2023年12月 1日 (金)

京都旅行 女一人ならぬ妻と二人

昨秋、妻と二人で奈良〜京都を旅行した際に、次は紅葉の嵐山に行こうという話が出たので、ついでにデュークエイセスのヒット曲「女一人」に引っ掛けて大原三千院と栂尾高山寺も訪れることにした。三千院は昨秋の妻との旅行の後に歩いた東海自然歩道のコースにもなっているので訪れたのだが、着いたのが4時半で30分ではとても見きれないということで門の前から引き返した所であり、高山寺は元々は妻が気に入っている鳥獣戯画を保存していた所で後に東京国立博物館に移されたが、数年前に一般公開されるということで見学する予定ことだが、ところ、コロナ禍で公開が中止となってしまったもののレプリカは訪問者に公開されているとのことである。このように両寺院とも我々にとっては因縁浅からぬものがあるので、今回の旅行はなにか運命的なものがあると言ったら言い過ぎだろうか。

アプローチは新幹線で直接京都まで行くのが一般的だが、妻がまだ湖西線に乗ったことがないということで、米原から先は在来線で行くことになった。途中のびわ湖バレーでロープウェーを利用してびわ湖と紅葉の眺めも楽しめるということで立ち寄ることにしていた。ところが、最寄りの駅で下車すると、駅前は閑散としていて観光客もほとんど見かけない。狐につままれたような気分になってバス停に近づくと、ロープウェイとバスの運行は先週の日曜までで終了の張り紙が、ガーンである。

次の予定は京都に入って比叡山の中腹までケーブルで上がり、そこから京都の夜景を楽しむことだが、当初の予定では夕方頃に着くつもりが、思わぬアクシデントのために明るいうちから展望台に着き、暮れゆく京都をゆっくりと堪能して市内のホテルでチェックインをした。本来ならば市内に戻るのは遅い時間のはずなので、食事も簡単なもので済ませるつもりでホテル近くのグルメ情報も予習セロで行き当たりばったりででかけたが、結果は散々だった。予約してないと客扱いされなかったり、味が今ひとつの店で我慢することとなった。

翌日は午前中は大原三千院と寂光院、午後は高山寺と市内をあちこち回るのでバスの一日乗車券を買おうと思ったら今年の9月いっぱいで廃止されたということで、少し割高の地下鉄も併せた一日乗車券でも割安になりそうなので、そちらを利用することにした。三千院行きのバスは満員でやってきたのでラッシュアワーの影響かなと思ったら、乗客はほとんどが観光客で欧米人がその半分以上であった。

三千院はなかなか見応えがあり抹茶を味わいながら眺める庭の紅葉も見事であった。庭の遊歩道もかなり歩きがいがあり、途中で切り上げて寂光院に向かった。寂光院は三千院からは30分ほど歩いた所にあるが、三千院ほどの見ごたえはないせいか観光客はそれほど多くはなかった。本堂では坊さんによる寂光院の由来についての簡単な説明があったが、それが終わると後はそれほど見るべきものもないようなので、バスで市内に戻った。

駅ビルのレストラン街はどの店も行列ができていたが、比較的空いていた串焼き屋に入ったら当たりの店で昨夜のリベンジはできた気がした。午後は高山寺に向かうのでグーグルマップで検索した経路のバスに乗ったが、途中で近すぎて変だなと思って調べると別の高山寺を検索してしまったようで、目的の高山寺のある栂尾にはJRバスで行く必要があることがわかり、乗り換えることにした。栂尾行きのバス停がわからずウロウロしていたら、地元のおばちゃんが親切に教えてくれて無事に高山寺に着くことができた。高山寺は鳥獣戯画のレプリカだけでもっている所でこれが無ければ訪れる人も稀だろう(若い人はデュークエイセスも知らないだろうし)。それなのに入場料を最初と鳥獣戯画の所とで二度も取るのはどういうことか。本物の鳥獣戯画の一般公開ならば、長い行列の後に見るのはそれなりの感動があるかも知れないが、レプリカとなると感動も今ひとつで、見終わると早々に高山寺を後にした。

