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2010年6月

2010年6月30日 (水)

東北シリーズ

前回から半年以上たってしまい久々の東北シリーズです。

初日は水沢から北上までの20キロの行程である。5時間くらいの比較的短い時間だったが、天気が良かったので、かなり消耗しました。最後に北上川の支流である和賀川を越えて北上駅に着いたのは、予定よりも1時間も早い2時前であったが、明日の早池峰山登山に備えて、今日はセーブしてここまでとしました。

Isawa

2日目は以前から一度は行きたいと思っていた早池峰山です。早池峰山といえばエーデルワイス(日本名は「うすゆきそう」)です。この花がなければ、誰も訪れない不遇な山となっていたかもしれませんが、夥しい数のハイカーとこれまた大勢の監視員で静かな山ばかり行っている自分としては珍しい山となりました。今回は家内と一緒だったので、のんびりと登りましたが、それでも、ほぼコースタイムどおり登れたのですが、下りではさすがに家内もバテテしまったようで、抜かれっぱなしでしたが、最終バスまでには1時間以上も時間があり、待ちかまえていたブヨの標的となりました。その他の高山植物も見事なのですが、ブヨの多いのには参りました。その晩は花巻温泉に泊まってゆっくりさせてもらいました。

Edel_weis

最終日は北上から盛岡までの50キロのロングコースです。そのため午前中はジョギングで行きましたが、気温がグングン上昇して正午前には29度を越えたため、走る気力も失せ、以後歩きに変わります。花巻の先で東京から500キロの標示に出会い、はるばると来たものだなあと感慨に更けたが、今日の行程はまだ30キロ以上あるため、気を引き締め直す。

500k_3

夕方になって気温も下がり始めたため、再びジョギングを始めて少しペースも上がってきた。おかげで一時はリタイアかと弱気になったが、なんとか完走できる見込みも出てきた。やがて盛岡の一つ手前の駅への入り口まで達し、後5キロほどでゴールというところまで辿り着くことができた。最終新幹線の発車時間までは1時間半くらいはあり、なんとか間に合う目途もついてきた。今まで進んできた4号線は盛岡中心部を迂回するので、盛岡駅と表示された道に進路をとる。ところが人家が急に少なくなり、道も暗くなってきて、本当に盛岡駅を目指しているのか少し不安となる。だいぶ歩いて、駅まで1キロぐらいだろうと思っていたら盛岡駅まで3キロの標示があってガーンとする。後40分じゃとても無理と走り出す。途中道に迷って人に駅を尋ねたりするが、とても歩ける距離じゃないなどといわれてますます焦る。焦るにつれてスピードがどんどん上がっていき、北上川を越えると、ようやく駅が見えてきた。ラストスパートで駅の階段を飛び上がり、発車1分前にぎりぎりで飛び乗ってなんとかセーフ。毎度のことながら、最後にこんなに苦労するとは

今回はひやひやながらなんとか予定をクリアできた。青森までは国道そいに行ってあと200キロ少々。私は岩手山~八幡平~十和田湖経由を予定しているのでそれ以上の距離があるでしょう。この秋にチャレンジしますが、本当に青森まで行けるのだろうか

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2010年6月22日 (火)

富士山

来月のアルプスのための高所順化と昨年11月に吹雪のため頂上小屋裏のビバーク地に放棄してしまった荷物の回収を目的に富士山に向かう。今年の富士山は例年より雪がだいぶ多いようで、登山競争の練習に来ている人も7~8合目で折り返しているようであった。7合目で休んでいるランナーに話しかけると、一人は初挑戦でもう一人はまだ完走していないとのことである。私が5年くらい前までは出場していて、2勝2敗だというと、「完走者というだけで尊敬しちゃいます」と妙な褒められ方をしてしまった。

8合目を過ぎると、ランナーもいなくなり雪山歩きが始まる。途中に富士山登頂30回の記念レリーフがあった。果たして自分は何回登ったのだろう。登山競争とその練習や高所訓練等で自分もそのくらい登っているかもしれない。9合目に着いたのが4時半で小屋前にテントが一張りある。時間的には私も泊まってもいい時間だが、冒頭に書いた目的のためには、是が非でも頂上まで行かなければならない。

気温も下がってきて時々雪もちらついてくる。雪面もだいぶ堅くなり、ところどころでは強くキックステップをしなければいけなくなる。今までのチンタラした気分からクライミングモードにギアチェンジしたようで、疲れも一気になくなる。

