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2011年6月

2011年6月28日 (火)

秋田駒と平泉

恒例となっている6月の「大人の休日倶楽部パス」を利用しての家内との旅行は今年は秋田駒と平泉に行ってきました。

梅雨も本格化したこの時期に山登りとかけて予定を組むのは非常に難しい。週間予報で日曜日だけが唯一悪天を免れる可能性が高いことを知り、宿と指定券の手配をする。しかし、他の人も同じことを考えるのか、予定していた宿と新幹線は満員で、別の宿と一本早い新幹線にする。このことが後でちょっとしたトラブルの原因となる。

田沢湖駅まではスムーズに来たが、当初予定よりも早い新幹線なので、次のバスまで1時間半待たなくてはならないのが問題である。他の登山客とタクシーに相乗りすることも考えたが、登山客らしい人はみな乳頭温泉行きのバスを待っている。そのうちの一人に8合目まで行くのですかと声をかけたが無視されてしまうので、やむを得ずタクシー乗り場に行き、8合目までいくらかを聞く。すると、8合目までは交通規制があって、バスが走る時間帯にバスの直後を走ることしかできないという。弱ったなと思っていると、規制の手前まで行けば、マイカーのためのシャトルバスが8合目まで出ているので、今からなら11時過ぎのシャトルバスに間に合うという。ラッキーと思ってタクシーに乗り込み、余裕をもってシャトルバスに乗り継ぐこともできた。ところが、シャトルバスはいったん来た道を戻り、すぐに8合目への道に分かれるのであるが、その分岐点にバス停があって、そこから。さきほど乳頭温泉行きのバスを待っていた登山者たちが乗り込んでくる。一瞬ポカーンとしたが、すぐに事情が飲み込めた。彼らは、ここでここで乗り継ぎ可能なことを知っていて、乳頭温泉行きのバスを待っていたのだ。それならそうと、さきほど田沢湖駅のバス停で声をかけたときに教えてくれればいいのにと思ったが、とにかく駅前で無駄なバス待ち時間をせずに済んだのだからと、タクシー代はあきらめることにした。

8合目までの道は本当に狭い道で交通規制をしかざるをえないことを納得する。8合目に着いたときは、なんとか天気も半日は持ってくれそうで、暑い中を歩くことに比べればましかもしれないと思った。歩き出すとすぐにすぐに高山植物がたくさん目に入ってくる。知識が乏しいので、イワカガミくらいしかわからないが、写真だけはたくさんとる。秋田駒の最高峰である男女岳の東側を回り込みながら、しばらく歩くと阿弥陀池の畔に出る。ここから男女岳までは15分くらいの登りである。頂上はだだっ広いところで、天気が良ければ八幡平や岩手山といった昨年歩いた山並みが望めるところだろうが、今日は雲の中であった。それでも直下にはさきほどの阿弥陀池が眺められる。

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帰りは上の写真の左の雪の部分を横切っていく道の方が近道のようであったが、雪があるためあまり歩かれていないようなので、初心者の家内のことを考えて登りと同じ道を下ることにした。下りも花を楽しみながら歩いていくとすぐに8合目である。ちょうどバスが出発する時間だったので、途中で乗り継いで主点の乳頭温泉まで行く。このあたりはたくさんの温泉があるが、我々の予約した孫六温泉は車の通れない道を20分ばかり歩かなければならない。

やっと着いた孫六温泉は電気もない(自家発電)、テレビもない、車もないという吉幾三の歌みたいなところだったが、対岸の黒湯温泉(当初泊まる予定だったところなのだが)までは道路も電線も下から来ている所を見ると、どうも「ひなびた温泉」自体を売り物にしているようでもあった。家内はもう少し文明化されたところを想像していたようで、少しご不満のようであった。もっとも私が独断で選んだわけではなく、家内の意見も聞いて選んだので、あまり風当たりは強くなかったが。

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テレビもなく、寝るしかないので早く寝てしまったため、翌日は2時過ぎに目が覚めてしまう。しばらくうつうつして夜明け近くなってから露天風呂に行ってみるが、激しく雨がふっている。昨日山を登っておいてラッキーだった。朝食後、早々に宿を出て、平泉に向かう。

