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2011年8月

2011年8月22日 (月)

横浜中華街

今日の仕事は午前中に田園調布で1件、午後に横浜市近辺で1件ということで、ある程度時間の余裕をみて予定をたてたので、昼に多少時間があいてしまった。丁度乗っていた東横線の終点が横浜中華街だったので、中華街で食事をしていくことにした。

何故、中華街に行きたかったかというと、カザフのアルマティで現地食に飽きて、中華料理でも食べたいと思って、疲れた足を引きづりながら、ガイドブックに載っていた中華料理店まで行ったにもかかわらず、その場所は地元料理店に変わっていたため、中華料理が食べられず、あれ以来、潜在的にずっと中華料理を食べたいと思い続けていたからである。

下調べもしていないので、近場の店を適当に探して入る。

Photo Photo_2 入ったお店

店の中は空いていたので、一瞬、失敗したかなと思ったが、えびちりセット900円は値段の割には美味かった。やっと念願がかなったが、まだだいぶ時間は余っていたので、中華街を真っ直ぐ歩いて関内まで行き、そこから次の目的地に向かった。

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2011年8月20日 (土)

帰国後の初攀りと初走り

ボルダージムに出かけ、その行き帰りをジョギングしてきました。

ジムでは1カ月以上登っていなかったにもかかわらず、それほど力は落ちていませんでした。ただ考えようによっては、それって前のレベルがいかに低いかということを示しているのかもしれません。まあそれはともかく、クライミングは来年のロッキー山脈横断の途中でヨセミテで登りたいので、それに照準を合わせ、ランニングの方はボストンマラソン出場資格獲得という目標に向かってひとがんばりしたいと思います。

カテゴリーを過去の記事に遡っていれましたので、カテゴリーごとの検索も試してください。

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2011年8月19日 (金)

地球の歩き方

今回の旅行に持参したガイドブックの「地球の歩き方」は下の写真のとおり、05~06年版と古いもので、これは、その当時にハンテングリ登山を計画した際に購入したものである(その当時の体力だったら登れたであろうに、残念)。

Photo

今回の旅行に際して、最新版を本屋で見たところ、内容的にはそう変わったところはなく、ウズベキスタンは現地旅行社のツア-に参加するのだし、カザフの旅行はおまけのようなものだから、古い本でもかまわないやと最新版を買わなかったのであるが、今日、本屋で最新版をよく見てみたら、これを持っていれば、カザフ旅行で、あんなに苦労はしなくて済んだのにと後悔する羽目になった。

まずは、空港とバス停が離れていることについては最新版ではちゃんとふれられているし、どうしても辿り着けずに、時間と体力を空費してしまった考古学博物館についても、最新版では載っておらず、代わりにその目玉となっている黄金人間の実物大の複製については、新首都アスタナの博物館にあると書いてあるので、あんなに探さずに済んだのに。きわめつけは滞在登録の説明である。古い本には入国後5日以内のオビールという役所に出頭して手続をするとあるが、最新版には空路で入国した場合には空港で90日以内の滞在登録をしてくれるとある。あれだ!レギシトレーション・フリーと書かれてある1枚の紙切れ、街頭で警官のパスポートチェックを受けた時、その紙を見て即座に放免してくれたあの紙切れである。そんなことを知っていれば、街を歩きながら怯える必要もなかったのだ。

でも、最新版には最後の日に行ったバラホルカの大バザールのことが何故か書いてなかったので、あそこへ行けたことだけでも良しとするか

ところで30年以上前にインドや南米に行った時には、地球の歩き方はマイナーな本で、紙の質も悪く、内容も現地を訪問した旅行者の投稿記事が多かったように記憶しており、バックパッカーの御用達のような感じだったが(他にオデッセイなんていうのもあったが、その後どうなったんだろう)、今じゃすっかりメジャーなガイドブックになり、ツアーで行く人もみな持っているようだ。反対に、バックパッカーなどからは、内容が信頼できないと敬遠されているとも聞いている。そういえば先日、世界遺産のタンパル・タスであった若者もこの本は持っていないようであった。今時の若者(に限らないが)はインターネットの情報に頼っているのだろうか

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2011年8月18日 (木)

映画ナンガパルバット

今日、仕事帰りに映画ナンガパルバット(邦題はヒマラヤ運命の山)を見てきました。昨年見た映画のアイガー北壁以上に臨場感あふれる映画でした。話の筋はメスナーの本で知っていますので、ハラハラドキドキということはありませんでしたが、メスナーの本では隊長のフルリッヒコッファーについて、名声欲に凝り固まった人間のように書かれていますが、映画ではかなり好意的に描かれているのが印象的でした。

ナンガパルバット自体はスカルドに向かう飛行機から間近に見たことはありますが、メスナーの登ったルパール壁はまだ見たことがないのでぜひ見てみたい。再来年に予定しているチベット横断の時はパキスタンまで足を伸ばして、ぜひ立ち寄りたいものである。

それにしても、日本の山岳映画関係者も「岳」みたいなくだらん映画を作らずに、このような見応えある山岳映画を作ってほしいものである。

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2011年8月17日 (水)

カザフスタン旅行記

北イヌルチャック氷河散策

8/10

帰りのヘリコプターが迎えにくるまでBCにいても、持参した本は読んでしまったし、言葉が通じる人もいなくてやることがないので、北イヌルチャック氷河を散策することを思いついた。昼食後3時近くなってから出かけるので、あまり遠出はできないが、上流へ足を伸ばして中国との国境近くまで行ってみることにした。

以前行ったガッシャーブルム2も中国との国境近くにあったが、そのために軍隊が駐留していた。ところがここ北イヌルチャック氷河では軍隊の姿は見られない。カザフスタンとパキスタンはいずれも中国との友好国という立場では変わりはないが、パキスタンの場合にはカシミールの領有権を巡ってインドと係争関係にあるということも影響しているのだろう。

モレーン(堆石氷河)を進んでいくが、ほとんど歩く人もないと見えて、積み石の目印もなく、ルートファインディングに多少の注意が必要だ。あまり氷河本流に近い方を歩くと、モレーンを複雑に横切る水流に進路を阻まれたりするので、ある程度山側に近い方を歩くのがコツのようだ。ただあまり山側に近づき過ぎると岩雪崩も怖いので、ある程度は離れることも必要なようだ。

Cimg2530

BCから高さにして100メートルばかり登った小高いところまで行くと、氷河はどん詰まりとなり、対岸に見える山の稜線はもう中国との国境である。辺境の地まで来たのだなという感を深くする。30分くらいそこに留まった後、通って来た所を思い出しながら戻る。途中で違う所を通ってしまい、BCに戻れるかどうか少し不安になったが、勘を働かせて進んでいくと、BCのテントが見えてきてほっとする。

明日は下流方面に行ってみよう。

脱出劇

8/11

予定では午後から氷河下流を散歩するつもりであったが、朝から雪が降り続き、どうしたものかと思っていたところ、いつもより1時間早くランチを知らせる鐘が鳴る上、その鳴らしかたが尋常でないので、急いで食堂テントに行ってみると、C3に閉じこめられたままの隊員とガイドが深刻な状況にあるので、BCに滞在している全員に非常招集がかけられたということがわかった。といってもなにかができるわけでもなく、ただ無事を祈ることと、トランシーバーからの情報を待つしかできなかった。

1時の交信でガイド一人の死亡が伝えられて重苦しい空気がBCを覆ったが、3時過ぎの交信で他の全員はC2まで下山できたことがわかり、大きく事態は前進したようだ。夕方、ちらっとガスが晴れてC2から下降する多数の人間が豆粒のように見ることができた。夕食を知らせる鐘が鳴った直後に外で大声が聞こえて出てみると暗くなった氷河の彼方から、いくつかのライトがこちらに向かって近づいてくるのが認められた。とうとう生還できたのだ。先頭はガイドのアンドリーニ、続いて一向最年長のベンジ。本当に強い連中だ。その後も時間を置いて一人づつ生還し、最後の隊員のダーランがガイドにサポートされて戻って全きた。狭い食堂テントの中は歓声で沸きかえった。

