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2009年9月22日 (火)

奇遇続きの丸山東壁

リハビリクライミングとして丸山東壁左岩稜に行ってきました。
画像は以下にあります。

http://homepage3.nifty.com/vibram/2009maruyama/

鎖骨骨折から3ケ月弱、ギブスがとれて3週間弱で、医者からは重い荷物を背負うことは禁じられていたが、内蔵助谷出合までの2時間弱ならば多分大丈夫だろうと、アルコール類をしこたま詰め込んで25キロの荷物となったベースまでの歩行が今回の最大の核心になることを予感する。

渋滞を避けて前夜発、途中仮眠して扇沢に到着。
黒部ダムまでは観光客でごったがえすが、登山道に出れば静寂が待っている。
肩に負荷がかかりすぎないようにセーブして歩いたため、Tさんからは遅れ気味となる。

まもなく内蔵助谷出合に着いて鉄塔下に幕営し、翌日の偵察を終えてから宴会モードに入る。
かなり飲んでそろそろ寝ようかと思った頃、上の台地にテントを張ってある人が通りかかると、知り合いの知り合いであるガイドのTさんでした。
ガイドのTさんは数年前に念願だったウォーカー稜に成功した人でジョラスやアルプスの話に花が咲き、寝るのは9時半過ぎとなる。
ここでTさんと会うとは山の世界は狭いものだ。
ガイドのTさんは御年65歳ながら、翌日の緑では後続パーティーを大きく引き離して完登し、その日にうちにテントを撤収して下山されてしまった実力には脱帽の一言です。

翌朝は5時半頃に出発。6時過ぎには左岩稜の取り付き近くに着いて踏み跡を辿っていく。
トポによればもうそろそろ取り付きではないかと思ったが、パートナーのTさんは昨日偵察した取り付きはもう少し右上の方だというし、先行パーティーもそちらの方で準備しているので、そんなものかと思って後についていく。

先行パーティーのところまで行くと、そのリーダーは以前同じ会に所属していて数回一緒にクライミングをしたことのある先輩のKさんだったのにはお互いビックリ。昨日に続き奇遇が続くものだと感心する。Kさんのクライミング実力は良く知っているだけに後続させられることに少しいやな気もしたが、極端に遅ければ追い抜かせてもらえればいいやと、ゆっくり準備にとりかかる。

Kさんたちは左側の草付きから、我々は右側のスラブから取り付き、途中で合流。
Tさんのリードで始まり以後はツルベでいくが、1ピッチ目のトラバースはワンムーブだけ5.8くらいか
2ピッチ目は私のリードだか、Kさんはコーナーを右の方へ進んでいく。
私は真上のリッジに上がるのが正規ルートだろうと思っていたので、変な方に行くなあと思っていると案の定、行き詰まって悪いトラバースをしながら戻ってきてリッジを目指して垂壁を登り出す。
たよりないブッシュによるプアプロだったので、巻き添えを食いたくないとしばらく待機する。ようやくKさんが上に抜け出したので、私も直上を開始し、Kさんの登ったコーナーに達する。壁にはカムにぶら下げられたセカンドのためのアブミが残置されていて、気持ちが揺らぐが、ここが今日の核心かもしれないと思って、誘惑を断ち切ってフリーで越えていく。

ここでやっと正規ルートに入れたようであるが、ここまでで2時間あまりも消費してしまう。
ここからの人工ルートは先行パーティーは女性がリードするが、アブミの操作も今ひとつで、ピッチも短く切ってしまうものだから、かなり時間をロスしてしまう。
このピッチはセカンドの気安さでフリーとA0だけで越える。
次のピッチは本来の3ピッチ終了点まで単調なアブミの掛け替えで行き、そこからブッシュ帯をしばらく行く。まだザイルはのばせそうだったが、先行パーティーがビレイをしているので、やむをえずピッチを切る。
そこから2ピッチで広場に着き、その気になれば先行パーティーを抜くこともできたのだが、Tさんも先行パーティーが私の知り合いだということで、遠慮して抜かなかったようである。おかげで写真を撮ったり、展望を楽しんだり、ゆっくりと順番待ちを楽しむことができた。この頃は直射日光を浴びてかなり暑くなってきたが、爺の稜線はかすかに色づいていて秋が近づいていることを感じさせてくれる。

その後も単調なピッチが続いたが、コーナーのややハング気味の箇所で先行パーティーが苦戦していたので、我々は左のバンドを行く。ただこちらも思ったほど楽でなく、途中で弱気になってアブミを使ってしまう。その次のピッチでTさんがかけ声をかけながらブッシュをよじ登った(自分も後続してかけ声が出た理由が納得)後、しばらくして動きが止まってしまうので、先行パーティーと合流して順番待ちしているのだろうと思ってしばらく待ったが、あまりにも長い時間なので声をかけると、私に登って来いという。それではと、立ち木を渾身の力で登り切ってみると、なんとTさんは頭上ではなく真横にいる。一瞬頭が混乱してしまったが、先行パーティーも下降を開始しており3時半を過ぎた時間は潮時だと悟り、Tさんのいる所にトラバースして我々も下降に入る。

