« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年10月

2011年10月30日 (日)

秩父巡礼再開

昨秋に34番中23番まで済ませ、残りは桜の時期にと思っていたものを、震災のために見合わせていたのだが、さすがに来春まで延ばすのは気がひけたので、24番から30番まで行ってきました。

雲ひとつない秋空に柿の実が映えて、絶好の巡礼日和の一日でした。震災の後の世情の変化を反映してか、巡礼する人の数も増えたような気がします。29番から30番までの間は遠くて、歩くと1時間以上はかかりそうな2駅分だけは電車に乗ってしまいましたが、後は歩いたので歩行距離は15キロ以上となりました。平日に走ったときの足の痛みが治っておらず、風邪気味でもあったため、距離の割には結構たいへんでした。

残すは4番だけとなりましたが、離れた場所に散在しているので、一日では無理であと2回は必要ですが、年内には終わらせるつもりです。

Cimg2939 ついに30番台。残りは4番

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月28日 (金)

トリプル・エクササイズ

今日の午前中の予定が急遽キャンセルになったので、例の渋谷の屋外クライミングジムに行く。背中から腰にかけての張りと違和感があり、右肩も鈍痛がするという満身創痍の状態にあるので軽めのクライミングのみを行う。

Photo

午後からの仕事を終え、8時から仕事関係のボーリング大会があって時間が空いてしまうので、皇居を1週全力で走る。

Photo

全力で走っても24分をかろうじて切る程度とは情けないが、今はこれくらいでもよしとしなければいけないのであろう。そのあとは後楽園で何十年ぶりかのボーリングを行う。久しぶりに持ったボールが重たかったのか、クライミングとランニングの疲労のせいか何度か腰砕けとなってしまい、かろうじて100を越えるという、これまた情けないスコアであった。

Photo_2

クライミングとランニングのダブルヘッダーは珍しいことではないが、トリプルとなると初めての経験である。60過ぎての人間のやることかと言われそうだが、たまたまそうなっただけなのでしょうがない。まあ素人のボーリングがスポーツかと言われると疑問もあるのだが

いくつものことを同時にやるとブログのカテゴリー選択に迷ってしまうが、運動していた時間と労力からするとランニングということになるのであろうか

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月27日 (木)

シルクロード旅行記完結

「HPへのリンク」の「シルクロード篇」の旅行記が完結しました。30年近く前のことを思い出したりしながら書いたものもありますので、記憶を呼び戻すのに苦労しました。でも今書いておかないと永遠に記憶が埋もれてしまいそうな気がして(たいした内容ではないんですけど)。

来し方を振り返りたいなどと思うようになったのは老い先短くなったからでしょうか

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月26日 (水)

5年前の自分に再会

織田フィールドでインターバルトレーニングをした後、原宿の石井スポーツに立ち寄ったら、大型画面に先日行われた(と最初は思っていた)日本山岳耐久レース(奥多摩の山道72キロを制限時間24時間で行われるレースで通称はハセツネカップ)のゴールシーンが放映されていた。次々にゴールに飛び込んでくる選手とともに名前とタイムも映し出されていた。知っている人が出てこないかと、しばらく立ち止まってみていたら、信じられない光景に一瞬わが目を疑った。なんと私の名前と記録がでているではないか。すぐにそれは5年前の大会のゴールシーンであることに気付いた。私は4回このレースに出場しているが、その最後のレースであり、自分のベストタイムを出したときのレースでもある。

もう今は衰えてしまって、とても出場できそうにもないが、あのときは元気だったんだなあと懐かしい気持ちで一杯になった。あの頃に比べるとだいぶ選択肢は狭まったことは事実だが、まだやりたいことはたくさんあるので、今の自分のできる範囲内で大いに頑張りかつ楽しんでいきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月19日 (水)

「HPへのリンク」を作成しました

このブログを始める前に作っていたHPの一部にリンクするようにしました。右サイドの一番上に「HPへのリンク」という項目があり、その下に「国内登山の履歴」「海外登山の履歴」「登山以外の放浪履歴」「ランニングの記録」「シルクロード篇」という題名がありますので、それらをクリックするとリンク先が表示されます(シフトキーを押しながらクリックすると別ウィンドウで表示されます。そうでない場合でブログに戻りたい時は、ブラウザの元ページに戻る機能を利用してください)。量的にはかなりのものがありますが、よろしかったらご覧ください

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月16日 (日)

