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2012年1月

2012年1月30日 (月)

裏谷急沢

妙義山塊の裏谷急沢に行ってきました。

前夜は仕事関係の飲み会で遅くなり、最終電車で信越線終点の横川へ。そこから酔いが回ったまま荷物をかついでフラフラと2時間ばかり歩いて沢の出合付近で数時間仮眠する、

翌朝、高崎方面から車で来た仲間と合流して裏谷急沢を登る。しょぼい氷ばかりであるが、ハイキングと割り切ればそれなりに面白い(カテゴリーでは一応アルパインとしましたが)。途中の大滝が唯一のクライミングの対象となるところだが、仮眠の装備で重くなったザックを背負って登る気はしないので、仲間の一人が上から確保されて登るのを巻き道から写真をとるのに専念。

大滝から上はほとんど滝はないが、ふくろはぎに来る急登の連続でやっとの思いで頂上へ。妙義の山々が見渡せる絶好の展望台でした。頂上からは急な尾根を一気に下って暗くなる時には出発点に戻ることができた。帰りはさしたる渋滞にも遭わずに帰れる。楽しいアイスハイキングでした。

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2012年1月26日 (木)

震災復興から日本再生へ

前回は「震災復興から日本再生へ」ということで心のありかたについて書いたが、たまたま今日聞く機会があった環境ビジネスの話の中に、このテーマに関連するインフラ整備のことがあったので紹介したい。
それは太平洋の沖合いに大規模な洋上風力発電所を作り、同時にそこに漁業基地も作るというものだ。沖合ならば津波の影響も受ける心配がないので、漁業の復興も早まるであろうし、洋上風力発電の技術は日本がトップレベルなので、巨額な建設資金も海外に流出することなく、国内経済に寄与するばかりでなく、広大な海面で作られた電力は原子力のみならず火力発電のかなりも補って石油天然ガスの輸入を減らし、貿易赤字解消にも資するという一石三鳥の効果があるというものだ。問題は電力業界を牛耳る既成勢力との折り合いをいかにつけるかだ。田中角榮や小泉純一郎のようなパワーが野田首相にあるかどうか

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後輩からの手紙

後輩から手紙が来て、今までの仕事を辞めて、震災被災地での二重債務解消の仕事につくとのことであった。
二重債務の存在は復興を妨げる大きな障害であり、この解消に向けて、今まで培ってきた知識と経験を活かしていきたいという彼の決断にエールを送りたい。しかも2年間とは言え、放射能汚染が取り沙汰されている福島に単身赴任するというのだから尚更である。

「震災復興から日本再生へ」というスローガンはイメージとしてはわかるのだが、具体的にはなにかが今ひとつはっきりしなかったのだが、ここにきて少しわかるような気がしてきた。それは震災の前後を通じて日本人の心のあり方が変わり、それが日本の進路にも影響を与えずにはおかないことである。端的に言うと他人への思いやりを大事にするようになったことである。従来はともすると、自分の利益や幸せを第一に考えて、それが家族、会社さらには国家の利益にも繋がっていくと考えられていたのが、それだけではいけないのだと気付く人が増えてきたような気がする。
個人レベルでは冒頭の後輩のような生き方をする人もでてきたし、国家レベルでは消費税の増税に対する抵抗がうすらいてきたことにも表れている。だれしも増税はありがたくないが、次の世代へのツケは残すべきではないということに思いを至らす人がふえてきたことが大きな要因であると思われる。この日本人の変化が永続的なものなのか一時的なものなのかは、もうしばらく見定める必要かと思われるが、あわせて自分がなにをすべきかということも考えていかなければいけないであろう。

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2012年1月23日 (月)

樹氷見物

樹氷を見たくなって蔵王に行ってきました。

蔵王には子供が小さかった頃には何度か行ったのですが、上まで連れて行くのは無理なので、まだ樹氷は見たことがなかったのでした。その結果やいかに

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まだ時期が早かったようです。モンスターを期待していたのですが、この程度なら、他の冬山でも見ることができます。ロープウェーの終点から立入禁止のロープをくぐって地蔵山に向かいます。踏跡はありますが、ところどころ潜ります。30分くらいの登りで地蔵山の頂上に着きました。猛烈な風雪で何も見えません。

