« 雪の金沢・白川郷 | トップページ | 道南を行く(後編) »

2011年1月27日 (木)

道南を行く(前編)

 宗谷岬を目指す徒歩旅行もついに海を越えて北海道に上陸することになった。夏の北海道は歩き回っている人も多いだろうが、この時期に徒歩で行く人は皆無であろう。だが北海道の最も北海道らしさを味わうためには、この時期をおいてほかはないであろう。とはいっても、雪の中を歩くという状態では、行程の予測が立てづらい上、宿泊施設も限られているので、原則キャンプとせざるをえないため、荷物も冬山登山並みで20キロ近くなってしまって新幹線に乗り込む。
 北海道に行くのだから、北海道の主である羆の本ということで、吉村昭の「羆嵐」を車中で読む。明治時代に道央で6人が熊に襲われて食われるという実話を住民たちの恐怖と粗暴な老猟師についての描写でまとめたものである。これを読んでビックリしたのは事件が起きたのは12月の雪の中であるということであった。その時期は当然、羆は冬眠しているものだと思っていたが、冬眠の穴が見つけられずに、山中をさまよっている羆がいて、冬眠準備のために獲物探しにやっきになっているということで、少しビビってしまったが、まあ年を越して1月下旬になれば、さすがに羆はいないだろうと考え直すと多少は安心できた。

 新青森で在来線に乗りかえて函館に着くと、いよいよ旅の始まりである。まずは腹ごしらえに駅前の食堂でうにいくら丼を食べる。コレステロールが高めの自分としては、健康に良くないことは承知の上で、まあ最初だけだからと北海道の味覚を味わう。腹もふくれたことだしと、いよいよ北の大地を今日の目的地である大沼公園目指して歩き出す。

Photo 青函連絡船のモニュメント

ところが、ものの30分もたたないうちに、いままでと勝手が違うことに気づく。20キロの重さ自体は山では普通に背負っている重さであるが、平地だから楽だということは全然なく、雪道の歩きにくさも手伝って時速2キロくらいしか出ず、とても今日中に大沼公園まで行くのは無理ということがわかった。それでも行けるところまで行ってみようと、夜遅くまで歩き続け、夜10時になったところで、テントを張ることになったが、その時に車中で読んだ羆の話を思い出し、多少は恐怖を感じた。ところが、今いる場所が国道とバイパスの交差点の手前なので、道路に挟まれた三角地帯ならば、まさか羆も出まいとテントの設営に入る。設営が終わって空を見上げると満月が冬空に煌々と輝いていた。こうして北の第1日目は終わっていった。今日の歩行距離は18キロ

 昨日は行程が捗らなかったので今日はがんばらなければいけない。しばらく歩くと前方に駒ヶ岳が左右に翼をひろげたような優美な姿を見せてくる。

Photo_2

時間を短縮するために大沼公園には寄らずに大沼の西側を行く。小さな峠を越えると左側に小沼が見えてくる。一面結氷しており、ワカサギ釣りの宣伝の幟が立っている。休日は賑わうのだろうが、平日の今日は静まりかえっている。
この日のこれから先のことは全然覚えていない。覚えているのは夕方になってようやくコンビニに辿り着いたところからである(痴呆症かな)。コンビニでしこたま酒とつまみを買い込んで、近くの公園にテントを張って酒盛りをする。本日の歩行距離は24キロである。

 翌朝はすっかり寝坊をしてしまった。寝袋から抜け出してコンロに火をつけようとしたら、大きく火を噴いたのであわてて火を消す。その後、再度点火すると今度は弱い火しかつかないと思ったらまた火を噴き出す。なんかテントの中が息苦しくなってきた気がする。不完全燃焼による一酸化炭素中毒かもしれないと思って、テントの入り口を大きく開けて新鮮な空気を入れたので体には異常は起きなかった。山の中だったらコンロの故障は致命傷で即下山となるのだが、今回はコンビニで弁当等が買えるので大きな問題はない。
テントの中での朝食はあきらめて、次のコンビニまで1時間ばかり歩いて、遅い朝食を摂る。

 今日は下りだから楽だろうと思ったが、全然そんなことはなく、3日目ともなると20キロの荷物が背中にダメージを与えてくる。ただ海を見たい一心で牛歩の歩みを続けていく。そうこうするうちにようやく海が見えてくる。太平洋だ!

Photo_3
青森港や函館港は内海なので、日本橋からの道中で太平洋を見るのは松島以来のことである。
これからしばらくは海を眺めながらの旅で少しは気が紛れる。
歩いている道は国道5号線の大動脈なのだが、信じられないほどに全くお店がない。
石谷駅の近くまで来て自販機があったので、暖かい飲み物を飲んでいると、地元のお婆さんに呼び止められる。
夏にはリヤカーを引いていく旅行者などがよく通るそうだが、この時期にここを通るよそ者は皆無なためかどうか、のべつまくなしに話しかけてくる。最初のうちは適当にあいづちを打っていたが、この分では一日中でも話し続けられそうだったので、頃合いを見て歩き出す。

 昼をまわってきてだんだん空腹になってきたが、相変わらず飲食店もコンビニもない。非常用のビスケットは持参していたので、目の前の峠を越えても店がなかったら、ビスケットでも食うかと思っていたら、峠の上には観光客用のお土産やとレストランがあった。そこでイカめし定食を注文して腹いっぱいになるまで食べる。
食後は歩くのもいやになってしまったが、そういうわけにもいかず先を急ぐ。
次の目的地である落部までは結構距離があると思っていたが、食事をしてパワーがついたのか、6時前には落部に着いてしまう。久しぶりに見る(村落でない)町である。コンビニが2軒も隣接してあるなどということは函館を出て以来初めてである。
本日の歩行距離は18キロしかなく、少し歩き足りないが、この先は10キロ以上お店がないらしく冷たい食事で一晩過ごすのも厭なので、テントを張る場所を探していたところ、明かりが着いている落部駅に辿り着いた。中に入ると暖かくて暖房がしてあるのかと思ったら、そうではなく扉で外気と遮断されているからだった。ただ、この暖かさが気に入ってしまい、外でテントを張る気がしなくなってしまった。
駅員は朝まで不在のようだから、追い出しをくらうこともないだろう。最終が出るまでは酒を飲みながら持参した文庫本を読んで時間をつぶし、その後はお休みタイムとなる。
駅で寝るのは若い頃は山に行く時によくやったものだが(当時はステーション・ビバークと称していた)、駅で寝たのは20数年前に同じ北海道の大雪山を登る前に旭川駅で寝た以来である。その時はよっぽど貧乏旅行者だと思われたのか、地元の人が翌朝弁当をプレゼントしてくれたものである。ただ私は一応の警戒心は持っていたので、「まだ腹はへっていない」とか言って、先に弁当を食べた相棒に1時間以上異常が生じないことを確認してからご馳走にあずかることになった(実験台にしてしまい、ご免なさい)。

 最終が出てしばらくすると電気も消え、時々通過する夜行や貨物も子守歌にしか聞こえなかったが、深夜となってから数回にわたり、駅前に車が止まり待合室に入ってからまた出ていくといことがあった。多少警戒はしたが、このあたりにそんな悪い人間はいないだろうし、いざという時はその時だと開き直ったが、一体あれはなにしに来たのだろうか

(後編に続く)

|

« 雪の金沢・白川郷 | トップページ | 道南を行く(後編) »

歩き」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 道南を行く(前編):

« 雪の金沢・白川郷 | トップページ | 道南を行く(後編) »