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2011年8月17日 (水)

ハンテングリ山行記(後半)

8/3 晴れ

 

今日は完全休養の1日目だが、ハイキャンプで朝食が食べられずに消耗したことを反省して、BCの朝食の残りのパンをくすねて、C1以上から上部に向かう日の朝食を確保する。食後にドクターのメディカルチェックがあって呼び出される。どうやらハイキャンプで不調だったので、そのせいらしい。問診と血圧測定だけだったが、もちろん異常はなく、ハイキャンプでの不調の原因をガスが使えなかったことによる朝食及び水不足であったことを説明すると納得してもらえて、次回からは十分注意するように言われて終了する。どうも今まではガイドと1対1で登っていたので、ガイドは原則として私の都合を最優先で考えてくれていたが、今回のような混成部隊の場合には自分の希望をはっきりと言わずに、相手の好意を期待しているだけではいけないことを今回はっきりと知ることができた。以上に加えて、第三ステージでは苦しくてももう少し頑張るようにすればなんとか良い結果を出せるのではないかと考えている。

 

 

 

 

 

8/4 晴れ

 

昨日に引き続きのBCレストである。午前中は昨晩充電したPCで今までの記録を入力し、午後は同じテントの若者と多少話しをしたりして過ごす。夕食後、ガイドから最終ステージの行動予定について説明があったが、正直言ってあまり理解はできなかった。ただガッシャーブルムの経験もあることだし、現地で判断していけばなんとかなるでしょう。

 

 

 

 

 

8/5 晴れ

 

いよいよ最終ステージである。C1までは3時間程度の道のりなので、出発は12時を回っていた。イギリス人のフィリップが体調不良のためか最終ステージには加わらず、氷河の対岸まで見送りに来てくれた。彼がサミットアタック用にと用意したであろうジェル等のスポーツフーヅを私に託してくれたが、果たして使う機会があるだろうか。

 

前回は頑張りすぎて翌日に疲れを残したのかもしれないので、今回はセーブして登ることにする。先行者を追い越そうと思えば追い越せたのであるが、途を譲ってくれないので、その後をついて歩いたため、比較的楽なペースで歩くことができた。ただ朝食を終えて6時間以上たつと、さすがに腹が減ってしまいへばり気味になってくる。他の連中はどうなのだろう。やはり欧米人は昼など食べなくとも平気なのだろうか。それでもC1までは2時間45分で着いたのでまずまずのペースといえよう。

 

C1に着くと、まだ3時過ぎだというのに、もう夕食の時間である。夕食といっても特別調理をするわけでもなく、ハムやチーズを切って、クラッカーと一緒に食べるだけである。

 

食料は5泊分ということでもらってあるが、一日分ごとにわけてあるわけではないので、1回でどのくらい食べてよいのかよくわからない。ざあっと見た感じでは、これでは足りないのではないかという気がするが、C2には第二ステージの時の残りの食料があるはずだし、最悪の場合は、最後のC2では翌日は下りだけなので、水分だけ摂れれば何も食べなくともなんとかなりそうだ。

 

テントの中ではブルガリア人のミリコと初めて話をした。彼もあまり英語が得意でなく、いつも仏頂面をしているが(私もそう思われているかも)、人間は悪くはないようだ。明日も今日の調子で登れますように

 

 

 

 

 

8/6 晴れ

 

今日は3回目のC2までである。3回目だからもう少し楽かと思いきや、またしても苦しい登りとなってしまい、最後のC2まで高度差100メートルではまたガイドが迎えに来て荷物を回収される羽目に。自力で行けるからいいと抵抗はしたものの、二人がかりで無理矢理荷物をはぎ取られる。カラコルムやネパールでもガイドに荷物を持ってもらうという不名誉なことはしたことがなかったが、年のせいで仕方ないか

 

皆の待っているC2に空身で到着するのが恥ずかしかったが、皆は熱烈歓迎してくれた。言葉は十分通じなくとも、同じ隊の仲間としての一体感がでてきたようだ。

 

