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2010年7月30日 (金)

アルプス旅行記 その2(ジェルバズッチ・ピラー登攀篇)

7/18(日)
 今朝ゆっくりと起きると若者はもう出かけていた。昨夜、私が写したラック・ブランの写真を見て、ぜひ自分も行ってみたいと出かけたようだ。私は今日は夕方Nガイドと打合せがあるだけで、それまではフリーなので、ボゾン氷河にでも行って遊んでみようと思って出かけたが、氷河の末端が思ってたよりも高く、とても簡単には行けそうもないので、あきらめてレジュースで食事後、町をブラブラして、夕方Nガイドと打合せして宿に帰った。

7/19(月)
 朝、帰国する若者を見送ってから、装備の点検を行って宿を出発。ミディのロープウェー駅でガイドと落ち合って、ミディ頂上まで一気に上がる。そこからコスミック小屋までは目と鼻の先である。
 コスミック小屋に着くとテラスのベンチに寝そべってまわりの山々を見渡す。実に優雅な気分であるが、明日の厳しいクライミングを考えると、のんびりばかりはしていられないという気持ちになる。
 早い夕食(デザート付きのフルコース!)の後は、まだ外は明るいが、明日の早い出発に備えてベッドに入る。

Photo 憧れのジョラス北壁をバックに

7/20(火)~ 7/21(水)
 夜中の1時に起床して朝食となる。朝食後、モンブランに出かける人(我々パーティー以外は全員そのようだが)は次々に出発していくが、我々はあまり早く出ても岩場の取り付きで明るくなるまで寒い思いをして待たされるだけなので、もう一眠りすることにする。
 3時に起床して3時半に出発。真っ暗な中をクレバス対策用に結んだロープだけがライトに照らされている。1時間以上歩くと、あたりが薄明るくなり、右前方に目指す岩場がぼんやりと見えてくる。しばらくして進路を右に取ると斜度が高まり、岩場の取り付き点に近づいていく。やがて氷河の上端が岩場に突き当たる地点に達し、ルートの取り付き点になるが、こんな悪い場所でクライミングシューズに履き替えるのは初めてだ。アイゼンや登山靴を落とさないように慎重に準備を始める。運の悪いことに、こんな日に限って靴ヒモを通すフックが切れてしまうが、まあこれで頑張るしかない・
 登攀開始は6時、1ピッチ目はルート図では5級のはずなのに、極端に難しく見える。Nガイドは空身でなんとかクリア。私は荷物を背負って登ったせいもあるが、極端に難しく感じ、技術的には本ルート中の核心であったといえる。それから、数ピッチも5級が連続するが、1ピッチ目に比べると格段にやさしく感じる。途中、下の方を見ると氷河を登って我々のルートに近づいてくる二人パーティーがいる。随分遅く出てくるのだなとビックリする。ところが我々が4ピッチ目を登っていると、もう彼らは我々のすぐ下まできている。なんと彼らはロープは結んではいるがコンテ(お互いを確保しないで同時に登攀すること、通常は易しいところでのみ行う)で登ってきているのだ。エエーッ!1ピッチ目も確保なしできたのか?スゲー奴らだ。あっという間に我々を追い抜いて行く。
 間もなく7~8ピッチ目の核心部といわれる6級のピッチを越えるが、さほどのことでもなかった(追い抜いていったパーティーは既に視界から消えていた)。それから先はピッチ数もだんだんわからくなくなってくるが、おそらく10数ピッチ目で全体の半分くらい来たあたりで丁度お昼となり、約6時間を要したことになる。これから先は技術的にはあまり難しいところはないので、ビバークなしに登れる目安もついてきた。
