2026年1月20日 (火)

シッキム旅行記

Pxl_20260117_104632202mpPxl_20260120_005617401night

ヒマラヤ訪問第二弾はインド領シッキムである。インドはあちこち行ったが、東北部に位置してかっては独立国だったシッキムにはまだ行ったことはなかったので、ブータンと繋いで行きたいとおもっていた。以前はブータンのプンツォリンから国境を越えて陸路でシッキムに入りたいと思っていたが、路線バスが走っているわけではないので、自分で車の手配をしなければならず、この年になってから、そのようなことをするのもたいへんなので、飛行機を利用してブーンのパロ空港からシッキムのバグドクラ空港まで45分で一気に飛んでしまうことにした。

 

わずか45分の飛行時間ではあるが、チョモラリを初めとするブータン西部の山々から世界第三位の高峰であるカンチェンジュンガの連山(支峰も含めると8千メートル峰が4つもある)までを眺められる山好きにとっては応えられないフライトである。

 

間もなくバグドグラ空港に着陸したが、まわりの乗客は一向に降りようとしないので、私も着席したままでいたら、CAに降りるように言われる。まわりの乗客はほとんどがデリー方面に向かう客だったのだろう。危うく降り損なう所であった。

 

空港からはプリペイドタクシーでシルグリの街に向かうが、目的地近くまで来ても運転手はホテルを見つけられなくなっている。というのは、ホテルのある場所は道路がこうかと地上に分かれていて、ホテルは地上に面しているのにタクシーは高架部分を走ったために通り過ぎてしまったからである。そこで、戻ってもらっえ地上部分を走ってもらったにもかかわらず、目的地の近くでもホテルを見つけられなくなっているのである。そこで車を降りてグーグルマップ上にあるホテルを目指して少し歩くと目的のホテルを見つけることができた。

 

これは予約したホテルがブータンで利用したようなしっかりしたホテルではなく、雑居ビルの3階にあるというわかりにくい立地のためであった(一応看板は出ているのだが)。

 

ホテルに荷物を置いて食事をするために街に出てみたが、パロ空港で胃腸に感じた異変がひどくなっている気がしたので、ここで刺激の強い食事をすると、胃腸には良くないだろうと考えてスナックと水だけを買ってホテルに戻ることにした。

 

ホテルに戻るとどっと疲れが出て食欲もなかったので、こんな時は何も食べないに限ると、そのまま眠ってしまうことにした。

 

1月17日

 

朝目覚めると、依然として食欲はないので、胃腸薬を飲んで絶食を続けることにした。今日の行程はダージリンまでの1日がかりの列車の旅だが、席は予約されているので、座っているだけなろば体調5万全でなくても問題ないだろうと予定通りダージリンに向かうことにした。

 

外国の観光列車としては一昨年に南米で乗った「地球の果て」号があるが、あちらは数時間の乗車時間だが、こちらは半日がかりである。車ならば数時間で行ける距離なのに、そんなに時間がかかるのは、機関車の性能のためなのか、観光客に長く楽しんでもらうためなのか、あるいはその両方のためこもしれない。

 

イギリスの統治時代から走っている列車で世界遺産にも選ばれている人気列車で数カ月前から申し込む必要があるが、急ぐ旅でもないからと申し込んだものである(帰りはさすがにタクシーで直接空港まで直行するつもりだが)。

 

ホテルから始発駅のニュージャルパイグリまでは歩いても小一時間の距離だが、荷物が重いのと体調が万全でないためにリキシャ(オート三輪のタクシー)で向かう。

 

しばらく待って乗り込むと車内は満席だった。途中の街なかはショートカットして山岳部分だけを乗車しているものもあるが、今日の乗客はながたびを楽しむ(耐える)客ばかりのようである。もっともショートカットする客は日程に余裕のない日本人客ばかりかもしれない。

 

実際に乗車してみると、実に遅いしよく停車する。自転車よりも遅いくらいだが、これこそが悠久の大地を進むのに適した乗物なのかもしれない。

 

列車はあえぎながら徐々に高度を上げてダージリンを目指していくが、行程は遅々として捗らない。到着予定時刻の4時半になってもまだダーリジンまではまだ40キロ近くある。インドの鉄道の時刻はあてにならないというのは、何度も経験済みなのに、そのことをすっかり忘れていた。

 

ホテルまではグーグルマップでは10分ほどの歩きということだったので、急坂でもない限り歩いてもいけると思ったが、タクシーが捕まればそれに越したことはないと思っていた。

 

ところが、終点で下車したために
乗客全員がタクシー乗り場に殺到してタクシーはいつ捕まるはわけらない状態であった。やっと戻ってきたタクシーにのろうとすると、行く先を知った運転手はそんな近場はいやだったらしく、歩いていけと言われて乗車拒否に合う。

 

しかたなく歩き出すと、恐れていた急坂が現れる。短い距離だからと我慢して歩いていると、グーグルマップでのホテルまでの最短路は細い道に入っていくが、そこにほ放し飼いの犬が四匹も待ち構えている。南米で犬に散々吠えられた経験があるので、もし吠えられたらすぐに退散して遠回りしていこうと思ったが、大人しい犬ばかりで無事に通過できた。

 