夕食は前日の失敗に凝りて、ある程度下調べしてから出かける。コースの日本料理をお願いしいたが、広い個室が用意されたし料理もまずまずで当たりであった(値段もそこそこではあったが)。食後は妻が祇園に行ってみたいというので、バスに乗って行ってみる。どうもイメーてジと違ったようで早々に引き揚げたが、こんなことならバスの途中で外人さんが大挙して下車したのはライトアップされた清水寺に向かったようで、我々もそちらに向かった方が良かっのののたと思ったが後の祭りであった。

その後は妻はホテルに戻ったが、私は一日乗車券を使って京都の地下鉄を全線乗車してきた。正確には計算してないが、一日乗車券の料金に対して妻は2倍以上、私は3倍以上の区間料金の合計となる区間を利用したので、随分とお得な券であった

最終日はお待ちかねの嵐山である。駅前から直行バスもでているが、私鉄乗車も目的としているので、嵐電の始発駅まではバスで行き、そこからは一部は路面を走行して嵐山に向かう。嵐山に着くとまずは渡月橋に向かうが、朝も早いせいか思ったほどの混雑はなかった。その後はトロッコ乗車の予約をとるためにトロッコ嵯峨駅に向かう。午前中はほとんど満席だったが、午後は帰りならば辛うじて予約を取れたので、次の目的地である大覚寺に向かう。バスもあるらしいが、歩いても10分ちょっとの距離である。

大覚寺自体はデュークエイセスの曲がなければ、ほとんど知られることもなかったかもしれないが、渡月橋とは比べるまでもないものの、そこそこは観光客も来ていた。別料金の広沢の池はそれなりに来る価値はあった。帰りにはこれも名所とされる竹林の小径を通ってJR嵯峨嵐山駅に向かい、駅前で食事してからJRに乗ってトロッコ亀岡駅の最寄り駅に向かう。トロッコは保津川沿いに走るもので、紅葉と保津川の流れ、さらには保津川下りの舟も眺められて、旅の最後を飾るに相応しいものであった。トロッコ嵯峨駅に到着すると、今回の京都旅行の予定は全て終わり、京都を離れる妻とはここで別れることとなった。

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2023年11月26日 (日)

埼玉県内の札所歩き 3回目

埼玉県内に残った最後の札所を巡ってきた。前回は北本駅手前のバス停まで歩いたので、今回はそこからがスタートとなる。今回の札所までの経路は大通りを行くと遠回りになってしまうため、最短経路を辿るとなると地図とにらめっこする必要があり、バッテリーの消耗も激しい。なんとかバッテリーが切れる前に札所まで到達し、納経も1時間以上の余裕を残して済ますことができた。これで残る札所は東京都一カ所、神奈川県八カ所となったが、神奈川県の札所はさほど離れたところはないので、年内中には終了する目処が立ってきた。

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2023年11月24日 (金)

坂東33ヶ所札所巡り 埼玉編2回目

今日は埼玉県を東西に横断して札所二ヶ所を巡る予定だが、ほぼ平坦な道を進むのでトレーニングとして水を8リッター担ぐことにする。関東バス、西武鉄道、JRと乗り継いで、前回の終点の明覚駅に着いたのは8時半だった。最初の札所の正法寺までの経路は出発時に地図を見て確認したつもりだったので、その後はほとんど地図を見ないで進んでいたら見事に道を取り違えてしまってだいぶ回り道をしてしまった。

正法寺近くの駐車場までは行けたのだが、そこから正法寺までの道がわからずウロウロする。元に戻って少し下って階段を降りたら山門横の広場に出られたのだが、少し判りにくいところであった。今までもそういうことがあったが、札所の順番とは逆に回っていると裏口から入ることが多く、それで道が分かりにくくなっているようだ。

