2025年11月26日 (水)

天竺山

元々高い山の少ない東京百名山の中でもとりわけ低い山である天竺山(310メートル)は、これ単独で登りに来るほど
でもないので、他の山の帰りに登ろうと思ってたら、五日市に降りるのがいつも暗くなってしまい、登らずじまいに終わっていた。そこで、今回は天竺山のみを目標として登ることにした。ただそれだけではつまらないので、福生までは自転車を使い、福生から五日市まではシルバーパスを利用することにした。

 

11月24日

 

武蔵五日市駅から天竺山までの標高差は200メートルちょっとなので全然大した登りではないが、危険なアーバンベアが我が物顔にしている地域なので、人家から離れるやいなや熊よけホーンを鳴らしっぱなしにする。というのは、熊鈴が有効なのは、山の熊に対してであって、アーバンベアに対してはむしろ熊を引き寄せかねないものになってしまったからである。

 

大した登りもなく頂上に着いたが、そこから眺められる東京方面の展望はなかなか見事であった。初日の出を見る場所としては絶好の場所かもしれない。
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バスと自転車で行きと同じ道を戻ったが、途中で暗くなってしまい、1日がかりのコースとなった。

 

 

 

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2025年11月23日 (日)

妙義集中登山

 

後期高齢者となり、自分ではまだまだ元気だと思っていてもなにがあっても不思議ではない年齢になっていることを自覚して、今後は単独行はなるべく避けた方がよいと考えて地元の山岳会に入会することになったが、今回は入会後初めての会山行である。

11月15日

荻窪駅でピックアップしてもらって妙義方面に向かう。今回はマルチピッチ主体の山行が組まれているが、1パーティーだけ一般登山路のコースがあったので、久しぶりのアルパインでもあり、初日は一般登山路のコースを歩くことにした。

妙義神社の横から登りだす。1時間ほどの急登で稜線近くまで達する。このあたりから鎖場も現れてちょっぴりスリルも味わえるようになる。稜線に出ると結構登山者も多くなり展望も素晴らしくなってくる。

表妙義は30年以上も前に歩いたことがあるが、どのあたりを歩いたのか全く記憶がない。ただ古い地図をみると、縦走路の南部にある金洞山がわずかの差ながら最高地点となっているので、おそらくそこを登ったのであろう。ただ最新の地図では相馬岳がわずかながら金洞山を上回っているようになっているので、最高点にはまだのぼっていなかったことになり、今回はぜひ相馬岳を登っていなかったことになる。

白雲岳を過ぎてタルワキのコルを過ぎるとすぐ先の相馬岳までは人登りである。相馬岳は今日一番の賑わいである。あまり長居はしたくないところであるが、相馬岳北稜パーティーが間もなく到着しそうだったので、しばらく待つことにする。

1時間ほど待つと北稜パーティーと合流して記念撮影をするが、集中登山らしい雰囲気を味わえた。
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北稜パーティーは西側のキャンプ場に直接下山し、我々は反対側の妙義神社近くに駐車してある関係で、彼らと別れて大回りでキャンプ場に向かうが、キャンプ場では焚き火と鍋物で大いに盛り上がった。

11月16日

今日は3人パーティーで金鶏山から筆頭岩のコースに向かう。金鶏山への登りはかなりの急登で、岩場が始まってからもロープを出すほどでもないので、そのまま登り続けたが、神経を多少使うところであった。案の定、1人が掴んだ岩が取れてしまって少し滑り落ちたが、幸い大事にはいたらなかった。
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金鶏山から筆頭岩までは地図上ではさほど距離はないようだが、道が不明瞭で右往左往してしまったり、スラブの横断を慎重におこなったりしたため、筆頭岩の取り付きに着いたのは2時になってしまった。
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3ピッチのルートなので、時間的には充分登りきれるはずであったが、積極的に登ろうという意見も出なかったので、これで下山することとなってしまった。

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2025年11月 2日 (日)

東京百名山(万六ノ頭、松生山)

11月1日

 

前日、妻と宿泊した数馬の宿を先に出てバスで笹平に向かう。本日の最初の目的地である万六ノ頭は笹平ではなく手前の柏木野から登ることが判明したので、少し戻ることになる。

 

橋を渡ってから標高差500メートルほどを登ることになるが、しばらく登ってから地図を確認すると、万六ノ頭に直登する分岐点を見過ごしてしまい、巻道に入っていることに気づいたので、万六ノ頭目指して直登することにした。

 

万六ノ頭は展望の利かない所でわざわざ登りに来る価値もないところだが、東京百名山に選定されているので仕方なく登りに来たようなものである。
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下りも退屈な道だったので、熊よけを兼ねて音楽を大音響でかけていたが、登山口近くまで降りたら、下から登ってくる人がいたので、あわてて音響を絞る。こんな山を登りに来る人がいるんだと驚いた。