ホテルに着くと真っ先に確認したのはシャワーでお湯が使えるかどうかであった。トレッキングから帰ってきた後に温かいシャワーで汗を洗いながしたかったからである。そこで、帰りのダージリンの宿は多少割高ではあるが、急遽温泉付きの宿を予約しておいた。雪朝は早いので早めにベッドに入った。

 

1月18日

 

6時過ぎに集合とのことだったので、早めに指定された場所に向かうが、指定された建物は見当たらないし、ガイドも現れない。そこで通りかかった人に聞くと、正しい場所を教えてもらった。道を1本取り違えていたようである。

 

やっとガイドとも合うことができ、なんとかトレッキングを始められる目途がたった。実は今回のトレッキングに関しては日程と必要な持ち物以外には知らされておらず(聞きもしなかったのだが)、持ち物にも寝袋はなかつたが、ネットの情報では冬場のロッジは寒いので冬用の寝袋が必要だとあったため、夏用の寝袋とアンダーウェアを多目にもってきたため、大きなザックと小さいザックを用意してきた。またどの程度歩くのかもわからなかったが、ガイドから行程を聞いたところでは、そこそこは歩くようなのでポーターが必要だということになって、払い込んだ料金にはポーター代は入ってないということなので、その料金を確認したところ、5日間で2万円弱とのことだったので、追加でどるでしはらうことにした。

 

やがて車がやってきたのて乗り込むか、途中から見知ら人も乗り込んできたので、専用車ではなく、乗合車のようであった。さらに急遽依頼したポーターも乗り込んできたが、暇だったということだろうか?途中で牛肉入りヌードルを遅めの朝食で食べたが、ホテルでの朝食が早かったので丁度良かった。

 

インドの公用語は英語とヒンディー語なので、ガイドにとっても英語は母国語なのだろうが、先日のブータンのガイドよりもはるかにききとりやすかった。もっともブータンの場合にはお寺巡りが中心で、聞き慣れない宗教関係の単語がたくさんでてきたことも影響しているかもしれなかったが 

 

登山口のリンビックからはいきなりの急坂で、ガイドのペースに合わせて登ると息が切れそうになったが、しばらくして私を先頭にして登らせてくれたので、マイペースで登れてさほど苦しまずに登ることができた。

 

昼食は途中の食堂で摂ったが、インド定番のタルカリ(野菜のカレー煮)とダルスープ(豆のスープ)である。久しぶりに食べたので珍しかったが、これが毎日続くと飽きちゃうだよなあ

 

午後は途中に一カ所急坂はあったが、2時間ほどの歩きでグルドゥムの小屋に着くことができた。途中、ガイドがカンチェンジュンガが見えると教えてくれたが、山頂付近が見えただけなので、全容の展望は先のお楽しみにとっておこう。

 

クルドゥム小屋てで休んでお茶を飲んでいると、小屋の人がオヤツにサモサ(野菜コロッケ)わ出してくれた。日本でもイベントで提供されることがあり、とても値段が高いが、インドでは庶民のオヤツとして食べられていて、外で買ってもたいへん安いものである。

 

夕食はカレー料理ではあるが、おかずのバリエーションは豊富であり、チキンも提供されているので、若い時にネパールの山中で1週間ほどタルカリとダルバートが続いて肉を食べなかったら、麓まで降りて放し飼いの豚を見た途端によだれが出てきたというようなことにはならなくてすみそうだ。

 

1月19日

 

8時半にグルドゥム小屋を出発してサンダクブーを目ざすが、標高差1200メートルも登るので急登の連続である。1時間に200メートルの高度を稼ぐペースでゆっくりと登っていく。しばらく登っていくと、手前の尾根の向こうに白い峰々が見えるようになってくる。

 

12時頃に休憩所に着きヌードルを食べるが、胃腸の調子が今ひとつで半分ほどしか食べられなかった。30分も休まずに登山を再開し、午前中とほぼ同じペースで登り続けたので、3時頃にはサンダクブーに着ける見込みが立った。

 

右手の方にはカンチェンジュンガの連山が望めてくるが、樹林に遮られているので、写真を撮るのはサンダクブーに着くまでお預けとなった。

 

サンダクブーまでは1時間もしないあたりまできた時にここ数日調子の良くなかった胃腸かますます悪くなり吐き気もするようになった。別に頭痛がするわけでもないので高山病かどうかはわけらないが、以前は富士山くらいの高度では高山病とは無縁であったが、加齢により高山病になりやすくなったのかもしれない。

 

サンダクブーにはなんとか着いて小屋に入れてホッとした。昨日の小屋もそうだったが、個室で専用のトイレがあるのもうれしい。もちろん、ホットシャワーが利用できるわけではないが。部屋でしぱらく休んでいると、ガイドが呼びに来てサンセットが見えると言う。ついていくと、カンチェンジュンガの連山からジャヌーまてが真っ赤に燃えており、少し遠くにはマカルーからエベレストまで見渡せる。夢中で写真を撮ったが、これでシッキムに来た目的は果たせたような気になってしまった。

 

夕食時にガイドには翌朝の調子で予定どおりに山歩きを続けるか、車をチャーターしてダージリンまで一気に戻るかを決めるとは言っておいたが、気持ちはすでに決まっていた。目的を果たした以上は下界に早く降りて楽な生活をしたいというのが本音であった。それにダージリンにそんなに長居してもしょうがないので、シッキムの州都であるガントクにも足を延ばしたいという気もあった。

 

1月20日

 

