2019年6月24日 (月)

石巻復興マラソンと竜飛岬

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昨夜は石巻の寿司屋で美味しい海鮮丼を食べたが酒は控えておいた。翌日のレースに備えてだが、記録は二の次になってしまった今はどうでもよいようにも思うが、昔の習慣はなかなか変わらないようである。どしゃ降りの中を明日の天気を案じながらホテルに向かい早めに床に着く。

翌朝は打って変わった好天でマラソン日和である。レース会場の運動公園は駅から歩くと1時間近くかかるということで駅前からシャトルバスが出ているとのことだが、当初は会場までは自転車で行くつもりだった。というのは石巻から金華山方面に延びる牡鹿半島の先端を目指すツーリングを以前に二回トライしながら途中で引き返してきたので、今回は運動公園から先端を目指して直行することを計画していたからだ。ただ冷静に考えてみると、レース後に長距離のツーリングをする体力は今の自分にはないことを自覚したため、牡鹿半島行きは止めて大人しくシャトルバスに乗っていくことにした。

会場に着いてしばらくすると開会式が始まり、ゲストランナーとして「市民ランナーの女神?」谷川真理さんの外に年代別の世界記録を出している80台の女性ランナーも登場した。何でも、70歳から走り始めたそうだが、フルもハーフも自分の今の記録をかなり上回っているから恐れ入る。自分も頑張ればという気にもなったが、多分そのようにはなれないだろうという諦めの気持ちの方が強いようだ。

ハーフレースの方は10キロまでは快調で、一昨年のレース復帰以降のベストタイムがでるかなと思わせたが、気温がどんどん上昇してきたためか急に足に疲れがたまってペースも落ち出す。15キロを通過した時点では、なんとかこのペースを維持して最後の2キロで頑張ろうと思ったか、何度も足が痙攣寸前まで行き、そのたびに歩きに変えざるをえなかった。最後の2キロになった時は勝負をかけるどころか歩いたり止まったりの状態となってしまった。前半の貯金が効いていたので、関門リタイアの心配はなかったが、ワースト記録を大幅に更新してのゴールとなった。暑いレースに弱いのは昔からだったが、こんなにもダメージが大きかったのは始めてである。

レース後は牡鹿半島行きが中止になって時間に余裕ができたので、以前にボランティアに来たときにテントを張った石巻専修大学のグラウンドに向かうことにした。運動公園から少し外れた所に仮設住宅が立ち並んでいたが、人の気配は感じられなかったので、大半の人は仮設住宅から出ることが出来たのだろうか。そこからしばらく行くと、真新しい住宅がずらりと並んでいる。古い家屋は皆無だったので、おそらくこのあたりは津波で
全滅したために、建て直された家ばかりなのだろう。
グランド近くまできたが、こちら側には石巻市街地につながる橋はないようなので、来た道を戻ってシャトルバスで渡った橋を通って石巻駅に戻る。ここで、これからの予定を検討する。最初の予定では、明日は仙台近郊の300名山を登るつもりだったが、明日は終日雨の予報だったので、予定を変更することにした。ただ休日倶楽部パスの利用範囲である関東甲信越は軒並み雨マークなので、どうしたものかと思ったら、青森県だけには晴れマークが出ているではないか。そこで、数年前に津軽半島の先端部を冬に歩いた時に、日数が足りなくなって竜飛岬からJR津軽線の終点付近まではバスを利用したことを思い出して、そのコースを自転車で往復することを決めて、急遽青森駅近くのホテルを予約して青森に向かった。

翌朝は始発で津軽線の終点の三厩に向かう。三厩から竜飛岬までは通常は海沿いの平坦な道を行くが、少し山側に竜泊ラインというアップダウンのある道もある。往復とも海岸添いの同じ道を行くのは芸がないので、行きは多少時間がかかるが、山側の道を行くことにする。この道は別名あじさいロードとも呼ばれているようだが、あじさいは所々には咲いているものの、道路名にするのは少々大袈裟という感は否めない。

