事態の連続だった。一番は悪天によるコース変更だが、それだけではなかった。まずは前夜から張っていたテントはレース会場の対岸にあって、いわゆる沈下橋(欄干がなく増水時には水面下に沈む)で結ばれているが、夜間中降り続いた雨のため朝から上流ダムが放流したというアナウンスは流し続けていたものの、さほど深刻には考えずに、テントを撤収してレース会場に預けることはせずに、夕方には多分小降りになるだろうからテントは張ったままレースに出ることを選択してしまった(大雨の中の撤収は大変という理由で)。ところが、レースが終わってテントの撤収に戻ろうとすると、なんと沈下橋は増水のため立ち入り禁止となっているではないか。大会スタッフに聞くと、藤野駅までの送迎バスに乗って途中で降りればキャンプ場には行くことができるとのことであった。まあ何とかテントの撤収はできたが、そこからレース会場まで戻っても藤野駅までの送迎バスの最終に乗れる可能性は低いが、藤野駅までは歩いても10キロちょっとだから、歩いていくしかないと覚悟を決めて歩き出すと、しばらくして送迎バスに追い抜かれたが多分最終バスだったのだろう。だが、トラブルはそれだけでは終わらなかった。というのは、行きに通った道でもあり北に向かえば藤野駅にはたどり着けるだろうと安易に考えていたのだが、スマホ用にモバイルバッテリーは持参したものの、充電用ケーブルを忘れるという痛恨のミスをしてしまったため、スマホのバッテリー残量は10%を切っていたため、GPS地図もコンパスも起動せずに勘で進んでいたところ、知らない間に南東方向に進んでしまい、藤野駅までは15キロ以上もある地点まで来てしまっていて橋本まで行くのと大差ないことがGPS地図を起動してみてわかった。

コンビニを見つけて充電ケーブルを入手し、バッテリーで充電してスマホのネット情報を利用できるようになったので検討してみると、橋本までの途中にある三ケ木まで行けば最終の橋本行きバスに間に合いそうなことがわかった。そこでコンビニで買った弁当で腹ごしらえをしてから歩き出して、何とかその日中に帰宅することはできたが、当初予定よりもかなり遅い帰宅となってしまった。

十数年ぶりのトレランレースがとんでもないコンディションに遭遇してしまったが、これに懲りずに次のレース参加を検討している。11月の陣馬トレランである。距離は23.5キロだが獲得標高600メートルを制限時間四時間半というのは、今の自分にとってはかなり高いハードルである。年寄りの冷水だと笑われそうだが、ヒマラヤのトレーニングだと割りきって、結果は二の次でトライするつもりだ。

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2019年6月24日 (月)

石巻復興マラソンと竜飛岬

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昨夜は石巻の寿司屋で美味しい海鮮丼を食べたが酒は控えておいた。翌日のレースに備えてだが、記録は二の次になってしまった今はどうでもよいようにも思うが、昔の習慣はなかなか変わらないようである。どしゃ降りの中を明日の天気を案じながらホテルに向かい早めに床に着く。

翌朝は打って変わった好天でマラソン日和である。レース会場の運動公園は駅から歩くと1時間近くかかるということで駅前からシャトルバスが出ているとのことだが、当初は会場までは自転車で行くつもりだった。というのは石巻から金華山方面に延びる牡鹿半島の先端を目指すツーリングを以前に二回トライしながら途中で引き返してきたので、今回は運動公園から先端を目指して直行することを計画していたからだ。ただ冷静に考えてみると、レース後に長距離のツーリングをする体力は今の自分にはないことを自覚したため、牡鹿半島行きは止めて大人しくシャトルバスに乗っていくことにした。

会場に着いてしばらくすると開会式が始まり、ゲストランナーとして「市民ランナーの女神?」谷川真理さんの外に年代別の世界記録を出している80台の女性ランナーも登場した。何でも、70歳から走り始めたそうだが、フルもハーフも自分の今の記録をかなり上回っているから恐れ入る。自分も頑張ればという気にもなったが、多分そのようにはなれないだろうという諦めの気持ちの方が強いようだ。

ハーフレースの方は10キロまでは快調で、一昨年のレース復帰以降のベストタイムがでるかなと思わせたが、気温がどんどん上昇してきたためか急に足に疲れがたまってペースも落ち出す。15キロを通過した時点では、なんとかこのペースを維持して最後の2キロで頑張ろうと思ったか、何度も足が痙攣寸前まで行き、そのたびに歩きに変えざるをえなかった。最後の2キロになった時は勝負をかけるどころか歩いたり止まったりの状態となってしまった。前半の貯金が効いていたので、関門リタイアの心配はなかったが、ワースト記録を大幅に更新してのゴールとなった。暑いレースに弱いのは昔からだったが、こんなにもダメージが大きかったのは始めてである。

