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2010年7月

2010年7月30日 (金)

アルプス旅行記 その3・完結(ドロミテ・ツーリング篇)

7月23日(金)
 目覚めると、昨夜からの雨がまだ降り続いていた。シャモニに来て2週間近くになるが、朝から雨が降っているのは初めてである。考えてみれば、本当に天候に恵まれてラッキーだった。この雨模様も、シャモニを去る寂しさを映し出しているかのようであった。
 宿の近くのバス停からバスに乗って中心街で下車して、郵便局で絵葉書を投函してから駅に向かった。途中、スネルスポーツに寄って神田さんに挨拶していこうかなとも思ったが、今回は特別お世話になったわけでもないし、なんか最後のお別れをいうような気がしないでもなかったので、寄らないことにした。
 駅に着くと、これから4日間の今旅行最後のイベントである北イタリアの旅が始まるのだ。ベネチアまで3回も乗り換えることになるが、うちマルティーニだけは乗り換え時間が13分しかないのが多少気掛かりではあった(他の駅は1時間以上あり)。まあスイスの鉄道は時間が正確であると聞いているし(イタリアの鉄道は遅れるのが当たり前だそうで、このあたりは国民性の違いか)、それほど心配はしていなかったが、駅のインフォメーションを見ると、私の乗る列車は15分遅れとなっている(後で知ったことだが、この日氷河特急の事故が発生したそうで、その影響かもしれない)。マルティーニで乗り遅れると、後の列車の予約もパーっとなり、今日中にベネチアまで行けるかどうか危ぶまれるが、その時はその時だと開き直って列車に乗り込む。
 ところが列車は次第に遅れを取り戻し、マルティーニにはさほど遅れなしに到着する。乗り換える列車のホームがわからなかったので、ホームの反対側に止まっている列車に乗り込んで乗客に聞いてみると、この列車ではなく隣のホームに今、滑り込んできた列車だという。重荷を背負って階段を駆け上り、間一髪でセーフ。危うく遅れの取り戻しをフイにするところだった。
 ミラノまでは何を間違ったか1等を予約してしまい、ゆったりとした気分で行くことができた。ミラノでは1時間余り乗り換え時間があるが、以前に半日あまり街を観光したこともあるので、街には出ずに駅でのんびりする。ベネチアからは2等であるが、指定席なのでゆっくりと列車に乗り込む。イタリアの鉄道は遅れるのが普通であると聞いていたが、今までのところはダイヤ通り運行している。ベネチアには本土にあるメストレ駅と島にあるサンタルチア駅があり、観光客は通常は後者の方で下車するが、今回はコルティナに行くのが目的なのでメストレ駅で下車する。
 メストレ駅の荷物預かり所に大きな荷物は預けて身軽になってから、翌朝のコルティナ行きのバス発車場を確認後、ホテルに向かう。ダウンロードしたホテルの案内図では駅からすぐのようになっているので歩いていくが、でたらめな地図で大回りをさせられた上に何度も道を聞いて1時間以上かけてやっと着くことができた。早く着いたら島の方に観光に行くつもりであったが、その気もなくなって(過去2回も観光しているし)駅の方に行ってみたところ、まっすぐ行けば15分程度であった。その晩は駅の近くで食事してホテルに戻った。

7月24日(土)
 コルティナ行きのバスは8時5分過ぎであるが、シーズンでもあることだし、満員になってしまったらたいへんと、ホテルの朝食も摂らずに発車場に向かうが、結局はそこそこは空席のある状態での発車となった。3時間あまりかかってコルティナに着く。標高は約1200メートルである。日本ではコルティナダンペッツォという名で知られており、1956年のオリンピックで猪谷千春が日本人初の冬期メダリストとなったところで有名であるが(因みに、同大会ではトニーザイラーがアルペン三冠王)、現地ではコルティナと呼ぶのが普通のようだ。
 コルティナからドロミテまでのバスの情報が日本では得られず予定がたちにくかったので、コルティナに到着後、バス会社の事務所に出かけてみると、12時半から2時半まではクローズとなっている(さすが、イタリア!)。困ってしまってあたりをうろうろしていると、貸自転車の看板が目に入る。全然予定していないことであったが、自転車なら時間の制約なくあちこと行けるので、これにしようと早速マウンテンバイク(MTBと略)を借りて、いざドロミテに出発進行!
 町を一歩出てミズリーナ湖を目指すと、いきなりの急坂に気持ちがめげそうになってくる。それでも最初はまだ元気があったが、キャンピング用具一式を背負ってのヒルクライムなので、太ももに乳酸がたまりっぱなしとなり、空身でロードレーサーに乗っている連中に次々と抜かれまくる。別に競走しているわけではないので、マイペースでいけばいいやと、時々は休みながら進んでいく。1805メートルの峠を越えれば、後はミズリーナ湖までは緩やかな下りとなるので、とにかくそこまでは頑張ることにする。
 峠を越えてミズリーナまでのダウンヒルは快適で(帰りはここを登るのかという不安も少しはあったが)、あたりの風景を愉しむ余裕も出てきた。ドロミテの山々は優美なシャモニのそれと違い、ゴツゴツした怪峰ばかりという感じであった。
 ミズリーナ湖に着いたのは5時頃であった。湖のすぐ隣がオートキャンプ場があり、たくさんのテントが張られていた。予定では今日はここから約600メートル上方にあるオーロンツォ小屋付近まで行くつもりであったが、時間的には多分可能なものの、これから荷物を背負ってヒルクライムするたいへんさを考えると、今日はここでキャンプし、明日の朝、身軽になって上まで行った方がいいだろうという気になって、キャンプをすることになった。今晩と明朝の食事は日本から持参したフリーズドライの五目飯とスープだけという寂しいものである。それよりも寂しかったのは、酒を持ってこなかったことである。別に軽量化のために省いたわけではなく(そんなことするわけないでしょ)、コルティナの町には私が探した限りではスーパーが見あたらなかったからである。

