2021年10月12日 (火)

三方分山

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山梨百名山98座目は三方別山である。この山には何回か計画を立てながら、いずれも挫折している。それは、この山が難しいからではなく、逆に易しいために、他の山を登ったついでに登ろうとして、時間が足りなくなって登らず仕舞いが続いていたというのが本当のところである。そこで今回初めて、この山だけを単独で登ってみることにした。

 

山梨百名山登山でよく利用した身延線を今回も利用する。芦川駅から三方別山登山口までは11キロあるがバスは走ってないので、またまた自転車利用となる。ただその区間の標高差は200メートル程度なので、この位であれば、私でもさほど苦にならない。

 

地図上の登山口には11時過ぎに着いたが、登山道が見当たらない。地図で登山道が始まっている場所は民家(廃屋? )の庭先で、無断で立ち入ってみたか、行き止まりとなっている。やむをえず、少し下流まで行って見ると、駐車場の横に細い道が続いているのを発見。辿ってみると、上の方まで続いているので、どうやら登山道に間違いないらしい。

 

急な登りを2時間ほど続け、そろそろ釈迦ヶ岳が近いかなと思う頃に林道に飛び出す。五万図には記載されてない道だ。しかも、そこから先は地図には書いてある稜線上の道が見当たらない。やむをえず林道を進んでいくと、山頂を巻くように尾根を乗越すところに梯子がかけてあって、釈迦ヶ岳、三方別山方面と書いてある。林道をそのまま進んでも三方別山に続く稜線の鞍部に出られる気がしたが、なにしろ林道は地図に載ってない道なので、標識通りに進むことにした。

 

急な登りは釈迦ヶ岳直下の稜線まで続いていた。稜線を左に行くと釈迦ヶ岳山頂のようだが、気がせいていたのて、右に進んで三方別山を目指す。鞍部まで少し下ると、すぐ下に林道が見えてくる。林道まで下る道もあるようなので、帰りは近道を取ることとしよう。鞍部からの急登が傾斜を落としてコースが左に曲がったところに登山道という標識がある。帰り道の時にコースを右折せずに直進して尾根を取り違えてしまうという間違いをしやすい要注意の場所である。

 

ここまで来ると山頂は目前である。最後の急登を終えると98座目の山梨百名山の三方別山の頂上である。登山口からの標高差が900メートルちょっとなので3時間くらいで登れるかなと思ったが、休憩時間も含めて4時間近くかかってしまった。晴れていれば精進湖方面の展望も期待できたが、あいにくガスに覆われていて全く展望もなかったので、明るいうちに下まで下りたかったこともあり、早々に無人の頂上を後にする。

 

下りは先ほどの注意点を守り近道を通ったこともあり2時間で下山できたが、最後の所では足元が悪かったので念のためにライトをつけて下ることにした、登山口から芦川駅までは11キロで下り一方なのて、40分くらいで下れると思ったが、夜道を安全運転て行ったため1時間もかかってしまった。おかげで身延線の待ち時間が10分しかなく、自転車をばらすのにかなり焦ってしまった。

 

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2021年10月 5日 (火)

東海自然歩道 愛知県北部四日目

昨日、乗車したバス停まで行ってから、今日の行程が始まるが、そのバスは一時間に一本しか出てないので、頃合いを見てホテルを出発する。ついでに不要な荷物も駅のコインロッカーに預けておく。

 

バスを下車して勘八峡までは、GPS対応の地図とにらめっこしてようやく行けたが、次の広瀬までは完全に間違ってしまった。というのは広瀬方面に向けて北上していると、右側に東海自然歩道の 矢印があったので、広瀬方面の道であろうと歩を進める。しばらくは何の疑いもなく進んだが、どうも方向が東の方に向かっているようでおかしいと思い、次の標識をよく見てみると、行先が昨日、通行止めで行けなかった峠の先にある地名であることに気付き、反対方向に向かっていたことが判明する。昨日、正規のコースを進んでいれば、こんな失敗はしなかったろうに、約一時間のロスであった。

 

