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2011年3月

2011年3月28日 (月)

鍬ノ峰

鍬ノ峰という山名を知っている人はまずいないでしょう。かくいう自分もそうでした。なぜそんな山に登ることになったかということから説明しなければなりません。

平日に地震救援物資のボランティアをしていて、日々希望者が増えていくのに驚き、土日はさらに増えるだろうから、土日しか参加できない方のために自分は遠慮しておき、その間に山で息抜きをすることにした。こんな時期に山に行くことに多少は気がとがめたが、ボランティア、募金、節電等の各人の出来る範囲のことをやり、それ以外はいつもと同じ生活をすべきで、行きすぎた自粛ムードは被災者のためにもならないだというのが私の考えである。

そこで、前から続けている関東県境尾根縦走の続きを行うことで、小淵沢経由で小海線に乗るつもりだった。ところが、甲府の先で車内放送があって、計画停電のため、小海線は終日運休とのこと。天罰じゃ~!さーどうする。今回はピッケル、アイゼンを持ってきてないので高い山には登れない。とにかく松本まで行き、そこで情報収集して行き先を決めることにする。

松本駅近くの本屋で調べると、信濃大町の南に鍬ノ峰という1600メートル程度のピークがあり、360度の大展望が得られるが、アプローチは短いとあったので、そこに行くことにして地図を買い求め、大糸線で最寄りの駅まで行くことになった。歩き出したのが2時を回っていたので、当日は3時間ばかり歩いた登山口近くにテントを張る。

深夜放送を聞きすぎたために寝坊して出発が9時になってしまった。こんな山を登る人はおるまいと思っていたら、ちゃんと新しい踏跡があるではないか。今日は空身に近い荷物で頂上まで往復するだけだから楽チンだろうと思ったら大間違いで、急な斜面に薄く雪がついているだけなので滑りやすくてコースタイムの倍くらいの時間がかかってしまう。

頂上まで100メートルくらいの高さまで登ったら踏跡が消えてしまう。時間切れであきらめたのだろうか。最後の登りは多少雪も深くなり雪山らしくなってくる。頂上に上がると360度の大展望が待っていた。西側は後立山の白銀の山々、東側は安曇野である。

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存分に展望を楽しんだ後に下降に移る。ときたま尻セードも交えながら駈け下ったので1時間ちょっとでテントまで降りてこられた。林道はしばらくは雪があったので、北海道旅行と同様にソリで運べたが、その後はかついで下る。最終電車までには余裕をもって降りられたが、昨日の運休騒ぎもあったので多少は心配であった。案の定、運休こそなかったが、人身事故があって電車が遅れ、高尾駅ではぎりぎりで中野行き最終に間に合うことができた。

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2011年3月25日 (金)

ボランティア会場は超満員

今日の都庁のボランティア会場は仕事している人より突っ立ているだけの人の方が多いみたい(仕事の切れ間に過ぎませんが)。日曜までやっているそうだが、土日はもっと大勢来るだろうから、今日でやめにしとくか

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昼休みに近くの公園に行ったら、桜が咲き始めていました。3月11日以来、時間が止まってしまったような気がしますが、季節は確実に動いています。

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2011年3月23日 (水)

ボランティア

都庁の救援物資受付所の作業応援のボランティアに行ってきました。女性は仕訳、男性は主として運搬作業です。十分過ぎるほどの数のボランティアがいるので、作業をサボっても全然わからないほどです(自分はサボってないですよ。念のため)。

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夕方にはピースボートが募集した現地ボランティアの説明会に行ってきましたが、希望者が殺到していて、第一陣は体力のある若手中心にするということで、私は選に洩れてしまいましたが、毎週募集するということなので、次回以降にまた応募しようと思います。

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2011年3月22日 (火)

計画停電

三連休の最後の日は夕方にお客さんのところに行く予定だったが、計画停電の実施時間に当たるということで、急遽予定を変更して、昼過ぎに訪問することにして家を出た。ところが先方から携帯に連絡があって、今日の計画停電は中止となったので、当初の予定どおり夕方にしてくれとのこと。時間が空いてしまい、どうしたものかと思ったが、訪問先の10分くらい手前のところに最近クライミングジムがオープンしたことを思い出し、そこで時間つぶしをすることにした。

ジムのオーナーは日本のトップクライマーというよりも世界のユージといった方がよい平山裕二である。広いスペースにボルダリングエリアとリードエリアを有する本格的なジムである。これからは、このジムで遊んでからお客さんのところに行くのがお決まりとなりそうである。

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2011年3月17日 (木)

