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2010年7月29日 (木)

アルプス旅行記 その1(ツール・ド・モンブラン篇)

7/11{日)
 前夜ジュネーブに到着して宿泊したホテルを朝出てシャモニ行きのバスに乗り込むと後から一人の日本の若者が乗ってきて近くに座った。最初は会話を交わさなかったが、暫くして彼の方からシャモニについての情報を訪ねてくる。なんでも始めてのシャモニでツール・ド・モンブラン(以下、TMBと略す)一周を計画しているが、荷物が空港に届かなかった上に宿も決めていないという。シャモニで普通のホテルに泊まれば100ユーロ以上はするが、私が定宿(?)にしているアルペンローゼは、ドミトリーならば10ユーロ程度なので、よかったらそこに泊まらないかと誘ってあげる。TMB一周を目指すというのは私と同類の人間であるので親しみを感じて、彼の一周計画について尋ねてみると、全くの行き当たりバッタリでなんの資料も持っていないという。そこでスネルスポーツの神田さんの所に連れて行ってやり、必要な地図や資料を買ってもらうことにする。
 シャモニに到着すると、早速スネルスポーツで用を足して、アルペンローゼに向かう。私は初日だけは個室(それでも30ユーロ程度)を予約してあるので、ドミトリーの彼とは別れる。ここでアルペンローゼに宿泊している日本人登山者からいやなニュースを聞く。今回目標としているジョラス北壁の下降路であるイタリア側が猛暑(シャモニでも30度以上の暑さ)によりセラック崩壊の危険が高まり、イタリア側が全面登山禁止になったとのこと。北壁を登攀後に北壁を下降するなどということは無理なので、計画の変更を余儀なくされそうである。ともかくも夕方にスネルスポーツで会うNガイドとの打ち合わせ待ちでる。
 実は今回のグランドジョラス北壁ウォーカー稜の登攀は2年前から友人と計画して、そのためのトレーニングも重ねてきたものであるが、その一環として行った今年のGWの穂高継続登攀においてパートナーが不調を訴え参加断念を申し出たために、やむをえなく3年前にウォーカーに挑戦(大雪で冬壁状態のため、取付で断念)したときにお願いしたNガイドに今回もお願いすることになったものである。夕方Nガイドに会うとやはりジョラスのイタリア側登山禁止の話は本当で、Nガイドとしても3年前に登山中止となっただけに、今回は情報収集も相当行って万全を期していたようであるが、自然が相手であるだけに、こればかりはいたしかたのないことである。ウォーカーの代替ルートとしては、ウォーカーに準ずるスケールと困難性を有することが条件となるので、かなり限られてくるのだが、一応候補としてはモンブラン・ド・タキュルのジェルバズッチ柱状岩稜とグラン・カピュサン東壁が考えられる。Nガイドも両方とも登ったことがあるというので、この点でも問題ないという。どちらかといえば、私は前者の方に魅力を感じる。というのは、後者は技術的難度は高いものの、同ルートを懸垂で下降するので取り付きに荷物をデポして軽装で登るのが一般的で、(天候悪化の危険性を別にすれば)アルパインというよりもロング&フリーの範疇に属するともいえるのに対して、前者は全装備を背負って800メートルの岩稜を登り切って4200メートルのピークまで突き上げる真のアルパインの大ルートであるからである。そしてあわよくば、登攀終了後にモンブラン頂上までの縦走が実現できれば、ウォーカー稜登攀を凌ぐ素晴らしい計画ともなるものである(この考えは途方もないことを後で思い知らされたが)。一方、Nガイドとしてはガイドのしやすさという点では後者の方なので、後者を薦めたいようであったが、いずれにしても天候の方が好天ではあるものの、夕方には雷となりやすい状態が続いているので、高山の大ルートを登るには適さないので、ルートの検討も含めて明日の夕方、またNガイドと打ち合わせることにする。
 今晩は宿の食事は頼んでないので、宿の主人(韓国人で奥さんは日本人)が数年前に市内に出店したという韓国料理のレストランに行き、石焼きビビンバを注文する。フランスで食べる韓国料理もなかなかのものである。アルペンローゼに戻ると、さきほどの若者は荷物がまだ届いていないという。丁度3年前にやはり荷物が届かず1週間以上現地で立ち往生を余儀なくされたA君のことを思い出した。もっとも彼の場合は運の強い星の下に生まれているのか、荷物が行方不明の間は山の天気が悪く、帰国前の天気が回復する直前に荷物が届き、最後のワンチャンスを生かしてモンブラン登頂を果たしたのだが、今回の若者の場合はどうであろうか
 その晩はサッカーワールドカップの決勝戦で、日本と違って南アフリカと時差なしで見られるので、唯一テレビのある地下室に行ってみたが、案に相違して宿泊している日本人は誰も来ず、韓国人のたまり場となっていた。うち、半分以上は恒例となっているシャモニのクライミング大会の出場者のようである。試合自体は盛り上がりの欠くつまらないもので、大部分を居眠りしてしまい、結果を早く知ることができただけであった。

