« 日本人は何を考えてきたのか | トップページ | 3時間走 »

2012年1月22日 (日)

被災地を訪ねて

震災から10ケ月以上、最後のボランティアから3ケ月以上たって、その後の復興状況の確に行くことを思い立ち、「日本列島海岸線踏破」を兼ねて出かけることにする。

久しぶりの石巻は駅周辺には震災の爪跡は全く見られない。先ずは1週間以上、毎日通った活動拠点である「あいプラザ」に向かう。あれほどボランティアでごったがえしていた「あいプラザ」も今は静まり返っている。

Cimg2999

次は後片づけのお手伝いをしたお店を訪ねてみる。二日間通ったお肉やさんは・・・・?

下の写真のようにちゃんと再開してました。それでも11月にやっと再開できたとか、そこまでの道のりは大変だったでしょう。

Cimg3001

ボランティア初日にうかがったCDショップも営業してましたが、通りから見るとアルバイトらしき店員がいるだけのようなおで、中には入りませんでした。

無事に復興へと歩んでいる様子に勇気づけられて女川へと向かう。壊滅状態となった石巻の海岸地帯は前回は日和山から遠望しただけだったが、今回間近にみても凄まじいとしかいいようがなく、復興は手つかずの状態で、重機が瓦礫の山を作っているだけである。

女川までの途中は、地形的な問題からか、海から近いところでも津波の被害を受けていない所が多く、なぜJR線は不通になっているのかと思ったりしたものだが、女川に着くと、そこはまさに廃墟のようであった。

女川から先はめっきり車も少なくなったものの、アップダウンが激しく、雪も降り出してきたこともあり、ペースははかどらない。途中に島のように張り出した半島があり、道も一週しているようなので、「日本列島海岸線踏破」の趣旨からすれば行くべきなのだが、道の整備状況もわからないし、時間もかかりそうなので、スキップと決め込む。

いくつかの峠を超えて長い坂道を下ると、そこは北上川であった。道はしばらく川に沿って海を目指す。ここは川に沿った津波が奥深く猛威を振るったところである。この付近もボランティアで出かけたことがあるところだったが、車で行ったことでもあり、場所はよくわかっらなかった。

道はようやく海に達し、また海岸沿いの道に戻ったが、南三陸まではまだまだ遠い。気仙沼までは今日じゅうにはとても無理で、せめて南三陸まではと目標を切り替える。

やがてあたりは暗くなり、みぞれの中、寂しい道を進んで行くと、遠くの海岸線に多くの明かりが浮かんでくる。きっと南三陸の街の明かりに違いない。その中にひときは明るいものが望まれる。きっと大きなホテルだろうが、壊滅状態といわれる南三陸にそんな大きなホテルがあるのだろうか?しばらく進んで行くと明かりの正体は街外れの高台にある温泉ホテルであった。特別温泉に入りたいとも思わなかったし、街まで降りてビジネスホテルにでも泊ろうと、街におりてみるとそこはまさに壊滅状態でビジネスホテルはおろかお店の残骸さへ見当たらない。かろうじて土台は残っているが、テントはどこでも張りたい放題なものの食料の調達もできない。それにここにテントを張ると、津波に流された人たちの霊に取りつかれるような気がしないこともないし、なによりも被災地にお金を落とすことが大事だと気づいて、坂を登り直してホテルに戻る。幸い部屋は空いていたので、温泉でのんびりする。

Cimg3019

南三陸中心部(後方左奥は泊まったホテル)

翌日は中途半端で気仙沼までしかいけそうもないのでのんびりする。朝日でもと思って二階の露天風呂に行くが、あいにくの天気で日の出はみられず、雪が舞っている天気で気が重くなる。

8時過ぎにホテルを出るが、気仙沼までは40キロちょっとなので午前中には着くだろうとたかをくくって、幹線道路をはずれて海沿いの細い道を行くと、これが凄まじいアップダウンの連続で何度も自転車を降りて引いて行く羽目に。ようやく幹線道路に戻っても、

アップダウンは程度の差こそあれ相変わらずで、おまけに整備不良とブレーキ部分が濡れているためかブレーキの効きが悪く、路面が濡れていることもあって、下りも安全運転でのろのろ行くために結構時間がかかってしまう。ちんたら進んでいると、長野県警のパトカーが追い越して行く。なんで長野県警?凶悪犯人でも追跡してきたのかと思ったら、停車したパトカーから降りてきたおまわりから職務質問を受ける羽目に。こんな時期に北国をツーリングする奴もいないだろうから無理もないかもしれない。

その先から合流したJRの気仙沼線は橋という橋がすべて流されているが、復旧工事は全く行われておらず、開通の見通しは当分ないのであろう。復旧には優先順位を決めて当たらなければならないだろうが、南三陸の壊滅状態を目の当たりにすると、JR開通の遅れもやむをえないかという気もしてくる。それにしても南三陸の状況は深刻だ。石巻や気仙沼の場合は中心街の大部分は比較的高台にあるため壊滅的な被害を受けていないのに対して、南三陸の場合は地形的に海岸近くしか平地がなかったためだろうが、中心街が壊滅してしまっているので、復興には相当長期を要することになるだろう。

気仙沼市街地には1時過ぎにようやく到着。駅とは反対側の海べりに向かう。海岸沿いの惨状は昨年の6月と全く変わっておらず、復興は進んでないようだが、ただひとつ前進といえるのは、漁港近くに仮設の屋台村が出来て、観光客をそれなりに集めていることである。私もそこで三色まぐろ丼を食してから駅に向かった。

今回は予定していた気仙沼でのお手伝いしたお家の復興状況の確認や復興ファンドの拠出先の見学は時間がなくてできなかったが、前者についてはお店でないので、あまり確認のしようがないこともあるし、後者は3月に工事着工ということで、今行っても見るべきものはないであろうから、次回以降ということでよしとしよう。

Cimg3022

Cimg3013

Cimg3010

|

« 日本人は何を考えてきたのか | トップページ | 3時間走 »

自転車」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 被災地を訪ねて:

« 日本人は何を考えてきたのか | トップページ | 3時間走 »