日光近辺の札所巡り 3日目
その晩は中禅寺湖畔のホテルに泊まったが、ドミトリーの部屋でwifiは通じたが、テレビはなかった。ただ先日のクルージングの際にタブレットにダウンロードした映画でまだ見てない分を見たので退屈はしなかった。
その晩は中禅寺湖畔のホテルに泊まったが、ドミトリーの部屋でwifiは通じたが、テレビはなかった。ただ先日のクルージングの際にタブレットにダウンロードした映画でまだ見てない分を見たので退屈はしなかった。
当初の予定では昨日中に着くはずの日光に着いたのはなんと3時過ぎとなってしまう。それから先を進み、裏見の滝の手前にテントを張ったが、ここで大惨事発生!缶コーヒーの蓋をきちんと閉めてなかったので、コーヒーがテント中にこぼれてしまう。不幸中の幸いはテントの色がコーヒーの色と近いことか。トホホである。
初日は天気の回復が遅れるとのことだったので遅めの出発となり、宇都宮駅をスタートしたのは10時近くになってしまった。今日は久々の札所となる19番の大谷寺であるが、納経とは別に参拝料も五百円払うことになってしまった。本堂を覆っている(実際は洞窟内に本堂が建てられているのだが)岩に彫られている仏像は他では見られない一見の価値があるものなので、参拝料が有料なのも仕方ないか。御朱印を書いてもらっている間に隣の資料館を覗いていたら、先ほどの岩に彫られた仏像はタリバンによって破壊されたバーミアンの石仏に起源がある可能性が書かれていて興味深かった。
次は古賀志山を目指して最短距離を進む。古賀志山の麓にはサイクリングロードがあって、明日はジャパンカップの大会があるらしくて賑わっていた。古賀志山へは3本のコースがあるが、最短距離の東稜コースを選ぶ。取付の注意書きに本コースは事故の多い中級向きのコースであると書いてあったが、頂上手前の見晴らし台直下の岩場は濡れていたせいもあるがなかなか悪く、先日登った山梨百名山の中で最難とされる鶏冠山の核心部である第二岩峰直下よりも悪く感じた。
頂上は時間が遅かったせいもあるが、誰もいない静かなピークで麓の町が一望できた。下りは南コースを下ったが、こにらは下の林道まで階段が続いていた。楽と言えば楽であるが、単調なだけに飽きてくる。
古賀志山で時間を取られ過ぎたため、行程自体は捗らず、日光までの半分くらいしか進めなかった。宇都宮には6時過ぎの電車で戻ったが、早く戻ったのはわけがある。それは宇都宮駅から東に延びる路面電車のライトレールに乗るためである。前回、宇都宮まで歩いている際は、まだ試運転中であったが、先月末に開通したそうなので早速乗車してみた。宇都宮駅前から郊外の工場団地まで往復2時間近くの乗車時間であった。
高尾山口駅から甲州街道を南下し、梅の木平のバス停の先から別れて山道に入っていくのだが、橋の手前にふれあいの道の標識があるので、そこを曲がるのが自然だが、ネットからダウンロードしたふれあいの道の地図では、もう少し街道を進んだあたりで左折するようになっているので、しばらくみちなりに進んでみる。地図の分岐点とおぼしきあたりで左折しようとしたが、さきほどの地図では分岐点が撮影ポイントとなっていて、そこで案内板をバックに写真をとるのが、コース踏破の認定賞をもらう条件になっているものの案内板もなにもないので、やむを得ず料理店の看板をバックに写真をとる。
山道をしばらく進むと神奈川県との境の稜線に出る。稜線をしばらく歩いていて気づいたのだか、この稜線はだいぶ以前に東京都の他県との境を歩きと自転車で踏破した時に歩いたことがあるのだった。まあ他の東京都のコースもほとんどは踏破済みなのだが、認定賞をもらうための証拠写真をとるために歩くことになるので、その意味では今回も無駄な歩きとなるわけではない。
前半部分ではハイカーも多く、トレランの人も見かけたが、後半になるとめっきり人に会わなくなる。大垂水峠の手前で一人抜いたが、その頃になると、こちらもトレランモードになっていて快調に進んでいたら、ふれあいの道のNo1コースは峠から左に曲がってゴールの城山に向かわなければならないのに誤って右に曲がったため、高尾山方面に向かっていることに気がついた。引き返すのも面倒なので、そのまま高尾山を経て一号路を下りることになってしまった。ただいつものように陣馬からの折り返しではないため、さほど疲労はしておらず、まずまずのタイムで下山することができた。
