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2011年12月

2011年12月26日 (月)

上信県境

関東県境尾根縦走計画の一環としての上信国境尾根縦走に向かいました。小海線の臼田駅に11時半頃に着きましたが、タッチの差で1台しかないタクシーに先に乗られてしまい、タクシーが戻ってくるまで30分以上待たされる。おまけに戻ってきたタクシーの運転手が昼食をとっている間、さらに待たされる。

ようやくタクシーに乗り込み、30分位で田口峠に着く。4500円かかってしまったが、歩くと5時間近く単調な林道歩きをさせられることを思うとタクシーで行ったのは正解であった。

Photo 雪の少ないことに拍子抜け

Photo_2出発時の出で立ち(カーブミラーを撮す)

峠は前回来た時も霊仙峰に向かう道が発見できなかったところで、今回も少し迷ったが、戻り気味に行くと尾根上に出られた。その先でもひとつ尾根を取り違えてしまったが、GPSの力も借りて正しい尾根に戻ることができた。

霊仙峰の先で暗くなってきたが、予想に反して雪が全くないので、これでは炊事もできない。しばらく行くとほんの少しだけ雪が残っているところを見つけたので、かなり傾斜があったが、テントを張ってっしまう。さっそく雪を集めに行くが、表面に薄く残っているだけなので、なかなか集まらない。ようやく夕食分くらいは集まったが、この雪の少なさでは明日からの水分補給が思いやられる。せっかく持ってきたスノーシューなんぞは全く役立たずになりそうだ。

明るくなってから行動したので、出発は8時半過ぎとなってしまった。しばらく歩いていると思いがけず反対側からの単独登山者と出会う。まさかこんな不遇なコースを歩く人がいるとは思わなかった。

今日のコースは尾根が複雑に入り組んでいて迷いやすいので注意しながら歩いていたのだが、やはり尾根を取り違えてしまった。小高い場所で見回すと、正しいコースは隣の尾根ではないかと思われたので、GPSで確認すると、やはり間違っていたので来た道を戻ったが、1時間あまり時間をロスする。

それから先も結構ヤブがあったりしてペースが上がらない。途中に比較的雪が残っているところがあったので、昨日の失敗に懲りてビニール袋に炊事用の雪を入れて運んでいくことにする。

余地峠の手前の絶好の平坦地があったので、まだ4時半だがテントを張ることにする。予定よりも行程は遅れているが、別に締め切りがあるわけではないので、今回は行けるところまで行けばよしとしよう。

今日は早出するつもりだったが、出発はやはり8時近くになってしまった。余地峠はキャンプ地のすぐ先であった。これから先いくつ峠を通るのだろうか。まずは矢沢峠を目指す。矢沢峠までは4時間くらいで着く。矢沢峠はだだっ広い所だが、どこが峠かわからず、適当に踏跡を追って大上峠を目指す。途中ヤブの所も何カ所かあったが、踏跡がはっきりしていたので、予想よりも早く2時半には大上峠に着く。立派な自動車道が横切っているので、下山してしまいたくなるが、実際は半日位歩かないと駅までは着かない奥深いところである。

Photo_3

明日の行程を考えて今日中に行ける所まで行くことにする。峠からしばらくは緩やかな登りだったが、だんだんと傾斜がまして、最後はロープまでついているほどだった。その先の雪がうっすらと残っているところで、また炊事用の雪をビニール袋にかきあつめて持っていく。暗くなっても歩くつもりだったが、暗いとコースが不明瞭になりそうだったので、6時前だがテントを張る。今夜はクリスマス・イブだが、一人寂しくレトルト食品で簡単な食事を済ます。明日は下界に降りてうまいものをくいたいものである。

最終日はたいへんな一日となってしまった。朝起きて外に出てみると雪が舞っており、ホワイトクリスマスである。

今日の行程は長いので5時に出発する。稜線をしばらく東に進んでから南に進路を変えるのであるが、何度も早く南に変えすぎてしまって、そのたびにGPSの現在位置と回りの地形から間違いに気づいて元の場所に戻る。