Photo_8

7月25日(日)
 翌朝は早出するつもりが寝過ごしてしまった。実のところは3時に起きて4時には朝食を終えたのであるが、二度寝をしてしまったのだ。あわてて軽装でMTBに跨った時には7時近くになっていた。軽装なのでさっそうとと言いたいところであるが、昨日の太ももの疲れがまだ残っていて、急坂ではMTBを降りて歩いてしまう始末である。朝はまだ早いため、コルティナから自転車で上がってくる連中にはまだ追いつかれていないことだけが救いであった(キャンプ場に自転車で来ていたのは私だけで、他は全員車であった)。ヒーヒー言いながらもオーロンツォ小屋まで登ると、舗装路はここで終わり、後はほぼ水平なダートをラバレド小屋まで行くことになる。MTBの本領発揮のところである。歩けば30分はかかるところも、MTBならばあっという間についてしまう。
 ここから峠までは登りとなる。最初はMTBで登るつもりであったが、道も狭い上大勢の人が登っていて、MTBで行くと迷惑になりそうなので、MTBは置いて歩いていくことにした。峠まで登り切ると有名なドライチンネが見えてくる。チマ・オベストの方に近づくと下部を登っているクライマーの姿が見える。その隣のチマ・グランデに目を移すと取り付きからはずっとオーバーハングが続く凄い迫力である。ここを戦前に初登攀したエミリオ・コミチや戦後に冬期初登したワルター・ボナッティといった名クライマーの名前が浮かんでくる。

Photo_9
 時間があればゆっくりしたいところであるが、そうもいかないので下山にかかる。ラバレド小屋からMTBに乗ると、下から来る日本のツアー一行とすれ違い、「日本人が自転車に乗ってる!」とまた大騒ぎされてしまう。ミズリーナ湖までのダウンヒルは実に快適である。この時間になると、コルティナから登ってくるロードレーサーもいっぱいあるが、みんなあえぎながら登っている。登りと下りの違いがあるので当たり前なのだが、少し優越感に浸れるのは妙なものだ。ミズリーナでテントを回収し、また重い荷物を背負っていくが、下りとなればどうということはない。途中200メートルくらいの登りだけが少したいへんだったが、後はコルティナまでの長いダウンヒルを一気に降りてしまう。
 早い時間に降りられれば反対側のマルモラーダ山方面にも行こうかなどと考えていたが、足の疲労は大きく登りはもうこりごりという気分だったので、帰りのバスの時間まではコルティナの町でのんびりすることにした。
 イタリアではスパゲッティー、パスタを連日食べたが、最後の仕上げとしてピザを注文したところ、出されたピザの大きさにビックリしてしまった。我が家で3人が食べる分くらいの量があるのだ。時間があったので、ゆっくり味わいながら食べることにした。
 帰りのバスは渋滞にあいやすいとのことだったので、ベネチアからの列車は時間に余裕をもって予約したのだが、さほどの遅れもなくベネチアに到着しそうなので、昨日乗車したメストーレでなく、島にあるサンタルティアまで行って「水の都」の雰囲気だけ味わって帰ることにした。サンタルティア駅からメストーレ駅まで帰るのに思いがけず手間取ってハラハラしまったが、なんとか時間までに戻れて、駅に預けた荷物も回収してベローナ行きの列車に乗り込む。
 ベローナ駅に着いたのは夜の9時過ぎであったし、今日は荷物も重いのでタクシーでホテルまで行く。チェックイン後、遅い夕食をとろうと出かけてみるが、ホテルのまわりには他にレストランはなかったのでホテルに隣接するレストランに入る。ビールを飲んでいる客が数組いるだけである。ディナーかと聞かれたので、そうだと答えるとピザしかできないと言われる。「またピザかよー」と思ったが選択の余地はない。他の客も皆帰ってしまい、店員は閉店の準備に取りかかっており、早く帰ってくれという態度がありありである。またもや出された超特大のピザをビールで胃袋に大急ぎで流し込んで早々に部屋に戻る。
 ここベローナは古くからイタリアとオーストリアを結ぶ交通の要所で、そのためにここを押さえようとする諸勢力の争いの場でもあったそうで、そんな中で起きた実話を元に、シェークスピアがかの「ロミオとジュリエット」を書き、その中に出てくるロミオが夜ジュリエットを訪れた家が実際に残っていて若い女性に人気があるそうだが、自分には関係のないことだし、ロミオを気取って夜歩きする気にもなれないので、すぐに寝てしまう。それにしても「胃が重てー!」

7月26日(月)
 今朝も早いのでホテルの朝食をパスしてタクシーで駅に直行する。時間も十分あるし、イタリアも最後なので、特上のパスタでもと思ったが、悲しいかな駅で食べられるのはクロワッサンだけだった。始発なので列車はガラガラだ。6人一部屋の個室で入り口の所にどの席がどこからどこまで予約されているか書いた紙がはってある。私は窓側の席で私の前の席は私が降りるインスブルックより先から乗車するようなので、私が乗ってる間は空席だ。後の4席はボルツァーノからミュンヘンとなっているので、おそらくひとつのグループなのだろう。どんな人達なのか不安と期待?が入り交じる。果たして途中から乗り込んできたのは子供連れの家族だったので、それほど気も使わずに済み、一安心。
 列車は谷間を通って国境を越えてインスブルックに入ったところで下車する。乗り換え時間が1時間以上あったので、駅前を散策がてらレストランに入る。メニューはドイツ語表記のみで英語の併記がないのでさっぱりわからない(大学では一応ドイツ語選択だったのだが)。イタリアでの物価感覚を基に適当に注文する。やがて前菜が出てくる。生ハムの上にドレッシングがかかった野菜がのっていてなかなかうまい。だがいつまで待ってもメインディッシュが出てこない。しばらくたって、自分の注文したのは単品に違いないということに気付く。今更追加注文する時間もないので、店を出て駅に向かう。
 インスブルックからは予約不要となっていたので自由席ということだろうが、全車自由席なのか指定席の車両もあるのかがわからない。列車に書いてある表記もドイツ語ばかりなのでさっぱりわからない。やむをえず、適当に空いている席に座ったが、検札でなにも言われなかったので問題なかったのだろう。
 チューリッヒで乗り換えて、夕方にジュネーブに着く。ホテルは行きと同じところなので迷わずに行ける。チェックインも済ませ、旅行最後の夜だから豪勢な食事をしようと街に出る。スイスといえばチーズフォンデューかなと考えている時にはっと気付いた。自分にはフランの手持ちがほとんどないことを。ユーロや円ならたくさん持っているというのに。TMBのスイス領内のレストランはフランとユーロの併記で料金表示が出ていたが、こちらはフラン表記ばかりだ。両替屋を探したがみんなしまっていた。カードは2種類持っているのだが、こちらの店ではみんな暗証番号を入力して認証しているようなのに、自分のカードの暗証番号お知らないのだ!。店に入ってユーロで支払ができるか聞いてみるのも手だが、言葉が巧みというわけではないので、OKだと思って食べたところ、やはりだめだったということになってはやっかいなので、レストランはあきらめ、山の残りの食料で過ごすことにする。せめてレマン湖の畔でビールでもと思ってスーパーで買い求め、つまみにチーズと思ったが、大きなチーズばかりで、翌朝の空港までの列車代を残した分では少し足りない。あきらめかけたところ、底の方に小さめなチーズを見つけ、これならなんとか買えるので、それを持ってレマン湖の畔に行き、噴水をみながらビールで喉の渇きを癒す。さてチーズを食べようと包装をほどくが、チーズにしては随分柔らかいなあと思いつつ口にいれた。、「う~ん?バターだ!」「チーズ売り場にバターを混ぜるな!」まあこれはビスケットにつけて食べようとトボトボとホテルに帰る。どうも最後になって散々な食生活となってしまった。