平泉は中尊寺は過去3回訪れているので、高校の時以来○十年訪れてない毛越寺に行くことにする(家内も中尊寺には行っているが、毛越寺は初めてとのことであった)。昨日ニュースで平泉が世界遺産に登録されたということであったので、すごい人出かと思ったが、平日で天気も悪いせいか、それほどの人でもなかった。毛越寺は建物自体は多くが焼失したりして現存していないが、池と庭園が見事で、藤原三代の栄華を充分に感じさせるものであった。

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時間があれば、この後、厳美渓まで足を伸ばすことも考えていたが、帰りが遅くなりそうだし、雨の中を川下りでもあるまいと、このまま東京に帰ることにした。

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2011年6月25日 (土)

またまた富士山

例年6月下旬の観光の閑散期にJR東日本の大人の休日倶楽部会員専用の12千円で3日間乗り放題切符というのがあって、家内と旅行に利用していたのだが、今年は13千円に値上げした代わりに乗り放題期間が4日間に延長されたので、前半の2日間を利用してまたまた富士山に行ってきました。

この切符はJRだけでなく富士急でも利用できるので、富士吉田から自転車を利用すればタダで富士山に行ってこれるわけだが、天気予報では2日目は雨ということだったので、河口湖からバスを利用することにする。まあ往復バス代2千円で富士山行ってこれるのだから安いものである。

吉田口は雪もほとんど消え、8合目くらいまでは小屋も開き始めていて、7月1日の富士山山開きはいよいよである。何度も富士山に登っているお陰で体調もまずまずとなり、4時間半で山頂に達し、高所順化も順調のようである。ただ山頂付近はメチャクチャ風が強く、最初にテントを張ったのは閉まっている小屋の前で風当たりが弱そうに思ったのだが、これが全くの見当違いで、張り綱の縫い目が破れるかと思うほどの強風に見舞われたので、荷物を入れたままテントを移動して、なんとか我慢できるくらいの風の強さの所に設営する。ただここもなかなかの強風地帯でテントのポールが大きくたわみ、安眠を妨げられた。

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翌朝、起床して脈拍を測ってみると、下界と変わらない値で、これで4千メートル近くまでの高所順化は完全にできていると思われ、日本出発直前に後1回、富士山に行っておけば問題ないでしょう。

今朝も相変わらず風は強かったが、天気の方は予想に反して崩れないようであった。8合目あたりまで降りてくると、まずは山開きのための準備と思われるスコップ携行の一団、次には外人さんが次から次へと登ってくる。その次には7月末に開催される富士登山競争の練習に来るトレイルランナーたちである。私が富士登山競争に出場していた頃でももちろん練習に来る人はたくさんいたが(自分もその一人だったが)、今日のランナーの人数は少なめに見ても、その当時の3倍はくだらないようだ。いかに富士登山競争を含めてトレイルランニングがブームになってきていることを如実に物語っている。

5合目バス停には時間よりも1時間以上早く着いたので、降り注ぐ日の光を利用して、びしょぬれになったテントを乾かしたところ充分に乾いたので、待ち時間を有効に活用することができた。

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2011年6月22日 (水)

1ケ月ぶりのランニング

20キロで打ちきりとなった洞爺湖マラソン以来、モチベーションが途切れて丸々1ケ月走っていませんでした。こんなに長く走らなかったのは、2年前に鎖骨骨折した時くらいかもしれません。その間、毎週のように富士山に登っていたので、ハンテングリのトレーニングはこれで充分だと思っていましたが、急に走りたくなって、たった5~6キロですが、走ってきました。

急に走りたくなったのは、今週末がサロマ・ウルトラマラソン開催日に当たっているので、その刺激を受けたのかもしれません。自分のランニング人生で唯一誇れる記録(といってもたいしたものではありませんが)、サロマ・ウルトラでのサブテンを記録したのが6年前の6月下旬、その年の9月上旬にはアンデスの6千メートル峰も登っている(記録は以下参照)

http://homepage3.nifty.com/vibram/kaigai/andes.htm

あの当時が体力、技術、精神力においてピークで、その後は全てにおいてつるべ落としでダウンする一方です。それはともかくとして、日本出発まであと3週間足らず、いささか遅きに失した感はあるものの、富士山高所順化訓練の合間にはランニングもやっておこう。また1週間強のロシア、中央アジアの旅行中もいくつかの都市では早朝ランニングをやって、昼間の観光では味わえない街の雰囲気を感じ取るとともに、体がなまらないようにしておこう。