どうも、この失敗で意気消沈してしまい、広瀬を経由して猿投神社まで行く正規のコースはパスして、猿投神社までは最短経路で 行くという安易な方法を取ることになってしまった。もっとも30度近い炎天下の車道を行くのも楽ではなく、熱中症にならないように気をつけながらの道中であった。

 

猿投神社に着くと、かなりの車がとまっており、大半は猿投山に登山する人のようであった。神社から猿投山までも自然歩道となっており、神社まではズルをしてしまったので、ここは気合いを入れて登ろうとしたので、コースタイムが2時間10分のところを一時間半で登ることかできた。

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自然歩道は雲興寺に向けて西に延びているので、そちらに足を踏み入れたが、こちらには向かう登山者はほとんどいないようである。今日は雲興寺まで行く時間はないので、途中から自然歩道と離れて最寄りの駅までの長い々々車道歩きをして、ひとまず東京に戻ることにした。

 

今回は一日も自然歩道を完歩することができなかったが、ポイントとなる地点は繋げることはできたので、それでよしとしよう。

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2021年10月 4日 (月)

東海自然歩道 愛知県北部三日目



今日の行程は短いので朝寝をしてしまったため、出発は10時となってしまった。ホテルの前の道が自然歩道のコースとなっているため、そのままコースを進んで行く。途中で自然歩道は右側の小道を下りて行くようになる。暗い感じの道であまり気が進まなかったが、昨日は最後の自然歩道をパスしてしまった負い目もあって、自然歩道を選択する。ところが、これが悪い道で、ぐちゃぐちゃして崩れやすいところがあったり、薮っぽいところでは虫が多くて、何カ所も蚊に刺されてしまった。選択を悔やんだが、途中でコースアウトは出来ないので、1時間以上の時間をかけて上の自動車道との合流点まで進む。上の道を行ってたら、もっと楽かつ早く行けただろうに。

橋を渡って対岸の大島というところに渡り、地図と標識を頼りに自然歩道の道を進んでいくが、峠への登り口に「崩壊のため、峠には通行不可」の表示があってガーンである。迂回路についての説明はないため、自分で迂回路を探すしかない。南回りのコースを行けば良さそうなので進んで行くと、「東海自然歩道迂回路」の表示はあり、一応正しい道は進んでいるようだ。

 

夏空の下、車道を荷物を背負って(といっても10キロ強程度だが)3時間近く歩くのは辛いものがあったが、夕方近くになってようやく自販機のある所に辿り着いたので、遅い昼食を摂り、動物園もある鞍ヶ池公園の先にはコンビニもあったので、アイスクリームを買って火照った体を冷やした。

 

当初の予定では、勘八峽近くの公園にテントを張って泊まるつもりだったが、暗くなる前に勘八峽に着きそうだし、観光地の近くで早々とテントを張るわけにもいかず、深夜までとなると時間を持て余すことになるのでので豊田市までバスで移動して、駅近くのホテルで泊まって、翌日に勘八峽まで戻って自然歩道歩き再開することにした。ついでに豊田市のコインロッカーに荷物を置くことにより、最終日は軽装で行動することも可能となった。となると、今日中に勘八峽まで行く必要はなく、豊田市からのバスが通る停留所まで行って豊田市に向かえばよいことになった。

 

と言うわけで、豊田市駅に早い時間に着いたので、ホテルでシャワーと洗濯をした後、ホテル近くの居酒屋で一年半ぶりに飲食を行った。店内は若い人中心に盛況だったが(三密というわけではなかったが)、勘定してみて盛況なわけがわかった。そこそこ飲食したにもかかわらず、二千円でお釣りが来たのである。

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東海自然歩道 愛知県北部二日目

初日の通行止めによる行程遅れ2時間の回復は、本来は残りの三日間で均等に負担すればよいのだが、ホテルを予約している関係で、二日目にホテルまで到達していなければならないということで、1日だけで回復しなければならないことになってしまった。しかも回復すべき時間は2時間にとどまらない。当初の予定では、寧比曽岳(1120メートル)の山頂付近まで登ってテントを張るところだったのが、夜間に途中まで登るのも億劫になって、池のほとりにテントを張ってしまったため、実質的な遅れは4時間となってしまった。その割りには出発時間は5時とそれほど早くはならなかった。