高台を行く道だけに展望は素晴らしく、予報どおりの好天下で青い海が素晴らしかった。また車の通行も希なため静かなツーリングが楽しめ、途中で猿の親子に遭遇することもできた。やがて十三湖方面からの道と合流すると、竜飛岬は目の前である。前回は立っていられないほどの強風だったが、今日は地元の人でもめったにないという穏やかな日でラッキーだった。灯台のある高台には前回登っているので今回は割愛し、前回は雪で立ち入り禁止となっていた階段国道を下りてみることにした。ここは全国で唯一、階段のある国道とのことだが、もちろん車のためには別の迂回路があるが、もっばら観光用として今も国道の名前を使っているのだろう。

帰りは海沿いの平坦な道なので早めに三厩付近に着く。ただ津軽線は1日数本しか列車がないので、次の列車までの待ち時間がかなりあるうえ、駅周辺には飲食店もないため、飲食店を求めて先の駅まで行ってみることにした。先の道路沿いには飲食店は何軒かはあったが、いずれも営業時間外のようだったので、結局、コンビニで弁当を買って今別駅から乗車することになった。予定外の行動となったが、思いがけずに懸案を解決できてラッキーであった。

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2019年6月22日 (土)

三陸鉄道

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久慈行きの始発に乗り、久慈で三陸鉄道に乗り換える。いよいよ今回の旅行の最大目的である三陸鉄道全線乗車の旅が始まる。3月に全線開通したにもかかわらず、今まで当地訪問が遅れたのは、ひとつには三陸鉄道にも乗れる大人の休日倶楽部パスは年三回発売されるが、三陸鉄道全線開通後は、今回が初めての発売期間であったことと、もうひとつは三陸海岸の旅の終着駅ともいえる石巻において開かれる復興マラソンの開催日が6月23日であり、石巻は1週間ボランティアをした地でもあり、復興の象徴でもある三陸鉄道全線開通後の乗車と復興マラソン参加は併せて行いたいという気持ちが強かった。なお三陸海岸のボランティアは陸前高田、気仙沼、北上にも行っているが、それらの地域の復興ぶりも自分の目で確かめたいという気持ちがあった。石巻から久慈までは震災後数年以内に自転車で北上したことはあるのだが、震災から8年以上たった今、どれだけ復興が進んだかも併せて確認しておきたい。

久慈から宮古までは震災の前も後も乗っているので特に目新しいことはないが、宮古から釜石の間は震災前には乗車したことはあるが、今年の3月に(BRT区間を除き)最後の不通区間が開通したということで、今回の目玉となっている区間である。開通が遅れたのは津波の被害が大きくて難工事になったからというわけではなく、この区間はJR東日本の山田線の一部だったので、黒字企業のJR東日本には国からの補助金がおりないが、三陸鉄道には補助金がおりるので、三陸鉄道としても同路線をJR東日本から引き継げば、少ない負担で震災前は南北に分かれていた路線が一本につながるメリットがあり、その引き継ぎ等についての調整に時間を要したからだと思われる。大人の休日倶楽部パスの利用期間である今日は満員だったが、普段の日はどうなのだろう。全線開通が復興に役立ってくれるとよいのだが

釜石から先が自分にとっての未乗車の区間で、まずは盛までは三陸鉄道が直通で走り、そこから先のJR東日本の気仙沼線の海岸部分や大船渡線はBRT(専用道路を走るバス)となっている。このあたりは震災から間もない頃に行ったことがあるが、鉄橋が軒並み津波で破壊されており、途中にある南三陸町も高台にあるホテル以外は全滅状態で、鉄道の復旧には新規設置と変わらない資金負担が見込まれる一方、国からの補助金はなく、鉄道復旧による経済効果も見込めない以上はBRTもやむをえないかなと思われる。できることならば、ここも三陸鉄道が引き継いで鉄道で復旧できればよかったのだけど。

盛から乗るBRTは一般のバスと異なり鉄道に準じる扱いがされるので自転車の持ち込みも可能だということはネットで確認済みだが、乗り場にはかなり大勢の人が待っているので本当に持ち込めるのかちょっと不安になる。代行バスの狭い車内に無理やり自転車を持ち込んだことはなんどかあるのだが。
車内はかなり混んだが、入口のスペースを確保して自転車を縦にしてなんとか持ち込むことができた。ただ縦にすると収納袋から本体の一部が飛び出すので、チェーンに付いた油が他の乗客に付かないように押さえるのに苦労した。