円谷幸吉マラソン

円谷幸吉と言えば、我々の世代では東京オリンピック1万6位、マラソン銅メダルの感動と、その数年後の自殺の衝撃で強烈な印象を残したランナーである。その偉業を記念して始められたもので今回で29回目の歴史のある大会だそうだが、不覚にも今回申込むまで、その存在を知らなかった。Photo
昨年、一昨年と事前の準備レース参加なしにフルマラソンに参加して、途中関門に引っ掛かるという屈辱を味わったので、今年はハーフマラソンに出場してからと思っていたら、近場のレースは全て定員に達していたので、福島あたりなら、ボランティアや家内との紅葉見物を兼ねて行くこともできるかと申し込もうと大会要項を見て初めて円谷選手を記念する大会だと知った次第だったが、結局ボランティアのニーズは乏しくなり、家内とも日程が合わずに、前日に乗り鉄の旅をするだけとなってしまった。

記録を狙っていた頃はレース前は緊張したものだが、最近は気楽なものである。ただテンションが高まらない分だけエンジンのかかりが悪く、渋滞があったわけでもないのに、最初の5キロで27分もかかってしまう。
7キロ過ぎで招待選手の君原健二さんに抜かれる。東京オリンピック8位、メキシコオリンピック銀メダルの偉大な選手と数メートルではあったが、肩を並べて走ったことに感激する。そこから3キロほど先の折り返し点の150メートル出前で君原選手とすれ違う。ずっと先にいってしまったと思っていたのに、これなら追い付けるかもしれないとペースを上げる。いや正確に言うと、あげたつもりになっただけで、とうとう追い付くことはできなかった。
フルだと後半は地獄の苦しみになっていくのであるが、その点ハーフは記録はともかくとして楽である。応援の人達に手を振ったりしているうちにゴールに着いてしまう。1時間55分というタイムはベストより25分以上悪いタイムだが、今の自分としてはいたしかたないものであろう。ただこのタイムでは、来月のフルの制限時間の4時間切りはきついのて、相当練習をする必要があるだろう。
レース後は近くにある芭蕉記念館に寄ってから、

Photo_2 バスで須賀川駅に向かうが、時間がなかったので、宇都宮駅でようやく遅い昼食をとることができた。名物の餃子に佐野ラーメンと生ビールを注文して空腹を満たし、ようやく人心地がついた。このまま帰ればよさそうなものなのに、例のJR全線踏破があるものだから、南浦和で下車して武蔵野線で西船橋に向かう。西船橋からは幕張方面と東京方面に線路が別れるので、南船橋から一度西船橋に戻って、また東京行きに乗り換えた。やっかいなことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月15日 (土)

ローカル線の旅(またもや郡山へ)

郡山近くで開かれるマラソン大会に参加するため、先週は地震で不通になった磐越東線経由ではるばるやってきました。
新幹線利用なら数時間でいけるところを9時間かけての大旅行です。成田線、鹿島線、鹿島臨海鉄道といった未踏の路線も通ってきました。乗換駅では時間があったので鹿島神宮にも行ってきました(ついでにと言ってはご利益がなくなるかな)
それにしても乗り鉄の旅は疲れます。

Photo_3 鹿島神宮

Photo_4 鹿島臨海鉄道

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月14日 (金)

渋谷宮下公園でクライミング

先日下見をした宮下公園に新しくできたクライミングジムに行ってきました。2時間350円という普通のジムの4分の1以下の安さのためか、平日の昼間というのに、結構大勢登っていました。グレード設定はかなり甘めという感じでした。一撃で登れる3級課題があるというのは、以前の自分ならいざしらず、今となっては他のジムではまずありません。

次の仕事の予定が迫っていたため1時間くらいしか登れませんでしたが、楽しかったです。ただボルダー壁は一面だけなので、何度もきたら登る課題がなくなってしまうのではという気がしました。でもこれで渋谷方面に仕事で来るときの楽しみができました。

Photo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月11日 (火)

ローカル路線の旅

宿を9時過ぎにチェックアウトして往復1時間程度歩いて観光名所の不動の滝を見物してから福島駅行きのバスに乗り込む。

Photo_4

このまま帰ってしまえば、早い時間に帰宅できることになるが、そうは問屋が卸さない。といわけではなく、前回、中尊寺に向かうために北上線に乗っている時にふと思いついたJR全線踏破のためのローカル線の旅がこれから始まるのだ。JR全線踏破などというものはカネとヒマさへあれば誰でもできるもので、格別の努力を要するものではないため、全然興味がなかったのだが、せっかく様々なプロジェクトで日本全国を回っているのだらから、ついでにやる分にはよいだろうということで、今回は郡山から磐越東線に乗っていわき経由で帰ることにした。

