2021年7月24日 (土)

オシュに移動

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今日はパミール山脈の玄関口となるキルギス第二の都市であるオシュ(とぃっても私の住んでいる杉並区の半分ほどの人口しかないが)に移動する。乗合タクシーだと丸1日近くかかるが、飛行機だと小一時間の移動で済んでしまう。標高はビシュケクをやや上回る程度なのでやはり暑い。ビシュケクがキルギス族主体なのに対して同じモンゴル系ではあるが、ウズベク族主体であり、両者は争いが絶えないらしい。それならばウズベキスタンに編入されてしまえばいいように思うが、そうもいかない事情もあるに違いない。 ホテルに荷物を置いて昼食に出かける。地元の人がそこそこ大勢入っている店があったので、うまい店に違いないと入ってみる。ところがメニューがロシア語のキリル文字でしか書いてないので、さっぱりわからない。弱ってしまったが、しばらくして名案が浮かんだ。スマホに入っている翻訳ソフトがカメラで取り込んだ文字の翻訳もしてくれることを思い出した。英語の外、いくつかの言語はオフラインでも使えるが、ロシア語もその中に入っているのはラッキーだった。 さっそく使ってみると、ラグマンと翻訳される料理があった。中国シルクロードの新疆ウィグルと呼ばれる地方を旅行したときに良く食べた料理である。焼きウドンのような感じで日本人の口に合い、どこの店でも食べられたので、「困ったときのラグマン」と名付けていた。ウズベキスタンでは見かけない料理であるが、ここオシュは中国シルクロードとの国境線も近いだけに料理にもその影響があるのだろう。

昼食後に少し寄り道して、オシュゲストハウスに行ってみる。キルギスを訪問するバックパッカーが必ずお世話になる所で、去年レーニン峰を計画した時には、登山終了後にそこに荷物を置いて、隣国タジキスタンにも足を伸ばすつもりだったが、コロナ禍の今は国境越えはハードルが高いので、今回は断念した所である。ところが、その標識までは辿りつけたのだか、公団住宅のような建物には入口が四つあり、どこがゲストハウスの入り口なのかはわからず仕舞いであった。帰りは路地裏を通ってきたが、お店にはシルクロードらしく果物が満載である。スイカのように見えるのは瓜だそうである。街中からはオシュの景観として名高いスレイマー山も見えるが、この暑さでは登る気も起きない。

夕食には昨日行き損ねた中華料理店に入る。麻婆豆腐を注文したが、出来ないというのでチンジャオロースに変えたものの、物凄い量で食べきらずに残してしまった。

前回のブログでドバイに入国せずに済むので、帰国後の隔離が緩和されるかもしれないと書いたが、これは間違いで、キルギス自体がデルタ株流行地に指定されていて、しかもドバイよりも重い十日間の施設隔離(及びその後の四日間の自宅隔離)となっていることが判明した。マスクをしている人が少ないために感染が抑えられているかのように錯覚してしまいがちであるが、キルギス全体でも東京都の人口の半分以下であるにもかかわらず、東京都とほぼ同じ人数の感染者数があるのはたしかにすごいことである。ワクチン接種済みの自分の感染リスクはほとんどないと思われるが、用心をこしたことにはない。もっとも十日間の施設隔離はそんなこともおるうかと、仕事用のノートパソコンまで持参してきているので全く影響はない。強いて云えば、その間は酒が買えないのが痛いだけであるが、キルギスで購入して荷物の一部として運んでくる方法はある。二週間の登山期間中は高山病予防のために禁酒となるので飲酒の習慣はなくなってしまうかもしれないが

明日からはネット環境はないようなので、2週間程度は投稿はできなくなる見込みです。

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2021年7月23日 (金)

キルギス入国

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久々の海外であるが、コロナの影響で成田エクスプレスはガラガラ、空港も閑散としていて日本人客も少ない。オリンピック自国開催時であり、緊急事態宣言もでているというのに海外に行こうというのは非国民か!?いやいやこんな時にオリンピックを開催しようとする奴らこそ、国民の命を危険にさらす国賊といってよいだろう。それはともかくとして、チェックイン後にレストランのフロアに行ったら軒並み閉店でマックしかなく、最後の日本食を楽しもうという目論みは崩れ去った。それどころか、バーガーを食べてる途中でシャッターが降ろされて通路のベンチに追い出された。チェックインに手間取っていたら食事にもありつけないところであった。もっともチェックイン自体はスムーズにいったものの、キルギスからドバイへの帰国便がキャンセルになったとのメールが今朝届き、代替便については不明だったため調べてもらうのに多少は時間がかかったのだが。結果は代替便は翌日の早朝便であることがわかり一安心する。