BRTというのはレールのない鉄道というふうに理解していたが、実際はかなり違っていた。まず、交差点では信号待ちがあるし、専用道路は途中でなくなり、一般公道を走るようになる。うがった見方をすれば、鉄道からバスに一挙に変更すると地元の反発も強くなるので、鉄道に準じた乗り物ですよというイメージを与えるため、最初と最後だけ専用道路にしたのではないだろうか

盛からのBRTは従来の大船渡線と同様に気仙沼止りとなり、ここから先の従来の気仙沼線に相当する部分は別のBRTに乗り換えなければならない。こちらのBRTはがら空きで二人分の座席を自転車置き場に占有でき、先ほどの混雑が嘘のようである。1日で三陸海岸を走破しようなどという好き者はめったにいないということだろう。海岸線を離れた前谷地から先は気仙沼線は津波の被害を受けなかったので、途中から電車に乗り換えて石巻に向かうことになるが、気仙沼から大船渡線経由で新幹線で行った方が早く石巻に着くのだから、このBRTか空いているのももっともだし、JR東日本が鉄道を復旧させずにBRTとしたのもやむをえないことだと思う。ここでちょっとした勘違いをしていたことに気づいて慌てる羽目になる。それは乗っていたBRTか
前谷地行きだったので、終点まで乗って行くつもりだったが、よく調べてみると不通区間は少し手前の柳津までなので、前谷地までBRTで行ってしまうと、短い区間だけだが未乗車区間を残すことになってしまうところだった。

6時過ぎに無事に石巻に到着。久慈線乗車を含めると12時間以上の長い行程だった。あとは旨いものを食べてシャワーを浴びて明日のレースに備えて英気を養うこととしよう。

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2019年6月21日 (金)

姫神山

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2011年の東日本震災で三陸の鉄道は津波により寸断されたが徐々に復旧されて、今年3月にJR東日本の山田線の釜石~宮古が復旧されて三陸鉄道に移管されたことにより、BRT区間を除き全線が復旧したことになる。復旧次第全線乗車をしたいところであったが、三陸鉄道も乗車可能な大人の休日パスが6月下旬に利用可能であり、また三陸鉄道全線乗車後に終着となる石巻で日曜日に復興マラソンが開催されるということで、それも併せて楽しもうという欲張った計画をたてたために全線開通から3ヶ月遅れの実行となった。さらに欲張ったのは、三陸鉄道を全線乗車して石巻にその日に着くだけならば、始発の新幹線を利用すれば可能なのだが、せっかく遠出するのだからと、三陸鉄道乗車は二日目に回して、初日は二百名山にもなっている姫神山を登ってくることにした。姫神山は数年前に北上川を河口から源頭までツーリングをした際に見た美しい山容が印象に残っていて、いつか登りたいと思っていた山だ。

盛岡駅で在来線に乗り継いで好摩駅には9時半過ぎに着く。ここから登山口までは歩くと二時間ほどかかるが、バスはないので最初はタクシーを利用しようかと思ったが、明日以降の行程でも利用しそうなので自転車を輪行してきた。それほどの急坂もなかったので、約一時間で登山口に着く。登山口には大勢の登山者がおり、人気のある山のようである。

頂上までの標高差は650メートルほどだが急登が連続する。あたりはブナに覆われていて展望が得られず、日当りが良くないことや高度が低いせいで高山植物も見られないので、スマホのアプリで高度を稼いでいることを確認して気をまぎらわす。やがて展望が開けてきたと思ったら頂上だった。登高時間は1時間15分だったから、まずまずのペースである。頂上は先ほどまで打って変わって360度の大展望が楽しめる。西の方角には雲の間から岩手山の雄大な山容が望め、東の方角は天気が良ければ早池峰が見えるはずなのだが、雲に隠れているようで、手前の丘陵地帯が広がっているのが見えるだけだ。