 

寧比曽岳は高度はあまりない割りには登る距離は長い(つまりダラダラ登りが続く)ので、コースタイムでも3時間半となっているが、古傷の左足の関節が温まるまではゆっくり歩いたために登頂まで4時間半もかかってしまったために先行きは多難であった。寧比曽岳の頂上はかなり賑わっていたが、これは頂上近くの北側に道路が通じているため、そちらからの登山者が多いのだろう。

東海自然歩道は頂上から西に延びているが、そちらに足を踏み入れると、途端に人の気配がなくなる。金蔵連峠までは3時間近くかかるが、今日の行程の時間だけで考えれば、やっと半分に過ぎない。峠には車が数台停まっており、ここから寧比曽岳までピストンする人も結構いるようだ。ここで下山できる人がうらやましいが、先を急ぐことにする。

 

峠から綾渡集落までは2時間程度かかるが、集落の手前で自動車を横切るところで思案する。このまま自然歩道を進むと香嵐渓までは4時間近くかかるが、この自動車道を進むと3時間近くである。自然歩道の方が距離的には短いが、アップダウンが多くて1時間多くかかる計算となり、現在の時間3時半からすると自然歩道を選択すると途中で日没となるのは目に見えているので、自動車道を選択することにした。自然歩道をまた離れてしまうことになるがやむを得ない。

 

長い長い自動車道歩きを続けて香嵐渓に着いた時は真っ暗になっていた。自然歩道の出口を通過したが、あのまま自然歩道を行ってたらどうなっていただろうかと考えてしまった。今夜のホテルは香嵐渓の中心からさらに30分以上も歩かなければならない所で、今日の行程時間は休憩も含めて15時間というハードなものであった。

 

 

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2021年10月 2日 (土)

自然歩道 愛知県北部 1日目

緊急事態宣言明け、台風一過を狙って東海自然歩道の愛知県北部踏破に出掛けたのが、出鼻をくじかれてしまった。

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というのは、前回のゴールの田口バス停から西に向かって歩きだしたのだが、すぐに「道路工事のため東海自然歩道は巻き道を進んでください」との標示が飛び込んでくる。富士川から西に向かった時も同じような状態があり、自然歩道のための巻き道が作られていたので、今度も同じだろうと思っていたので、通行止めの標示の所にいる係員に巻き道について聞くが、わからないという。どうも自然歩道利用者のための巻き道はなく、既存の道を利用して巻くしかないらしい。そこで地図を調べると、北側の道から行けないこともないが、大巻き道となってしまい、どれだけ時間がかかってしまうかわからないという有り様だ。しかし、他に行き方かない以上は、そちらから行くしかない。初日だから、明日以降で遅れは取り戻せるだろうと気を取り直す。

 

結局、二時間近く余分に時間をかけて、自然歩道に合流することができた。そのため、今日登ろうと思っていたピークの登り口近くまできた時に暗くなってしまったので、池のほとりにテントを張ってしまった。

 

どうせ明日は早くから目が覚めるだろうから、暗いうちから登って、日の出をみながら登頂することにしよう。

 

 

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2021年8月29日 (日)

強制隔離

いよいよ十日間の強制隔離がはじまる。

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デルタ株流行国として指定された国からの帰国者に対する取扱は次のようになっている。

デルタ株流行国として指定された百カ国近い国からの入国は原則禁止となり、帰国者は例外的に次の条件を守ることを条件に帰国が認められることになった。
・出発72時間以内に献体採取したPCR検査についての陰性証明書(厚労省所定の書式を含む)の提出
・誓約書の提出、健康状態や現在地を報告するアプリのインストールと隔離期間中の報告
・空港での抗原検査が陰性であること
・10日間の施設隔離とその間の3回のPCR検査で陰性判定が得られた場合の公共交通機関を利用しない自宅への移動と四日間の隔離

