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2009年9月

2009年9月29日 (火)

チベット展

今夏に断念したチベットツアーですが、その間にチベットの国宝級の仏像が日本各地で見られるということで期待していたチベット展が今月から上野で開催されていますので、それを見に行ってきました。

会場は平日にもかかわらず、大勢の人が訪れていました。Photo_2 美術館で見る仏像もそれなりに興味深かったですが、現地で見るそれはさらに感慨深いものがあると思います。早くても3年後となりますが、チベット大旅行が楽しみです。

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2009年9月27日 (日)

甲州路

甲州街道を高尾から西に向けて走る私と河口湖の日帰り温泉に向かう家内は高尾まで一緒に行くことになり、三鷹からホリデー快速に乗り込む。

車内はそれほど混んではいなかったが、三鷹から乗り込んだ乗客でドア付近は人であふれてしまう。ところが車内を見ると、若者の8人グループが全員一人で二席を占領していて荷物を置いてしまっている。聞いてみると、途中で仲間が乗ってくるという。席取りはマナー違反ではあるが、まあしょうがないかと我慢していたが、立川でも彼らの仲間は誰も乗ってこない。席取りというのは嘘にちがいないと確信し、どの駅から乗ってくるのだと聞いても、わからないという。あまりしつこく聞いたのでうるさいと思ったのか、我々二人分の席だけは空けたので、そこに座ったが、他はそのままである。

私はまもなく高尾駅で下車したが、家内によると最後まで仲間は乗ってこなかったそうである。彼らの自分勝手な行為は全く許されないが、まわりの立っている大人達が、彼らの行為を咎めることもせず、大人しくしていたことの方がより問題視されるべきだと思う。そういった大人の事なかれ主義が若者の精神も歪めてしまっているのだから。

朝から不愉快な思いをしながら高尾から走り出す(といってもジョグペースだが)。バス終点の小仏を過ぎてしばらくすると舗装がなくなり峠道となり、しばらく登ると小仏峠に着く。小仏峠は高尾~陣馬トレランで何度となく通過しているが、峠越えは今回が初めてである。

峠はハイカーの他にトレランの人もいて賑わっていたが、相模湖側に一歩降りるとたちまち静かになる。山道の下りが続き、五街道の時代にもこんな細い道を行き来していたのだろうかと不思議になる。

やがて道は20号線と合流し、相模湖、藤野、上野原とハイキングではおなじみの駅が続く。今日は足の具合が今ひとつということもあってスピードがでず(毎度のことであるが)、早々と笹子峠越えはあきらめ、大月までも難しいことが明らかになってくる。こんなことでは四万十ウルトラの完走は困難であるという焦りも感じるが、それが現実なのだから、現実を受け入れ、今の力に見合った走りをするしかないと観念する。

結局、今日は梁川までで、帰りはホリデー快速の中で家内と合流して帰途につくことになった。

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2009年9月26日 (土)

慣らし運転

鎖骨骨折以来、ほぼ3カ月ぶり(厳密にいうと、骨折直後も松本のホテルまでは乗って帰りましたし、帰途に軽井沢でツーリングをしてしまいましたが)にロードレーサーに乗って遠出しました。

久里浜から三浦半島を一週し、その後に相模湾を行けるところまで行くつもりで、最大限は伊東までもと思っていましたが、三浦半島はアップダウンが激しく、道路が海岸線に沿って入り組んでいることもあって、思ったよりも時間がかかり、相模湾は平塚までしか行けませんでした。

三浦半島を周遊したのは始めてでしたが、なかなか変化に富んでいて楽しいところで、久しぶりのサイクリングを楽しめました。

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2009年9月25日 (金)

新街道シリーズ

東海道、奥の細道(日光街道、奥州街道)と旅を続けて、次はと考えると、それぞれを北へ、西へと伸ばしていくことも考えられるが、遠方となるだけに、そうたびたび行けるものでもない。そこで、他の五街道である中仙道と甲州街道もマラソン練習を兼ねて手がけることにした。

中仙道も木曽路から西は遠いので、まずはこの秋冬で両街道が合流する諏訪までをそれぞれ完走(完歩ではない!)することを目指したい。この場合問題となるのは中仙道の佐久から諏訪の間が鉄道を離れてしまうことで、他は全て日帰りで行ってこられるが、ここだけは宿の泊まらないと難しいようだ。

というわけで日本橋からの中仙道ランニングをスタートしました。日中はまだ暑いので、夕方から走り始める。途中、意外な景観に出会ったり、良く知っている場所がこんなところにあったのかと再認識したりと、都内を走るのもなかなか楽しいと思ったのも前半まで、板橋を過ぎると、ちっとも近づかない目的地に焦り気味となる。ようやく戸田橋まで1キロまで来ても、浮間舟渡の駅がどこにあるのかさっぱりわからない。地元の人に教わってなんとか辿り着いたが、ああ疲れた。

浮間舟渡から熊谷までは既に走っているので、次回は熊谷から横川あたりか。はたまた、これも高尾まではトレース済みの甲州街道を小仏峠越えで塩山あたりを目指すか。どちらにしても日程の制約はないので、気楽に気の向くままに走っていきたい。

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2009年9月22日 (火)

奇遇続きの丸山東壁

リハビリクライミングとして丸山東壁左岩稜に行ってきました。
画像は以下にあります。

http://homepage3.nifty.com/vibram/2009maruyama/

鎖骨骨折から3ケ月弱、ギブスがとれて3週間弱で、医者からは重い荷物を背負うことは禁じられていたが、内蔵助谷出合までの2時間弱ならば多分大丈夫だろうと、アルコール類をしこたま詰め込んで25キロの荷物となったベースまでの歩行が今回の最大の核心になることを予感する。

渋滞を避けて前夜発、途中仮眠して扇沢に到着。
黒部ダムまでは観光客でごったがえすが、登山道に出れば静寂が待っている。
肩に負荷がかかりすぎないようにセーブして歩いたため、Tさんからは遅れ気味となる。

まもなく内蔵助谷出合に着いて鉄塔下に幕営し、翌日の偵察を終えてから宴会モードに入る。
かなり飲んでそろそろ寝ようかと思った頃、上の台地にテントを張ってある人が通りかかると、知り合いの知り合いであるガイドのTさんでした。
ガイドのTさんは数年前に念願だったウォーカー稜に成功した人でジョラスやアルプスの話に花が咲き、寝るのは9時半過ぎとなる。
ここでTさんと会うとは山の世界は狭いものだ。
ガイドのTさんは御年65歳ながら、翌日の緑では後続パーティーを大きく引き離して完登し、その日にうちにテントを撤収して下山されてしまった実力には脱帽の一言です。

翌朝は5時半頃に出発。6時過ぎには左岩稜の取り付き近くに着いて踏み跡を辿っていく。
トポによればもうそろそろ取り付きではないかと思ったが、パートナーのTさんは昨日偵察した取り付きはもう少し右上の方だというし、先行パーティーもそちらの方で準備しているので、そんなものかと思って後についていく。

先行パーティーのところまで行くと、そのリーダーは以前同じ会に所属していて数回一緒にクライミングをしたことのある先輩のKさんだったのにはお互いビックリ。昨日に続き奇遇が続くものだと感心する。Kさんのクライミング実力は良く知っているだけに後続させられることに少しいやな気もしたが、極端に遅ければ追い抜かせてもらえればいいやと、ゆっくり準備にとりかかる。

Kさんたちは左側の草付きから、我々は右側のスラブから取り付き、途中で合流。
Tさんのリードで始まり以後はツルベでいくが、1ピッチ目のトラバースはワンムーブだけ5.8くらいか
2ピッチ目は私のリードだか、Kさんはコーナーを右の方へ進んでいく。
私は真上のリッジに上がるのが正規ルートだろうと思っていたので、変な方に行くなあと思っていると案の定、行き詰まって悪いトラバースをしながら戻ってきてリッジを目指して垂壁を登り出す。
たよりないブッシュによるプアプロだったので、巻き添えを食いたくないとしばらく待機する。ようやくKさんが上に抜け出したので、私も直上を開始し、Kさんの登ったコーナーに達する。壁にはカムにぶら下げられたセカンドのためのアブミが残置されていて、気持ちが揺らぐが、ここが今日の核心かもしれないと思って、誘惑を断ち切ってフリーで越えていく。

ここでやっと正規ルートに入れたようであるが、ここまでで2時間あまりも消費してしまう。
ここからの人工ルートは先行パーティーは女性がリードするが、アブミの操作も今ひとつで、ピッチも短く切ってしまうものだから、かなり時間をロスしてしまう。
このピッチはセカンドの気安さでフリーとA0だけで越える。
次のピッチは本来の3ピッチ終了点まで単調なアブミの掛け替えで行き、そこからブッシュ帯をしばらく行く。まだザイルはのばせそうだったが、先行パーティーがビレイをしているので、やむをえずピッチを切る。
そこから2ピッチで広場に着き、その気になれば先行パーティーを抜くこともできたのだが、Tさんも先行パーティーが私の知り合いだということで、遠慮して抜かなかったようである。おかげで写真を撮ったり、展望を楽しんだり、ゆっくりと順番待ちを楽しむことができた。この頃は直射日光を浴びてかなり暑くなってきたが、爺の稜線はかすかに色づいていて秋が近づいていることを感じさせてくれる。

その後も単調なピッチが続いたが、コーナーのややハング気味の箇所で先行パーティーが苦戦していたので、我々は左のバンドを行く。ただこちらも思ったほど楽でなく、途中で弱気になってアブミを使ってしまう。その次のピッチでTさんがかけ声をかけながらブッシュをよじ登った(自分も後続してかけ声が出た理由が納得)後、しばらくして動きが止まってしまうので、先行パーティーと合流して順番待ちしているのだろうと思ってしばらく待ったが、あまりにも長い時間なので声をかけると、私に登って来いという。それではと、立ち木を渾身の力で登り切ってみると、なんとTさんは頭上ではなく真横にいる。一瞬頭が混乱してしまったが、先行パーティーも下降を開始しており3時半を過ぎた時間は潮時だと悟り、Tさんのいる所にトラバースして我々も下降に入る。

下降は手慣れたTさんにお任せして最初はシングル、途中からダブルで左岩稜通しに下降していく。途中で暗くなってきたのでヘツデンをつけると、右岩稜でもライトをつけて下降する3人パーティーが見える(このパーティーとこの後、衝撃的な出会いがあるとは、このときは神のみぞ知るでした)。
2ピッチ目終了点のところで、未知のリッジ通しのルートを下降するが、我々は既知のスラブを下降する。途中、Kさんと思われる悲鳴が聞こえる。暗闇の下降で振られて背中を強打したそうである。取り付きでKさんたちと合流するが、自力で下降できるというので、我々は先に踏み跡を辿り、一般登山道に出て帰途に向かう。

テントまでもう少しというところで、登山者に呼び止められて遭難事故救援への協力を要請される。あの右岩稜を下降していた3人パーティーの一人が一般登山路のフィックスロープが連続している箇所のロープの切れ目数メートルの間の踏み跡のところで足を滑らして20メートル以上滑落し、数カ所を骨折して動けなくなっているとのことである。
あいにく携帯は圏外であり、彼らの持ってきたトランシーバーも使い方がわからないということで、Tさんと彼らのひとりがダムまで救援依頼に急ぐことになった。

その晩は、彼らの一人が負傷者に付きそうということだったのでツェルトを貸して私はテントに戻る。今日一日あまりにもいろいろなことがあったので、なかなか寝付かれない。さきほどまでは左岩稜に時間がかかり過ぎたので、翌日予定した塚田・小暮は止めて緑に転進しようかという話もあったが、事故に遭遇した今となってはクライミングは論外であり、負傷者の無事救出だけが願いであった。

翌朝、夜明けとともに現場に戻ると、負傷者は意識はあり、容態に変化もないようであったので一安心し、救出のヘリの到着をジッと待つばかりであった。まもなく東の空に爆音とともにヘリが飛来してこちらに近づいてくる。すぐに手で合図したので、ホバリングして隊員が降りてくると思いきや、ヘリは出合いの方に戻ってしまい、そちらで高度を下げている。隊員を出合に降ろして、徒歩でこちらに向かってくらしい。隊員が到着するまで10分以上時間がかかり、ジリジリしながら待つ。

隊員が到着してからの行動は少し不可解であった。すぐにヘリで吊り上げて収容するのかと思いきや、負傷者の容態を見て緊急性はないと判断したのかもしれないが、出合まで担架で搬送するという。途中にフィックスロープの箇所もあり、なぜそんなことを言い出すのかと納得しかねていた。そのうちにTさんたちも戻ってくる。なんとダムから30分できたという。往年のトレイルランナーの本領発揮である。

隊員と本部との連絡が頻繁にあり、指揮命令系統も相当混乱しているようであったが、最終的には現場から吊り上げることになって、吊り上げやすい箇所に負傷者を皆で移して、しばらくしてやってきたヘリに吊り上げられる。そのときまでは負傷者は意識ははっきりしており、これで助かったという思いをみんながもったようである。

その後、隊員の一人が昨年の正月に早月で私が凍傷になったときのお世話になった方であることを知り、あらためてその時のお礼を言ったが、つくづく今回の奇遇の連続に驚く。隊員はすぐに帰る予定であったが、1ルンゼの出合にKさんがいて、もしかしたら負傷しているかもしれないというと、私に続いて隊員もKさんのところに行き、痛みもほぼ治まっていることを確認して、隊員はヘリで富山に戻っていった。

その後は負傷者と付き添いの人の荷物を分担して扇沢まで運ぶことになった。行きの時よりも荷物は重くなったが、訓練だと割り切り、大役を果たした安堵感で重荷もたいして苦にはならなかった。ところが、ダムに近づいて、携帯の通話が可能となった時に遭難パーティーの女性に遭難者は容態が急変して亡くなったという思いもかけない知らせが入る。
思い起こせば、最初にヘリが飛来してから負傷者を収容するまで3時間近くかかったということがどうしても悔やまれてならない。以前、岩壁で負傷者の収容に立ち会ったときは30分以内で収容は終わっており、そいういう意味では今回は2時間以上を無駄にしていて、それが遭難者の生命に決定的なものかどうかはわからないが、なんともやりきれない気持ちである。

我々も落胆は禁じ得なかったが、我々としては最善のことはやったのだと気持ちを切り替えて、扇沢で彼らに荷物を渡して別れ、七倉山荘に向かう。ここは今年のGWにも泊まったことがあるが、サービスは全く期待できないものの、1泊2食8千円の安さとロケーションの良さが取り柄である。今回も他に1組の客だけというガラガラ状態であった。管理人はGWの時とは違う人であったが、我々の会話を聞きつけて、自身の海外登山の話をうれしそうに話し出す。8千メートルに何度も登ったそうであるが、通常の客は海外登山の話には興味を示さず、100名山の話ばかりなので、欲求不満が貯まっていたようである。

翌朝は暗いうちから出かけたので、渋滞にもあわず朝10時前には帰宅できた。
Tさんには、長時間の運転と救援依頼のダム往復などすっかりお世話になった。
左岩稜は事実上の登攀終了はしており、条件さへそろっていれば完登は全く問題がないといえるので、秋の三連戦の初戦であり、私にとってはリハビリになった今回の山行は非常に有意義であったといえるでしょう。

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2009年9月17日 (木)

シルクロード旅行記完成

お待たせしました(誰も待っていないか)

第1回シルクロード旅行記が完成しました。以下のホームページのメニューから入っていってください。

http://homepage3.nifty.com/vibram/silkroad/

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野呂川右俣遡行

野呂川右俣からの大井川下降を目指して夜の茅野駅に降り立つ。2時間ばかり歩いて杖突峠を越えたあたりでツエルトを張って仮眠。翌朝、古屋敷のバス停からバスを乗り継いで、11時半に野呂川出会いに着く。ここから両俣小屋まではゆっくり歩いて3時間程度であった。付近には釣り人がいたので、しばらく眺めていたが、なかなか釣果はあがらないようであった。

北岳への一般コースとなる左俣と別れて右俣に入る。予想どおり穏やかな沢で順調に高度を稼げる。稜線が前方に見えてきた頃にはそろそろ暗くなり始めてきたので、適当な高みにツエルトを張る。

翌朝はどんよりとした天気で雨となるのは時間の問題であった。どの程度の雨になるのかはわからないがお手柔らかに願いたいものである。最初は沢通しに進んだが少し沢床から上がったところに比較的明瞭な踏み跡があったので、以後はそちらを行ったため行程も捗った。

右俣はあまり記録を見ない沢であるが、踏み跡からしてかなり歩かれているようではある。その割にはゴミひとつ落ちていないのは登る人の意識の高さが窺われる。

そのうちに沢は二手に分かれる。水量からすると左側が本流と思われたが、どうも東の方に伸びているようで、多分、間ノ岳方面に突き上げるのではないかという気がして、南の方に伸びる沢を選択する。

しばらく登っていくと、前方の上部に大きな空間が見えてくる。稜線に抜け出たのだろうと喜びいさんで辿り着くと、右側の方に更にハイマツの尾根が高さを増して伸びている。ということは、ここはまだ支尾根の途中で稜線まではもうしばらくということだ。思いがけないハイマツ漕ぎをしながらかなり登っていくと、ようやく一般縦走路と思しきところに出たが、まだ現在地が確認できない。その縦走路は東西ではなく、南北に伸びている。ということは間ノ岳~三ツ峰の縦走路ではなく、仙丈~三ツ峰の縦走路に違いない。南に進路を取ったつもりが、思ったよりも西へ行ってしまったようである。まもなく間ノ岳と熊ノ平の分岐点に出たが、この頃から風雨が強くなってくる。トムラウシの遭難事故が思い出され、低体温症になることを恐れて、岩陰で雨具の下にセーターを着込んで、腹ごしらえをする。

この頃はまだ大井川を下降する気持ちが残っており、三ツ峰の頂上付近から大井川(厳密に言うと、上部は三国川と言うが)への下降点を探すが、すぐ下からはハイマツが群生していてとても降りられそうもないことから、三国平まで行って、農鳥小屋への巻き道の途中から下降点を探すことにした。

巻き道に進んでからも下降点と思えるところはなく、この悪天を考えると大井川下降はあきらめた方がいいという気持ちに傾きはじめた。そのうちに、大岩が積み重なって雨風をしのげるビバーク地が見つかり、一度はそこでビバークすることも考えたが、濡れた体でビバークするのもいやになり、農鳥小屋でくつろいで寝たいという気持ちが強くなってきた。

やがて大井川下降は完全にあきらめ、農鳥小屋に向かうことにする。途中、近くで何回か雷が落ちて肝を冷やす。小屋には暗くなる前に着いたが、うるさい小屋の主人からはこんな時間に来てと文句を言われる。

素泊まりの小屋には奈良田から登ってきた若者が一人いて、その晩は持参した焼酎を飲みながら、山の話に花が咲いた。

翌朝は天気が回復したが、風は相当強かった。若者が北岳を目指して出発した後、日程に一日余裕が出来た自分は最終バスに間に合えばいいやと、のんびりと奈良田に向けて出発する。

といってもいきなり下るわけではなく、まずは西農鳥、農鳥という3千メートル峰をふたつ越していかなければならない。強風の中で少したいへんだったが、今回最後のピークである農鳥岳に無事登頂し、360度の展望を楽しんだ。特に下の写真にある間ノ岳から北岳のかけての稜線は過去に何度か歩いたことがありますが、また行ってみたいものである。