 

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7/12{月)
 今日は夕方まで用事がないので、のんびりと起きてみると、若者は出発の準備をしている。待望の荷物がようやく届いたようである。まずはめでたい限りである。若者の出発を見送ってから近くにあるガイアンの岩場に行ってみる。驚いたことにこの暑い日だというのに人でいっぱいである。大人だけでなく子供もたくさん来て登っている。日本のようにクライミングを特別視せず(最近はジムの隆盛で多少変わりつつはあるようであるが)、普通のスポーツないしレジャーとして楽しんでいるという、その底辺の広さには日本は全く太刀打ちできないという感じである。

 

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 最初はロープを張ってプルージックで登るつもりであったが、人の多さと暑さでその気も失せ、今回の本チャンでは登山窟で登ることもあるかもしれないと思い、下の方を登山靴でトラバースする練習を行うことにする。簡単な岩場ではあるが、細かいスタンスを選んで行けば、それなりの面白さはあるものの、暑さに耐えきれずに直にやめてしまい、近くのレストランで早めの昼食をとることにする。その後も何度も味わせてもらうことになるが、アルプスの峰々を眺めながら飲むビールのうまさは最高で、まさに至福のひとときである。早速写真入りのメールを家内に打ってみた。
 その後、市内に行ってみると、クライミング大会の予選が開かれていて、日本の選手も多数出場しているようであった。日本選手の中では実力ナンバーワンであろうと思っていた松島暁人選手は余裕で登っているように見えたのであるが、終了点のかなり手前でフォールしてしまい予選敗退となったのは意外であった。日本では見ようという気もおきないクライミング大会を見るのも、シャモニならではなのかもしれません。
 頃合いを見て、スネルスポーツに向かい、Nガイドと打ち合わせる。ルートは私の希望のジェルバズッチ・ピラーに決まったが、天気予報ではここ数日は雷が発生しやすいとのことなので、出発を一日遅らせて明日は赤い針峰群で足馴らしをすることにして、翌々日のコスミック小屋の予約を観光案内所で済ませる。
 宿に戻り、今日からドミトリ-の部屋に移ることになる。たまたま同じ部屋にモンブランを単独で登って降りてきた年配の人(といっても私と大差はないようであるが)がいて、いろいろと話をする。前回は日本人の同宿者がいなくて、同部屋の韓国3人パーティーがたまたま私と同じくウォーカーを狙っているとのことで、意気投合したりしたものだが、今回は、その後もヨーロッパ駐在中の夏休みを利用してあちこと登りにきた人と一緒に食事をしたりして、外国人と交流する機会が全くなかった。
 年配の人とは宿の夕食を共にする。前回は韓国料理ばかり食べさせられたものだが、韓国レストランを出店したためか、韓国人以外の客が増えたためか、西洋料理に変わっていて味もなかなかであった。これで一泊30ユーロ以下(ドミトリーの場合)とは驚きである。
 年配の人にモンブラン行の話を聞くが、他パーティーの後をついていき、天気も良かったので、特に危険もなかったそうである。ただし、グーテ小屋は予約なしだったので、雑魚寝を余儀なくされたそうである。私以上に無謀な人もいるもんだなと妙なところで感心する。今回は当初は友人と一緒の予定だったので、天候待ちも兼ねてあちこちのルートを登ることとして日程も比較的余裕を持たせたが、結局ガイド山行に変更となったため、ガイド費用のこともあって多くのルートを登ることは難しいので、残った日をどうするかが悩ましかった。モンブランやマッターホルンを単独で登ることも考えたが、前者はクレバス、後者はルートファインデングの問題があり、あえてリスクを冒すほどの魅力も感じなかったため、余った時間はTMBのトレッキングとイタリアのドロミテ観光にあてることにしたものである。