参拝と納経を終えて次の岩殿寺に向かうが、12キロあるところを3時側半以内で行かねば納経に間に合わないので、昼飯抜きとなりチョコレートを噛りながら空腹を紛らわす。途中に名所である吉見百穴があって前回も行きそこねたので時間があれば寄りたかったのだが、今回もお預けとなってしまった。その代わりに納経締切りの30分前には着くことができたが、これも逆回りのために納経所に行くためには本堂から階段をかなり降りなければならず、納経を済ませたら再び階段を登るのが面倒になり、本堂には戻らずに山門の下から参拝するという手抜きで済ませてしまった。

後は最寄の駅まで歩くだけだが、かなり空腹だったので近くの飲食店をスマホで探しているうちにだいぶ南の方まで来てしまい、当初予定の鴻巣駅ではなく二つ先の桶川駅までも行けそうな所まで来てようやく営業している中華料理店に辿り着いた。生ビールとエビチリセットを注文したが、物すごい量で食後はしばらくは歩くのが億劫になるほどだった。

そのお店から桶川駅までは10キロ、一つ手前の北本駅までは6キロでどちらに向かうかの判断がつきかねたので、しばらくは真東に向かう道を進んで決定を先延ばしにする。1時間ほど歩いたところで桶川駅まで歩くと時間がかかり過ぎると判断したが、北本駅まで歩くとなると、せっかく北本駅よりもだいぶ南の方まで進んだのにまた北方向まで戻るのは損する気になってしかたなかった。ここで気づいたのは北本駅行きのバスが1時間に数本は出ており、もう少し先まで進めば、次の札所までの距離が北本駅からとほぼ同じくなる地点があるので、そこからバスに乗って北本駅に向かえば30分ほどの歩きが省略できることとなった。

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坂東33ヶ所札所巡り 埼玉編1回目

今回から埼玉県内の札所巡りが始まるが、ここまでは33番からひとつずつ若い番号の札所となって一筆書き歩きをしてきたものの、どういうわけか前回の群馬県内の札所15番の次の若い番号の札所14番はどういうわけか埼玉県ではなく神奈川県に飛んでしまっているので、やむをえず番号は無視して位置が近い順に札所巡りを行っていくこととした。前回は途中寄り道をしたこともあって、予定していた寄居駅の二つ手前の松久駅までしか行けなかったので、今回は歩き始めの駅から札所までの距離が28キロもあり、山門が閉まる前に到着しなければならないので、始発近くの電車で出かけることとなった。

今回は舗装路ばかりを歩くため、楽と言えば楽だが単調でもある。ただ目的の札所到着が夕方になりそうなので、納経の可能な時間につけるかどうかが微妙なため、あまりゆっくりもしていられない。グーグルマップでは今日の札所は五時まで営業とはなっていたが、納経も五時までやってもらえるかどうかわからないので急ぐに越したことはなきのである。

あと五キロくらいまでは道も平坦で順調に来て、この分では3時過ぎには余裕で到着するかと甘い予想をしたのだが、最後は急坂となってペースが落ち、4時ぎりぎりに札所に着く。なんとか納経は間に合ったが、納経は4時までだそうで危ない所であった。

後は明覚駅までの八キロ弱の歩きだけだが途中で暗くなってしまった。本日の歩行距離は35キロ超と久々のロングコースとなってしまった。


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2023年11月16日 (木)

大楠山

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会社勤をしていた若い頃の職場の同僚と約50年を経て再会することで、同期生が在住している大船の居酒屋に集まることになった。当日は午前中は妻と鎌倉の鶴岡八幡宮を訪れ、午後は妻と別れて三浦半島にある関東百名山の大楠山を登ってきた。なお大楠山を巡る登山道は関東ふれあいの道の神奈川県コースのNo4ともなっているので一石二鳥ともなることになった。

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2023年11月13日 (月)

坂東札所巡りも群馬県から埼玉県へ

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札所巡りも今日中に埼玉県に入ることになるが、次の札所は遠いので今回は札所巡りなしの一筆書き歩きだけとなってしまう。なお、今までは33番から順番に若い番号の札所を巡ってきたが、群馬最後の15番札所の一つ若い番号の札所はどういうわけか、埼玉県と東京都を飛ばして神奈川県となっているので、順番にまわるのはいかにも不経済なので、これ以降は順番にはこだわらずに、近い札所を辿って一筆書きを行っていきたい。ただ札所巡りなしの一筆書き歩きをするだけでは勿体ないので、新町駅からバスで下久保を往復して関東ふれあいの道の埼玉県コースの北端のNo10コースの撮影ポイントである叢石橋で証拠写真だけを撮ってくることと、トレーニングとして水を10リッター担いで歩くこととした。

