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2011年8月17日 (水)

カザフスタン旅行記

北イヌルチャック氷河散策

 

8/10

 

帰りのヘリコプターが迎えにくるまでBCにいても、持参した本は読んでしまったし、言葉が通じる人もいなくてやることがないので、北イヌルチャック氷河を散策することを思いついた。昼食後3時近くなってから出かけるので、あまり遠出はできないが、上流へ足を伸ばして中国との国境近くまで行ってみることにした。

 

以前行ったガッシャーブルム2も中国との国境近くにあったが、そのために軍隊が駐留していた。ところがここ北イヌルチャック氷河では軍隊の姿は見られない。カザフスタンとパキスタンはいずれも中国との友好国という立場では変わりはないが、パキスタンの場合にはカシミールの領有権を巡ってインドと係争関係にあるということも影響しているのだろう。

 

モレーン(堆石氷河)を進んでいくが、ほとんど歩く人もないと見えて、積み石の目印もなく、ルートファインディングに多少の注意が必要だ。あまり氷河本流に近い方を歩くと、モレーンを複雑に横切る水流に進路を阻まれたりするので、ある程度山側に近い方を歩くのがコツのようだ。ただあまり山側に近づき過ぎると岩雪崩も怖いので、ある程度は離れることも必要なようだ。

 

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BCから高さにして100メートルばかり登った小高いところまで行くと、氷河はどん詰まりとなり、対岸に見える山の稜線はもう中国との国境である。辺境の地まで来たのだなという感を深くする。30分くらいそこに留まった後、通って来た所を思い出しながら戻る。途中で違う所を通ってしまい、BCに戻れるかどうか少し不安になったが、勘を働かせて進んでいくと、BCのテントが見えてきてほっとする。

 

明日は下流方面に行ってみよう。

 

 

 

 

 

脱出劇

 

8/11

 

予定では午後から氷河下流を散歩するつもりであったが、朝から雪が降り続き、どうしたものかと思っていたところ、いつもより1時間早くランチを知らせる鐘が鳴る上、その鳴らしかたが尋常でないので、急いで食堂テントに行ってみると、C3に閉じこめられたままの隊員とガイドが深刻な状況にあるので、BCに滞在している全員に非常招集がかけられたということがわかった。といってもなにかができるわけでもなく、ただ無事を祈ることと、トランシーバーからの情報を待つしかできなかった。

 

1時の交信でガイド一人の死亡が伝えられて重苦しい空気がBCを覆ったが、3時過ぎの交信で他の全員はC2まで下山できたことがわかり、大きく事態は前進したようだ。夕方、ちらっとガスが晴れてC2から下降する多数の人間が豆粒のように見ることができた。夕食を知らせる鐘が鳴った直後に外で大声が聞こえて出てみると暗くなった氷河の彼方から、いくつかのライトがこちらに向かって近づいてくるのが認められた。とうとう生還できたのだ。先頭はガイドのアンドリーニ、続いて一向最年長のベンジ。本当に強い連中だ。その後も時間を置いて一人づつ生還し、最後の隊員のダーランがガイドにサポートされて戻って全きた。狭い食堂テントの中は歓声で沸きかえった。

 

長い一日であったが、この夜の感動はけっして忘れることはないだろう。

 

 

 

 

 

カルカラ

 

8/12

 

待望のBC撤収の日である。我々が3週間近く過ごしたBCのテントが次々と解体撤収されていく。ハンテングリとはこれでお別れである。気持ちの整理もついたので、もう未練もない。二度と来ることはないであろうハンテングリよ、貴重な経験をありがとう。

 

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やがて遠くから爆音が聞こえてきてヘリコプターが近づいてくる。だが、いつもと違ってはるか上空を飛んできてチャパエブを越えてキルギス側に行ってしまったので、我々の乗るヘリコプターとは違うのかなと思っていたら、今度はハンテングリの頂上上空を旋回しながら次第に高度を下げて着陸態勢に入る。いつもの迷彩色の機体とは違うので、多分民間機で、それで上空旋回サービスもあったのだろう。我々が乗り込むとすぐに機体は上昇を始めた。我々の時も、上空旋回サービスがあるのかなとチョッピリ期待したが、機体はそれ以上上昇することなく、一路カルカラを目指して水平飛行を続ける。やがて視界から雪が消えて緑一色となると、懐かしいカルカラである。