Cimg3029頂上で自分を写す

最初は最高峰の熊野岳まで行くつもりだったのですが、この天気では無理なので、ロープウェーの終点に戻ります。ここからスキーに履き替えて一気に滑って行くと言いたいところですが、なにしろ10年振りのスキーで、ウォームアップもなしにいきなり中級コースのザンゲ坂なので、ちょっぴりビビリました。まあ慣れればどうってことはない所なんですけど。

そこを過ぎれば麓まで楽しいダウンヒルが続きます。熊野岳に行かなかったので麓には早めに着きましたが、別にスキーが好きというわけではないので、これで切り上げて帰ることにしました。結果的には早めに帰って正解でした。というのは帰宅した後のニュースで福島の地震で東北新幹線が止まってしまったことを知ったからでした。

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2012年1月22日 (日)

「時代」

昨日の新聞に載っていたのだが、アメリカ在住の歌手、矢神純子が震災被災者応援のため何度か帰国して、被災地で歌った際にも最初は彼女のベストヒットである「みずいろの雨」は歌わなかったそうである。歌詞の「あとかたもなく崩れてしまえ~」という部分が被災者を傷つけるかもと気を使ったそうである(桑田圭祐も「津波」はもう歌わないのかな)。代わりに被災者からリクエストがあったのは中島みゆきの「時代」だそうである。

「あんな時代もあったねと。いつかきっと話せるわ~」。この歌は本当に全編に被災者を励ますメッセージが散りばめられている(去年の紅白でも歌ってほしかった)。

中島みゆきが「時代」を歌って、世界歌謡祭に登場した時は衝撃的だったが、あれから40年近い月日を経て、この歌が被災者を励ます歌として甦ったことには、あらためて「時代」の流れを感じさせてくれる気がする。

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3時間走

今日は来月の青梅マラソン30キロに備えてコースの試走か皇居周回でロング走でもと考えていたが、夕方まで雨という予報だったので、出掛けには降ってなかったものの途中で濡れるのも嫌だと思い、屋根のある国立競技場周回コースを走ることにした。

国立競技場トレーニングセンターの会員だった頃は、雨の日は応援席外側にある一周650の回廊をよく走ったものだが、会員外だと1200円もし(トレーニング器具や風呂も利用できるのだが)、走るためだけにそんなに払うのはもったいないので、ただで走れる建物の外を走ることにする。ここも一応屋根はあるのだが、途中で行き止まりとなっていて、折り返しをしなければならない。そのためタイムは計らず、ゆっくりと3時間走を行ってきた。
結局、雨には降られず、夕方には天気も良くなってきたが、これはこれで良かったことにしよう。

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被災地を訪ねて

震災から10ケ月以上、最後のボランティアから3ケ月以上たって、その後の復興状況の確に行くことを思い立ち、「日本列島海岸線踏破」を兼ねて出かけることにする。

久しぶりの石巻は駅周辺には震災の爪跡は全く見られない。先ずは1週間以上、毎日通った活動拠点である「あいプラザ」に向かう。あれほどボランティアでごったがえしていた「あいプラザ」も今は静まり返っている。

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次は後片づけのお手伝いをしたお店を訪ねてみる。二日間通ったお肉やさんは・・・・?

下の写真のようにちゃんと再開してました。それでも11月にやっと再開できたとか、そこまでの道のりは大変だったでしょう。

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ボランティア初日にうかがったCDショップも営業してましたが、通りから見るとアルバイトらしき店員がいるだけのようなおで、中には入りませんでした。

無事に復興へと歩んでいる様子に勇気づけられて女川へと向かう。壊滅状態となった石巻の海岸地帯は前回は日和山から遠望しただけだったが、今回間近にみても凄まじいとしかいいようがなく、復興は手つかずの状態で、重機が瓦礫の山を作っているだけである。

女川までの途中は、地形的な問題からか、海から近いところでも津波の被害を受けていない所が多く、なぜJR線は不通になっているのかと思ったりしたものだが、女川に着くと、そこはまさに廃墟のようであった。

女川から先はめっきり車も少なくなったものの、アップダウンが激しく、雪も降り出してきたこともあり、ペースははかどらない。途中に島のように張り出した半島があり、道も一週しているようなので、「日本列島海岸線踏破」の趣旨からすれば行くべきなのだが、道の整備状況もわからないし、時間もかかりそうなので、スキップと決め込む。

いくつかの峠を超えて長い坂道を下ると、そこは北上川であった。道はしばらく川に沿って海を目指す。ここは川に沿った津波が奥深く猛威を振るったところである。この付近もボランティアで出かけたことがあるところだったが、車で行ったことでもあり、場所はよくわかっらなかった。

道はようやく海に達し、また海岸沿いの道に戻ったが、南三陸まではまだまだ遠い。気仙沼までは今日じゅうにはとても無理で、せめて南三陸まではと目標を切り替える。

やがてあたりは暗くなり、みぞれの中、寂しい道を進んで行くと、遠くの海岸線に多くの明かりが浮かんでくる。きっと南三陸の街の明かりに違いない。その中にひときは明るいものが望まれる。きっと大きなホテルだろうが、壊滅状態といわれる南三陸にそんな大きなホテルがあるのだろうか?しばらく進んで行くと明かりの正体は街外れの高台にある温泉ホテルであった。特別温泉に入りたいとも思わなかったし、街まで降りてビジネスホテルにでも泊ろうと、街におりてみるとそこはまさに壊滅状態でビジネスホテルはおろかお店の残骸さへ見当たらない。かろうじて土台は残っているが、テントはどこでも張りたい放題なものの食料の調達もできない。それにここにテントを張ると、津波に流された人たちの霊に取りつかれるような気がしないこともないし、なによりも被災地にお金を落とすことが大事だと気づいて、坂を登り直してホテルに戻る。幸い部屋は空いていたので、温泉でのんびりする。

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南三陸中心部(後方左奥は泊まったホテル)

翌日は中途半端で気仙沼までしかいけそうもないのでのんびりする。朝日でもと思って二階の露天風呂に行くが、あいにくの天気で日の出はみられず、雪が舞っている天気で気が重くなる。

8時過ぎにホテルを出るが、気仙沼までは40キロちょっとなので午前中には着くだろうとたかをくくって、幹線道路をはずれて海沿いの細い道を行くと、これが凄まじいアップダウンの連続で何度も自転車を降りて引いて行く羽目に。ようやく幹線道路に戻っても、

アップダウンは程度の差こそあれ相変わらずで、おまけに整備不良とブレーキ部分が濡れているためかブレーキの効きが悪く、路面が濡れていることもあって、下りも安全運転でのろのろ行くために結構時間がかかってしまう。ちんたら進んでいると、長野県警のパトカーが追い越して行く。なんで長野県警?凶悪犯人でも追跡してきたのかと思ったら、停車したパトカーから降りてきたおまわりから職務質問を受ける羽目に。こんな時期に北国をツーリングする奴もいないだろうから無理もないかもしれない。

その先から合流したJRの気仙沼線は橋という橋がすべて流されているが、復旧工事は全く行われておらず、開通の見通しは当分ないのであろう。復旧には優先順位を決めて当たらなければならないだろうが、南三陸の壊滅状態を目の当たりにすると、JR開通の遅れもやむをえないかという気もしてくる。それにしても南三陸の状況は深刻だ。石巻や気仙沼の場合は中心街の大部分は比較的高台にあるため壊滅的な被害を受けていないのに対して、南三陸の場合は地形的に海岸近くしか平地がなかったためだろうが、中心街が壊滅してしまっているので、復興には相当長期を要することになるだろう。

気仙沼市街地には1時過ぎにようやく到着。駅とは反対側の海べりに向かう。海岸沿いの惨状は昨年の6月と全く変わっておらず、復興は進んでないようだが、ただひとつ前進といえるのは、漁港近くに仮設の屋台村が出来て、観光客をそれなりに集めていることである。私もそこで三色まぐろ丼を食してから駅に向かった。