長い一日であったが、この夜の感動はけっして忘れることはないだろう。

カルカラ

8/12

待望のBC撤収の日である。我々が3週間近く過ごしたBCのテントが次々と解体撤収されていく。ハンテングリとはこれでお別れである。気持ちの整理もついたので、もう未練もない。二度と来ることはないであろうハンテングリよ、貴重な経験をありがとう。

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やがて遠くから爆音が聞こえてきてヘリコプターが近づいてくる。だが、いつもと違ってはるか上空を飛んできてチャパエブを越えてキルギス側に行ってしまったので、我々の乗るヘリコプターとは違うのかなと思っていたら、今度はハンテングリの頂上上空を旋回しながら次第に高度を下げて着陸態勢に入る。いつもの迷彩色の機体とは違うので、多分民間機で、それで上空旋回サービスもあったのだろう。我々が乗り込むとすぐに機体は上昇を始めた。我々の時も、上空旋回サービスがあるのかなとチョッピリ期待したが、機体はそれ以上上昇することなく、一路カルカラを目指して水平飛行を続ける。やがて視界から雪が消えて緑一色となると、懐かしいカルカラである。

航空会社が違うせいか、行きとは違ってキャンプ場のすぐ横に着陸したので、移動が楽である。キャンプ場に掲げられている各国の旗の中に、たしか来る時は日本の旗があったのに今回はない。私がなにか不都合なことでもしたというのであろうか(?)。それとも去る人はもう関係ないということなのだろうか

昼食まで少し時間があったので、対岸の部落に行き、ユルタ(遊牧民の移動式住居)を見学する。今回はユルタに泊まる機会はなかったが、同じようなものが、モンゴルではゲルと言われているので、モンゴル旅行にでも行った折りに泊まってみよう。

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一度、昼食にキャンプ場の食堂に戻ってから、また部落に出かける。カザフといえば馬である。遊牧騎馬民族にとって乗馬技術は欠かせないものであり、その末裔であるこの部落の民が馬で疾走する様を見たいと思っていたら、子供が馬に乗ってやってきたので、写真を1枚撮らせてもらう。

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その場でしばらく休んでいると近所の子供たちがやってきたので、少し話しをした後に彼らの家な中を見せてもらう。もうしばらく居たかったのだが、ポツリポツリと雨が降ってきたので、キャンプ場に戻ることにする。短時間ではあったが、草原の民の生活の一端が垣間見られたのは有意義であった。

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アルマティに戻る

8/13

今日はいよいよアルマティに戻れる日だ。10時にカリカラ発。行きは夜だったので、上の悪い山道を行ったが、帰りは当然下のいい道を行くのだと思ったら、今回も上の悪い山道を行く。朝早いのでまだ関門が開いてないのだろうか。まあ悪い道といっても平らな所なので、カラコルムハイウェーみたいに断崖絶壁を墜落する心配はなく、単に乗り心地が悪いさけなにだが

ランチを食べてしばらくすると車は国立公園に入ってチャリンキャニオンを横断する。もうアルマティまで190キロである・アルマティに近づく所々で携帯の受信可能地域があるようなので、妻に無事下山をメールし、ホテルには3時過ぎに到着する。皆で一緒の食事でもするのかなと思ったが、しばらくたっても誰も現れないので、一人で出かける。目標が日本料理店だったが、、見つからないので、近くの韓国料理店でトンカツとキムチをビールと一緒に食べる。高所ではアルコールが飲めなかった上、BCでの食事は専門スタッフが作ってくれるので、それなりに美味しかったとはいえ、欧米人の好みに作られているので、日本人としてはたまには日本食も食べたいという身持ちも避けがたいものであった。そういった意味では純粋の日本食とはいえないものの十分に堪能させてもらった。食事の際に隣の外人がなにか話しかけてくるのではないかということを気にせずに食べられるのは良いものである。

食後に近くのインターネットカフェーに行く(私の携帯したPCの無線LAN機能は不具合が生じているようでネットに接続できず) 。ヤフーに接続するが、大きなニュースは特にはなかったようである。それにしても日系平均株価が9千円を下回っているのには驚いた。これも管さんが居座っている弊害か

アルマティ市内観光

8/14

旅とは決して予定どおりにはいかないものであり、それにどう対応していくかということも旅の面白さであるが、今日はそんな一日であった。

朝、中央バザールに行く途中のエアロバグザールという旅行代理店のようなところで、帰国便のリコンファームを一応しておこうと思って立ち寄ると、「ここでは出来ない、空港かホテルでやってくれ」と言われる。私の乗るアシアナ航空には市内に事務所がないのかと聞くと、ないと言うし、空港のアシアナの電話番号はわからないと言う。しょうがないから、ホテルに戻って聞くと、そもそもリコンファームの意味がわからないようであった。B&Bのホテルではそこまで対応ができないのはやむを得ないと、空港は午後時間があったら行くことにして、中央バザールに向かう。

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中央バザールは食品と日用品を取り扱う巨大な市場で、アルマティ市民の大半の需要を満たしているのではないだろうか。街の活力の源泉といった力強さを感じることができた。近くの両替屋でロシアのルーブルの換金ができ、そのまま日本に持ち帰った場合の、煩わしさから解放された。ついでにウズベキスタンの通貨の換金もとも思ったが、さすがにそれはできなかった。

その後、カザフ民族楽器博物館に行こうとしたが、どうしても場所がわからない。うろうろとしていると、28人のパンフィロフ戦士公園に出てしまい、正面に見えるサンコフ正教教会の方に進んで行くと歌声が流れてくる。どういう催しかわからないが民族舞踊をやっていたので、これはラッキーと鑑賞する。

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昼食は近くの地元料理の店でスープと麺を注文する。写真のようにメニューを見るだけでどんな料理かわかるので、これは便利だ。ガイドブックには日本人にもなじみやすいあっさりした味と書いてあるが、スープはなかなかの強烈な味で全部は飲めなかった。食後にトイレに行こうとすると、外だといわれる。それで、外に出て裏手の方に探しに出ると、強面のお兄さんが出てきて、ここにはトイレはないと言われ、強引に道路に連れ出される。はて弱った。ホテルまで戻るには距離がありすぎるし・・・。と思った時に先ほどの中央バザールにトイレがあったことを思い出し、急いで戻って用を足す。せっかく戻ったのだからと、先ほどは行かなかった上の階まで行って、全体の写真をとる。

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次は考古学博物館であるが、かなりの勾配がずっと続く道だった。ところが、地図によればここに違いないというところに博物館はないのである。通りがかりの人に聞いてもわからない人が多く、中には私が指し示したロシア語表記自体を読めない人も少なからずいたようだ。また知っているという人も、指し示す方向が人によってバラバラなので、ついにギブアップ。多分、さきほどの民族楽器博物館ともども、新首都のアスタナに移転してしまったのだろうと思うことにして次の予定に移る。

次はロープウェーでコクトベに上がって市内を一望する。山頂にはどいいうわけか人工壁があるが誰も登ってない。用具もレンタル可能なようなので、ここで登れば、拍手喝采は間違いなしであるが、照れくさいので止めにしておく。

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その次は博物館めぐりの最後の切り札の国立中央博物館である。これが見つからなければ、今日一日なにをしていたのかということになりかねないが、なんとか見つかってホットする。内容は充実していてカザフスタンの歴史が網羅されているらしい(説明文が読めないため)、以前は黄金人間が売り物だったらしいが、今は新首都アスタナに移されて、ミニチュアしか展示されてないのが残念だ。歩いている途中で交差点に警官がたむろしていたので、そちらにはいかないようにした。滞在登録がしてないからだ。お尋ね者の気分である。

これで今日の予定の観光は終わったので、朝やり残したリコンファームをやりに空港に向かう。ガイドブックによれば空港行きは92番と書いてあるし、バス停のお店の人にも確認したので、92番のバスに乗り込む。バスは空港を表示してある道路の案内表示どおりに進んでいたので、もうしばらくすれば空港だろうと思っていると、最後の方になってえらいガタガタ道となって、ど田舎で終点となって全員が降りることになる。その時はなにがなんだかわからなくなって、92番でも空港まで行くのと途中打ち切りになるのとがあるのかなと思ったりしたが、時間も遅かったので別の92番のバスでアルマティに戻ることにした。アルマティ市内に戻り、乗車したのと同じバス停で下車したが、どうも様子がおかしい。しかし、その時は単なる勘違いだと思って、乗車したバス停の少し先にあるはずの中華料理店を目指すが、行けども行けども目当ての店はなく、あたりをうろついて時間と体力を浪費する。そのうちに帰りのバスは行きのバスの一本隣の道を通っていることに気づいて正しい道に戻り、目的の中華料理店に向かうが、そこは別のレストランに変わっていた。訳のわからない店で劇辛料理を食べさせられるのはかなわないし、今日一日歩き回ってかなりの水を飲んだためか食欲も湧かなかったため、マックのハンバーガーで済ませることにした。