下降は手慣れたTさんにお任せして最初はシングル、途中からダブルで左岩稜通しに下降していく。途中で暗くなってきたのでヘツデンをつけると、右岩稜でもライトをつけて下降する3人パーティーが見える(このパーティーとこの後、衝撃的な出会いがあるとは、このときは神のみぞ知るでした)。
2ピッチ目終了点のところで、未知のリッジ通しのルートを下降するが、我々は既知のスラブを下降する。途中、Kさんと思われる悲鳴が聞こえる。暗闇の下降で振られて背中を強打したそうである。取り付きでKさんたちと合流するが、自力で下降できるというので、我々は先に踏み跡を辿り、一般登山道に出て帰途に向かう。

テントまでもう少しというところで、登山者に呼び止められて遭難事故救援への協力を要請される。あの右岩稜を下降していた3人パーティーの一人が一般登山路のフィックスロープが連続している箇所のロープの切れ目数メートルの間の踏み跡のところで足を滑らして20メートル以上滑落し、数カ所を骨折して動けなくなっているとのことである。
あいにく携帯は圏外であり、彼らの持ってきたトランシーバーも使い方がわからないということで、Tさんと彼らのひとりがダムまで救援依頼に急ぐことになった。

その晩は、彼らの一人が負傷者に付きそうということだったのでツェルトを貸して私はテントに戻る。今日一日あまりにもいろいろなことがあったので、なかなか寝付かれない。さきほどまでは左岩稜に時間がかかり過ぎたので、翌日予定した塚田・小暮は止めて緑に転進しようかという話もあったが、事故に遭遇した今となってはクライミングは論外であり、負傷者の無事救出だけが願いであった。

翌朝、夜明けとともに現場に戻ると、負傷者は意識はあり、容態に変化もないようであったので一安心し、救出のヘリの到着をジッと待つばかりであった。まもなく東の空に爆音とともにヘリが飛来してこちらに近づいてくる。すぐに手で合図したので、ホバリングして隊員が降りてくると思いきや、ヘリは出合いの方に戻ってしまい、そちらで高度を下げている。隊員を出合に降ろして、徒歩でこちらに向かってくらしい。隊員が到着するまで10分以上時間がかかり、ジリジリしながら待つ。

隊員が到着してからの行動は少し不可解であった。すぐにヘリで吊り上げて収容するのかと思いきや、負傷者の容態を見て緊急性はないと判断したのかもしれないが、出合まで担架で搬送するという。途中にフィックスロープの箇所もあり、なぜそんなことを言い出すのかと納得しかねていた。そのうちにTさんたちも戻ってくる。なんとダムから30分できたという。往年のトレイルランナーの本領発揮である。

隊員と本部との連絡が頻繁にあり、指揮命令系統も相当混乱しているようであったが、最終的には現場から吊り上げることになって、吊り上げやすい箇所に負傷者を皆で移して、しばらくしてやってきたヘリに吊り上げられる。そのときまでは負傷者は意識ははっきりしており、これで助かったという思いをみんながもったようである。

その後、隊員の一人が昨年の正月に早月で私が凍傷になったときのお世話になった方であることを知り、あらためてその時のお礼を言ったが、つくづく今回の奇遇の連続に驚く。隊員はすぐに帰る予定であったが、1ルンゼの出合にKさんがいて、もしかしたら負傷しているかもしれないというと、私に続いて隊員もKさんのところに行き、痛みもほぼ治まっていることを確認して、隊員はヘリで富山に戻っていった。

その後は負傷者と付き添いの人の荷物を分担して扇沢まで運ぶことになった。行きの時よりも荷物は重くなったが、訓練だと割り切り、大役を果たした安堵感で重荷もたいして苦にはならなかった。ところが、ダムに近づいて、携帯の通話が可能となった時に遭難パーティーの女性に遭難者は容態が急変して亡くなったという思いもかけない知らせが入る。
思い起こせば、最初にヘリが飛来してから負傷者を収容するまで3時間近くかかったということがどうしても悔やまれてならない。以前、岩壁で負傷者の収容に立ち会ったときは30分以内で収容は終わっており、そいういう意味では今回は2時間以上を無駄にしていて、それが遭難者の生命に決定的なものかどうかはわからないが、なんともやりきれない気持ちである。

我々も落胆は禁じ得なかったが、我々としては最善のことはやったのだと気持ちを切り替えて、扇沢で彼らに荷物を渡して別れ、七倉山荘に向かう。ここは今年のGWにも泊まったことがあるが、サービスは全く期待できないものの、1泊2食8千円の安さとロケーションの良さが取り柄である。今回も他に1組の客だけというガラガラ状態であった。管理人はGWの時とは違う人であったが、我々の会話を聞きつけて、自身の海外登山の話をうれしそうに話し出す。8千メートルに何度も登ったそうであるが、通常の客は海外登山の話には興味を示さず、100名山の話ばかりなので、欲求不満が貯まっていたようである。

翌朝は暗いうちから出かけたので、渋滞にもあわず朝10時前には帰宅できた。
Tさんには、長時間の運転と救援依頼のダム往復などすっかりお世話になった。
左岩稜は事実上の登攀終了はしており、条件さへそろっていれば完登は全く問題がないといえるので、秋の三連戦の初戦であり、私にとってはリハビリになった今回の山行は非常に有意義であったといえるでしょう。

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