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2011年6月 6日 (月)

気仙沼ボランティア

気仙沼に二日間ボランティアに行ってきました。

今回の震災・津波では石巻の名前が一躍脚光を浴びて芸能人の石巻詣出が相次ぎましたが、その陰で気仙沼は忘れられた存在となり、また交通も不便なため、ボランティアの数もだいぶ少ないようである。

夜行バスで6時過ぎに気仙沼に着く。乗客はほとんどボランティアか復旧工事の関係者かと思いきや、そこからバスで乗り継いで行く人も多いようで、皆さんどこへ向かわれるのであろうか。

ボランティアセンターの受付時間まではかなり時間があったので、駅前のホテルに立ち寄って空き部屋があるかどうか聞いてみると、本日のみならば空いているという。事前に確認した際には満室ということで、テント泊まりの用意をしてきたのであるが、「ラッキー」と喜んで荷物を預けることにする。ネット予約よりも少し割高ではあるが。これも被災地支援の一部と割り切る。このホテルでは平日には私の専門に属する分野の被災者向けの個別相談会も開催されているとの張り紙があったが、どうも私には体を動かす方が向いているらしい。

駅からボランティアセンターまでは思いがけずも20分近くもあり、到着した時には既に受け付けは開始しており、予想に反して大勢のボランティアでにぎわっているため、一瞬仕事にあぶれるのではないかと懸念してしまう。幸いというべきかどうかわからないが、無事仕事にありついて、依頼先のお家に向かう。

作業先は川近くの立派なお宅の1階の駐車場の泥出しで今日が最終回という予定だそうである。今日は6人で作業したが、全員率先して効率良く作業を進めていったので、予定どおり作業を終えることができた。今回の震災では津波の被害が最も大きかったわけであるが、気仙沼地区では海岸部では火事も発生して、数少ない三重苦を味わった地区の一つである。作業先もすぐ近くまで延焼した跡が残っており、どんなに恐ろしかったであろうかと思い知らされた。

作業終了後、ホテルの戻ってから駅前に出向き、気仙沼の南部沿岸部を気仙沼線の代替バスで往復するつもりであったが、調べてきたバス時刻は平日用のもので、土曜日の今日は運行されてないことがわかり、急遽予定を変更して、気仙沼漁港の現況を見に行くことにした。

気仙沼の駅前付近は高台のため、震災・津波の爪痕は全くうかがえないが、海に近づくに従って様相は一変し、ゴーストタウンさながらとなってくる。石巻の海岸近くのような壊滅状態ではないが、震災後3カ月近くたっているにもかかわらず、復旧復興は全く手つかずといった印象である。多数の漁船が停泊中であったが、港の冷蔵設備等の復旧が遅れているため、出漁できない状態が続いているようである。そのためか港付近の飲食店で営業している所は皆無であったが、やや高台まで戻ると、数件の飲食店はオープンしているようであった。だがここまで戻ったのなら、駅前の大衆食堂まで戻ろうと考える。ところが時間が遅くなってしまったためか、お目当ての店は閉まっていたので、やむをえず海の方に逆戻りして、途中の居酒屋で夕食を取る。

Photo

翌朝は海岸線をランニングでもしようと考えていたが、面倒になり、早めにボランティアセンターに向かう。今日は昨日と比べると、ボランティアの数が半減している。昨日のボランティア参加者は今日は安息日としているのであろうか。ただ、昨日同じグループで作業した一人が現れたので、彼と一緒のグループの泥出し作業に申し込む。

今日の作業先は昨日の作業先の川向うであった。今日のお家も立派なお家で、広い1回の床下の泥出作業ということで、今日一日ではとても無理ではと思われたが、泥の厚さはせいぜい数センチとわずかなこともある上に、午後からは5人の助っ人も加わったので、時間内に仕事を終えることができた。昨日に続き、依頼された作業を終了できたことにある種の達成感を味わうことができた。きっと依頼者も、きれいになった我が家を見て、また頑張ろうという意欲を起こしてくれたことだろう。ただ、迎えの車がなかなか来ず、予定していた電車に乗れるかどうかでやきもきさせられた。なにしろ、その電車に遅れると2時間以上の待ち時間になるということで、センター到着後、もう一人の人と一緒に駅まで上り坂をテントの入ったザックを背負って走る羽目に。折しも今日は丹沢ボッカ駅伝という荷物を背負って走る山岳レースの開催日で、数年前まで私も参加していたものであるが、ここでも走らせられるとは思ってもみなかった。でも御陰で電車には間に合い、もう一人の人と車内でビールで乾杯する。

同乗者は途中で下車したが、私はそのまま乗って、猊鼻渓駅で下車する。ここは有名な景勝地なので、立ち寄ってみるが、最終の舟下りは出た後であった。それでは歩いて見学しようかと思ったが、どうも川沿いには道はないようである。だいぶ高いところを車道が通っているようなので、そちらを登り、途中で川に近づくところで車道を離れて、踏跡を行ってみるが、部分的な景色しか見えないので、あきらめて下に戻ることにした。時間があまったので、近くのホテルの風呂に入ってさっぱりとなり、ついでに食事をとでも思ったが、宿泊者にしか提供できないと言われて、やむを得ずコンビニの弁当で我慢する。一関からは新幹線で帰京したが、ボランティア用として、ほぼ半額の切符があったのはラッキーであった。

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