まずは倉賀野から新町までの約7キロの歩きである。最初はなんともなかった10キロの水も時間が経つにつれて肩に食い込んでくる。まあ新町までは短い距離なのでなんとかしのぐことができた。新町駅ではバスの待ち時間が10分ほどあったので、早めの昼食をとることにする。

下久保までは1時間ほどの乗車である。土日は一日乗車券が使えて終点近くまで行く時は断然有利となるが、下久保は中間あたりなのでどうしたものかと思ったところ、一日乗車券を買った方が往復でわずか180円ではあるが安くなるようなので一日乗車券を買うことにした。

バス停から撮影ポイントの叢石橋までは急な下りを10分ちょっとで降りる。叢石橋と覚しき所に降り立ったが、そこには封鎖されて立ち入り禁止と書かれている橋はあるが、橋の名前の表示は見当たらない。ただ地図から判断する限りはこの橋に間違いないと考えて証拠写真を撮る。

下久保での滞在可能時間はバスの本数が少ないため40分しかなく、乗り遅れると2時間待ちとなるため、急な坂を必死で登って発車自間の5分前になんとかバス停に戻ることができた。No10のコースをほとんど歩かず撮影ポイントだけ行ってコースNo10を踏破したのはいささか後ろめたいが、機会があればコース全体を踏破しておこう。とまれ、かなり奥まった地域で撮影ポイントに行くだけでも大変な所なので、とりあえず行って来れたのは良かった。

新町駅に戻って一筆書き歩きを再開する。歩き出してしばらくすると、先ほど写真を撮った叢石橋が架かっている神流川の下流を渡って埼玉県に入る。これで年内中の33カ所一筆書き歩きの完成に一歩近づいた気がした。

その後は主として幹線道路沿いの道を進んだが、水10リッターの重さもあってペースが上がらず、予定の寄居駅よりも7キロほど手前の松久駅までしか行けなかった。次回は札所の開門時間中に到着しなければならないし、登りもかなりありそうなので、軽装で臨むことにしよう。

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2023年11月 9日 (木)

盛り沢山な群馬旅行(家族旅行、関東ふれあいの道、坂東33札所、関東百名山)

私が居住している杉並区が提携している群馬県の保養施設を妻と2泊3日で利用した。初日は現地までの移動だけで終わったので、実質的な行動は二日目からである。二日目の午前中は妻と一緒に施設の近くにある岩櫃城趾に出かける。ここは戦国時代の真田氏の山城である。真田と言えば信州の上田城が有名であるが、武田の家臣であった真田は北条の勢力圏であった関東にも侵食し、この岩櫃に堅固な山城を築いていた。もっとも江戸時代になって一国一城の制度によって城郭は破却されて、本丸や二の丸の跡地が残っているだけであるが、本丸までの急な上り道や本丸下の深い掘り跡が往時の様子を偲ばせてくれる。

 

当初の予定では、岩櫃城趾見学後は妻と別れて岩櫃山に行くつもりであったが、岩櫃城までの登りが思ったより悪く妻一人で帰すのが心配になったので、岩櫃山には行かずに妻と一緒に帰り、保養施設の下で妻と別れて吾妻線で渋川駅に移動した。これは坂東33ヶ所札所の一筆書きの続きで渋川から16番札所の水沢寺に繋げるためである。もっとも今日は水沢寺には行かず、グリーン牧場から関東ふれあいの道のコースNo17を通って吾妻線の金島駅に降りる。途中、撮影ポイントである甲波宿禰神社で証拠写真を撮ったが、思いの他に手間取ってしまい、1時間1本の電車に滑り込みセーブとなる。
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帰りの電車が当初予定していたのよりも二本早かったので、午前中に行き損ねた岩櫃山に寄るために、保養施設の最寄り駅の次の駅まで行くつもりであった。ところが、最寄り駅で窓から眺めると、保養施設の送迎車が駅前に停まっているのが見えたので慌てて下車する。他の宿泊客が送迎を依頼したもののようであったが、頼んで乗せてもらう。なにしろ登りだと小一時間はかかる急な道程なので、ラッキーであった。思いがけず夕方に時間の余裕ができたので、夕食前にゆっくりと風呂に入り、ビールで喉を潤す。