道北を行く その2

いよいよ今日は国道を離れてオロロンラインを行くことになる。抜海までの約60キロを二日で抜けたいと思っているが、途中に店や自販機はおろか人家もないことは覚悟している。宿の人には、今の時期にあんな所に行ったら、こごえ死んでしまうぞとおどかされるが、冬山の稜線で烈風に吹かれるほどの厳しさはあるまいとタカをくくる。

オロロンラインに入ると、海からの風が激しく顔にあたり、時折降る雪がさらに体温を奪っていく。途中荷物を取り出そうと、しゃがみこんでいたら、通りがかった車が心配して車を止めて声をかけてくる。行き倒れになったのかと思ったのでしょう。大丈夫だと返答する。

遅々とした歩みで行程が捗らず、二日間でオロロンラインを抜けるのは無理と判断する。日数の予備がなくなり、交通機関を利用したショートカットもできないので、内陸部の国道に向かう道へ迂回することにした。オロロンラインを離れると、急に風が弱まる。

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国道まで9キロということで、夜道を東に向かって歩く。行き交う車は皆無である。東の空の一部が薄明るくなってくる。その方面に人家があるようだ。しばらく歩くと、やがて人家が見えてくる。人家の先でテントを張り、今日の行程を終える。

次の日は日差しの中でスタートする。数時間歩くと国道に合流し、その向こうにはJRを走る除雪車も見えてくる。JRが利用できるというのは、非常に心強いものである。昼過ぎには待望のコンビニも現れて弁当を買って食事をとる。

食後にしばらく歩くと豊冨の駅に着く。まだ時間も早いので先に向かうつもりだったが、どうせ今日一日で稚内までいくのは無理であるし、サロベツ原野は今は一面の雪原に過ぎないので、原生花園の見事な時に訪れた方がいいだろうということで、抜海までJRでショートカットして、そこから稚内まで歩くことにする。

駅で1時間強待ち合わせした後、列車は雪原を横切って海に近い抜海で下車する。ここから南稚内まで約10キロだが、現在4時半だから8時頃には予約したホテルに着くだろう。その前に近くにアザラシの生息地があるとのことなので寄ってみることにして、オロロンラインに荷物を置いて生息地に向かう。かなり歩いてようやく生息地に着くが、アザラシの群れはかなり遠くにいて、最大ズームにしても、下の写真程度にしか写らない。

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アザラシ見物にも時間をかけたこともあり、オロロンラインの荷物に戻ってきた時には6時を過ぎていた。このままオロロンラインを歩くとホテルに着くのは10時近くなってしまうし、今日無理すると、明日の宗谷岬までの歩きにも響くので、ここもショートカットしてJRを利用することに決めた。時計を見ると、最終列車まで数分しかない。荷物を引っ張りながら走って、なんとか間に合う。いつものことながらのハラハラドキドキであった。

翌日は行程最後の歩きである宗谷岬まで28キロである。最後の歩きにふさわしく吹雪模様である。といってもオロロンラインほどの厳しさではない。1キロごとの表示を目標に歩を進めていくうちに、しだいに天気は回復してくる。岬まで後2キロ地点になった時によやく岬が見えてくる。感激を押さえながら一歩づつ歩を進め、ついに岬に達する。さすがにこの時期には観光客は皆無であったが、たまたま通りかかった人に記念写真をとってもらう。

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あいにく樺太は見えなかったが、長万部で別れた太平洋とも再会した。ただこの海が東北地方の海岸に牙をむいたことを思うと複雑な心境であった。

今回3回の北海道行の延600キロのうち、約100キロを歩き残してしまったが、この部分は来年にでもまた来てみよう。今回は東日本地震というたいへんな時期に遭遇してしまい、旅を続けるかどうか迷ったこともあったが、今急遽戻ったとしてもなにかできるわけでもなく、家族とはメールでやりとりもしていたので旅を続けることした。東京に戻ったら、まずは募金をして、現地が落ち着いたらボランティア活動もしていこうと思う。今回の地震でなくなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方にお見舞いを申し上げて、今回のブログを終わらせていただきたい。

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2011年3月14日 (月)

道北を行く その1

北海道シリーズの締めくくりとして留萌から宗谷岬までの踏破を目指す。

今回は途中の宿泊施設が十分でなく、キャンプ用品一式の持参となるが、20キロ近い荷物を背負って長時間平坦な道を歩くのはつらいため、ソリに荷物を乗せて引っ張ることにした。もうひとつの問題は、飛行機には燃料のガスカートリッジを持ち込めないため、現地調達せざるをえないことである。今回は旭川から入るため、駅周辺のスポーツ店に事前に当たったところ、駅近くの店には冬用のものはなく、バスでかなり乗った店まで貝に行かなければならないことがわかった。そのため、スタート地点の留萌を出発できたのは3時近くになってしまった。