リコンファームについては解決できなかったが、たしかアシアナ航空はリコンファーム不要だったという記憶があるが、この件については航空券を買った先にメールで問い合わせておこう。

世界遺産タンパル・タス

8/15

朝起きると胃が重い。ブハラの二の舞かとも思ったが、一応食欲はあるし、便も普通に出るので、それほど重症ではないようだ。

今日は世界遺産に指定されているタンパル・タスの岩絵を見に行くことにしている。アルマティから車で片道2時間半の遠方にあり、公共の乗り物などはなく、旅行社のツアーかタクシーのチャーターのいずれかしかなく、200ドル近く要するらしい。ツアーならばガイド付きだろうが、説明されても多分わからないから、それならタクシーの方が多少は割安だろうし、申し込み等の手間も省けるということでタクシーに決めたが、問題はどうやってタクシーを見つけるかであった。というのはカザフスタンではほとんどが白タクで、空港とか長距離バス発着場とかに行かないと見つけられず、ホテルに呼んでからだと料金交渉もやりにくいということで、長距離バス発着場まで行くつもりであったが、ホテルを出てまもなく、タクシー運転手がたむろしている場所があり、その中にタンパル・タスを知っている人がいたので200$の言い値を160$に負けさせてタクシーに乗り込む。車の中でメールをチェックしていると、リコンファームの問い合わせに対して、自動返信で17日まで休みで、それまで返信ができない旨が書かれている。こうなった以上はタンパル・タス観光が終わった後、もう一度空港行きにチャレンジせざるをえなくなったわけである。

タンパル・タスまでの道は中国国境への道と途中で分かれて北上し、しばらくすると幹線道路から外れてオフロードの道を行く。運転手もあまり来たことはないらしく、何度も道を間違える。荒涼たる荒野を進むこと1時間、ようやく目的のタンパル・タスに到着。世界遺産といっても、こんな辺鄙な所に来る人はいないだろうと思っていたら、後から1台の車がやってきて、何と日本の若者が降りてきた。日本人に会うのはタシケントの空港での団体さん以来であり、約1カ月ぶりに日本語を話す。なんでもカザフをかわぎりに1年以上かけて西の方に向けて旅をするそうである。羨ましいというかご苦労様というべきか。自分は完全リタイアでもしない限り、そんな長期旅行は無理だが、果たしてその頃にそんな体力、気力、財力があるかどうか

肝心のタンパル・タスであるが、古代に書かれた岩絵で、当時栄えたスキタイ人たちが書いたものもあるらしい。丁度、今回持参した本の中に「遊牧民からみたユーラシア」というのがあって、興味のある分野なので、小説と違って何度も読み返したのだが、その中にスキタイという遊牧民族はギリシャに攻め入って破れるまで西アジアの覇権を握っていたと従来されていたペルシャに対して、実は完全に優位にあったのだということが書かれており、これは大陸の東ではきょう土が漢を属国としていた事実と並んで、従来の歴史観を覆すもので非常に興味深かったが、そのスキタイ人も描いた岩絵として大いに感心があったものである。ところが、実際には動物を描いたものはあまりなく、仏陀を描いたものが多数見られた。当時、仏教がカザフまで伝播していたということは私の知識にはなく、ちょっと混乱がもたらされた。それと、ガイドブックの写真にあった動物がたくさん描かれた岩絵がどうしてもみつからなかった。博物館へでも移されたのであろうか

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ひととおり見てまわったので、アルマティに戻るが、途中警官に車を止められたので、一瞬ヒヤリとしたが、パスポートチェックはなく、お尋ね者の旅はそのまま続き、今度はまたバスで空港に向かう。昨日と同じ92番である。ところが今日も昨日と同じ辺鄙な所で終着となってしまう。車掌にアエロポルト(空港)というと、106番に乗れという。しばらくして発車する106番に乗ると、先ほどの92番で来たのと同じ道を戻っていく。あれーっと思ったが、乗車するときにアエロポルトと胃ってあったので、「空港」で降ろしてくれる。ここで昨日の疑問が解消したのは、92番の終着は空港ではなく、空港はあくまで途中のバス停だということである。ところがあたりはちっとも空港らしくない。日本ならば、バス停の空港といえば空港ターミナルの横と決まっているが、こちらではそんなルールは通用しないらしい。1時間くらいウロウロしたり、人に聞いたりしてやっと空港を発見。バス停からは真っ直ぐ歩いても15分くらいはかかる所であった。ところが空港の中に入ってもアシアナ航空の事務所がない。そこでチケット販売所で聞くと、空港の外の建物の中にあるという。そこはホテルだったが、その中にアシアナ航空の事務所があり、二日がかりでやっとリコンファームができました。帰りもまた道に迷ったりしながらも92番のバスなんとかアルマッティに帰る。ガイドブックには簡単に92番に乗れと書いてあるが、普通の人ではまず無理だな

後は夕食を食べてホテルで寝るだけだが、まだ胃の具合が完全ではないので、刺激の強い現地食は避けて日本食を食べることにする。降りたバス停の少し先にあるトラム{路面電車}に乗ると、目当ての店があるようなので、一度トラムにも乗って見たかったことだし、トラムを待つ。ところが1時間待っても、反対側の線は3本も来たのに、私の待っている線にはついに来なかった。碁盤の目の四辺を一周するので、時間帯によって片方だけしか動かさないようにしているのかもしれない。遠回りでも反対車線に乗ればいいではと思うかもしれないが、反対車線はすぐ先で分岐しており、どこへ連れて行かれるかわからないので乗れないのである。やむをえず30分近く歩いて目的の店に着く。ここはロシア系のすしチェーン店だが、ロシアで食べたすしが今ひとつだったので、うな重を注文する。こちらの方はけっこういける味で吉○屋のうな丼よりうまいかも(値段も倍近くだけど)。ホテルまでまっすぐ帰れるバスがなく、歩きも交えたため10時近くの帰りとなってしまった。

バラホルカ

8/16

いよいよ最終日である。3日間過ごしたアルマティを記念してトラムに沿って市内一周のジョギングをする。市内は南の山岳部から北部の平野にかけての傾斜地になるが、ホテルは低い所にあるので、前半は登り、後半は下りの理想的なコース取りとなる。1時間くらいで一周できたので、山手線一周することと比べれば、アルマティの広さがわかるというものである。

朝食後もゆったりとした気分で今日はバラホルカというバザールに行くだけなので、のんびりしたものである。と思っていたら朝からメールと電話の攻勢で、17日中に仕事の打ち合わせをしたいとか、18日になるなら17日中に事前の資料を送って欲しいとか無茶苦茶である。

ホテルのチェックアウトを済ませるが、ここでまたひとトラブル。エージェントとの契約ではホテル1泊分のみとなっていたので2泊分は当然自己負担だと思っていた。手持ちの現地通貨が1万テンゲ(約6千円)少々あったので、これでなんとか足りるかなと思っていたら、200テンゲを請求されたのだが、これはミニバーの分であるにもかかわらず、それを2万テンゲと聞き違えてしまった。それで5千テンゲ札2枚を見せて、これしかないのでドル払いできないかと聞くと、ダメだと言って渋々奥の方からお釣りを持ってきてチェックアウトを済ませる。実は当初予定よりも二日早く登山基地カルカラに行くので追加料金200ユーロを含めてエージェントに払ったのだが、随分高い二日分と思ったのは帰りの二日分のホテル代の追加分も含まれていたのである。