 

登山口まで降りると、しばらくして数馬行きのバスが来たので乗車し、上川乗で下車して昼食後に浅間嶺経由での松生山を目指す。

 

松生山までの標高差は530メートルあるが、4時半のバスに間に合うためには登りは2時間以内で登頂する必要がある(最終バスまでは十分余裕があるが)。1時過ぎに出発し、いつにない速いペースで登りだす。

 

浅間嶺の少し先からは5万図では道の表示がなくなるが、踏跡はしっかりしており、マーキングも多数あるので、登高には問題はない。傾斜の緩い所では小走りで行き、予定通り2時間弱で松生山に達する。
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頂上で行動食を補給してから下山に移る。浅間嶺の展望台では景色を楽しみたい所だが、そのまま前進する。浅間嶺からは下りとなるので、トレランモードで先を急ぎ、バス停には5分前に着いてなんとかバスに間に合い、思ったよりも早く五日市駅に戻ることができた。

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2025年10月24日 (金)

上高地に全員集合

娘が1歳の誕生日の時に上高地に親族が全員集合したのに続いて、その二十年後にも上高地に集合したが、今年はさらに二十年たったので、三度目の全員集合となった。

 

10月18日

 

第一回の全員集合の時からの常宿である中の湯温泉に送迎バス、路線バス、マイカーとでバラバラに向かい、全員集合は4時半過ぎであった。夕食後にバースデーケーキで娘の41回目の誕生日を祝った。
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孫2人に星空を見せたかったが、あいにく雨模様となってしまった。明日の上高地は晴れてほしいものである。

 

10月19日

 

全員の日頃の行いが良かったせいか、雨は止み天気は回復傾向であった。宿の送迎バスで上高地に移動し、下車すると全員集合の記念撮影を行うべく河童橋に向かう。

 

河童橋に着くと、相変わらず観光客で賑わっていたが、まだ穂高の峰々は雲に覆われていたので、しばらく辺りを散策して天候回復を待つ。

 

小一時間もすると稜線も望めるようになったので、全員集合の記念撮影を行う。
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これで今回のスケジュールは成功裡に終わったが、しばらく時間を潰した後、子供たちは帰宅するためにバスに乗り込み、妻とその妹二人は平湯温泉に向かうので、ここで私は一人になって横尾のキャンプ場に向かう。

 

穂高周辺はほとんど歩き尽くしているが、まだ訪れたことがないところで、前から行きたかった氷河公園の天狗池を訪れるために横尾に泊まり、余裕があればさらに翌日に涸沢も往復してこようという欲張った計画である。

 

10月20日

 

夜中にかなり雨が降ったが、明け方になると天気は回復してきたので、7時に予定どおり出発する。天狗池と横尾の標高差は900メートルちょっとあるが、12時頃には到着し、4時頃には横尾に戻れるだろうと皮算用をしていたが、「取らぬ狸の」であることを思いしらされることになった。

 

必要最小の荷物しか持たず空身とかわらないほどの荷物鹿背負っていないにもき関わらず、まるでぺーすが上がらず、他の登山者に抜かれっぱなしになる。ここで、天狗池の到着予定時間を1時に変更せざるをえなくなった。

 

森林限界を越えると槍沢上部の視界が開けて素晴らしい眺めである。右側には若い頃に登ったことがある赤沢山の岩壁が望めて、嫌が上でも元気が出てくる。その割にはペースは依然として上がらないが・・・
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やがて道は槍沢と別れて天狗池方面に向かうことになる。到着予定時間の1時には目的地の高度近くまでは達したが、天狗池まではしばらくは高度はほとんど上げずに斜めに登っていくことになる。

 

振り返ると、今までは見えなかった槍ヶ岳の穂先が間近に望めて、ここまで来た苦労が報われた気がしてきた。間もなく天狗池に達したが、残念だったのは紅葉はほとんど終わっていたことである。こればっかりは仕方のないことである。
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わずかに残っている紅葉や池に映る逆さ槍を写したりしているうちにあっという間に時間は経ってしまい、下山を開始したのは2時半となってしまい、明るいうちに横尾まで降りられるかどうかは微妙になってきた。まあ暗くなってから下山したからといって別にどうということはないのだが・・・。熊の出没リスクは高まるが、熊ホーンという強力な武器もあることだし(登山者が通らない時間帯でないと、安易な使用には顰蹙を買いかねないが)

 

結局、横尾に戻ったのは6時を回ってしまい、真っ暗になっていたが、疲れ過ぎたためか食欲もあまりなかったため、小屋でロング缶を買い、中の湯から持ち越したツマミで無事成功を祝い、カップ蕎麦で締めることにした。

 

10月21日

 