駅を出てしばらくは荷物を背負って歩いたが、郊外に出たあたりからソリで引っ張っていくことにした。背負うことに比べれば格段に楽である。ただ長時間引っ張っていると、だんだんと腰に疲れがたまっていくので、空身に近い状態で歩いた前回の道央の時のようには行かないようだ。

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今日は出発が遅かったので、夜9時を目安に行けるところまで行くことにする。荷物を引っ張って歩いていると、なかなか時速3キロは出ず、予定地のだいぶ手前のところで9時となったので、たまたま通りかかったバス待合所に泊まることにする。北海道のバス待合所は北国だけあって、風雪を完全に遮断するしっかりした作りとなっている。野宿者の利用を想定したものではないであろうが、利用したとしても別に迷惑をかけるわけでもなく、テント泊まりよりもずっと快適そうなので泊まらせてもらうことにする。

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翌日は寝坊してしまい、出発する前にはもう始発のバスを待つ乗客が停留所で待っていたもで、ちょっとバツが悪かった。準備を済ませて出発すると、何回か車に乗っていけと言われる。道南や道央ではなかったことで、それだけ純朴というか人情が厚いということであろうか。さらには、鰊番屋の道の駅まで行くとパトカーが待ちかまえて職務質問を受ける羽目に。すれ違ったドライバーが不審者がいるとでも通報したらしい。住所氏名は隠す必要もないので正直に告げたが、年は10歳サバをよみ、職業については答えなかった。これはお巡りさんの不信感を増さないためである。

職務質問を受けたのが道の駅の手前で昼時でもあったので、道の駅で「うに入りラーメン」を食べる、Photo_3 満腹になったからというわけでもないが、歩くペースもだんだん落ちてしまう。3時頃にバス待合所に入って休憩しながら、携帯を確認すると留守電が入っているので再生すると、「5時までに、あるレポートをファックスしてほしい」とのこと。人家が全くない現在、そんなことできるわけないじゃないか。世界が自分を中心に回っている人間には困ったものだ。今夜泊まるホテルにはネット環境があるので、今夜中に送ることで許してもらおう。

今夜中に宿泊予定の羽幌まで行くのは無理なことはわかっていたが、その7キロ手前の苫前までも辿りつけるかどうかも怪しくなってきた。だんだん暗くなってきたので、最終バスに乗り遅れると大変だと、次のバス停で時刻表を確認すると、最終バスは9時過ぎで逆に遅すぎるが、ひとつ前のバスは数分後に来るようなので、慌てて乗り込む準備をする。

結局、前日からの遅れの累積で、この日に歩き残した15キロは翌日回しとなってしまった。

ホテルに着くと、夕食代わりの携帯食を摂りながら、依頼されたレポートの作成に取りかかり、日が変わる前になんとかファックスを送ることができた。おかげでホテルでやろうとしていたブログの更新をする時間がなくなってしまった。

次の日の朝は早く目が覚めたので、せっかく温泉に泊まっているのだからと、朝食前に一風呂浴びる。温泉で朝風呂に入ることなど、めったにないことであるが、外の雪景色を眺めながら入る朝風呂もなかなかのものである。

朝食後に昨日の到達地点まで戻るためにバス停に向かう。荷物をホテルに預けていくことも考えられたが、荷物の大きさが半端でないので、ソリで引いて行くことにする。ところが、バス停まで昨晩通った道でなく近道をしようとしたのが大失敗で、道に迷ってしまって予定のバスに乗り遅れる。視界の聞かない吹雪の中でGPSで現在地を確認するが、かなり郊外まで行ってしまったことがわかるのみで、バス停までの道が発見できない。人影が全く見あたらないので道を聞くわけにもいかず途方に暮れていたが、たまたま通りかかった車を止めて道を聞いてなんとかバス停にたどり着き、予定より遅れて昨日の到達点まで戻ることができた。

今日は吹雪の合間に日が差すという変わりやすい天気である。荷物をソリで引っ張って行くのでペースが上がらず、苫前には昼頃にようやく着く。ファーストフードの店はなく、飲食店に入ると時間がかかりそうなので、コンビニで弁当を暖めてもらって店の外で吹雪を背にしてかきこむ。数時間前に朝風呂に入っていたのと比べて天国と地獄の違いである。自分的には今の方が天国かも