今回は予定していた気仙沼でのお手伝いしたお家の復興状況の確認や復興ファンドの拠出先の見学は時間がなくてできなかったが、前者についてはお店でないので、あまり確認のしようがないこともあるし、後者は3月に工事着工ということで、今行っても見るべきものはないであろうから、次回以降ということでよしとしよう。

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2012年1月17日 (火)

日本人は何を考えてきたのか

NHK-BSで始まったシリーズ「日本人は何を考えてきたのか」はなかなか見応えのある番組である。

第1回の「福沢諭吉と中江兆民」も二人の民主主義や欧米列強の植民地化にへの対応に対する考え方の違いを鮮明にし、それがその後の日本の進路も示唆していたという点で面白かったが、第2回の「自由民権 東北で始まる」は自由民権と震災復興の問題を絡めて論じているという点で非常に興味深かった。敬愛する歴史家である色川大吉先生の指導の下に発見された秩父憲法草案が東北出身者を中心に作られたということから、戊申戦争で中央に痛めつけられ、殖産富国政策の中で切り捨てられた東北であった故に、逆に長期的視野に立った日本の進むべき道が見えてきたのだという点が、今回の震災復興や原発事故対応が後手後手に回っている現状とオーバーラップして、真の震災復興が日本再生の鍵となるという指摘は示唆に富んでいる。ただ歴史家は直感力に優れてはいるが、自己の理論から現実を全て説明しようとする傾向がありがちなので、この点についてはもう少し事態の推移をみていきたい。また樋口陽一先生は、植木枝盛憲法草案→鈴木安蔵憲法研究会草案→GHQ草案→日本国憲法という流れを指摘されていたが、このあたりは押しつけ憲法論を主張する改憲論者はどう説明するのだろうか

次回以降も魅力的な人物が次々と登場予定なので楽しみである。

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2012年1月15日 (日)

喜多マラソン

3月4月のフルマラソンに向けての三段跳びではないが、ホップとして喜多(北)マラソン20キロに参加してきた(ステップは来月の青梅30キロ)。
喜多マラソンはずっと前にフルマラソンに2回出場したことがある。北区主催のためか北区内だけを走らせるということで、荒川沿を2往復もする他には例を見ない妙なコース取りである。
最初の出場は走り出して2年目の年で、ハーフ通過時のタイムが1時間36分だった。当時の実力ではオーバーペースということもあったが、もう1往復するのかと思うだけで気持ちが萎えてリタイアしてしまった苦い思い出がある。2回目は翌年で、ハーフ通過タイムは同じくらいだったが、なんとか耐えて自己ベストを更新したものの、ハーフ通過時のリタイアの誘惑に打ち克つという2往復の辛さから、その後はこの大会には申し込まなかった。今回、他の大会が満員だったので申し込んだのだが、考えてみればハーフなら1往復になるのでなにも問題はないのである。
王子駅に早く着きすぎてしまい、早く会場に着いても仕方ないので、バスには乗らずに小一時間歩いて会場に着く。
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フルのスタートの15分後にハーフがスタートする。今までフルがあるレースでは必ずフルに出場していたので、フルのレースを見送るのは初めての経験である。次はいよいよハーフである。先頭近くでスタートしたのだが、回りのスピードについていけない。昔は開始直後の元気な時は回りについていけないということはなかったのだが、いかにスピードも衰えてきたかということを実感させられた。おまけに昔の捻挫の跡も痛みだしてきたので、とにかくキロ5分のペースを維持することだけを考える。足の痛みの方は5キロ付近でなくなったが、5キロのラップではキロ5分を若干上回っている。果たして挽回できるか?
堀切橋で折り返して12キロの先でスタート地点に戻ってくる。これから新荒川橋までの往復8キロ強である。14キロは71分で通過。キロ5分ペースよりも1分遅れている。後半に弱い自分としては挽回は非常に困難になってきた。新荒川橋の手前約1キロで河川敷から土手に上がるコース唯一の登りである。余裕さへあれば登りに強い自分はここで何人かを追い越す。ただその頑張りの反動か平らになってからペースが落ちてくる。 新荒川橋手前の折り返しからはゴールまで5キロ弱となり、疲れた体にムチを打とうとしたが、足が全然前に進まない。結局、キロ5分のペースを4分越える1時間49分(813人中、238位)で、前2回のフル出場時のハーフ通過タイムにも大きく遅れる記録となってしまった。11月のレースの後、ジョギングばかりやっていたのでやむをえないだろうが、これから徐々にペースアップしていこう。
レース後はバスで帰ってもよかったのだが、さほどダメージもなかったし、時間もあったので、荒川沿いを北千住まで歩いて帰ることにする。土手の上を歩いていると、前方からはフルのランナーたちがゴールを目指して必死に走ってくる。30キロを過ぎているのでペースも大きく落ち、歩いている選手もたくさんいる。
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2ヶ月後の荒川マラソン(板橋区から江東区までの1往復)での自分の苦しむ姿とオーバーラップしてくる。やがてランナーもほとんどいなくなる頃に、私も土手を離れて千住の町に入っていく。北千住は30年以上前に勤務していたところで懐かしい場所だが、昔の面影はかなりなくなっている。日光街道沿いの昔の勤務地まで来ると、ビル自体は残っていたが、事務所はいずれかに移転してしまったようである。駅まで歩く途中でも、昔知っていた店でもあったら入ってみようと思ったが、結局知っている店は全然なかった。30年以上たつのだから無理もないが。
予定外ではあったが、この日は王子から北千住までを荒川沿いに10キロ近く歩いてしまったことになる。こんな変わったランナーもまずいないだろう。