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2011年6月19日 (日)

須走

3回目の富士山高所訓練は須走口からにしました。松田で乗り換えて御殿場行きの電車に乗ると、同じ車両に自転車を持った女性が3人もいる。その時は自分には関係ないことだが、珍しいことだくらいに思っていたが、御殿場で下車すると、彼女たちも降りてきて、改札を出ると大勢の自転車を持った集団にびっくりする。なにやらいやな予感がしながら、バスの切符売り場で往復を買い求めると、明日は自転車レースなので、午前中の便は運休で午後の便しかないという。ガーンである。というのは明日は父の日で娘がやってくるというので、明日の午前中の便に乗れば、娘と会えることになっていたのだ。やむをえず、その旨を家内にメールで送る。

とんだトラブルに見舞われたが、山行そのものは順調に行き、4時半に頂上に着き、まだ閉まっている小屋の前にテントを張る。ただ、山頂直下で風と霰に見舞われて、少し低体温症にかかってしまったのか、テントの中に入ってもしばらくは胴震いが止まらず、そのせいか脈拍もかなり早くなる。食事をして持参した酒を飲んだら早々に寝てしまう。夜中はずいぶんと風雨が激しく、テントの中はずぶ濡れとなってしまったが、風は次第に弱まってくる。

翌朝は、午前の便に乗る必要もなくなったので、ゆっくりと起きる。朝脈拍を測ってみると80以上あり、まだ高所順化が充分できていないことを知る。テント指定地でもないところに堂々と張っていることに気がとがめたので、人が登ってこないうちに早々とテントを撤収する。

Photo ここに張っていました。

下降は頂上直下だけ雪が残っているが、踏跡がしっかりついて階段状になっているので、アイゼンの必要はない。今回は前回のブログで紹介した骨董品のピッケルを持参したが、この時だけピッケル本来の働きをしただけで、後はもっぱら杖がわりであった。昔のピッケルで長さがあるだけに、充分杖の役割をしてくれた。昔の山の先輩からはピッケルを杖代わりにしていると怒られたものであるが

下りは7合目からは砂走りを下っていったので、随分とスピードアップし、この分では運休になっているはずの午前中の便にも間に合いそうな気がしてきた。その時、ふと思ったのは、朝から雨模様の天気なので、もしかしたら自転車レースは中止となり、運休の便も動き出すのではないかということである。淡い期待を抱きながら5合目に付くと、残念ながら大勢の自転車レース参加者で混雑している状態であった、

Photo_2

おかげで、次のバスまで4時間以上、小屋で待つ羽目になったが、久しぶりに山でのんびりする機会が得られた。

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2011年6月17日 (金)

道具考

世の中には道具好きな人がいて、知識をひけらかしたりするのをよく見かけるが、自分に関していえば、全くの道具音痴で違いのわからない人間である。趣味の山の道具についてもそうで、山の店に行っても、目当ての品を買い求めたら、すぐに店を出てしまうし、カタログなんぞは見たこともない。

そうはいっても一つの道具を壊れるまで使い続けているかというと、やはり、日進月歩する道具の後をだいぶ遅れてではあるが追いかけて、いつのまにか道具も増えていってしまう。

かつては登山者の魂といわれていたピッケル類も下の写真のように何本もある。

Photo

左の2本はアイスクライミングで使用するバイルというものなので、ピッケルとは異なるが、まあ親類なので、一緒に写真におさめてみた。右の木のシャフトのシモンスーパーEは今となっては、骨董品のようなものだが、たまには現役で使ってやりたいものである。その左のドメゾンのピッケルも30年以上前に買ったもので、当時は左手にアイスハンマー(さすがにその時のシモンのハンマーは行方不明であるが)を持って氷壁を登ったものである。真ん中おシャルレ・アズターは形の良く似たシャルレ・クウォークほどはアイスクライミングでの使い良さはないが、本チャンでの使いやすさでは勝っている。