 

最終日は妻は10時のチェックアウトまでゆっくりとするようだが、私は一番の送迎バスで駅近くまで送ってもらい、役場前から伊香保温泉方面に向かい、下車後に昨日通ったグリーン牧場を経て水沢寺を目指す。途中、水沢寺の手前には大きな公園があって、グーグルマップでは迂回するようになっていたが、公園内を直進したところ最後は草むらを行くことにはなったが、かなりショートカットして水沢寺に行くことができた。

 

水沢寺では参拝後に名物のうどんを食す。名物に上手いもの無しの諺どおりであったが、見回してもうどん屋しかないので致し方ない。次の、15番札所白岩観音までは15キロ程度で、営業時間は16時までで有るが4時間の余裕があり、下り一方の道のようなので問題あるまいと思っていた。ところが、急な下りをずいぶんと下ってからグーグルマップを見てみると最短コースをだいぶ外していて、このまま進むと時速四キロで行かないとまにあわないし、下り過ぎたので全体的には平坦で一部は登りがあることがわかった。
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ここでギアチェンジして閉門10分前にはなんとか着いて御朱印も間に合ったが、住職は用事があるとかで4時5分前には門を閉めて車で出かけてしまった。4時ギリギリに到着したのでは間に合わず、危ないところであった。
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ここから高崎中心街までは12キロあるが、時間的制約は何もなかったのでのんびりと歩いていく。中心街に着いてからは居酒屋で予定を無事終了したことを祝って祝杯をあげる。といってもまだもう一日予定がある。明日は関東百名山の御荷歩山であるが、始発バスが高崎から二つ先の新町から出るが7時前の出発なので、高崎は6時過ぎには出ないといけないことになり、ホテルに泊まっても滞在時間が短くてもったいないので、ネットカフェに泊まることにする。

 

翌朝は寝過ごしてはいけないと思って4時前から目が覚める。ここで気づいたのだが、このネットカフェは高崎駅からは西へ二キロほど離れているので、高崎駅に戻って電車で新町に向かうよりもひとつ手前の倉賀野駅まで歩いて南下し、そこから一駅だが新町まで乗車した方が次回の一筆書きの歩行距離が三キロばかり少なく済むのだ。新町まで歩けばさらに次回が楽になるが、新町まではさらに七キロ歩かなければならず、今日の行程にもひびくのでやめておいた。その代わり倉賀野駅直前は東に向かって進むので、次第に白じんでくる空を眺めながら朝日を迎えることができた。

 

新町からは1時間以上バスに乗って万場まで行き、そこから関東百名山の西御荷歩山に向かう。コースは稜線直下まで進む舗装道路を経由するものと尾根道を行くものがあるが、後者はコースタイムが不明なのに対して前者はネットの地図である程度はわかる外、昨日の歩きて足に疲労や痛みが残っている状態を考えると足への負担の少ない舗装道路の方がよいだろうと考えて前者を行くことにした。ただ800メートルの高度差を距離8キロで獲得するため勾配は10パーセントにも及ぶことになる。

 

歩きだしてしばらくすると、後ろから何台もの車に追い抜かれる。平日だというのに、こんなに大勢の登山者がいるのかと驚く。川から離れる直前に水を補給して単調な舗装道路登りを続ける。青空に映える紅葉だけが単調さを紛らわしてくれた。
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4時間ほどかけて稜線直下まで上がるが、予想していた登山者の駐車が一台もない。さきほど追い抜いていった何台もの車は登山者のものではなく、単に東京方面に向かうためだけに通過していったのだろうか。いやいやそんなはずはない。1時間以上前に追い抜いていったのだから、山頂を往復後に往路を戻らずに東京方面に抜けていったのだろう。