当初の予定では、本日は涸沢まで往復するということでしたが、昨日の疲れも残っており、天狗池の様子から察すると、涸沢の紅葉も終わっている公算が強いので、涸沢までは行かずに途中の屏風岩の全容が望める地点まで行くことにした。

 

横尾から三十分ほど歩いた地点に屏風岩の全容が望める地点があったので、そこにしばらく滞在して、各ルートの確認をすることにした。四季を問わず通った岩場で10回近く登っているが、振り返れば懐かしい思い出ばかりで胸が熱くなった。30分ほど滞在してから、その場を後にしたが、もうこれで見納めかと思うと去りがたい気持ちで一杯であった。
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横尾から上高地までの下山は数え切れないほど通った道であるが、思い出に浸りながら歩いていると思いの外早く上高地に着くことができた。天気は下り坂であるにもかかわらず、河童橋からの穂高のパノラマは初日の時よりも見事であった。
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上高地のバスは今は予約制になっているので、帰りの時刻が未定で予約をしていなかったことから少し不安があったが、1時間ほど待ち合わせで乗ることができたし、ラストオーダー5分前に食堂に入れてランチにありつけたのはラッキーであった。

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2025年10月13日 (月)

ハセツネカップ

奥多摩72キロを走る日本山岳耐久レース(通称、ハセツネCUP)には二十年ほど前はほぼ毎年出場していたが、寄る年波には勝てず、今回は応援のみに出かける。

まずは刈寄山経由で入山峠に向かうが、早く着きすぎたので選手の到着まで1時間半ほど待たされる。やがてやってきたトップの選手は昨年の優勝者で2位以下を大きく引き離して早くも独走態勢である。


その後は次第に選手の間隔が狭まり数珠つなぎとなる。2時間ほど応援し、選手もまばらとなってきたので、今熊山方面に下りだす。最終走者とスイーパーを見送ると山はまた静けさが戻ってくる。



五日市駅に戻る途中で以前東側からアプローチして辿り着けなかった網代城山を西側からの登路近くを通るので、すでに暗くなりかけていたが標高差100メートルちょっと登るだけなので寄り道することにしたので、五日市駅に戻った時は真っ暗くなっていた。その時急に思いついたのだが、今年からスタートとゴールが駅前に変わって1時間ちょっと待てば、トップの選手のゴールが見られるので、コンビニ弁当を食べながら、ゴールを待つ。


トップでゴールしたのは、入山峠を1位で通過した岩間大和選手で2連覇、3回目の優勝で、2位には30分以上の差をつけた圧勝だった。

















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2025年10月 4日 (土)

関東ふれあいの道 茨城県NO1〜5

だいぶ涼しくなってきたので平地での行動も可能と判断して、関東ふれあいの道の茨城県コースの仕上げに向かうことにした。まずは北部のコースのNO1から5までを1日でつなげないかと考えてみた。単純に各コースの参考タイムを合計すると20時間以上となってしまうが、本来のコースは度外視して各コースの撮影ポイントを繋げるだけならば、舗装路だけで60キロ程度なので、多少はアップダウンはあったにしても、自転車ならば1日で行けるだろうとはんだんした。ただ長丁場になることも考えられるので、前夜に小山駅周辺で一泊して、1日をフルに活用することにした。

 

10月4日
朝8時半に真岡鉄道茂木駅を出発して約10キロ先の那珂川に下っていく。那珂川沿いに5キロほど緩やかに下って御前山青少年旅行村への分岐点で那珂川を渡る。旅行村まで300メートルの所から傾斜が急になるので、自転車は置いて歩き始める。旅行村にはほどなく着いたが、撮影ポイントは展望台とのことなので階段を登り始めるが、これが長いったらありゃしない。性根もついた頃にようやく展望台に到着する。

 

ここから本来のNO1のコースは御前山を越えていくのだが、NO2のコースの撮影ポイントである仏国寺に向かってショートカットするために反対側の御前山ダムに向かう。

 

御前山ダムに沿ってしばらくは平坦な道が続くが、そのうちに登りが現れるのだろうと思っていたところ、気が付かないうちに下りに変わって仏国寺の階段下まで来てしまったのには拍子抜けしてしまった。ただ仏国寺の階段がまた長くて往生してしまった。

 

仏国寺からコースNO3の徳蔵寺までは基本下りで楽であった。徳蔵寺にも少し登りがあるだけで辿り着けるが、撮影ポイントである大師堂の建物がどこだかわからず、参拝している人に聞いて、なんとかわかった次第である。

 

ここからは本来はNO4のコースに入るべきであるが、NO5のコースの撮影ポイントである楞厳寺(リョウゴンジ)がコースの始めにあって、そちらに先に寄った方が効率的なので、順序を違えて行くことにする。

 

楞厳寺へは久々に登りとなって、間もなく山門に着く。まだこれから登らなくてはならないのかと思って資料を見てみたら、撮影ポイントは山門とのことなので、ショートカットと決めている本日はこれ以上は登らなくていいことになったのでホッとする。