進行方向には高崎方面の街明かりが見えていたが、やがて日の出を迎え、天候もすっかり回復してきた。

Photo_4

ここまでは比較的順調に進み、この分では佐久側の最終バスにも間に合いそうだと思ったが、その考えが甘いことをすぐに思い知らされた。

南に進路をとって間もなくして猛烈な藪に突っ込み頂上に達した。GPSの地図で確認すると、登山道は山の北側を巻いているようだ。本来は来た道を戻って、正しい道に戻るべきなのだが、GPSを持っていることでもあるしと、強引に東の方向に藪漕ぎを始めてしまった。ところがこの藪の頑強さは半端ではなかった。藪を漕ぐことは全く不可能で、笹の幹を何本もまとめて、最初は膝で体重をかけて倒し、次にそれに足を乗せて行く動作を繰り返して、藪の表面を玉乗りのように少しづつ進んでいった。時々は藪の中に落ち込んでしまって、そこから這上がるのに一苦労する。

2時間近くの苦闘の末、ようやく藪を脱出する。丁度目の前に境界石があって、県境稜線に出たことを知る。そこから南に下る藪尾根には人がやっと入れる隙間がずっと続いている。念のためにGPSで現在位置を確認すると、さきほど頂上で確認した時とほと んど変わっておらず、南に曲がるのはもう少し先となっている。「そんなはずはない。きっとgpsが故障なのだろう」と藪に突っ込んでいたが、途中で道が消えていたので、やはり獣道だったのだろう。やむをえず、東に進んで、しばらくしてから南に向きお変える。その時、ザックのサイド付けてあった新品のスノーシューがなくなっていいるのに気づく。戻って2時間ほど捜すが見つからずあきらめる。

藪漕ぎとスノーシュー捜しで4時間のロスとなったので、十国峠まで行くのをあきらめ、手前の大仁田峠から林道を群馬側に降りることにする。こんな手前で降りるなどとは思ってもみなかったので、この林道については特に調べてなかった。どうせ一本道だろうと思っていたところ、途中で分岐しているので、左の道を行くが、送電塔の先で道は終わっている。そこで分岐点に戻って右の道を行くと、こちらも30分くらい先で道が終わっていて、その先は急な斜面となっている。時間は4時半でもう30分もすれば暗くなる。大いに慌ててGPSと地図で判断すると、急な斜面を降りて沢に出て、しばらく行くと道が出てくるようであった。未知の沢を降りるのは本当は禁じ手なのだが、ここならなんとかなりそうだ。

沢に降りて、しばらく行くと踏跡がでてきた。雪がついていて部分的には緊張するところもあるが、慎重に歩いている限りは大丈夫だ。踏跡は途中から林道になることはわかっていたが、そこまでがやけに長い。GPSで距離を確認するが、一向に近づかない。またもやGPSが壊れてしまったのではないかと思ったりする。ようやく林道に出て、しばらく歩いて電波の通じるところで自宅に電話して、帰宅が明日になることを連絡する。これでいくら遅くなっても構わなくなったが、残された心配は今夜の泊場があるかどかである。下の集落まで降りたが、旅館などはもちろんなく、テントが張れそうな空き地はみな墓場となっている。そこで、村役場のあるところまで、もう一頑張りすることにする。村役場ならテントの張れる空き地くらいあるだろうし、そこなら自販機も多分あるだろう。やがて今日一日の17時間の歩行を終えて村役場にたどり着いたが、テントの張れるような空き地はなかった。その代わり、隣に川が流れていて、台地に降りられるようになっていて、台地の隣は橋の下になっている。あそこならば、早朝通行している人からも見えないだろうから見咎められる心配もないと早速テントを張る。とうとう橋の下にテントを張るまで成り下がってしまったか