71年生きてきて幸か不幸か塀の中で暮らした経験はなかったが、今の生活はそれに近いのではと思えてくる。飲酒が禁じられていることはまだ我慢できるが、部屋を一歩も出られないというのが、非常にストレスになっている。その結果、外部とのつながりらしきものはネットやテレビを除くと、窓から見える空港の景色だけである。隔離されているホテルは成田空港第三ターミナルに隣接しており、朝は日の出を臨め昼間は広大な空港が一望でき、夜になれば滑走路灯が幻想的な美しさを見せる。そして昼間は出払ってた飛行機が翼を休めに戻ってくると、我が子が帰ってきたようにホッとした気分にさせてくれるから妙なものである。

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部屋から見える日の出
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同じ経験をされる方のために参考となることを書いてみる。ただし、私の滞在した東横イン成田空港についての経験だけなので、他施設では違う取扱がされる可能性があることは承知ください。
・提供される弁当について私自身は特に不満はないが、それ以外には食料は調達できないので(出前も認められていないようだ)、嗜好品等を希望する人は出国前に用意するか、家族等に差し入れ(酒は没収)を頼む必要がある。
・テレビは利用できるが、テレビに組み込まれているオンラインビデオは利用できないようになっているので、時間つぶしの方法を考えておいた方がよい。
・健康状態報告や現在地報告が毎日義務づけられているが、それとは別にビデオ通話への応答が不定時に求められている。これに応じると、こちらの様子が相手方に筒抜けとなるので、それが気になる人は、慌てて応答せずに身だしなみを整えてから応答するか、普段からあまりリラックスしすぎないようにすることも必要かもしれない。

日々の生活は三食の弁当が最大の楽しみであり(だんだんと飽きてはくるが)、後はテレビとネットで時間つぶしはできる。特にkindleで本のダウンロードができるのはありがたい。さわりの部分だけならば無料なので立ち読み感覚で読めるのが良い。

そうこうするうちに(といっても長い時間だったが)強制隔離最終日である十日目の朝が来た。7時前にPCR検査の採取容器が配られる。ホテル隔離後、三日目、六日目に続く三回目の検査である。キルギス出国直前の検査から数えると、二週間の間に五回の検査である(うち一回は成田空港での抗原調査)。検査はこれでおしまいにしてほしいものだ。

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朝食後にゆっくり風呂に入ってから荷物の整理を行う。これでいつでも退所できる準備は整った。その後に昼食として入所後30回目となる弁当の配布を受ける。いやー、よくも飽きもせずに食べて来たものだ(そんなことを言ったら罰が当たるか)。
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1時前に昼食を食べ終わると、後は何もやることがないのでテレビを見ながら検査結果の通知を待つ。事前に確認したところでは2時半から3時の間くらいに連絡が来るということだったが、3時近くなっても連絡が来ない。しびれを切らしてコールセンターに館内電話するが誰も出てこない。よもや陽性判定(たとえ、そうでも僞陽性に違いないので、再検査で陰性となることは間違いないとは思ったが)で、今日は退所できないから連絡が遅くなっているのではと悪い方に考えが行ってしまう。

3時15分過ぎにようやく連絡があり、すぐに退室してキーを返してバスに乗るようにとのこと。あわてて1階に降りて退所手続きを取ってバスに乗り込むと間もなくバスは空港に向かって動きだす。そうだ、十日間も隔離されたホテルの外観くらいは写真に撮っておかなきゃと思ったが、バスの窓は行きと同様に全て目張りされて景色が見れない(まだ感染者扱いかよ)。仕方ないので、覆いの間から撮ったものだから、ピンボケしてしまった。

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バスはすぐに空港第二ターミナルに着き、ここで自宅隔離の注意事項の説明でもあるのかと思ったら、別に係の人がいるわけでもなく、ここで解散ということのようだ。自宅までは公共交通機関の利用は禁じられているので、ハイヤーを予約しておいたが、そのチェックがあるわけでもないので、公共交通機関で帰ろうと思えば帰れたようである。もっともあんな重い荷物を担いで、猛暑の中を帰るのは大変なので、ハイヤーで帰るのも悪くはない気がした。  