 

本日の最後のコースとなるNO4の撮影ポイントである佐志能神社に向かって移動するが、途中通過する笠間稲荷神社付近は土曜日といつこともあって、かなりの観光客でにぎわっている。

 

喧騒を逃れて佐志能神社を目指して坂道を登りだすが、途中で雨が降り出してくる。神社の下の駐車場に自転車を置いて神社を目指して登りだすが、神社のすぐ下に天守跡の石碑かあり、こちらも撮影ポイントのようなので、写真を撮っておく。

 

これで降りてもいいようなものだが、佐志能神社はすぐ上にあるようなので、足を延ばしてみる。すると「崩壊の危険があるので立入禁止」の立札がある。ここで思い出したのは、神社のある場所は関東百名山(ただし、同名書籍の新版のみで取り上げられている)の佐白山の山頂でもあり、数年前にも山頂手前までは来たものの、立入禁止ということで引き返してしまい後悔したことがあり、今回登らないと永久に登る機会がないだろうということから、自己責任で登ることにした。

 

立入禁止の柵を越えて神社まで登ってみると、たしかに神社は崩壊寸前だが、東日本の震災以来そのままに放置されているようで、有力な氏子がいないためなのだろうか?まあ建物によりかかりでもしない限りは危険はないが、立入禁止としているのは、万一の場合の責任逃れなのだろう。
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関東百名山(新版分だが)の登頂という思いがけない成果も得て下山し、笠間の駅に着いて自転車を解体すると、それを見計らったように小山行きの電車もやってきて、早い時間に帰宅することができた。

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2025年9月29日 (月)

群馬新潟の山歩き

今回は関東百名山の残る二座、甲信越百名山の残る一座、関東ふれあいの道群馬県コースの残る3コースを全部終えてしまおうという欲張った計画である。

 

9月25日

 

最初の目標は関東百名山の立岩(たついわ)である。前回は今年の3月にトライしたのだが、思ったよりも雪が多くて途中引き返してしまったので、そのリベンジである。
 
最寄りのバス停を降りたのは12時過ぎで、そこから登山口までは2時間近く歩かなければならず、登山の一般的常識からすれば、遅すぎる出発時間となるのかもしれないが、立岩自体は2〜3時間で往復できる山なので、まあ許してもらおう。

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アプローチからの立岩遠望

登山口まで歩くと、駐車場に車が1台停まっている。出発の準備をしていると、3人の登山者が下山してくる。立岩から不動滝まわりで降りてきたようだが、私がたつに登ると言うと、「今から登るのですか!」と驚きとも非難ともとれる反応だった。「往復するだけなので、明るいうちに降りられると思います」と答えておく。

 

前回は雪に苦しめられた登りも、無雪期は快適に歩ける。この分なら往復2時間以内で歩けるのではないかと思ったが、稜線直下の岩場がそこそこ悪かったし、稜線に出てからも結構時間がかかってしまい、登山口に戻ってきたのは3時間を少々オーバーしてしまったが、なんとか明るいうちには下山できた。

 

その晩は駐車場の横の草地にテントを張ったが、周りには誰もおらず、ネットもラジオも通じるし酒も十分あったので、一人宴会で大音量で深夜まで過ごした。

 

9月26日

 

早朝にテントを撤収して歩き出し、下仁田行きの始発バスにギリギリで間に合う。下仁田からは関東ふれあいの道のコスNO10.11を通って松井田駅に向かうことにする。

 

最初の目標は中之嶽岳神社であるが、距離は14キロであるとわかっているものの、標高差がどのくらいあるのかは調べてこなかったので、出たとこ勝負である。

 

道路脇の標高表示が500メートルを越えるあたりから傾斜も増してきて、たまらずに自転車を降りて歩き始める。キャンプ道具一式を背負っていて荷物が重いので仕方ないんだけど情けない。

 

ようやく中之嶽神社に着いてホッとしたが、資料を良く見ると撮影ポイントは神社ではなく、すぐ先の所から登った第四石門ではないか。どのくらい登るのかはわからないが、空身で往復するのだから何とかなるだろう。
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第四石門

第四石門までの最短路を登りだすと、意外とすんなりと辿り着いた。すぐに自転車の所まで降りて次のコースの撮影ポイントである妙義神社に向かう。

 

道はどんどん下っていくが、妙義神社の手前で登り返しがあるのではないかと少し不安になる。ただ地図を見る限りでは、妙義神社手前の道は曲がりくねってはいないので、まず登りはないだろうと判断したら、その通りであった。

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ここまで楽をさせてもらった反動というべきかどうかは知らないが、神社までの石段の長いこと長いこと。ようやく辿り着いて参拝もそこそこに写真を撮ってすぐに降りてしまう。