夜まで大きな荷物はホテルに預けて身軽になってバラホルカ行きのバス停に向けて歩いていると、後ろから警官に呼び止められる。ほーら来なすった。パスポートチェックである。パスポートを調べていた警官が滞在登録はどうなったかと聞く。こりゃ拘束もやむをえないかと観念したが、登山のエージェントが空港で手続きできるので心配するなと言うのを思い出し、エージェントの携帯で連絡し、警官に説明してもらうことにした。それによると、ホワイトペーパーがあればよいらしいとのことで、パスポートが入っていた袋を探していると、警官が1枚の紙切れを見つけて、これでokとのこと。紙切れにはレジストレーション・フリ-と書いてある。こんな紙切れ、どこでもらったっけ。そんなに大事なものだったら、エージェントもその旨を説明してくれればいいのに。まあ兎に角一件落着して一安心。

バラホルカ方面のバス乗り場に着いても、ガイドブックには何番のバスとは書いてないので、適当なバスに乗り込んでしまうが、どうも勘では行き過ぎた気がしたので、途中下車する。降りたバス停で他の乗客に聞くと、バラホルカはやはり乗ってきた方向にあるようだ。ただ途中にそれらしきものはなかったので、どこかで別の道を行くのだろう。こうなるとお手上げである。そこでついにギブアップしてタクシーで行くことにする。ところが前にも書いたとおり、こちらは白タクばかりで(現地の人は一見普通の車に見えるにもかかわらず、合図して乗り込んでいるので、車ナンバーの文字か色でタクシーは区別されていて白タクではないかもしれないが)、屋根にタクシー表示をした車にはめったにお目にかかれない。1時間近く待ってもタクシーがつかまらないので、バラホルカ行きをあきらめかけたが、ここでハット気づいて、バラホルカのキリル文字表記を頭にたたき込んで、やって来るバスの前面及び側面に表示されている多数の行き先の中にバラホルカが記載されているバスをさが探せばよいのだ。何台目かのバスの行き先表示の中に、バラホルカのキリル文字が一瞬読みとれて、即座に乗り込む。案の定、バラホルカ行きのバスは途中で北の方に道が曲がって行く。道はもの凄く渋滞するし、狭い車内は満員状態で蒸し風呂のようで長くは乗っていられない。大勢の乗客が降りたところで一緒に降りて。あいしまう。そこは大きいショッピングセンターのようであった。涼むために1階部分だけをちょっと見て、またバス停に戻ると、たまたまタクシーが止まっていたので、乗り込もうとするが、近すぎるためか渋滞がひどいためか知らないが乗せてくれない。そこで先ほどと同じ要領でバラホルカ行きのバスに乗ると、しばらくしてバラホルカに着く。先ほどのショッピングセンターとは比べものにならない広大な大きさのショッピングセンターである。一昨日訪れた中央バザールが食料品・日用品中心なのに対してこちらはファッション中心である。

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ただ、地元産の物は少なく、ほとんどが中国産のようである。奥の方には貴金属の売り場があり、ここには妻同伴でなくて良かったと思った。

ひととおり見終わって帰る段になって、市街地に帰るだけなら乗り換えさへすれば間違いなく帰れるところを、106番のバスを見かけたばかりにおかしなことになってきた。106番というバスは92番のバスで空港に行った時にやはり空港近辺を走っていた路線であることを前に書いたが、それならば106番に乗れば市街地に戻れるだろうし、もし駄目でも92番に乗り換えれば市街地に簡単に戻れると思ってしまった。ところが106番のバスというのは空港に行くには行くのだが、裏道を通りながら郊外を大きく迂回して空港方面に行く路線だったのである。そのためいくら行っても、92番の路線とは合流せず、渋滞に巻き込まれて時間ばっかりが過ぎていく。8時半にホテルでエージェントの車にピックアップされて空港に向かう予定だったので、92番のバスで戻る時にも渋滞にまきこまれたら間に合わなくなるのではないかとヒヤヒヤした。幸い帰りは渋滞にまきこまれずに済んだので、最後の楽しみにとっておいたアルマティ一番の繁華街でケバブを肴にビールを飲む時間は確保できたが、アルマティのバスには翻弄され続けた3日間であった。

(余談)

アルマティ空港からは夜行便でインチョンまで行き、午前中の便で乗り換えて成田に帰るのであるが、インチョンからの便に搭乗しようとしたら、何故か最初の座席とは別の座席の券を渡してくれて、それがビジネスクラスの座席であった。最初の席になんらかの不具合があったのか、たまたま私の誕生日だったのでサービスしてくれたのかはわからない。

たった2時間のこととはいえ、広い座席、特別料理、ワイン飲み放題とビジネスクラスはやはり良い。Cimg2647_2

海外でエコノミー以外に乗るなどということは、30年以上前にホメイニ政権下のイランで反体制組織による闇リアル両替を利用させてもらって当時あったエグゼグティブクラスでヨーロッパ経由の旅行をして以来である。あの時は近くの座席に萩尾みどりがいたなあ

たまたまビデオサービスでは以前放映されていた「岳」という山岳映画をやっていたので、暇だから見たが、思っていたとおりのくだらん映画で、こんな映画を金を払って見に行くやつの気がしれない。8月上旬から上映されているはずのメスナーの「運命の山」を早く見に行きたいものである。

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ハンテングリ山行記(後半)

8/3 晴れ

今日は完全休養の1日目だが、ハイキャンプで朝食が食べられずに消耗したことを反省して、BCの朝食の残りのパンをくすねて、C1以上から上部に向かう日の朝食を確保する。食後にドクターのメディカルチェックがあって呼び出される。どうやらハイキャンプで不調だったので、そのせいらしい。問診と血圧測定だけだったが、もちろん異常はなく、ハイキャンプでの不調の原因をガスが使えなかったことによる朝食及び水不足であったことを説明すると納得してもらえて、次回からは十分注意するように言われて終了する。どうも今まではガイドと1対1で登っていたので、ガイドは原則として私の都合を最優先で考えてくれていたが、今回のような混成部隊の場合には自分の希望をはっきりと言わずに、相手の好意を期待しているだけではいけないことを今回はっきりと知ることができた。以上に加えて、第三ステージでは苦しくてももう少し頑張るようにすればなんとか良い結果を出せるのではないかと考えている。

8/4 晴れ

昨日に引き続きのBCレストである。午前中は昨晩充電したPCで今までの記録を入力し、午後は同じテントの若者と多少話しをしたりして過ごす。夕食後、ガイドから最終ステージの行動予定について説明があったが、正直言ってあまり理解はできなかった。ただガッシャーブルムの経験もあることだし、現地で判断していけばなんとかなるでしょう。

8/5 晴れ

いよいよ最終ステージである。C1までは3時間程度の道のりなので、出発は12時を回っていた。イギリス人のフィリップが体調不良のためか最終ステージには加わらず、氷河の対岸まで見送りに来てくれた。彼がサミットアタック用にと用意したであろうジェル等のスポーツフーヅを私に託してくれたが、果たして使う機会があるだろうか。

前回は頑張りすぎて翌日に疲れを残したのかもしれないので、今回はセーブして登ることにする。先行者を追い越そうと思えば追い越せたのであるが、途を譲ってくれないので、その後をついて歩いたため、比較的楽なペースで歩くことができた。ただ朝食を終えて6時間以上たつと、さすがに腹が減ってしまいへばり気味になってくる。他の連中はどうなのだろう。やはり欧米人は昼など食べなくとも平気なのだろうか。それでもC1までは2時間45分で着いたのでまずまずのペースといえよう。

C1に着くと、まだ3時過ぎだというのに、もう夕食の時間である。夕食といっても特別調理をするわけでもなく、ハムやチーズを切って、クラッカーと一緒に食べるだけである。

食料は5泊分ということでもらってあるが、一日分ごとにわけてあるわけではないので、1回でどのくらい食べてよいのかよくわからない。ざあっと見た感じでは、これでは足りないのではないかという気がするが、C2には第二ステージの時の残りの食料があるはずだし、最悪の場合は、最後のC2では翌日は下りだけなので、水分だけ摂れれば何も食べなくともなんとかなりそうだ。

テントの中ではブルガリア人のミリコと初めて話をした。彼もあまり英語が得意でなく、いつも仏頂面をしているが(私もそう思われているかも)、人間は悪くはないようだ。明日も今日の調子で登れますように