下りは一気に急降下と行きたいところだが、昼間の時間帯は下りの電車は三時間に一本しかなくて、早く下りても駅で長時間待つだけなのでゆっくりと下っていくが、それでも駅では1時間近く待たされることになった。久しぶりにノンビリした山行となった。

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2019年6月11日 (火)

能登半島から富山湾へ

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氷見まで戻る際に途中までJR氷見線と私鉄の万葉線が平行して走っていることに気付き、平行区間はそれぞれの路線に乗り換えたので、全区間を往復乗車せずに済んだ。氷見に戻って、滑川までのツーリングを再開するが、前半は氷見線と万葉線の後半部分に沿っての走行であった。万葉線は越ノ潟が終点で、そこから先は対岸までは橋がないように思われたが、見上げるとレインボーブリッジのように上空を越えている新湊大橋がありグーグルマップでもMAPS-MEでも歩行者モードで通行可能となっていたので、入り口まで行ってみると、歩行者も自転車も通行不可となっているではないか。しかたがないので、大きく迂回して進もうとしたが、なかなか適当な道がなく、右往左往して一時間ばかりロスをしてしまう。やっと目的地に向かう道を見つけたと思ったら、昨日チューブ交換をした後輪が空気が抜けてきているように感じたので空気を入れ直してみたが、5分と持たずに後輪がガタガタしてしまう。今朝はまだ30キロくらいしか走ってないのにパンクするとは、タイヤになにか問題があるのかもしれない。だましだましでなんとか駅までたどり着いたが、能登半島一周中にこんなことになっていたらえらいことであった。そんなわけで予定のコースは約20キロを残して今回のツーリングは打ち切りとなってしまった。

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2019年6月10日 (月)

能登半島ツーリング 三日目

今日の行程には多少余裕があるので、能登町から穴水までは最短距離を取らずに海岸線沿いの遠回りの道を行く。交通量が少なくて走りやすい絶景コースであった。穴水からは鉄道が走っているので、いざというときは鉄道を使えるので気がらくになる。和倉温泉までも、島を経由するコースを選んだので、とても変化に富んだコースとなった。今日のゴールの氷見まではいくつかのコースを選ぶことができるが、いずれも途中に山越えがあるので、多少遠回りにはなるが、標高差が一番小さいコースを選んだ。そのため長い海岸線を楽しむことができた。ゴールの氷見まで4キロ弱となった時に後輪の空気が抜けてきているのを感じ、どうやらパンクのようである。しばらくはダマシダマシ乗っていたが、完全に空気が抜けてしまったので、最後の1キロくらいは自転車を引いて歩く羽目になった。せっかく、輪島半島一周が達成できたというのに最後にケチがついてしまった。

駅でゆっくりとチューブ交換をしてから自転車置場に駐輪し、祝杯をあげるために高岡に向かった。明朝また氷見まで戻り、ツーリングの続きを行う予定だ。 20190610231710002019061119394300

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2019年6月 9日 (日)

能登半島ツーリング 二日目

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輪島のキャンプ場を6時に出発し輪島の町に戻る。朝市はまだ準備中だったので先を急ぐ。海岸沿いの道を進むので、天気が良ければ気持ちが良いのだろうが、どんよりとした曇り空では今ひとつ気分が乗らない。ただ途中に千枚田という段々畑ならぬ段々田んぼがあったり、江戸時代から製塩の盛んな当地ならでわの製塩に関する展示があって気が紛れる。海岸沿いの道と言っても多少のアップダウンはあるものだが、能登半島先端の手前に掲示があって最高勾配率11パーセントとあるので、ビックリする。昼飯前に果して登りきれるか心配になったが、短い登りだったので助かった。展望台から反対側に降りてしばらく進むと半島の最先端に着く。山の上にある灯台まで登って眺めると最先端まで来た実感が湧くのかも知れないが、時間を惜しんで先を急ぐ。

