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2010年7月30日 (金)

アルプス旅行記 その3・完結(ドロミテ・ツーリング篇)

7月23日(金)
 目覚めると、昨夜からの雨がまだ降り続いていた。シャモニに来て2週間近くになるが、朝から雨が降っているのは初めてである。考えてみれば、本当に天候に恵まれてラッキーだった。この雨模様も、シャモニを去る寂しさを映し出しているかのようであった。
 宿の近くのバス停からバスに乗って中心街で下車して、郵便局で絵葉書を投函してから駅に向かった。途中、スネルスポーツに寄って神田さんに挨拶していこうかなとも思ったが、今回は特別お世話になったわけでもないし、なんか最後のお別れをいうような気がしないでもなかったので、寄らないことにした。
 駅に着くと、これから4日間の今旅行最後のイベントである北イタリアの旅が始まるのだ。ベネチアまで3回も乗り換えることになるが、うちマルティーニだけは乗り換え時間が13分しかないのが多少気掛かりではあった(他の駅は1時間以上あり)。まあスイスの鉄道は時間が正確であると聞いているし(イタリアの鉄道は遅れるのが当たり前だそうで、このあたりは国民性の違いか)、それほど心配はしていなかったが、駅のインフォメーションを見ると、私の乗る列車は15分遅れとなっている(後で知ったことだが、この日氷河特急の事故が発生したそうで、その影響かもしれない)。マルティーニで乗り遅れると、後の列車の予約もパーっとなり、今日中にベネチアまで行けるかどうか危ぶまれるが、その時はその時だと開き直って列車に乗り込む。
 ところが列車は次第に遅れを取り戻し、マルティーニにはさほど遅れなしに到着する。乗り換える列車のホームがわからなかったので、ホームの反対側に止まっている列車に乗り込んで乗客に聞いてみると、この列車ではなく隣のホームに今、滑り込んできた列車だという。重荷を背負って階段を駆け上り、間一髪でセーフ。危うく遅れの取り戻しをフイにするところだった。
 ミラノまでは何を間違ったか1等を予約してしまい、ゆったりとした気分で行くことができた。ミラノでは1時間余り乗り換え時間があるが、以前に半日あまり街を観光したこともあるので、街には出ずに駅でのんびりする。ベネチアからは2等であるが、指定席なのでゆっくりと列車に乗り込む。イタリアの鉄道は遅れるのが普通であると聞いていたが、今までのところはダイヤ通り運行している。ベネチアには本土にあるメストレ駅と島にあるサンタルチア駅があり、観光客は通常は後者の方で下車するが、今回はコルティナに行くのが目的なのでメストレ駅で下車する。
 メストレ駅の荷物預かり所に大きな荷物は預けて身軽になってから、翌朝のコルティナ行きのバス発車場を確認後、ホテルに向かう。ダウンロードしたホテルの案内図では駅からすぐのようになっているので歩いていくが、でたらめな地図で大回りをさせられた上に何度も道を聞いて1時間以上かけてやっと着くことができた。早く着いたら島の方に観光に行くつもりであったが、その気もなくなって(過去2回も観光しているし)駅の方に行ってみたところ、まっすぐ行けば15分程度であった。その晩は駅の近くで食事してホテルに戻った。

7月24日(土)
 コルティナ行きのバスは8時5分過ぎであるが、シーズンでもあることだし、満員になってしまったらたいへんと、ホテルの朝食も摂らずに発車場に向かうが、結局はそこそこは空席のある状態での発車となった。3時間あまりかかってコルティナに着く。標高は約1200メートルである。日本ではコルティナダンペッツォという名で知られており、1956年のオリンピックで猪谷千春が日本人初の冬期メダリストとなったところで有名であるが(因みに、同大会ではトニーザイラーがアルペン三冠王)、現地ではコルティナと呼ぶのが普通のようだ。
 コルティナからドロミテまでのバスの情報が日本では得られず予定がたちにくかったので、コルティナに到着後、バス会社の事務所に出かけてみると、12時半から2時半まではクローズとなっている(さすが、イタリア!)。困ってしまってあたりをうろうろしていると、貸自転車の看板が目に入る。全然予定していないことであったが、自転車なら時間の制約なくあちこと行けるので、これにしようと早速マウンテンバイク(MTBと略)を借りて、いざドロミテに出発進行!
 町を一歩出てミズリーナ湖を目指すと、いきなりの急坂に気持ちがめげそうになってくる。それでも最初はまだ元気があったが、キャンピング用具一式を背負ってのヒルクライムなので、太ももに乳酸がたまりっぱなしとなり、空身でロードレーサーに乗っている連中に次々と抜かれまくる。別に競走しているわけではないので、マイペースでいけばいいやと、時々は休みながら進んでいく。1805メートルの峠を越えれば、後はミズリーナ湖までは緩やかな下りとなるので、とにかくそこまでは頑張ることにする。
 峠を越えてミズリーナまでのダウンヒルは快適で(帰りはここを登るのかという不安も少しはあったが)、あたりの風景を愉しむ余裕も出てきた。ドロミテの山々は優美なシャモニのそれと違い、ゴツゴツした怪峰ばかりという感じであった。
 ミズリーナ湖に着いたのは5時頃であった。湖のすぐ隣がオートキャンプ場があり、たくさんのテントが張られていた。予定では今日はここから約600メートル上方にあるオーロンツォ小屋付近まで行くつもりであったが、時間的には多分可能なものの、これから荷物を背負ってヒルクライムするたいへんさを考えると、今日はここでキャンプし、明日の朝、身軽になって上まで行った方がいいだろうという気になって、キャンプをすることになった。今晩と明朝の食事は日本から持参したフリーズドライの五目飯とスープだけという寂しいものである。それよりも寂しかったのは、酒を持ってこなかったことである。別に軽量化のために省いたわけではなく(そんなことするわけないでしょ)、コルティナの町には私が探した限りではスーパーが見あたらなかったからである。