8/6 晴れ

今日は3回目のC2までである。3回目だからもう少し楽かと思いきや、またしても苦しい登りとなってしまい、最後のC2まで高度差100メートルではまたガイドが迎えに来て荷物を回収される羽目に。自力で行けるからいいと抵抗はしたものの、二人がかりで無理矢理荷物をはぎ取られる。カラコルムやネパールでもガイドに荷物を持ってもらうという不名誉なことはしたことがなかったが、年のせいで仕方ないか

皆の待っているC2に空身で到着するのが恥ずかしかったが、皆は熱烈歓迎してくれた。言葉は十分通じなくとも、同じ隊の仲間としての一体感がでてきたようだ。

夕食後、ガイドから明日以降のスケジュール等が説明される。C2に上がった9人のうち、いつも先頭グループを行くイギリス人のベンジが体調不良でC3には行かないことになり、隊員8人+ガイド3人で出発することになる。出発時間は7時。C3手前のチャパエフ峰(6150メートル)に17時までに着けないと、C3には行けずにC2に戻ることが申し渡される。C2からチャパエフ峰までの標高差は750メートルあり、これを10時間で行けば良いのだから、1時間あたり75メートル登ればよいことになる。今日は9時間で900メートル登ったのだから1時間あたり100メートル登っているわけで、今日のペースでもOKとなるはずなのだが、果たしてどうなることやら。就寝前にテントに入って記録を書いている時も脈拍はかなり早く、今日の疲れが影響しているようだ。といっても、頭痛、下痢、食欲不振、意欲減退といった高度障害の症状は全くなく、単なる加齢による体力低下だけなのかもしれない。

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8/7 曇りのち雪

今日はいよいよC3を目指しての行程である。予定より30分遅れての7時30分の出発となるが、時間との戦いとなる自分にとって、この30分の遅れは大きい。先頭を切って登り出すが、無類の体力を誇るハリーはともかくとしても、C3行きに変更したベンジにもたちまち抜かれ、その後も次々と抜かれて、自分の後ろにいる隊員はジョンのみとなる。ただこの時点ではまだ焦りはなく1時間100メートルのペースを目指して登っていったが、岩場の部分では結構時間がかかってしまい、なかなか予定どおりにはいかない。降りてくる見知らぬ人から目的地を聞かれてC3と答えると、そのペースではC3までは無理だから降りた方が良いと言われるが、そんなはずはないと言い聞かせて、絶対にあきらめないと心に言い聞かせる。ところが間もなくして登高を断念して降りてきたベルギー人のフィリップからも降りるように勧められた上に私の後ろを付いてきたガイド見習いのアンドリューからも降りることを勧められて大いに気持ちが揺れ動いた。

Cimg2520 そのところにきて、天気が急に悪化して横殴りに雪が吹き付けてきた。誰かが「このまま登ったら凍えてしまうぞ」という言葉が聞こえてくる。まわりを見回しても降りる人ばかりで登っている人はいない。苦渋の決断だったが下降することを余儀なくされた、下降と決めたら急に気が抜けてしまったのか、あるいは限界近くまで頑張っていたせいなのか、C2手前まで来て、急に体に力が入らなくなり、休み休み歩く始末となってしまった。

8/8 雪

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昨日から風雪が続いている。この分ではC3に上がった6人の頂上アタックもないだろう。朝、起き出してテントの回りの除雪をする。その時は、こんなところに長時間滞在してもしょうがないので、今日中にもBCに降りるつもりでいたが、この悪天の中で一人降りるのも気が進まないし、昨日私同様に下降したフィリップとジョンのうち、フィリップは私が降りるなら一緒に降りるというが、ジョンはもう一日C2に滞在するという。皆で一緒に降りた方が良いと思うので、私ももう一日滞在することにする。これでBCの食事はもうしばらくお預けとなってしまった。朝食をヌードルで済ませた後、同じテントのジョンと色々と話をする。アイルランド人であるジョンの英語は、一言々々はっきり、ゆっくりと話をしてくれるので、非常にわかりやすいが、それでも全部を理解することはできない。一月近く英語に囲まれた生活を続けていれば、そこそこ英会話能力が上達するのではないかと期待したが、どうもこの年になってからでは無理のようだ。その後、見知らぬ人がテントを訪ねてきて、時間を教えてくれという。時計を持たずに山に来るなぞ考えられないことなのに妙なことがあるものだ。

その後も雪は降り止まないので、明日の下降は比較的雪崩に安全なコースとはいえ、ちょっと心配になってくる。それにしてもジョンは良く寝る。昨夜以来、午後になってからもテントから全然出ないで寝袋に入ったままだが、用足しの方はどうなっているのかと人ごとながら気になってしまう。

夕方になってジョンはようやく起きだし、テント内の前方に調理スペースを作り、遅めの昼食(早めの夕食?)に取りかかる。C2には豊富な食料と燃料があるので、不自由な思いをしているであろうC3の人達には申し訳ないが、豪勢な食事を摂らせてもらう。外は強風が吹き荒れているが、テントの中は別天地である。こうしてハイキャンプの最後となるであろう一日が暮れてゆく。

8/9 晴れ

夜間、風がテントをたたきつける音が断続的にしていたので、今日も天気が悪いのかなと思っていたが、明け方にテントの外に出てみると、頭上には雲がなくハンテングリの姿が久しぶりにくっきりと見える。C3に滞在している連中も食料が切れている頃なので、下山してくるかなと思っていたら、4時に頂上アタックに向かったという。食料は二日分しかないはずなのに食べずに出かけたのか、それとも食い延ばしをしてきて臨んだのか、いずれにしても、基礎体力の違いを改めて思い知らされた。体力のある彼らがアタックに向かった以上は悪くても半分は登頂できるだろう。自分には関係のないことだと言っても、少し悔しい思いがするのも事実である。

ジョンと二人でC2から下りかけたが、ガイド見習いの二人も同時に降りるとのことなので、私自身は彼らの援助は必要としないが、技術に不安のあるジョンのために、ガイドと一緒に行動することにする。ジィンのスピードが遅いので、BCのランチには間に合わず、行動食で空腹を紛らわす。登頂組が降りてくるまで二日間は、既に帰国してしまったイギリス人のフィリップを除き、ジョンとベルギー人のフィリップと3人でBCで待つことになるが、どうもフィリップとは相性が合わない気がするものの、無理して合わせる必要もないので、自然体で行くことにしよう。

さて、これからが、今回の山登りの総括であるが、心ならずも国際山岳隊への参加ということになってしまったが、必ずしも満足しうるコミュニケーションができたわけではないが、なんとか最低限のコミュニケーションはとれたのではないかと思う。またこのような機会があったとしても、おそらく参加することはないであろうが(後述する体力面の問題は別としても)、基礎体力の違いをまざまざと見せつけられたのが一番の収穫であった(もっとも60歳を越えようとしている自分に対して、50歳代前半を筆頭に30歳代、40歳代で構成されている彼らとの年齢的な問題もあるだろうが)。

次に3年前には8千メートルに登っている自分が今回は何故通用しなかったのであろうか。一つには加齢による体力低下ということが上げられる。前回はシェルパが私にペースを合わせてくれたという面もあるので一概には言えないのであるが、前回は今回のように他の登山者に抜かれっぱなしになるということはなかったような気がする。また山の高さだけで見れば、3年前に登ったガッシャーブルム2の方が1000メートル高いのであるが、ハンテングリの方がかなり緯度が高いという点で高さの違いについてはある程度割り引いて考えなければいけないであろう。また、BCから頂上までの高度差については両方とも約3000メートルで違いはないのであるが、前回の高所キャンプ数4に対して、今回は3と一つ少なく、その結果として、前回はキャンプ間の高度差が500メートル程度が中心であったのに対して、今回は700メートルから900メートルが中心で、特に後半に疲れが出て、スピードがダウンしてしまったことが多かったのは、体力低下だけの問題ではない気がしてならない

結論としては、今の自分の体力ではもう高所登山を行うのは無理なのかなという気がしてきた。必要以上に他人の力を借りて行う登山ならば可能かもしれないが、自分自身が納得できる形で高所登山を行うのはもう無理なような気がする。マラソンならば、記録は度外視して走ることもできるが、高所登山は標準的な力を発揮できないと命にもかかわりかねないのが大きな違いである。たとえ高所登山ができなくても、自分には他の楽しみ方がいろいろあるので、これからはそういった方面に力を入れていこう。