しばらく進むと見附岩に着く。子供が小さい時に家族で海水浴に来た所で懐かしかった。その時は鉄道を利用して見附海岸まで来たのだが、今はもう廃線になってしまっていた。見附岩の前後に何ヵ所かキャンプ場があったが、順調なペースで来たために、テントを張るには時間が早すぎると言うことで素通りしてしまった。ただその先にはキャンプ場がないため、能登町(旧 宇出津町)に何軒かある旅館か民宿に泊まることにした。夜は雨の予報だったので、できればキャンプは避けたいという気持ちもあった。

能登町まで8キロになった時点で、山中から海岸まで行くのだから下り一方で、30分もかからないだろうとたかをくくっていた。ところが、実際は傾斜は緩いものの延々と登りが続くことになる。下りだと思っていただけに、精神的にダメージが大きかった。結局緩い登りが5キロ続き、能登町まで3キロの地点でトンネルがあり、その先が急な下りとなっていた。

能登町に着くと町内の旅館や民宿(ホテルはない)に片っ端から電話するが、繋がらないか繋がっても「今日は休み」という返事だった。繋がらない旅館は町の中心部にあったので、前まで行ってみたが、真っ暗であった。ビジネス用途が見込めない町にあっては、日曜が休業というのが常識なのだろう。さあどうしようということで思案したあげく、町の中心街からは離れた高台にある運動公園にテントを張ることにした。幸い建物の屋根の下にテントを張れたので、案の定、夜から降りだした雨にも濡れずにすんでラッキーだった。今日1日で能登半島一周には大手がかかったので、よほどの大雨にでもならない限り、明日中に一周は達成できるだろう。

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2019年6月 8日 (土)

能登半島 ツーリング 1日目

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今回の日本列島海岸線ツーリングは能登半島からスタートである。能登半島は高校時代にバスで一周したことがあるが、70近くに
なって自転車で行くことになるとは夢にも思わなかった!

始発の新幹線が金沢に着いた時は雨はやんでなかったので、特急に乗り換えて一時間ほど先の羽咋からスタートすることにした。羽咋に着くと読みが当たって雨は止んでいて幸先のよいスタートを切ることができた。しばらく走ると海岸線に沿った道となり、景色を楽しみながら自転車を進める。

朝食が遅かったので、2時過ぎに着いた道の駅でお昼にするつもりだったが、五キロほど先に回転寿司があるとの広告が出ている。網元直営という文字に妙にひかれて、寄り道にはなるが回転寿司を目指すことにした。一応グーグルマップで確認すると営業中となっていたので安心していたのだが、店の前まで来ると「臨時休業」の表示が!ここから先には飲食店もコンビニもないようなので、しかたがないので戻ることにした。ただ道の駅は遠すぎるので手前のコンビニの弁当で済ませてしまう。

そこから先は特に問題もなく順調に進む。輪島の手前に標高差200メートルの峠越えがあるとのことで心配していたか、傾斜はきつくなかったので、たいしたことはなかった。輪島の町には薄明かりが残ってる時間になんとか着くことができた。昼に回転寿司を食べられなかった仇を刺身定食でとってから、1キロほどの所にあるキャンプ場にテントを張って1日目の夜を過ごした。

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高尾~陣馬山トレラン

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来年の70歳での七千メートル峰登頂に際しては脚力強化の必要性を痛感して、本年7月に十数年ぶりのトレランレースである北丹沢12時間耐久レースにエントリーしたが、そのトレーニングとして高尾~陣馬往復30キロを走ってきた。このコースはトレランをやってた頃は、富士登山競走が終わると、日本山岳耐久レース直前まで毎週走ってたコースだ。当時はここを4時間以内で走れれば、フルでもサブスリーが狙えると言われていたが、一度も4時間を切ることはできなかったと記憶している。果たして、今の力でどのくらいのタイムが出せるのか?そもそも完走できるのかということから心配であった。

高尾山口から高尾山頂までの最短路である1号路は休日は繁華街並みの混雑であるが、平日の今日は人もまばらである。このコースは最速で27分で登ったと記憶しているが、今日は50分もかかってしまい前途多難である。高尾山頂から陣馬山までは約10キロあってアップダウンが連続するが、以前はノンストップで走り続けたと記憶している。だが今回は急坂では歩いてしまうし、途中の景信山では休んでしまって、高尾山から陣馬山まで二時間半もかかってしまった。もっとも、コースタイムは五時間となっていたので、それと比べれば十分早いのだが・・・