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7月25日(日)
 翌朝は早出するつもりが寝過ごしてしまった。実のところは3時に起きて4時には朝食を終えたのであるが、二度寝をしてしまったのだ。あわてて軽装でMTBに跨った時には7時近くになっていた。軽装なのでさっそうとと言いたいところであるが、昨日の太ももの疲れがまだ残っていて、急坂ではMTBを降りて歩いてしまう始末である。朝はまだ早いため、コルティナから自転車で上がってくる連中にはまだ追いつかれていないことだけが救いであった(キャンプ場に自転車で来ていたのは私だけで、他は全員車であった)。ヒーヒー言いながらもオーロンツォ小屋まで登ると、舗装路はここで終わり、後はほぼ水平なダートをラバレド小屋まで行くことになる。MTBの本領発揮のところである。歩けば30分はかかるところも、MTBならばあっという間についてしまう。
 ここから峠までは登りとなる。最初はMTBで登るつもりであったが、道も狭い上大勢の人が登っていて、MTBで行くと迷惑になりそうなので、MTBは置いて歩いていくことにした。峠まで登り切ると有名なドライチンネが見えてくる。チマ・オベストの方に近づくと下部を登っているクライマーの姿が見える。その隣のチマ・グランデに目を移すと取り付きからはずっとオーバーハングが続く凄い迫力である。ここを戦前に初登攀したエミリオ・コミチや戦後に冬期初登したワルター・ボナッティといった名クライマーの名前が浮かんでくる。

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 時間があればゆっくりしたいところであるが、そうもいかないので下山にかかる。ラバレド小屋からMTBに乗ると、下から来る日本のツアー一行とすれ違い、「日本人が自転車に乗ってる!」とまた大騒ぎされてしまう。ミズリーナ湖までのダウンヒルは実に快適である。この時間になると、コルティナから登ってくるロードレーサーもいっぱいあるが、みんなあえぎながら登っている。登りと下りの違いがあるので当たり前なのだが、少し優越感に浸れるのは妙なものだ。ミズリーナでテントを回収し、また重い荷物を背負っていくが、下りとなればどうということはない。途中200メートルくらいの登りだけが少したいへんだったが、後はコルティナまでの長いダウンヒルを一気に降りてしまう。
 早い時間に降りられれば反対側のマルモラーダ山方面にも行こうかなどと考えていたが、足の疲労は大きく登りはもうこりごりという気分だったので、帰りのバスの時間まではコルティナの町でのんびりすることにした。
 イタリアではスパゲッティー、パスタを連日食べたが、最後の仕上げとしてピザを注文したところ、出されたピザの大きさにビックリしてしまった。我が家で3人が食べる分くらいの量があるのだ。時間があったので、ゆっくり味わいながら食べることにした。
 帰りのバスは渋滞にあいやすいとのことだったので、ベネチアからの列車は時間に余裕をもって予約したのだが、さほどの遅れもなくベネチアに到着しそうなので、昨日乗車したメストーレでなく、島にあるサンタルティアまで行って「水の都」の雰囲気だけ味わって帰ることにした。サンタルティア駅からメストーレ駅まで帰るのに思いがけず手間取ってハラハラしまったが、なんとか時間までに戻れて、駅に預けた荷物も回収してベローナ行きの列車に乗り込む。
 ベローナ駅に着いたのは夜の9時過ぎであったし、今日は荷物も重いのでタクシーでホテルまで行く。チェックイン後、遅い夕食をとろうと出かけてみるが、ホテルのまわりには他にレストランはなかったのでホテルに隣接するレストランに入る。ビールを飲んでいる客が数組いるだけである。ディナーかと聞かれたので、そうだと答えるとピザしかできないと言われる。「またピザかよー」と思ったが選択の余地はない。他の客も皆帰ってしまい、店員は閉店の準備に取りかかっており、早く帰ってくれという態度がありありである。またもや出された超特大のピザをビールで胃袋に大急ぎで流し込んで早々に部屋に戻る。
 ここベローナは古くからイタリアとオーストリアを結ぶ交通の要所で、そのためにここを押さえようとする諸勢力の争いの場でもあったそうで、そんな中で起きた実話を元に、シェークスピアがかの「ロミオとジュリエット」を書き、その中に出てくるロミオが夜ジュリエットを訪れた家が実際に残っていて若い女性に人気があるそうだが、自分には関係のないことだし、ロミオを気取って夜歩きする気にもなれないので、すぐに寝てしまう。それにしても「胃が重てー!」