暗いうちから起き出して日の出と朝焼けのカンチェンジュンガを見るために小高い場所まで行くと、既に先客でいっぱいであった。東の空が白じんでくると、カンチェンジュンガの連山が真っ赤に燃え出してくる。

 

ひととき、絶景を楽しんだ後に喫茶店に入ってコーヒーを飲んだが、その際にガイドに今日中に車でダーリジンまで下りたいということを告げる。当初の予定どおりにプルートまで尾根伝いに歩けば20キロほどはカンチェンジュンガに近づくことになるが、景色自体はここからと大差ないだろうとし、概ね平坦とはいえ20キロも歩くのはしんどいし、翌日以降も1000メートル以上も下降しなければならないのはたいへんである。車のチャーター代をガイドに聞くと、一万円くらいだと言ってたのが、本部に電話で確認したら、当初に払い込んだ料金でカバーされるということで良心的な旅行社である。

 

9時ころにジープは出発したが、まるで崖を下るようなスリル満点なドライブである。500メートルほど高度を下げたところで、ようやく普通の山道になり1時休憩となる。その後も舗装路(と言ってもあなぼこだらけだが)になってもスリルのある道が続く。ようやく谷間近くまで降りて旅行社の車に乗り換えてダージリンに着く。

 

ダージリンではとりあえず初日に泊まったホテルにまた泊まることにする。ダージリンでは最終2日間はスパの予約をしてあるので、その間は市内見学でもするつもりだが、早めに降りてきてしまった2日間をどう過ごすかが問題だ。当初はシッキムのガントクにでもいこうかと思ったが、シッキムの入域申請手続きがなかなかたいへんそうだし、許可がおりるまで結構時間がかかるとのことなので、それほどまでして行く価値がありそうにもないし、むしろ、許可のいらないカリンポンにでも行ってみようかとも思っている。
ダージリンの街を散策するために駅方面に向かうと、途中にfish&curryと書いてある店があり、久しぶりに魚を食べてみたくなって入ってみる。ところが、この魚が骨だらけでまともに食べられたものでなく、途中で食べるのをやめて店を出てしまう。その後、駅まで降りてみたが、駅周辺には特に見るべきものはないので、宿に戻ることにした。途中に中国料理の店があったので入ってみる。まずはビールを注文し、久しぶりに喉を潤す。料理を注文しようとメニューをみるが、写真はないのでどんな料理かさっぱりわからない。まあ料理ならなんでもいいやと適当に注文する。ところが出てきたものは、中国料理とは名ばかりでインド料理そのものだった。まあしょうがないと諦めてビールをおかわりして店を出る。
1月21日
ダージリン滞在4日間のうち、後半2日間はスパと名うっているホテルを予約してあったが、前半2日間も同じホテルに宿泊するために前日にネットで予約しようと手続きしたところ、不確定メールしか来なかったので現地に行ってみることにした。街外れにあるホテルに行ってみると、やはり予約はされてないようであった。それどころが、後半2日間の確定しているはずの予約までも通ってないということでビックリする。説明を聞いてもよくわからなかったが、クローズという単語が聞き取れたし、他の断片的に聞き取れた単語から、どうやらこのホテルは一度廃業し、オーナーが変わって再開したもので、前の予約はキャンセルされてしまだたといあことがわかった。前代未聞の事態に遭遇してしまったが、しかたがないので、1泊分だけの料金を現金で払って(カード払いは出来ないということなので)、明日以降のホテルはカード払いが出来るところをネット予約することにした。
期待していた温泉はなかったが、お湯はでるので数日間の汗を流し下着を洗濯してから街にでてみる。昼食としてモモフライイを食べてからホテル代を払って寂しくなった現金を補充するために両替をする。20ドル紙幣のうち1枚は紙幣の端が切れている、2枚は紙幣端に色がついているというこで受け取ってもらえずに別の紙幣と交換したが、レート自体も昨日ポーター代を払うために両替した時よりも悪くなっている気がした(昨日は横に現地のガイドが付いていたからか)。
お土産はカトマンズを出国する前に買うつもりです、ダージリンでしか買えないお茶を探してみた。相場はだいたいわかったので出国直前に買うことにした。、歩き回って咽が乾いたのでスタンドで喉を潤すが、メニューには書いてあるコーラやラッシーは注文してもないといわれたので、シェイクを注文してみたが味は今ひとつだった。口直しというわけではないが、昨日の中国料理店に行きビールを注文する。つまみとしてはインド料理は嫌なので、チキンラーメンを注文しようとしたところ、スパイシーだと言われて他の麺を頼むと汁なしの大盛り焼きそばで、半分も食べられなかった。

ホテルに戻る途中に旅行代理店と日本にもあるファーストフードの店かあったので、翌朝によってみようと思った。ホテルに戻ってから残りのダージリンのホテルの予約を行い、後はNHKプラスを見て過ごした。

1月22日

朝、駅近くまで寄って翌日に予定しているカリンポン方面への交通情報を得たいと思ったのだが、特に情報は得られず翌日は出たとこ勝負するしかないと思った。その代わり、手前の山の背後に思いがけずカンチェンジュンガ連山が見られたのは儲けものだった。ただ2日間かけて到達したサンダクプーから望んだカンチェンジュンガ連山とスケールはあまり変わらないことに気づき、頑張った2日間は何だったのかなという気にもなった。