7月27日(火)
 いよいよ最終日となってしまった。今朝は最後のイベントが残されている。以前から一度はやろうと思いつつ、ジュネーブには何回も来ているにもかかわらずまだ果たしていないものだ。それはレマン湖畔のジョギングである。といってもレマン湖は広大なのでその縁の一部を走るに過ぎないが。
 朝のレマン湖はジョギングをする人がいっぱいである。30分くらい走って気がすんだのでホテルに戻り、シャワーを浴びてから朝食を摂る。なんか久しぶりにまともなものを食べたような気がしないでもない。
 食後に荷物をまとめてジュネーブ駅に向かう。4年前はロンドン空港でテロ未遂事件に遭遇して、1日遅れの帰国となり、荷物も一時的に行方不明となった。今回も同じブリティシュ・エアラインズといういわくつきの航空会社ではあったが、なんのトラブルもなく帰国できた(荷物が行方不明になれば、後から宅配便で届けてくれるので、帰りは楽チンだったのだが)。

 18日という長い期間も終わってみれば短く感じるものである。でもその中にはいろんなことが凝縮されているような気がする。もう二度と訪れることのないかもしれないアルプスよ有り難う。

 ここまで私の駄文につきあってくださった方にはお礼を申し上げたい(そんな人はいないか)。お礼というわけではないけれど、このブログに載せられなかった写真が以下にアップしてありますので、よろしければご覧ください。

http://f.hatena.ne.jp/vibram/

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アルプス旅行記 その2(ジェルバズッチ・ピラー登攀篇)

7/18(日)
 今朝ゆっくりと起きると若者はもう出かけていた。昨夜、私が写したラック・ブランの写真を見て、ぜひ自分も行ってみたいと出かけたようだ。私は今日は夕方Nガイドと打合せがあるだけで、それまではフリーなので、ボゾン氷河にでも行って遊んでみようと思って出かけたが、氷河の末端が思ってたよりも高く、とても簡単には行けそうもないので、あきらめてレジュースで食事後、町をブラブラして、夕方Nガイドと打合せして宿に帰った。

7/19(月)
 朝、帰国する若者を見送ってから、装備の点検を行って宿を出発。ミディのロープウェー駅でガイドと落ち合って、ミディ頂上まで一気に上がる。そこからコスミック小屋までは目と鼻の先である。
 コスミック小屋に着くとテラスのベンチに寝そべってまわりの山々を見渡す。実に優雅な気分であるが、明日の厳しいクライミングを考えると、のんびりばかりはしていられないという気持ちになる。
 早い夕食(デザート付きのフルコース!)の後は、まだ外は明るいが、明日の早い出発に備えてベッドに入る。