 

航空会社が違うせいか、行きとは違ってキャンプ場のすぐ横に着陸したので、移動が楽である。キャンプ場に掲げられている各国の旗の中に、たしか来る時は日本の旗があったのに今回はない。私がなにか不都合なことでもしたというのであろうか(?)。それとも去る人はもう関係ないということなのだろうか

 

昼食まで少し時間があったので、対岸の部落に行き、ユルタ(遊牧民の移動式住居)を見学する。今回はユルタに泊まる機会はなかったが、同じようなものが、モンゴルではゲルと言われているので、モンゴル旅行にでも行った折りに泊まってみよう。

 

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一度、昼食にキャンプ場の食堂に戻ってから、また部落に出かける。カザフといえば馬である。遊牧騎馬民族にとって乗馬技術は欠かせないものであり、その末裔であるこの部落の民が馬で疾走する様を見たいと思っていたら、子供が馬に乗ってやってきたので、写真を1枚撮らせてもらう。

 

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その場でしばらく休んでいると近所の子供たちがやってきたので、少し話しをした後に彼らの家な中を見せてもらう。もうしばらく居たかったのだが、ポツリポツリと雨が降ってきたので、キャンプ場に戻ることにする。短時間ではあったが、草原の民の生活の一端が垣間見られたのは有意義であった。

 

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アルマティに戻る

 

 

 

8/13

 

今日はいよいよアルマティに戻れる日だ。10時にカリカラ発。行きは夜だったので、上の悪い山道を行ったが、帰りは当然下のいい道を行くのだと思ったら、今回も上の悪い山道を行く。朝早いのでまだ関門が開いてないのだろうか。まあ悪い道といっても平らな所なので、カラコルムハイウェーみたいに断崖絶壁を墜落する心配はなく、単に乗り心地が悪いさけなにだが

 

ランチを食べてしばらくすると車は国立公園に入ってチャリンキャニオンを横断する。もうアルマティまで190キロである・アルマティに近づく所々で携帯の受信可能地域があるようなので、妻に無事下山をメールし、ホテルには3時過ぎに到着する。皆で一緒の食事でもするのかなと思ったが、しばらくたっても誰も現れないので、一人で出かける。目標が日本料理店だったが、、見つからないので、近くの韓国料理店でトンカツとキムチをビールと一緒に食べる。高所ではアルコールが飲めなかった上、BCでの食事は専門スタッフが作ってくれるので、それなりに美味しかったとはいえ、欧米人の好みに作られているので、日本人としてはたまには日本食も食べたいという身持ちも避けがたいものであった。そういった意味では純粋の日本食とはいえないものの十分に堪能させてもらった。食事の際に隣の外人がなにか話しかけてくるのではないかということを気にせずに食べられるのは良いものである。

 

食後に近くのインターネットカフェーに行く(私の携帯したPCの無線LAN機能は不具合が生じているようでネットに接続できず) 。ヤフーに接続するが、大きなニュースは特にはなかったようである。それにしても日系平均株価が9千円を下回っているのには驚いた。これも管さんが居座っている弊害か

 

 

 

 

 

アルマティ市内観光

 

8/14

 

旅とは決して予定どおりにはいかないものであり、それにどう対応していくかということも旅の面白さであるが、今日はそんな一日であった。

 

朝、中央バザールに行く途中のエアロバグザールという旅行代理店のようなところで、帰国便のリコンファームを一応しておこうと思って立ち寄ると、「ここでは出来ない、空港かホテルでやってくれ」と言われる。私の乗るアシアナ航空には市内に事務所がないのかと聞くと、ないと言うし、空港のアシアナの電話番号はわからないと言う。しょうがないから、ホテルに戻って聞くと、そもそもリコンファームの意味がわからないようであった。B&Bのホテルではそこまで対応ができないのはやむを得ないと、空港は午後時間があったら行くことにして、中央バザールに向かう。

 

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中央バザールは食品と日用品を取り扱う巨大な市場で、アルマティ市民の大半の需要を満たしているのではないだろうか。街の活力の源泉といった力強さを感じることができた。近くの両替屋でロシアのルーブルの換金ができ、そのまま日本に持ち帰った場合の、煩わしさから解放された。ついでにウズベキスタンの通貨の換金もとも思ったが、さすがにそれはできなかった。

