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2011年1月

2011年1月28日 (金)

道南を行く(後編)

深夜の闖入者騒動は何事もなく終わり、駅員がやって来る前に荷物の整理も終える。駅員にストーブで暖まって行くように勧められるが、外に出るのが嫌になりそうなので、すぐに出発する。
外気は厚い手袋をしてても指が痛くなる寒さである。駅近くのコンビニに入り、暖かいおでんでも食べたかったが、まだ準備ができていないということで、弁当を暖めてもらって店の外で食べる。
当初の予定では、今日は長万部まで行くつもりで温泉宿を予約してあったが、行程の遅れのために50キロ近くを残しており、とても今日中に着くことは無理であるが、行けるところまで行って、後は電車で長万部まで行き、歩き残した部分は最終日に歩くことにした。
噴火湾を右手に見ながら海岸沿いに国道を進んで行くが、案の定、お店は皆無で、前夜は落部泊まりで正解であった。八雲の町が近づいてくると、家並みも特急停車駅の町らしくなってくる。

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1キロ先に寿司屋があるとの表示を見つけたので、北海の味が楽しめるぞと、足取りも軽くなる。ところが優に1キロ以上は歩いたはずなのに、一向に寿司屋が現れない。手前で八雲市街地へ向かう道が分岐していたので、店はそちらの方にあるのかと思い、腹も空いたことだし、最初に現れた飲食店でハンバーグを食べる。寿司を食べたかっただけにはぐらかされたような気分であった。ところが店を出てすぐに捜していた寿司屋を発見して地団駄を踏んでしまった。

明日は長万部までと決めていたので、今日はそれほど頑張らずに、2キロほど先の鷲ノ巣駅まで歩けばいいやと、のんびり進んでいたが、とうに鷲ノ巣駅に着いていいはずなのに、一向に駅が現れない。そこでGPSで現在地を確認すると、駅を通り越して先の方まで進んでしまっていることが判明する。国道に駅入口の表示がなかったために通り越してしまったのだが、考えてみれば、ドライバーにとってはローカルな駅の存在などはどうでもいい情報であるから、表示がないのはあたりまえといえばあたりまえなのだが。

予定の列車の時間までわずかになってしまったので、慌てて戻ったが結局間に合わずに、次の列車まで2時間以上待たされることになってしまった。宿に到着が遅れることを連絡すると、今度の列車の到着時間に長万部駅まで迎えにきてくれるということで、野宿が続いた自分にとっては、やっと人並みの夜が過ごせることになった。

次の日は荷物はコインロッカーに入れて空身であるくことができ、深夜の夜行列車の時間までに長万部に到着すればよいので、ゆっくり寝てればいいのだが、早起きの習慣がついてしまったのか早くから目覚めてしまう。今日もいい天気である。のんびりと支度をして、鷲ノ巣駅に列車で戻ったのは、お昼近くになってしまった。そこから4キロばかり歩いた山崎駅近くの食べ物屋に入って定食を注文したら、またもやハンバーグであった。どうも北の海の幸には恵まれないようである。

そこから先は海岸沿いに真っ直ぐに伸びた道を行くことになる。噴火湾の向こうには有珠山が見えてきて、夕日になってくると、赤く染まってきるのが綺麗であった。

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あたりは段々と暗くなってきて、最初からそのつもりであったのだが、夜道を歩くことになる。いくつかの駅を通り過ぎても全くお店がない。そろそろ腹も減ってきたので食べ物屋を捜していたところ、やっと見つけたと思ったら、もう閉店していたのでガッカリする。そこから1駅歩いて、長万部まで5キロくらいの地点まできたところで、やっと開いているラーメン屋を見つけて海鮮ラーメンを注文し、今回最後となるであろう海の幸を味わう。

そのお店を出てすぐに後ろから呼び止められる。店員さんが私がお店に落としてしまった帰りの切符を届けてくれたのであった。危ないところであった。店員さん、ありがとう!