Photo 憧れのジョラス北壁をバックに

7/20(火)~ 7/21(水)
 夜中の1時に起床して朝食となる。朝食後、モンブランに出かける人(我々パーティー以外は全員そのようだが)は次々に出発していくが、我々はあまり早く出ても岩場の取り付きで明るくなるまで寒い思いをして待たされるだけなので、もう一眠りすることにする。
 3時に起床して3時半に出発。真っ暗な中をクレバス対策用に結んだロープだけがライトに照らされている。1時間以上歩くと、あたりが薄明るくなり、右前方に目指す岩場がぼんやりと見えてくる。しばらくして進路を右に取ると斜度が高まり、岩場の取り付き点に近づいていく。やがて氷河の上端が岩場に突き当たる地点に達し、ルートの取り付き点になるが、こんな悪い場所でクライミングシューズに履き替えるのは初めてだ。アイゼンや登山靴を落とさないように慎重に準備を始める。運の悪いことに、こんな日に限って靴ヒモを通すフックが切れてしまうが、まあこれで頑張るしかない・
 登攀開始は6時、1ピッチ目はルート図では5級のはずなのに、極端に難しく見える。Nガイドは空身でなんとかクリア。私は荷物を背負って登ったせいもあるが、極端に難しく感じ、技術的には本ルート中の核心であったといえる。それから、数ピッチも5級が連続するが、1ピッチ目に比べると格段にやさしく感じる。途中、下の方を見ると氷河を登って我々のルートに近づいてくる二人パーティーがいる。随分遅く出てくるのだなとビックリする。ところが我々が4ピッチ目を登っていると、もう彼らは我々のすぐ下まできている。なんと彼らはロープは結んではいるがコンテ(お互いを確保しないで同時に登攀すること、通常は易しいところでのみ行う)で登ってきているのだ。エエーッ!1ピッチ目も確保なしできたのか?スゲー奴らだ。あっという間に我々を追い抜いて行く。
 間もなく7~8ピッチ目の核心部といわれる6級のピッチを越えるが、さほどのことでもなかった(追い抜いていったパーティーは既に視界から消えていた)。それから先はピッチ数もだんだんわからくなくなってくるが、おそらく10数ピッチ目で全体の半分くらい来たあたりで丁度お昼となり、約6時間を要したことになる。これから先は技術的にはあまり難しいところはないので、ビバークなしに登れる目安もついてきた。
 ところが、それから先は技術的には難しくはないものの、けっこう崩れやすい神経を使うピッチが延々と続き、永久に登り続けなければいけないのではないかと思えてくる。Nガイドもあまりの長さにルートを間違えたのではないかという心配に駆られて、隣の岩稜に移動したりして時間を空費してしまう。私もあまり経験したことがないようなロングルートのために、疲れがボディブローのように効いてきて、だんだんと登攀スピードが落ちてきくる。Nガイドのところまで辿り着くと、「顔色が良くないので、ヘリコプターを呼ぼうか」と聞かれる(因みに、山岳保険に入っているので、ヘリコプター代はタダ)。追い込まれてから頑張れるのが自分の真骨頂であり、まだまだやれる自信はあったので丁重に断る。また時間節約と労力負担を軽減すうために、「ロープを掴んで登れ」と言われるが、それだけはやりたくない。引っ張り上げられて登っても、自分にとってはなんの意味もない。セカンドであっても自分の力で登ってこそ、初めて登ったといえるのだ。それから、どれほど登ったであろか、日没間際にNガイドは終了点に到達。私が終了点に到達し、Nガイドと堅い握手を交わした時には既に日は沈みかけていた。時間は夜の9時半。実に15時間のクライミングであった。そこからタキュルの頂上までは雪壁を更に100メートルほど登らなければならない。私はビバーク用の装備も水、食料もそれなりに持っていたので、ここでビバークしても良かったのだが、Nガイドはあまり用意してこなかったので、できればミディのロープウェーの駅まで行きたいという。まあゆっくり歩いてもいいのなら、なんとか行けそうなので歩を進めることにする。ひと頑張りでタキュルの頂上に着いたが、そこからの下降路をNガイドは調べてこなかったとのことで、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと連れ回される。こちらはいい加減に疲れているのに「なんていうガイドだ」と腹がたったが、そんな文句をいってもしょうがないので、じっと我慢して後を追う。そのうちに知り合いの何人かに携帯で下降路を聞いたりして、やっと下降路を発見したようで一安心する。
 しばらくは急な斜面が続くので、スリップしないように慎重に下降していく。そのうちに傾斜が落ちて、左下にはシャモニの街の灯が見えてくる。前方には目的のミディの駅の灯りも見えてくるがまだまだ遠い。あそこまでなんとしても頑張らなければ。やがて、モンブランの登頂を目指す人たちが何人も登ってくるのとすれ違うようになる。彼らがひととおり通過した頃にはスリップの心配もないくらい傾斜も落ちてきたので安全地帯まで降りてきたのだが、気持ちの張りが緩んだのか急に足下がふらついてくる。
 やがて昨日泊まったコスミック小屋のすぐ下まで来た。ここに泊まって、明日ミディの駅まで行くという手もあるのだが、今の疲労からすると、ここで休んでしまうと明日はミディの駅までも登れないというおそれもあった。とにかく歩けるうちにミディの駅まで行ってしまおうと、200メートルくらいの高さの登りを通常の倍くらいの時間をかけてゆっくりと登っていき、4時半頃にようやく駅に着く。実に24時間以上の連続行動であった。
 ロープウェーの始発まで2時間もないので、ゆっくり寝ているわけにもいかないが、駅の中は外よりかは余程暖かいので、着られるものは全部着て、とにかく通路に横になって体を休める。そのうちに始発の時間になったので、Nガイドはシャモニに降りていったが、私はしばらくはここにいて、これが最後になるかもしれないモンブラン山群の景色を楽しむことにする。

Photo_2 出発直後

Photo_3 赤い線が登攀ルート

Photo_4 核心部

Photo_5 ルートは続く

Photo_6 終了点からの日没

 景色を眺めながら、今回の山行についていろいろと考えてみる。結果的にはガイド山行ということになってしまったが、今回のルートに関していえばガイドレスでも登れないことはないと思えた。ただパートナー次第ではあるが、ルートの途中でビバークとなってしまう可能性は高かったかもしれない。グランドジョラス北壁ウォーカー稜の代替ルートとしてジェルバズッチ・ピラーを完登できたこと自体は素直に嬉しく思うが、それと同時にウォーカーを登れなかったことの無念さは消しがたい。ただ3年前の初めてのウォーカー挑戦の時からの体力と気力の低下を考えると、3回目のウォーカー挑戦はもうないであろう。ウォーカーへの憧れと夢は墓場に持っていくしかないのだと自分を納得させるだけのものをジェルバズッチ・ピラーの完登がもたらしてくれたのも事実である。