 

7/13{火)
 ガイドと落ち合って、朝一番のロープウェーで赤い針峰群のランデックスに向かう。前回も登っているところでもあり、今ひとつ意欲が湧かない。今回のNガイドは登攀スピードから登り方にまで口やかましく注文をつけてくる。うるさい奴だと思ったが、それだけNガイドにとっても今回のルートは真剣勝負であり、私をお客さんというよりもパートナーとして見ているのだろうと考えてじっと我慢する。
 結局この日は2本のルート約10ピッチを3時間程度で登ったことになる。この調子ならば本番でも10時間程度で登れそうな気もするがどうであろうか。昼過ぎには町に降りてビールを飲んでから観光案内所に行くと、雷の起きやすい天気はまだしばらく続くとの予報である。ビバークの可能性も多分にあり、たとえノンビバークで行けたとしても、午後早い時間に終了することは臨み薄なので、明日出発することはリスクが大きいといわざるをえない。結局、出発を来週月曜日に延期し、来週の天候回復に賭けることにした。その間はTMBを行けるところまで行くことにしようと考えを決めた。
 Nガイドと別れて市内をブラブラしてから缶ビールとつまみを持ってクライミング大会の決勝の観戦に出かける。日本人選手は女子一人だけというのが残念だったが、決勝ともなると、各選手のムーブも洗練されたものとなり、見ていても引きずりこまれるようで、最後まで見てしまった。大会が終了して宿に帰る途中に振り返ると、市内では花火が何発も打ち上げられていた。今日はパリ祭である。

 

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7/14{水)
 急遽、TMBに出かけることになったが、クライミングの天候待ち等のため、日程の余裕が少なくなって全コースを行くのは無理なので(TMBレースのように走れば別だけど)、クールマイユールからシャモニまでの北半分、TMBレースの後半部分だけを行くことにする。
 午前のバスでモンブラントンネルを抜けてクールマイユールに到着する。ボナッティの本で良く耳にするこの地名も実際に訪れるのは今回が初めてである。本来ならば、すぐにTMBのコースに向かって北上すべきであるが、ここまで来たらモンブランのイタリア側の全景を見たいものである。そこで、時間節約のためにロープウェーを利用してモンブランが見渡せる山の上に上がってみる(ここもTMBのルートの一部なのだが)。あいにく雲が出ていて下部しか見られなかったが、それでもプトレイ岩稜やノアール針峰が眺められて迫力満点であった。例によってビールを飲みながら景色を眺め、イタリア名物のスパゲッティに舌鼓を打つ。おかげで山の上で予定よりもだいぶ長居してしまったが、夜は9時過ぎまで明るいのだから夜頑張ればいいやと、慌てることもなくロープウェーを降りてバス停に向かう。今回のTMBは全て歩き通すわけではなく、利用できる交通機関があれば積極的に利用する方針である。
 バス停に着いて驚いたことにはシャモニであった若者がいるではないか。TMBの北半分を通って、先ほど路線バスでクールマイユールに着いたとのことである。私が急いで行動していれば、すれ違いになるところであった。彼も私がさきほど上がった山の上までロープウェーで上がり、そこにある小屋に泊まるつもりであるが、小屋への予約の電話が通じないので待機中だそうである。再会を喜び合い、彼が通ってきたコースの情報を得るためにバスをさらに1時間遅らせることにする。私の心配だったのは手持ちのスイスフランを宿に忘れてきたため、スイス領内に入った時にユーロで物が買えるのか、あるいは両替所があるのかどうかということであった(まあテント泊まりで食料も持参しているので、最悪の場合は水は煮沸するとすれば、無一文でもフランス領内に戻ることはできるのだが)。若者の話では、スイス領内でもユーロも使用できるとのことで一安心する。
 若者も山の上の小屋と連絡がついて予約できたようであり、私もバスの出発時間が近づいたのでシャモニでの再会を約して南北に別れることになる。
 ここからエレナ小屋の近くまでは路線バスで行くことになるが、日本人のTMBツアー10数人の一行と一緒になる。バスはダンディジュアンからグランドジョラスに連なる稜線を見ながら北上していく。当初の予定どうりウォーカーに行けたならば、このあたりを歓喜に満ちて下山していただろうかなどと思いを巡らす。バスの終点は人家が一軒もないところで、クールマイユールでペットボトルを買っておいてよかったと思った。初めはツアー一行の後について歩いていったが、道を譲られたので先に出るとたちまち彼らを引き離す。エレナ小屋について大休止して、そろそろ出発しようかという頃にツアー一行が到着する。彼らはここに泊まるらしい。時間は夕方5時。普通は行動を打ち切るのが当たり前の時間だが、私にはこれからが本番です(というか、今日はまだほとんど歩いていません)。
 こんな時間に歩く人もいないのか、無人の山腹を気持ちよく登っていく。グランドジョラスのイタリア側が見渡せる素晴らしい所だ。こんな所をTMBレースの選手たちはどんな気持ちで走るのだろうか。あるいは景色など見ている余裕はないのであろうか 。やがて標識だけがひっそりと立っているフェレ峠が見えてくる。7時過ぎに峠に立つ。