長万部の駅には駅員乗客ともおらず、広い待合室で一人酒を飲みながら、夜行列車の到着を待つ。ところが酒が回ってきたのか、段々と睡魔に襲われてくる。ここで寝過ごしてしまうと、たいへんなことになるので、なんとか頑張り、定刻通りに到着した夜行列車に乗り込むとすぐに爆睡状態となる。

翌朝目覚めると雪模様ではあったものの、ほぼ順調に来ているようであったが、青森駅まで20分くらいの所でポイント故障で2時間近く立ち往生となる。その日は仕事は夕方にあるだけだったので、多少遅れてもいいやと思っていたところ約2時間遅れで青森駅に到着したのでホッとしたのだが、実はそれから先にもトラブルが待っていたのである。車内で雪のため奥羽本線は不通であるとのアナウンスは聞いていたのだが、自分には関係ないと思っていたところ、奥羽本線が動かないと新青森までは行けないのである。新幹線が青森まで延伸したことが、今回だけは裏目に出てしまったようだ。代行バスはいつ出るかわからないし、路線バスは1時間待ちということだったのでタクシーで新青森に向かう。それから先は特にトラブルもなく、予定より3時間遅れで帰宅したが、この程度の遅れは今の時期ではしかたがないのでしょう。

今回は予定よりもかなり手前の長万部までしか行けず、2月の道央、3月の道北で宗谷岬まで行くという計画はほぼ不可能になってしまった。冬の北海道という限定に拘っているので、歩き残した部分は来年の冬まで持ちこさざるえないであろう。

Photo 赤線が今回のコース

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2011年1月27日 (木)

道南を行く(前編)

 宗谷岬を目指す徒歩旅行もついに海を越えて北海道に上陸することになった。夏の北海道は歩き回っている人も多いだろうが、この時期に徒歩で行く人は皆無であろう。だが北海道の最も北海道らしさを味わうためには、この時期をおいてほかはないであろう。とはいっても、雪の中を歩くという状態では、行程の予測が立てづらい上、宿泊施設も限られているので、原則キャンプとせざるをえないため、荷物も冬山登山並みで20キロ近くなってしまって新幹線に乗り込む。
 北海道に行くのだから、北海道の主である羆の本ということで、吉村昭の「羆嵐」を車中で読む。明治時代に道央で6人が熊に襲われて食われるという実話を住民たちの恐怖と粗暴な老猟師についての描写でまとめたものである。これを読んでビックリしたのは事件が起きたのは12月の雪の中であるということであった。その時期は当然、羆は冬眠しているものだと思っていたが、冬眠の穴が見つけられずに、山中をさまよっている羆がいて、冬眠準備のために獲物探しにやっきになっているということで、少しビビってしまったが、まあ年を越して1月下旬になれば、さすがに羆はいないだろうと考え直すと多少は安心できた。

 新青森で在来線に乗りかえて函館に着くと、いよいよ旅の始まりである。まずは腹ごしらえに駅前の食堂でうにいくら丼を食べる。コレステロールが高めの自分としては、健康に良くないことは承知の上で、まあ最初だけだからと北海道の味覚を味わう。腹もふくれたことだしと、いよいよ北の大地を今日の目的地である大沼公園目指して歩き出す。

Photo 青函連絡船のモニュメント

ところが、ものの30分もたたないうちに、いままでと勝手が違うことに気づく。20キロの重さ自体は山では普通に背負っている重さであるが、平地だから楽だということは全然なく、雪道の歩きにくさも手伝って時速2キロくらいしか出ず、とても今日中に大沼公園まで行くのは無理ということがわかった。それでも行けるところまで行ってみようと、夜遅くまで歩き続け、夜10時になったところで、テントを張ることになったが、その時に車中で読んだ羆の話を思い出し、多少は恐怖を感じた。ところが、今いる場所が国道とバイパスの交差点の手前なので、道路に挟まれた三角地帯ならば、まさか羆も出まいとテントの設営に入る。設営が終わって空を見上げると満月が冬空に煌々と輝いていた。こうして北の第1日目は終わっていった。今日の歩行距離は18キロ

 昨日は行程が捗らなかったので今日はがんばらなければいけない。しばらく歩くと前方に駒ヶ岳が左右に翼をひろげたような優美な姿を見せてくる。

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時間を短縮するために大沼公園には寄らずに大沼の西側を行く。小さな峠を越えると左側に小沼が見えてくる。一面結氷しており、ワカサギ釣りの宣伝の幟が立っている。休日は賑わうのだろうが、平日の今日は静まりかえっている。
この日のこれから先のことは全然覚えていない。覚えているのは夕方になってようやくコンビニに辿り着いたところからである(痴呆症かな)。コンビニでしこたま酒とつまみを買い込んで、近くの公園にテントを張って酒盛りをする。本日の歩行距離は24キロである。