Photo

大門沢の下降路に入ってからもあいかわらずのんびりムードで、長時間休憩して食事をしたりしていたものだから、北岳小屋から来た人にもどんどん抜かれていく。足が多少いたかったこともあるが、一向にあせることもなく、のんびりと下って大門沢の小屋に着く。

奈良田まではあと2時間くらいかなとのんびりしていたら、小屋に書いてあった案内によると3時間半かかるとのこと。今までのペースでは最終バスに間に合わないことになるので、ややペースを上げて歩いたので、温泉に入る時間まではなかったものの、多少余裕をもって奈良田に着くことができた。

今回、当初の目的である大井川下降はできなかったが、来年以降に再度チャレンジするつもりだ。そのときは、バスの便のいい夏休み期間中を狙い、初日に広河原~両俣小屋経由で仙塩尾根を通って、井川越えから乗越沢源頭付近でビバークして、翌日に大井川の上流を下降して二軒小屋に至るコースが考えられる。

大井川の完全下降とはなりませんが、三国川に直接降りるのは難しいというのが、今回の印象でしたので、確実に行けそうなコースへの変更もやむをえないかなというのが今回の下見となってしまった山行の結論である。

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2009年9月14日 (月)

シルクロード旅行記アップしました

まだ書きかけですが、以下にアップしましたので、よろしければご覧ください。

http://homepage3.nifty.com/vibram/silkroad/2009/

順次、続きを書きますので、こうご期待!

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2009年9月 9日 (水)

奥の細道続編

JR東日本の特急が3日間乗り放題という大人の休日倶楽部で、前回歩き残した中尊寺までを目指しましたが、結局は平泉手前の一ノ関で時間切れとなりました。

始発の東北新幹線で仙台に向かい、前回は時間が足りなくて素通りした多賀城址に寄ってから、前回の最終到達地点である小牛田からスタートする。

Photo

多賀城址

今日は60キロ以上の行程であるが、ジョギングで完走することを目指すものの、詳細な地図を持たなかったこともあって、途中道に迷ったりして行程が捗らない。10時にスタートして3時半に行程の約半分である「くりこま高原」に到着。そこで遅い昼飯をとってから再び前進するが、前回の仙台以来、久々となる4号線にやっとでたときは、既にあたりは暗くなりはじめていました。

7時過ぎにようやく岩手県に入る。宮城県の通過に丸々4日を要したことになる。その先で一ノ関市街への分岐点があったが、中尊寺はともかくとして平泉までは是が非でもという思いから4号線をそのまま進む。

ところが、その少し先に表示があって平泉までは12キロとある。元気なときであれば走れば充分間に合う距離であるが、今の足の疲労具合では1時間ではとても着けそうもなかったので、踵を返して一ノ関の駅に向かう。一ノ関の駅までも結構あって、ぎりぎりで最終に乗れる時間であった。

中尊寺以降は次回にまた行くことになるが、今回の到達地点である一ノ関から自分が北のゴールとしている宗谷岬までは直線距離でまだ600キロもある。先が長い旅である。

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2009年9月 5日 (土)

五十三次と細道を繋ぐ

シルクロード旅行の詳細は後日にホームページに掲載することとして、今日は仕事帰りに、日本橋から千住まで走り、これで東海道五十三次と奥の細道が京都から宮城まで繋がりましたので、後は北と南にそれぞれ行程を延ばして、日本列島縦断二千キロ(うち、半分くらいは今年の夏だけで行ってきたわけであるが)の完成を目指したい。

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2009年9月 2日 (水)

シルクロードの写真2

Kouga

蘭州Daibutu

Bakkoukutu_soto

Bakkoukutu_naibu

Cyoujyou

Rakuda

Heibayou

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シルクロードの写真1

西安                                                                                                            Syougantou

小雁塔Daigantou

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