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今回はスノーシューとGPSのテストも兼ねて行った山行であったが、スノーシューは未使用のまま紛失してしまうし、GPSの方は功罪相半ばするといえるだろう。もっとも今回と違って視界が効かない場合には、今回のような道のないか荒れている山だとGPSなしに突破するのは至難の業かもしれない。

今回はとんでもない所を降りてしまったので、次回のアプローチをどうするかが問題だ。今回のコースを下から登っていくなどとは論外なので、自転車のトレーニングを兼ねて十国峠まで上がり、そこから往復するのが順当だろう。いずれにしても長野との県境だけでも、制覇に至るのにはしばらく時間がかかりそうだ。

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2011年12月18日 (日)

城ヶ崎フナムシロック

城ヶ崎のフナムシロックに行ってきました。

穏やかな日差しの中で海を眺めながら楽しくクライミングをしてきました。今の自分にとっては、神経をすり減らすクライミングではなく、こんなのんびりしたクライミングが似合っているような気がします。

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新田義貞の鎌倉攻めの足跡を辿る

前回の藤原三代に続く歴史探訪の旅は新田義貞の鎌倉攻めの足跡を辿ってみた。この話も前回の藤原三代と同様に小学生の時に本で読んで印象に残っていたものである。ただ、その本は皇国史観の色彩が強く、新田義貞や楠木正成は忠臣、足利尊氏は逆賊として描かれていたが、実際のところは、建武の中興という時代の流れに反した企てにくみしてしまった新田義貞らは哀れな武将と言うべきなのだろう。だが三つ子の魂百までではないが、新田義貞ら南朝側の武将に対する贔屓は今もって続いているのは妙なものである。そんなこともあって、前から鎌倉攻めのコースを辿ってみたいと思っていたのだが、ようやく実現することができた。

スタートする栃木県新田荘近くの治郎門橋駅前では新田義貞の銅像が迎えてくれた。

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ここから旗揚げの地である生品神社までは直線距離ではたいしたことはないのだが、場所がわかりにくく、結構時間がかかってしまった。

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予定では近くにあるらしい資料館にも寄って行くつもりだったのだが、時間の余裕がなくなってきたので、一路南を召して進む。ところが、まっすぐ南に向かう道路がなく、適当に進んでいたら、かなり右往左往する羽目となり、だいぶ時間をロスする。この時点で今日中に鎌倉まで行くのをあきらめる。

それでも3時頃には嵐山の先の笛吹峠に着く。旗揚げの時はわずか150騎だったものが、この峠に達したときは10万を超える大軍となって意気揚揚と進んでいったものと思われる。ところがこの峠にはもう一つの悲しい物語がある。義貞が越前で足利勢と戦って敗れて討ち死にした後、その子が関東で皇族を奉じて関東で挙兵したが、やはり足利勢に敗れてこの峠まで落ちのび、ここが最後の地となったそうである。その時、皇子がここで笛を吹いて最後の夜を過ごしたことから、峠の地名が生まれたとのことである。

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ここからは北条勢との戦いの火蓋が切って落とされる小手指を目指すが、またもや途中で道を見失い、ようやく西武線に出会って線路沿いに進んで小手指までたどり着いた時には真っ暗になってしまったので、今日はここまでと、後半は次回に回すことにする。

1週間後に後半戦を再開。前回の失敗に懲りてGPS付きPDAを持参してナビ機能で目的地までのルート案内を利用することにする。まずは小手指駅から古戦場を目指す。ネットの情報で北野中学の隣に碑があるとのことだったので、さほどの苦労なく目的地に着く。