6時前にようやく吉田口頂上に到着。すぐに小屋の裏手に行ってみるが、前回ビバークしたところは窪地であったため、1メ-トル近くの雪に埋まっており、ちょっと掘ってみたがあきらめて、翌朝またトライすることにしてテントの設営に入る。幸い、今日は風も強くなかったが、霧雨状態であったため、フライのない私のテントはたちまち濡れてしまう。薄いシュラフしか持ってこなかったため、寒くて熟睡はできなかった。

翌朝目覚めると、依然霧雨状態のはっきりしない天気である。パッキングを済ませてから小屋の裏手に戻って雪を掘り始めるが、すぐに氷に変わってしまい、回収は無理と判断して下山することにする。放置した荷物は古い装備ばかりなので惜しくはないが、小屋の人に遭難と間違われては困るので、後で連絡だけはしておこう。

下りは最初からアイゼンを着けていく。適度にクラストしているので危険はないが、9合目の小屋まで着くとホッとする。そこで今朝3時に馬返しから登ってきた人と出会う。アイゼンは着けているが、ピッケルはないので、ストックだけで大丈夫かと聞かれる。「基本的には大丈夫だが、滑落した時に止められないので、滑落しない自信があれば」としか答えられない。彼と別れてしばらく降りたところでアイゼンを脱いでしまうが、その先にもまた雪道の下降があった。またアイゼンを履くのも面倒だし、キックステップで降りるのもしんどそうだったので、雪のない夏道の下降路の方を行くことにする。まだ整備されていないので、多少歩きにくかったが、ブルトーザーが止まっている下からは歩きやすい道になっていた。登山競争の帰りにはこの道を2時間くらいで行ってしまうのだが、今日は倍以上の時間をかけてゆっくりと降りてスバルラインのバス停に到着し、今回の山行にピリオドを打った。

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2010年6月13日 (日)

海抜ゼロメートルからの挑戦

富士山を海抜ゼロメートルから登ってみようと思い立ったが、富士宮登山口5合目までは50キロ以上あり、荷物を背負ってでは一日では着きそうにもなかったので、五合目までは自転車で行くことにする。

五合目の標高は2400メートルだか、美ヶ原ヒルクライムでは1200メートルを2時間以内で登っているので、5時間もあれば着くだろうと軽く考えていましたが、これが幻想に過ぎないことを走り出して直ぐに悟りました。テント等の生活用具、ピッケル・アイゼン等の登山用具、修理用の工具類一式を積み込んだ自転車では、登り出すとたちまち息は切れるは、足が重くなるはで、7~8時間はかかることを覚悟。なんとか5合目まで辿り着いても、果たしてその先歩いて行く体力が残っているかどうか

標高850メートルあたりまで登り、そろそろ左に行く道があるはずと探すが見つからない。行きすぎたかと思って、せっかく登った道を150メートルくらい高度を下げて戻ったが、やはりそれらしき道はない。途中で休憩していたサイクラーに聞くと、彼のメモ書きではもう少し先に左折する道があるという。それを信じて行きすぎたと思うくらい行くと、たしかに左折する道はあったが、どうもこの道は自転車では通行できない有料道路に繋がる道のようなので、途中から引き返す。

これで富士宮登山道を行くことをあきらめて、太郎坊から頂上を目指すことに計画を変更して御殿場に向けて下降を始める。実は帰ってからネットの地図を調べてわかったことであるが、迷って往復していた途中にあったゴルフ場の入り口と思いこんでいたところが目指す道のようであった。実際のゴルフ場はその道をしばらく進んだ道の右側にあるのだが、国道からわかりやすいように門柱をたてたのだろう。他に表示もないので、これが富士宮登山口につながる道だとは知らないとまずわからない。もっとも東京方面からの人は御殿場経由で上の道から、静岡以西からは富士宮から直接、沼津方面からは有料道路経由だろうから、こんな道を通る人はまずいないのだろう。

太郎坊の道は何度も通ったところなので、迷う心配はないのであるが、青年の家を過ぎたあたりの登りから足が重くなり、これではとても山を登れそうもないと感じたので、いさぎよくあきらめて御殿場に向けて下ることにする。このまま御殿場から帰るのでは気が済まなかったので、行けるところまで行くことにする。足が疲れていても、下りや平地であればなんということはない。御殿場から50キロ先の厚木まで行って、今日のゴールとする。

Photo 海抜0メートル(表示は10メートル)からスタートしたのだが

Photo_2 今日の行程

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2010年6月 9日 (水)

GPSロガー

GPS全盛の時代にあっても、地図の読図にこだわりがあってGPSを拒否していたのだが、自転車に乗るようになってから、どこを通ってきたのかわからないということがふえてきたので、あとから通過地点を確認する目的のみでGPSロガーを購入しました。