ドバイ行きの飛行機もがら空きで、混雑してたら食事は抜こうかとも思ったがその心配はなかった。出発まもなくの夜食はとらなかったが、ドバイ到着前の朝食はしっかりと食べられた。また一人で2~3席を確保できるのでビジネスクラス並ではないにしてもそこそこは快適に眠ることもできた。

ドバイ空港に到着したのは夜明け前であったが、成田空港と違って人出が多くお店も活気があった。ドバイ空港にはプライオリティパスがあれば無料で使用できるラウンジがいくつかあるが、今回利用したターミナルにあるラウンジは1時閉店の札がぶらささがっている。他のターミナルまで足を伸ばすと乗り継ぎ時間に間に合わなくなる恐れがあるため諦める。去年プライオリティパスを取得直後にコロナが流行して一年以上使う機会がなかったが、今回も使い損ねてしまった。もっとも帰りの乗り継ぎ時には丸一日近く時間があるのでラウンジのハシゴもできそうだ。実は当初の帰国便のドバイ乗り継ぎ時間は10時間ほどだったのだが、成田行きの便がキャンセルされて翌日の便となってしまったためにドバイ宿泊を余儀なくされたところ、キルギス発の便も翌日に変更されたためにドバイ宿泊が不要になることになった。デルタ株流行地とされるドバイ入国がなくなったので、成田帰国後の施設隔離は免除されるかもしれないが、状況は流動的なのでなんとも言えない。

ターミナルはずれにあるキルギス行きの搭乗口まで行って出発を待つが、不覚にも眠りに落ちてしまった。気がつくと周りには誰もいなくなっている。その時、頭をよぎったのは井上靖の小説で居眠りしたために科挙の試験が受けられずに運命が一変した主人公のことである。すぐに我に返って時計を見ると、出発30分前であった。20分前に締切だから危ないところであった。階段を駆け下ると連絡バスはまだ発車しておらずなんとか間に合った。

キルギス行きの飛行機もがら空きで一人で三つの座席を使い、後ろは誰も座っていないので目いっばい席を倒すという贅沢な使い方である。密の心配がないので当然機内食もいただくが、同じエミレーツ航空でもローカル線扱いなのか、食事の質は少々落ちるようであった。

砂漠に囲まれた荒涼とした大地にポツンとある飛行場におりたったが、キルギスの首都ビシュケクの表玄関としては少々淋しいところである。パスポートチェックの前に陰性証明書のチェックがあり無事通過してキルギスの大地を踏み締めるこどができた。時間は2時頃ということもあり、かなり暑い。キルギスは山国なので涼しいというイメージがあるが、ビシュケクは標高700メートル程度なので暑いのもやむをえない。ただ湿度が低いのには救われる。

迎えの車で市内に向かうが、マスクをしている人がほとんどいないのには驚いた。そこそこの感染者数とは聞いていたが、改善されつつあるのか、それとも無頓着であるのか・・・。車はエージェントの事務所に寄って打合せをしてからホテルに入る。少々疲れ気味だったので体を休め、気温も下がり始めてから町に食事に出かける。

街の風景は半世紀前の日本を思わせるようであり、モンゴル系の人が多いようで日本人に似た人たちとすれ違っていると、外国にいることを忘れそうである。ガイドブックに載っていた人気レストランに行くつもりだったが、15年近く前の資料だったため、今はお目当ての店はなく、行き当たりばったりで入ったお店はメニューの料理はないものばかりで、やっと注文できたケバブは写真のように特大の物で、食べるには食べたが、しばらくはケバブは結構という感じであった。

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2021年7月18日 (日)

高所順化

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レーニン峰(7035m)の高所順化を目的として富士山登頂と頂上付近で一夜を明かすことは6月からほぼ毎週続けてきたが、最終回となる六回目はキルギスへの出発直前に富士宮コースから行うことになった。
妻がネットで評判を聞き付けて行きたがっていた富士宮北方にある船山温泉に宿泊してから富士山に向かうことにしたが、ここである計画を思いつく。それは数年前に富士山に登った時に利用した村山古道のうち、まだ歩いていない吉原から村山浅間神社を踏破しておくことである。村山古道というのは、江戸時代に東海道から富士山を登る際に利用されたもので。交通機関の発達とともに村山浅間神社から上は廃道化したものを、近年になって整備されて再び歩けるようになったものである(といっても利用する人は稀であるが)。