その後はレストランで朝食後に、前日は休園で行けなかった動物園にリベンジするために、1時間ほどのアップダウンしながらの歩きとなった。動物園は平日だというのに結構賑わっていた。外人はインド人の2倍近い300の入場料で、公共料金の安いインドにしては高いかなと思ったが、入園してみると全然高くないと思い直した。というのは、当地ならでわの動物が雪豹を始めとして、ベンガル虎、レッサーパンダと目白押しだったからである。先日のブータンの動物園では、広大な敷地にもかかわらず鹿と牛しかいなかったのとは大違いである。

動物園を見終わって、その隣にあるはずのエベレスト初登頂者であるテンジンが作った登山学校に行くために、一度動物園を出て周りこもうとした。ところが、地図上でその施設として表示されている建物に繋がる道は途中で立入禁止となっているのである。となると先ほどの動物園の奥にその建物があるに違いない、そこで動物園まで戻り、使用済みの入園券で再度入園させてもらって奥まで進むと、確かに登山博物館らしき物があった。エベレスト初登頂時の装備や関係者の写真が展示されていた(日本人としては女性初登頂の田部井淳子さんの写真もあった)。見学後にレストランで餃子風のモモを昼食として食べてから隣接するクライミングウォールも登っでみたが、簡単すぎてつまらず、すぐに止めて街に戻ることにした

時間は2時頃と早かったので、途中でハッピーバレー茶園に寄り道することにした。19世紀のイギリス統治時代から続くインドの茶の生産量の15パーセントを占めるという広大な茶畑である。畑の真中に工場があったので、中でお茶を飲ませてもらおうと思ったら、そこでは飲めずに少し離れた所にある粗末な茶店で飲むはめになった。本場のお茶をじっくり味わってから街に戻ることにしたが、寄り道した道は戻らずに近道を進んだが、街に戻る直前はかなりの登りを余儀なくされた。

街に戻ると、今日一日の予定が無事に終えられたことを祝って、連日立ち寄っている中国料理の店に入ってビールで乾杯する。夕食を食べるにはまだ早かったので駅まで降りてみて朝と同様にカンチェンジュンガ連山を眺めることにした。天気が良ければ夕陽に照らされた連山が見えたであろうが、残念ながら雲のなかであった。やむを得ずホテルに戻ることにして、ホテルの手前にあるショッピングモール横の売店でコロッケ風のサモサの上に各種具材を乗せたものを150円で買って食べてみたが、これだけでお腹一杯になってしまだたので、そのままホテルに戻った。


| | コメント (0)

2026年1月14日 (水)

ブータン旅行記

1月11日

 

パロ空港に向かえに来てくれたガイドとともにパロ郊外の博物館に向かう.。博物館の内部は撮影禁止で外観しか写せず、この後も似たような所にたくさん行っているので、何があったか全然覚えてない。ガイドは仕事熱心で詳しくてくれているようだが、ガイドの英語は半分も聞き取れない。だた面倒なので、重要と思われること以外は聞き返さずにわかったふりをしている(重要なことは翻訳アプリで確認)。

 

その後、ホテルに移動して旅装を解く。夕食までしばらく時間があったので、パロの街を散策する。小さい街だからと油断してたら見事に迷ってしまったが、夕食時間までには戻ることごできた。

 

夕食はホテルのレストランで食べたが、骨付きチキンの唐揚げとヤクの焼肉(固かった)、それに各種の野菜料理だったが、スープが少し辛かった以外は日本人の口にも合うものだった。

 

ホテルはWiFiが良く効くので、インターネットは日本と同様に利用できるし、NHKプラスで地上波も見られるので退屈することはない。こうしてブータン1日目は過ぎていった。

 

 

1月12日

 

ホテルのレストランで洋食スタイルの朝食を食べて9時に出発する。最初は山の上にある大仏を見てから
動物園に行くが、広大な敷地はフェンスで囲われているが、中にいるのは鹿か牛と言った珍しくもない動物ばかりで、期待していた雪豹はいないようだった。

 

その後は首都のティンプーを目指して進むが、街を一望できる展望台からのティンプーは人口も10万程度なので、小ぢんまりした街である。

 

ティンプーの街に降りてレストランでビュッフェスタイルのランチを食べるが、テーブルにメニューがあっとので見てみると、円換算して約2倍とすると、日本の物価よりもだいぶ安いようである。

 

午後におとずれたのは体験型の民族博物館で、様々な生活用具に触れたり、民族舞踊を見学したりして、最後はブータンの伝統競技であるアーチェリーの試射(全然的外れだったが)も楽しんだ。

 

その後はホテルに移動したが、ホテルは中心街からは少し離れた街外れにあったので、居酒屋に行くことはできずに本日は休肝日となってしまった。

 

1月13日

 

本日は古都のプナカへの移動である。標高差1000メートルほど登るとチベットとの国境付近のヒマラヤの高峰が見えてくる。しばらく写真を撮ってからプナカに下るが、こちらは標高差で2000メートル近く下るので、降り立つとティンプーよりもだいぶ気温が高く感じた。

 

プナカのレストランでランチを食べたが、今日はビュッフェスタイルではなくオーダー方式だったので、焼きそばとビールを注文したが、ビールも少し辛いように感じた。

 

午後は寺院見物と名物の吊り橋を渡ったりしてホテルに入ったが、ホテルは小高い丘の途中にあったので、今晩も夜の街に行くことはできなかった。

 