いろいろと考えさせられることの多かったハンテングリ山行ではあったが、山を再開してから初めて高所登山を考えるようになった時に最初に俎上に上がった山であるハンテングリに今回挑戦でき、妻との中央アジア・シルクロードの旅と併せて楽しむことができたのは望外の喜びであった。

(後日談)

我々隊員10人のうち6人が最終キャンプであるC3まで上がり、うち5人が登頂でき、そのうち一人は無類の体力を生かしてその日のうちに一気にBCまで下降したが、他の隊員はC3泊まりとなった。ところが、翌日から荒天となってC3に閉じこめられて、2泊分の食料しかないのに4泊せざるをえなくなり、BC撤収日の前日に吹雪をついて二日分の行程を一日で長駆下山してきた。ガイド一人の死亡、隊員二人の凍傷という壮絶な脱出劇であった。私が無理をしてC3まで行った場合に果たして無傷で下山できたかどうかは疑わしい。そういう意味でも高所登山に決別するという私の決心はますます強まってきた。

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ハンテングリ山行記(前半)

7/20 晴れ

夫婦でのロシア・中央アジア旅行も終わり、いよいよ本番のハンテングリ登山が始まる。妻の帰国便が7時40分と早かったので、5時のタクシーで空港へ向かう。ホテルで予約したタクシーだからボラれることは覚悟していたが、5千円近くも取られたのには驚いた。さすがにタシケントは大都会である。

妻の帰国便は出発が遅れたため、結局私と出国や税関の手続きは一緒となってしまったが、ゲートが別なため、税関の先で別れる。初めての一人旅ということで、いい年をして心配していたが、たまたま日本人の団体が同じ便に乗るみたいで、おまけに妻の同郷の名古屋の人たちということで、多少は心強かったのではないかな

さて、私の方は定刻通りでアルマッティに着き、エージェントの車で事務所に向かう。大きなビルの一角を予想していたら、民家風の建物で、中に案内されても説明があるわけでもなく、昼食(これぞまさしく、昨日妻が食べたがっていたラグマンだった)が出された以外にはほったらかしにされT、果たして今日中にカルカラまで行けるのかどうか不安になったが、なるようにしかならないと腹をくくる

4時半頃ようやく出発の知らせがあって車に乗り込む。カルカラまでは6時間のドライブで途中で弁当を食べながら休みなしで22時にカルカラに着き、すぐにテントに入る。

7/21 晴れ

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今朝になっても相変わらず、スケジュールの説明がないが、今日のヘリコプターでベースキャンプ(以下BCと略)入りとのメールをもらっていたので、ヘリに乗ろうと荷物を出したところ、私は3日後のヘリであるとのこと。

今の体調を考えると、すぐにBC入りするよりも、カルカラで体調を整えた方が良いのは当然なのだが、一方的に予定を変更されてしまうと釈然としないものが残るのも事実である。

今日は高所順化というよりも、リハビリを兼ねて、キャンプ場の裏山に登ってみることにする。標高は2630メートルであったが、東の方の眺望が得られたので明日行く山のルートを見定めておく。

その晩に24日に同じヘリに乗り込む一行を乗せた車がやってくる。

7/22 晴れ

昨日、目星を付けていたコースを登りに行く。それでも降りてきた時には6時

峠を越えて眺めて見ると、目標としていた山の取り付きまで行くのはかなり時間がかかりそうだったので、ひとつ手前の山を登ることにする。コースそのものはわかりにくいこともなく、3時には3300メートルの山頂に達する。そこから先も稜線は続いていたが、一度大きく下降してから登り返すことになるので、非常に時間がかかりそうだったため、前進をあきらめて、頂上で30分滞在してから下降に移る。同じ道を下ると時間がかかりそうだったので近道をしたが、それでも降りてきた時には6時を過ぎており、喉がカラカラになってしまった。

7/23 晴れ

カルカラ到着後、食事はいつも一人で食べていたが、私のテーブルにも今回の遠征用の資料が置いてあり、中身を見ると、隊員10人の中に私の名もあって、行動予定も記載されていた。

3年前のガッシャーブルムの時もジョイントの形をとっていたが、BCからはバラバラになっていたので、今回もそんなものかと思っていたが、全くの思い違いで、見ず知らずの国際隊(アジア人が私一人で他は欧米人)の中に言葉も不自由な日本人がただ一人参加する羽目になってしまったわけである。思わぬ展開に動揺したが、ここはひとつ腹を据えなければならない。目的は山を登ることにあるのだから、最低限のコミュニケーションが取れれば足りるであろうと考え直すことにした。まずは今日の行動予定にある高所順化のハイキングに参加しなければならない。

ハイキングは隊員10人中8人参加で、近くの4千メートル峰を目指すそうである。出発に先立って、初めて私がメンバーに紹介されて、8千メートルの登頂者であることも告げられる。

他のメンバーは一人を除いては、皆山慣れしていて体力もあり特にBCで私と同じテントに滞在することになるアメリカの若者は無類の体力を有していた。結局、その日は3500メートルの峠までしか行けなかったが、メンバーを知る上で有意義であった。

7/24 晴れ

いよいよBC入りである。

30分のフライトでヘリは4000メートルの北イリニチャック氷河に着陸する。すでにテントは張られていて、同じテントになるアメリカの若者と多少会話をする。

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午後からガイドによるユマールという固定ロープを登るための器具を使ってのトレーニングをする。私は3年前のカラコルムで経験済みではあるが、見よう見まねでやっていたに過ぎないので、それなりに成果はあったようである。

7/25 晴れ

今日は4500メートルの弟1キャンプ(以下、C1と略)まで往復して高所順化することとなった。

氷河の対岸に大きなクレバスがあり、数日前には死者が出たとかで飛び越すのに一苦労した。これから登るコースの傾斜も上部キャンプまで見てもさほど強くなく、技術的には3年前に登ったガッシャーブルム2よりは易しそうだ。ただ体力の衰えは隠しがたく、隊の中では最後尾に近い方であった。ただ高所での強弱を分けるのは6千メートルを越えてからである。今回、6千メートルを長時間越えるのは山頂アタック時だけであるが、果たしてその時はどうであろうか

7/26 晴れ

今日はC1ステイである。C1までは3時間程度と近いので、朝はのんびりと10時に出発する。昨日は調子が出なかったので、最後尾からゆっくりと歩き出す。昨日ちょっぴり怖い思いをしたクレバスのジャンプも木の橋がかかっているので安心である。氷河を渡り終わって雪面の登りにかかると、今日はとても調子が良いことに気づく。知らぬ間に何人かを追い越して、途中で休むこともなくC1に到着した。

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C1では同じテントに泊まることになるロシア人とブルガリア人は早々と到着していてテント設営も済ませてくれていた。BCではアメリカ人と同じテントといっても広々としたものだったが、ここでは狭い空間に大男二人に挟まれて窮屈だ。二人はロシア語で会話しているみたいでチンプンカンプンだが(英語で会話されても同じようなものだが)、本来なら疎外感を疎外感を味わうはずなのに、逆に奇妙な空間を楽しむ余裕が出てきたのが妙なものである。

7/27 晴れ

本日はC2までの往復である。BCからの標高差が900メートルもあるのでたいへんだが、山頂アタックもそのくらいあるので、これくらいでへこたれるわけにはいかない。

8時にC1をスタートするが、2時までにC2に辿り着けなければ、その時点で下山するようにとのガイドの指示がある。不調になった一人がC1に留まることになったので、隊員9人とガイド3人でスタートする。

この頃になると、メンバーの力量がはっきりと二分され、自分は2グループの真ん中くらいというところであったが、最初は離れていた遅いグループとの距離が次第に接近し、タイムリミットの2時直前にC2に着いた時にはかろうじて遅い組のトップで到着する有様であった。すぐに下りに移ったが、途中でバランスを崩して転びかけた時にザックからテルモスが雪の斜面に落ち、はるか下まで転がってしまった。BCにボトルがあるので、これで代用しなければならないが、手痛い失敗であった。