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ここから次の戦場である久米川に向かう。ナビの示すコース案内通りに行けばよいので楽なものである。音声案内は声が小さくて聞き取りづらく、GPSをハンドルに固定していないので、いちいち停車して地図を確認しなければいけないのが煩わしいといえばそういえる。久米川では全軍を集めて勢揃いして川を渡ったことに由来する勢揃橋を過ぎて、北条軍を攻めあぐんで、一時待機したといわれる将軍塚まではさほど苦労なく見つかったが、肝心の古戦場はその記念碑が見当たらず、近くの史跡図から多分このたりだろうという場所の写真を撮って次に向かう。

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順番では次は分倍河原の古戦場となるが、そこからほどなく府中街道に出て、後は道なりに進むだけなので、ナビは使わずに一路南下していく。途中に前はよく行っていたジムがあるので、今日はさほど長い行程でもないしということで、2時間ばかり遊んで行く。

クライミング後、分倍河原に向かう。JRの駅前には義貞の銅像が立っていた。古戦場跡も探したのだが、見つからなかったので先を急ぐ。

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多摩川を超えても、まだ東京都内ではあるが、鎌倉街道を進むようになるので、いよいよゴールも近くなったことが実感される。

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そのうちにナビの調子が悪くなってしまったが、鎌倉街道沿いに進んでいるのだから問題あるまいとそのまま進んでいたら、気づかないうちに鎌倉街道を外れて横浜方面に進んでしまっているようであった。一度ナビシステムをリセットして再度セットして藤沢方面を目指す。

藤沢市街地に入ったときはもう暗くなってしまったが、ここで引き返すわけにはいかない。何時になろうがゴールまで行くことを再確認する。やがて江ノ島に到着して海岸沿いに鎌倉を目指す。途中に稲村ヶ崎という要害の地があり、ここで義貞が太刀を海中に投げ入れて「南無八幡大菩薩」と念ずると海水が引いて進路が開け、一気に鎌倉に突進していったという有名な逸話のあるところである。まあ実際のところは、御家人として鎌倉に滞在したこともある義貞は干潮時に稲村ヶ崎に道ができることを知っていて、全軍の士気を高めるために芝居を打ったのかもしれない。それはともかくとして、フィナーレを飾る史跡が真っ暗でなんにも見えなかったことを悔やみながらゴールの鎌倉駅に到着して2日間に渉った歴史探訪の旅を終えた。

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山手線内一周ジョグ(北半分)

前回走り残した山手線の北半分を新宿駅からスタート。新宿から大久保にかけては韓国人向けの店が立ち並び、まるで韓国人街のようだ。

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目白の学習院沿いの道は銀杏がきれいだ。

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今日は時間の余裕があるので田端で食事をとってからゴールの東京駅目指して一路南下する。途中の上野の山からはスカイツリーが望める。

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御徒町付近のアメヤ横丁はすごい人出で師走を感じさせる。

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神田川を渡ってしばらく走れば、ゴールの東京駅である。レトロの丸の内の駅舎は改修工事であろうか、シートをかぶったままなのは残念であった。

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2011年12月13日 (火)

忙中?閑あり

師走に入ったというのに、暇な日が続いている。別に世の中の不況の影響を受けているわけではなく、全くの個人的事情に依るものである。それはともかくとして、暇をいいことにして、家内と外苑の銀杏を見に行ってきた。

二日前の日曜日まで銀杏まつりが行われていたので、たいへんな人出だっただろうが、今日は静かなものである。まつりが終わった直後なので、まだ銀杏もそれほどは葉は落ちていなかった。

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銀杏並木を抜けて青山でフランス料理を食べた後、家内と別れて神宮周辺をランニングする。まずは絵画館周回1.3キロのコース

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続いては赤坂御所の周回コース3.5キロ。下の写真は通常はスタート及びゴールとなる権田坂を上りきった交差点付近である。

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いずれも私がまだアスリートの端くれを自認していた頃に、仲間と競い合って練習した思い出のコースである。あの頃の力はもう戻ってこないと思うと少し悲しくもなるが、まあ今でも健康に走れるだけでも感謝しなければならないと考えるようには務めている。