今回のハンテングリではアズターとドメゾンのいずれを持参すべきかを迷っている。雪の上を歩くだけなら60センチの長さがあり、ストレートシャフトのドメゾンが使いやすいのは言うまでもないが、ハンテングリは急峻な氷雪のルートが多そうだし、たとえ、固定ロープがあるにしても、ユマールを握る手の反対の手は氷雪にアックスを振るわけだから、アズターの方がよいかなとも考えている。

次はピッケルと並んで雪山では重要な道具であるアイゼンである。

Photo_2

右は現在の一般的なモデルであるワンタッチ式のアイゼンである。現在はアイスクライミングに特化した様々なアイゼンも使われているようであるが、アイスクライミングはあまりやらない私はこれひとつで縦走から岩、氷とすべてこなしている。今の人にとってはワンタッチ式は当たり前となっているが、一昔前の固定バンド、さらにその前の一本締め又は二本締めバンドと比べると、冬の烈風が吹きすさぶ中での装着の楽さ加減は言うまでもない。

真ん中のアイゼンは30年以上前のシモンマカルーという固定バンド式のものである。アイスクライミング用として開発され、アイスに対しては絶大な威力を発揮したが、出っ歯と二本目の歯との間隔が狭いため、岩を登っている最中に二本目の歯が岩に当たって、出っ歯が岩からはずれかかったりして恐い思いをしたことを覚えている。

左はサレワの12本爪アイゼンである。前爪が短いので、氷には弱いものの、岩に対してはつま先で登っているのに近い感覚があったため登りやすかった。冬の屏風や一ノ倉を登った時もこれを履いていたようである。もっともその後に登場してきたアイゼンと比べると、さすがに機能面の弱さは否定できず、一時は完全にお蔵入りしていたのだが、ひょんなことから現役復活することとなった。それは何年か前にミディ南壁を登りに行った時に、アプローチに運動靴と組み合わせて使うようになってからである。数時間以内の使用であれば足への負担もほとんどないし、ザックに担いでも運動靴+アイゼンの重量と嵩はわずかで済むのが魅力である。こう見えても、12本爪アイゼンだから急峻な斜面では蹴りこんで登降できるのである。運動靴に軽アイゼンをつけたパートナーが急な雪面を降りられなくて困っていた時も、彼をザイルで降ろした後、前爪を蹴りこみながら問題なく降りてこられたものである。今回の富士山での高所順化訓練でも雪があるのは8合目から上だけなので、写真のトレランシューズとともに使用している(良い子の皆さんは真似をしないようにと書くべきなのか)

これ以外にも前爪のない8本爪アイゼンやX型の軽アイゼンを使用したこともあったが、機能的に問題があるため、長期間は使用しなかったようだ。

最後に紹介するのは山の道具とはいえないが、山や海外で重宝しているポータブルプレーヤーである。特に海外の山では日本語のラジオも聞けないので必須な道具である。以前はCDをウォークマンで聞いていたこともあるが、ディスクを回転させるのにかなりの電力が必要らしく、電池がすぐに消耗したので、ソーラー電池を使用したりしていた。今はもっぱらモバイルMP3プレーヤーである。ディスクを回転させないので、単四1本で10数時間も持ってくれる。以前使用していたのは、音がするだけという代物で、曲の順番はランダムだし、フォルダーが扱えないので、ジャンル分けもできないという問題があったが、幸か不幸か昇天してくれたので、後継機として入手した以下のものは、それらをほぼ解決してくれていて満足のいく製品である。

Mp3

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2011年6月11日 (土)

富士登山競争コース

早くも1ケ月後に迫ったハンテングリ登山に向けて富士山での高所順化訓練を行っているところだが、毎回同じ所を登っていると飽きてくるので、高所順化訓練とは別のテーマも併せ持って臨んでいる。前回は海抜ゼロメートルからの登頂ということで、駿河湾からスタートしたが、今回は以前に何回も出場した富士登山競争のコースを辿ってみることにした。

富士登山競争というのは7月下旬に開催され、富士吉田から吉田口頂上までの標高差2900メートル、距離21キロを制限時間4時間30分以内で走り切るというもので、普通に歩けば10時間から15時間かかるので、およそ2.5倍くらいのスピードが必要とされるというハードなレースである。そのため、フルマラソンで3時間を切る走力があっても制限時間内完走ができない人もいるほどで、完走率は約40%と低く、私の過去の成績も2勝2敗というものであった。