最後に道を間違えてしまったため、次回は大垂水峠までは相模湖からのバスを利用し、峠からは正しい道を進んでNo2を経てできればNo3あたりまて進んでみたい。
富士宮登山口の出発が1時と遅めだったが、ネットの情報では行動時間は6時間程度となっていたので、山頂に着くのが深夜になるとしても、どうせ頂上で仮眠するつもりだったので到着が遅くなることは全然問題視していなかった。六合目の小屋の手前で人の通行が少なくなった頃を見計らって、立入禁止と書かれたロープを跨いでブル道に入る。小一時間ほど歩いた所でブル道は右に大きく迂回するが、主杖流しに続く道(お中道巡りが歩かれていた頃の名残の道)は細々とした踏み跡が続いている(マーキングはしっかりしているが)。
途中で踏み跡を見失ってしまったが、途端にあり地獄のような滑りやすい砂地を歩く羽目になる。しばらくして踏み跡を発見して順調に歩けるようになったが、それも束の間で再び踏み跡を見失ってしまった。一般登山道と別れてから2時間近く経っており、時間は4時を回っているというのにまだ目的のコースに入れないことに多少焦りを感じるが、ここで踏み跡を探して時間を浪費するよりも、富士山の方角を目指してやや西寄りを目指せば、主杖流しに合流するだろうと考えた。
ブッシュのない斜面を登っていくと、主杖流しと思われる沢と合流する。
他にも溶岩道はあるらしいので、ここが主杖流しであると断定はできないが、多分間違いないだろうと登り続ける(主杖流しの入口にはペンキで表示があるらしいが)。溶岩の流れた跡と言ってもつるつるの一枚岩というわけではなく、結構凸凹がある上に傾斜も緩いので岩登りということもなく、ストックを突いたまま登って行ける。
夜になっても登り続けたが、登りやすい所を登っているうちに主杖流しを離れて尾根状の所を登っていることに気づいたが、暗闇で主杖流しの場所が判然としなかったので、そのまま登り続ける。何時になっても構わないので頂上まで行くつもりでいたが、8時過ぎに岩が庇状に張り出していて上部からの落石の心配のない絶好のビバーク地を発見し、ここで一夜を過ごすことにした。三島の街の夜景と星空を眺めながら持参したビールを飲める五つ星?のねぐらである。ただし、天井が低いのでヘルメットを被り放しでいなければならないのが玉に傷であるが・・・
しばらく仮眠してから暗い中を出発する。ビバーク地は隣の富士宮登山道では七合目に相当する高度なので、頂上まではまだかなりあることを覚悟する。しだいに明るくなってきたが、南側の斜面を登っているため日の出を見ることはできない。その代わりに斜面全体を眺めることができたが、尾根と谷の違いはほとんどなくなり一様な大斜面が山頂まで続いているのが見て取れる。ただ麓の方に目をやれば、白い線が自分の足元近くまで続いているのが見て取れるので、主杖流しを登ってきたのが確認できた。
隣の富士宮登山道の尾根が眺められるようになったので、それに気を紛らわしながら登っていると、突然頭上に頂上の旧測候所の建物が見えてくる。見たところではそれほど遠くはないようにも思えたが、標高差を確認すると200メートル以上はあり、まだまだ時間がかかりそうだ。じっと我慢して登っていると、富士宮登山道から登って来る登山者も見えてくるようになる。しかし、近いように見えても、そこに達するまでには歩きにくい岩と小石混じりの斜面を登って行かなければならない。
頂上に着いたのは9時を回ってしまった。当初の予定では二日目は吉田口を下りて五合目からは精進登山道を青木ケ原方面か朝霧高原方面に向かおうと思っていたが、予定が遅れてしまったので富士宮登山道を下り、今シーズン最後となる三島行きのバスで帰ることとなってしまった。