 その日は昼頃にシャモニに降りて宿に戻ったが、疲れ切っていて近くのスーパーに買い物に行くのがやっとであった。

7/22(木)
 シャモニ滞在の最終日なので、のんびりしてもいいのだが、貧乏性のためかじっとしていられない。というのはTMBの南半分がまだ残っているからであった。乗り物を使って行けるレ・コンタミンからクールマイユールまでの距離は約45キロ。元気でさへあれば1日で行けない距離ではない。問題はジェルバズッチ・ピラー登攀の疲労からどれだけ回復しているかだ。
 暗い内から起き出して近くの駅に向かう。ここで間違いをしてしまった。観光案内所でもらった時刻表はてっきりバスのものと思いこんでいたが、実は鉄道のものであった。時間になってもバスが来ないので変だと思っていたら、その時間に列車が走り出したので間違いに気付いた。接続の関係から午前中にレ・コンタミンまで行けないことははっきりしたのでTMBの南半分走破はあきらめ、レジュースからレ・コンタミンまでゆっくり歩いていくことにする。
 レジュースからいざ登り始めると、足の疲労と痛みはまだ抜けきっておらず、TMB南半分を一日で走破しようなどと思ったのは身の程知らずであったことを思い知らされた。モンブラン山群を眺めながらゆっくりと登って行き、途中のモンブラン登山口へ向かう登山電車を横切るところにあるレストランで大休止しながら登山電車の行き来を見物していた。
 昼食後も相変わらず、ゆっくりと歩いていったが、そのうちに雲行きがあやしくなってきた。それは天候のこともあるのであるが、このペースではレ・コンタミンからシャモニまで接続する最終に乗れなくなるのではないかという懸念であった。やがて山を降りてレ・コンタミンに通ずる自動車道に降りたときにその懸念は確信に変わった。
 さあどうする。通りがかった人に聞くと、8時に最終バスがあるので、それに乗ってラ・ファイエットまで行けば、シャモニ行きの最終電車には間に合わないが、そこにはタクシーがあるので、シャモニに帰れると教えてくれる。今は5時半、この雨の中を人家もないところでそんなに長い間で待つのは耐えきれない。ラ・ファイエットのシャモニ行き最終電車は8時32分だから3時間はある。ここから歩き出せば3時間もあればラ・ファイエットに着くだろう。「よし、歩こう!」。悲壮な気持ちで疲れた体にムチ打って傘を差して歩き出す。すると、ものの10分もしないうちに、後ろからきた車の運転手が乗っていけという。地獄で仏に出会った気分である。びしょぬれになりながら歩いている姿をあわれに思ったのであろう。あのままバス停で待っていたら、乗せてくれなかったかもしれない。何事にも可能性を信じて最善の努力をしていけば、良い方向に流れていくという自分の信念が今回も好結果につながったといえよう。
   ラ・ファイエットの近くまで乗せてくれて降ろしてくれたが、お礼にユーロを渡そうしたが受け取ってくれなかった。厚く礼を言って、ラ・ファイエットの駅まで30分くらいの急な坂を降りていく。途中、雨はますます強くなり、雷も炸裂しだした。山の上ならば恐ろしい光景であるが、平地ではかえって気持ちのよいものである。ラ・ファイエットから30分くらい電車に乗ってシャモニに着くと、雨もだいぶ小降りになっていった。
 今日まではシャモニの中心街のレストランは一人で食事していると侘びしい気がして寄らなかったものであるが、今晩は最後のシャモニの夜だということもあって、レストランからシャモニの街を眺めながら食事をして宿にもどった。

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2010年7月29日 (木)

アルプス旅行記 その1(ツール・ド・モンブラン篇)

7/11{日)
 前夜ジュネーブに到着して宿泊したホテルを朝出てシャモニ行きのバスに乗り込むと後から一人の日本の若者が乗ってきて近くに座った。最初は会話を交わさなかったが、暫くして彼の方からシャモニについての情報を訪ねてくる。なんでも始めてのシャモニでツール・ド・モンブラン(以下、TMBと略す)一周を計画しているが、荷物が空港に届かなかった上に宿も決めていないという。シャモニで普通のホテルに泊まれば100ユーロ以上はするが、私が定宿(?)にしているアルペンローゼは、ドミトリーならば10ユーロ程度なので、よかったらそこに泊まらないかと誘ってあげる。TMB一周を目指すというのは私と同類の人間であるので親しみを感じて、彼の一周計画について尋ねてみると、全くの行き当たりバッタリでなんの資料も持っていないという。そこでスネルスポーツの神田さんの所に連れて行ってやり、必要な地図や資料を買ってもらうことにする。
 シャモニに到着すると、早速スネルスポーツで用を足して、アルペンローゼに向かう。私は初日だけは個室(それでも30ユーロ程度)を予約してあるので、ドミトリーの彼とは別れる。ここでアルペンローゼに宿泊している日本人登山者からいやなニュースを聞く。今回目標としているジョラス北壁の下降路であるイタリア側が猛暑(シャモニでも30度以上の暑さ)によりセラック崩壊の危険が高まり、イタリア側が全面登山禁止になったとのこと。北壁を登攀後に北壁を下降するなどということは無理なので、計画の変更を余儀なくされそうである。ともかくも夕方にスネルスポーツで会うNガイドとの打ち合わせ待ちでる。
 実は今回のグランドジョラス北壁ウォーカー稜の登攀は2年前から友人と計画して、そのためのトレーニングも重ねてきたものであるが、その一環として行った今年のGWの穂高継続登攀においてパートナーが不調を訴え参加断念を申し出たために、やむをえなく3年前にウォーカーに挑戦(大雪で冬壁状態のため、取付で断念)したときにお願いしたNガイドに今回もお願いすることになったものである。夕方Nガイドに会うとやはりジョラスのイタリア側登山禁止の話は本当で、Nガイドとしても3年前に登山中止となっただけに、今回は情報収集も相当行って万全を期していたようであるが、自然が相手であるだけに、こればかりはいたしかたのないことである。ウォーカーの代替ルートとしては、ウォーカーに準ずるスケールと困難性を有することが条件となるので、かなり限られてくるのだが、一応候補としてはモンブラン・ド・タキュルのジェルバズッチ柱状岩稜とグラン・カピュサン東壁が考えられる。Nガイドも両方とも登ったことがあるというので、この点でも問題ないという。どちらかといえば、私は前者の方に魅力を感じる。というのは、後者は技術的難度は高いものの、同ルートを懸垂で下降するので取り付きに荷物をデポして軽装で登るのが一般的で、(天候悪化の危険性を別にすれば)アルパインというよりもロング&フリーの範疇に属するともいえるのに対して、前者は全装備を背負って800メートルの岩稜を登り切って4200メートルのピークまで突き上げる真のアルパインの大ルートであるからである。そしてあわよくば、登攀終了後にモンブラン頂上までの縦走が実現できれば、ウォーカー稜登攀を凌ぐ素晴らしい計画ともなるものである(この考えは途方もないことを後で思い知らされたが)。一方、Nガイドとしてはガイドのしやすさという点では後者の方なので、後者を薦めたいようであったが、いずれにしても天候の方が好天ではあるものの、夕方には雷となりやすい状態が続いているので、高山の大ルートを登るには適さないので、ルートの検討も含めて明日の夕方、またNガイドと打ち合わせることにする。
 今晩は宿の食事は頼んでないので、宿の主人(韓国人で奥さんは日本人)が数年前に市内に出店したという韓国料理のレストランに行き、石焼きビビンバを注文する。フランスで食べる韓国料理もなかなかのものである。アルペンローゼに戻ると、さきほどの若者は荷物がまだ届いていないという。丁度3年前にやはり荷物が届かず1週間以上現地で立ち往生を余儀なくされたA君のことを思い出した。もっとも彼の場合は運の強い星の下に生まれているのか、荷物が行方不明の間は山の天気が悪く、帰国前の天気が回復する直前に荷物が届き、最後のワンチャンスを生かしてモンブラン登頂を果たしたのだが、今回の若者の場合はどうであろうか
 その晩はサッカーワールドカップの決勝戦で、日本と違って南アフリカと時差なしで見られるので、唯一テレビのある地下室に行ってみたが、案に相違して宿泊している日本人は誰も来ず、韓国人のたまり場となっていた。うち、半分以上は恒例となっているシャモニのクライミング大会の出場者のようである。試合自体は盛り上がりの欠くつまらないもので、大部分を居眠りしてしまい、結果を早く知ることができただけであった。