夕食後、ガイドから明日以降のスケジュール等が説明される。C2に上がった9人のうち、いつも先頭グループを行くイギリス人のベンジが体調不良でC3には行かないことになり、隊員8人+ガイド3人で出発することになる。出発時間は7時。C3手前のチャパエフ峰(6150メートル)に17時までに着けないと、C3には行けずにC2に戻ることが申し渡される。C2からチャパエフ峰までの標高差は750メートルあり、これを10時間で行けば良いのだから、1時間あたり75メートル登ればよいことになる。今日は9時間で900メートル登ったのだから1時間あたり100メートル登っているわけで、今日のペースでもOKとなるはずなのだが、果たしてどうなることやら。就寝前にテントに入って記録を書いている時も脈拍はかなり早く、今日の疲れが影響しているようだ。といっても、頭痛、下痢、食欲不振、意欲減退といった高度障害の症状は全くなく、単なる加齢による体力低下だけなのかもしれない。

 

Cimg2502

 

 

 

 

 

8/7 曇りのち雪

 

今日はいよいよC3を目指しての行程である。予定より30分遅れての7時30分の出発となるが、時間との戦いとなる自分にとって、この30分の遅れは大きい。先頭を切って登り出すが、無類の体力を誇るハリーはともかくとしても、C3行きに変更したベンジにもたちまち抜かれ、その後も次々と抜かれて、自分の後ろにいる隊員はジョンのみとなる。ただこの時点ではまだ焦りはなく1時間100メートルのペースを目指して登っていったが、岩場の部分では結構時間がかかってしまい、なかなか予定どおりにはいかない。降りてくる見知らぬ人から目的地を聞かれてC3と答えると、そのペースではC3までは無理だから降りた方が良いと言われるが、そんなはずはないと言い聞かせて、絶対にあきらめないと心に言い聞かせる。ところが間もなくして登高を断念して降りてきたベルギー人のフィリップからも降りるように勧められた上に私の後ろを付いてきたガイド見習いのアンドリューからも降りることを勧められて大いに気持ちが揺れ動いた。

 

 

 

Cimg2520 そのところにきて、天気が急に悪化して横殴りに雪が吹き付けてきた。誰かが「このまま登ったら凍えてしまうぞ」という言葉が聞こえてくる。まわりを見回しても降りる人ばかりで登っている人はいない。苦渋の決断だったが下降することを余儀なくされた、下降と決めたら急に気が抜けてしまったのか、あるいは限界近くまで頑張っていたせいなのか、C2手前まで来て、急に体に力が入らなくなり、休み休み歩く始末となってしまった。

 

 

 

 

 

8/8 雪

 

Cimg2521 Cimg2527

 

昨日から風雪が続いている。この分ではC3に上がった6人の頂上アタックもないだろう。朝、起き出してテントの回りの除雪をする。その時は、こんなところに長時間滞在してもしょうがないので、今日中にもBCに降りるつもりでいたが、この悪天の中で一人降りるのも気が進まないし、昨日私同様に下降したフィリップとジョンのうち、フィリップは私が降りるなら一緒に降りるというが、ジョンはもう一日C2に滞在するという。皆で一緒に降りた方が良いと思うので、私ももう一日滞在することにする。これでBCの食事はもうしばらくお預けとなってしまった。朝食をヌードルで済ませた後、同じテントのジョンと色々と話をする。アイルランド人であるジョンの英語は、一言々々はっきり、ゆっくりと話をしてくれるので、非常にわかりやすいが、それでも全部を理解することはできない。一月近く英語に囲まれた生活を続けていれば、そこそこ英会話能力が上達するのではないかと期待したが、どうもこの年になってからでは無理のようだ。その後、見知らぬ人がテントを訪ねてきて、時間を教えてくれという。時計を持たずに山に来るなぞ考えられないことなのに妙なことがあるものだ。

 