伊藤新道の徒渉を考えると本来ならば沢靴と山靴の両方を用意すべきであるが、それでは荷物が多くなりすぎるので、山靴はやめて原則的には沢靴で山道を歩くこととし、可能な所はサンダルでも歩くこととした。GWの毛勝でも雪が出てくる所まではサンダルで登り特に問題はなかったので、ブナタテ尾根でも可能な所まではサンダルで登ることとした。ただ沢靴を入れたナップザックを肩にかけて、いつでも履き替えられるようにした外、サンダルが脱げてしまわないように後ろの部分のゴムバンドで固定するようにした。
果たして成果はいかに。なんと、稜線までサンダルで問題なく上がれてしまい、コースタイム6時間の所を休憩を含めて7時間で上がれてまずまずであった。テン場は小屋から少し離れていて、水やビールを買いに行くのが少し不便であったが、それだけ静かなキャンプを楽しめた。テントを張り終えて景色を眺めながらビールを飲む至福の時を過ごしてから、未踏の烏帽子岳登頂に向かう。
烏帽子岳は名前の通り尖った烏帽子型をしているので、岩場も出てくるかもしれないと思い、沢靴を履いていくことにした。頂上までは細かいアップダウンが続くが、いざ山頂目指しての登りになると、意外にも樹林帯の登りが続くことになったが、最後には岩場が出てきたので、やはりサンダルで来なくてよかったと思った。
帰り道で小屋の前を通った時に水を買って行こうかなとも思ったが、必要量は晩と朝の食事が終わった時点の水の残量を確認してからの方が良いと思い直して、明日の朝の出発前に買いにくることにした。
翌朝4時に水を買いに行くと、水の販売は5時からだと言われる。手持ちの残量は一リットルほどで、次に水が買えるのはコースタイムで3時間半とされている野口五郎小屋だが、ここで1時間も待つわけにはいかないので、節約してなんとかもたせることにした。
ただ烏帽子キャンプ場から野口五郎までの長い行程では前日の疲れと雨に濡れたテント等の重さからペースが上がらず、小屋まではコースタイムの倍近くかかってしまった。小屋で1.5リッターの水を買い、これでなんとか湯俣までもつだろうと考えたが甘かった。湯俣に直接下りる竹村新道はかなりの難路で時間がかかり、暗くなる前に湯俣岳山頂手前の平坦地にテントを張らざるを得なくなった。水は節約してなんとか0.5リッターは翌日分として残すことができた。
翌日、湯俣に着いたのが昼近くとなり、第一吊橋までの往復に計画縮小となった。第一吊橋までは徒渉なしに右岸通しに行けるのだが、途中で左岸にある温噴丘に立ち寄ったため二回徒渉することとなったものの、好天が続いたせいか水量も膝程度までで、特に困難は感じなかった。ただ途中でサブサックのジッパーが壊れてしまい、荷物が背負えなくなってしまったのは困った。とりあえず空身で第一吊橋まで行って戻り、水や食料は平らげ、厚着した衣服のポケットに装備を詰め込んでなんとか帰ることができた。
第一吊橋から第二吊橋までが核心部とのことで、そこを通過してないのでなんとも言えないが、中級適度の沢登り経験者ならば特に困難は感じない(多分)コースであると思われた。伊藤新道は50年ほど前は地図にも記載されていたコースで、いつかは行こうと思っていたら廃道になって行き損ねのコースとなってしまったが、今回の再開通に合わせて『覗き見」が出来たので大満足したため、再度訪れることはないだろうと思う。
最終日は高瀬ダムまでの八キロほどのコースだが、高低差が100メートルほどなので、ゆっくりした下りが続くのかと思いきや、前半はかなりのアップダウンが続き、全く下っているという感じはしなかった。後半は工事車両用の道でほぼ緩い下りが続いたか、前日の徒渉で濡れてしまった沢靴を履く気になれずサンダルを履いたため、細かい砂利が足裏に溜まってしまい歩きにくかった。それでもほぼコースタイム通りに高瀬ダムに着くことができた。
ダムにはタクシーが2台客待ちをしていたが、タクシーで乗り継ぐ七倉からのバスは午後は3時過ぎまでないので、あまり早く着き過ぎても時間を持て余すと思い、相乗り客を待っていたら、20分ほどでブナタテ尾根から下りてきた登山者がいて、七倉には1時前には着くことができた。七倉では名物のダムカレーと生ビールで数日間の貧弱な食生活に別れを告げ、露天風呂で疲れを癒やして帰途に着くこととなった。
