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2011年12月18日 (日)

新田義貞の鎌倉攻めの足跡を辿る

前回の藤原三代に続く歴史探訪の旅は新田義貞の鎌倉攻めの足跡を辿ってみた。この話も前回の藤原三代と同様に小学生の時に本で読んで印象に残っていたものである。ただ、その本は皇国史観の色彩が強く、新田義貞や楠木正成は忠臣、足利尊氏は逆賊として描かれていたが、実際のところは、建武の中興という時代の流れに反した企てにくみしてしまった新田義貞らは哀れな武将と言うべきなのだろう。だが三つ子の魂百までではないが、新田義貞ら南朝側の武将に対する贔屓は今もって続いているのは妙なものである。そんなこともあって、前から鎌倉攻めのコースを辿ってみたいと思っていたのだが、ようやく実現することができた。

スタートする栃木県新田荘近くの治郎門橋駅前では新田義貞の銅像が迎えてくれた。

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ここから旗揚げの地である生品神社までは直線距離ではたいしたことはないのだが、場所がわかりにくく、結構時間がかかってしまった。

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予定では近くにあるらしい資料館にも寄って行くつもりだったのだが、時間の余裕がなくなってきたので、一路南を召して進む。ところが、まっすぐ南に向かう道路がなく、適当に進んでいたら、かなり右往左往する羽目となり、だいぶ時間をロスする。この時点で今日中に鎌倉まで行くのをあきらめる。

それでも3時頃には嵐山の先の笛吹峠に着く。旗揚げの時はわずか150騎だったものが、この峠に達したときは10万を超える大軍となって意気揚揚と進んでいったものと思われる。ところがこの峠にはもう一つの悲しい物語がある。義貞が越前で足利勢と戦って敗れて討ち死にした後、その子が関東で皇族を奉じて関東で挙兵したが、やはり足利勢に敗れてこの峠まで落ちのび、ここが最後の地となったそうである。その時、皇子がここで笛を吹いて最後の夜を過ごしたことから、峠の地名が生まれたとのことである。

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ここからは北条勢との戦いの火蓋が切って落とされる小手指を目指すが、またもや途中で道を見失い、ようやく西武線に出会って線路沿いに進んで小手指までたどり着いた時には真っ暗になってしまったので、今日はここまでと、後半は次回に回すことにする。

1週間後に後半戦を再開。前回の失敗に懲りてGPS付きPDAを持参してナビ機能で目的地までのルート案内を利用することにする。まずは小手指駅から古戦場を目指す。ネットの情報で北野中学の隣に碑があるとのことだったので、さほどの苦労なく目的地に着く。

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ここから次の戦場である久米川に向かう。ナビの示すコース案内通りに行けばよいので楽なものである。音声案内は声が小さくて聞き取りづらく、GPSをハンドルに固定していないので、いちいち停車して地図を確認しなければいけないのが煩わしいといえばそういえる。久米川では全軍を集めて勢揃いして川を渡ったことに由来する勢揃橋を過ぎて、北条軍を攻めあぐんで、一時待機したといわれる将軍塚まではさほど苦労なく見つかったが、肝心の古戦場はその記念碑が見当たらず、近くの史跡図から多分このたりだろうという場所の写真を撮って次に向かう。

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順番では次は分倍河原の古戦場となるが、そこからほどなく府中街道に出て、後は道なりに進むだけなので、ナビは使わずに一路南下していく。途中に前はよく行っていたジムがあるので、今日はさほど長い行程でもないしということで、2時間ばかり遊んで行く。

クライミング後、分倍河原に向かう。JRの駅前には義貞の銅像が立っていた。古戦場跡も探したのだが、見つからなかったので先を急ぐ。

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多摩川を超えても、まだ東京都内ではあるが、鎌倉街道を進むようになるので、いよいよゴールも近くなったことが実感される。

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そのうちにナビの調子が悪くなってしまったが、鎌倉街道沿いに進んでいるのだから問題あるまいとそのまま進んでいたら、気づかないうちに鎌倉街道を外れて横浜方面に進んでしまっているようであった。一度ナビシステムをリセットして再度セットして藤沢方面を目指す。

藤沢市街地に入ったときはもう暗くなってしまったが、ここで引き返すわけにはいかない。何時になろうがゴールまで行くことを再確認する。やがて江ノ島に到着して海岸沿いに鎌倉を目指す。途中に稲村ヶ崎という要害の地があり、ここで義貞が太刀を海中に投げ入れて「南無八幡大菩薩」と念ずると海水が引いて進路が開け、一気に鎌倉に突進していったという有名な逸話のあるところである。まあ実際のところは、御家人として鎌倉に滞在したこともある義貞は干潮時に稲村ヶ崎に道ができることを知っていて、全軍の士気を高めるために芝居を打ったのかもしれない。それはともかくとして、フィナーレを飾る史跡が真っ暗でなんにも見えなかったことを悔やみながらゴールの鎌倉駅に到着して2日間に渉った歴史探訪の旅を終えた。

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