消しゴムくらいの大きさですが、ロガーとしてはちゃんと機能します。先日の「東京都境踏破 その5」も以下のように表示されています。でも、なまじロガーを持つと、本物のGPSも欲しくなってきちゃいます。かといって、あのばかデカイのを持ち歩くのもなあ。せめて携帯にGPSが機能があればいいのだが。昨年携帯を買い換えたばかりで、その時は海外ローミング機能ばかりしか眼中になく、GPS機能のことなど全く考えなかったことを悔やむ今日このごろです。

Gpslog_2

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2010年6月 5日 (土)

東京都境制覇 その5

成増から、荒川、江戸川を経て東京湾まで行ってきました。

環八を行きすぎてしまい、成増まで戻るのにかなり時間のロスがあった。成増から荒川までも道に迷ったが、なんとか辿り着く。荒川からは快適なサイクリングロードが続く。途中からは荒川マラソンのコースとなり、いろいろと思い出が蘇る。

鹿浜橋で荒川と別れるが、そこから先もまた道に迷う。ようやく毛長川に着き、昔住んだことのある花畑の団地にも足を伸ばして見る。

毛長川が綾瀬川と合流した少し先の匠橋を渡らなければいけないのを通り過ぎてしまったため、加平から引き返す羽目に。都境は中川を越えて東に向かうが、橋がないため飯塚橋まで大きく迂回し、水元公園で都境に戻る。

公園沿いにしばらく行くと、今日の最後の川の江戸川に合流。そこから南下して2時間ほどで河口に到着して東京北部東部の境は全て制覇。残るは、棒ノ峰から天目山の山稜部分だけとなった。夏場は暑いので、涼しくなってから行ってみよう。

Cimg0797 江戸川河口

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東京都境制覇 その4

腰痛がようやく回復に向かってきたので、リハビリを兼ねて、家内と一緒に奥多摩の小沢峠から棒ノ峰の手前まで歩きました。

小沢峠付近までは前回自転車で来ているので、上成木までバスで行き、そこから峠に上がって西に縦走することにしたが、午前中のバスが2本しかないので青梅発10時34分と遅いスタートとなった。

小沢峠まではすぐに着いたが、そこから先は緩やかな尾根がずっと続いている。途中1回だけ仕事道に迷い込んだが、すぐに気付いて正しい道に戻る。尾根上には鹿除けのネットが延々と張られているが、その途中の見晴らしのよいところで昼飯とする。

黒山は思ったよりも遠かったが、広々とした山頂である。そこからは下り一方かと思ったが、名栗側への分岐点まではしばらく登りが続く。分岐点から棒ノ峰まではさほどの距離でもないようであるが、時間の余裕があまりなかったので、すぐに下降に移る。下降はやや急で木の根っこがたくさんあるので、山に慣れていない家内は苦労していたようである。

河又までは思ったより時間がかかったので、さわらびの湯には寄らずに丁度時間に間に合った飯能行きのバスに飛び乗って帰ってしまった。比較的ポピュラーなハイキングコースではあるが、平日のため誰にも会わない一日であった。

Cimg0777黒山山頂

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2010年6月 1日 (火)

歴史に思いをはせる

腰をいためてしまい、体を十分に動かせないこともあって、前から見たいと思っていた「襤褸の旗」と「草の乱」というだいぶ前の映画を見ようと思い立ったが、後者のDVDは地元のレンタルビデオ店で簡単に入手できたものの、1974年の映画である前者はビデオしかなく、今はほとんど入手不可能ということであったが、荒川の図書館で借りられることがわかり、ようやく見ることができた。
前者は足尾鉱毒の被害にあった農民とそれを指導した田中正造の日本初の反公害闘争の物語であり、後者は松方デフレによって困窮を極めた秩父地方の養蚕農家が自由民権運動と結びついて世直し一揆を起こしたものの、短期間に弾圧されてしまった秩父事件の一部始終を首謀者の一人である井上伝蔵の回顧で綴ったものである。

いずれも権力の前には抵抗する人民はいかに弱い存在であるかということを見せつけられて空しい気持ちにさせられてしまう。
イギリスを筆頭にして全ての国において、一部の者が人民から収奪した富を近代化(=工業化)の原資として発展してきたことは事実であり、これらの映画の題材もその一例に過ぎないともいえようが、果たしてそれ以外に近代化の途がなかったのであろうか。自由民権がわが国においてしっかりと根付き、弱者が切り捨てられずに救済される風土が形成されていたならば、戦前の日本の運命も大きく変わっていたのではないかという気がしてならない。

日本の人民史における巨大な先駆けとなった二つの事件の史跡を訪れれば、先人の思いが少しでも分かち合えるのではなかろうか
近々、ぜひ訪れてみたいものである。

Kusa_no_ran_2

Ranru_no_hata 

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