前回は、村山浅間神社までは富士宮からタクシーを利用したが、吉原から歩くとなると17キロ近くとなる。距離的にはたいしたことはないが、炎暑のなかを歩くのはつらいので涼しい夜間に歩くことにした。吉原をスタートしてしばらくは市街地の道を進むので古道を忠実に辿るのは難しいが、古道のGPS軌跡をネットからダウンロードしたものを読み込んだGPSに対応した地図をタブレットに保存してあるので迷う心配もない。

最初しばらくは東海道を西に進むが、名所となっている「左富士」の碑の横を通る。これは東海道を西に進むと、富士山を右手に眺めながら行くことになるが、富士山との距離が近い吉原付近では道がやや東側にカーブすると左手に見えるというものである。夜道では関係ないと思ったが、山小屋の明かりで富士山の位置が確認できるこの時期ならではのお陰で「左富士」を体験できた。

やがて市街地を抜けると上り坂となり、村山古道の指導標も要所々々に表れてくる。村山浅間神社に着いたのは夜明け前だったので、神社のベンチでしばらく仮眠を取り、明るくなってから行動を開始する。神社付近にはパス停はないが、13キロほど離れた白糸の滝からは富士宮行きのバスが出ているので、途中でバスが通っている道と合流すれば、そこから白糸の滝まではバスに乗って行けばいいやと歩き出す。

やがてバスが通っている道とは合流したが、始発バスまでは1時間待たなければならないようだったので、もうしばらくは歩くことにする。終点まで2キロ近くまで来たところで始発バスに乗り、白糸の滝に向かう。富士山の伏流水が横一面に流れ出る景観は他では見られないもので一見の価値はあるといえるだろう。
その後は富士宮経由で内船駅で妻と落ち合い、その夜の泊まり場の船山温泉に向かう。

船山温泉でのんびりと一晩を過ごした後、11時のチェックアウトまで宿に滞在する妻と別れて、9時に宿を出て富士宮からバスで富士宮口五合目に向かう。今年の富士山は吉田口ばかりだったので(前回は須走口だったが、上部では吉田口と合流)、多少は目新しい気がしないでもない。もっとも過去には何度も登っていいるコースではあるが、いずれも雪が残っている時期だったと記憶しているので、真夏に登るのは初めてかもしれない。来年の夏に小学2年生になる孫を連れて富士宮口から登るつもりなので、今回はその予行練習を兼ねることにした。

今回は荷物が軽いこともあり、コースタイムどおりに4時間で頂上に着くことができた。山小屋に泊まるのは久しぶりであるが、コロナの影響によるのか宿泊者も多くなく、娘が小学生の時に富士山に連れて行った時のようなすし詰め状態を味わうことがなかったのはラッキーだった。ただ7時消灯というのは普段と生活パターンが違い過ぎていて、かえって安眠ができなかった。

翌日は今年の富士山では初めてとなる経験をいくつかすることができた。まずはご来光である。今までは梅雨空で縁がなかったが、梅雨明け直後だったせいか久々のご来光を見ることができた。次はお鉢巡りである。これも過去5回は天候が悪かったせいもあるが、下りを考えると時間を割けなかったというのが本当のところである。そしてお鉢巡りの副産物とも言えるが、富士山の最高地点となっている旧測候所にも足を伸ばすことができた。

下りは富士宮をそのまま下るのは能がないし、早く下りすぎてしまうので、宝永山経由とすることにした。宝永山は江戸時代に大災害をもたらした噴火の名残で、御殿場口から富士山を往復していた時から気になっていた山である。ただそうでなくても長いコースの御殿場口では宝永山に寄り道するのは難しいため登らず仕舞いとなっていたのだが、御殿場口を七合目まで下ってから宝永山方面に分岐し、山頂から富士宮口へつながる道があることを知って、行ってみることにした。

ほぼ順調に行動でき、圧倒的な火口壁も眺めることができたが、唯一の誤算は七合目から宝永山への分岐点までの道が前回の須走口同様に小石混じりの砂道だったために靴の中に砂と小石がたくさん入ってしまったことである。須走口の時はそれに備えてスパッツという靴覆いを用意していったのだが、今回は想定外とななってしまったのは調査不足のためであった。それでも午前中には五合目に下りられ、各駅停車でも明るいうちに帰宅することができた。

今回を含めた六回の富士山頂上付近での宿泊により、四千メートルくらいまでの順化は終わっていると考えられるが、従来は三浦雄一郎さんの低酸素室で六千メートルまでの順化を行っていたのが、コロナによる需要減で休業となって利用できなくなってしまったのは痛い。そのため、従来は利用してこなかった高山病の薬を処方してもらえる医療機関を探し出したので、出発前に行ってみることにした。

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2021年5月 8日 (土)

ストックシェルター

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今までは山登りに際しては、キャンプする場合はテント(写真の緑色の物は一人用の本体とポール)、キャンプしない場合は非常用のツェルト(写真の黄色の物が本体で青の物が張り綱)を持参していたが、テントは10年近く、日数では100回をはるかに越えて使用していたため、そろそろ買い替えを考えていた。そこで思いついたのが、日本アルプスを舞台とするトレランレースで使われているストックシェルターである。写真のオレンジの物がそれで、畳んだ大きさはテントよりはるかに小さく、ツェルトと大差ない上、2本のストックをボール代わりとして、前後をペグで留めるだけで簡単に設営できるという優れ物である。テントに比べれば居住性は落ちるが、足も伸ばせるし一定の空間も確保できるので、ツェルトよりも格段に居住性はよいようである。

テントと比べての大きな弱点は防水性が乏しいことである。雨の日は雨漏りは避けられないだろうし、雨が降らなくても寝ている間の結露でテント内が濡れる可能生も高いだろう。濡れがどの程度になるのかは、実際に経験してみないとわからないので、経験してから対策を検討してみたいと思う。対策としてすぐに思い付くのは、テントの中で傘をさすことである。ただ、傘の骨の先端でペラペラの布地に穴を開けてしまうリスクがあるため、先端部分に付けるキャップがあればいいのだが

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2021年5月 1日 (土)

GPS地図の添付

登山やサイクリングの際にはGPSロガーを携帯してログを取っているが、その軌跡を記入してある地図をとりあえずは過去1年分についてブログに追加してみた。ブログを後で読み返した際に、行程を文章で読んだだけでは記憶が薄れるとともにわかりにくくなる可能性があると考えたからである。今後は新たなブログを投稿する際や、古いブログについても軌跡入りの地図を入れていくつもりだ。

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2021年4月 7日 (水)

蛾ヶ岳と高川山

山梨百名山の登り残しの登頂を目指して、まずは93座目の蛾ヶ岳に向かう。始発電車で乗り換えをくり返して身延線の市川本町に8時過ぎに到着。ここから蛾ヶ岳に向かう尾根に取り付くつもりだったのだが、登山口がわからず、やむをえず自動車道をしばらくそのまま進む。標識には四尾連湖まで12キロとあり、蛾ヶ岳のすぐ近けにある湖まではこのままでも行けるのであれば、それでもいいかなとそのまま進んでいく。ところが小1時間ほど歩いた時に予定していま尾根道の方に向かって道が伸びておりテープや踏跡もしっかりついているので、尾根道に続く道かもしれない〈誓っていれば戻ればいいや〉と考え、半信半疑ながら進んでみる。しばらく行くとその道は木材伐採用の道であることがわかり引き返そうかと思ったか、左側の斜面が登りやすそうに思えたので、目的の尾根道まで登ってみることにした。

 

1時間ほど登って尾根道まで達することができたが、最初から正しい尾根地を行った場合と比べると30分以上は余計に時間がかかってしまったようである。途中まで歩いていた自動車道が四尾連湖まで通じているので、蛾ヶ岳に登る人はほとんど四尾連湖から登るだろうから前回の十谷峠の時と同様に尾根の末端からの道は荒れているかもしれないと思ったか、予想に反してしっかりした道であった。しかも尾根上のコブはすべて巻き道で通貨するようになっていたので、体力的にも楽な道であった。

 

蛾ヶ岳の手前で下山してくる女性二人とすれ違う。こんな地味な山に平日に登ってくる人はいないだろうと思っていたか、四尾連湖から登れはお手軽な山になるのだから、結構人気のある山なのかもしれない。蛾ヶ岳は山頂に着いた時にちょっとしたサペライズがある。それまでは南アルプス方面だけの展望しかないのだが、頂上にでた途端に反対側に富士山の雄大な山容が間近に眺められるからである。頂上で360度の展望を楽しんでから下山に移る。帰りは四尾連湖経由で下り、コースタイムよりもだいぶ早く下ったが、先程の女性パーティーには追いつかなかったところをみると、やはり四尾連湖から帰ってしまったのかもしれない。下りの最後のところでは地図の道とは違って東側に下っていたので、登りの時には見つけられなかったようだ。登山口の標識もなかったのは、四尾連湖から登る人がほとんどであるからのようだ。
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市川本町駅に戻って四時前の身延線に乗ることはできたが、94座目となる高川山の登り口となる初狩駅に着くのは5時半を回ってしまうことになり、一般的には山に登り始める時間ではないので、どうしたものかと思案したが、高川山さ1時間ちょっとで登れるハイキングの山であり、そんな山をわざわざ登りに来るのも面倒なので、ナイトハイクのつもりで登ってしまうことにした。

 

初狩駅を出発した時はまだ明るかったが、途中で暗くなることは明らかだったので、最初からヘッドランプを装着し、夜になると熊の活動が活発になるようなので、笛と鈴に加えて掛け声まで出して万全を期して登りだす。結構気合を入れて登ったにもかかわらず、頭頂には1時間半を要してしまった。予定していた1時間経っても頂上に着かないので焦り始め、暗くてまわりの状況が把握できないので、最後はGPS,地図と首っ引きで「頂上まであと標高差何メートル」と心の中で叫び続けることにより何とか気持ちをコントロールして頂上まで辿り着かせることができた。その代わり、頂上では中央線沿線の素晴らしい夜景を楽しむことができた。
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下りは1時間程度で下れるだろうと踏んで、その時間の上り電車を調べると、丁度1時間後に出発する電車があったので、それに間に合うようにペースを上げて下りだした。かなり下ってホームの灯りが見えてくるあたりまで降りてきた時点では、その電車に間に合うことを確信していた。ところか、どこでどう間違えたのか、無人の改札を通り抜けてホーム下の地下道を渡っている時に、電車のドアが閉まる音が聞こえて、30分後の電車まで待たなければならないことになった。一瞬ガッカリもしたが、よく考えて見ると、あのまま電車に間に合った場合には、途中で食料を買うこともできず、都内に戻ってからは9時過ぎになっているだろうから時短で飲食店も閉まっているという事態もありえたのだが、電車待ちの時間ができたおかげで、駅近くのコンビニで酒と食料を調達でき、電車が来るまでに食事も済ませるという待ち時間の有効活用もできた。「万事、塞翁が馬」と昔の人は上手いことを言ったもんだ。

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2021年4月 1日 (木)

十谷峠

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山梨百名山の源氏山と富士見山はアプローチが長い上に分かりにくいのだが、源氏山は丸山林道経由がメインコースということがネットでわかったので、鰍沢口駅から丸山林道に向けての最短路を行こうと思ったら、すぐに砂利道となったので、これはまずいと引き返す。自動車モードで検索すると南から回り込んで行くようになっていたので、その道を進むが、どうもその道は富士見山の登山口付近を経由して行くようなので、急遽富士見山に目標を変更する。十谷の集落の駐車場に自転車を停めて登山口に向けて歩きだす。

 

5万図によれば富士見山登山口は温泉の裏手となっているが、あたりを探しまわっても一向に登山道は見当たらない。よーく観察するとかすかな踏跡らしきものはあるので、それを伝って登っていくが、およそ登山道とは言えない悪い道である。登りやすい所を選んで登って行くが、行程は捗らず時間ばかりがすぎていく。しばらくして林道を横切ったので、道が良くなるかと期待したが、相変わらずはっきりとしない踏跡が続く。

 

代わり映えしない登りが続いて少々飽きてきたが、尾根道の先にガードレールが見えてきたのでひと頑張りで自動車道に出て、右に少し登ると十谷峠であった。この時に気付いたのであるが、十谷峠までの登山道が悪かったのは、富士見山を登る人は車で十谷峠まで上がってから歩きだす人がほとんどで、下から登る人などはまずいないためだからだろう。

 