今日はローカル路線の旅ということで福島から郡山までも各駅停車で行くことにする。このあたりは2年前の奥の細道で歩いた懐かしい地名が出てきて退屈することもなく、郡山の近くまで来る。ところが、ここで地震のために電車が30分近くストップし、郡山に着いてみると、地震による線路点検のため、磐越東線は運転見合わせで復旧見通しはたっていないとのこと。しょっぱなからトラブル発生である。そこで急遽、予定を変更して水郡線で水戸に出ることにした。水郡線は若い頃に、途中の袋田まではアイスクライミングの練習のために2回水戸から来たことがあるが、袋田以北は乗っていないので、水郡線への予定変更は別に問題はない。袋田の滝は昔登って頃でも、登れるのは午前中だけで昼近くなると水がジャージャー流れていたものだが、温暖化のために最近は結氷自体がまれにしかしないそうである。

水郡線は3時間近くの乗車であったが、阿武隈川から久慈川に沿って走る変化に富んだ路線でローカル線の楽しさを味わさせてくれるところであった。水戸からは特急で帰るつもりだったが、特急まではだいぶ待ち時間があったので、その前の普通で帰ってしまった。こちらも以前歩いた水戸街道を思い出したりして、外は暗くなってしまったが、退屈することなく日暮里までくることができた。

帰宅してから地図で確認したら、踏破したと思った水郡線には支線があって、踏破ならずとなってアッチャー。そんな細かいところが気になるなんて自分も鉄ちゃんになってしまったのかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

浄土平

吾妻連山の観光地でもある浄土平に家内と一緒に出かけ、近くの吾妻小富士と一切経山に登ってきました。

吾妻スカイラインは観光客誘致のために無料化しているので、例年と比べてマイカーの乗り入れが多くて、駐車場手前2キロぐらいから渋滞が始まる。浄土平には30分遅れの12時に到着。ここから吾妻小富士までは往復1時間たらずの行程なので、家内と一緒に登り出す。シーズン中の富士山並の混雑である。火口の回りを一周してくるのも富士山と同じである。全てのスケールを富士山の何分の一に縮少したような山である。

浄土平に戻ってきた時は1時前で最終のバスまで2時間半以上あるので、一切経山往復には充分な時間である。家内には浄土平で待っててもらって、一切経山に向かって早足で登り出す。できれば東吾妻山にも登ってしまおうという魂胆だが、バスが30分遅れたのと、前日に15キロ走った疲れと痛みがあったため、無理なことはわかっていたものの、頑張るだけは頑張ろうと思った。結局、一切経山までは55分かかってしまい、ガイドブックのコースタイム1時間10分と大差ない時間だったので、東吾妻まで行くのはあきらめる。

一切経山は日本百名山でもある吾妻連山の一部であるが、連山の最高峰である西吾妻山が日本百名山で、一切経山自体は三百名山だそうである。まあそんなことはどうでもよいことだが、巨大なガレキの山を登っているようで面白みに乏しく、名山としての品格に欠けているのは事実である。

一切経山を下りだすと、さきほど登った吾妻小富士が目の前に見えてくるが、相変わらず渋滞は続いているようである。Cimg2900

東吾妻をあきらめて時間的には十分余裕ができたので、途中から登りの時とコースを変えて鏡沼の周りをぐるっと回って帰ることにした。思った以上に大きな美しい沼であった。

Photo_2

沼の先からは浄土平目指して、吾妻小富士を正面に色づき始めた紅葉の中を下っていく気持ちの良い道である。

Photo_3

先週の栗駒山と比べると、紅葉の見事さは格段に劣っているのは残念だった。緯度的にはやや南になるが、高度はこちらの方が数百メートル高く、この1週間は結構冷え込んだ日が多かったので期待していたのだが、こればかりはなかなか思うようにはいかないものである。

浄土平にはバスの乗車時間の30分以上前に着き、余裕を持って乗り込んで、今夜の宿の高湯温泉に向けて出発する。反対車線は峠を目指す車で4時近いというのに渋滞が続いていたが、下り車線は渋滞もなく一気に高度を落として、高湯温泉に到着し今日一日の汗を流すことができた。

二週連続の紅葉ハイキングで、すっかり焼きが回ったと思われるかもしれませんが、来週からはまたランニングやクライミング、さすらい旅と今までどおりやっていくつもりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 3日 (月)

記念切手

郵便局に行った時に普段なら目に入らない記念切手に目が止まってしまう。それは国体競技の真中にクライミング競技が入っていたからである。上下の他の競技はメジャーな競技ばかりだというのに、その中に混じっているのは、クライミング競技もメジャーになったということなのだろうか。そういえば、オリンピックの新規競技の候補の中でクライミングが有力な競技になっているという記事をどこかで読んだ記憶がある。