レース後は牡鹿半島行きが中止になって時間に余裕ができたので、以前にボランティアに来たときにテントを張った石巻専修大学のグラウンドに向かうことにした。運動公園から少し外れた所に仮設住宅が立ち並んでいたが、人の気配は感じられなかったので、大半の人は仮設住宅から出ることが出来たのだろうか。そこからしばらく行くと、真新しい住宅がずらりと並んでいる。古い家屋は皆無だったので、おそらくこのあたりは津波で
全滅したために、建て直された家ばかりなのだろう。
グランド近くまできたが、こちら側には石巻市街地につながる橋はないようなので、来た道を戻ってシャトルバスで渡った橋を通って石巻駅に戻る。ここで、これからの予定を検討する。最初の予定では、明日は仙台近郊の300名山を登るつもりだったが、明日は終日雨の予報だったので、予定を変更することにした。ただ休日倶楽部パスの利用範囲である関東甲信越は軒並み雨マークなので、どうしたものかと思ったら、青森県だけには晴れマークが出ているではないか。そこで、数年前に津軽半島の先端部を冬に歩いた時に、日数が足りなくなって竜飛岬からJR津軽線の終点付近まではバスを利用したことを思い出して、そのコースを自転車で往復することを決めて、急遽青森駅近くのホテルを予約して青森に向かった。

翌朝は始発で津軽線の終点の三厩に向かう。三厩から竜飛岬までは通常は海沿いの平坦な道を行くが、少し山側に竜泊ラインというアップダウンのある道もある。往復とも海岸添いの同じ道を行くのは芸がないので、行きは多少時間がかかるが、山側の道を行くことにする。この道は別名あじさいロードとも呼ばれているようだが、あじさいは所々には咲いているものの、道路名にするのは少々大袈裟という感は否めない。

高台を行く道だけに展望は素晴らしく、予報どおりの好天下で青い海が素晴らしかった。また車の通行も希なため静かなツーリングが楽しめ、途中で猿の親子に遭遇することもできた。やがて十三湖方面からの道と合流すると、竜飛岬は目の前である。前回は立っていられないほどの強風だったが、今日は地元の人でもめったにないという穏やかな日でラッキーだった。灯台のある高台には前回登っているので今回は割愛し、前回は雪で立ち入り禁止となっていた階段国道を下りてみることにした。ここは全国で唯一、階段のある国道とのことだが、もちろん車のためには別の迂回路があるが、もっばら観光用として今も国道の名前を使っているのだろう。

帰りは海沿いの平坦な道なので早めに三厩付近に着く。ただ津軽線は1日数本しか列車がないので、次の列車までの待ち時間がかなりあるうえ、駅周辺には飲食店もないため、飲食店を求めて先の駅まで行ってみることにした。先の道路沿いには飲食店は何軒かはあったが、いずれも営業時間外のようだったので、結局、コンビニで弁当を買って今別駅から乗車することになった。予定外の行動となったが、思いがけずに懸案を解決できてラッキーであった。

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2019年6月22日 (土)

三陸鉄道

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久慈行きの始発に乗り、久慈で三陸鉄道に乗り換える。いよいよ今回の旅行の最大目的である三陸鉄道全線乗車の旅が始まる。3月に全線開通したにもかかわらず、今まで当地訪問が遅れたのは、ひとつには三陸鉄道にも乗れる大人の休日倶楽部パスは年三回発売されるが、三陸鉄道全線開通後は、今回が初めての発売期間であったことと、もうひとつは三陸海岸の旅の終着駅ともいえる石巻において開かれる復興マラソンの開催日が6月23日であり、石巻は1週間ボランティアをした地でもあり、復興の象徴でもある三陸鉄道全線開通後の乗車と復興マラソン参加は併せて行いたいという気持ちが強かった。なお三陸海岸のボランティアは陸前高田、気仙沼、北上にも行っているが、それらの地域の復興ぶりも自分の目で確かめたいという気持ちがあった。石巻から久慈までは震災後数年以内に自転車で北上したことはあるのだが、震災から8年以上たった今、どれだけ復興が進んだかも併せて確認しておきたい。