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7/12{月)
 今日は夕方まで用事がないので、のんびりと起きてみると、若者は出発の準備をしている。待望の荷物がようやく届いたようである。まずはめでたい限りである。若者の出発を見送ってから近くにあるガイアンの岩場に行ってみる。驚いたことにこの暑い日だというのに人でいっぱいである。大人だけでなく子供もたくさん来て登っている。日本のようにクライミングを特別視せず(最近はジムの隆盛で多少変わりつつはあるようであるが)、普通のスポーツないしレジャーとして楽しんでいるという、その底辺の広さには日本は全く太刀打ちできないという感じである。

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 最初はロープを張ってプルージックで登るつもりであったが、人の多さと暑さでその気も失せ、今回の本チャンでは登山窟で登ることもあるかもしれないと思い、下の方を登山靴でトラバースする練習を行うことにする。簡単な岩場ではあるが、細かいスタンスを選んで行けば、それなりの面白さはあるものの、暑さに耐えきれずに直にやめてしまい、近くのレストランで早めの昼食をとることにする。その後も何度も味わせてもらうことになるが、アルプスの峰々を眺めながら飲むビールのうまさは最高で、まさに至福のひとときである。早速写真入りのメールを家内に打ってみた。
 その後、市内に行ってみると、クライミング大会の予選が開かれていて、日本の選手も多数出場しているようであった。日本選手の中では実力ナンバーワンであろうと思っていた松島暁人選手は余裕で登っているように見えたのであるが、終了点のかなり手前でフォールしてしまい予選敗退となったのは意外であった。日本では見ようという気もおきないクライミング大会を見るのも、シャモニならではなのかもしれません。
 頃合いを見て、スネルスポーツに向かい、Nガイドと打ち合わせる。ルートは私の希望のジェルバズッチ・ピラーに決まったが、天気予報ではここ数日は雷が発生しやすいとのことなので、出発を一日遅らせて明日は赤い針峰群で足馴らしをすることにして、翌々日のコスミック小屋の予約を観光案内所で済ませる。
 宿に戻り、今日からドミトリ-の部屋に移ることになる。たまたま同じ部屋にモンブランを単独で登って降りてきた年配の人(といっても私と大差はないようであるが)がいて、いろいろと話をする。前回は日本人の同宿者がいなくて、同部屋の韓国3人パーティーがたまたま私と同じくウォーカーを狙っているとのことで、意気投合したりしたものだが、今回は、その後もヨーロッパ駐在中の夏休みを利用してあちこと登りにきた人と一緒に食事をしたりして、外国人と交流する機会が全くなかった。
 年配の人とは宿の夕食を共にする。前回は韓国料理ばかり食べさせられたものだが、韓国レストランを出店したためか、韓国人以外の客が増えたためか、西洋料理に変わっていて味もなかなかであった。これで一泊30ユーロ以下(ドミトリーの場合)とは驚きである。
 年配の人にモンブラン行の話を聞くが、他パーティーの後をついていき、天気も良かったので、特に危険もなかったそうである。ただし、グーテ小屋は予約なしだったので、雑魚寝を余儀なくされたそうである。私以上に無謀な人もいるもんだなと妙なところで感心する。今回は当初は友人と一緒の予定だったので、天候待ちも兼ねてあちこちのルートを登ることとして日程も比較的余裕を持たせたが、結局ガイド山行に変更となったため、ガイド費用のこともあって多くのルートを登ることは難しいので、残った日をどうするかが悩ましかった。モンブランやマッターホルンを単独で登ることも考えたが、前者はクレバス、後者はルートファインデングの問題があり、あえてリスクを冒すほどの魅力も感じなかったため、余った時間はTMBのトレッキングとイタリアのドロミテ観光にあてることにしたものである。

7/13{火)
 ガイドと落ち合って、朝一番のロープウェーで赤い針峰群のランデックスに向かう。前回も登っているところでもあり、今ひとつ意欲が湧かない。今回のNガイドは登攀スピードから登り方にまで口やかましく注文をつけてくる。うるさい奴だと思ったが、それだけNガイドにとっても今回のルートは真剣勝負であり、私をお客さんというよりもパートナーとして見ているのだろうと考えてじっと我慢する。
 結局この日は2本のルート約10ピッチを3時間程度で登ったことになる。この調子ならば本番でも10時間程度で登れそうな気もするがどうであろうか。昼過ぎには町に降りてビールを飲んでから観光案内所に行くと、雷の起きやすい天気はまだしばらく続くとの予報である。ビバークの可能性も多分にあり、たとえノンビバークで行けたとしても、午後早い時間に終了することは臨み薄なので、明日出発することはリスクが大きいといわざるをえない。結局、出発を来週月曜日に延期し、来週の天候回復に賭けることにした。その間はTMBを行けるところまで行くことにしようと考えを決めた。
 Nガイドと別れて市内をブラブラしてから缶ビールとつまみを持ってクライミング大会の決勝の観戦に出かける。日本人選手は女子一人だけというのが残念だったが、決勝ともなると、各選手のムーブも洗練されたものとなり、見ていても引きずりこまれるようで、最後まで見てしまった。大会が終了して宿に帰る途中に振り返ると、市内では花火が何発も打ち上げられていた。今日はパリ祭である。