 

ここから松井田駅までは数キロの下りだが、グーグルマップて調べると駅の周りには昼前に営業している飲食店はないようなので、神社の近くの飲食店で食事をすることにした。ただし、まだ駅までは自転車に乗るので、ノンアルコールビールで我慢することにした。

 

思ったよりも早く降りられたので。新発田駅近辺のホテルを調べてみると、駅近くで空いているホテルがあったので早速予約した。本当は連泊したかったのだが、翌日は土曜日のため空室は駅周辺にはなく、やむをえず翌日はネットカフェに泊まることにした。

 

その晩は近くの居酒屋に入ったが、九州を本拠とする全国チェーンのため、日本海の海の幸ではなく、トビウオとか明太子を肴に飲むことになってしまった。

 

9月27日

 

今日は登山口までの25キロを自転車で行かなければならないので6時前にホテルを出発するが、不要な荷物をコインロッカーに預けるため駅に立ち寄る。登山口までは標高差は300メートルほどあるが、水平距離も長いので急傾斜はなく、ダム直下のやや急な登りも含めて自転車を降りずに進むことができた。

 

8時半過ぎに登りだすと、すぐ後を登り始めた登山者が、私が自転車で来たことを驚いていたが、彼の登高スピードは早く、あっという間に見えなくなってしまった。

 

中間点である岩岳まで急傾斜が続くが、ここまではなんとかコースタイム通りに来ているので、ここで大休止をする。腹ごしらえをしながら蒜場山の大展望を楽しむ。
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岩岳から先はしばらくはアップダウンが続いて高度が稼げない。途中の顕著なピークである烏帽子岩を過ぎてしばらく登ってから振り返ると先ほどの烏帽子岩に人影が見えたので、頂上に着く前に追い抜かれるかなと思っていたら、さほど時間がしないうちに背後に人の気配を感じて振り返ると、先程の人がもう背後に迫っている。どうやらトレランの人のようである。

頂上に向かって急な登りになってきた頃、まずは朝出会った人が降りてきて、もうしばらくするとトレランの人も降りてくる。私のペースはコースタイムよりは少し落ちたが、それでも2時前には登頂でき、これならばなんとか明るいうちに下山できそうであった。甲信越百名山全山登頂達成の喜びもそこそこに下山に移る。

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下り始めは順調だったが…岩岳手前のアップダウンで参ってしまい、こんなに登り返しがあるとは、思ってもみなかった。その後は登山口までは下り一直線ではあるがペースは上がらず、暗くなる直前になんとか登山口まで降り立った。

 

新発田駅までは緩い下りが続くので、ペダルを漕ぐこともブレーキをかけることもなく、1時間半ほどで着くことができた。駅前で夕食をとるつもりだったが、レストランはなく、居酒屋ばかりだったので、ネットカフェまで自転車で行く関係で駅弁で我慢し、ネットカフェ近くで祝杯をあげようと思ったが、疲れ切っていたので、そのままバタン急となってしまった。

 

9月28日

 

連日の疲れがたまって予定していた関東ふれあいの道群馬県コースの最後となるコースNO18の高山高原展望台までの約15キロを自転車で上がるのは困難に思えたが、せっかく来たのだからタクシー利用でもいいから展望台まで行って写真を撮って群馬県コースを終わらせようと思った。

 

沼田駅からタクシーに乗るが、少しも高度を上げずに日本ロマンチック街道を進んでいく。なんだかなあと思っていると、高山村に入った所で左折してようやく高度を上げていく。

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日曜日ともいうこともあって、展望台には何人かの観光客も来ていた。証拠写真を撮ってから下山に移るが、今来た道だからということで、地図もよく見ずに適当に下っていったら、渋川方面への道を進んだり、はたまた長野原方面の道を進んだりと、全く東西南北がデタラメで、自分の方向感覚のなさを再認識させられた。

 

これではいかんと地図で方向を確認しながら進むことにした。無難なのは、来た道のロマンチック街道に降りる道だが、少し遠回りのように思えたので、ほぼ真東に向かう道路があったので、そちらを進むことにした。上越新幹線のトンネル部分の真上を通るようで、次第に登り道となっていく。そのうちにトンネルが出てくるだほうと期待したが、トンネルはなく峠の上まで登らされてしまった。このくらいだったら、高山高原の展望台までタクシーを使うこともなかったなと思ったが、後の祭りである。

 

沼田駅に着いたのは、高崎行きの電車が発車する直前で乗り遅れてしまったが、次の電車は15時台は1本もなく、1時間半近く待たされることになり、予定していた関東百名山の最後の三毳山には明るいうちに着くことは不可能と思えたので、今回はまっすぐかえることにした。

 

