洞爺湖マラソンと道南サイクリング
荒川マラソン、長野マラソンとエントリーしていた大会のみならず東日本のレースが震災の影響で軒並み中止となり、来年のボストンマラソン出場のための資格取得ができなかったので、急遽、北海道の洞爺湖マラソンに出場することを決め、併せて日本沿岸一周の一環として長万部から苫小牧までのサイクリングも行うことになった。今月は1年のうちの仕事の繁忙期で本当は遊びに行っている暇などないはずなのだが、なんとかスケジュール調整して3日間の休みを作り出す。
3日間の休みを有効に活用するために、前日の最終新幹線で新青森に着き、そこから夜行フェリーで函館に渡り、JRで長万部まで行くことにする。函館には早朝に着くので、列車の待ち時間を利用して立待岬まで往復してくるつもりであったが、生憎の雨のため放射能汚染のこともあり断念して、朝市などを見物して時間を潰す。
函館から北上するにつれて次第に雨もあがり、1月に歩いた懐かしい景色を眺めるうちに長万部に着いてサイクリングを開始する。北海道の道路というと、真っ平らな草原の中を道が真っ直ぐ地平線まで続いているというイメージがあるが、今日の道は急カーブとアップダウンの連続であり、おまけに強い向かい風もあってなかなかたいへんであった。ただ、本州と比べると、広い歩道が整備されている所が多いので(歩行者はほとんどいないのだが)、自転車で走る分には安全性は高いといえる。
国道沿いにずっと進んでいくと、海岸線からはだいぶ離れてしまう気がしたので、途中で海に向かう道に進路を取る。だが、この道は漁港まで行くと、その先は断崖絶壁に阻まれて前進できないことがわかり、また国道に戻る。ここから先は予想もしていなかった高度差にして250メートルもの登りがあり、ヒーヒー言いながら走る。
やがて豊浦を過ぎて前方下に洞爺湖の街並みが見えてくるが、そちらには行かずに左へ曲がって洞爺湖温泉に向かう。洞爺湖温泉まではかなりの登りを覚悟していたが、多くのトンネルがあるため、さほどの登りもなく通過することができた。
洞爺湖沿いを温泉に向かって進んで行くと、ジョギングする人が見えてきたので、レース会場が近づいたことがわかる。最初受付場がわからずにウロウロしていたが、受付を済ませるともらえるゼッケンの入った袋を持った人を目当てに進んでいくと、受付場が見つかる。今回は事前に届いているはずのゼッケン引換証のはがきが届かなかったので、ちょっと心配していたが無事、受付を済ます。
予定ではここから数キロ離れた有料のオートキャンプ場にテントを張るつもりであったが、スタート地点付近の芝生に出場者たちの多くのテントが張ってあったので、自分もここに張ることにする。足湯の後ろが空いていたので、そこに張って足湯に入ったりしていたが、これは失敗であった。なぜかというと、足湯に入っている人たちの話し声が眠りを妨げるからである。それでもなんとかウトウトし始めた頃、外でけたたましい音がするのでテントの外に飛び出す。湖の対岸で打ち上げ花火が始まったのである。最初はレース出場者を歓迎するための花火かと思ったが、毎週末に観光用に行っているそうである。30分くらいで花火も終わって、湖には静寂が戻ってきたので、アルコールの助けも借りて眠りにつく(数年前の記録を狙っていた頃にはレース前夜のアルコールは御法度だったのだが)。
夜中に雨は降ったようだが、朝には止んでいて、曇り空で風もなく、気温も低いというマラソンには絶好のコンディションであった。ただ昼頃には天気が回復することが予想されていたため、袖なしシャツにショートパンツとしてアームウォーマーと膝下までのサポーターという出で立ちで気温の変化にも対応できる形にした。
先ほどから遠くの方でアナウンスがされているのはわかっていたが、聞き取れないので気にしていなかった所、スタート地点付近まで行ってみてアナウンスを聞いてビックリ。なんと今朝ほどの道路崩壊でマラソンは20キロレースに変更されたというではないか。が~んである。これでボストンマラソン出場のための最終チャンスも失われたことになる。だがすぐ気を取り直し、ボストンは1年遅らせればいいことだし、今日は20キロに全力を尽くすことにする。
レースは通常行われる秒読み開始もなく突然に始まる。あまり前の方に位置取りをしなかったために最初の1キロは渋滞で5分30秒を要したが、次の1キロは4分台の前半が出て、このペースで行かれればと思ったが、すぐにキロ5分にペースが落ちる。10キロが49分とここまではなんとかキロ5分を維持していたが、そこから先はだんだんとペースが落ち始めてどんどんと抜かれていく。14キロから先の登りでは足に痙攣が起きそうな前兆もあったため、無理をせずに坂を登り切ることだけを考えて走ることにした。
坂を登り終えると、後は記録などどうでもよいという気持ちになってゴールまでたどり着くことだけを考えて進む。ゴールタイムは1時間45分と冬場に行っていた練習時のタイムよりも悪いものだったが、練習不足のせいでやむをえないものであった。これでは予定どおりマラソンが実施されていてもボストンの出場資格を得るタイム(4時間以内)が出せていたかどうか怪しいものであった。
