反原発デモ
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体力的に完走できる自信がつき、大きな反省点はなかったが、あえて挙げるとすると、走行時に後輪で異常音がしたのにしばらく放置していたため、気付いた時にはサイドバッグの上のポリタンクが落ちかかっていたことである。ポリタンクの固定方法には検討の余地があることと、異常音への早めの対応が必要なことを感じた。
テントが破損したことは本番での悲劇を未然に防げたという意味では良かったと思っている。
予期せぬアクシデントへの対応という点では、先日、自転車のオーバーホールの際にはあえて必要はないとしてやらなかったタイヤとチェーンの交換もやってもらうことを自転車屋に頼んでおいた。またバッグをぶら下げる後輪のキャリア破損に備えて、前輪にも予備のキャリアをつけてもらうことにした。
万全を期することはできないが、考えられるリスクは多少の費用はかかっても取り除いておきたいと思う。なお、今回のロッキー横断のスケジュール等を以下にアップしておきましたので、よろしかったらご覧ください。
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いよいよ最終日である。釧路空港までの70キロ強の行程であるが、ほとんどが下りの比較的楽な行程である。
朝食前に近くのオントネー湖まで行ってみる。青い神秘的な色をした湖が背後の雌阿寒岳や阿寒富士の山容とマッチしてなかなかよいところである。
朝食後に帰途に着く。足寄峠までのちょっとした登りを頑張れば、後は快適なダウンヒルの始まりであるが、その前に阿寒湖に立ち寄り、マリモ入り?ソフトクリームを賞味する。ダウンヒルといってもさほど急な下りではないのであまりスピードはでない。まあ今日は時間はたっぷりあるので、ゆっくりでもかまわないのだ。
飛行場に近付くと、右側に小高い丘が見える。まさか空港はあの上ではと思ったらやはりそうだった。登り自体は100メートルもないのだが、もう登りはないと思っていたので、最後の登りはとてもつらかった。
今回は7日連続で自転車を漕ぎ通せたことが、ロッキー横断に向けての大きな自信になった。また長期のツーリングに際しての問題点がいくつか明らかになったことも有意義であった。
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20キロ離れた遠軽駅の始発に間に合うように早朝に出発。結構時間がかかり、ギリギリでセーフとなったが、毎度のことながらハラハラさせられる。
美幌で下車して、雌阿寒岳登山口までの標高差700メートル、距離60キロの道のりを行く。
今日は北海道に来て初めての夏空でようやく雨具なしで行動できる。
ひたすら我慢の登りで釧路市との境の釧北峠に着く。ここからさらに標高差100メートルを登らなければならない。途中で前方に望める雌阿寒岳に慰められながら4時過ぎに登山口に到着。山を登るには遅い時間ではあるが、急いで登れば、クマの活動が活発となる暗くなる前には降りてこられ_そうなので、すぐに登りだす。
樹林帯を抜けて岩綾帯に入ると広大な眺めが広がり、急いで登るには惜しいところである。頂上からは周辺の火山の異様な景色が見られていつまでいても飽きないが、時間がないので、写真をとってすぐに下山する。
下りも樹林帯まで来ると、暗くなりかけてきたのでクマよけの笛を吹き続ける。
登山口にはほどなく着いたが、これからどうしたものかと思案する。予定では少し離れたキャンプ場まで行くつもりであったが、折れたポールでぶざまなテントを人にみられるのもいやだったので、この温泉に泊まることにする。時間的に夕食は無理とのことなので、夕食は外で自炊することにした。暗闇の中でガスコンロをつけたりして、他の泊り客からは変な人だと思われたかもしれない。
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水平線からの日の出を期待して、目覚めると同時に外を覗いて見ると、一面厚い雲に覆われてガッカリする。
出発して、しばらく自転車を漕いでいると、後ろから追いついてきた若者は、一年近く日本一周を続けているそうである。しばらく話ながら並走したが、彼がコンビニに立ち寄ったので、また独り旅となる。
雄武という町で観光まつりをやっていたので立ち寄る。ちょうどお昼時だったので出店している海産物を買い食いして昼食代わりとする。
今日は紋別まで行ければいいやと思っていたが、順調に進めたので、サロマまで行くことにする。今日はサロマウルトラ100キロレースの日である。私も以前出場したことがあり、懐かしいので出発地点の会場に行ってみる。そこにはレースを終えた選手のテントがたくさん張ってあったので私もテントを張ることにする。ところが、私が張っていると、鈍い音とともにポールがおれてしまい、テント本体にも損傷か生じる。応急処置で今夜はなんとか済むが、買い替えなければならない。それにしてもロッキー横断中に起きなくてラッキーであった。
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今日は家内は旅行最終日でランチを宗谷岬で一緒にするという予定だったので、まあ2時間もあれば着くだろうと9時前にゆっくりと出発。ところが、荷物が重いのと、向かい風のために自転車が進まず、予定の11時を40分も遅れてしまう。急いで食事をしてから、最北端のツーショットを近くの人にとってもらう。最南端の佐田岬のツーショットもいつか撮れるだろうか?
帰路に向かう家内と別れてオホーツク海の南下を開始する。向かい風ではなくなったのはよいが、海沿いの道から山間部を行く道になったため、アップダウン気味になるのは嬉しくない。それに山の中だと、熊がでやしないかと気味がわるい。やがて海沿いの道に戻ったが、遠くの砂浜にアザラシのような死体が横たわっていて、鳥が群がっている。しばらく見ていると、後ろから1人の若者が自転車に乗ってやってくる。私と同じキャンプ場を目指しているとのことて、先に行ってもらう。しばらくして私も後を追う。だいぶ先の道の駅で先行者は休んでいたので、再び私が先行する。その後、私が大休止しても彼は姿を見せないので、恐らく予定を変更してどこか手前で泊まることにしたのだろう。
予定のキャンプ場までは遠くて、すっかり暗くなってしまったが、おそくなってもいいからいくつもりでいた。ところが、10キロぐらい手前に海に面した小高い公園かあったので、気が変わって、そこにテントを張ることにした。素晴らしいロケーションなので、明日の朝が楽しみだ。
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利尻島を朝のフェリーで出て稚内に戻り、30分後にJRに乗り込むという慌ただしい予定で、自転車のフェリーターミナルでの組み立てと駅での分解作業が重なってギリギリで電車に乗り込む。
豊冨で下車してサロベツ原生花園に向かおうとするが、家内のためのレンタサイクルは見あたらなかった。1日数本あるバスは1時間以上の待ち時間があるため、自転車に二人乗りで行くことにする。バス待ちをする中国人グループの声援を受けて出発するが、それに先だって家内に体重を聞く、。ウ~ム、私より5キロも重いではないか。いつの間に太ったんだ!
最初はぎこちなかった二人乗りもすぐに慣れて、原生花園にほどなく着く。礼文ほどの多くの種類はないが、エゾカンゾウ(本州ではニッコウキスゲ)の広大な湿原に広がる群落の見事さは、尾瀬をはるかに凌ぐ気がする。これで利尻・礼文・サロベツ国立公園の全てを回ったが、前二者の賑わいと比べて、サロベツ源野の静けさはどうしたことなのだろう。
路線バスで駅に戻る家内と別れて日本海に向かう。途中の花の美しさは原生花園を凌ぐほどであった。海岸線のオロロン街道に出てもすぐに稚内方面には戻らず、天塩方面に向かう。昨冬オロロン街道を歩いた時は、手前で豊冨方面にコースを変更してしまったため、分岐点まで戻って、海岸線一周のコースを繋げることにした。分岐点まで戻ると、昨冬は季節風にたたかれて辛かったことや、震災と原発事故直後で暗澹たる気分であったことが思い出された。
思い出から戻って、稚内目指してのツーリングを開始する。海沿いの草地にはところどころ原生花園に匹敵する花々の群生が見られて楽しませてくれた。
稚内には19時半過ぎに帰って、家内と待ち合わせて食事をしに出かけるが、駅周辺の飲食店はほとんど閉まっているので、やむをえずコンビニでテイクアウトを買って、ホテルで食べることにする。島では民宿風のところばかり泊まっていたので、やはりホテルは快適である。
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午前中は礼文をバスで観光、午後は利尻に移動して、自転車で島内一周をしてきました。
礼文は風が強くて、厚手の服を持ってこなかったために、寒さに耐えなければならなかった。もっともシーズン真っ最中の礼文の花の見事さは寒さを補ってあまりあるものであった。ベテランのガイドの巧みなガイドぶりも楽しさを倍加させるものであった。
利尻では観光バスを利用する家内と別れて島内一周のツーリングに向かう。右手には山頂付近こそ雲に覆われているものの、どっしりした山容の利尻岳、左手には日本海の青い海を眺めながら進むツーリングは快適そのものである。
ただ距離は60キロ程度と大したことはないのだが、強い風には難渋し、特に向かい風の時は大幅にペースダウンを余儀なくされ、夕食開始の6時に30分遅れてペンションに到着する。
これで今回の旅行のハイライトは無事終了。明日予定のサロベツ原野に行けるかどうかは天候次第なのだが
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家内と一緒に礼文島に来ています。
台風襲来でフライトキャンセルかとやきもきしたが、移動スピードが早かったのが幸いして、無事に稚内に降り立つことはできた。
家内との旅行後に北海道縦断ツーリングを予定しているため自転車を持参しているので、バスで行く家内とはフェリー乗場で落ち合うことにしたが、フェリー乗場付近には飲食店がなかったため駅前に戻り、名物のチャンチャン焼きを食す。食事が終わってもフェリーの出航時間までは2時間以上あったので、家内はレンタサイクルを利用して一緒に野寒布岬に行くことにする。
20分ほどで着いた岬は観光客もまはらでさひれていた。利尻と礼文はぼんやりとは見えたが、サハリンを望むことは出来なかった。
ここまでは調子よくきたので、同じ道を戻らずに半島を一周して戻っても十分に間に合うと判断る。ところが最後に峠を越えて稚内に戻るところで、大した登りではないのだが、家内が歩きだしてしまったためペースダウンし、少々焦ってしまう。
結果的には、ある程度は余裕のある時間にフェリー乗場に着くことができた。その後、約2時間の船旅で香深に到着して、港近くの民宿で旅行1日目の夜は更けていった。
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野田首相の消費税増税と原発再開への対応についての無定見ぶりには全く呆れ果ててしまう。
もちろん日本の財政再建のためには消費税増税が不可避であることは当然であるが、それには行財政の改革等の国の基本政策の枠組みと併せて考えるべきであるのに、懸案を全て先送りして増税ありきで突き進むのは、財務省の言いなりになっているとしかいいようがない。また民主党は消費税増税はしないということで政権をとったのだから、増税やむ無しとなった場合には国民に必要性を十分説明して、信を問うのが筋である。
原発再稼働については正当性は全くない。原子力は人間がコントロールできない悪魔である。たしかに電力不足は深刻な問題であるが、多くの試算を総合すると、節電努力と電力会社間の融通で最も深刻と言われる今夏の関西圏でも乗り切りは可能な見通しなのだ。仮に百歩譲って、限定的稼働が必要だとしても、限定稼働という方針はあくまで拒む野田首相は、原子力施設の減損処理による債務超過だけは避けたいという電力会社の意向を代弁しているとしか考えられない。国民のためといいながら、原発の限定稼働でなく本格的な再稼働に舵を切るのは論理矛盾としかいいようがない。国の政策に従ってきた電力会社をある程度救済する必要は認めるが、それには廃炉を前提として簿価以下の分割払いで国が買い取る等の方法によるべきだろう。
今日はいつものブログとは趣が異なってしまったが、言わずにはいられなかったのであえて書かせてもらった。
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茨城・福島県境ツーリングから帰った翌日に、チューブを水に入れてパンク箇所を調べてから該当部分のタイヤの裏側をチェックしてみたのだが、素人目では異常は発見できなかった。そこでやむをえず、自転車屋で調べてもらうと、さすがにプロである。タイヤに突き刺さっている微少な突起物を見つけてくれた。今までこんな目にあったことはなかったのだが、アメリカに行ったら大都市は別として、自分の回り100キロ以内に自転車屋はないのが普通でしょうから、自分自身で対処しなければいけなくなるのだ。今までは、パンクしたらチューブを交換すればいいやと多目にチューブを持っていけばよいと考えていたが、今回のようなケースだとパンク箇所を特定して、該当箇所の極小異物の取り除きもしなければいけなくなるので、布バケツとピンセットは必携であると感じた。
今までは現地でツーリングするに際しての情報を調べていたのだが、出発が近づいてくると、自転車を無事に現地まで送るのにも様々なハードルがあることがわかり(国内のフライトであればどうってことはないのだけど)、少々焦りはじめている。現地で自転車を購入した方が楽ではないかとも思えてくる。
一夜明けて、今日はいい天気となったので、午前中は庭の後かたづけをした後、午後からトレーニングとして都内の激坂巡りに出かけてみる。
ネットで調べて勾配が20%以上のところをハシゴしようというわけである。
まずは目白の先の富士見坂(もしかしたらのぞき坂かもしれない)である。
正面から見た時はジェットコースターの斜面のようにも思えて一瞬たじろいだが、実際に登ってみると、24段変速の一番LOWにすれば、さほどのことではなかった。関東一の激坂といわれる和田峠の勾配が12~3%だから、それよりも10%近くきつい勾配なのだが、なんといっても距離が短いので、ママチャリでなければ楽勝である。その後も周辺のいくつかの坂を登ってみたが、真ん中に階段があって自転車の登路が極端に狭い坂を除けば特に問題なく登れる坂ばかりであった。
ネットの情報では他にも激坂といわれる所がたくさん紹介されていたが、どこも似たりよったりだろうから、わざわざ足を伸ばすまでもないだろうと帰宅してしまった。
たいしたトレーニングにはならなかったので、夕食後に近所を10キロばかりジョギングしてきた。今夜もビールがうまい!