三毳山は標高200メートル台の栃木県佐野市にある低山で、なんで関東百名山に選ばれているのかわからないが(「山高きゆえに貴からず」ではあるが)、今回は高崎からの帰り道に登るつもりですいた。ただ、距離的には東北線の小山駅からの方がはるかに近いので、今度茨城県の関東ふれあいの道のコースを歩く時に併せて訪れてみようと思った。

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2025年9月19日 (金)

富士山精進口登山道

今回富士登山を思いついたのは、3年前に上の孫が小学校2年生時に富士山に連れて行ったので、下の孫が小学校2年生になる5年後に富士山登頂を目指すには、年一回くらいは富士山を登っておかないといけないと思ったからである。因みに我が家では私の母も子供の時に登頂しているし、娘も小学校2年生の時に登っているので4代にわたって富士山を登頂していることになる。ただ今回は新宿から五合目までの始発の高速バスが満席でとれなかったので、鉄道+路線バスで向かうことになって五合目登頂か10時半となるため山頂まで行くのは諦めて八合目往復とすることにした。

 

9月17日

 

五合目に到着すると結構賑わっていたが、ほとんどは観光目的で10日の閉山後は登山目的の人はほとんどいないようである。登山口は厳重に封鎖されているが、それを乗越えて登山道に降り立つと、後ろから同様に乗り越えてきた人はあっという間に視界から消えてしまった。この時期に登りに来る人はどうも常人ではないようである。その後も10人近くに抜かれたが、いずれも外人ばかりで、それも健脚揃いであった。なかには上半身裸で小さいザックだけを背負っているというクレイジーな人もいて、天骨が悪化したらどうするつもりなのか、他人ながら心配になった。

七合目の一番下の花小屋に着くと、ここで昼飯を食べ、最小限の荷物だけを持って軽装で八合目に向かう。帰りのバス等の時間もあり、1時には下山するつもりであったが、1時を少し回った頃に八合目の小屋に着く。ここの高度は三千メートルを少し上回った程度で、本当はもう少し上まで行きたかったが、最近は二千メートルを下回る山行が続いているので、この程度でも多少は「高所順化」の効果はあるかなと思いながら、しばらく休んでから下山に移る。
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六合目まで降りたのは3時半で、スバルライン五合目の店の終了は4時なので間に合いそうもない。夕食用としてフリーズドライを用意はしてあるが、五合目で早めの夕食を摂れればと思ったものの、閉店には間に合いそうもない。

ここで名案が浮かんだ。少し遠回りにはなるが、五合目の佐藤小屋によって食事してからスバルラインに向かえば、最終バスには十分間に合いそうであった(佐藤小屋が営業中のことは確認済であつる)。

佐藤小屋では食事の提供は終わっているとのことだったが、ラーメンなら作ってくれるとのことなので、ビールも注文して一息つくことができた。今夜のテント用としてビールと水も買ってスバルラインに向かうことにした。

スバルライン五合目には5時前に着いたので、最終の一本前のバスに乗れることになった。三合目で下車したが、こんな時間に三合目で降りる人はまずいないだろうから、運転手に不審がられたが、精進口登山道を降りるといったら、そんな道があることは運転手もしらないようだった。実は精進口登山道は五合目から始まるのだが、以前に五合目から精進口登山道を下り始めたのだが、思っていたよりも時間がかかったため、三合目からバスで帰ってしまったので、今回は三合目からのスタートとなる。

三合目から下り始めると間もなく暗くなってくる。熊の活動活発時間帯でもあり、こんな時間に登ってくる人がいるはずもないので、熊鈴だけでなく、熊ホーンを猛犬モードで鳴らし続ける。そのうちに真っ暗になってしまったので、これ以上先を急いでもしょうがないと思い、平らな場所を見つけてテントを張る。テントの中でビールとつまみで夕食の代わりとする。また食後の長い時間はスマホに保存してある音楽を大音響で鳴らして暇つぶしとともに熊よけも兼ねる。まあ周辺には絶対に人がいるはずもないので、良しとしよう。

9月18日

夜明けがだいぶ遅くなってきたこともあり、出発は6時半となってしまった。緩い下りが延々と続いて退屈なので、スマホを鳴らしながら進んでいく。途中に有名な青木ヶ原樹海が通っているので、どんなところかと思っていたら、高原状の草原地帯だったので、拍子抜けであった。また氷結もいくつかあったが、登山道からは少し離れているようなので、素通りしてしまった。
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長い長い歩きで精進口登山道の入口にに降り立った。 これで、村山古道や主杖流といったあまり登られてないコースも含めて富士山を巡る全コースを歩いたことになった。

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その後、湖畔のほとりにあるレストランでビーフカレーと生ビールで無事を祝う。この後は朝霧高原まで移動して、富士市にいる山友達に会いにいく予定なのだが、富士宮までのバスは夕方までないので、時間つぶしをしなければならない。