私がバランスを崩したのを見て、ガイドが心配して私の後ろに付きっきりになる。ありがた迷惑であるが、ガイドの立場からすればやむをえないのだろう。

C1には5時過ぎに着き、食料の残りのめぼしいもので夕食代わりとした。たった二日間だけだったが、もうBCの食事が恋しくなってしまった。

7/28 晴れ

今日はBCまで降りるだけだが、雪面が柔らかくなる前にというためか、BCの朝食に間に合わせるためか、飲食なしで7時前に下山を開始したので空腹と喉の渇きに苦しまされた。山は相変わらずいい天気だ。

7/29 晴れ

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終日レスト(休憩)。ハンテングリの眺めもそろそろ飽きてきた。ガイドが私のプロテクションシステム(固定ロープに体を保持させるもの)を直してくれた。今までのものでも静加重には十分耐えられると思うが、万一なんかの理由により固定ロープを長距離にわたって滑ってしまって動加重がかかった場合にはガイドがやってくれたシステムの方がベターだろう。

明日からの第二ステージは最終アタックに加われるかどうかの試金石となるので、ガンバラずに頑張ろう。

7/30 晴れ

第二ステージが始まる。起床時に脈拍を測ると58と下界の時以上に低く、4000メートルには完全に順化していることがわかる。昨夜ちょっと心配した食欲不振も全くなくなっている。出発時間は前回同様に10時かと思って早々と準備を済ませていたら、11時出発だったので、待ちぼうけを喰わされる。

氷河の横断の歩き始めに張り切りすぎてバランスを崩して転がりかけたが、誰にも見られずに済んだ。氷河の横断そのものも前回よりも楽だったし、対岸に着いて斜面を登りだしてからも皆に遅れを取ることもなしに前回よりもかなりいいペースで登ることができた。ただ先行者にアンザイレンしている遅いパーティーがいくつかあって、順番待ちには時間を要してしまったが、それでもBC→C1は2時間30分と前回よりも30分短縮することができた。

早い時間にC1に着いたため時間を持てあまし気味であったが、この絶景を前に贅沢というものであろう。明日は標高差900メートルの長丁場であるが、今日の調子で頑張りたいものである。

7/31 小雪

今日は全装備を担いでのC2までの行程である。最初は勇んで先頭近くを行ったのであるが、どうも昨日のようには力が出ず、ずるずると後退してしまった。これは高所の影響というよりも、朝食を食べてないためのようであった。日本の山登りの常識からすると、朝食なしで登るということは通常は考えられないのだが、このあたりは彼我の基礎体力の違いからだろう。おまけに行動食もチョコレートバー2本だけというのでは全く力が入らない。

最後の登りにかかる所では、最後尾が定位置だったジョンにまで抜かれる有様で、C2まで高度差で100メートルまで来た時にはガイドが迎えに来て、荷物を持ってくれるとのこと。普通ならば断るところだが、テント本体を担いでいるため、到着が遅くなると他のメンバーに迷惑がかかるので、素直に受け入れることにした。

C2に到着してみると、我々のテントにはガス本体がなく、お湯が沸かせない。C1ではお湯を沸かしてくれたロシア人は別のテントに行ってしまったようだし、同じテントに泊まるブルガリア人は既に食事を済ませたのかどうかわからないが、お湯はいらないという。しょうがないので、ベルギー人のテントにガス本体を借りに行き、なんとか夕食を済ませる。

全く今回のハイキャンプの食事は散々である。現在のヒマラヤ登山ではフリーズドライ食品が主流であると思うが、そんなものは皆無で、魚や肉の重い缶詰、ハムやチーズの固まりといった物が中心で、日本人の口には合わないのではないか(私には例外だが)

8/1 小雪のち晴れ

今日は第二ステージの目標であるチャパエブ峰(6150メートル)峰の登頂であったが、前日からの悪天が続いており、6時頃に外に出てみると、ガイドが出発是非の判断をしているようであった。予定では8時出発であったが、終日C2で停滞する見込みのようであったので、またテントに戻って寝袋に入ってウトウトしていると、8時半頃にガイドが回ってきて、天気が回復してきたので、9時に出発とのこと。慌てて支度をしたので、また朝食を摂る時間がなくなってしまった。高度障害の症状は全くないのだが、朝食を摂っていないことと、昨日の疲れが残っているのか足が重い。昨日からの降雪のため、我々のコースの右手の傾斜がやや強いあたりは雪崩が頻発している。途中にある岩場は降雪直後のためかホールドが雪に隠れて登りにくい。今日は空身に近いが、フル装備で登る時はちょっとたいへんだろう。この岩場で力を使い過ぎたのか、この後、急に力がでなくなる。このペースではチャバエフまで行くのは難しいので、5800メートル上部で暫く休んでから下降に移る。これで明日はBCまで一気に下り、久しぶりにまともなものが食べられるのが楽しみだ。今の調子ではハンテングリ登頂に赤信号が出てきたが、後の望みは3年前のガッシャーブルムの時のような「火事場のバカ力」が発揮できるかどうかである。

8/2 晴れ

今日は第二ステージ最終日でC2からBCまでの下降だけである。

2日間かけて登ったところも、下降となれば5時間弱であった。最後の氷河の横断も初めて一人で行ったが、何度も通ったところなのでさして迷うこともなく、無事通過できた。BC到着して1時間近くたってから待望のBCのランチにありつけて生き返ったような気がした。

明日から二日間のレストであるが、BCでは夜間だけだが、バッテリーチャージができるので、今までの記録を入力していれば多少は暇つぶしができそうだ。

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ウズベキスタン旅行記

7/16

朝、タシケント空港で予約してあった旅行社の車でサマルカンドに向かう。運転手は一言もしゃべらないので、結局4時間飲まず喰わずであった。ホテルでガイドと落ち合い、一休みしてから案内をしてもらうことにする。

ひと休みの間に、換金率が悪いことは承知の上で、ホテルで300US$を現地通貨に交換するが、1000スムの札束が五つも来たのにはビックリした。

午後からは、いよいよ青い都と言われているサマルカンドの観光である。まずはレギスタン広場から始まって続々と青の美しいドームを見て回る。

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ガイドさんが親切に説明してくれるのはありがたいが、英語が苦手な我々は説明されていることの半分もわからない。それでもシルクロードの中心に来たのだという実感だけは湧いてくる。ガイド終了後、ホテルまで送ってもらってから、市内に食事に出る。本当は地元の食事が食べたかったのだが、なかなかレストランが見つからず、心ならずもピザで我慢してしまう。食後にレギスタンのドームがライトアップされているかもしれないというので、タクシーに料金交渉もせずに乗り込む。200円くらいであったが、翌日乗ったタクシーと比べると相当ボラれたようであった。

レギスタン広場はライトアップされていなかったが、週末のためか大勢の人出であった。そこからブラブラとホテルの方に歩いて帰り始めたが、途中のチャイハナ{茶店のこと}でお茶を飲んでいくことにする。すると店員が流ちょうな日本語で話しかけてくる。東日本震災の後まで日本にいたそうである。おまけにお茶代はいらないという。遠来の客人をもてなすという遊牧民の伝統か

その後、ホテルに直行しようと小途に入ると、思いがけずにライトアップされたクリアミール廟の前を通りかかり、幻想的な眺めを見ることができた。

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7/17

昨日で見たいところは大体見てしまったので、午前中は旧市街の裏道を歩いたりした。途中でナンを焼いているところを外から眺めていたら、中に入れと言われて「マネー、マネー」と金をせびられているみたいだったが無視する。

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ブハラ出発まで少し時間があったので、インターネットカフェに入る。日本語入力は出来ないが、表示は出来るので、久しぶりにネットを楽しむ。

ブハラまでは4時間のドライブも同じような景色が続き退屈であった。その間に冷蔵庫に冷やしておいた水を魔法瓶に入れたのを飲んだりしたことや、冷房の効いてない車内の厚さに旅の疲れも加わって、ホテルに到着後に私は気分が悪くなり、ホテル近くのレストランでの食事もあまり食べられなかった。そこで食べたものが当たったのか、妻も気分が悪くなったようである。