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ハイヤーはホテル隔離者専用みたいで、運転席と後部座席差透明シートで完全に仕切られていて、感染者扱いはまだ続いているようだ。成田空港を出発したのが4時ちょっと前という時間だったのが幸いして渋滞にも会わずに2時間もかからずに帰宅できるこどできた。こうして、コロナが下火になっている「安全な」キルギスから一定人口あたりでは、1日の感染者がキルギスの10倍となっている「危険な」東京への移動は何故か10日間の隔離を挟んでようやく果たすことができた。
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2021年8月18日 (水)

帰国

8月17日
未明にドバイ空港から成田行きのエミレーツ航空に乗り込む。搭乗直前に防護服を着た航空会社職員から陰性証明を中心にチェックを受ける。おいおい、もう感染者扱いかよ!陰性証明は現地医療機関発行のものだけでなく、日本政府所定の様式の提示も求められる。日本大使館に事前に相談に行って必要な準備をしてきたからよいようなもの、そうでなけれは、この段階で搭乗拒否されていたかもしれない。機内に入ると、異様なほどのがら空き状態にびっくり。どこかの国のパラリンピック選手・関係者しか乗っていなんじゃない。混雑してたら感染防止のために機内食は遠慮するつもりだったが、これじゃ堂々と食べられるぞ!それにしても、この時期に二週間の隔離覚悟で日本に入国しようとする人ってどんな人だろう

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トバイの夜景を楽しみ、夜食を終えて一眠りして、はッと目覚めて窓の覆いを開けたら、そこは夜明けのカラコルム上空であった。しかもK2が間近に見えているではないか!もう大感激であった。さらには機体はタクラマカン砂漠の上空を横切っていく。何たる絶景か!飛行機に乗ってこんなに興奮したことはない。今日は71回目の誕生日であるが、最高の誕生日プレゼントとなった。

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飛行機は日本を目指して一路東に向かう。入国時のコロナに関する諸手続き、その後の14日間の隔離と初めてのことが続くが、心配半分、楽しみ半分である。そして隔離開けの晴れて自由の身となることを楽しみに待つとしよう。

 

やがて二回目の機内食が運ばれてくる。そこでアルコールを注文するかどうかが大問題だ。アルコールを飲むと検査で陽性がでやすいということで隔離中は禁酒になっているようだが、考えてみるとビシュケクでPCR検査をした前夜もそうとは知らずにウィスキーを痛飲してしまったが陰性判定が得られたんたから、少量飲むくらいは問題ないかなと思う反面、帰国直後に行う抗原検査は⑥PCR検査よりも疑陽性が出る可能性が高いらしいので自重することにしよう。

 

空港到着後、パラリンピック組とその他組に分けられ、その他組は抗原検査、陰性証明、誓約書、健康居所確認アプリのインストール等で2時間以上足止めされる。検査結果待ちの会場に通され、これで結果を聞いてすぐにホテルに入れるのかと思ったら、さらに1時間以上待たされる。しかも一切の状況説明がない。抗原調検査は通常30分くらいで結果が出るというのにこれだけ時間がかかっているのは何故なのか。お盆明けで検査が集中しているのかもしれないが説明がないのには、ぷんぷんである。

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私が結果待ちで待機させられた部屋の人は全員が抗原検査は陰性だったようで、その後もなんやかんや時間かかかってしまい、ホテルに着いたのは着陸してから実に5時間後のことであった。

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2021年8月16日 (月)