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2012年1月13日 (金)

公道で変身

午前中に霞ヶ関で用事があったので帰りに皇居を走る。少し足を伸ばせば、ランナー専用の着替え施設もあるのだが、面倒なので最寄りのコインロッカーで着替えてしまう。上着とズボンの下はランニングスタイルなので、別にどうということはないのだが、やはり公道で着替えるのには少々勇気がいる。
翌々日がハーフのレースなので一周5キロだけを全速力で走ってみることにする。最近は皇居は夜ばかり走っていたので、久しぶりに明るい時に走ると景色も新鮮に見える。
頑張って走ったつもりだったが、25分かかってしまった。丁度昼休み時間でそこそこの人数が走っていたにもかかわらず誰にも抜かれなかったのだから、決して遅いというわけではないのだが、全盛時には19分台で走っていたのだから、昔はそれなりに早かったのかなあと思ってしまう。
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2012年1月12日 (木)

福山出帳

今日は仕事で、生まれて初めて福山に行ってきました。ご多分に漏れず衰退していく地方都市という印象でした。
何年ぶりかて「のぞみ」に乗りましたが(最近遊びで乗るのは東北新幹線ばかりでした)、大阪までは無線LANが使えるので、長旅でも退屈せずにすごせます。ただソフトバンクの無線LANはマグドナルドだとWEBキーは一度入力すればそれっきりなのに、新幹線の場合はその都度10桁の入力をしなければならないのが煩雑といえば言える。
今後は毎月行くことになりそうなので、せっかく行くのだから次回からは周辺の情報を事前に調べてから行くこととしたい。

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2012年1月 8日 (日)

復興ファンド

昨日のテレビでやっていた「震災失業」での被災地の深刻な状況には胸が痛むと同時に、行政の対応の遅さに腹が立ったが、その中で紹介されていた復興ファンドというものに興味を持ち、早速ネットで調べてみた。
拠出金の半分は寄付金となり、残りの半分に対しては利益がでれば配当がでるが、損失いかんでは元本は保証されないというものてまある。
拠出金の回収等はどうでもいいことであるが、赤十字等への寄付だと、その分配までに時間がかかることもさることながら、どのように寄付が役立っているのかが見えてこないのに対して、ファンドの場合はネットや現地訪問によって、被災者の復興度合いがわかることが大きな特徴である。申込み手続きはかなり煩雑であったが、なんとか手続きを済ますことができた。