 

その後、カザフ民族楽器博物館に行こうとしたが、どうしても場所がわからない。うろうろとしていると、28人のパンフィロフ戦士公園に出てしまい、正面に見えるサンコフ正教教会の方に進んで行くと歌声が流れてくる。どういう催しかわからないが民族舞踊をやっていたので、これはラッキーと鑑賞する。

 

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昼食は近くの地元料理の店でスープと麺を注文する。写真のようにメニューを見るだけでどんな料理かわかるので、これは便利だ。ガイドブックには日本人にもなじみやすいあっさりした味と書いてあるが、スープはなかなかの強烈な味で全部は飲めなかった。食後にトイレに行こうとすると、外だといわれる。それで、外に出て裏手の方に探しに出ると、強面のお兄さんが出てきて、ここにはトイレはないと言われ、強引に道路に連れ出される。はて弱った。ホテルまで戻るには距離がありすぎるし・・・。と思った時に先ほどの中央バザールにトイレがあったことを思い出し、急いで戻って用を足す。せっかく戻ったのだからと、先ほどは行かなかった上の階まで行って、全体の写真をとる。

 

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次は考古学博物館であるが、かなりの勾配がずっと続く道だった。ところが、地図によればここに違いないというところに博物館はないのである。通りがかりの人に聞いてもわからない人が多く、中には私が指し示したロシア語表記自体を読めない人も少なからずいたようだ。また知っているという人も、指し示す方向が人によってバラバラなので、ついにギブアップ。多分、さきほどの民族楽器博物館ともども、新首都のアスタナに移転してしまったのだろうと思うことにして次の予定に移る。

 

次はロープウェーでコクトベに上がって市内を一望する。山頂にはどいいうわけか人工壁があるが誰も登ってない。用具もレンタル可能なようなので、ここで登れば、拍手喝采は間違いなしであるが、照れくさいので止めにしておく。

 

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その次は博物館めぐりの最後の切り札の国立中央博物館である。これが見つからなければ、今日一日なにをしていたのかということになりかねないが、なんとか見つかってホットする。内容は充実していてカザフスタンの歴史が網羅されているらしい(説明文が読めないため)、以前は黄金人間が売り物だったらしいが、今は新首都アスタナに移されて、ミニチュアしか展示されてないのが残念だ。歩いている途中で交差点に警官がたむろしていたので、そちらにはいかないようにした。滞在登録がしてないからだ。お尋ね者の気分である。

 

これで今日の予定の観光は終わったので、朝やり残したリコンファームをやりに空港に向かう。ガイドブックによれば空港行きは92番と書いてあるし、バス停のお店の人にも確認したので、92番のバスに乗り込む。バスは空港を表示してある道路の案内表示どおりに進んでいたので、もうしばらくすれば空港だろうと思っていると、最後の方になってえらいガタガタ道となって、ど田舎で終点となって全員が降りることになる。その時はなにがなんだかわからなくなって、92番でも空港まで行くのと途中打ち切りになるのとがあるのかなと思ったりしたが、時間も遅かったので別の92番のバスでアルマティに戻ることにした。アルマティ市内に戻り、乗車したのと同じバス停で下車したが、どうも様子がおかしい。しかし、その時は単なる勘違いだと思って、乗車したバス停の少し先にあるはずの中華料理店を目指すが、行けども行けども目当ての店はなく、あたりをうろついて時間と体力を浪費する。そのうちに帰りのバスは行きのバスの一本隣の道を通っていることに気づいて正しい道に戻り、目的の中華料理店に向かうが、そこは別のレストランに変わっていた。訳のわからない店で劇辛料理を食べさせられるのはかなわないし、今日一日歩き回ってかなりの水を飲んだためか食欲も湧かなかったため、マックのハンバーガーで済ませることにした。

 

リコンファームについては解決できなかったが、たしかアシアナ航空はリコンファーム不要だったという記憶があるが、この件については航空券を買った先にメールで問い合わせておこう。

 

 

 

 

 

世界遺産タンパル・タス

 

8/15

 