マナス空港とドバイ空港

8月16日
当初の予定では午後発のフライトであったが、航空会社の都合で早朝便に変更となったため、前夜から空港に向かうことになった。ただ寝過ごしてはいけないという思いから一睡もできない結果となる。真夜中から各地に向かうフライトごとの行列ができるが、私の向かうドバイ行きも3時前から行列が始まる。ここでひとつ心配となったのは電光掲示板に表示されているフライト便名と私が持っているチケットデータのそれとは異なることである(ただし、日時は同じ)。変更が度重なった便なので、便名も変わったのだろうと考えたが、ちょっといやな点であった。チェ空港ックイン自体は問題なく行えたので、便名が違って表示されていたのは共同運航のためではないかと思われるが、それならそれで共同運航であることを電光掲示板かチケットのいずれかに記載すべきではないか(日本ではそうなっているはずだが)。なおドバイから成田までの乗り継ぎ便は私の誕生日である翌日の未明発であるが、その便の座席まで指定済みだったので、ドバイでのチェックインはなくなり誕生日サプライズも期待できなくなっだ(10年前にカザフのアルマトイからインチョン乗り継ぎで帰った時は、出発空港では乗り継ぎ便の座席指定がされてなかったため、インチョンでの座席指定時に誕生日サプライズとしてビジネスクラスへの無料アップグレードがされたことがあり、今回も密かに期待していたのだが)。

 

ビシュケクのマナス空港は中央アジアでは唯一プライオリティパスによるビジネスラウンジが使える空港としてプライオリティパス初体験となるはずだったのだが、チェックインに時間がかかったため搭乗時刻まで30分ほどしかなく、ほとんど行く意味もない気がしないでもないか、何事も経験だと行くだけ行ってみることにした。

 

まずは入室であるが、パスや搭乗券の確認もなかったのは拍子抜けであった。次に驚いたのは部屋があまりにも雑然としていることである。前の利用者の散らかした跡をスピーディーに片付けないからこうなるので、以前に利用したことのある成田やモスクワのビジネスラウンジでもこんなに酷くはなかった。無料で提供されるのは軽食と紅茶くらいでかなりしょぼい内容だが、たまたま徹夜で空腹を感じていたので、ないよりはましだった。

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ラウンジを出ると、ドバイ便はまだ搭乗ゲートが表示されてない。搭乗10分前でまだゲートが決まってないということはありえないことで、出し惜しみをしているのだろうか。ソ連時代の
悪癖を引き継いで利用者ファーストならぬお上ファーストの考えが続いているのだろう。
ようやく機内に乗り込むと満席であった。行きは空席が目立ったが、減便して稼働率を高める努力が効をそうしたのだろう。ただ満席状態では感染リスクを考えて食事はしたくないのでドバイのラウンジまで我慢することにしよう。

 

ドバイ空港に降り立つと改めてその大きさに驚嘆させられる。空港が大きいだけに利用できるラウンジもたくさんあるようだ。行きの短い乗り継ぎ時間の中で見つけたラウンジが場所がわかる唯一のラウンジなので、そこに行ってみる。ただ、その時は閉鎖中で中に入れなかったのだが、それから一ヶ月近くもたっており、今度は入れるだろうと思ったら、引き続き閉鎖中であった。そこで別のラウンジにむかったのだが、ネットの紹介記事ではラウンジの場所のせつめいとしてターミナルコンコースが書いてあるか、コンコースの端から端までJRの一駅分は優にあるので゜搭乗口の番号も書いてもらえればありがたかった。、

 

一駅分ほどを歩き、別のラウンジにようやく辿りつく。そこは最大4時間の滞在が可能で、そこそこの食事と無料のアルコールまでとれるというものであり、私が利用したことがある成田やモスクワのビジネスラウンジよりも勝っていると感じられた。ただ搭乗券に大きなスタンプが押されてしまうので、ラウンジをハシゴしてきたことがバレバレにはなるのだが

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次に最大3時間仮眠できるラウンジがコンコースAにあるというのでコンコースAまでの移動手段である電車の発着場に行ってみた。ところが電車はいつまで待っても来る気配がない。ここでハット気付いて出発便一覧のボードを確認して納得する。現在コンコースAは閉鎖されているのだ。コロナに因る減便のためであることは間違いない。これでコンコースAにあるラウンジは利用できないことは明らかになった。

 

残るは第一ターミナルにあるラウンジにどうやって行き着くかであるが、ネットでは両ターミナル間は歩いていけるとは書いてあるもののその具体的な方法を記述したものはなく、第三ターミナルにおいて第一ターミナルへの誘導マーク等は一切ないので、第一ターミナルには事実上は行くことはできいと判断される。となると、まだ利用してないラウンジは一カ所が残されているに過ぎず、とてもラウンジのハシゴをするというわけにいかず、ドバイ空港滞在時間約18時間の大半を無駄にすごさざるをえない。

 

こんなことなら、空港で簡単にビザが取れるそうだから、市内に出て世界一の建物を見にいった方がよかったかなとは思う半面、乗り継ぎではないことになると、出発時間の遅れによっては陰性証明の効力にも影響しかねないかもしれないので、自重したのはやはり賢明であったと言えるだろう。

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キルギス最終日

8月15日
いよいよ旅の最終日だ。陰性証明も土産も手に入れて、外には特にやるべきことはない。唯一困ったことと言えば、現地通貨が日本円で1万円近く残ってしまい、これを使い切らなければならないことだ。それにはもう一度オシュバザールに行くことだが、乗り込んだバスが途中で故障してしまい、乗り換えようと思ったら、手持ちの小銭がなくなり、タクシーに乗ろうと思ったら近すぎるためか乗車拒否されてしまった。歩いて行けばいいようなものだが、あいにくの雨降りでザックの中にはパソコンやカメラといった濡らしてはいけなものもあり(一応、ビニールて包んではあるか)、カフェで雨が小降りになるのを待つことにした。

 

なかなか止まないので雨の中を歩きだしたら、バザールはすぐであった。ただ、先日いった土産物がひしめき合っている一帯には辿りつけない。あちこち探し回っていると、大きな建物の周囲にテントの屋根のようなものが張り巡らされた所があったので近づいて見ると、先日いった土産物屋の集まっている一帯であった

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お土産を買い足して、お昼を食べに市の中心部に移動する。現地通貨が余っているので、タクシーを利用することにした。いくらか聞いてみると200ソムだという。距離的にみて明らかにぼられている。だが、金持ち喧嘩せずで値切らなかった。それで相手も拍子抜けしたのか、レストランの入り口まで案内してくれるサービスぶりであった。

 

旅の終わりは中央アジア料理ということでネットで検索したお店を選んだのだが、食欲が今ひとつだったこともあり、あまり油っこいものは避け、「困った時のラグマン(うどんに似た味)」でいくことにした。食後に少し足を伸ばしてマナス王というキリギスの英雄叙事詩の主人公の碑を訪れることにした。ビシュケクという街はソ連時代に作られた新しい街で歴史的建造物らしきものがない中で例外的な観光名所ということで訪れようと思ったが、私の古いガイトブックに記載してある場所にはそのようなものは見当たらないのである。次の用件もあり、あまり時間もなかったことから、あきらめてタクシーでホテルに戻る。

 

次の用件というのはランニング仲間とのZOOMによるオンライン飲み会である。私にとっては久しぶりに日本人にあって、日本語を話せたというのが収穫であった。ただNHK+は毎日見ていたし、ブログも日々更新していたので、日本語に飢えているという感じはほとんどなかった。チェックアウトは朝済ませていたのでロビーの隅でzoomをおこなったため電波が弱かったためか、映像かしばしば中断した。

 

その晩の9時に空港に向けてホテルを発つ予定なので、それまでの間に近場で夕食をとることにした。ビシュケク到着初日に行った店にまた行ってみようと思ったのだが、道を一本取り違えたために辿りつけず、結局別の店に行く。ケバブの文字に惹かれてはいったのだか、店の名前はイスタンブールでキリギス料理でなくトルコ料理専門店だった。広い意味では同じトルコ文化圏内だから、まあいいか。帰りに公園を通って帰ったら、なんとそこにマナス王碑が君臨しているではないか!なぜここにあるのか理由は不明ながら、ここで見ることができてよかった

