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2019年5月 6日 (月)

帰途

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チュルー登山も終わり後は帰るだけだが、日本帰国となると気が遠くなるほど先のことである。先ずはベースキャンプまでの帰還である。前回は高山病でフラフラの中での下降であっただけに、絶対に事故を起こしてはならないと慎重に下降したが、今回はかなりフィックスが張られているし、ガイドも同行しているので、それほどの緊張感はない。ベースキャンプへの帰着時間いかんによっては、マナンまで一気に降りたいと思ったが、時間的にきつくなってきたので、今日はベースキャンプに止まり明日マナンに降りることとして、ノンビリとベースキャンプで過ごした。

翌朝にガイドの方から、「マナンまで降りてしまうと、翌日のティリッツォ湖までの行程が長くなりすぎるので、マナンには寄らずに近道してティリッツォ湖に向かう道に向かいたい」との話があった。ただ自分としては、電波が通じるマナンに立ち寄って、家内に無事を伝えるとともに、仕事上の急ぎのメールの確認もしたかったし、あわせて大きく変わったと言われる現在のマナンの様子も見てみたかったので、コックとポーターは近道を行き、ガイドが私に付き合ってマナン経由で行くことにした。

マナンでの電波状態は期待していたほどは良くなく最低限のことしか出来ず、一方、かつてのマナンは草原の中に数軒の家があるだけだったものが、現在のマナンは多くの家が建ち並んではいるものの、それは近隣の村よりも多少規模が大きい程度で、思っていた「街」に変貌しているわけではなかった。コックたちが多分先行しているだろう今夜のキャンプ地までは、標高差で500メートル近くもあり、短時間なからも今回の行程で一番疲労を感じるものであった。ポーターたちは少し前に着いたようであるが、私のテントがすでに張られていて中に入れるのは助かった。と言うのは今回初めて雪模様となり、テント設営完了まで待たされるのは辛いものがあるからである。明日は雪中歩行かと懸念したが、夜中にテントから外に出て見ると満天の星空でとんだ杞憂であった。

翌朝は予想通り雲ひとつない好天であった。南側にはアンナプルナⅡ、ガンガプルナ、ティリッツォピークと巨峰が屏風のように連なり壮観である。今日の登りが今回最後となるはずだが、標高差は900メートルもあり、なかなかのアルバイトである。午前中は大斜面の下を延々とトラバースしていくので、上部からの落石には気を遣うものの、体力的にはさほどきつくない。午後からは富士山の斜面を登るやうな感じの登りでグイグイと高度を上げていく。背後にはチュルー連山の峰々が眺められた。

たくさんのロッジがあってトレッカーで賑わうトロンパス越えと異なり、ティリッツォ・レイク越えは山頂から離れた所にしかロッジがないので、トレッカーも少ないのだろうと思っていたら、我々が湖近くまで登って下を見ると、多数の人が登って来るようだ。ロッジをベースにレークをピストンしようとするのだろう。空身で登っている人が多いので、たちまち我々に追い付き追い越して行く。彼らのお目当てはレイクの東端にある標識のようで、そこまで行くと引き返していく。ただ残念ながら、湖面は雪の下で神秘的な眺めは得られない。おまけに雪まで降りだして対岸の山も隠れ出した。雪はますます激しくなってきたが、我々のキャンプ予定地はもう少し前方なので、そのまま進んでいたところ、雪のために前の人の踏み跡がわからなくなってしまった。最後尾は私とコックが歩いていたが、コックが前に出てあちこち捜して他のメンバーと合流でき、最悪の事態になることは避けられた。その晩は五千メートルの平原の岩陰でテントを張って過ごすという快適とは言い難いキャンプ生活である。

その晩は暴風雪にもかかわらずコックは料理を作ってくれたが、スタッフたちのテントは屋根型のため、煽られたり物が吹き飛ばされたりとたいへんだったようだ。幸い私が利用させてもらったテントはドーム型のため、強風の際は押し倒されたポールが顔のすぐ前まで迫ることはあったが、まあ快眠することはできた。

翌朝には天気もまあまあ回復して行動は可能になったが、湖のまわりを西側まで進んでからジョムソンを目指して下降するのかと思ったら、300メートル以上の高みを目指して
新雪をかき分けて登らされる羽目に。やがてチベット仏教の経文が書かれた旗が飾ってある丘の上まで登ると、ガイドから「これで登りは終わりだ」と言われてホッとしたのも束の間、その後は雪の尾根をいくつも越えていくために神経が疲れる雪壁の横断が続き、一向に下降が始まらない。午後になって極めつけともいうべきは高さ100メートルに達する急な雪渓の下降で、そこを下りきって初めて「トレッキングコース」がようやく始まる(といってもティリッツォ湖からジョムソンまではトレッキングしか経験のない人には無理だが)。そこからはトレッキング気分だと言っても、ジョムソンまでは水平距離にして約15キロ、垂直距離で2千メートルもあってかなりのアルバイトである。

最初は2~3グループに分かれて行動し、休憩点ですれ違っていたが、私とガイド(多分私に付き合ってくれているんだろうけど)は次第に遅れて休憩点でも他の連中とはあうことがなくなってしまった、日没を過ぎて暗くなり始めた頃はジョムソンまではまだ12キロほどあったが、ゴールが山の中にあるわけでもあるまいし、全然焦りは感じていなかった。私の場合は水が切れていたのが問題と言えば問題だが、数時間のどの渇きを我慢すれば済むだけの話である。

ジョムソンまで3キロの地点まで達し、もうゴールまでは時間の問題だと思った途端に難題に出くわした。道路が工事のために通行止めになっているではないか。周辺に迂回道路の情報を調べてもらうが何もないという。途中で分岐する道はなかったように思うし、通行止めの手前で反対側からの道と合流していたので、一応その道も少し進んでみたが、反対方向にさに進むばかりだし地図にも載っていない道だったので、諦めて元にもどる。そこで気が付いたのは、先行した連中は今はジョムソン手前の町のホテルにいるそうだが、我々がいる場所をどうやって突破したのかを聞き出すことだった。幸い、ガイドとコックの携帯を通じ会うようだ。私が直接コックに質問すればよいのだが、片言の日本語しか話さないコックとの間には会話が成立しないので、これまた怪しげな日本語を話すガイドから聞き出してもらうしか方法がない。靴の上から掻くようなもどかしさで知り得たことは、何らかの方法で、ここを突破したということである。となれば、さきほどの反対方向に向かう道以外には、この袋小路から抜け出る術はないということで、さらに先の方まで進んで行くと、果たして道は高度を下げて半周して、元の道と同じ方向に向かっていて、この道が通行止めの迂回路であることは明らかだった。結局そのまま進むと、迎えに来たポーターと合流でき、ジョムソンの手前の町のホテルに我々も泊まることになった。

翌日は30分ほど歩いてジョムソンに到着。今回歩いた中では格段に大きな町である(飛行場まである!)。とあるホテルの中庭にテントを張らせてもらって明朝の出発に備えることになったわけだが、時間はまだ午前中でもったいないので、ジョムソンの町を観光することにした。その際に私が戻る前にポーター二人が先に帰ってしまうということでチップをわたす。歯が欠けるようにスタッフが減っていくことには一抹の寂しさも感じてしまう。

ランチはコックのものを待っていると遅くなるのでキャンセルして、レストランでヤクステーキとビールで済ませる。ヤクはネパールやチベットの高地に住む牛で、肉は固くて旨くはないのだが、こちらにくるとついつい注文してしまう。食後は町を散策しても小一時間もあれば終わってしまうのだが、郊外に湖があるらしいので行ってみる。片道一時間くらいの半日観光にはもってこいの所である。湖というよりも池といった方がいい規模だが、遠くのヒマラヤの連山とともに眺められる湖面はポカラの観光名所であるペワタールとも似ていて結構人が訪れていた。

その晩は最後の晩餐ということで、私もスタッフと一緒に食事をとる。きついリンゴ酒にほろ酔い気分で町に出て水を買ってからテントに戻るためにホテルの中を通ると、今日はやけに日本人が多い。一組目は団体の観光客のようだったので敬遠したが、二人グループに話しかけてみると、我々が通ってきたトロンパスの隣にあるトロンヒークからの帰りの日本人ガイドと客で(登頂はならなかったようだが)、そのガイドは私が若いころに初めてヒマラヤ登山をする機会を作ってくれた山岳団体の現責任者の人だった。ヒマラヤの話や共通の知り合いの話で大いに盛り上がったが、山の世界は狭いものである。

翌日は1日がかりでポカラに戻るために早朝にジョムソンを出発する。行きはポカラ先はチャーター車だったのに帰りはバスである。一応はツーリストバスとは書いてあるが、行きにカトマンズからポカラまでに乗ったバスとくらべると随分とショボいバスである。ポーターも乗るということでランクを下げたのだろうか?

行きの際には氷雪をまとった峰々の勇姿に感動し、ガードレールもない断崖絶壁の連続に恐れをなしたものだが、帰りは本当に無感動、無神経になってしまった。ただ早くポカラに戻りたいの一心であった。

ポカラでは久しぶりに日本料理でも食べてみたいなと思ったが、場所がわからず中華料理店に入る。まぼう豆腐と餃子を注文するが、味も辛さも連日のネパール料理と大差ない。明日こそはカトマンズであっさりした和食を食べたいものである。

翌日のポカラからカトマンズまでのバスは昨日と同じツーリストバスだが、ずっと豪華で乗客もほとんどが欧米人である。午前中に立ち寄った休憩所にも欧米人向けの軽食が販売されていたので、今日のランチはネパール料理から解放されるかなと思ったら、バスが立ち寄ったのはりネパール料理の店だった。これが最後のネパール料理か?

ポカラからカトマンズまでは200キロちょっとの距離だから、高速道路ならば数時間というところだが、道路事情が悪いため優に半日以上はかかってしまう。一方ら同区間を飛行機ならば25分ほどの時間で着くし料金も10倍程度なので、裕福でせっかちな日本人がバスに乗ろうとしない事情もわかるが、ノンビリと地元の人の生活に触れながら行くバスの旅もよいものである、そうこうしているうちにバスは最後の峠を越えてカトマンズ盆地に入り、今回の旅もフィナーレを迎えることになった。

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