朝起きると胃が重い。ブハラの二の舞かとも思ったが、一応食欲はあるし、便も普通に出るので、それほど重症ではないようだ。

 

今日は世界遺産に指定されているタンパル・タスの岩絵を見に行くことにしている。アルマティから車で片道2時間半の遠方にあり、公共の乗り物などはなく、旅行社のツアーかタクシーのチャーターのいずれかしかなく、200ドル近く要するらしい。ツアーならばガイド付きだろうが、説明されても多分わからないから、それならタクシーの方が多少は割安だろうし、申し込み等の手間も省けるということでタクシーに決めたが、問題はどうやってタクシーを見つけるかであった。というのはカザフスタンではほとんどが白タクで、空港とか長距離バス発着場とかに行かないと見つけられず、ホテルに呼んでからだと料金交渉もやりにくいということで、長距離バス発着場まで行くつもりであったが、ホテルを出てまもなく、タクシー運転手がたむろしている場所があり、その中にタンパル・タスを知っている人がいたので200$の言い値を160$に負けさせてタクシーに乗り込む。車の中でメールをチェックしていると、リコンファームの問い合わせに対して、自動返信で17日まで休みで、それまで返信ができない旨が書かれている。こうなった以上はタンパル・タス観光が終わった後、もう一度空港行きにチャレンジせざるをえなくなったわけである。

 

タンパル・タスまでの道は中国国境への道と途中で分かれて北上し、しばらくすると幹線道路から外れてオフロードの道を行く。運転手もあまり来たことはないらしく、何度も道を間違える。荒涼たる荒野を進むこと1時間、ようやく目的のタンパル・タスに到着。世界遺産といっても、こんな辺鄙な所に来る人はいないだろうと思っていたら、後から1台の車がやってきて、何と日本の若者が降りてきた。日本人に会うのはタシケントの空港での団体さん以来であり、約1カ月ぶりに日本語を話す。なんでもカザフをかわぎりに1年以上かけて西の方に向けて旅をするそうである。羨ましいというかご苦労様というべきか。自分は完全リタイアでもしない限り、そんな長期旅行は無理だが、果たしてその頃にそんな体力、気力、財力があるかどうか

 

肝心のタンパル・タスであるが、古代に書かれた岩絵で、当時栄えたスキタイ人たちが書いたものもあるらしい。丁度、今回持参した本の中に「遊牧民からみたユーラシア」というのがあって、興味のある分野なので、小説と違って何度も読み返したのだが、その中にスキタイという遊牧民族はギリシャに攻め入って破れるまで西アジアの覇権を握っていたと従来されていたペルシャに対して、実は完全に優位にあったのだということが書かれており、これは大陸の東ではきょう土が漢を属国としていた事実と並んで、従来の歴史観を覆すもので非常に興味深かったが、そのスキタイ人も描いた岩絵として大いに感心があったものである。ところが、実際には動物を描いたものはあまりなく、仏陀を描いたものが多数見られた。当時、仏教がカザフまで伝播していたということは私の知識にはなく、ちょっと混乱がもたらされた。それと、ガイドブックの写真にあった動物がたくさん描かれた岩絵がどうしてもみつからなかった。博物館へでも移されたのであろうか

 

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ひととおり見てまわったので、アルマティに戻るが、途中警官に車を止められたので、一瞬ヒヤリとしたが、パスポートチェックはなく、お尋ね者の旅はそのまま続き、今度はまたバスで空港に向かう。昨日と同じ92番である。ところが今日も昨日と同じ辺鄙な所で終着となってしまう。車掌にアエロポルト(空港)というと、106番に乗れという。しばらくして発車する106番に乗ると、先ほどの92番で来たのと同じ道を戻っていく。あれーっと思ったが、乗車するときにアエロポルトと胃ってあったので、「空港」で降ろしてくれる。ここで昨日の疑問が解消したのは、92番の終着は空港ではなく、空港はあくまで途中のバス停だということである。ところがあたりはちっとも空港らしくない。日本ならば、バス停の空港といえば空港ターミナルの横と決まっているが、こちらではそんなルールは通用しないらしい。1時間くらいウロウロしたり、人に聞いたりしてやっと空港を発見。バス停からは真っ直ぐ歩いても15分くらいはかかる所であった。ところが空港の中に入ってもアシアナ航空の事務所がない。そこでチケット販売所で聞くと、空港の外の建物の中にあるという。そこはホテルだったが、その中にアシアナ航空の事務所があり、二日がかりでやっとリコンファームができました。帰りもまた道に迷ったりしながらも92番のバスなんとかアルマッティに帰る。ガイドブックには簡単に92番に乗れと書いてあるが、普通の人ではまず無理だな