今月中には石巻や気仙沼を訪れて、お手伝いをした家々の復興を確認するつもりだが、その後も定期的に現地を訪れてなにかお手伝いできることがないかを探っていきたい。その際にはファンドの投資先の様子も見ていきたい。

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2012年1月 7日 (土)

今年の目標

松の内も明けようとする時期になって遅まきながら今年の目標を書いてみたい。

今年の最大のイベントは7月から8月にかけて予定している自転車によるロッキー山脈横断である。単に横断するだけでなく、山脈の西ではクライマーの聖地であるヨセミテでのクライミング、ロッキーを越えた後ではデンバー郊外の高橋尚子らがトレーニングしたランナーの聖地であるボルダーでランニングも楽しもうというプランである。

この計画の困難な所としては、まずはヨセミテに行くまでに高速道路を通っていかなければいけないらしいということである。時速150キロ以上のスピードで走る車の横を通って行くのは日本では経験できない恐ろしさだと思う。次にネバダに入ってからの灼熱地獄である。ネットの記録では一日12リットルの水が必要だなどとも書いてあったが、私はネバダの北部を通るつもりなので、それほどではないことを願っている。肝心のロッキー山脈越え自体は標高差1000メートル以上の峠越えをいくつか行うらしいが、これは日本でも経験できることなので、それほど心配していない。むしろ、全コースを通じていえることだが、アメリカの治安の悪さが心配である。地図やネットの情報でキャンプ場やモーテルは調べておき、一日の行程を100キロ以内に抑えるつもりだが、予定どおりに行かなかった場合、日本ならば適当な所にテントを張ってしまうが、アメリカでは下手な所でキャンプするとピストルを打ち込まれかねないそうなので、下手な英語で住人にテント設営の許可が得られるかどうかがやっかいだ。

クライミングの分野ではガイド山行ではあるが、ヨセミテでのクラックのマルチピッチ、そのトレーニングとしての西伊豆のスーパーレインを予定している。ヨセミテのトラディショナル・ロング&フリーをたとえ入門ルートのナットクラッカーであれ登れば、無酸素8千メートル、アルプスの大岩壁に次いでアルパインクライミングの目標は一応達成したことになるので、アルパインからは足を洗ってもいいかなという気がする。

フリークライミングの外岩ではもう一度、ルートでのイレブンとボルダリングの3級を登りたいという気持ちはあるが、多分もう無理だろうな。ジムでのクライミングは半分遊びのようなものなので、当分は続けるつもりだが

ランニングの方も足の故障で満足に走れる状態ではないのだが、ボストンマラソンの参加資格である4時間以内を目指して、3月の荒川と4月の長野で頑張ってみたい。

他の予定で今年中にある程度目途がたちそうなものをあげると、「河口から源流を目指す旅」としては信濃川と大井川がある。また大井川下流を太平洋まで歩ければ、40年かけて歩き続けてきた「日本海から太平洋まで日本アルプル縦断」も完結することになる。日本列島縦断徒歩旅行も今年中には九州まで到達したいし、100名山も80山台に乗せたい。また家内と過去2回出かけて失敗しているオーロラ観測も3月のアイスランド・グリーンランドではぜひ成功させたい。

その他にも完成はまだまだ先のことになりそうだが、JR全線乗車、関東県境踏破、中山道踏破、日本列島海岸線一周、各県最高峰登頂なども少しづつ行っていきたい。まあこうやってみると、今年も忙しくなりそうだ。どうも趣味が本業で仕事が余暇になりそうだが、こんなことが出来るのも、健康であることと、家内の理解があることなので、両方に感謝を表したい。

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2012年1月 5日 (木)

走り初め

先月はレースもない気安さで遊び半分でのんびり走っていたが、年も改まり気分一新と、仕事帰りに皇居を2週する。正月気分が抜けきれてないのか、ランナーはいつもほど多くない。レースペースで走るつもりだったが、どうもまだ調子が戻ってきてこないこともあり、退屈しのぎに抜いた人数と抜かれた人数を数えることにする。結果は.61人抜いて8人に抜かれたことになる。以前ならせいぜい数人に抜かれる程度だったのに
これから数ヶ月は本気モードで練習してみるか。
年の初めの誓いが果たしていつまで続いてくれることやら