久慈から宮古までは震災の前も後も乗っているので特に目新しいことはないが、宮古から釜石の間は震災前には乗車したことはあるが、今年の3月に(BRT区間を除き)最後の不通区間が開通したということで、今回の目玉となっている区間である。開通が遅れたのは津波の被害が大きくて難工事になったからというわけではなく、この区間はJR東日本の山田線の一部だったので、黒字企業のJR東日本には国からの補助金がおりないが、三陸鉄道には補助金がおりるので、三陸鉄道としても同路線をJR東日本から引き継げば、少ない負担で震災前は南北に分かれていた路線が一本につながるメリットがあり、その引き継ぎ等についての調整に時間を要したからだと思われる。大人の休日倶楽部パスの利用期間である今日は満員だったが、普段の日はどうなのだろう。全線開通が復興に役立ってくれるとよいのだが

釜石から先が自分にとっての未乗車の区間で、まずは盛までは三陸鉄道が直通で走り、そこから先のJR東日本の気仙沼線の海岸部分や大船渡線はBRT(専用道路を走るバス)となっている。このあたりは震災から間もない頃に行ったことがあるが、鉄橋が軒並み津波で破壊されており、途中にある南三陸町も高台にあるホテル以外は全滅状態で、鉄道の復旧には新規設置と変わらない資金負担が見込まれる一方、国からの補助金はなく、鉄道復旧による経済効果も見込めない以上はBRTもやむをえないかなと思われる。できることならば、ここも三陸鉄道が引き継いで鉄道で復旧できればよかったのだけど。

盛から乗るBRTは一般のバスと異なり鉄道に準じる扱いがされるので自転車の持ち込みも可能だということはネットで確認済みだが、乗り場にはかなり大勢の人が待っているので本当に持ち込めるのかちょっと不安になる。代行バスの狭い車内に無理やり自転車を持ち込んだことはなんどかあるのだが。
車内はかなり混んだが、入口のスペースを確保して自転車を縦にしてなんとか持ち込むことができた。ただ縦にすると収納袋から本体の一部が飛び出すので、チェーンに付いた油が他の乗客に付かないように押さえるのに苦労した。

BRTというのはレールのない鉄道というふうに理解していたが、実際はかなり違っていた。まず、交差点では信号待ちがあるし、専用道路は途中でなくなり、一般公道を走るようになる。うがった見方をすれば、鉄道からバスに一挙に変更すると地元の反発も強くなるので、鉄道に準じた乗り物ですよというイメージを与えるため、最初と最後だけ専用道路にしたのではないだろうか

盛からのBRTは従来の大船渡線と同様に気仙沼止りとなり、ここから先の従来の気仙沼線に相当する部分は別のBRTに乗り換えなければならない。こちらのBRTはがら空きで二人分の座席を自転車置き場に占有でき、先ほどの混雑が嘘のようである。1日で三陸海岸を走破しようなどという好き者はめったにいないということだろう。海岸線を離れた前谷地から先は気仙沼線は津波の被害を受けなかったので、途中から電車に乗り換えて石巻に向かうことになるが、気仙沼から大船渡線経由で新幹線で行った方が早く石巻に着くのだから、このBRTか空いているのももっともだし、JR東日本が鉄道を復旧させずにBRTとしたのもやむをえないことだと思う。ここでちょっとした勘違いをしていたことに気づいて慌てる羽目になる。それは乗っていたBRTか
前谷地行きだったので、終点まで乗って行くつもりだったが、よく調べてみると不通区間は少し手前の柳津までなので、前谷地までBRTで行ってしまうと、短い区間だけだが未乗車区間を残すことになってしまうところだった。

6時過ぎに無事に石巻に到着。久慈線乗車を含めると12時間以上の長い行程だった。あとは旨いものを食べてシャワーを浴びて明日のレースに備えて英気を養うこととしよう。

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2019年6月21日 (金)

姫神山

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2011年の東日本震災で三陸の鉄道は津波により寸断されたが徐々に復旧されて、今年3月にJR東日本の山田線の釜石~宮古が復旧されて三陸鉄道に移管されたことにより、BRT区間を除き全線が復旧したことになる。復旧次第全線乗車をしたいところであったが、三陸鉄道も乗車可能な大人の休日パスが6月下旬に利用可能であり、また三陸鉄道全線乗車後に終着となる石巻で日曜日に復興マラソンが開催されるということで、それも併せて楽しもうという欲張った計画をたてたために全線開通から3ヶ月遅れの実行となった。さらに欲張ったのは、三陸鉄道を全線乗車して石巻にその日に着くだけならば、始発の新幹線を利用すれば可能なのだが、せっかく遠出するのだからと、三陸鉄道乗車は二日目に回して、初日は二百名山にもなっている姫神山を登ってくることにした。姫神山は数年前に北上川を河口から源頭までツーリングをした際に見た美しい山容が印象に残っていて、いつか登りたいと思っていた山だ。