Photo_3

7/14{水)
 急遽、TMBに出かけることになったが、クライミングの天候待ち等のため、日程の余裕が少なくなって全コースを行くのは無理なので(TMBレースのように走れば別だけど)、クールマイユールからシャモニまでの北半分、TMBレースの後半部分だけを行くことにする。
 午前のバスでモンブラントンネルを抜けてクールマイユールに到着する。ボナッティの本で良く耳にするこの地名も実際に訪れるのは今回が初めてである。本来ならば、すぐにTMBのコースに向かって北上すべきであるが、ここまで来たらモンブランのイタリア側の全景を見たいものである。そこで、時間節約のためにロープウェーを利用してモンブランが見渡せる山の上に上がってみる(ここもTMBのルートの一部なのだが)。あいにく雲が出ていて下部しか見られなかったが、それでもプトレイ岩稜やノアール針峰が眺められて迫力満点であった。例によってビールを飲みながら景色を眺め、イタリア名物のスパゲッティに舌鼓を打つ。おかげで山の上で予定よりもだいぶ長居してしまったが、夜は9時過ぎまで明るいのだから夜頑張ればいいやと、慌てることもなくロープウェーを降りてバス停に向かう。今回のTMBは全て歩き通すわけではなく、利用できる交通機関があれば積極的に利用する方針である。
 バス停に着いて驚いたことにはシャモニであった若者がいるではないか。TMBの北半分を通って、先ほど路線バスでクールマイユールに着いたとのことである。私が急いで行動していれば、すれ違いになるところであった。彼も私がさきほど上がった山の上までロープウェーで上がり、そこにある小屋に泊まるつもりであるが、小屋への予約の電話が通じないので待機中だそうである。再会を喜び合い、彼が通ってきたコースの情報を得るためにバスをさらに1時間遅らせることにする。私の心配だったのは手持ちのスイスフランを宿に忘れてきたため、スイス領内に入った時にユーロで物が買えるのか、あるいは両替所があるのかどうかということであった(まあテント泊まりで食料も持参しているので、最悪の場合は水は煮沸するとすれば、無一文でもフランス領内に戻ることはできるのだが)。若者の話では、スイス領内でもユーロも使用できるとのことで一安心する。
 若者も山の上の小屋と連絡がついて予約できたようであり、私もバスの出発時間が近づいたのでシャモニでの再会を約して南北に別れることになる。
 ここからエレナ小屋の近くまでは路線バスで行くことになるが、日本人のTMBツアー10数人の一行と一緒になる。バスはダンディジュアンからグランドジョラスに連なる稜線を見ながら北上していく。当初の予定どうりウォーカーに行けたならば、このあたりを歓喜に満ちて下山していただろうかなどと思いを巡らす。バスの終点は人家が一軒もないところで、クールマイユールでペットボトルを買っておいてよかったと思った。初めはツアー一行の後について歩いていったが、道を譲られたので先に出るとたちまち彼らを引き離す。エレナ小屋について大休止して、そろそろ出発しようかという頃にツアー一行が到着する。彼らはここに泊まるらしい。時間は夕方5時。普通は行動を打ち切るのが当たり前の時間だが、私にはこれからが本番です(というか、今日はまだほとんど歩いていません)。
 こんな時間に歩く人もいないのか、無人の山腹を気持ちよく登っていく。グランドジョラスのイタリア側が見渡せる素晴らしい所だ。こんな所をTMBレースの選手たちはどんな気持ちで走るのだろうか。あるいは景色など見ている余裕はないのであろうか 。やがて標識だけがひっそりと立っているフェレ峠が見えてくる。7時過ぎに峠に立つ。

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これから先はグランドジョラスは見えなくなるので、その景色を目に焼き付けてからフェレの村目指して降りていく。緩やかな下りが延々と続いていく。暫くすると人家がはるか下の方に見えてくるが、一向に近づいてこない。途中数カ所小屋があったが、寄らずに先を急ぐ。フェレの村は途中で右に分岐するのであるが、そのまま左に進んでラフォーリに行けば、キャンプ場もスーパーもあるようなので、フェレの村はこの際、割愛することにする。ラフォーリの手前でキャンプしている二人連れに出会う。シャモニを出発して1週間近くになるそうだ。私がクールマイユールから来たと言ったら、一周にチャレンジしろと自慢されてしまった。最初は私もそこでキャンプしようかと思ったが、その場所はジメジメしている上、家畜の糞だらけだったので、彼らに別れて歩を進める。その少し先の道路脇が草地となっていて近くに小川も流れていたので、ラフォーリまで行かずに、今夜はここでキャンプすることにした。