自分の山登り人生の幕引きが近づいていることもあり、登り残した飯豊連峰の大日岳は登っておきたいということから今回の山行となったわけだが、最初は石転び沢雪渓から登ってダイグラ尾根を下りるという計画をたててみたものの、いずれのコースも登山地図では実線ではなく破線で書かれた一般的ではないコースであり、前者は三キロにもわたる長い雪渓で上部は40度の急傾斜があり、後者は滑落事故も起こっている悪い尾根だということから、今の自分の体力ではやや無理とも思えたので不本意ながら南側の安全性の高いコースから往復することにした。
お盆の時期に出かけるので割引切符は使えないため久しぶりに18切符を利用することになったが、そのため野沢駅まで7回もの乗換を余儀なくされた。テレビの旅番組の六角さんの真似をして飲み鉄をしながら行こうかとも思ったが、お盆休みに差し掛かってどの列車も混んでおり、飲酒はためらわれた。ただ野沢駅では西会津町民バスが利用でき、その日のうちに登山口の小屋付近まで入れることは好都合であった。
翌朝は三国小屋までの余裕ある日程の同宿者と違い、本山小屋までと欲張っていた自分は先に出発することになった。ただその意気込みとは裏腹にさっぱりペースは上がらず、後続者にたちまち追い抜かれることになる。
峠から急登を経て稜線に上がると、今回の目的である大日岳が本山の左に大きな山容を見せてくる。そこから三国小屋までは高度的にはほぼ変わらないのだが、小刻みなアップダウンが続くので意外と時間がかかる。三国小屋に着いたのは2時を回っていたが、当初の目的の本山小屋は論外としても、切合小屋までは是が非でも行かなければならない。
この時間となると登山者はめつきり減ってくるが、それでも何人かには追い抜かれる。5時少し前にやっと切合小屋に着く。テントも持参はしているが、小屋もそれほど混んではいなかったので、素泊まりとすることにした。自炊部屋で他の宿泊者と話していると台風の接近が話題になり、稜線に閉じ込められるとヤバイので、明日は暗いうちから出発して大日岳を往復したら、台風の接近いかんでは夜を徹して歩いて安全地帯まで下りることも考えることとした。
ほとんと仮眠状態で深夜に起き出して3時に小屋を出発する。ところが出発時に方位を確認せずにいたものだから、見事に逆方向に向かって歩きだしてしまい、かなり歩いてから気づいて戻ったものの、1時間ほど時間をロスしてしまった。それでも小屋をスタートした先頭ではあったが、間もなく後続者に抜かれ、以後は抜かれっぱなしになる。
本山直下の直登を頑張るとテント場に出る。水場は稜線から下ったところにあるらしいが、手持ちの水で足りそうだったので素通りする。本山小屋、本山頂上と続くが、既に以前に来たことがあるところなので、今回の目的である大日岳に向けて気がはやる。
比較的平坦な道を進んで 御西小屋に到着する。小屋から北上すれば門内小屋方面の主稜だが、今回は主稜から離れた大日岳を目指す。地図には小屋付近に水場の記入があるが、付近にはテントも見かけないので涸れてしまったのかと思い、先ほど通過した本山下の水場までなんとか持たせることにした(少々不安ではあったが)。
目的を果たしたので早く切合小屋に戻りたいところであるが、切合小屋まではまだまだ遠い。先ずは御西小屋まで下りて主稜に戻らなければならない。小屋まで戻ると先ほどと違い数張りのテントが見られる。これは水場があるに違いないとみ水の位置を聞こうと小屋に入るが、水場は稜線からだいぶ下らなければならないようなので水場をあきらめる。その代わり炭酸飲料水を買って水不足を補う。
本山までの登り返しは長かったが、本山下の水場を目指して頑張る。今日二度目となる本山は素通りして先を急ぐ。本山下の水場はかなり急峻な道を下って行かなければならず、切合小屋とはえらい違いである。ここで腹一杯水を飲んで切合小屋に向かう。既にネットで調べて翌日はまだ台風の影響はさほど受けないことかわかっていたので、夜を徹して歩いて安全地帯まで下りる必要もないことがわかっていたので、ゆっくりと下っていく。