陣馬山頂では持参したパンを食べて下降に移るが、降り始めて直ぐに陣馬山頂で写真をとっていないことに気付く。登り返すのも面倒だなと思いながら振り返ると、陣馬山のシンボルである白馬の像の上部が辛うじて見えたので、横着して現在地からの写真で陣馬山頂の写真に代用することにした。帰りは部分的に登りもあるが、基本的には下り中心である。余力は残っていたのだが、登り坂は走る気力が失せて歩いてしまい、根っこや石のある下りは加齢のためか恐怖心も起きてスピードが出せなくなってしまったので、下りも結構時間がかかり、往復の時間は休憩時間も含めて六時間半となってしまった。まあフルの実力低下とほぼ比例しているのだが

北丹12時間の本番までにあと数回は練習したいが、目標としている10時間以内完走が実現できるかどうかは今後の努力次第か

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2019年5月28日 (火)

羅漢寺山と昇仙峡

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ネパール帰りの週末に家内と甲府近郊の温泉に行き、翌日、ロープウェイで山梨百名山の羅漢寺山に行った後に昇仙峡の遊歩道を歩いてきたのだが、アップし忘れたので、遅まきながら写真のみアップしておく。

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2019年5月 7日 (火)

カトマンズの休日

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今日は予備日の使い残しの日だったので、ゆっくりと起きる。最初は郊外にある日帰りトレッキングのコースにでも行こうかと思ったが、今さらトレッキングでもあるまいと思い直し、地震による倒壊からの修復が最近行われたというボダナート寺院(通称、目玉寺)に行ってみることにした。午前中は土産を買ったりした後、昨晩行き損なった和食の店、「絆」で早めのランチとる。ネットの評判ではカトマンズの和食の店No1の評価を得ているのまが、路地の奥にあって昨夜は見つけられず、仕方なく今までも何回か行ったことがある「ふる里」という店でカツライスを注文して、それはそれなりに旨かったのであるが、より詳しい情報を調べて再挑戦の末に辿り着くことができた。一番の売りはカツ丼らしいが、昨日カツライスを食べてしまったので天丼にしておいた。エビ二本がエベレストのように盛り上がっていて、これで350円である。よく海外の和食店というと、値段が高いばかりで味はまがい物というケースが多いが、こちらは値段が安いにもかかわらず、味は日本の天丼屋と遜色がない。

ボダナートはバスでも行けるようであるが、バスはきた乗り飽きたことてもあるし(笑)、見知らぬ土地で路線バスに乗るのはけっこうたいへんなので、今回は行きはタクシー、帰りは寄り道しながら歩くことにする。

ボダナートは初めてネパールを訪問した際にも来ているのだが、地震で倒壊したと聞いてからネパールを訪問した際に、その惨状を見に行ったところ、近くにあった別のよく似た別の寺院に行ってしまい、「壊れてないんじゃん」と誤解したことがあった。今回、改めて本物のボダナートに行ってみて、その大きさに圧倒されたが、参拝客の数も半端じゃなかった。

帰りに寄り道してパシュパティナート寺院にも行くつもりだったが、入り口を見落としてしまい、横を素通りして丘の上の公園から寺院を見下ろすだけに終わってしまったが、ここも以前に来たことがあるはずなので、今回はまあいいか。なお、これも以前にいったことがある市内の西にあるスワヤンブナート寺院の三つが最も有名な寺院ということになる。因みにパシュパティナートがヒンズー経で他は仏教である(ネパール全体ではヒンズー教徒が圧倒的に多いのだが)

その後はホテルに戻り、夜はエージェントの主催する夕食会に出席する。日本人の参加者はいないので、英語の日常会話が不得手な自分にとってはつらい時間なのだが、この年になってしまってからではどうしようもないし、これまでもなんとかやってきたのだから、これからも今のままで多分やっていけるだろう。

これで、今回のネパール登山に関するすべてのことは終わり、後は日本に帰るだけとなった。

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