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2012年1月15日 (日)

喜多マラソン

3月4月のフルマラソンに向けての三段跳びではないが、ホップとして喜多(北)マラソン20キロに参加してきた(ステップは来月の青梅30キロ)。
喜多マラソンはずっと前にフルマラソンに2回出場したことがある。北区主催のためか北区内だけを走らせるということで、荒川沿を2往復もする他には例を見ない妙なコース取りである。
最初の出場は走り出して2年目の年で、ハーフ通過時のタイムが1時間36分だった。当時の実力ではオーバーペースということもあったが、もう1往復するのかと思うだけで気持ちが萎えてリタイアしてしまった苦い思い出がある。2回目は翌年で、ハーフ通過タイムは同じくらいだったが、なんとか耐えて自己ベストを更新したものの、ハーフ通過時のリタイアの誘惑に打ち克つという2往復の辛さから、その後はこの大会には申し込まなかった。今回、他の大会が満員だったので申し込んだのだが、考えてみればハーフなら1往復になるのでなにも問題はないのである。
王子駅に早く着きすぎてしまい、早く会場に着いても仕方ないので、バスには乗らずに小一時間歩いて会場に着く。
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フルのスタートの15分後にハーフがスタートする。今までフルがあるレースでは必ずフルに出場していたので、フルのレースを見送るのは初めての経験である。次はいよいよハーフである。先頭近くでスタートしたのだが、回りのスピードについていけない。昔は開始直後の元気な時は回りについていけないということはなかったのだが、いかにスピードも衰えてきたかということを実感させられた。おまけに昔の捻挫の跡も痛みだしてきたので、とにかくキロ5分のペースを維持することだけを考える。足の痛みの方は5キロ付近でなくなったが、5キロのラップではキロ5分を若干上回っている。果たして挽回できるか?
堀切橋で折り返して12キロの先でスタート地点に戻ってくる。これから新荒川橋までの往復8キロ強である。14キロは71分で通過。キロ5分ペースよりも1分遅れている。後半に弱い自分としては挽回は非常に困難になってきた。新荒川橋の手前約1キロで河川敷から土手に上がるコース唯一の登りである。余裕さへあれば登りに強い自分はここで何人かを追い越す。ただその頑張りの反動か平らになってからペースが落ちてくる。 新荒川橋手前の折り返しからはゴールまで5キロ弱となり、疲れた体にムチを打とうとしたが、足が全然前に進まない。結局、キロ5分のペースを4分越える1時間49分(813人中、238位)で、前2回のフル出場時のハーフ通過タイムにも大きく遅れる記録となってしまった。11月のレースの後、ジョギングばかりやっていたのでやむをえないだろうが、これから徐々にペースアップしていこう。
レース後はバスで帰ってもよかったのだが、さほどダメージもなかったし、時間もあったので、荒川沿いを北千住まで歩いて帰ることにする。土手の上を歩いていると、前方からはフルのランナーたちがゴールを目指して必死に走ってくる。30キロを過ぎているのでペースも大きく落ち、歩いている選手もたくさんいる。
Photo_2
2ヶ月後の荒川マラソン(板橋区から江東区までの1往復)での自分の苦しむ姿とオーバーラップしてくる。やがてランナーもほとんどいなくなる頃に、私も土手を離れて千住の町に入っていく。北千住は30年以上前に勤務していたところで懐かしい場所だが、昔の面影はかなりなくなっている。日光街道沿いの昔の勤務地まで来ると、ビル自体は残っていたが、事務所はいずれかに移転してしまったようである。駅まで歩く途中でも、昔知っていた店でもあったら入ってみようと思ったが、結局知っている店は全然なかった。30年以上たつのだから無理もないが。
予定外ではあったが、この日は王子から北千住までを荒川沿いに10キロ近く歩いてしまったことになる。こんな変わったランナーもまずいないだろう。

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