 

舗装道路を離れて山頂を目指すが、落ち葉が滑りやすく歩きにくい道であった。山頂には1時前に着くが、予想通り誰もいなかった。360度の展望が得られたが、このあたりの山域には詳しくないので、山名はほとんどわからなかった。帰りのバスは4時台から6時台まで1時間おきにあるので乗り遅れる心配はないが、4時過ぎのバスに間に合うかどうかは微妙であった。登山口まで下りて舗装道路を下り始める。登りのほぼ倍のスピードで下れたので、半分ほど下りた時は4時過ぎのバスに間に合うことは確実であった。ところが、後ろから来た地元の人が車に乗せてくれるというではないか。遠慮なく好意に甘えることにして、バスの時間よりも30分近く早く登山口に着くことができた。さらにラッキーなことには近くに酒屋もあったので、待ち時間もビールとつまみで退屈することはなかった。

 

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2023年10月31日 (火)

関東ふれあいの道 東京都コースNO3まで

今年から始めた関東ふれあいの道歩きは坂東33札所巡りの際に近くの所や重複する部分は歩いたりしていたが、各都県にあるコースのうち距離が最も短い都内の7コースは年内中に歩いてしまって、踏破の認定を受けようと考えた。都内のコースは、まだ暑い時期にNO1のコースの神奈川県との境を歩いて高尾山まで縦走したが、今日はその続きである。大杉垂水から歩きだして城山からNO2のコースに入る。このあたりは陣馬山までは昔はトレランのトレーニングで数えきれないほど歩いた(走った)ところであるが、今回が歩き納めになるかもしれない(他に行きたいところがたくさんあるので)。

城山から一度小仏峠に下りてから急な登りで景信山に着く。
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何度も登っている所だが写真は撮ったことはないので、踏破認定を受けるための頂上標識をバックにした写真を撮ってから陣馬山方面に向かう。陣馬山を過ぎるとめっきり人は減るが、それでも何人かとはすれ違う。陣馬山では始めてザックを降ろして休憩する。ここまではコースタイムよりは休憩時間を含めて40分早くついていてまずまずである。もっともトレランのトレーニングに来ていた頃はコースタイムの半分以下の時間で来ていたものだが。

 

昼食後に和田峠まで大きく高度を下げてから生藤山を目指して急な登りとなる。頂上はNO3の撮影ポイントなので、認定を受けるために写真を撮る。
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ここから浅間峠までは下り一方かと思ったところが、結構アップダウンがあって時間がかかる。浅間峠はトレランのハセツネカップ(日本山岳耐久レース)の第一関門があるところで懐かしかった。ここからは稜線を離れて上川乗のバス停を目指しての急降下となる。バス停に着くと次のバスまでは1時間近くあり自販機もなかったので、二つ先のバス停まで行って途中の自販機で喉を潤し、行動食の残りを食べて空腹を満たしてしばらくするとバスがやってきて今日の歩きは終わりとなる。東京都の残りのコースは四つだが、比較的短いコースが多いので、後二回はどで踏破できそうだ。

 

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2023年10月25日 (水)

関東ふれあいの道(赤城南面の道)と渋川駅までの札所巡り一筆書き歩き

札所巡りの札所間移動の一環として赤城南面の関東ふれあいの道を最初に考えた時は山頂近くの大沼のキャンプ場にテントを張るこつもりだった。しかし、この時期に山頂近くにテントを張るとなると、かなりの防寒具が必要で荷物が重くなるので、変則的ではあるが麓のホテルに荷物は預け、山頂と麓は片道だけはバスを利用することにした。