 

後は夕食を食べてホテルで寝るだけだが、まだ胃の具合が完全ではないので、刺激の強い現地食は避けて日本食を食べることにする。降りたバス停の少し先にあるトラム{路面電車}に乗ると、目当ての店があるようなので、一度トラムにも乗って見たかったことだし、トラムを待つ。ところが1時間待っても、反対側の線は3本も来たのに、私の待っている線にはついに来なかった。碁盤の目の四辺を一周するので、時間帯によって片方だけしか動かさないようにしているのかもしれない。遠回りでも反対車線に乗ればいいではと思うかもしれないが、反対車線はすぐ先で分岐しており、どこへ連れて行かれるかわからないので乗れないのである。やむをえず30分近く歩いて目的の店に着く。ここはロシア系のすしチェーン店だが、ロシアで食べたすしが今ひとつだったので、うな重を注文する。こちらの方はけっこういける味で吉○屋のうな丼よりうまいかも(値段も倍近くだけど)。ホテルまでまっすぐ帰れるバスがなく、歩きも交えたため10時近くの帰りとなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バラホルカ

 

8/16

 

いよいよ最終日である。3日間過ごしたアルマティを記念してトラムに沿って市内一周のジョギングをする。市内は南の山岳部から北部の平野にかけての傾斜地になるが、ホテルは低い所にあるので、前半は登り、後半は下りの理想的なコース取りとなる。1時間くらいで一周できたので、山手線一周することと比べれば、アルマティの広さがわかるというものである。

 

朝食後もゆったりとした気分で今日はバラホルカというバザールに行くだけなので、のんびりしたものである。と思っていたら朝からメールと電話の攻勢で、17日中に仕事の打ち合わせをしたいとか、18日になるなら17日中に事前の資料を送って欲しいとか無茶苦茶である。

 

 

 

 

 

ホテルのチェックアウトを済ませるが、ここでまたひとトラブル。エージェントとの契約ではホテル1泊分のみとなっていたので2泊分は当然自己負担だと思っていた。手持ちの現地通貨が1万テンゲ(約6千円)少々あったので、これでなんとか足りるかなと思っていたら、200テンゲを請求されたのだが、これはミニバーの分であるにもかかわらず、それを2万テンゲと聞き違えてしまった。それで5千テンゲ札2枚を見せて、これしかないのでドル払いできないかと聞くと、ダメだと言って渋々奥の方からお釣りを持ってきてチェックアウトを済ませる。実は当初予定よりも二日早く登山基地カルカラに行くので追加料金200ユーロを含めてエージェントに払ったのだが、随分高い二日分と思ったのは帰りの二日分のホテル代の追加分も含まれていたのである。

 

 

 

 

 

夜まで大きな荷物はホテルに預けて身軽になってバラホルカ行きのバス停に向けて歩いていると、後ろから警官に呼び止められる。ほーら来なすった。パスポートチェックである。パスポートを調べていた警官が滞在登録はどうなったかと聞く。こりゃ拘束もやむをえないかと観念したが、登山のエージェントが空港で手続きできるので心配するなと言うのを思い出し、エージェントの携帯で連絡し、警官に説明してもらうことにした。それによると、ホワイトペーパーがあればよいらしいとのことで、パスポートが入っていた袋を探していると、警官が1枚の紙切れを見つけて、これでokとのこと。紙切れにはレジストレーション・フリ-と書いてある。こんな紙切れ、どこでもらったっけ。そんなに大事なものだったら、エージェントもその旨を説明してくれればいいのに。まあ兎に角一件落着して一安心。

 