7月26日(月)
 今朝も早いのでホテルの朝食をパスしてタクシーで駅に直行する。時間も十分あるし、イタリアも最後なので、特上のパスタでもと思ったが、悲しいかな駅で食べられるのはクロワッサンだけだった。始発なので列車はガラガラだ。6人一部屋の個室で入り口の所にどの席がどこからどこまで予約されているか書いた紙がはってある。私は窓側の席で私の前の席は私が降りるインスブルックより先から乗車するようなので、私が乗ってる間は空席だ。後の4席はボルツァーノからミュンヘンとなっているので、おそらくひとつのグループなのだろう。どんな人達なのか不安と期待?が入り交じる。果たして途中から乗り込んできたのは子供連れの家族だったので、それほど気も使わずに済み、一安心。
 列車は谷間を通って国境を越えてインスブルックに入ったところで下車する。乗り換え時間が1時間以上あったので、駅前を散策がてらレストランに入る。メニューはドイツ語表記のみで英語の併記がないのでさっぱりわからない(大学では一応ドイツ語選択だったのだが)。イタリアでの物価感覚を基に適当に注文する。やがて前菜が出てくる。生ハムの上にドレッシングがかかった野菜がのっていてなかなかうまい。だがいつまで待ってもメインディッシュが出てこない。しばらくたって、自分の注文したのは単品に違いないということに気付く。今更追加注文する時間もないので、店を出て駅に向かう。
 インスブルックからは予約不要となっていたので自由席ということだろうが、全車自由席なのか指定席の車両もあるのかがわからない。列車に書いてある表記もドイツ語ばかりなのでさっぱりわからない。やむをえず、適当に空いている席に座ったが、検札でなにも言われなかったので問題なかったのだろう。
 チューリッヒで乗り換えて、夕方にジュネーブに着く。ホテルは行きと同じところなので迷わずに行ける。チェックインも済ませ、旅行最後の夜だから豪勢な食事をしようと街に出る。スイスといえばチーズフォンデューかなと考えている時にはっと気付いた。自分にはフランの手持ちがほとんどないことを。ユーロや円ならたくさん持っているというのに。TMBのスイス領内のレストランはフランとユーロの併記で料金表示が出ていたが、こちらはフラン表記ばかりだ。両替屋を探したがみんなしまっていた。カードは2種類持っているのだが、こちらの店ではみんな暗証番号を入力して認証しているようなのに、自分のカードの暗証番号お知らないのだ!。店に入ってユーロで支払ができるか聞いてみるのも手だが、言葉が巧みというわけではないので、OKだと思って食べたところ、やはりだめだったということになってはやっかいなので、レストランはあきらめ、山の残りの食料で過ごすことにする。せめてレマン湖の畔でビールでもと思ってスーパーで買い求め、つまみにチーズと思ったが、大きなチーズばかりで、翌朝の空港までの列車代を残した分では少し足りない。あきらめかけたところ、底の方に小さめなチーズを見つけ、これならなんとか買えるので、それを持ってレマン湖の畔に行き、噴水をみながらビールで喉の渇きを癒す。さてチーズを食べようと包装をほどくが、チーズにしては随分柔らかいなあと思いつつ口にいれた。、「う~ん?バターだ!」「チーズ売り場にバターを混ぜるな!」まあこれはビスケットにつけて食べようとトボトボとホテルに帰る。どうも最後になって散々な食生活となってしまった。

7月27日(火)
 いよいよ最終日となってしまった。今朝は最後のイベントが残されている。以前から一度はやろうと思いつつ、ジュネーブには何回も来ているにもかかわらずまだ果たしていないものだ。それはレマン湖畔のジョギングである。といってもレマン湖は広大なのでその縁の一部を走るに過ぎないが。
 朝のレマン湖はジョギングをする人がいっぱいである。30分くらい走って気がすんだのでホテルに戻り、シャワーを浴びてから朝食を摂る。なんか久しぶりにまともなものを食べたような気がしないでもない。
 食後に荷物をまとめてジュネーブ駅に向かう。4年前はロンドン空港でテロ未遂事件に遭遇して、1日遅れの帰国となり、荷物も一時的に行方不明となった。今回も同じブリティシュ・エアラインズといういわくつきの航空会社ではあったが、なんのトラブルもなく帰国できた(荷物が行方不明になれば、後から宅配便で届けてくれるので、帰りは楽チンだったのだが)。

 18日という長い期間も終わってみれば短く感じるものである。でもその中にはいろんなことが凝縮されているような気がする。もう二度と訪れることのないかもしれないアルプスよ有り難う。

 ここまで私の駄文につきあってくださった方にはお礼を申し上げたい(そんな人はいないか)。お礼というわけではないけれど、このブログに載せられなかった写真が以下にアップしてありますので、よろしければご覧ください。

http://f.hatena.ne.jp/vibram/

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