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2012年1月 4日 (水)

待ち人来たらず

正月明けの仕事始めの前の一日を伊豆の城ケ崎でクライミングを楽しんだ。

パートナーが見つからず一人で出かけるが、ひょっとして静岡の友人が来てくれるかもしれないと思って誘いのメールだけはしておく。

前回同様、フナムシロックに向かうが、何パーティかがすでに来ていた。北の岩南面をアップに登ろうとしたが、ルートは彼らに占拠されていたので、誰もいない南の岩に取りつく。前回結構苦労したフェースを登るが、ホールドがわかってしまっているので、今回はスムーズに登る。次は右側の幅広のクラック(岩の割れ目)である。途中、中に入りすぎて進退窮まりかけたが、外側に移動すると、しっかりとした手掛かりがあり、安定して登りきることができた。その次は三ツ星の人気ルートであるパープルシャドウを狙う。技術的には難しくはないのだが、単独のためロープを上から固定して登るスタイルだと、途中斜めに登るところが落ちると大きく振られるのでチョー怖いのである。そのためロープをルート上に沿って這わせずに上の支点からかぶり気味の壁をまっすぐ垂らすようにしてみたが、まっすぐ登るのは結構難しく、途中でロープにぶらさがってしまったが、一度壁から離れてしまうと壁に戻ることが出来ず、足を乗せる輪をロープにからませながら上まで上がってしまった。リードして登る分にはさほどのことはないであろうが、独りで登るとなるとなんとも登りにくいルートである。

ここでお昼となったので食事をしながら友人からのメール返信をチェックするが、返信はなくどうも今日は来ないようである。

午前中は混んでいた北の岩南面も空いたようなので順序は逆となるが、そちらに移動して3本のクラックを登る。アップに使われる岩場だけあって簡単なルートばかりであったが、今の自分にとっては難しいルートでアドレナリンを出しまくるより、こういった簡単なルートを余裕をもって登る方が好ましく思えてくる(堕落したのかな?)

時間はまだ2時をまわったばかりであったが、北の岩南面はめぼしいルートは登りきってしまい、この時間では友人も来ることはあるまいと岩場を後にする。

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2012年1月 3日 (火)

年末年始の歩き(走り)旅

昨年に引き続き、今年の年末も家内の実家で正月を過ごす前に寄り道して街道歩き等を行うことにする。

親子バラバラに出かけることになるが、真ん中の日に出る私はムーンライト信州で松本経由である。夜行電車は久しぶりだが、夜行バスに比べると自由に移動できて圧迫感がないのがよい。

早朝の松本駅で2時間ほど始発を待って、前回の到達点の贄川に7時過ぎに着く。ここ贄川は木曽福島の本関所に対して副関所の役割があったそうで、いよいよ木曽の山中に入ってきた感を深くする。

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このあたり一帯は漆器が特産ようで、漆塗の工場やお店がたくさんある。やがて奈良井の宿に着くと、昔の家並みがずっと続いている通りに出る。東海道の油井の宿あたりも昔の家並みがかなり残っているが、こんなに規模の大きいのは初めてである。資料館もあったが、残念ながら年末年始はお休みだそうである

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奈良井の宿を抜け出た先で鳥居峠に向かう道が分かれる。鳥居峠は中山道では和田峠、碓氷峠に次ぐ難所とされているので、

それなりの覚悟をもって臨んだが、雪道で多少歩きにくかったものの、特別の苦労もなく峠に立つ。ここまでは塩尻市であるが、ここから先は本当に木曽山中である。イアホーンから流れる葛城ユキの「木曽は山の中です」のメロディが雰囲気を盛り上げる。

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峠からは1時間ほどの下りで藪原に着く。ここから先は二つ目の原野までは以前に別のプロジェクト?である「日本海から太平洋までの日本アルプス縦断」の際に歩いているので電車でスキップするつもりだったが、なんと電車が2時間に1本しかなく、次の電車まで1時間半も待たなくては」ならない。ちょうどお昼時でもあるので、道の駅に立ち寄って昼食をとることとする。