まずは本栖湖まで移動するのだが、路線バスは2時間近く先なので、歩いた方が速いと炎天下を1時間近く歩く。ここから朝霧高原までの間は東海自然歩道が自動車道を離れて通っているのだが、数年前に歩いた時には時間が足りなくてショートカットして自動車道を歩いてしまったので、今回は自然歩道を忠実にあるくことにより、夕方までの時間潰しを兼ねようと思った。

まずは本栖湖の先で自動車道を離れて迂回して県境に達して自動車道に戻るコースである。なかなか変化に富んだコースで思ったよりも時間がかかり、県境の自動車道に戻った時は5時近くになってしまったので、もう一つある迂回コースはさらに長いコースでもあるため、機会があったら次回に行くことにした。

県境にもバス停はあるのだが、かなりの時間は待たなければならないので、もう少し先にある道の駅まで行けば、店は閉まってしまっていても自販機で喉を潤わせることはできるだろうと峠を下り始める。丁度左側に夕日を浴びた富士山が望めて、2日間に渡った歩きの疲れを癒してくれた。
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道の駅では残っていた食料と缶コーラで空腹を紛らわせ、着替えをしたりして時間を潰し、1日3本しかないバスの最終に乗って富士駅方面に向かい、しばらくぶりに会う山友達と旧交を暖めることができた。

 

 

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2025年9月12日 (金)

下北半島から小樽までと北海道クルーズ

 

小樽発着で利尻島と知床半島を巡るクルージングに参加したが、小樽港までの行き帰りには寄り道もしてきた。

6月7日
大間崎
6月8日
仏が浦と青函連絡フェリー

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以前に下北半島を自転車で一周した際に立ち寄るつもりであった仏が浦は時間がなくて立ち寄れなかったので、今回、船に乗って訪れてみた。
その後に大間からフェリーで箱誰に渡った。
9月9日
函館から小樽へ、小樽港からクルーズ出航

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9月10日
利尻島沓形港上陸
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9月11日
知床羅臼港上陸、知床岬と夕日
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夜になってからはトワエモアのコンサートを楽しんだ。
9月12日
小樽港帰着後に石狩挽歌で歌われている鰊御殿に寄って見た。
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2025年9月10日 (水)

猛暑に抗して

猛暑が一段落するまでは登山は避けた方が無難だが、そんな中にあって猛暑の影響を受けにくい方法を考えてみた。

 

8月24日

 

まずは純粋の登山ではないが、関東ふれあいの道の群馬県コースのコースNO18の高山高原牧場である。ホームページではタクシー利用が勧められているが、地元の渋川の駅前プラザでは電動アシスト自転車を朝9時から無料で貸出しているので、これを利用すれば暑くならないうちに目的を達し、昼過ぎに降りてくる計画を組めば、猛暑しらずでサイクリングを楽しめるのではないかと取らぬ狸の皮算用を行った。

 

9時丁度に渋川の駅前プラザで自転車を借り受けるが、まずはルート設定で失敗した。国道沿いの道を行かずに地図上の最短経路で行こうと考えたのだが、実際に行ってみると、アップダウンが激しいだけでなく、道は大きく蛇行していて、最短経路どころか大きく遠回りする道となってしまったのである。

 

1時間ほどロスして、本来のコースに復帰できて、しばらくはそのまま進んでみたが、コース19キロのうち5.5キロを残した所で予定していた引き返す時間となり、バッテリーの残量も乏しくなってきたので、残念ながら引き返すことになった。

 

駅前に戻り和定食の店で喉を潤し、空腹を満たしてから、隣駅の後閑に移動する。午後の目標は関東百名山の三峰山で、駅から登山する道もあるようだが、この猛暑の中をとても登る気がしない。そこで、3時頃まで待ってからタクシーを呼び、標高700メートルくらいの所にある河内神社直下の登山口まで運んでもらってから登山を始めれば暑さはしのげるし、6時ころまでには登山口まで戻れるだろうから、タクシーで登ってきた舗装路ならば暗くなってから下っても問題ないし、暑さ対策にもなって一石二鳥だと思った。

 

山頂までは2時間ほどで問題もなく到達したが、下山に移ると登頂前から降り出していた雨が激しくなってきた。
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雨水は斜面全体を覆ったため、気付かないうちに登路を見失って後閑駅に直接降りる道に進んでしまったようだ。そのことには気づいたが、よく踏まれた道でありマーキングもしっかりしていて、要所には指導標も設置されていたため、この道を降りた方が早いと判断して、そのまま降り続けた。

 

道自体は川の中を歩くような状態だったが、そのうちに両足にちくりという刺激や痒みが頻発するようになったため、ヒルに噛まれたのではないかと思ったが、暗闇が迫る中で立ち止まる気もしなかったので、そのまま歩き続けて後閑駅まで降りてきてしまった。

 