7/15{木)
 歩き出してすぐにラフォーリに着く。バスは既に動いているようであるが、唯一のスーパーが8時開店なので、それまで待つことにする。ここはもうスイスであるが、スーパーでは若者に聞いていた通りユーロが使えたので安心する。
 ラフォーリからは路線バスでシャンペまで行けると聞いていたが、直通でなく鉄道のオルシエレスで乗り換えて行くことになる。シャンペまでは山道をぐんぐん登っていくと湖が見えてくる。バスの中から湖の写真を撮ろうと思ったが、下車してからでいいやと考えたのが大失敗。バスはここが終点でなく、そのだいぶ先であったので写真は撮れずじまいであった。
 バスを下車したが、現在位置がわからず右往左往する。ようやくTMBの標識をみつけて正しい道を行けることになった。地図では山腹を緩くまいていくように見えるが、実際はかなりの登りが続くことになる。このあたりは景色がいいところではあるが、アルペン的ではなくアルプ的な草原地帯なので、最近はシャンペから南の氷河近くのコースの方が人気があるそうである。
 TMBツアーでは一日行程であるフォルクラ峠には昼過ぎに着く。レストランが立ち並び今までのTMBコースの中では一番観光地っぽいところである。ここでビールを飲みながら大休止をとる。峠からは平坦な道をしばらく歩いてから、ル・フーティ目指して右手の道を急降下するのであるが、その道は細いものであり小さい標識があるだけなので、わかりにくい。レースの時にうっかり分岐点を見落とすと、さきほど触れた南の氷河沿いの道を通ってシャンペまで大リングワンデリングをやりかねない(まあ、途中で間違いに気付くでしょうが)。
 ル・フーティからバルム峠までは標高差600メートルの登りである。さすがにこの頃になると体に疲れも出てくるし、水も残り少なくなってきたので少し焦ってくる。バルムの小屋は峠より200メートルも下から見えてくるのだが、一向に近づかない。すっかり疲れ果てた頃に峠に到着し、今まで見えなかったモンブランやシャモニ針峰群が眼前に展開する様には感動する。

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 峠の小屋でビールを注文して飲む。生き返ったような気分である。水も買おうかとも思ったが、後はレトゥールまで下降するだけだし、そこまで降りればいくらでも物が買えるだろうからと考え、なにも買わずに先を急ぐ。リフトに沿ってぐんぐん下るとレトゥール
の町が見えてくる。レトゥールに降りるとレストランがたくさんあったので、そのうちの一軒に入ってみるが、誰も人はいない、その隣もまた隣も無人である。ここではたと気付いた。ロープウェーの運転時間が終わり、観光客がいなくなると、店の人はみな下の町に戻ってしまい、ゴーストタウンになってしまうのだといことを。
 渇きを我慢して店を求めて下に向かって歩き出すが、人家はあれど店は一向にない。夜の10時頃になってあたりも暗くなってきたので、川原に降りてキャンプをすることにする。DANGERの立て札があるが、高台に張れば大丈夫であろう。白く濁った川の水を煮沸して飲む。白湯がこんなにうまいものとは

7/16{金)
 翌日は歩き出してしばらくすると、アルジェンティエ-ルの町に着く。ここは今までとは比較にならないほどの大きな町でお店もいっぱいある。夕べのうちにここまで来てればと悔しがる。ようやく人並みの食事をしてから、今日の予定を考える。当初はここから赤い針峰郡の山腹を通ってブレバン頂上までのTMBのコースを行くつもりであったが、昨日の疲れでとてもそんな元気はない。そこで今日は休養日にして、ロープウェーで3200メートルまで上がって半日くらい滞在し、観光を兼ねながら、来週からのクライミングに備えて高所順応も行うこととした。ロープウェーの終点からは360度の大展望でアルプスの峰々が見渡せる。間近にはベルト針峰とドリュが、さらにはシャモニ針峰群と続き、その奥にはどっしりと構えたモンブランと来週登るであろうタキュルのジェルバズッチ・ピラー(下の写真の赤線部分、破線は裏側部分)がはっきりと見え、いつまでたってもあきることがない。

Photo_6
 ロープウェーのレストランで食事をしてから下に降り、バスでシャモニに戻って宿に帰り着く。するとしばらくたつと、若者も戻ってきたではないか。レ・コンミタンからバスと鉄道を乗り継いでシャモニに戻り、TMB一周を完成させたそうである。
 その晩は明日は帰国する年配の人のモンブラン登頂と若者のTMB一周達成を祝ってワインで乾杯し、夜遅くまで語り明かした。若者は今までも世界各地を一人旅してきたそうで、てっきり20代だと思っていたら、もう39になるとかで驚いてしまった。もっとも私の年を聞いて、彼の方でも驚いていたが、どうも放浪生活が長いと年をとらないということであろうか。

7/17(土)
 昨日やり残した赤い針峰群のTMBコースを目指してグランモンテ行きの始発バスに乗り込む。今日はランパン、ランシャツの身軽な出で立ちで出来るところまでは走って行くつもりだ。山を走るのは久しぶりだが実に爽快だ。山上の湖ラック・ブランまでも2時間足らずで着いてしまう。湖とシャモニ針峰群のコントラストが素晴らしい。あまりにも見事な景色だったので、携帯メールで家内に送ると、「絵葉書のようで、羨ましい」との返事であった。

Photo_7
 ラック・ブランからフレジェールのロープウェー終点に向けて駈け下っていると、日本人ツアーと出会い、「日本人が走っている!」と大歓声を受けてしまい、少々照れくさくなる。ブレバン頂上に向けての登りになってくると、さすがに走るのがつらくなり、歩きになってしまう。このあたりの岩場は4年前に友人と来た時にもあちこと登ったので懐かしいが、今日もたくさんのクライマーが取り付いている。
 雲行きがだんだん怪しくなってきたと思ったら頂上ちかくまで来た時には、とうとう雷が炸裂して雨が降り出してしまう。予定では頂上から稜線伝いに縦走してレジュースまで行くつもりだったが、この天気では自殺行為といえる。しばらく様子を見ていたが一向に天気が回復する気配がないので、ロープウェーの途中の駅まで降りて、そこからまた歩き出すことにした。
 ロープウェーで数十メートル高度を下げただけで、今までの天気が嘘のようにいい天気になり、予定どおり、レジュースに向けて歩き始める。ところがしばらくして、急にモチベーションが落ちてしまい、結局日和ってシャモニにおりてしまった。TMB一周はできなかったが、北半分は行けたのだからよしとしようと自分を納得させる。

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2010年7月12日 (月)

シャモニ

グランドジョラスのウォーカー再挑戦を目指してシャモニに来ましたが、気温上昇で下降路であるイタリア側が登山禁止となったため、残念ながら、モンブランどタキュルのジェルバズッチ稜に転進となりました。明日は天気が崩れる見込みのため、多分明後日からのアタックとなります。

シャモニの駅前ではこの時期恒例となっているフリークライミングの競技会が開かれていました。

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