最後は例によって宮下公園でボルダリングである。子供も来て登っていたが、なかなかの身のこなしで、いまにうまくなるのだろうなと羨ましく思ってしまった。

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2011年12月11日 (日)

区境ジョギング(後半)

今日は本当は八ヶ岳にアイスクライミングに行く予定だったのですが、相棒の都合が悪くなってしまったので、やむを得ず、前回に続いての区境ジョギングの後半を走ってきました。今日はお昼過ぎから走り出したので、住居表示もよく見えて、さほど迷わずに行ってこられました。中野区、渋谷区、世田谷区、三鷹市、武蔵野市との境を走りました。距離は30キロくらいでしたが、4時間くらいかけての超スローペースです。目前にはレースがありませんので、今はこのくらいの感じでいいのだろうと思ってます。

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2011年12月10日 (土)

クラス会

今日は午後から小学校のクラス会なのだが、その前にやることが二つあった。一つはマックで加入した無線LANの接続試験をやることだ。最初に坐った席ではうまく繋がらず、このPDAでは駄目なのかなとあきらめかけたが、席を移動すると、何とか通じるようになった。

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メールに添付されたPDFも下のように表示できた。ただ全体表示では字が小さすぎて全然読めないが、拡大するとスクロールしないといけないので煩わしいものの、内容は把握できるので十分である。

Photo_2 全体表示

Photo_3 拡大表示

さらに携帯用の充電器も使用すれば、長期間の連続使用も可能で、これでようやく最強かつ最軽量のGPS機能付きのPDA環境を整えることができ、仕事と遊びの両面で活用できそうだ。

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PDAのテストが終わったので、会場近くでもう一仕事を終えてからクラス会に駆けつけるつもりだった。それは今日の12時から来年4月の長野マラソンの宿泊予約がネットで開始されるのだが、いい場所はすぐいっぱいになってしまうので、どうしても12時丁度に申しもこまないといけないため、会場近くのネットカフェを利用しようと思っていた。ところが、ネットカフェでは身分証明書がないと利用できないという。そんなことはしらなかったので、証明書を持ってきていない。それでは代替案として用意していた無線LANが使用できる近くの喫茶店に行き、持参したPCでネットにつなごうとした。ところがワイヤレス接続自体は出来るのだが、無茶苦茶遅い回線で何度やってもポータルサイトに繋がる前にタイムアウトとなってしまう。万事休すということで、家に電話して家内に手続をやってもらうことにした。アクセスが集中していて家内もだいぶ苦労したようであるが、なんとか申込ができたようでホットする。

クラス会の開始時間がせまっていたが、せっかくPDAを持参したので、目的地の電話番号を入れて、音声ナビで会場へ行こうとしたが、ナビの道順は遠回りのようだったので、近道をしようとしたら、音声ナビが全く役立たずとなってしまい、かえって時間がかかってしまった。

肝心のクラス会の方はみな年相応に年輪を重ねていたが、すぐに小学校の時に戻ったような気分となって楽しいひとときを過ごすことができた。

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2011年12月 8日 (木)

PDAその後

GPS機能付きのPDAを購入したことは先日書いたが、その後の報告をします。

このPDAの最大の売りはカーナビと同じことができることにあるようだが、はっきり言って非常に使いづらい。まず行き先の登録が難しい。施設名、住所、電話番号等から検索できるのだが、一番簡単と思える電話番号で検索しても3年前の古い機種のためかなかなかヒットしない。

単なる市内地図としても、携帯電話とどっこいどっこいである。一番使いづらいのは、広域図に切り替えると現在地が消えてしまい、再度現在地確認を行うと、元の詳細図に戻ってしまうことである。地図機能としては携帯の圏外で使用すると考えた方がよいかもしれない。元々の購入動機が山で道に迷った時の現在地確認の手助けだったのだから。ただ登山用GPS専用機に比べてバッテリー稼働時間が非常に短いという弱点があるのだが、これについては携帯用の充電器を注文したので、届き次第、その効果を試してみたい。