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ロッキー横断のトレーニングで茨城・栃木と福島県境付近の道のツーリングと県境上のピークいくつかの登頂を4日間の予定で計画したが、行程の遅れと天候悪化や自転車の不調から二日間で切り上げ、茨城福島の県境のみに終わってしまった。
始発のスーパーひたちを勿来で下車して、勿来の関に向かう。前も行きかけたのだが遠くて諦めたところだが、今回は無事行ってこられた。源義家が奥州出陣の際に立ち寄ったということでたてられている立派な像が目を惹いた。
勿来の関から先は茨城県に入って県境近くの道を西に進むのだが、思っていた以上に行程が長く、夕方になってようやくコンビニのある所にたどり着き、遅い昼食兼夕食のコンビニ弁当を食べる。予定では八溝山を越えて白河までだが、この時間となっては無理な気もする。ただテントも水食料もあるので、駄目なら途中でテントを張ることにして予定通り出発する。
一時間ばかり登り坂を進むと、左手に予想してなかった太子町への分岐点が現れる。GPSで確認すると、頂上まで伸びている林道の一つ手前の林道にいるではないか。この林道は行き止まりのようなので引き返すしかない。最初は時間も時間だし、八溝山は諦めて大回りして白河に行くつもりであった。ところが、正しい林道の分岐点まで来ると急に気が変わり、正しい林道から八溝山を目指すことになる。
林道はすぐに通行止めの標識が現れ、そこから先は舗装がなくなってダートとなる。さほど急な登りでもないので、マウンテインバイク仕様の自転車はゆっくりながらも進んでいける。そのうちに後ろのタイヤの振動が激しくなってくるので降りて見てみると、パンクしたらしい。こんな夜道で修理はできないので、道端の草地にテントを張って一夜を明かす。
翌朝は早朝から行動を開始する。しばらくは悪路と急坂が続くので、パンクしたままの自転車を引っ張って登っていく。頂上近くになって傾斜が落ちてきたところで、パンクした後輪のタイヤからチューブを外して新品と交換する。チューブ交換自体は何回か経験があるので、さほど時間がかからないが、後輪の方はチェーンの脱着があるので結構時間がかかってしまう。
再び自転車に乗って坂道を上っていくと、しばらくして茨城県側からの舗装路にぶつかり、快適な道を伝って八溝山の頂上に向かう。八溝山1022メートルは茨城県の最高峰であり、県内唯一の1000メートル峰であるが、頂上直下まで舗装道路が続いている珍しい山である。頂上に3階建ての展望台があり、関東平野から谷川岳や浅間山の遠望が見られるとのことであるが、今日は靄がかっていて山の姿はボンヤリとしか見えない。
八溝山からは白河を目指して快適なダウンロードが開始する。と思ったのも束の間で、途中で舗装はなくなり、ガタガタ道を降りることとなる。そのうちに後輪の振動が激しくなってくるので確認すると、またもやパンク状態のようである。空気を入れるとしばらくは持つが、1時間くらいでまた空気を入れないといけない状態なので、おそらくはタイヤの裏側に小さな異物があって、それがチューブを傷つけているのではないかと考えられる。家でよく点検して、それで駄目なら自転車屋で見てもらうしかないので、白河から栃木・福島県境方面に行くのは諦めて、早めに帰宅することにした。まあこのトラブルがなくても、行程の遅れで当初の計画続行は無理っぽかったのだが
このまま白河から帰ってしまうのは勿体ないと、白河の関に寄っていくことにする。勿来の関とならぶ奥州三関の一つで、かの松尾芭蕉も奥の細道の途上、わざわざここまで寄り道をしている。もっとも私が奥の細道を歩いた時は、日数の関係で割愛してしまったので、今回が初めての訪問ということになる。三関の残りで日本海側にある念種の関も機会があったら行ってみたいものである。
白河の関からは、峠を越えて栃木県に入って黒磯駅から帰ったが、黒磯駅の手前で夕立につかまり、雨具を着ててもしみこんでくるような激しい振り方であった。
今回は中途半端な形で終わってしまったが、ロッキー横断のトレーニングと事前準備という点ではそれなりの成果はあったといえよう。
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予定では城ヶ崎であったが、低気圧の接近で悪天が予想されたため、低気圧から遠い内陸部ということで日和田に変更する。
高麗の駅に着いた時には小雨が降っていたが、とりあえず岩場に向かう。
さすがにこの天気では岩場もガラ空きである。女岩のハングにトップロープを張って日本のフリークライミング発祥のルートのひとつである左ルート(10b)に取り付くが、雨でホールドが濡れていて登れる状態ではないので、アブミの練習に切り替える。
午後からは晴れ間も見えてきたため、左ルートが乾く間、男岩の南面で数本登ったが、上部は乾いていたが、下部は滑っていてちょっといやらしかった。
その後、女岩に戻って左ルートにトライするが、まだ多少濡れていてイレブンくらいに感じる状態だった。
天気が悪い割にはアブミやチムニー登りの練習までできて充実した一日でした。
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