メニューは豊富で迷ったが、先月の秩父巡礼で立て続けにまずい蕎麦を食べさせられて上手い蕎麦に飢えていたので、本場の信州ならば上手かろうと天ぷら蕎麦を注文する。ところが、これが秩父にわをかけたまずさでガッカリする。上手い蕎麦に対する飢えはまだまだ続きそうである。

道の駅でゆっくりしてから電車に乗り込み、原野で下車。ここから木曽福島までは5キロほどの道のりである。左手には雪を被った中央アルプスの峰々が眺められる。昔、名古屋に住んでいたころは季節を問わず訪れたところで、とても懐かしい。

その先には中山道中間点の碑があった。やっとという思いとまだ半分かという思いが交錯した。東海道は53次だが中山道は69次もあるのである。

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やがて山も見えなくなり、退屈な歩きとなってくるが、セットしてある音声ナビに従ってあるけばいいので楽なものである。もっとも、一本道で迷うような所ではないが。

木曽福島駅近くまで来ると、福島関の資料館がある。寄らないわけには行かないが、ゆっくり見学していると、次の電車に間に合わなくなりそうで、どうしたものかと思っていると、幸か不幸か休館日だったので、そのまま駅に向かい、予定の電車に乗り込む。まだ4時前で歩き足りない気もするが、家内の実家の夕食に間に合うためには、今日はこのあたりで打ち止めとせざるをえないのである。

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元日の親類顔合わせも終わって自宅に帰ることになるが、せっかく名古屋まできたのだからと、少し足を伸ばして京都まで出かけて日本縦断徒歩旅行の続きを歩くことにする。前回は2年半前に東海道の終点である京都三条大橋までは歩いており、一方、それとは別に六甲全山縦走もしているので、三条大橋から六甲の東側の甲陽園まで歩くと、一挙に神戸の須磨まで繋がるが、なにしろ60キロ近くもあるので、走りをまじえても一日ではちょっと無理かもしれない。

朝、箱根駅伝1区のトップ終了まで見てしっまったこともあり、三条大橋に着いたのは2時近くになってしまった。軽く食事をとってから、高瀬川沿いに南下。しばらくは行楽客で賑わっていたので、走ることは控えていたが、人影もまばらになってきたあたりからジョギングを開始する。

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GPSのナビを使っているので道に迷うことはないが、いつまでたっても京都府を抜け出せないので気分的に少々あせる。時間的に甲陽園までは無理とナビの目的地を茨木に変更する。

やがて気づかないうちに大阪府に入り、JRの高槻駅が間近となってきた。高槻駅で終了してしまいたい誘惑にも駆られたが、なんとかこらえて茨木まで行くことにする。ナビとにらめっこしながらやっと茨木まで着いたが、なにかおかしい。JRの駅にセットするつもりが阪急の駅にセットしてしまったのだ。JRの駅はさらに西に1キロ半行った先であった。今日はここがゴールと駅前の居酒屋で祝杯をあげる。この続きは今年のGWで四国まで足を伸ばしたいと考えている。

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2012年1月 2日 (月)

年の初めに思うこと

ユーロ危機等の深刻化で本年もたいへんな年となりそうですが、このブログをご覧いただいている皆様にとって、すこしでもよい年となりますことをお祈り申し上げます。

今回は年の初めということで、まじめな話をさせてもらいます。
冒頭にもかきましたように、今年は経済的に厳しい状況に見舞われることは間違いありませんが、人間の幸せというものは、経済的要因が大きなウェイトを占めるのは事実ですが、それがすべてではありません。極論を言わしてもらえば、戦争と天災と飢饉さへなければ、いかに貧しくなろうとも、それなりの幸せを見いだせるものです。
飢饉は他の二者に起因して発生することが多く、天災は人間の力ではコントロールできない場合が多いことを考えますと、我々がやるべきことは戦争反対を声高に叫ぶことではないでしょうか
経済苦境となると、戦争待望論が高まりがちです。十分注意して世の中の動きを見ていかなければいけないと思います。

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