次にこのPDAの特徴としては無線LANの機能があるのだが、外出先でテストしても拾える電波はセキュリティのかかったものばかりで、フリースポットで試してないので、まだ効果は検証できていない。ただ自宅のPCに無線の発信機をとりつけると、このPDAがネットにつながることは確認できたので、プリペイドの無線LAN利用カードを購入して外で試してみたい。ネットやメールも通常は携帯で用は足りるのだが、添付ファイルがあると自分の携帯では読めないのには困っていた。ソフトバンクのプリペイドならばほとんどのマグドナルドで利用可能なので、外出中のメール確認は通常は携帯で行い、添付ファイルをその場で見る必要がある時はマックに入って無線LANで添付ファイルをダウンロードして確認するという使い分けができるので、PCを携行する必要はほとんどなくなるだろう。

ここで一つ問題が発生したのは、エクセルやワードの機能はこのPDAに内蔵されているのだが、PDFには対応していないことであった。そこでAdobeのサイトからPDA用のアクロバット・リーダーをダウンロードしてインストールしたのであるが、起動してもそのまま自動終了してしまい、PDFを表示してくれない。ネットで調べると、一部のファイルを入れ替えると正常に表示するとのことであったが、やってみてもうまくいかない。困ってしまったが、ネットで調べてみると、他社のソフトであるが、PDFを読めるというものがあり、早速インストールすると、うまく表示できて一件落着となった。

昔はPCやPDAにいろいろなフリーソフトを組み込んで遊んでいたものの、最近はできあいのソフトしか使わなくなっていたのだが、ひょんなことから、フリーソフトとまたつきあうようになってしまった。山の上ではGPS専用機、下界ではスマホ全盛の時代にあって、ひねくれ者の自分は携帯とPDAでどこまでできるか頑張ってみたい。

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2011年12月 6日 (火)

山手線内一周ジョグ(南半分)

午後2時にお茶の水近くの顧客にアポイントを取っていたので、それまでの時間で山の手線内一周のジョギングに挑戦しようと、神保町のランナー用の施設に荷物を置いて、10時前に南に向かってジョギング開始。

皇居の回りをいつもとは逆の時計回りに走るが、明るい間に走るのは久しぶりということもあって新鮮な感じがする。

Photo 銀杏が色づく東京駅方面

Photo_2 皇居

日比谷公園近くで皇居を離れて品川方面に向かう。途中の増上寺で写真撮影のためちょっと休憩

Photo_3

品川駅が見えてきたあたりで、11時過ぎとなり、1時に出発点に戻るにはショートカットしなくては無理ということで線路を離れて目黒方面に向かう。

Photo_4

目黒からはまた山の手線沿いに恵比寿、渋谷と進むが時間は12時を回り、高田馬場あたりから地下鉄で戻らないと間に合わなくなるかと少し焦り気味になる。新宿を12時半に通過し、高田馬場に向かいかけたが、1時までには着くのは無理とまた新宿に戻って、地下鉄で神保町のスタート地点に戻る。

もうちょっと時間があれば一周できたのだが、時間に縛られていると、走っていても余裕がないので、残りの北半分を走るときは、もっと余裕のある時に走りたいものである。

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2011年12月 3日 (土)

区境ジョギング(前半のみ)

大田原マラソンが終わってから10日あまり全く走ってなかったが、そろそろ走らなければと重い腰を上げる。ただ12月はレースもないことだし、まだ本格的に走ることもないので、長距離のジョギングをやってみることにする。

前から自分の住んでいる杉並区と隣接区の境を走ってみようと思っていたので、丁度いい機会なのだが、今日はあいにく朝から強い雨で気勢を削がれてしまう。午後になってようやく雨はやんだものの、なにやかやしているうちに夕方近くになってしまい、時間的に一周するのは難しくなってきたが、行けるところまで行くことにする。