 翌朝はすっかり寝坊をしてしまった。寝袋から抜け出してコンロに火をつけようとしたら、大きく火を噴いたのであわてて火を消す。その後、再度点火すると今度は弱い火しかつかないと思ったらまた火を噴き出す。なんかテントの中が息苦しくなってきた気がする。不完全燃焼による一酸化炭素中毒かもしれないと思って、テントの入り口を大きく開けて新鮮な空気を入れたので体には異常は起きなかった。山の中だったらコンロの故障は致命傷で即下山となるのだが、今回はコンビニで弁当等が買えるので大きな問題はない。
テントの中での朝食はあきらめて、次のコンビニまで1時間ばかり歩いて、遅い朝食を摂る。

 今日は下りだから楽だろうと思ったが、全然そんなことはなく、3日目ともなると20キロの荷物が背中にダメージを与えてくる。ただ海を見たい一心で牛歩の歩みを続けていく。そうこうするうちにようやく海が見えてくる。太平洋だ!

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青森港や函館港は内海なので、日本橋からの道中で太平洋を見るのは松島以来のことである。
これからしばらくは海を眺めながらの旅で少しは気が紛れる。
歩いている道は国道5号線の大動脈なのだが、信じられないほどに全くお店がない。
石谷駅の近くまで来て自販機があったので、暖かい飲み物を飲んでいると、地元のお婆さんに呼び止められる。
夏にはリヤカーを引いていく旅行者などがよく通るそうだが、この時期にここを通るよそ者は皆無なためかどうか、のべつまくなしに話しかけてくる。最初のうちは適当にあいづちを打っていたが、この分では一日中でも話し続けられそうだったので、頃合いを見て歩き出す。

 昼をまわってきてだんだん空腹になってきたが、相変わらず飲食店もコンビニもない。非常用のビスケットは持参していたので、目の前の峠を越えても店がなかったら、ビスケットでも食うかと思っていたら、峠の上には観光客用のお土産やとレストランがあった。そこでイカめし定食を注文して腹いっぱいになるまで食べる。
食後は歩くのもいやになってしまったが、そういうわけにもいかず先を急ぐ。
次の目的地である落部までは結構距離があると思っていたが、食事をしてパワーがついたのか、6時前には落部に着いてしまう。久しぶりに見る(村落でない)町である。コンビニが2軒も隣接してあるなどということは函館を出て以来初めてである。
本日の歩行距離は18キロしかなく、少し歩き足りないが、この先は10キロ以上お店がないらしく冷たい食事で一晩過ごすのも厭なので、テントを張る場所を探していたところ、明かりが着いている落部駅に辿り着いた。中に入ると暖かくて暖房がしてあるのかと思ったら、そうではなく扉で外気と遮断されているからだった。ただ、この暖かさが気に入ってしまい、外でテントを張る気がしなくなってしまった。
駅員は朝まで不在のようだから、追い出しをくらうこともないだろう。最終が出るまでは酒を飲みながら持参した文庫本を読んで時間をつぶし、その後はお休みタイムとなる。
駅で寝るのは若い頃は山に行く時によくやったものだが(当時はステーション・ビバークと称していた)、駅で寝たのは20数年前に同じ北海道の大雪山を登る前に旭川駅で寝た以来である。その時はよっぽど貧乏旅行者だと思われたのか、地元の人が翌朝弁当をプレゼントしてくれたものである。ただ私は一応の警戒心は持っていたので、「まだ腹はへっていない」とか言って、先に弁当を食べた相棒に1時間以上異常が生じないことを確認してからご馳走にあずかることになった(実験台にしてしまい、ご免なさい)。

 最終が出てしばらくすると電気も消え、時々通過する夜行や貨物も子守歌にしか聞こえなかったが、深夜となってから数回にわたり、駅前に車が止まり待合室に入ってからまた出ていくといことがあった。多少警戒はしたが、このあたりにそんな悪い人間はいないだろうし、いざという時はその時だと開き直ったが、一体あれはなにしに来たのだろうか

(後編に続く)

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2011年1月19日 (水)

雪の金沢・白川郷

トンネルを抜けて越後湯沢に着くと、小説どうりに「雪国」であったが、ロマンに浸る間もなく、接続列車の大幅遅延という厳しい現実に直面する。それでも金沢には40分遅れでなんとか到着し、短くなってしまった金沢滞在時間を有効に活用すべく、すぐに路線バスで香林坊に向かう。