今回は富士吉田から五合目までは自転車、そこから上は歩きの予定だが、コース中で馬返しから5合目までは急傾斜の階段状を多く含んでいて自転車では通れないので、その部分だけは林道を迂回していくことにする。

富士急線への直通電車に乗れたので、大月で乗り換えることもなく富士吉田駅に10時前に着く。富士吉田駅は7月から富士山駅と名前が変わるそうで、富士吉田駅からスタートする最後の富士登山となりそうだ。この時期は例年コースを試走するランナーが絶えないが、スタートして約5キロ地点にある中ノ茶屋まではランナーの姿は見かけない。平日ということもあるが、中ノ茶屋または馬返しまでは車で行き、そこから上を走る人が多いせいだろう。

途中、富士スバルラインへの分岐を通り越して直進する。富士スバルラインは距離30キロ、平均斜度5%であるのに対して、中ノ茶屋経由の滝ノ沢林道は距離20キロ、平均斜度7%なので、苦しかったら富士スバルラインに逃げようかと思っていたが、平均斜度7%程度ならば問題はないようなので、そのまま中ノ茶屋に向かう。中ノ茶屋から馬返しまでの6キロは自転車でも通れないことはないのだが、悪路である上に傾斜もキツイので、帰りに通ることにして、滝ノ沢林道をそのまま進む。

対向車も少なく快適な道を進むと、途中の樹林帯ではセミが一斉に鳴き出して盛夏のようであった。セミの鳴き声も通り過ぎて、次第に高度を上げていくと、4合目2100メートルの標識がある。腕時計の高度計では1840メートルとあり、駅で確認した時には実際高度よりも40メートル高く表示されていたので、この標識の高度は絶対に間違いである。これが正しければ5合目までは大した登りもないことになるが、実際のところはまだ400メートルくらいはあるはずである。

その標識のすぐ先に車止めの遮断柵があって、あきらめた車がUターンしてくるが、自転車は柵の隙間から通り抜けられるので、そのまま進んで行く。車が通行してないので、道の真ん中に巨岩が転がっていたり、ところどころ、砂利が道路上にあったりするが、走りづらいというほどでもない。この頃になってくると、ようやく疲労もたまってきて、太ももに痙攣が起きそうになってきたりしたので、一時自転車を押して歩いたりして、3時にようやく5合目に着く。

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ここに自転車を置いて、富士山に向けて出発する。見上げたところ、今年は雪が少なくて、8合目までは夏道が完全に出ている。上からはスキーやスノーボードを担いだ連中が降りてくるが、随分上まで行って滑ってきたのであろう。ご苦労様でした。

この時間から歩き出したのでは明るいうちに山頂までは無理だが、高度順化の効果を得るためには3500メートルあたりまで登っておきたいところである。とことが3000メートルを越えるあたりから風が強くなってきて、3200メートルあたりから上部を見上げると、さらに風が強そうであった。今回は軽量化のためにテントを持ってこず、ツエルトというペラペラの布切れだけなので、吹きさらしの稜線で一夜明かすのはつらかろうと、今日はここまでとする。

ところがツエルトを張った時点では風がたいしたことがなかったのだが、この場所も次第にに風が強まり、足で押さえているツエルトの端がまくれ上がると、下界の夜景が眺められるという豪勢な?状態であった。夜中には頭の方のツエルトも吹き上げられて、強風がまともに体にあったりしたが、なんとかツエルトを巻き込んで、風にあたらないようにする。1週間前の御殿場から登ったときと同じ軽シュラフを使用したのだが、標高差にして1800メートルはあるので、温度差ではおそらく10度はあったろうからさすがに寒かった。

熟睡はできずに早くから目覚めていたが、明るくなってからようやく炊事にとりかかる。背中越しにツエルトを通してビュービューと当たる風に抗しながら、股の間にコンロを挟んでお湯を沸かして、簡単な朝食を済ます。食後に荷物をザックに入れ始めると、ゴミ袋が無くなっていることに気付く。手ぬぐい、帽子、百均の手袋等を入れた袋も見あたらない。ザックに入れておかなかったので、風で吹き飛ばされたのだろう。手ぬぐい等はなくても困らないが、故意ではないにしても富士山にゴミを巻き散らかしてしまったことにを後悔する。