1月14日

 

本日はパロに戻るのだが、途中ほとんど寄り道しなかったので、昼過ぎには戻ることができた。パロのレストランでビュッフェスタイルでランチを摂ったあと、ブータンの民族衣装をまとって写真を撮り、その後にまた街のはずれの寺院に寄ってからホテルに向かった。さいしょに泊まったホテルと同じで、街にも近いので、夜のブナカにも出てみよう。

1月15日

本日はブータン観光の最大の目的であるタクツァン僧院に向かうほどである。ホテルから30分ほどのドライブで登山口に着く。ここから僧院までの往復は標準タイムで5時間ほどとなっている。最初から急登が続いて高度は順調に稼げる。僧院までの標高差は約700メートルで2時間半ほどでその高さまで到達したので、意外に早く到達できるかと思ったが、そこから僧院までは登り返しがあったので、結構時間がかかってしまった。おまけに登りが自分としてはややオーバーペースだったのか、高度のせいなのかはわからないが、僧院までは意外と時間がかかってしまった。僧院に着くと、すぐに下山したかったのだが、あちこちにある建物の仏像をガイドは案内して英語で説明を始めるものだから、ほとんど内容を理解できないまま時間が経過するのを待つしかなかった。

やがて、仏像の参拝も終わり往路を戻ることになったが、登り返しは完全にバテていて辛いものだった。なんとか下り道に戻れると、また元気になって最近の自分には珍しく先行者を次々と抜いていくことができた。このまま登山口まで降りることも不可能ではなかったが、途中にタクツァン僧院を真正面に眺められる展望台に食堂があったので、ランチを食べながら僧院を眺めることができた。

空腹を満たしてから下山を再開すると間もなく登山口に着き、そこからホテルに車でもどったのは1時過ぎで夕食までは時間がだいぶあったので、街を散策しながらビールが飲める店を探した。ところが他の街でもそうだったが、ブータンには外で飲酒するという習慣がないのか、居酒屋風の店はなかった。またブータン風の食べ物はイヤだなと思っていたらモモ(インドやネパールでは人気のある一種の餃子)がメインの店があったので、それにラッシー(インド等で人気の清涼飲料)をつけて注文した。久しぶりの非ブータン料理はうまかった。

夜も街に出てブータン最後の夜をたのしみたかったのだが、寒そうだったので、前夜に続いてホテルで過ごすことになってしまった。

1月16日

本日はブータン最終日で、当初は空港に戻るだけだったが、フライトは夕方でどこにも行かないのはもったいないので、ガイドの提案でブータンでもっとも人気のある7千メートルであるチョモラリを眺めにチェラ・ラ(ラとは峠のこと)まで車で行くことにした。往復5時間の行程と聞いていたが、が、実際は片道で2時間もきらずにチョモラリの大展望を楽しむことができた。帰りは空港近くのレストランでランチを食べた後に空港まで送ってもらった際に、予定外のドライブをしてくれたことへの感謝もこめて、ガイドと運転手にはたっぷりとチップをはずんであげた。ブータンではほとんど使い途のなかった現地通貨かたくさん余ってしまったからという面もあったが

早めに空港に着いたので、時間を持て余してしまったが、ろくな土産物もなく、酒が飲める所もなかったので、時間を空費するしかなかった。まあ、これで念願のブータン旅行を終えることができたので良しとしなければないだろう。

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2026年1月13日 (火)

ブータンへのアプローチ

Pxl_20260110_152209687Pxl_20260111_053539727Pxl_20260111_053612281mpPxl_20260111_083052667Pxl_20260111_084949950mp

ヒマラヤは過去10回ほど訪れているが、ブータンはまだ訪れたことがなかった。それは旅行が完全自由化されておらずに全てガイド同行で、旅行社に支払う料金の一部は環境や福祉の名目で国に吸い取られるので、旅行費用が他のヒマラヤと比べてとても高いため、自由化されるのを待っていたのだが、待ちきれなくなって出かける決心をした。

1月10日

ブータンまでの直行便はないので、デリー、カトマンズ、バンコク乗り継ぎとなるが、便数や料金(他のヒマラヤ圏よりも割高だが)からデリー経由とし、デリーまでも直行便よりも安いスリランカ経由のものとした。

フライト3時間前に成田空港に着き出発までを待つ。三連休の初日だが、さすがにスリランカまで行く日本人はいないようだ。機内は満席に思えたが、隣席の人が後部座席に空席を見つけたのか移動してくれたので窮屈な思いをせずに助かった。

10時間のフライトで夕方のスリランカ首都のコロンボに着いたのは夕方であったが、さすがに緯度が低いだけあって20度以上あって暑いくらいであった。

乗継時間が6時間近くあったので、プライオリティパスが使えるラウンジで時間を潰す。ラウンジの滞在上限の3時間近くなったのでロビーに戻ったが、電光掲示板のデリー便はまだ搭乗口が決まってないようだが、出発時間は1時間近く遅れるとの表示であったので、ロビーのいすで時間を潰す。