バラホルカ方面のバス乗り場に着いても、ガイドブックには何番のバスとは書いてないので、適当なバスに乗り込んでしまうが、どうも勘では行き過ぎた気がしたので、途中下車する。降りたバス停で他の乗客に聞くと、バラホルカはやはり乗ってきた方向にあるようだ。ただ途中にそれらしきものはなかったので、どこかで別の道を行くのだろう。こうなるとお手上げである。そこでついにギブアップしてタクシーで行くことにする。ところが前にも書いたとおり、こちらは白タクばかりで(現地の人は一見普通の車に見えるにもかかわらず、合図して乗り込んでいるので、車ナンバーの文字か色でタクシーは区別されていて白タクではないかもしれないが)、屋根にタクシー表示をした車にはめったにお目にかかれない。1時間近く待ってもタクシーがつかまらないので、バラホルカ行きをあきらめかけたが、ここでハット気づいて、バラホルカのキリル文字表記を頭にたたき込んで、やって来るバスの前面及び側面に表示されている多数の行き先の中にバラホルカが記載されているバスをさが探せばよいのだ。何台目かのバスの行き先表示の中に、バラホルカのキリル文字が一瞬読みとれて、即座に乗り込む。案の定、バラホルカ行きのバスは途中で北の方に道が曲がって行く。道はもの凄く渋滞するし、狭い車内は満員状態で蒸し風呂のようで長くは乗っていられない。大勢の乗客が降りたところで一緒に降りて。あいしまう。そこは大きいショッピングセンターのようであった。涼むために1階部分だけをちょっと見て、またバス停に戻ると、たまたまタクシーが止まっていたので、乗り込もうとするが、近すぎるためか渋滞がひどいためか知らないが乗せてくれない。そこで先ほどと同じ要領でバラホルカ行きのバスに乗ると、しばらくしてバラホルカに着く。先ほどのショッピングセンターとは比べものにならない広大な大きさのショッピングセンターである。一昨日訪れた中央バザールが食料品・日用品中心なのに対してこちらはファッション中心である。

 

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ただ、地元産の物は少なく、ほとんどが中国産のようである。奥の方には貴金属の売り場があり、ここには妻同伴でなくて良かったと思った。

 

ひととおり見終わって帰る段になって、市街地に帰るだけなら乗り換えさへすれば間違いなく帰れるところを、106番のバスを見かけたばかりにおかしなことになってきた。106番というバスは92番のバスで空港に行った時にやはり空港近辺を走っていた路線であることを前に書いたが、それならば106番に乗れば市街地に戻れるだろうし、もし駄目でも92番に乗り換えれば市街地に簡単に戻れると思ってしまった。ところが106番のバスというのは空港に行くには行くのだが、裏道を通りながら郊外を大きく迂回して空港方面に行く路線だったのである。そのためいくら行っても、92番の路線とは合流せず、渋滞に巻き込まれて時間ばっかりが過ぎていく。8時半にホテルでエージェントの車にピックアップされて空港に向かう予定だったので、92番のバスで戻る時にも渋滞にまきこまれたら間に合わなくなるのではないかとヒヤヒヤした。幸い帰りは渋滞にまきこまれずに済んだので、最後の楽しみにとっておいたアルマティ一番の繁華街でケバブを肴にビールを飲む時間は確保できたが、アルマティのバスには翻弄され続けた3日間であった。

 

 

 

 

 

(余談)

 

アルマティ空港からは夜行便でインチョンまで行き、午前中の便で乗り換えて成田に帰るのであるが、インチョンからの便に搭乗しようとしたら、何故か最初の座席とは別の座席の券を渡してくれて、それがビジネスクラスの座席であった。最初の席になんらかの不具合があったのか、たまたま私の誕生日だったのでサービスしてくれたのかはわからない。

 

たった2時間のこととはいえ、広い座席、特別料理、ワイン飲み放題とビジネスクラスはやはり良い。Cimg2647_2

 

 

 

海外でエコノミー以外に乗るなどということは、30年以上前にホメイニ政権下のイランで反体制組織による闇リアル両替を利用させてもらって当時あったエグゼグティブクラスでヨーロッパ経由の旅行をして以来である。あの時は近くの座席に萩尾みどりがいたなあ

 

たまたまビデオサービスでは以前放映されていた「岳」という山岳映画をやっていたので、暇だから見たが、思っていたとおりのくだらん映画で、こんな映画を金を払って見に行くやつの気がしれない。8月上旬から上映されているはずのメスナーの「運命の山」を早く見に行きたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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