7/18

妻は下痢、私は便秘と症状は違うが二人とも絶不調である。結局、今日予定していたガイドは明日に延期してもらって、昼夜とも食事を摂らずに、ひたすらベッドに横たわる。私は、海外ではこんなことはしょっちゅうなので、格別心配もしてなかったが、とにかく二人とも明日は元気になりますように。

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今日は二人とも快方には向かっているようで、午前中のガイドを御願いすることにする。

オアシスの池であるラビハウズまで歩き、近くの4本のミナレットに囲まれたチャル・ミナルを見てから、車で街の西に移動し、そこから中央アジア最古の建造物と言われるイスマイール・サーマニー廟を手始めに次々と建築物を見て回って、ラビハウズに戻るという3時間の観光は病み上がりの体にはきついものであったが、内容的には充実していた。そして圧巻はブハラを象徴するカラーンのミナレットであった。

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午前中でガイドは終了したが、予定を変更してもらったガイドと運転手には、だいぶ金が余っていたこともあって、我々としてではあるが、チップの大盤振る舞いをする。

タシケントに戻る便は夜なので、しばらくはホテルで体を休め、夕方になってラビハウズに食事に出かける。妻の希望によりラグマンを注文する。イメージとしては、現地のうどんのようなものを想像していたが、出てきたものは、中央アジア風スパゲッティであった。

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夜に空港まで送ってもらってタシケントに向かい、ホテルに直行する。タシケントは行き帰りに素通りしただけで観光はできなかったが、中央アジアを代表する大都市というだけで、観光地としてはとりたて見るべきものはないようである。

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ロシア旅行記

7/12

初めてのエアロフロートだったが、思っていたほどの劣悪航空会社でもなく、10時間のフライトもさしたる苦痛もなく終えて、夕方のモスクワ空港に到着する。ここからはほとんどの観光客はタクシーで市内に向かうようだが、タクシーだと1万円近くはかかるとか。まだ時間は早かったし、早くホテルに着いてもやることもないので、バスと地下鉄を乗り継いで行ったら、二人で300円くらいで済んだので、儲かった気分になる。

モスクワの地下鉄は核シェルターも兼ねているとかで、凄まじい深さまで掘られており、エスカレーターの乗り降りだけでもかなりの時間がかかってしまうが、エスカレーターから見上げる天井の装飾が見事である。駅名表示はキリル文字のみなのでわかりづらいが、路線そのものは番号がふってあるのでわかりやすいといえる。

ホテル周辺にはレストランもなく、機内食が遅く提供されたことでもあったので、その晩は夕食も摂らずに寝てしまう。長い一日だった。

7/13

今日のホテルの朝食はかなりの豪華版であった。昨日買った地下鉄回数券を利用して街へ出る。まずは赤の広場へ。思っていたよりも広くはなかった。正面にクレムリンが城壁のように聳えるが、入口がわからなくてウロウロする。やっと見つけて荷物を預けて入場できるまで数時間かかってしまった。武器倉庫は別料金で金製品が多数展示されているらしいが、今回は省略。見所は昔のテトリスで懐かしいロシア正教の建物と展示品の数々であるが、数時間でもあれば十分でモスクワ見物は一日のみとしたのは正解であった。

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クレムリンを後にしてモスクワ川沿いに歩き、途中の船着場から船に乗ろうとしたが、地下鉄その他と比較してあまりにも高いので(といっても数千円程度だが)、あきらめて夜行列車の乗り場であるレーニン駅に向かう。モスクワ駅といっても行き先別に六ヶ所もあるが、間違いなく今夜の夜行列車の出発駅であることを確認してから、妻を駅に残してホテルに預けておいた荷物を取りに行く。地下鉄回数券をフルに活用して1時間半くらいで荷物を持って駅に戻ると、妻が心配そうな顔をして待っていた。しばらくしてホームに見に行くと、我々の乗る夜行列車はもう入線していたので乗車する。4人1部屋の個室で相客のことが気になったが、若い男性二人で廊下でずっと話し込んでいるようなので、ベッドをセットして下段で先に寝てしまう。

7/14

目覚めると相客は上段で寝ていた。サンクトペテルブルグが近づくと、女性の車掌が簡単な朝食を配りにきた。今晩のホテルは駅の近くなので、駅に荷物を預けてから、今回のロシア旅行の最大の目的であるエルミタージュ美術館に地下鉄で向かう。

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エルミタージュ美術館は4つの部門で構成されているらしいが、人気の集中するのはロシア王室の秘宝を集めた展示である(一応、撮影禁止となっているところでも、係員によっては大目に見ているようなので、多少は写真を撮ってみた)。Cimg2269

ただこれだけだと数時間もあれば見物は終わってしまう。その後はエナ川沿いにも観光船があるとのことなので、今回は一人2千円程度を奮発する。ところが行き先を確認しないで乗船し、多分同じ所に戻るだろうと思ったのが大間違い。船は川を下って湾に出て、沖に向かってどんどん進んでとある船着場で全員下船。果たして私はどこにいるのでしょう。ほかの船が出航するところだったので、行き先もわからないまま乗ろうとすると、船会社がいくつかあるとみえて、チケットを見せると別の船会社へ行けと行っているようだ。大体、今持っているチケットが片道なのか往復なのかもわからない計画性のなさである。妻も不安もあってか大いに不機嫌となる。とりあえず奥の方に宮殿が見えるので、多分有名な夏の宮殿であろうと、入場料を払って庭園を見物する。

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妻も庭園が気に入ったようで、機嫌も直ってくる。宮殿内は別料金であるが、せっかく来たのだからと順番待ちして入場する。館内はまばゆいばかりの黄金で飾り立てられているが、こちらは厳格に撮影禁止が守られていて、誰も写真を撮っている人はいなかったので、残念ながら写真はない。

展示終了の17時までに見物も終わったので、船着き場に戻るとクローズされていた。やむをえず街までの表示がある方に歩き出し、タクシーでもつかまえようと思っていると、運よくバスが通っていたので乗り込み、車掌に教えてもらったとおりに鉄道に乗り換え、さらに地下鉄を利用してホテルに着くことができた。ホテル近くでロシア料理も堪能し、妻も満足のようであった。

ここサンクトペテルブルクはまだ白夜なので、夏至に開催される白夜マラソンのコースの一部を深夜に走ってみようかと思っていたが、それほど緯度も高くなく夏至からだいぶ日が経っているために、深夜はさすがに薄暗くなってきたので、白夜ランニングは断念することにした。

7/15

白夜を走らなかった代わりにと、フロントでパスポートを返してもらってから、朝の街を走る{不携帯が見つかると、拘留されることも}。まず東側に向かって川に出て、後は川沿いにエルミタージュ美術館の少し咲きを曲がってホテルに戻る。走った跡の飯はうまい。

今日も一日観光の予定だが、昨日のうちにエルミタージュと夏の宮殿に行ってしまったので余裕がある。妻がエカテリーナ宮殿の「琥珀の間」に行きたいというが、ちゃんとしたガイドブックを持ってこなかったので、場所がよくわからない。フロントで聞くと、プーシキンからバスが出ているとのことなので、ホテルに荷物を預けて行ってみることにする。実はプーシキンに行くのにはもうひとつ目的がある。というのは空港までタクシーで行くと1万円近くかかるが、プーシキンからはバスが出ているとのことなので、その下見も兼ねてのことである。ところがプーシキンまで地下鉄で行ってみると、空港や宮殿行きのバスが全くわからない。そこで宮殿行きはあきらめて、空港行きのバスが出ていることがガイドブックのコピーに書いてあるモスコースカヤまで行ってみることにする。今度はちゃんと空港行きのバスがあることが確認出来たので、中心街の北側を散策して時間を潰す。

空港の国際線と国内線は場所が離れていてバスも違うのだが、タシケント行きだから国際線だと思いこんでいたところ、チケット購入先からの注意書きに国内線の空港だと書いてあると妻に指摘されて危うく間違えずにすんだ。

またもや数百円のバス代で空港に着くと、チェックインはもの凄い込みようで、乗客同士のケンカまで起きている。苦労してなんとかタシケント行きの機内に乗り込み、慌ただしい3日間のロシア旅行を終え、次の訪問先のウズベキスタンに向かう。

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