 ところが、それから先は技術的には難しくはないものの、けっこう崩れやすい神経を使うピッチが延々と続き、永久に登り続けなければいけないのではないかと思えてくる。Nガイドもあまりの長さにルートを間違えたのではないかという心配に駆られて、隣の岩稜に移動したりして時間を空費してしまう。私もあまり経験したことがないようなロングルートのために、疲れがボディブローのように効いてきて、だんだんと登攀スピードが落ちてきくる。Nガイドのところまで辿り着くと、「顔色が良くないので、ヘリコプターを呼ぼうか」と聞かれる(因みに、山岳保険に入っているので、ヘリコプター代はタダ)。追い込まれてから頑張れるのが自分の真骨頂であり、まだまだやれる自信はあったので丁重に断る。また時間節約と労力負担を軽減すうために、「ロープを掴んで登れ」と言われるが、それだけはやりたくない。引っ張り上げられて登っても、自分にとってはなんの意味もない。セカンドであっても自分の力で登ってこそ、初めて登ったといえるのだ。それから、どれほど登ったであろか、日没間際にNガイドは終了点に到達。私が終了点に到達し、Nガイドと堅い握手を交わした時には既に日は沈みかけていた。時間は夜の9時半。実に15時間のクライミングであった。そこからタキュルの頂上までは雪壁を更に100メートルほど登らなければならない。私はビバーク用の装備も水、食料もそれなりに持っていたので、ここでビバークしても良かったのだが、Nガイドはあまり用意してこなかったので、できればミディのロープウェーの駅まで行きたいという。まあゆっくり歩いてもいいのなら、なんとか行けそうなので歩を進めることにする。ひと頑張りでタキュルの頂上に着いたが、そこからの下降路をNガイドは調べてこなかったとのことで、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと連れ回される。こちらはいい加減に疲れているのに「なんていうガイドだ」と腹がたったが、そんな文句をいってもしょうがないので、じっと我慢して後を追う。そのうちに知り合いの何人かに携帯で下降路を聞いたりして、やっと下降路を発見したようで一安心する。
 しばらくは急な斜面が続くので、スリップしないように慎重に下降していく。そのうちに傾斜が落ちて、左下にはシャモニの街の灯が見えてくる。前方には目的のミディの駅の灯りも見えてくるがまだまだ遠い。あそこまでなんとしても頑張らなければ。やがて、モンブランの登頂を目指す人たちが何人も登ってくるのとすれ違うようになる。彼らがひととおり通過した頃にはスリップの心配もないくらい傾斜も落ちてきたので安全地帯まで降りてきたのだが、気持ちの張りが緩んだのか急に足下がふらついてくる。
 やがて昨日泊まったコスミック小屋のすぐ下まで来た。ここに泊まって、明日ミディの駅まで行くという手もあるのだが、今の疲労からすると、ここで休んでしまうと明日はミディの駅までも登れないというおそれもあった。とにかく歩けるうちにミディの駅まで行ってしまおうと、200メートルくらいの高さの登りを通常の倍くらいの時間をかけてゆっくりと登っていき、4時半頃にようやく駅に着く。実に24時間以上の連続行動であった。
 ロープウェーの始発まで2時間もないので、ゆっくり寝ているわけにもいかないが、駅の中は外よりかは余程暖かいので、着られるものは全部着て、とにかく通路に横になって体を休める。そのうちに始発の時間になったので、Nガイドはシャモニに降りていったが、私はしばらくはここにいて、これが最後になるかもしれないモンブラン山群の景色を楽しむことにする。

Photo_2 出発直後

Photo_3 赤い線が登攀ルート

Photo_4 核心部

Photo_5 ルートは続く

Photo_6 終了点からの日没

 景色を眺めながら、今回の山行についていろいろと考えてみる。結果的にはガイド山行ということになってしまったが、今回のルートに関していえばガイドレスでも登れないことはないと思えた。ただパートナー次第ではあるが、ルートの途中でビバークとなってしまう可能性は高かったかもしれない。グランドジョラス北壁ウォーカー稜の代替ルートとしてジェルバズッチ・ピラーを完登できたこと自体は素直に嬉しく思うが、それと同時にウォーカーを登れなかったことの無念さは消しがたい。ただ3年前の初めてのウォーカー挑戦の時からの体力と気力の低下を考えると、3回目のウォーカー挑戦はもうないであろう。ウォーカーへの憧れと夢は墓場に持っていくしかないのだと自分を納得させるだけのものをジェルバズッチ・ピラーの完登がもたらしてくれたのも事実である。

 その日は昼頃にシャモニに降りて宿に戻ったが、疲れ切っていて近くのスーパーに買い物に行くのがやっとであった。

7/22(木)
 シャモニ滞在の最終日なので、のんびりしてもいいのだが、貧乏性のためかじっとしていられない。というのはTMBの南半分がまだ残っているからであった。乗り物を使って行けるレ・コンタミンからクールマイユールまでの距離は約45キロ。元気でさへあれば1日で行けない距離ではない。問題はジェルバズッチ・ピラー登攀の疲労からどれだけ回復しているかだ。
 暗い内から起き出して近くの駅に向かう。ここで間違いをしてしまった。観光案内所でもらった時刻表はてっきりバスのものと思いこんでいたが、実は鉄道のものであった。時間になってもバスが来ないので変だと思っていたら、その時間に列車が走り出したので間違いに気付いた。接続の関係から午前中にレ・コンタミンまで行けないことははっきりしたのでTMBの南半分走破はあきらめ、レジュースからレ・コンタミンまでゆっくり歩いていくことにする。
 レジュースからいざ登り始めると、足の疲労と痛みはまだ抜けきっておらず、TMB南半分を一日で走破しようなどと思ったのは身の程知らずであったことを思い知らされた。モンブラン山群を眺めながらゆっくりと登って行き、途中のモンブラン登山口へ向かう登山電車を横切るところにあるレストランで大休止しながら登山電車の行き来を見物していた。
 昼食後も相変わらず、ゆっくりと歩いていったが、そのうちに雲行きがあやしくなってきた。それは天候のこともあるのであるが、このペースではレ・コンタミンからシャモニまで接続する最終に乗れなくなるのではないかという懸念であった。やがて山を降りてレ・コンタミンに通ずる自動車道に降りたときにその懸念は確信に変わった。
 さあどうする。通りがかった人に聞くと、8時に最終バスがあるので、それに乗ってラ・ファイエットまで行けば、シャモニ行きの最終電車には間に合わないが、そこにはタクシーがあるので、シャモニに帰れると教えてくれる。今は5時半、この雨の中を人家もないところでそんなに長い間で待つのは耐えきれない。ラ・ファイエットのシャモニ行き最終電車は8時32分だから3時間はある。ここから歩き出せば3時間もあればラ・ファイエットに着くだろう。「よし、歩こう!」。悲壮な気持ちで疲れた体にムチ打って傘を差して歩き出す。すると、ものの10分もしないうちに、後ろからきた車の運転手が乗っていけという。地獄で仏に出会った気分である。びしょぬれになりながら歩いている姿をあわれに思ったのであろう。あのままバス停で待っていたら、乗せてくれなかったかもしれない。何事にも可能性を信じて最善の努力をしていけば、良い方向に流れていくという自分の信念が今回も好結果につながったといえよう。
   ラ・ファイエットの近くまで乗せてくれて降ろしてくれたが、お礼にユーロを渡そうしたが受け取ってくれなかった。厚く礼を言って、ラ・ファイエットの駅まで30分くらいの急な坂を降りていく。途中、雨はますます強くなり、雷も炸裂しだした。山の上ならば恐ろしい光景であるが、平地ではかえって気持ちのよいものである。ラ・ファイエットから30分くらい電車に乗ってシャモニに着くと、雨もだいぶ小降りになっていった。
 今日まではシャモニの中心街のレストランは一人で食事していると侘びしい気がして寄らなかったものであるが、今晩は最後のシャモニの夜だということもあって、レストランからシャモニの街を眺めながら食事をして宿にもどった。

Photo_7

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