 

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これから先はグランドジョラスは見えなくなるので、その景色を目に焼き付けてからフェレの村目指して降りていく。緩やかな下りが延々と続いていく。暫くすると人家がはるか下の方に見えてくるが、一向に近づいてこない。途中数カ所小屋があったが、寄らずに先を急ぐ。フェレの村は途中で右に分岐するのであるが、そのまま左に進んでラフォーリに行けば、キャンプ場もスーパーもあるようなので、フェレの村はこの際、割愛することにする。ラフォーリの手前でキャンプしている二人連れに出会う。シャモニを出発して1週間近くになるそうだ。私がクールマイユールから来たと言ったら、一周にチャレンジしろと自慢されてしまった。最初は私もそこでキャンプしようかと思ったが、その場所はジメジメしている上、家畜の糞だらけだったので、彼らに別れて歩を進める。その少し先の道路脇が草地となっていて近くに小川も流れていたので、ラフォーリまで行かずに、今夜はここでキャンプすることにした。

 

7/15{木)
 歩き出してすぐにラフォーリに着く。バスは既に動いているようであるが、唯一のスーパーが8時開店なので、それまで待つことにする。ここはもうスイスであるが、スーパーでは若者に聞いていた通りユーロが使えたので安心する。
 ラフォーリからは路線バスでシャンペまで行けると聞いていたが、直通でなく鉄道のオルシエレスで乗り換えて行くことになる。シャンペまでは山道をぐんぐん登っていくと湖が見えてくる。バスの中から湖の写真を撮ろうと思ったが、下車してからでいいやと考えたのが大失敗。バスはここが終点でなく、そのだいぶ先であったので写真は撮れずじまいであった。
 バスを下車したが、現在位置がわからず右往左往する。ようやくTMBの標識をみつけて正しい道を行けることになった。地図では山腹を緩くまいていくように見えるが、実際はかなりの登りが続くことになる。このあたりは景色がいいところではあるが、アルペン的ではなくアルプ的な草原地帯なので、最近はシャンペから南の氷河近くのコースの方が人気があるそうである。
 TMBツアーでは一日行程であるフォルクラ峠には昼過ぎに着く。レストランが立ち並び今までのTMBコースの中では一番観光地っぽいところである。ここでビールを飲みながら大休止をとる。峠からは平坦な道をしばらく歩いてから、ル・フーティ目指して右手の道を急降下するのであるが、その道は細いものであり小さい標識があるだけなので、わかりにくい。レースの時にうっかり分岐点を見落とすと、さきほど触れた南の氷河沿いの道を通ってシャンペまで大リングワンデリングをやりかねない(まあ、途中で間違いに気付くでしょうが)。
 ル・フーティからバルム峠までは標高差600メートルの登りである。さすがにこの頃になると体に疲れも出てくるし、水も残り少なくなってきたので少し焦ってくる。バルムの小屋は峠より200メートルも下から見えてくるのだが、一向に近づかない。すっかり疲れ果てた頃に峠に到着し、今まで見えなかったモンブランやシャモニ針峰群が眼前に展開する様には感動する。

 

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 峠の小屋でビールを注文して飲む。生き返ったような気分である。水も買おうかとも思ったが、後はレトゥールまで下降するだけだし、そこまで降りればいくらでも物が買えるだろうからと考え、なにも買わずに先を急ぐ。リフトに沿ってぐんぐん下るとレトゥール
の町が見えてくる。レトゥールに降りるとレストランがたくさんあったので、そのうちの一軒に入ってみるが、誰も人はいない、その隣もまた隣も無人である。ここではたと気付いた。ロープウェーの運転時間が終わり、観光客がいなくなると、店の人はみな下の町に戻ってしまい、ゴーストタウンになってしまうのだといことを。
 渇きを我慢して店を求めて下に向かって歩き出すが、人家はあれど店は一向にない。夜の10時頃になってあたりも暗くなってきたので、川原に降りてキャンプをすることにする。DANGERの立て札があるが、高台に張れば大丈夫であろう。白く濁った川の水を煮沸して飲む。白湯がこんなにうまいものとは

 

7/16{金)
 翌日は歩き出してしばらくすると、アルジェンティエ-ルの町に着く。ここは今までとは比較にならないほどの大きな町でお店もいっぱいある。夕べのうちにここまで来てればと悔しがる。ようやく人並みの食事をしてから、今日の予定を考える。当初はここから赤い針峰郡の山腹を通ってブレバン頂上までのTMBのコースを行くつもりであったが、昨日の疲れでとてもそんな元気はない。そこで今日は休養日にして、ロープウェーで3200メートルまで上がって半日くらい滞在し、観光を兼ねながら、来週からのクライミングに備えて高所順応も行うこととした。ロープウェーの終点からは360度の大展望でアルプスの峰々が見渡せる。間近にはベルト針峰とドリュが、さらにはシャモニ針峰群と続き、その奥にはどっしりと構えたモンブランと来週登るであろうタキュルのジェルバズッチ・ピラー(下の写真の赤線部分、破線は裏側部分)がはっきりと見え、いつまでたってもあきることがない。

 

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 ロープウェーのレストランで食事をしてから下に降り、バスでシャモニに戻って宿に帰り着く。するとしばらくたつと、若者も戻ってきたではないか。レ・コンミタンからバスと鉄道を乗り継いでシャモニに戻り、TMB一周を完成させたそうである。
 その晩は明日は帰国する年配の人のモンブラン登頂と若者のTMB一周達成を祝ってワインで乾杯し、夜遅くまで語り明かした。若者は今までも世界各地を一人旅してきたそうで、てっきり20代だと思っていたら、もう39になるとかで驚いてしまった。もっとも私の年を聞いて、彼の方でも驚いていたが、どうも放浪生活が長いと年をとらないということであろうか。

 

7/17(土)
 昨日やり残した赤い針峰群のTMBコースを目指してグランモンテ行きの始発バスに乗り込む。今日はランパン、ランシャツの身軽な出で立ちで出来るところまでは走って行くつもりだ。山を走るのは久しぶりだが実に爽快だ。山上の湖ラック・ブランまでも2時間足らずで着いてしまう。湖とシャモニ針峰群のコントラストが素晴らしい。あまりにも見事な景色だったので、携帯メールで家内に送ると、「絵葉書のようで、羨ましい」との返事であった。

 

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 ラック・ブランからフレジェールのロープウェー終点に向けて駈け下っていると、日本人ツアーと出会い、「日本人が走っている!」と大歓声を受けてしまい、少々照れくさくなる。ブレバン頂上に向けての登りになってくると、さすがに走るのがつらくなり、歩きになってしまう。このあたりの岩場は4年前に友人と来た時にもあちこと登ったので懐かしいが、今日もたくさんのクライマーが取り付いている。
 雲行きがだんだん怪しくなってきたと思ったら頂上ちかくまで来た時には、とうとう雷が炸裂して雨が降り出してしまう。予定では頂上から稜線伝いに縦走してレジュースまで行くつもりだったが、この天気では自殺行為といえる。しばらく様子を見ていたが一向に天気が回復する気配がないので、ロープウェーの途中の駅まで降りて、そこからまた歩き出すことにした。
 ロープウェーで数十メートル高度を下げただけで、今までの天気が嘘のようにいい天気になり、予定どおり、レジュースに向けて歩き始める。ところがしばらくして、急にモチベーションが落ちてしまい、結局日和ってシャモニにおりてしまった。TMB一周はできなかったが、北半分は行けたのだからよしとしようと自分を納得させる。

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