その後も雪は降り止まないので、明日の下降は比較的雪崩に安全なコースとはいえ、ちょっと心配になってくる。それにしてもジョンは良く寝る。昨夜以来、午後になってからもテントから全然出ないで寝袋に入ったままだが、用足しの方はどうなっているのかと人ごとながら気になってしまう。

 

夕方になってジョンはようやく起きだし、テント内の前方に調理スペースを作り、遅めの昼食(早めの夕食?)に取りかかる。C2には豊富な食料と燃料があるので、不自由な思いをしているであろうC3の人達には申し訳ないが、豪勢な食事を摂らせてもらう。外は強風が吹き荒れているが、テントの中は別天地である。こうしてハイキャンプの最後となるであろう一日が暮れてゆく。

 

 

 

 

 

8/9 晴れ

 

夜間、風がテントをたたきつける音が断続的にしていたので、今日も天気が悪いのかなと思っていたが、明け方にテントの外に出てみると、頭上には雲がなくハンテングリの姿が久しぶりにくっきりと見える。C3に滞在している連中も食料が切れている頃なので、下山してくるかなと思っていたら、4時に頂上アタックに向かったという。食料は二日分しかないはずなのに食べずに出かけたのか、それとも食い延ばしをしてきて臨んだのか、いずれにしても、基礎体力の違いを改めて思い知らされた。体力のある彼らがアタックに向かった以上は悪くても半分は登頂できるだろう。自分には関係のないことだと言っても、少し悔しい思いがするのも事実である。

 

ジョンと二人でC2から下りかけたが、ガイド見習いの二人も同時に降りるとのことなので、私自身は彼らの援助は必要としないが、技術に不安のあるジョンのために、ガイドと一緒に行動することにする。ジィンのスピードが遅いので、BCのランチには間に合わず、行動食で空腹を紛らわす。登頂組が降りてくるまで二日間は、既に帰国してしまったイギリス人のフィリップを除き、ジョンとベルギー人のフィリップと3人でBCで待つことになるが、どうもフィリップとは相性が合わない気がするものの、無理して合わせる必要もないので、自然体で行くことにしよう。

 

さて、これからが、今回の山登りの総括であるが、心ならずも国際山岳隊への参加ということになってしまったが、必ずしも満足しうるコミュニケーションができたわけではないが、なんとか最低限のコミュニケーションはとれたのではないかと思う。またこのような機会があったとしても、おそらく参加することはないであろうが(後述する体力面の問題は別としても)、基礎体力の違いをまざまざと見せつけられたのが一番の収穫であった(もっとも60歳を越えようとしている自分に対して、50歳代前半を筆頭に30歳代、40歳代で構成されている彼らとの年齢的な問題もあるだろうが)。

 

次に3年前には8千メートルに登っている自分が今回は何故通用しなかったのであろうか。一つには加齢による体力低下ということが上げられる。前回はシェルパが私にペースを合わせてくれたという面もあるので一概には言えないのであるが、前回は今回のように他の登山者に抜かれっぱなしになるということはなかったような気がする。また山の高さだけで見れば、3年前に登ったガッシャーブルム2の方が1000メートル高いのであるが、ハンテングリの方がかなり緯度が高いという点で高さの違いについてはある程度割り引いて考えなければいけないであろう。また、BCから頂上までの高度差については両方とも約3000メートルで違いはないのであるが、前回の高所キャンプ数4に対して、今回は3と一つ少なく、その結果として、前回はキャンプ間の高度差が500メートル程度が中心であったのに対して、今回は700メートルから900メートルが中心で、特に後半に疲れが出て、スピードがダウンしてしまったことが多かったのは、体力低下だけの問題ではない気がしてならない

 

結論としては、今の自分の体力ではもう高所登山を行うのは無理なのかなという気がしてきた。必要以上に他人の力を借りて行う登山ならば可能かもしれないが、自分自身が納得できる形で高所登山を行うのはもう無理なような気がする。マラソンならば、記録は度外視して走ることもできるが、高所登山は標準的な力を発揮できないと命にもかかわりかねないのが大きな違いである。たとえ高所登山ができなくても、自分には他の楽しみ方がいろいろあるので、これからはそういった方面に力を入れていこう。