Photo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 2日 (日)

中尊寺と栗駒山

翌朝、古戦場跡を見学する。源義家がこの地を進軍している時に、上空の雁の動きを見て、敵が草むらに潜んでいることを察知したことで知られている所である。

Photo_8 平安の風わたる公園(キャンプ場)

その後に最後の目的地である平泉に向かう。平泉には何度も来ており、中尊寺だけでも今度で三回目となるが、両役の結果として奥州藤原氏の繁栄が生まれるわけだから外すわけにはいかない。それに世界遺産に登録されてからは中尊寺はまだ行っていないし、併せて登録されたものの中にはまだ行ってないものもあるのて、丁度よい機会であるとも言える。

週末の平泉は観光客でごった返していた。先ずは柳の御所跡、次に高館を経て中尊寺に向かう。前回の奥の細道の時は金色堂は入場料800円をケチってパスしてしまったが、今回はしっかりと見学する。前回見た時の金色堂は修理中で全容は見られなかったが、今回はまばゆいばかりの外観と内部が見られた(残念ながら撮影不可)。この世に浄土の世界を作り出そうとした藤原氏の思いが伝わってくるようであった。

Photo_5 中尊寺

その後は厳美渓を経て須川温泉に向かう。

Photo_6 厳美渓

須川温泉で下車した他の登山者は皆、温泉宿に入ってしまい、キャンプなどする物好きは私たけらしい。テント設営後、露天風呂に入って体を暖める。食事して酒を飲んでしまえば、後は寝るだけであるが、セーターも持参せず、寝袋もペラペラのものだったので寒くて熟睡できなかった。
翌日は4時前に起き出して6時過ぎに出発。登るに連れて紅葉が見事になってくる。今まで出掛けた紅葉の山では一二を争うほどであった。

Photo_7

頂上は風が強かったので長居は無用と下山すると1時間余りでイワカガミ平についてしまった。まだ9時半なので、だいぶ早く帰宅できるかなと思ったが、一日一便で3時過ぎまでバスがないことがわかりガッカリ。そこで一時間強歩いて下の温泉まで歩くことにする。それだけ歩いてもまだ十分時間は余っており、入浴、食事、休憩とのんびりすることができた。ハイキング程度の軽い山行だったせいでもあるが、私にしては珍しいことである。

帰宅してから、前2回分も含めて写真を挿入しましたので、ご覧ください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月 1日 (土)

史跡探訪の旅(奥州藤原一族の起源)

子供の頃から歴史と地図が大好きで、史跡探訪の旅をしてみたいとずっと思っていたが、ほかにもやりたいことがあってやらずじまいだったところ、今回たまたま岩手に来たので、前九年の役 、後三年の役の史跡を巡ることにした。

だいぶ以前の大河ドラマでやっていたので、一般にも知られるようになった歴史であるが、自分にとっては子供の頃にマンガで読んで以来の慣れしたんだテーマである。
ただ事前にネットで調べたところでは、前九年の役の史跡はほとんど残ってないとのことだったので、盛岡で泊まったホテルから安倍氏滅亡の地の厨川まで往復15キロくらいなので朝飯前にジョギングで行ってみる。途中に安倍館町、前九年町という地名があったのが歴史を偲ばせているだけであった。厨川駅周辺にも昔を偲ばせるものは皆無であった。

Photo_2
前九年の役の史跡探訪が早く終わってしまい、時間が中途半端になってしまったので、予定外であるが、角館で下車して武家屋敷に寄ってみる。ここは徳川時代の佐竹藩のものであるが、後三年の役の主人公である源義家の弟の義光の子孫が佐竹氏なので、満更、今回のテーマに関係がなくもない。角館は桜見物に来たことはあるのだが、今日のような雨降りで観光客の少ない時も風情があってよいものである。
さて次は後三年の役の史跡地、その名も後三年を訪ねる。ここは駅からして、後三年の役の資料がはりめぐらされている。

Photo_3

駅から一時間ほど歩いた所に後三年の役関係の資料館があり、途中にはキャンプ場もあるので、荷物をキャンプ場に置いて、空身で資料館を往復する。資料館の目玉は後三年の役絵巻の見事な模写の展示である。

Photo_4

資料館の裏手には公園があって後三年関係の史跡が多数あるので、そちらも寄ってからキャンプ場に戻った。
今時キャンプする人もいないのか、管理人が不在だったので、横手まで行ってホテルに泊まろうかとも思ったが、このキャンプ場は後三年の役の有名な古戦場で、明るくなってから、じっくりと見学したかったので、無断でキャンプをさせてもらうことにした。

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »