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2011年3月17日 (木)

道北を行く その2

いよいよ今日は国道を離れてオロロンラインを行くことになる。抜海までの約60キロを二日で抜けたいと思っているが、途中に店や自販機はおろか人家もないことは覚悟している。宿の人には、今の時期にあんな所に行ったら、こごえ死んでしまうぞとおどかされるが、冬山の稜線で烈風に吹かれるほどの厳しさはあるまいとタカをくくる。

オロロンラインに入ると、海からの風が激しく顔にあたり、時折降る雪がさらに体温を奪っていく。途中荷物を取り出そうと、しゃがみこんでいたら、通りがかった車が心配して車を止めて声をかけてくる。行き倒れになったのかと思ったのでしょう。大丈夫だと返答する。

遅々とした歩みで行程が捗らず、二日間でオロロンラインを抜けるのは無理と判断する。日数の予備がなくなり、交通機関を利用したショートカットもできないので、内陸部の国道に向かう道へ迂回することにした。オロロンラインを離れると、急に風が弱まる。

Photo_4

国道まで9キロということで、夜道を東に向かって歩く。行き交う車は皆無である。東の空の一部が薄明るくなってくる。その方面に人家があるようだ。しばらく歩くと、やがて人家が見えてくる。人家の先でテントを張り、今日の行程を終える。

次の日は日差しの中でスタートする。数時間歩くと国道に合流し、その向こうにはJRを走る除雪車も見えてくる。JRが利用できるというのは、非常に心強いものである。昼過ぎには待望のコンビニも現れて弁当を買って食事をとる。

食後にしばらく歩くと豊冨の駅に着く。まだ時間も早いので先に向かうつもりだったが、どうせ今日一日で稚内までいくのは無理であるし、サロベツ原野は今は一面の雪原に過ぎないので、原生花園の見事な時に訪れた方がいいだろうということで、抜海までJRでショートカットして、そこから稚内まで歩くことにする。

駅で1時間強待ち合わせした後、列車は雪原を横切って海に近い抜海で下車する。ここから南稚内まで約10キロだが、現在4時半だから8時頃には予約したホテルに着くだろう。その前に近くにアザラシの生息地があるとのことなので寄ってみることにして、オロロンラインに荷物を置いて生息地に向かう。かなり歩いてようやく生息地に着くが、アザラシの群れはかなり遠くにいて、最大ズームにしても、下の写真程度にしか写らない。

Photo_5

アザラシ見物にも時間をかけたこともあり、オロロンラインの荷物に戻ってきた時には6時を過ぎていた。このままオロロンラインを歩くとホテルに着くのは10時近くなってしまうし、今日無理すると、明日の宗谷岬までの歩きにも響くので、ここもショートカットしてJRを利用することに決めた。時計を見ると、最終列車まで数分しかない。荷物を引っ張りながら走って、なんとか間に合う。いつものことながらのハラハラドキドキであった。

翌日は行程最後の歩きである宗谷岬まで28キロである。最後の歩きにふさわしく吹雪模様である。といってもオロロンラインほどの厳しさではない。1キロごとの表示を目標に歩を進めていくうちに、しだいに天気は回復してくる。岬まで後2キロ地点になった時によやく岬が見えてくる。感激を押さえながら一歩づつ歩を進め、ついに岬に達する。さすがにこの時期には観光客は皆無であったが、たまたま通りかかった人に記念写真をとってもらう。

Photo_6

あいにく樺太は見えなかったが、長万部で別れた太平洋とも再会した。ただこの海が東北地方の海岸に牙をむいたことを思うと複雑な心境であった。

今回3回の北海道行の延600キロのうち、約100キロを歩き残してしまったが、この部分は来年にでもまた来てみよう。今回は東日本地震というたいへんな時期に遭遇してしまい、旅を続けるかどうか迷ったこともあったが、今急遽戻ったとしてもなにかできるわけでもなく、家族とはメールでやりとりもしていたので旅を続けることした。東京に戻ったら、まずは募金をして、現地が落ち着いたらボランティア活動もしていこうと思う。今回の地震でなくなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方にお見舞いを申し上げて、今回のブログを終わらせていただきたい。

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