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ホテルに戻ってから空港まで小一時間をホテルの車で送ってもらった。千円以上の支払いは覚悟していたが、代理店から支払い済みのようで新たな支払いは求められなかった。空港でも若干の買い物はしたが、日本円で七千円相当の現地通貨が残ってしまった。ただここで無駄な買い物をして使い切るのではなく、そのまま残しておくことにした。というのは、今回はコロナ禍で陸路による国境越えが困難なため、キルギス国内だけの移動に止めたか、コロナが収束した時点での隣国タジキスタンへの国境越えを考えており(アエロフロートの3年間有効のチケット代金も残っていることだし)、今回の余った現地通貨はその時に使えばいいのだから

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2021年8月15日 (日)

PCR検査

8月14日
いよいよ運命の日であるPCR検査の日である。結果もさることながら、まずは検査がうけられるかどうかが第一のハードルである。受付で予約済みとの文言のロシア語訳を表示したタブレットを見せると、別の受付場所の建物の外にに連れていかれる。何人かの先客がいるが、順番がどうなっているのかがわからない。適当な時に受付の建物の中に入ると、パスポートの呈示を求められ、いくつかの質問が行われる(もちろん、翻訳アプリを介してだが)。その中に電話番号というのがあった。そこでスマホの番号に国別番号をつけたら、海外の番号はダメだと言われる。弱ったなと思ったらホテル名でもいいことがわかった。実際問題として、スマホにロシア語で連絡事項が来ても対応できないんだけどね

 

いよいよ、その後は隣の部屋で献体採取に移る。日本では唾液によったが、こちらでは鼻と喉の粘膜の採取だ。奥の方に細い棒を突っ込まれる時に一瞬だが違和感はあるが、唾液の場合は必要量を集めるのがなかなかたいへんなので、一概にどちらがどうとは言えない。これで今夜には結果がでるそうだが、ワクチン接種済みでるし、他人との濃厚接触は避けてきたので、陰性は間違いないとは思うものの、万一ということもあるので、不安が全くないわけではない。

 

その後は昨日は素通りしたオシュバザールで土産物を買う。全く迷路のような所に夥しい数のお店が集まっている。一割くらいしか値引きしてくれないが、元々高価なものを買うわけではなので言い値に近い値段で買う。時間があればまた来てみよう。

 

バザールから少し歩いた先からトロリーバスに乗って市南部のファイザーというレストランに向かう。何やらワクチン製造会社名みたいな名前でPCR検査結果を前にしてゲンカツギみたいな気もするが、地元料理店としてはビシュケク一の人気店だそうである。ビシュケク初日の日も捜したのだが、古いガイドブックに載っている場所からは移転したようで、今回ようやく訪れることができた。

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注文したのは一番人気のブロフである。炊き込みご飯とチャーハンをミックスしたような料理で中央アジアで広く食べられている定番料理である。さすがに人気店であるだけに空席か出来ると廊下で待っていた人がすぐに座ってしまうという状態である。私も長居せずに店を出る。

 

帰りもまたトロリーバスに乗る。ビシュケク市内の主要な交通機関は路線タクシーのようであるが、路線番号がわかってないといけないし、小回りかきくだけにどこへ連れていかれるかわからなという不安もあるし、使いやすさの裏返しで、どの車も密状態というのも、利用には二の足を踏まざるを得ない。それに対してトロリーバスは電線が必要なため幹線道路しか走らないので、GPS対応地図で路線が違ったことがわかれば、次の停留所で降りて戻り乗り換えるだけである。なにしろ料金は8ソム(約10円)なのだから。ただひとつ難点は車内だとGPSの効きが悪くなって地図上の現在位置がわかりにくくなることである。これに対してはスマホとタブレットの両方の地図を開いて現在位置の信頼性の高い方をとることによって対応せざるを得ない。。

 

ホテルの近くの停留所で下車し、食料と酒を買ってホテルに向かう。今晩はNHK+でもみながら夕食をとり、PCR検査発表前の「最後の晩餐」を迎えることになる。やがて定刻となり、至近距離にある医療機関に向かう。当然のことながら陰性判定だったが、これで日本に帰れると思うとやはり嬉しかった。夕方からしこたま飲んではいるのだが、お祝いということで、帰り道でさらにビールの小瓶を買ってしまった。
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