1月11日

日付が変わってようやく搭乗口が決まったようなので移動するが、その後も出発時刻や搭乗口がたびたび変わり、うっかりしていると乗り過ごすところであった。

結局、当初よりも9時間遅れてデリー便に搭乗できたが、出発は2時を過ぎており、ほとんど眠れないままにデリー空港に着く。

ブータン便は6時間後なので、チェックインカウンタも決まっておらず、またもや時間待ちである。ようやくチェックインが出来てラウンジに向かうが、全くショボいラウンジで1時間ほどで退出し、搭乗口の待合室で時間を潰す。

ブータンのパロ空港への飛行機は窓際の席だったので、ヒマラヤの眺めが得られてラッキーだった。パロ空港は谷間にあって危険な空港と聞いていたが、それほどのこともなかった。

無事パロ空港に着陸してブータンの土を踏むことができた。延べ36時間の行程であった。空港を出るとガイドとも会えてブータンの旅が始まることになる。

| | コメント (0)

2026年1月 1日 (木)

神奈川百名山の三山を半日で

1月1日

 

2,026年の新年イベントは神奈川県100名山のうち三浦半島の先端近くにある100〜200メートルほどの三山(三浦富士、武山、仙元山)を登ることにした。JRは終夜運行を行っているが京急は行っていないので、京急の始発に合わせてJRの終夜電車に乗るとなると、自宅を3時頃に出発せざるをえず、待ち時間が長過ぎる気がしたので、途中の渋谷あたりまでは自宅から歩いて新年気分も味わうことにした。

 

自宅を零時に出て除夜の鐘を聞きながら、まずは自宅近くの神社前を通ると、初詣の行列が境内をはみ出して道路のかなり先まで続いていたが、こんな所で時間を無駄にしたくないので、行列の端までは行かずに、一路明治神宮を目指すことにした。

 

明治神宮に着いのは2時半だったが、以前に0時直後に来た時に見たような長蛇の列はなく、横に並んだ賽銭箱の後ろにそれぞれ数10人が並んでいる程度だったので、30分も待たずに終えられそうだったが、天皇家と縁の深い明治神宮を参拝するする気にはならずに素通りしたので、渋谷駅には3時過ぎに着いてしまい、品川駅では始発電車を1時間近く待つ羽目となってしまった。

 

初日号と名付けられている始発電車は6時過ぎに三浦富士の最寄り駅に着いたが、下車するのは私以外はほとんどなく、満員のまま出発する。終点の三崎港までは内陸部を進むので日の出を眺める場所はないはずたが、皆はどこに行くのだろう。

山頂までは標高差で200メートルもないが、日の出の時間が迫っているので気が急く。急いで頂上に着いてみると、既にかなりの人出があったが、雲が水平線上に垂れ込めていて初日は不満足なものしか見られなかった。

Pxl_20251231_215921635mp_copy_420x560

Pxl_20251231_220049126_copy_392x523
次のピークの武山までは標高差が少なく1時間足らずで着くことができた。ただ山頂と覚しきあたりには標識はなく、その代わりに武山不動という寺院があったので、とりあえず初詣を行ってから下山することにした。
Pxl_20251231_224919290_copy_462x347

最後は逗子駅近くにある仙元山まではバスで移動する。仙元山は標高差が100メートルちょっとなので、ほどなく山頂と覚しき地点に着いたが、ここにも山頂の標識が見当たらない。もう少し先まで行ってみるが5万図と対比してみると、明らかに山頂を通り過ぎていることがわかったので、さきほど通過した最高点を頂上と考えて、それを越えてバス停まで一気に下山して、逗子駅まで移動して帰宅したが、低山とはいえ神奈川百名山の三山を午前中に終えることができた。

| | コメント (0)

2025年12月18日 (木)

関東ふれあいの道と関東百名山

18切符を利用して関東北東部のふれあいの道と百名山の踏破を目指すことにした。

 

12月14日

 

前回行き損ねた千葉県北部5か所のふれあいの道を目指すことにしたが、午前中は天候が思わしくなく、自転車を利用すればさほど時間はかからないだろうと考えて昼過ぎに現地に到着する時間で行動することにした。

 

スタートは小湊線の上総牛久駅である。さほどの登りもなく、八重垣刑部神社に着く。
Pxl_20251214_040010523_copy_548x411
解説標識の前で撮影後に茂原駅に向かうが、ここは思っていたよりも遠くて時間がかかってしまったが、電車の接続がまずまずで、3時過ぎには成東駅に着く。ここからは駅の南北に近場と遠方にそれぞれ撮影ポイントがあるが、近場は遅くなってからでも行けるだろうと考えて、南部の食虫植物園に向かうことにした。

 

駅からは思ったよりも遠かったが、途中に案内標識がたくさんあったので、迷うこともなく辿り着いた。冬場は休園だそうだが、園外にある解説標識が撮影ポイントとなっているため、用は済ますことはできた。
Pxl_20251214_065631146_copy_802x602

 

植物園にはまだ明るいうちに着けたが、古墳群に向かう途中て暗くなってしまい、ベッドランプは忘れるは、予備のライトは電池の消耗が激しいと散々で、だましだましなんとか目的地にはたどりつく。ただ予備ライトの明かりが弱いので、不鮮明な写真しかとれず、これでOKかどうかは自信はないが、とりあえずはこれで帰ることにした。
Pxl_20251214_090615097night_copy_1748x23

 

これから成東駅まで戻っても、ライトの光量不足で不鮮明な写真しか撮れないだろうからと、最寄りの松尾駅に向かい、茨城県の関東百名山を目指して何回かの乗換えの末に日立駅に着いた時は日付は既に変わってしまった。