最初は地図を持っていこうと思ったが、区境は複雑に入り組んでいるので、道路の住居表示を見ながら行くのが一番確実だと地図は持たずに、いざという時のために先日買ったばかりのGPS機能付きのPDAを持っていくことにする。

中野や練馬との境は案の定、複雑に入り組んでおり、道に囲まれた住宅のブロックの間を境が通ったりしていて、何度も右往左往してしまう。途中何度も道に迷いかけたがGPSの力を借りて、なんとか区境に近い道を進むことができた。

武蔵野市との境になると、一変して区境は直線道路に沿って走っているので非常にわかりやすい。そのまま南下して中央線まで来たところで、後半は次回に回して、中央線沿いにジョギングして我が家に帰り、ご褒美のビールで喉を潤した。

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2011年12月 2日 (金)

おもちゃ

山登りにGPSが広く使われるようになってから久しくなるが、自分自身は一貫してその使用を拒んできた。それは古いといわれるかもしれないが、地図と磁石(最近は妥協して高度計も併用するようにもなったが)で現在地を確認することは登山者の条件だと思ってきたからであるが、悪天等で見通しが効かない時はリングワンデリング(雪原などで真っ直ぐ歩いているつもりが一周して出発点に戻ってしまうこと)をしてしまったり、ガスが晴れるまで何時間もじっと待ったりしたことも何度かあり、そろそろGPSの買い時かなとも思いつつも、こんなものに10万円近くも払うのはバカらしいとも思っていた。

世はスマホ全盛になり、自分も遅ればせながら買ってはみたものの、電話機本来の機能の使いづらさとPDAとしての機能が不十分なことから、子供にやってしまって、元の携帯に戻してしまったが、GPS機能付きのPDAはないものかと探していたところマイタック社のP560というWindowsCE機があることを知った。WindowsCE機はだいぶ以前にJORDANAという機種を使っていたこともあるが、あまり使うこともなくどこかに消えてしまったが、今度のP560はGPSが付いていて、2万5千分の1の等高線入りの地図上で現在地が確認できるらしいということで大いに期待が持てそうであった。

今時の携帯やスマホにはGPSがついているのが普通であるが、それが使えるのは携帯の電波が届く地域のことであり、圏外の山の中で使えて、PDAの機能もフルに使えるとなると、P560以外にはないようである。ところがP560は3年前に発売されたにもかかわらず、もう発売中止になっていて入手困難だという。スマホ全盛の時代にあっては、無理もないことではあるが、そのお陰でネットで調べたところ、未使用品が半値近くの3万円で購入できることがわかり、早速購入してしまった。

P560には地図ソフトが内蔵されていて、カーナビと同じことができるようであるが、そんな使い方をするつもりは全くないし、第一この地図は等高線入りではないので山では使えないものである。等高線入り地図を利用するためにはそのためのフリーソフトを使用しなければならないので、ネットで調べてダウンロードしてP560にインストールしたのだが、いざ起動しようとしたところ、このプログラムは起動できないというメッセージが出てしまい、途方に暮れる。そこでそのソフトの作者にメールで相談したところ、送ってくれた最新バージョンでは無事起動し、多少の試行錯誤はあったものの、GPSも機能するようになったので、これで山でも十分使えそうだ。

P560

山用のGPSだと10時間以上はバッテリーが持つのに対し、P560は4時間程度しか使えないのが弱点かもしれないが、軌跡を地図上に表示するのではなく、道に迷った時に現在地を確認するだけだったら、これでも十分だし、消しゴムほどの大きさのGPSロガーも持参すれば、軌跡は後から確認することも可能である。また無線LANにも対応しているので、街中でもこれを持っていれば、携帯でアクセスするメールでは読めない添付ファイルも確認できるということで、しばらくはこの大人のオモチャで遊べそうである。

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