事前に調べもせずに行き当たりバッタリで加賀料理の店に飛び込むが、これが大当たりで、料理はうまいしボリューム満点で、これで1500円とは信じられない安さであった。

気を良くして、武家屋敷の散策に向かう。途中にあった昔の商家の展示館に入って金沢文化を堪能する。そういえば、今ヒットしている映画「武士の家計簿」は加賀藩士をモデルとしたものだとかで、あちこちにポスターが張り出してあった。

Photo 武家屋敷跡

残り時間も少なくなくなったが、足早に兼六園に向かう。兼六園は4回目であるが、雪の時期は初めてなので、ぜひ雪吊りを見たいと思って楽しみにしていた。兼六園は30分くらいしかいられる時間がなかったが、雪吊りが見られたので満足であった。

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目的を果たしたので金沢駅に戻ると、ほくほく線は架線事故のために運休とのことで、あぶれた乗客が駅構内にあふれていた。翌日のことを考えて多少心配になったが、明日は明日の風が吹くと考えて、白川郷行きのバスに乗り込む。白川郷に着いたのは夕方となってしまい、予約していた民宿に送迎の車で着いたときはもう暗くなってしまった。その民宿は外観は合掌造りであるが、内部は昔のままではなく、ある程度は改装がなされていた。夕食後に雪明かりの中の合掌造りを見るために、町なかに出てみるが、ライトアップされるのは土日だけということで、平日の今日は真っ暗でちょっとがっかりしたが、土日は大勢の観光客でごったがえすことを考えると、静かな白川郷の夜を過ごせたのもよかったかなという気もしてきた。

翌朝は暗いうちから宿を抜け出して、林道を展望台まで上がって見ると、夜明け前の合掌造りの集落が一望でき、ライトアップはなくともなかなかの景観であった。

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朝食後、バス停まで送ってもらい、しばらく時間をつぶしてからバスで金沢に戻る。さいわい今日はほくほく線は定刻どおり動いているようだ。ただ昨日の運転見合わせの影響で車両の都合がつかずに、古い電車に車両変更となってしまったため、スピードが出ずに予定よりも遅れ気味であったが、最終的には10分程度の遅れですんだので良しとしよう。

今回は金沢、白川郷とも満足すべきものであったが、ライトアップされた白川郷も見てみたいので、いつか機会があったらまた訪れたいものである。

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2011年1月17日 (月)

しばらく留守にします

1週間ばかり、雪国を放浪してきます。

可能であれば、現地からもブログ更新するつもりです。

Photo_2

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2011年1月 8日 (土)

小名浜・塩屋崎

日本海岸線ツーリングはほぼ1年ぶりに北に向かって少し伸び、福島県南部の海岸線を辿ってきました。

18切符で来たので、勿来駅に着いたのは11時近くなってしまいました。駅からは常磐線を離れて小名浜に向かいます。小名浜という地名は気象情報で聞くくらいで、辺鄙な漁港というイメージを持っていましたが、南の方は火力発電所があったり、工場が隣接している殺風景なところで、漁港は北の方にありました。

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小名浜から暫く北上すると塩屋崎灯台があります。美空ひばりの「みだれ髪」で歌われているところで、灯台の見えるところに歌碑もありました。

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塩屋崎灯台はかなり立派な灯台なので、私の灯台のアルバム(以下のURL参照)に入れておきました。

http://homepage3.nifty.com/vibram/hourou/toudai.htm

なお、このアルバムに載せてある灯台の場所は以下のURLを見てください。

http://homepage3.nifty.com/vibram/hourou/japan-map.jpg

ちょっとした観光地で売店や食堂もありましたが、今日は電車での移動に時間が取られて、自転車に乗っていられる時間が足りないので、昼食もとらずに北上していくと、間もなく常磐線と合流して久ノ浜の駅に着きます。予定ではもう少し先まで行くつもりでしたが、今日は比較的早めに帰宅したかったので、走行距離50キロ弱と少ないですが、これで引き返すこととし、駅前のコンビニで弁当を買って、待ち時間の間に遅い昼食をとりました。

Photo_4 本日の行程

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初詣

代々木で用事を済ませてから渋谷に向かうために山手線に乗ろうとしたが、このまま乗ってしまうと早く着きすぎてしまうので、どうしたものかと思っていたところ、今年はまだ初詣をしていないことを思い出し、「そうだ明治神宮に行ってみよう」ということになった。