20キロゴール地点からはバスでスタート地点まで送ってくれるということだったが、リタイアした人を乗せる収容車の5~6台のバスしか確保していないというお粗末な対応だった。第一陣を乗せたバスがスタートしてから次のバスが来るまで長時間待たせられる。20キロといってもスタート地点から反対側に往復7キロ走ってからここまでやってきているので、スタート地点までは13キロ程度であり、普通ならば30分以内には先ほどのバスが戻ってこれるのであるが、おそらくはレース続行中で片道通行なので、こちらに戻るには海側を大回りしなければ行けないために時間がかかっているのであろう。私は多少の防寒対策はしてあったからまだしもであったが、ランシャツ・ランパンの人は寒さを訴えていた。天気が良かったからいいようなもので、雨でも降っていれば不調者も出かねない大会運営の不手際であった。しびれを切らして、スタート地点目指して歩き出したり走り出す人が続出していた。だが自分は自力で戻るつもりは全くなかった。防寒対策のお陰で、耐えられない寒さほどではなかったし、足にも相当きていたので、このまま自力で戻ったら、たとえバスが相当遅れてもバスよりも時間がかかるのがわかっていたからであった。
いやになるほど待ったあげくにバスが列をなして迎えに来た。今度は、バス会社に急遽増発を依頼したためか二階建てバスまでやってくる。ようやくバスに乗り込んで動き出すが、まだ全員は乗り切れずに積み残しが出ている有様である。車窓からは先に自力で戻っていく人が大勢みられ、思わず頑張れのかけ声をかけたくなってくる。彼らはどんな思い出バスを見ているのであろうか。自力で戻っていくことの誇らしさか、バスを待っていられなかったことへの後悔か
スタート地点まで戻ってテントをたたみ洞爺湖を去ることにする。2月に道央を歩いた時に前半でよく見ていた羊蹄山が真正面に見えるが、しばしのお別れである。いつの年か8月の北海道マラソンにでも出場したら、その帰りにでも登ってみよう。
予定では来た道を海まで戻るつもりであったが、レース途中で仰いだ昭和新山まで行きたくなって急遽コースを変更して、昭和新山経由で海に出ることにした。その部分だけ海から離れてしまい、日本沿岸一周という目的からは多少外れてしまうことになるが、室蘭本線自体は夜行寝台で2度通っていることもあり、この程度の遠回りは許容範囲だろう。道沿いにはまだ桜が咲いており、すっかりいい天気になった空を背景にした昭和新山が見事である。
昭和新山の麓に着くが、ところどころ煙はあがっており、どうやら登山路はないようである。反対側には有珠山があってロープウェーが動いているので、これに乗ることにする。山頂ロープウェー駅から見上げる有珠山の方も噴煙があがっていて、こちらも登山できないようである。外輪山一周は1時間くらいとのことで、ロープウェーの最終までには間に合いそうではあったが、レース後の疲労や痛みを考えて無理せずに写真だけ撮って、再びロープウェーで降りることにする。
ロープウェーから降りると、海を目指しての気持ちのいいダウンヒルである。伊達の街を過ぎて室蘭に近づく頃に夕方になる。室蘭の入り江を跨ぐ白鳥大橋が夕日のビューポイントだということで期待したが、なんと白鳥大橋は歩行者及び自転車通行禁止であった。
やむをえず東室蘭経由の大回りで室蘭に着いたときには夜8時になっていた。駅前の回転寿司で腹を満たした後、場末のビジネスホテルに宿をとる。
最終日は夜のフライトで帰京するので時間はたっぷりあるため、室蘭の半島を海岸線沿いに忠実に辿り、室蘭八景といわれる景勝地を次々と訪れる。休日ならば混雑するであろう観光道路も車も少なく静かな観光を楽しむことができた。八景のうち、圧巻は地球岬で、なんでも地元の宣伝では北海道の自然では人気No1だそうである。地球岬という変わった命名はここから眺める太平洋の水平線で地球が丸いことを実感できるからだそうである。下の写真で実感できますでしょうか
室蘭見物で午前中を費やし、一路苫小牧を目指して海岸に沿った気持ちの良い国道を進む。途中、温泉で有名な登別付近でリュックを背負って南下する歩行者を目指す。多分日本縦断を目指している人なのだろう。頑張れよと心の中で応援する。さらには苫小牧が近づいたあたりで、後ろから自転車に抜かれる。小さいザックを背負っているので、多分私と同類なのだろう。若い人のスピードには着いていけないのでマイペースで進んでいると、しばらくして、また同じ人に追い抜かれる。きっとどこかで休んでいたのだろう。また抜かれるのかと思ったらそれっきりであった。
苫小牧市内に入ってから上野行きのカシオペアとすれ違う。震災以来、長らく運休していたと思っていたが、もう運転再開されたことを知る。徐々にではあるが、復旧への足取りは進んでいるようだ。さらには苫小牧の駅には北斗星も泊まっていた。時間があれば千歳空港まで自転車で行くつもりであったが、まだ30キロ近くあり、時間的にはややきつくなるので、ここで自転車行は打ち切ることにする。海岸沿いを自転車で行くことが目的なので、空港までの内陸部は目的外なのである。
JRを利用したので空港では充分時間に余裕があり、まずはチェックインを行ってから荷物を預ける。ところが荷物重量が制限を7キロもオーバーする27キロもあったので、慌ててザックは機内持込に変更したが、自転車のみで20キロでなんとかセーフとなる。どうも工具類を積みすぎたようで、これから飛行機を利用するときは工具類は必要最低限に絞らなければいけないようである。出発までの待ち時間に空港内のレストランでジンギスカンを食して、3日間の慌ただしいマラソン+自転車行の幕を閉じることとなった。
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