峠からは富士見山まで90分と表示されているので、6時までには峠に戻ってこれるだろうが、それだと最終電車には間に合わなくなる可能性が大きいので、今日はここで引き返すことにした。下りは登ってきた道か、大回りしている自動車道のいずれかということになるが、前者は距離的には近いものの、あんな悪い道を下りたくなかったし、次回は自転車で峠まで登るつもりなので道路の状況を見ておきたいということもあり、自転車を停めてある所までの12キロをジョギングで降りることにした。

 

自動車道は大きく蛇行しているだけあって、勾配はそれほどでもなく自転車でも十分登れそうであった。ただ道路上はかなり下の方まで倒木と落石で通過困難な所が多く、道が整備されるまではしばらくは止めておいた方がいいだろう。秋くらいに峠までテントを上げて、翌日に源氏山と富士見山を往復してから自動車道を降りるというのがいいかもしれない。山梨百名山も終わりに近づくと大変な所ばかりが残ってくる。源氏山と富士見山もそうたが、日本第二の高峰である南アルプス北岳の裏側にある小太郎山もなかなか登るのが大変そうである。

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2021年3月27日 (土)

達沢山ほか

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今回も山梨百名山であるが、達沢山と高川山はいずれも以前に計画しながら登れず仕舞いとなっていた山である。まずは達沢山であるが、以前に同じく山梨百名山の大栃山と釈迦ケ岳を登った際に一緒に登ってしまうつもりだったのだが、時間切れで登れなかったものである。ただ前回は登山口までの緩やかな登りを2時間近くかけて漕いで行ったものを今回は甲府から河口湖に向かうバスを利用したので、30分くらいで着くことができた。

 

立沢で下車して達沢山に向かう林道を1時間ほど登ると林道は終わり、左側の斜面を登っていくことになる。ここから先は5万図には道の表示がないのだが、ネットで見ると登られてはいるようであり、テープもある程度はあるのだが、踏跡は不明瞭であまり登られてはないようだ。予定ではバス停から1時間ちょっとで登頂できるだろうと思ったのだが、結局は2時間近くかかってしまった。

 

思いがけず時間を要してしまったので、立沢のバス停から2時間で往復してぎりぎり間に合うバスで石和温泉に戻るという目論見か外れたが、このまま同じ道を戻るとなると、バス停で次のバスを1時間半近く待つことになりそうだし、林道まで降りる道もあまり良くない道であるのに対し、達沢山から尾根を西に延びる道はしっかりした道で快適な尾根歩きを楽しめそうだし、尾根の途中からバスの通っている道に降りる道も5万図に記載されていて、時間的にも十分に次のバスに間に合いそうなので、急遽予定を変更することにした。

 

麓の集落を眺めながら行く稜線歩きは低山歩きの楽しさを満喫させてくれるものであったが、稜線を離れて自動車道に向かって急降下するあたりから状況は一変する。GPSで確認する限りは5万図上の道を降りているはずなのだが、テープも踏跡もないので廃道となってしまった道を降りているのかもしれない。と言っても、下降自体には問題はないのだが、眼下の集落が間近にあるにもかかわらずちっとも近づかずに時間ばかりが過ぎていき、次のバスに間に合うかどうかが微妙になってくる。

 

ようやくバス停まて辿り着くと、通過時間を10分ほど過ぎている。バスは多少は遅れてくることもしばしばなので、しばらく待ってみるが、一向に現れないので、次のバスまでさらに1時間半近く待たされることが避けられなくなった。これで、もう一つの百名山を今日登ることは不可能になったが、こんなことなら稜線をそのまま歩いて中央線の駅まで行けばよかったと思ったが後の祭りである。

 

次のバスは通過時間を過ぎてもなかなか来ず、15分近く遅れてやっと来たが、前のバスもこのくらい遅れてくれれば間に合ったんだけどとグチもでてしまう。もつとも石和温泉駅でのバスと電車の接続が悪く(18切符利用のため接続している特急には乗らなかっただけのことであるが)、石和温泉駅では30分以上の待ち時間があったので焦ることもなかった。そして遅れて到着したにもかかわらず駅前の足湯につかりながら、ビールを飲むという経験も味わうことができた。