数年前に大晦日の夜から新年にかけて、明治神宮で初詣してから高尾山までランニングしようと仲間と出かけて時には、初詣だけで2時間以上かかってしまい、高尾まで行くことを断念したことがあったが、さすがに7日ともなると、ごった返すほどの参拝客はおらず、ほぼ平常どおりであった。

以前は神道というのは、天皇制を支えるバックボーンであるとして批判的に見ていて、自発的に初詣をしようなどという気はなかったが、最近は、その是非は別として神道は(自分も含めて)日本人の精神構造に大きな影響を与えてきたものとして素直に受け止めようというようになってきたのは自分が年を取ったせいからでしょうか

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2011年1月 5日 (水)

築地界隈

月に一度、築地のお客さんのところに顔を出しているのですが、近々引っ越すとのことで、そうなうと築地に出かけることもなくなるので、仕事が終わった後に、市場の場外の飲食店街に立ち寄り、海鮮丼を食べました。

食後にあたりをブラブラ歩いていると、浜離宮への道標に出くわしました。まだ行ったことがないので、ちょっと足を伸ばしてみました。最初は鷹狩り場として利用され、その後に将軍家の別邸、さらには明治維新後は皇室の離宮となったそうですが、都心のオアシスといった趣のあるところです。

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海岸沿いに歩いて行くと、水上バスの発着場がありました。ここから浅草まで約45分で行けるとのことで、早速乗って見ました。先日河口に向かってランニングした隅田川を今回は上流に向かって水面を行くというのもなかなか趣があります。勝鬨橋から始まっていくつかの橋をくぐっていくと、スカイツリーがだんだん大きく見えてきます。

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やがて水上バスが浅草に着くと、ビール会社の金色の壁面にスカイツリーが投影されるという変わった景色が眺められます。今や水上バスの最大の売り物がこの眺めのようです。

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浅草で水上バスを降りて、七福神巡りでもとも思いましたが、次の予定がありましたので、これで「小さな旅」を終えることにしました。

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2011年1月 3日 (月)

中山道の旅もようやく木曽路へ

久しぶりの中山道であった。

まだ夜明け前の下諏訪駅で下車し、中山道・甲州街道合流点まで戻ってから塩尻峠に向かう。途中、旧道への分岐点を見落として国道を行き過ぎたが、気付いて戻る。旧道は雪に覆われていて多少歩きにくいが、車両通行止めなので、その分は歩きやすくなっている。塩尻峠は中山道の中では和田峠や碓氷峠ほどの標高差はないので、それほど苦労もなしに登ることができる。

峠はあまり見通しのよくない目立たないところであった。天気が良ければ諏訪湖の眺めが素晴らしく、戦前に飛騨から諏訪の製紙工場に働きに出た女工さんたちが、初めてこの峠に立った時に諏訪湖を海と見間違えたらしいが、今日はどんよりとした曇り空の下で、ぼんやりと諏訪湖が見えるだけである。

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峠から先の旧道は判然とせず、ネットで入手した絵地図の通りに行ったつもりが、かなり道を外して大回りしてしまい、あやうく塩尻宿も通り越してしまったかと思われたが、かろうじて塩尻宿は通ることができた。

思わず時間を取られてしまったため、塩尻の町にはお昼前にやっと着くが、なかなか飲食店が見つからず、駅近くまで行って、ようやく食事をすることができた。ここからは中央西線に沿って南下して行く。まもなく西中山道の表示があり、中山道の旅も後半戦に入ったことを知る。もっとも前半戦は集中的に歩いたために比較的短期間で終了したが、後半部分は遠方となってしょっちゅうは行けないため、完全踏破にはかなりの年数がかかりそうである。

洗馬宿、本山宿と通過するが、その昔に火災にあったため、往時の街道筋の面影はほとんど残っていなかったのは残念であった。雪はだんだんと強くなってきて、当初の目標であった奈良井宿まで行くのは難しくなってきたが、贄川宿の手前で「是より南、木曽路」の標識に出会う。木曽路を歩くのは初めてというわけではないが、日本橋を出発してから多くの宿場跡を通って遂に木曽路まで達したかと思うと多少の感ずるものがあった。

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贄川の駅に着いた時は、5時を回って真っ暗であった。次の電車までは1時間以上あったが、駅前の酒屋が開いていたので、酒とつまみを買い込み、一人で酒盛りして電車を待つことにした。

次回は昔の宿場の面影を残しているという奈良井宿を経て、中山道最後の難所である鳥居峠越えとなるが、だいぶ先のことになりそうである。

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