前橋駅近くのホテルから上毛鉄道の始発電車で赤城駅まで移動して、赤城山を目指す。2時間ほど歩いて群馬県のふれあいの道24番の起点であるサクラソウフラワー公園に着く。このあたりのふれあいの道は歩く人も少ないらしく、指導標もほとんどない。公園からしばらく歩いて赤城神社に着く。ここはこのコースの撮影ポイントで、県内のふれあいの道の踏破の認定を受けるためには、全コースの撮影ポイントでの申請者の顔入り写真が必要となるのだ。最初に見つけた鳥居の前で写真を撮ったのだが、本物の神社はもう少し奥まった所にあるようなので、そちらの鳥居の前でも写真を撮る。
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ここからは自動車道も本格的な登りとなるが、地図上ではバス停までは15キロあって、最終の発車時間までは約四時間なので、時速四キロで歩く必要がある。坂道を時速四キロで登るためには、ある程度頑張らなければならないので、ギアを切り替える。

1時間ほど歩いた所で時間を計ると時速四キロは出ているようなので、この分ならば最終バスにはなんとか間に合いそうであった。ところが、そこから少し進むと右方向に分かれる舗装路と出会う。方向を示す標識はないので、どちらに向かう道かはわからなかったが、地図の歩行モードで検索すると、バス停までは直進するよりも距離は1キロほど短く表示されている。等高線入りの地図はダウンロードしてこなかったが、地図表示ではニキロ短くなっていても、山道に入れば速度は落ちることは十分予想された。しかし、悪魔の囁きには抗しきれず、そちらの道に進むと言う痛恨の選択をしてしまった。道は緩やかながら下っていき厭な予感がしたが、もう引き返すという選択はなかった。

しばらく進むとハイキングコースの登り口があり、歩きやすい道だったので、ひょっとしたら意外と早く着けるのではという淡い希望も湧いてきた。だが、それもアップダウンが出てくると無残に打ち砕かれてしまった。やがて夕闇が迫ってきたが、依然として登りは続いている。最高点を過ぎて下りになったが、バス停のある小沼方面にまっすぐ進むのではなく、沢に下ってからは沢沿いの道を進んでいかざるをえなくなる。標識は要所々々に着いているので、道を間違えたわけではないことは明らかだが、このまま進んでも埒があかないので、進路を変えて当初の自動車道の方向を目指すことにした。

強引に斜面を登って自動車道に這い上がった時は、既に最終バスは出ていたので、そのまま自動車道を最寄り駅まで降りていくという選択もありえたのだが、最終バスは終わっていても、もう少し下の方からは遅い時間でもバスは出ているようだし、そちらの自動車道に向かって斜面を横切る道も地図上にはあったので、そちらに向かうことにした。

最終バスが通り過ぎた後の自動車道に移れたのは7時過ぎで、前橋駅までの距離は地図で調べると30キロ弱となっていた。前橋のホテルには不用な荷物を置いたままであり、チェックインは昨夜終わっているので、何時に戻ろうがかまわないわけだが、とりあえずは駆け足で下ってみることにした。

ヘアピンカーブの連続する下り道で、下り始めた時のカーブの番号は45番だったが、1番まで駆け足で降りてきてもまだ下りは続いている。そこでグーグルマップで調べると、今のペースで降りた場合にはこの先のバス停の最終バスにも間に合わないことがわかった。どこかで前橋行きのタクシーを呼ばなければいけないことははっきりしていたが、下りの駆け足はさほど体にダメージはないようなので、もうしばらくは駆け足でおりることにした。

しばらく進むと、前方に赤い鳥居が見えてきた。今まではタクシーを呼ぼうにも、現在位置を運転手に知らせる術がなかったので、タクシーを呼ぶのはためらわれたが、ここならば絶対にわかるはずだと思いタクシーを呼ぶことにした。前橋駅までは約八キロ弱の地点であり、このまま駆け足で進んでもホテルに戻るのは日付が変わってしまうので、タクシーを呼ぶのはいいタイミングであった。

ホテルの近くまでタクシーで戻ったのは十一時前だったので、近くのニンニク屋てステーキを注文して生ビールで帰還を祝う。今日の行程は登り下りで60キロ近くとなり、ちょっとしたトレランレース並みであった。この疲労が一晩でどれだけ取れたかによって、翌日の行動を考えることにした。