ところが切合小屋が見えるあたりまで下りて来ると、キャンプ場が立錐の余地がないほどにテントが密集しているのをみて驚く。山の日を迎えて登山者数のピークとなっているらしいが、この分では山小屋も超満員となりそうなので、今晩はテントにした方がいいかなと考え直した。下のキャンプ場は満杯でも上のキャンプ場は傾斜地ながら、自分の小さなテントを張るくらいのスペースくらいは残っているはずだと考えたからである。
案の定、スペースは見つかったが、雑草地の近くだったこともありブヨの密集地で、テントの外に出る時は防虫ネットを被らないといられないほどであった。やむを得ず、その晩はテントの中で火を使わずに食事を済ませる。
飯豊の最終日は予約してあるデマンドバスが16時ということもあり、6時出発でも充分余裕があると考えてテントを撤収してから小屋前に移動して、そちらで炊事を始める。ところが、ブヨを餌にするトンボが今朝は皆無て小屋前もブヨが多く、こちらでも防虫ネットを被りながらの行動となる。
小雨混じりの中を6時に小屋を出発して三国小屋を目指すが、ほとんど最終の出発となるので後続者に抜かれる心配もなくなった。相変わらずブヨが多いので防虫ネットを被ったまま行動したが、今度は汗をかいて不快となり、とうとうネットを脱いでしまう。
三国小屋に近づく頃には、早朝に本山から下山したと思われる登山者に抜かれるようになるが、なんとか三国小屋にたどり着き、ここまで下りれば一安心である。ほとんどの登山者は私と違って川入に下りるようで、弥平四郎への道に入ると登山者は途端に少なくなる。距離も交通の便も変わらないと思うのだが、川入コースの人気が高いのは岩稜があるからだろうか
疣岩山を越えて分岐点まで達した所で休憩を取りながら、どちらのコースを取ろうか思案する。行きに利用した松平峠コースは状態がわかっている分だけ安心だが、最後の急傾斜の部分が濡れてどうなっているかが心配だ。一方、上ノ越コースは未知なだけに不安もある。両方から登ってくる登山者にコースの状況を聞くが、甲乙をつけがたいようだったので、行きと同じコースを行くのもつまらないと考え上ノ越コースを選ぶことにする。
後て聞いた話だが、上ノ越コースでは数日前に高齢者が滑落事故を起こしたそうで、滑りやすいザレ(大粒の砂混じりの状態)場がたくさん出てきた。注意して歩けばどうということはないのだが、不用意に歩くと大事に至りかねない所である。この下りで、昨日の半から張りが出ていた右足の筋が痛みだした。上ノ越からの下りではさらに痛みは増してだましだましの状態となる。
駐車場までなんとか下りて、後はデマンドバスの発着所まで四キロ程度下るだけだがヨレヨレの状態となる。半分ほど進んだ所で地元の親切なおばさんが軽トラに乗せてくれる。このまま歩いていても発車時間には充分間に合ったのだが、早く着いた分だけ時間があったので、汗まみれの服を洗って干す時間ができた。もちろん、短時間で乾くはずもないので、着干(濡れたまま着て体温で乾かすこと)しとならざるを得ないが。
JRの駅に着いて、このまま帰宅してしまいたい気もしたが、新幹線利用なら別だが、18切符では間に合わないので、予定通り300名山の米山に向かうことにする。当初の予定では夜のうちに登山口まで行ってテントを張り、涼しいうちに登頂して下りてくるつもりだったが、台風接近で雨の心配もあったことや、連日のテント暮らしに嫌気をさしたこともあって、途中の長岡で一泊して翌朝の始発で米山駅まで行き、そこからタクシーを利用することにした。問題は盆休みの真ん中の土曜日に果たしてホテルの空きがあるかどうかである。
ネットで調べるとやはり空きはないようだったが、長岡駅からはだいふ離れた所にはあるが、ネットカフェがあるということがわかり電話してみると、数席だけは空きがあるとのことであった。歩くと30分以上かかるようなので、その間に満席になってしまっては身も蓋も無いので、タクシーで駆けつけることにした。
翌日は始発電車で米山駅に向かう。米山駅にはタクシーは