 

12月15日

 

今日登る予定の神峰山は600メートルにも満たない低山だが、情報が少なくコースも不明瞭であった。ただ国土地理院の5万図を見ると、頂上から南西にまっすぐに伸びる尾根が自動車の通る道に急降下しているので、ここを行けばさほど時間はかからずに往復できるだろうと見当をつけた。

 

日立駅から登山口と思われる日鉱記念館までは距離にして約10キロ弱、標高差は300メートル以上もあって、アプローチだけでもなかなかである(後になってからわかったのだが、路線バスも1日数本はあるらしい)。ところが、登山口の標識も見当たらず登山道も発見できない。どうしたものかと思っていたら、少し下の方に草がボウボウに生えた簡易舗装路が登っているのを発見し、登ってみることにした。

 

登山道はすぐに消えてしまい、踏み跡もほとんど見当たらないが、古いテープは発見できたので、登山道には違いないだろうと判断し、藪も深くない尾根上の登りなので問題はなかろうと登り続ける。

 

1時間ちょっとの登りで頂上に達する。頂上からは太平洋が真下に望める大展望が見事であった。その時、反対側から登ってくる登山者がちょうど登頂してきたので、どこから登ってきたのかと聞くと、神峰公園からで道も良いそうである。さきほどの自転車で登ってきた舗装路の頭上を平行に走る尾根道をきたそうだ。
Pxl_20251215_023931076_copy_392x523

 

自分は自転車を置いてあるので、来た道を戻らざるをえない。踏み跡のない尾根道の下りだから迷いやすいだろうと警戒しながら降りていったが、案の定、尾根を取り違えて右の方に行き過ぎでしまった。セオリーでは元の場所まで戻るべきなのだが、もうほとんど下までおりてしまっていたので、最後の崖の所まで降りたら左の方に向かえば、さきほどの登山口に達するはずだと思ったら、そのとおりであだた。ただ登山口まで達するまでは藪が深くて、なかなかたいへんだった。

 

自転車での下りは楽ちんだったが、日立駅に着いてみると列車の本数は少なく、次の列車に乗っても難台山の登山口に着くのは4時近くになってしむうことがわかった。ヘッドランプを忘れて予備のランプしかないので、夜間登山は避けたいため、岩間駅に駐輪だけしておいて、水戸に戻ることにした。

 

その夜は水戸の駅前の居酒屋で日本酒を嗜んで過ごすことにした。こんなのんびりした1日もたまにはよいだろう。
Pxl_20251215_090718493_copy_1119x840

 

12月16日

 

薄暗い岩間駅を出発して難台山登山口の長坂に向かう。日が昇るまでの自転車こぎは寒かった。昨日の神峰山までのアプローチに比べればだいぶ短い距離で長坂に着いた。登山口の標識はなかったが、細い舗装路か分岐していたので、多分この道が登山道に続いているのだろうと、しばらくは自転車を引きながら坂道を登っていく。この方が帰りは早いだろうと思ったのだが、これが大間違いであった。

 

キャンプ場のしばらく先までは踏み跡があったが、途中で道は消えてしまう。ただ地図では少し上の方に道が表示されているので、そこまではがむしゃらに登っていくことにした。やがて地図上の道にでたが、踏み跡もテープもなく、かなりヤブが濃いくて、昨日よりも明らかに悪い道である。

 

強引に登っていくと、尾根上の広い道にでる。長坂からの登山道は地図上には何本か表示されているが、これが本来の登山道のようだ。今までとは比べものにならないほどの歩きやすい道なので、わずかの時間で難台山の頂上に着いてしまう。

 

頂上は昨日ほどの展望はなかったが、じもとでは人気のある山らしく何人かの登山者がやすんでいた。下りは登ってきた道を下りたが、藪のあるコースには入らず、しっかりした道を長坂まで下ったので、登りの版分以下の時間で終えることができた。
Pxl_20251216_014535151mp_copy_462x347

 

本来ならここから岩間駅まで自転車で一気に下りたいところであるが、キャンプ場の近くまで自転車を引き上げてしまったので、そこまで自転車を回収しに行かなければならないという手間をかける羽目になってしまった。おかげで岩間駅に着いたのは下り列車到着3分前というわけで、次の下りまでは1時間ほど待たなければならないことになり、乗り継ぎ時間も考えると、次の目的であった三毳山の登山口まで明るいうちに着くことは難しくなってきたので、三毳山はあきらめて時間は少々早いが東京に戻ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2025年12月17日 (水)

本仁田山

12月11日

 

今春にキツネに化かされて行き損なった本仁田山のリベンジを目指す。鳩ノ巣駅から前回、知らぬうちにもと来た道に戻ってしまった個所を再訪して間違えた原因を調べようと思ったが、途中からひとつ上の道を行ってしまい、前回の間違えた原因を調べることはできなかった。

 

本仁田山への登りは思っていたよりも長くて、今日中にもう一つ登頂するのは時間的に無理なことがわかった。頂上は見晴らしのよかったが、誰もおらず、ひととおり展望を楽しんでから下山にうつる。
Pxl_20251211_043936006mp_copy_347x462

下山路はかなり急な上に落ち葉が滑りやすくて歩きにくかったが、軽快なペースで降りてくる若者に追い抜かれてしまった。体力だけでなくバランスも若者には敵わなくなってしまったようだ。