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電車に乗り込んだのはまだ4時前であり、こんな早い時間に山から帰るのは珍しいのであるが、今日はこの後にもう一つの目的があったのである。それは毎週金曜夜に首相官邸前で開かれていて、私も時々参加していた原発反対の集会が本日をもって最終回になるというので、それに参加することである。原発事故直後には20万人も参加して官邸前の道路を完全に封鎖してしまったこともあったが、熱しやすく冷めやすい国民性からか、次第に参加者が減ってしまって100人前後までに減ってしまったため、運動の行き詰まりを生じてしまったからであろうか。もっとも最終回ということで、今回は久々に千人以上の参加者があったが、運動を継続させることの難しさを考えさせられた。

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2021年3月24日 (水)

千頭星山と日向山

緊急事態宣言のために夫婦旅行のキャンセルが続いたが、ようやく解除されたので、大手を振って出かけることが出来るようになった。そこで感染リスクの少ない地域で手近でもあるところとして、甲府のひとつ先の竜王にある神の湯という温泉に一泊することにした。ここは以前にも一回泊まったことがあるのだが、住宅地の中にポツンと1軒だけ温泉宿があるという変わった立地で、甲府の夜景が売り物となっているようだが、とても100万とは言えないかなりショボイ眺めである。その代わりと言うか、富士山、南アルプス、八ヶ岳、奥秩父と山の眺めはすばらしい。前回は秋だったので、今度は雪をいただいた峰々を眺めてみたいという願いを実現することになった。

ついでに山梨百名山の千頭星山(90座目)と日向山(91座目)の登頂も行うことにしたので、私一人だけで始発で韮崎に向かう。途中何回か乗り換えがあり、特に大月駅では乗り換え時間が3分しかないので、乗り換えには注意をしているつもりだった。ところが不覚にも大月到着直前で睡魔に襲われて大月駅では寝過ごして乗り換えに失敗!次の電車に乗ったため30分弱の遅れとなってしまった。この時は30分くらいの遅れはどうにでもなると思ったのだが・・・

千頭星野の手前には甘利山という同じく山梨百名山の山があり、南アルプス前衛の山として有名だったので数年前に登ったのだが、当時は山梨百名山には関心が無かったため、奥まったところにある千頭星山まで足を伸ばそうという気は起こらなかったのは今にして思えば惜しいことをしたものである。

甘利山の頂上直下にある駐車場までは舗装道路が伸びているが、標高差にして千メートル近くを自転車で登るとなると大変な労力を要することになり、少し傾斜がきつくなると自転車を降りて歩きだすものだから、滅茶苦茶時間がかかってしまった。前回はどうだったかはブログを読めはわかると思うのだが、体力低下の事実を知るのが怖いので読まないことにしておこう。

甘利山の頂上からは千頭星山の雄大な山容が間近に望めるのだが、遠近感が取りにくく簡単に登れるのではないかと錯覚してしまった。たた実際に登ってみると一向に近づかずに時間ばかりが空費していく。さらには、雪が次第に深くなり、膝までズボズボと埋まってしまい、遅々として行程が捗らなくなる。そのため一度は途中で引返すことも考えたが、ここで悪魔の誘惑に乗ってしまった。それは同じ道を引き返すのだから、下りは踏み跡を辿ってくれば、潜ることもなく短時間で降りられるだろうというものである。

雪が降り出して展望のない頂上に着くと証拠写真だけを撮ってすぐに下山を開始する。ところが、登りの時につけた踏み跡がすぐに見失ってしまう。どうも風に飛ばされて踏み跡が消えてしまったらしい。広い斜面を下って行くので、踏み跡なしでは登りの時のルートが全くわからない。そこでやむをえず、正しいと思われる方向に向かって降りていくのだが、登りとは違う所を下って行くので、登りの時ほどではないが潜ってしまい、思ったような速さでは降りられなかなってしまった。

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1時間ほど格闘して6時頃に甘利山まで降り立つことができた。これで帰りの時間もある程度読めるようになったので、妻に電話して夕食の時間には間に合わないので先に食べてもらうよう伝えた。
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後はわかっている道を進むだけなので気は楽だが、宿まではなかなか遠かった。ようやく宿まで辿り着いて妻に電話すると、感染予防のために手配しておいた部屋食が後10数分で片付けに来るという。急いで部屋に向かい、10分程度であらかたの料理を食べて片付けにはなんとか間に合う。朝の寝過ごしによるタイムロスの付けを思わぬところで払わされる羽目になった。