米山は今までも何回か計画の最後に行くことにしながら、毎回諸事情で果たせずに今に至っているが、またもや持ち越しとなってしまった。300名山は関東甲信越にある山だけは全部登ることにしていて、残すは長野県三山と新潟県ニ山となっているが、前者は今年中に登るつもりだし、後者は来年中に登ることとしよう。新潟県のもう一つの未登の300名山である焼山は長らく火山活動とコース荒廃で登山禁止となっていたものが、昨年からようやく登れるようになったということなので、来年あたりに併せて登るのにはちょうど良いかもしれないと思えるようになってきた。
山梨百名山で唯一登ってなかった鶏冠山(とさかやま)に登ってきた。一般登山道がなく、山梨百名山最難の山とされているが、ローブや鎖が多すぎるほどあり(写真の第二岩峰直下の鎖などは一度も触らなかった)、標識も完備している上に踏み跡もしっかりしていて、ある程度山に慣れている人にとってはどうということのない山である。
私が山梨百名山の最難の山を選ぶのであれば、迷うことなく源氏山である。車を利用出来れば北側から丸川林道経由でハイキング程度で登れる山のようであるが、そうでない場合は、南側から長い尾根道を辿っても、最後の所で土砂崩れで道がふさがれ、そこを突破するのは自殺行為と思われるし、東側からのアプローチも、山腹の道は途中から廃道となっているし、尾根通しの道はアップダウンの連続である。
鶏冠山自体は問題がないとしても、奥秩父の主稜まで縦走するとなると実に長く、途中で1泊する羽目となってしまった。狭い稜線でテントを張るスペースは皆無であったが、わずかに上半身だけは横になれるスペースを見つけて時間は早かったが行動を打ち切ることにした。
翌朝、主稜に達して54年前に山梨百名山を初めて登った山である甲武信ケ岳にも登ってきた(当時は百名山という呼称はまだなかったが)。
甲武信ケ岳は名前の通り、山梨県、埼玉県、長野県にまたがる山で、それぞれ笛吹川(下流は富士川)、荒川、千曲川(下流は信濃川)の水源からの登頂もしたことがあるし、北側や東西に延びる稜線からの登頂も何度も行ったが、今回、鶏冠山からの尾根も登ったことにより、一般的なコースは全て足跡を残したことになる。
下山は刃渡り尾根を下り、近丸新道との分岐点では福ちゃん新道を選択したが、部分的にはずり落ちそうになる急な道だった。
零時出発ということで1時間ほどしか眠れなかったが、零時には登山口を出発する。前回と違い一人歩きの夜道はとても長く感じられた。夜が明けると、見覚えのある場所が現れて多少は気が紛れる。前回の到達点には朝の8時半に着いたが、二千メートルラインをようやく越えるかというあたりで。休んでいると下から登ってきた登山者に追い抜かれる。何時に出発したのかは知らないがかなり健脚のようであった(単に私が遅いだけかも)。少々のアップダウンを繰り返すと、いよいよ山頂への標高差400メートルの急登が始まる。
頂上まではかなり遠く、正午きっかりにやく登頂できたが、二番目に抜いていった人は丁度下山するところであった。剣方面は雲に隠れて見えなかったが、毛勝三山の残りの二山も眺められて、コロナがなかったらあそこまで行けたのだろうかなどと考えてしまった。
前夜は夕食も摂らずにバタンキュワとなってしまったが、朝になっても全く食欲がない。昨日の行動中の水不足の反動で下山してから水をがぶ飲みしたために胃の具合が悪くなったためらしい。朝食も摂らずにそのまま降りて麓の温泉で一風呂浴びたらようやく元気を回復して、ビールで乾杯することができた。
帰りは上田で途中下車して別所線に乗って別所温泉まで往復してきた。これで中部地方の私鉄は地下鉄も含めて全て乗車したことになる(関東地方は既に完乗済)。別所温泉から上田まではほぼ下る一方なので、帰りは自転車で帰っても良かったのだが、この猛暑では下りといえども外にいるだけでツライので、自転車は上田駅の新幹線ホームにケースごと置いたままにしてきた。
帰宅してから風呂に入ったら、午前中の日帰り温泉の時は気づかなかったのだが、ダニに喰われているのを発見する。翌朝皮膚科に行って大事には至らなかったが、毛勝山は大変だっただけでなく、とんだお土産付きとなってしまった。
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