盛岡駅で在来線に乗り継いで好摩駅には9時半過ぎに着く。ここから登山口までは歩くと二時間ほどかかるが、バスはないので最初はタクシーを利用しようかと思ったが、明日以降の行程でも利用しそうなので自転車を輪行してきた。それほどの急坂もなかったので、約一時間で登山口に着く。登山口には大勢の登山者がおり、人気のある山のようである。

頂上までの標高差は650メートルほどだが急登が連続する。あたりはブナに覆われていて展望が得られず、日当りが良くないことや高度が低いせいで高山植物も見られないので、スマホのアプリで高度を稼いでいることを確認して気をまぎらわす。やがて展望が開けてきたと思ったら頂上だった。登高時間は1時間15分だったから、まずまずのペースである。頂上は先ほどまで打って変わって360度の大展望が楽しめる。西の方角には雲の間から岩手山の雄大な山容が望め、東の方角は天気が良ければ早池峰が見えるはずなのだが、雲に隠れているようで、手前の丘陵地帯が広がっているのが見えるだけだ。

下りは一気に急降下と行きたいところだが、昼間の時間帯は下りの電車は三時間に一本しかなくて、早く下りても駅で長時間待つだけなのでゆっくりと下っていくが、それでも駅では1時間近く待たされることになった。久しぶりにノンビリした山行となった。

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2019年6月11日 (火)

能登半島から富山湾へ

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氷見まで戻る際に途中までJR氷見線と私鉄の万葉線が平行して走っていることに気付き、平行区間はそれぞれの路線に乗り換えたので、全区間を往復乗車せずに済んだ。氷見に戻って、滑川までのツーリングを再開するが、前半は氷見線と万葉線の後半部分に沿っての走行であった。万葉線は越ノ潟が終点で、そこから先は対岸までは橋がないように思われたが、見上げるとレインボーブリッジのように上空を越えている新湊大橋がありグーグルマップでもMAPS-MEでも歩行者モードで通行可能となっていたので、入り口まで行ってみると、歩行者も自転車も通行不可となっているではないか。しかたがないので、大きく迂回して進もうとしたが、なかなか適当な道がなく、右往左往して一時間ばかりロスをしてしまう。やっと目的地に向かう道を見つけたと思ったら、昨日チューブ交換をした後輪が空気が抜けてきているように感じたので空気を入れ直してみたが、5分と持たずに後輪がガタガタしてしまう。今朝はまだ30キロくらいしか走ってないのにパンクするとは、タイヤになにか問題があるのかもしれない。だましだましでなんとか駅までたどり着いたが、能登半島一周中にこんなことになっていたらえらいことであった。そんなわけで予定のコースは約20キロを残して今回のツーリングは打ち切りとなってしまった。

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2019年6月10日 (月)

能登半島ツーリング 三日目

今日の行程には多少余裕があるので、能登町から穴水までは最短距離を取らずに海岸線沿いの遠回りの道を行く。交通量が少なくて走りやすい絶景コースであった。穴水からは鉄道が走っているので、いざというときは鉄道を使えるので気がらくになる。和倉温泉までも、島を経由するコースを選んだので、とても変化に富んだコースとなった。今日のゴールの氷見まではいくつかのコースを選ぶことができるが、いずれも途中に山越えがあるので、多少遠回りにはなるが、標高差が一番小さいコースを選んだ。そのため長い海岸線を楽しむことができた。ゴールの氷見まで4キロ弱となった時に後輪の空気が抜けてきているのを感じ、どうやらパンクのようである。しばらくはダマシダマシ乗っていたが、完全に空気が抜けてしまったので、最後の1キロくらいは自転車を引いて歩く羽目になった。せっかく、輪島半島一周が達成できたというのに最後にケチがついてしまった。

駅でゆっくりとチューブ交換をしてから自転車置場に駐輪し、祝杯をあげるために高岡に向かった。明朝また氷見まで戻り、ツーリングの続きを行う予定だ。 20190610231710002019061119394300

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