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翌日は日向山に向かうので、チェックアウトまで宿でゆっくりする妻と別れて竜王駅に向かう。中央線で日野春駅まで行き、ここから登山口のある駒ケ岳神社に向かう。ところか、神社の手前で林道が分岐していて、その終点から登るのが今は普通になっているようなので、標高差は400メートルほどあるが頑張って登ってみる。終点には何台か車が停まっていて人気のある山のようである。

昼食を食べていると数パーティーが下山してくる。だいぶ出遅れてしまったことになるが、標高差600メートル弱の登りなので、ゆっくり登っても1時間半もあれば登れるだろうと見当をつけて登りだす。途中には1から10までの番号がふってあるし、樹間からは鳳凰三山や甲斐駒ヶ岳が眺められるので、退屈せずに頂上に着くことができた。

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頂上は樹木に覆われているので、360度の展望というわけにはいかないが、樹間から甲斐駒ヶ岳が間近に見れるのは嬉しい。急登を重荷に喘いだ黒戸尾根や赤石沢奥壁、摩利支天中央壁、黄蓮谷と言ったバリエーションルートも懐かしい。特に真正面に見える黄蓮谷は実際に登ったのは雪のない時期だけであるが、冬のアイスクライミングも何度か計画しながら、登らず終いだったことは残念であった。
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展望を楽しんだ後、下山に移るが、登山口まではすぐであった。そこからは自転車で釜無川まで一気に下降する。日野春駅よりも長坂駅の方が近そうなので、そちらに向かうことにするが、数百メートルの標高差を登らされるのにはまいった。それでも6時前には駅に着き、無事に目標達成を祝ってビールで喉を潤した。。

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2021年3月19日 (金)

棚横手山・源次郎岳

山梨百名山も未踏峰は残り少なくなったので、1日で三座を登ってしまって90の大台に乗せるつもりで出かけたのだが、甲斐大和駅に着いてバス停の時刻表を見ると、何たることかバスの運行は4月からと表示されている。ホームページにはそんなことは書いてなかったぞと文句をつけたかったが、文句を言う相手もいないので善後策を考える。その結果、登る順序を逆にして下山予定駅であった勝沼ぶどう郷駅から棚横手山に登り、そこから北上して源次郎岳を目指し、源次郎岳からはまた勝沼ぶどう郷駅に戻ることにした。三座目の高川山は次回に回すことになるが、やむを得ないと考えた。

 

棚横手山は歩いて行くとなると長い林道歩きを余儀なくされる。一番大きく迂回する箇所はショートカットできないかと思ったら、沢を横断する箇所で沢沿いに踏み跡があり赤テープも続いていたので、ショートカットをすることにした。しばらく登ると、左側のかなり上部にガードレールが見えたので、このまま沢沿いに行くよりも林道に這い上がった方が早いのではないかと考えたため、沢を離れて林道を目指すことにした。登るにつれて足場が悪くなってきたため慎重に登って林道に這い上がる。このショートカットは距離的にはともかく時間的にもショートカットとなったのかどうかはなんとも言えない気がした。

 

林道をしばらく進むと登山道の分岐点があり、そこをしばらく登ると稜線に出て棚横手山は眼の前であった。棚横手山は富士山を正面にした展望の良い山で山梨百名山に選ばれているのも納得できる。残念ながら逆光のため富士山の写真は撮れなかったが、登頂の証拠写真だけを撮って源次郎岳を目指して北上する。

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大滝山までは稜線通しに行くが、その先をしばらく下降すると舗装道路に出て、源次郎岳直下まては緩い登りが続く。やがて嵯峨塩温泉から登ってくる道と合流するが、その道は当初の計画では午前中にバス降車後に登ってくる予定の道であった。ここまで来ると源次郎岳までは目と鼻の距離なのだが、結構アップダウンがあって思いの外時間がかかってしまった。
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源次郎岳から勝沼ぶどう郷駅までは8キロ近い距離かあるが、まだ3時前なので、久々に明るい時間に下山できそうである。途中で5万図では尾根道と沢沿いの道に分かれるようになっており、距離的には後者の方が短いのでそちらを選択するつもりであったが、沢沿いの道と思われる所にはテープも明瞭な踏跡もないので廃道になってしまったのかもしれない。ただよく観察すると、所々に踏跡らしきものはあり、地図で判断する限りは悪場もなさそうだったので下ることにした。比較的順調には下れたものの思った以上に時間がかかってしまい、朝方と同様に尾根道を行くよりも早かったかどうかは?のままであった。

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