ザックにツエルト以外の荷物を全部しまった時に外で声がするので、ツエルトをまくってみると、外人の男女ペアが下山してきて、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる。OKと答えるが、女性の方は空身でヨタヨタしながら歩いていて、向こうの方が心配になってくる。

相変わらず風は強いので、行けるところまで行って帰ってこようと思って登り出すが、それほど風も強くならないので、この分なら頂上まで行ってこられそうである。途中から雪道となるが、踏み跡がしっかりしてあるので、アイゼンなしでも登りは特に問題はない。ただ安全を期して、9合目の鳥居のところでアイゼンをつける。そこからもう一頑張りで吉田口頂上である。

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ガスっていてなにも見えず、風が強いだけの頂上に長居してもしょうがないので、すぐに下降に移る。降りだして直ぐに、下から登ってくる二人パーティーと出会う。後ろの人はどうもガイドのようであった。ここから8合目までの下りは、条件しだいでは多少緊張するところであるが、今日は条件もよいので、たいした緊張もせずに8合目まで降りてアイゼンを外していると、さきほどすれ違った二人パーティーがロープで結びあいながら雪渓を降りてくる。こんなところでロープを使うのだから間違いなく、ガイドパーティーだ。自分も歩きながら、先頭がスリップするのを止めるのは卓越した技術が必要で、ガイドかそれに準じる技量のある者にちがいない。それに二人ともに技量があれば、こんなところでロープを使うはずはないのだから、先頭を降りるのは客なのであろう。彼らは、雪渓をそのまま須走の方へと向かっていった。

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ここから下は単調な下り一方だが、さすがに下りとなると早くて12時過ぎには、五合目に着いてしまう。自転車に荷物を積み替えたりしていると、馬返しからコース試走に上がってきたランナーが次から次にやってくる。金曜だというのにこの人出では土日はすごいことだろう。

ここからは快適なダウンヒルを一気に下ってコース半分の所とまで30分くらいで来る。このまま一気に下まで降りたい気もしたが、行きにエスケープした馬返しまで行ってみることにする。馬返しまでの林道はほぼ水平ではあるが、かなりの悪路で、行きに通らなかったのは正解であった。馬返しのやや下で中ノ茶屋からの道と合流するが、悪路を馬返しまで登るのも面倒なので、そのまま中ノ茶屋目指して下っていく。悪路ではあるが下りのため、それほど苦労せずに中ノ茶屋に着く。そこから先はまた快適な5キロにわたる下り道で富士吉田駅に着いてフィナーレとなる。今回は富士登山競争コースのトレースという目標をほぼ達成できたが、次回の富士登山はどんな趣向で臨むこととしようか

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2011年6月 6日 (月)

気仙沼ボランティア

気仙沼に二日間ボランティアに行ってきました。

今回の震災・津波では石巻の名前が一躍脚光を浴びて芸能人の石巻詣出が相次ぎましたが、その陰で気仙沼は忘れられた存在となり、また交通も不便なため、ボランティアの数もだいぶ少ないようである。

夜行バスで6時過ぎに気仙沼に着く。乗客はほとんどボランティアか復旧工事の関係者かと思いきや、そこからバスで乗り継いで行く人も多いようで、皆さんどこへ向かわれるのであろうか。

ボランティアセンターの受付時間まではかなり時間があったので、駅前のホテルに立ち寄って空き部屋があるかどうか聞いてみると、本日のみならば空いているという。事前に確認した際には満室ということで、テント泊まりの用意をしてきたのであるが、「ラッキー」と喜んで荷物を預けることにする。ネット予約よりも少し割高ではあるが。これも被災地支援の一部と割り切る。このホテルでは平日には私の専門に属する分野の被災者向けの個別相談会も開催されているとの張り紙があったが、どうも私には体を動かす方が向いているらしい。

駅からボランティアセンターまでは思いがけずも20分近くもあり、到着した時には既に受け付けは開始しており、予想に反して大勢のボランティアでにぎわっているため、一瞬仕事にあぶれるのではないかと懸念してしまう。幸いというべきかどうかわからないが、無事仕事にありついて、依頼先のお家に向かう。

作業先は川近くの立派なお宅の1階の駐車場の泥出しで今日が最終回という予定だそうである。今日は6人で作業したが、全員率先して効率良く作業を進めていったので、予定どおり作業を終えることができた。今回の震災では津波の被害が最も大きかったわけであるが、気仙沼地区では海岸部では火事も発生して、数少ない三重苦を味わった地区の一つである。作業先もすぐ近くまで延焼した跡が残っており、どんなに恐ろしかったであろうかと思い知らされた。

作業終了後、ホテルの戻ってから駅前に出向き、気仙沼の南部沿岸部を気仙沼線の代替バスで往復するつもりであったが、調べてきたバス時刻は平日用のもので、土曜日の今日は運行されてないことがわかり、急遽予定を変更して、気仙沼漁港の現況を見に行くことにした。

気仙沼の駅前付近は高台のため、震災・津波の爪痕は全くうかがえないが、海に近づくに従って様相は一変し、ゴーストタウンさながらとなってくる。石巻の海岸近くのような壊滅状態ではないが、震災後3カ月近くたっているにもかかわらず、復旧復興は全く手つかずといった印象である。多数の漁船が停泊中であったが、港の冷蔵設備等の復旧が遅れているため、出漁できない状態が続いているようである。そのためか港付近の飲食店で営業している所は皆無であったが、やや高台まで戻ると、数件の飲食店はオープンしているようであった。だがここまで戻ったのなら、駅前の大衆食堂まで戻ろうと考える。ところが時間が遅くなってしまったためか、お目当ての店は閉まっていたので、やむをえず海の方に逆戻りして、途中の居酒屋で夕食を取る。

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翌朝は海岸線をランニングでもしようと考えていたが、面倒になり、早めにボランティアセンターに向かう。今日は昨日と比べると、ボランティアの数が半減している。昨日のボランティア参加者は今日は安息日としているのであろうか。ただ、昨日同じグループで作業した一人が現れたので、彼と一緒のグループの泥出し作業に申し込む。

今日の作業先は昨日の作業先の川向うであった。今日のお家も立派なお家で、広い1回の床下の泥出作業ということで、今日一日ではとても無理ではと思われたが、泥の厚さはせいぜい数センチとわずかなこともある上に、午後からは5人の助っ人も加わったので、時間内に仕事を終えることができた。昨日に続き、依頼された作業を終了できたことにある種の達成感を味わうことができた。きっと依頼者も、きれいになった我が家を見て、また頑張ろうという意欲を起こしてくれたことだろう。ただ、迎えの車がなかなか来ず、予定していた電車に乗れるかどうかでやきもきさせられた。なにしろ、その電車に遅れると2時間以上の待ち時間になるということで、センター到着後、もう一人の人と一緒に駅まで上り坂をテントの入ったザックを背負って走る羽目に。折しも今日は丹沢ボッカ駅伝という荷物を背負って走る山岳レースの開催日で、数年前まで私も参加していたものであるが、ここでも走らせられるとは思ってもみなかった。でも御陰で電車には間に合い、もう一人の人と車内でビールで乾杯する。

同乗者は途中で下車したが、私はそのまま乗って、猊鼻渓駅で下車する。ここは有名な景勝地なので、立ち寄ってみるが、最終の舟下りは出た後であった。それでは歩いて見学しようかと思ったが、どうも川沿いには道はないようである。だいぶ高いところを車道が通っているようなので、そちらを登り、途中で川に近づくところで車道を離れて、踏跡を行ってみるが、部分的な景色しか見えないので、あきらめて下に戻ることにした。時間があまったので、近くのホテルの風呂に入ってさっぱりとなり、ついでに食事をとでも思ったが、宿泊者にしか提供できないと言われて、やむを得ずコンビニの弁当で我慢する。一関からは新幹線で帰京したが、ボランティア用として、ほぼ半額の切符があったのはラッキーであった。

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2011年6月 2日 (木)

海抜0メートルからの富士登山リベンジ

昨年、海抜0メートルからの富士登山を目指しながら、途中で道に迷ってリタイアしたので、そのリベンジをしてきました。

東田子の浦で下車して昨年同様に駿河湾まで行き、海抜0メートルをスタート地点とする。

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昨年はここから真北に向かったために道を見失ってしまったので、今回は富士市の方まで回り道して富士山スカイラインを目指す。今回はさほど迷わずに順調に行けそうだと思ったのも束の間、スカイラインに入ると、富士宮新5合目口道路は通行止めとの表示が電光掲示板に出ている。あれーっと思ったが、車両は通行止めでも自転車なら行けないこともあるまいと高をくくっていたところ、分岐点には番人がいるではないか。地震で道路が一部損壊したためで、復旧工事は終わって明日から通行可能とのこと。自転車でもダメだといわれて、やむを得ず、御殿場口に回りこむことにした。

せっかく獲得した高度を150メートルばかり下げて御殿場口の分岐点に入る。最後の急坂では自転車を降りて歩いてみたが、荷物が重いので、自転車で蛇行しながら行った方が楽だということがわかり、またペダルを漕ぎ出す。

終点の太郎坊は本当はテントを張ってはいけないのであるが、シーズンオフで誰もいないので、暗闇の中で隅っこにテントを張る。当初予定していた富士宮5合目よりも高度が900メートルも低いので歩行時間も長くなるため、明日は朝一番にテントを撤収して出かけるので、文句を言われることもあるまい。

翌日は3時前から起き出し、テント寝袋等の不要なものは自転車のサイドバッグに収納して、4時に登山活動を開始する。太郎坊からのコースは8月の初めに行われる富士登山駅伝のコースで、自分も何回か応援に駆けつけたところである。この駅伝は全国の自衛隊の運動会のような様相を呈し、各地の自衛隊が上位を独占していたため、数年前から一般の部と分けて行われるようになったものであるが、今年は震災の復旧活動で陸上自衛隊の8割が動員されているという状況でどのような展開になるのであろうか

今年は残雪が少なめで、8合目までは一部を除き駅伝コース上には雪がなく、このまま頂上まで行けるかなとも思ったが、最後はやはり雪の斜面となったのでアイゼンをつける。今回は自転車なので、軽量化のために運動靴に直接アイゼンをつける。いつも使ってるアイゼンはさすがに運動靴には装着できないので、昔使っていたアイゼンを使用するが、片方のアイゼンの前後のジョイント部分が壊れてしまったため紐で結んである代物で、長時間の使用には耐えられないかもしれないが、短時間ならば問題なかろう。

予定では山頂12時までにと思っていたが、30分遅れて到着。山頂の鳥居の写真を撮る。これで海抜0メートルからの富士登山は曲がりなりにも成就したことになる。絶頂3776メートルは少し離れたところにあるのだが、前にも行ったことがあり、天気が悪化しつつあったので、割愛して下山に移る。

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御殿場口と富士宮口は下降点は同じで途中から分岐するのだが、今は分岐点は雪の下になっているため、間違えないように左の方を目指し、途中磁石で何度も方角を確認する。急な雪の斜面の下降は別段恐くはないが、スリップしないように慎重に降りていく。ここで携帯が鳴り出すが、とても出られる状況ではないので、無視してしまう。

8合目付近まで降りると安全地帯に入るのでアイゼンを外す。するとまた携帯が鳴り出すので、今度は応答したが、風の音がビュービュー鳴っているのを聞いて、相手は雑音とでも思ったろうか。ここから先は単調な下りが延々と続く。途中、ブルドーザーが整地した道に出会ったので、そこをグングンと下り、行きに通った記憶のある場所を通過して、そろそろ太郎坊ではと思っても相変わらず道はぐんぐんと下る一方である。高度計の高度やGPSの現在地から見てもあきらかに下り過ぎてしまったことがわかったので、登り返して適当なところから左の土手を上ってみると、そこには太郎坊から下ってくる舗装道路があったのでホットして、その道を太郎坊まで登り返す。ブルドーザー道はてっきり太郎坊まで行くものと思いこんでいたが、舗装道路と平行して下に通じているらしい。今でも何度もブルドーザー道を下って太郎坊まで戻ったものだが、どこに分岐点でもあったのだろうか

夕闇迫る太郎坊からは荷物をくくりつけて直ぐに出発するが、雨が激しく降り出してきたので、急な下り坂はブレーキのかけっぱなしで慎重に進んで、1時間以上もかかってようやく御殿場駅に到着した。

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