夕方に今朝泊まった羽幌に戻る。今晩は外で寝ることになるので、コンビニで食料を調達する。羽幌の町を出ると無人の荒野を行くようになる。退屈なのでラジオをつけて地震の発生を知る。時間の経過とともに事態の深刻さがわかってくる。こんな旅などをしている場合かという気もしてきたが、急遽帰宅してもなにかできるわけでもなく、家族の無事は確認できたので、そのまま旅を続けることにする。今晩も夜9時を目安に歩くことにする。テントを張るにしても吹きさらしの場所は避けたいので、樹林帯を捜していたところ、バス停に差し掛かったので、今夜も待合所泊まりとなる。

待合所が暖かかったので寝過ごしてしまい、出発は9時過ぎとなる。予定では今日は天塩到着、明日は休養日といことで、天塩のホテルを予約してあったが、今日は行けるところまで行き、最終バスで天塩に向かい、歩き残した部分を翌日歩くことにする。

今日も単調な行程であるが、朝からラジオをつけっぱなしで地震関係の情報を聞き、深刻な状況に胸を痛める。自分のいる北海道日本海側にも津波注意報が発令されたとのことである。国道は大体は高台を通っているのだが、ところどころ海岸線近くまで降りてくる時には足早に通り過ぎるようにする。高台から海を眺めても津波が押し寄せてきてないかが気になってしまう。遠くの方を見ると、写真ではよくわからないが、肉眼では利尻が見えてくる。ようやく最端ての地まで来たのだなという感を深くする。Photo_4

天塩まで行く最終バスは18時20分頃なので、今日の行程は20キロにも満たないことになりそうだ。17時30分頃に着いたバス停で次のバス停まで行くかどうか迷っていたところ、運良く今日初めての歩行者に出会ったので、次のバス停について聞くと、3キロ近くあるとのこ。最終バスを逃すと大変なので、今日はここまでとする。

バスで天塩まで行くと、バス停の前が予約したホテルなので下車する。自分の荷物を見て徒歩旅行であることがわかったらしくビックリしている。夏には徒歩旅行者も多く泊まるようだが、冬の時期には10数年前に1回あったきりだそうである。部屋に入ってテレビに釘付けとなって地震関係の映像を見続けたため、今夜もブログ更新をする時間がなくなってしまう。

翌日は、朝食後にバスで昨日の到達点まで戻る。今日の行程は38キロと昨日の倍近くだが、空身なので時速5キロ以上は出て(ソリを引くと3キロ、背負うと2キロ程度)、夕方には天塩のホテルまで戻ることができたので、近くの日帰温泉に行ってみる。「夕映え」という名前の施設だが、残念ながら水平線に雲がかかっていて夕映えを見ることはできなかった。天塩まで来ると、ゴールは目前という気がするが、休養日は行程の遅れで消費してしまったし、疲れもたまっているので、果たしてどうなることやら。Photo_5

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2011年3月 6日 (日)

皇居ランニング+α

二週間前の青梅マラソンで痛めた足の違和感がまだ残っていたので、おっかなびっくりでペースを落として皇居を4週(20キロ)走る。もうちょっと走るつもりだったが、今週は長旅に出かけるので、疲れを残してはまずいというわけで4週でストップ。

今日は4月のような暖かい陽気で、このまま帰ってしまうのはもったいないが、どうしようかと考えた時に思いついたのが江戸城址の見学である。皇居は優に100週以上走っているはずであるが、皇居の見学というのはしたことがなかった。それは自分が天皇制に反対なので、天皇の住んでいる所などには行きたくもなかったのであるが、最近テレビで江戸城を取り上げているのを見て、ここが重要な歴史上の遺産であることに気付き、史跡好きの人間としてはぜひ行っておかなければと思ったからである。

まずは定番の二重橋を見た後、大手門から江戸城址に入る。Photo

本丸や二の丸は現存しておらず、広大な敷地が残っているだけであるが、往時は壮大な眺めで諸大名を圧倒していたことだろう。さらに威圧感を与えたであろうものが、奥に控える大天守閣である。三代将軍家光の時に建てられた天守閣が焼失した後は再建されなかったそうだが、その石垣が天主台として残っており、そのスケールの大きさを窺わせている。Photo_3

ここから道は左の桔梗門と右の平川門に分かれるが、 右の平川門の道をとる。というのは、平川門の手前には梅の木坂という梅の名所があって1月から咲き始めるが、今年は寒いせいか、まだ見頃と聞いていたからである。Photo_4 梅の木坂

Photo_5 白梅

Photo_6 紅梅

いつもはただ走るだけの皇居であったが、今日は変わった経験ができて楽しかった。今度走る時は城内の景観を思い出しながら走ることになるだろう。

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