 

奥多摩駅には夕方のまだ充分明るいうちに下山したが、今回はバスの乗り継ぎで帰るつもりだったので、まだまだ先は長いことになる。行程中、川井駅から御嶽駅までを繋がるバスはないが、ここは青梅マラソンのコースで懐かしいところなので、小一時間の歩きも退屈することはなかった。あと問題となるのは御嶽駅から青梅駅までのバスが夜6時半近くの1日1本しかないことだ。早く奥多摩駅に降りてしまうと、長時間の待ち合わせを余儀なくされてしまう。最後の青梅駅から花小金井駅までの都営バスは乗車時間1時間半にもなる都内最長のバス路線である。全部乗り継ぐと5時間近くもかかり、しばらくはもう結構という気がしてきた。

| | コメント (0)

2025年12月 8日 (月)

関東ふれあいの道と関東百名山

12月2日から六日間にわたって房総に避難生活を行い関東ふれあいの道(千葉県コースNO8,9,10,12,13,14,15,25,26)と関東百名山の大福山と鹿野山に出かけてきた。

| | コメント (0)

10年ぶりの外岩

11月30日

吾野の岩場で10年ぶりにフリークライミングをしてみたが、すっかり登れなくなっていて、寄る年波には勝てないとつくづくと感じた。

| | コメント (0)

2025年11月26日 (水)

天竺山

元々高い山の少ない東京百名山の中でもとりわけ低い山である天竺山(310メートル)は、これ単独で登りに来るほど
でもないので、他の山の帰りに登ろうと思ってたら、五日市に降りるのがいつも暗くなってしまい、登らずじまいに終わっていた。そこで、今回は天竺山のみを目標として登ることにした。ただそれだけではつまらないので、福生までは自転車を使い、福生から五日市まではシルバーパスを利用することにした。

 

11月24日

 

武蔵五日市駅から天竺山までの標高差は200メートルちょっとなので全然大した登りではないが、危険なアーバンベアが我が物顔にしている地域なので、人家から離れるやいなや熊よけホーンを鳴らしっぱなしにする。というのは、熊鈴が有効なのは、山の熊に対してであって、アーバンベアに対してはむしろ熊を引き寄せかねないものになってしまったからである。

 

大した登りもなく頂上に着いたが、そこから眺められる東京方面の展望はなかなか見事であった。初日の出を見る場所としては絶好の場所かもしれない。
Pxl_20251124_060414345mp

 

バスと自転車で行きと同じ道を戻ったが、途中で暗くなってしまい、1日がかりのコースとなった。

 

 

 

| | コメント (0)

2025年11月23日 (日)

妙義集中登山

 

後期高齢者となり、自分ではまだまだ元気だと思っていてもなにがあっても不思議ではない年齢になっていることを自覚して、今後は単独行はなるべく避けた方がよいと考えて地元の山岳会に入会することになったが、今回は入会後初めての会山行である。

11月15日

荻窪駅でピックアップしてもらって妙義方面に向かう。今回はマルチピッチ主体の山行が組まれているが、1パーティーだけ一般登山路のコースがあったので、久しぶりのアルパインでもあり、初日は一般登山路のコースを歩くことにした。

妙義神社の横から登りだす。1時間ほどの急登で稜線近くまで達する。このあたりから鎖場も現れてちょっぴりスリルも味わえるようになる。稜線に出ると結構登山者も多くなり展望も素晴らしくなってくる。

表妙義は30年以上も前に歩いたことがあるが、どのあたりを歩いたのか全く記憶がない。ただ古い地図をみると、縦走路の南部にある金洞山がわずかの差ながら最高地点となっているので、おそらくそこを登ったのであろう。ただ最新の地図では相馬岳がわずかながら金洞山を上回っているようになっているので、最高点にはまだのぼっていなかったことになり、今回はぜひ相馬岳を登っていなかったことになる。

白雲岳を過ぎてタルワキのコルを過ぎるとすぐ先の相馬岳までは人登りである。相馬岳は今日一番の賑わいである。あまり長居はしたくないところであるが、相馬岳北稜パーティーが間もなく到着しそうだったので、しばらく待つことにする。

1時間ほど待つと北稜パーティーと合流して記念撮影をするが、集中登山らしい雰囲気を味わえた。

北稜パーティーは西側のキャンプ場に直接下山し、我々は反対側の妙義神社近くに駐車してある関係で、彼らと別れて大回りでキャンプ場に向かうが、キャンプ場では焚き火と鍋物で大いに盛り上がった。

11月16日

今日は3人パーティーで金鶏山から筆頭岩のコースに向かう。金鶏山への登りはかなりの急登で、岩場が始まってからもロープを出すほどでもないので、そのまま登り続けたが、神経を多少使うところであった。案の定、1人が掴んだ岩が取れてしまって少し滑り落ちたが、幸い大事にはいたらなかった。
1763805998502

金鶏山から筆頭岩までは地図上ではさほど距離はないようだが、道が不明瞭で右往左往してしまったり、スラブの横断を慎重におこなったりしたため、筆頭岩の取り付きに着いたのは2時になってしまった。




3ピッチのルートなので、時間的には充分登りきれるはずであったが、積極的に登ろうという意見も出なかったので、これで下山することとなってしまった。

| | コメント (0)

«東京百名山(万六ノ頭、松生山)