ここで始めて靴を脱いでみて驚いた。靴の中から何十匹というヒルが出てきて、足は無数に噛まれて血に染まっていた。今まで何度もヒルに噛まれたが、多くても数カ所を噛まれる程度で、こんなに無数に噛まれたことは初めてである。ヒルに噛まれてもしばらく血がとまらなくなるだけで、それ以上の実害はないのだが、とにかくヒルを処分することが先決だ。幸い、次の電車まではかなり時間があったので、体や衣服についてしまったヒルを完全に処分してから電車に乗って隣の沼田駅に移動して予約してあるホテルに向かった。

 

ホテルは地図から見る限りは駅からさほど遠くない所にあるように思えたが、沼田駅は谷底にあって町は高台にあるため、ホテルまではかなりの階段を登って行かなければならず、なかなか大変だった。本当はホテル近くの居酒屋にでも行くつもりだったが、ヒル騒動でそれどころではなくなり、ホテルでは見逃したヒルがいないかどうかをさらに調べて確認し、ようやく安心して眠りにつくことができた。

 

8月25日

 

今日はGWの際に途中で断念した関東百名山の笠ヶ岳に向けてのリベンジ山行であるが、沼田駅から尾瀬戸倉までは1時間以上もかかる遠距離路線である。さらにそこから鳩待峠までは普通車乗入れ禁止なので専用車に乗り換えなければならない。この専用車の本数がさほど多くないので、これが尾瀬に入るためのネックとなる。一応時刻表はあるのだが、予定の時刻よりも30分ほど早く出発してくれたので、行程がタイトな自分にとってはありがたい。

 

鳩待峠で下車すると休むこともなく歩き出す。鳩待峠からの帰りの最終バスが3時半なので、行動可能時間は5時間半しかなく、至仏山への道と別れてからのコースタイムは予測し難いときている。まあ最悪の場合は帰宅が翌日となってしまうことも覚悟の上である。

 

至仏山への分岐点までは1時間半と見込んだのだが、実際は2時間かかってしまい、鳩待峠の最終バスに間に合う可能性はかなり低くなってしまう。それでも戸倉まで急いで下れば沼田行き最終バスに間に合う可能性はあったので一縷の望みは残されていた。

 

指導標には分岐点から笠ヶ岳までは3キロと表示されていたが、平地ならいざ知らず、山道でどのくらい時間がかかるか予測しがたい。GWの時は雪のために稜線を進んで悪沢岳の頂上に達したが、夏道は山頂を巻くように作られている。前回は悪沢岳の頂上から笠ヶ岳がはるか彼方に望めて、とても辿り着けないと諦めて引き返したのだが、今回はガスっていて笠ヶ岳方面の展望は全くなく、前進するしかない。 

 

アップダウンはさほどなく踏跡も比較的明瞭なので、最低鞍部までは1時間ほどで到達する。それからしばらく登ったところで、本コースでは初めて他のパーティーとすれ違う。その先で小笠の山頂を巻く所で、笠ヶ岳まで1キロの標識があったので、もう登ったような気持ちになったが、それからが長かった。

 

前方に菅笠の形をしたピークが見えたので、ここで腹ごしらえをして空身で往復することにした。
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食後に歩き始めると、道は山頂を目指して直登するのではなく、山腹をずっと左の方に巻いていって全然高度を稼げないことに少し焦りだす。しばらく横に移動すると標識があって、そこからようやく山頂を目指しての道となるが、岩場が連続してなかなか時間がかかり、山頂に達したのは2時を回っていて、鳩待峠の最終バスに間に合わないことは確実であった。
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しばらく展望を楽しんでから下降に移るが、いくら下りても荷物が発見できずに少々焦る。少しウロウロしてから地図アプリを開くと、標識の所で左に横に移動しなければならないのに、そのまま下降してしまったことがわかり、正しい道に戻って進むと荷物も見つかって事なきを得た。

 

後は来た道を戻るだけだったが、そのうちに雨が降り出し、昨日ほどではないが、かなりの降りとなってきた。雨具は着込んでいるが、それでも長時間振り込められていると、低体温症になる恐れもあるので、笹が生い茂って雨除けができる場所で小降りになるまで雨宿りすることになった。

 

三十分ほど休んでいたが一向に止まず、このまま時間を空費していると、明るいうちに鳩待峠に着けなくなるので、風も吹いてないことだし傘も使えそうだということで歩きを再開した。すると頭上には青空も見え始めて雨も止んだので、なんなく至仏山からの道と合流することができ、後は何の問題もなく、足を前に出していくだけで、鳩待峠まで降りていくことができた。

 

戸倉に降り立ったのは9時で、早速旅館に宿泊を頼もうとしたが、学生相手に貸切となっている所が多く、どこにも泊まれずバス停で一夜を明かす羽目となってしまった。
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