当初の予定では翌日は最終バスに乗ろうとした地点まで始発バスで戻って、大沼経由で関東ふれあいの道を伊香保温泉の下まで進むつもりだったが、翌朝起きてみると、足を中心た疲労は半端なものではなく、当初予定の長丁場はとても無理だということがわかった。それに昨日は途中で降りてしまったので、その先から前進しても歩きは繋がらなくなり、坂東札所を一筆書きで繋げるという目的は果たせなくなる。そこで考えついたのは、関東ふれあいの道の歩き残した所は後日に回し、昨日降りてきた付近から渋川駅まで歩いて次の水沢寺巡りに繋げて一筆書きを維持するというものであった。これならば、歩くのは13キロ弱なので、なんとか歩けそうである。

時速三キロにも達しないスピードでしか歩けなかったが、赤城山や榛名山の眺めに助けられてなんとか明るいうちに渋川駅に着くことができた。今回は前半の関東百名山も後半の関東ふれあいの道もミスが続いて散々な目にあったが、なんとか最低限の目標は達成できたので良しとしよう。
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鳴神山と根本山

前回の札所17番(満願寺)から次の16番(水沢寺)までは最短距離でも80キロ以上あるが、今回は最短距離はとらずにあえて寄り道をすることにした。というのは、11月上旬に妻と水沢寺よりも少し北方の地元杉並区が提携している保養施設に行くので、水沢寺はそれまでは残しておく必要があるからである。そこで、今回は関東ふれあいの道の群馬県コースのうちの赤城山南面の道を辿ることにして、その前に桐生北方にある二つの関東百名山を登っておくことにした。

関東百名山の昼神山と根本山をバスを利て一日で登ってしまうためには接続時間が重要になる。まずはハイキングの対象て良く登られている昼神山から登ることひする。バスの終点で降りたのは私一人だけたが、少し先の登山口には何台も車が止まっている。ほとんどが群馬ナンバーだが足立ナンバーの車も止まっていた。

コースタイムは1時間ちょっとの低い山だが、数人の登山者においぬかれる。自分もほぼコースタイム通りに登っているのだが、トレランブームの影響か最近の若い登山者はめったやたらに早い人が多いように感じる。

頂上に着くと二人のハイカーが休んでいたが、私は先を急ぐのですぐに反対側に下山する。

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反対側の下山路のコースタイムがわからないので、とにかく急いで降りて林道に着いた時は根本山方面のバス停の発車時間の40分前で距離は五キロ弱であった。駆け足で降りて、前方にバスの通る道路が見えた時は発車時間(と思っていた)まで5分あったので、もう間に合ったと思った。

ところが、その直後にバスが通り過ぎて行くではないか。そういえば、先ほど乗った昼神山のバスもだいぶ早く着いたので、こちらのバスはみんなそうなのかと思ってバス停に着いてみると、なんと私が発車時間を5分遅い時間で記憶していたのであった。次のバスまでは2時間近くあったので、どうしたものかと思ったが、ちょうど近くにラーメン屋があったので、そこでしっかりと食事して時間を潰した。

2時間遅れのために登山口に着いた時は暗くなっていたが、尾根道のため迷うことはないだろうと登りだす。またしても夜間登山となってしまったが、迷うこともなく、登山を終えて余分な荷物を置いた所まで戻ってテントを張る。

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翌朝はバス停まで三キロほどの道を下ったか、さすがに前日の深夜労働が堪えて下りであるにもかかわらず辛かった。バスで桐生まで戻り、札所間の歩きに移るのだが、前回は桐生の手前の小俣までしか行けなかったので、荷物は駅の待合室に置いて空身で移動して、戻ってから荷物を回収することにした。

 

小俣に戻って桐生川の畔まで来ると群馬県の標識が見え、長かった栃木県内の札所巡りも終えることになる。桐生駅に戻って荷物を担いで歩き出すと、昨日の無理がたたって途端に足が重くなる。今日の予定は翌日の赤城南面の関東ふれあいの道歩きに備えて上毛鉄道を行ける所まで行くつもりだったが、最低限の赤城駅まではなんとか歩くことができた。

 

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