 

いろいろと考えさせられることの多かったハンテングリ山行ではあったが、山を再開してから初めて高所登山を考えるようになった時に最初に俎上に上がった山であるハンテングリに今回挑戦でき、妻との中央アジア・シルクロードの旅と併せて楽しむことができたのは望外の喜びであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(後日談)

 

我々隊員10人のうち6人が最終キャンプであるC3まで上がり、うち5人が登頂でき、そのうち一人は無類の体力を生かしてその日のうちに一気にBCまで下降したが、他の隊員はC3泊まりとなった。ところが、翌日から荒天となってC3に閉じこめられて、2泊分の食料しかないのに4泊せざるをえなくなり、BC撤収日の前日に吹雪をついて二日分の行程を一日で長駆下山してきた。ガイド一人の死亡、隊員二人の凍傷という壮絶な脱出劇であった。私が無理をしてC3まで行った場合に果たして無傷で下山できたかどうかは疑わしい。そういう意味でも高所登山に決別するという私の決心はますます強まってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

vibramさん こんにちは
ハンテングリ登山、結果としては残念でしたね。
でも、記録を拝見して感じたことは、登頂という結果こそ残せなかったけど、それに勝る多くの収穫があった登山のように思えました。

それに奥様との中央アジア旅行も素晴らしいじゃないですか!
ロシアはともかくウズベキスタンなんて滅多に行かれる場所じゃないし。

私も来年の3月に定年退職を迎えるので、来年の夏あたりどこか海外に出かけてみたいです。

またお邪魔します!

投稿: Nob | 2011年8月21日 (日) 21時09分

Nobさん、ご覧いただきましてありがとうございます。

Nobさんも来年は定年ですか
来年夏に計画しているロッキー山脈横断ツーリングに一緒に行きませんか

投稿: vibram | 2011年8月21日 (日) 22時08分

vibramさん 
来年にロッキー山脈横断で、再来年にチベットですか。
ものすごくアグレッシブですね。
ロッキー山脈を自転車で横断してみたいですが、カミさんの許しがでるかどうか。(苦笑)

ロッキー横断は無理でも、国内で自分に満足できる企画を立ててみたです。

投稿: Nob | 2011年8月22日 (月) 21時20分

>カミさんの許しがでるかどうか

そこが最大の問題ですよね
私の場合は時間をかけて少しづつ行動をエスカレートさせていってカミさんの神経をマヒさせることに成功したようです。
でも、まだ1年ありますから、時間は十分ありますよ

でも、一番大事なことは、自分がどれだけやりたいかということと、本当にやりたいのであれば、どんな障害も乗り越えて実現しようという強い意志を持つことだと思います。まわりに波風が立つことを恐れていては何もできません。

投稿: vibram | 2011年8月22日 (月) 22時08分

はじめまして! お初にコメントいたします。

ちょうどこのとき、キルギス側から登ってC3にいた者です。こんな近くに日本の方がおられて、タッチの差ですれ違っていたとは。。。

実は、今年は単独ですが、去年は(おそらく)同じ会社の公募隊でカザフ側からチャレンジしたもので、記事をとても懐かしく拝見いたしました。キャンプ・キーパーのムハさん、グンダリョフ隊長、ガイドのポポーヴィチさん(たしかK2西壁初登者だとか)などお元気でしょうか。

私の方は幸い好天に恵まれたもので、9日になんとかピークを踏むことができました。ガイドの方が亡くなったとのことですが、高度障害のためでしょうか?

投稿: スノーボール同志 | 2011年10月10日 (月) 10時03分

スノーポール同士さん、こんにちは
キルギス側は雪崩の危険性が高いと聞いていますし、キルギス自体が政情不安で治安も悪くなっているようなので、いろいろとたいへんだったでしょうが、そんな中での単独登頂とは敬服します。
また機会があったらお立ち寄りください。

投稿: vibram | 2011年10月11日 (火) 15時22分

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