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2012年7月

2012年7月30日 (月)

がら空きのキャンプ場

7月29日(日)

今日は40号線の登り下りに終始した一日であった。夕方ドウシンシェのキャンプ場に着くと、初めて満員の表示がでてなかった。それどころかがら空き状態で、キャンピングカーは何台か停まっていたが、テントが張ってあるのは私のものだけである。国際的な観光とであるヨセミテは別として大都市から遠いキャンプ場はこんなものなのだろうか?それに週末じゃなかったし。
Photo_5 こんな広い敷地を一人で占領

食料は持っていたが、昨日からろくなものを食べてないので町に食べにいったのだが、10キロ以上離れていてなかなかたいへんでした。
今日までの行程は1日遅れです。予備日が実質4日あるのでなんとかなるとは思うが、奥に入りすぎると戻るのに日数がかかってしまうので、明日はとりあえず前進し、その後の行動はその時点で考えよう。

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ロッキーの大きさに圧倒される

7月28日(土)

ロッジを出ると地元の自転車乗りが多数見られた。坂道を喘ぎながら登る者、猛スピードでダウンヒルする者と様々だが、後者は峠を越えてきた者だと思いこんでいた。ところが私も喘ぎながら登ってみると、道はスキー場で行き止まりになっているではないか。皆折り返してダウンヒルしていたわけだ。
ただトレイルが上の方まで続いていて、観光客が登って行くので、もしかしたらこのまま反対側まで降りられるのではないかと考え、空身で偵察してくる。残念ながらトレイルは池までで、そこから先はとても自転車で行けるところではなかった。
Photo_3

罠にはまってしたと一瞬思った。登り口まで戻って、一日余計にかけて南側から回り込むしかないかと思ったのだが、スキー場のすぐ下に分岐点があるのを思い出し、地図で調べてみると、そこから向こう側に降りられることがわかって一安心。さっそく行ってみると峠の高さは2830メートルもあり、昨日の登り口からは1300メートル以上もあった。前山でこれだけ登らさせられるとはロッキーのスケールは大きい。
その後は迷いながらも40号線にでる。あとはゴール近くまでこの道を行くだくけだ。もうGPSは不要か?
この日の晩は、道路からは見えず、横に小川が流れている絶好の場所を見つけたのて、そこにテントを張ることにした。
Photo_4

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後半戦初日

7月27日(金)

ソルトレイクには1時間の時差で6時半に着いたが、空はどんより曇っていた。まずは自転車が無事であるかどうかを確認し、出発の準備をはじめたところ、どしゃ降りになってきたので出発を一時見合せしてブログ書きをして時間をつぶす。9畤過ぎになって雨もやみ、晴れ間も出てきたので出発することに。ところがGPSが使えない悲しさで現在位置がわからない。バスターミナルは鉄道駅と隣あっているのだが、まわりは工場や倉庫ばかりで民家や商店が全くない。手持ちの地図には鉄道関係の表示が全くないが、市のはずれではないかと推定される。今日のコースは市の南東部から山の方に向かうので、とにかく南の方に進んでみる。すると商店が現れ出し、街区表示から現在位置もわかってくる。遠くに見えるロッキーの山波は前山だというのに、今までと違って荒々しい。
山裾を走る道まではなんとか来られたが、そこから山への入口がわからない。そこで山波が一番切れている部分を目指して行くと、山越えの道があった。
最初、山稜を刀で切ったような所を縫って道が進み、登りもほとんどなかったので、このまま向こう側まで行けるのではないかと期待したが甘かった。道は緩い傾斜が果てしなく続くようになり、一度平原に出たので、峠は近いかと思いきや、また登りが続いていく。
間もなくキャンプ場に出たが、ここも満員である。道沿いにかなり上の方までテントが張られていたので、相当な収容能力であるが、それでも満員になるようでは、これから先も正規のキャンプは難しいのかなという気がしてきた。とにかく次のキャンプ場まで行き、ダメなら野宿だと思っていたところ、ロッジが現れ意外にも泊まれるという。夜行バスでよく眠れず野宿は避けたかっただけにありがたかった。
チェックインの前に夕食の注文を聞かれ、適当に二皿頼んだら、山のような量で驚いたが、なんとか平らげた。

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2012年7月29日 (日)

前半戦の総括

事故やたいしたトラブルもなく、ほぼ予定どおりにスケジュールを終了できたことを喜びたい。
トラブルの最大のものはGPSの不調で、一時は計画の変更まで考えたが、長年山で鍛えた?現在位置確認能力のお蔭?でなんとかなりそうだ。次にはカメラのレンズ開閉部の故障である。前にも修理した箇所であるが、自分自身の記録用としては携帯でも代用可能か?給水パイプがタイヤとこすれて小さな穴があいてしまったので、ビニールテープで補修したが、テープの接着剤が水にとけないかが心配だ。まあ直ちに健康に影響がでるレベルではないとしておこう。自転車の前輪につけた予備の荷物台を固定するボルトのナットが緩んで外れて紛失してしまった。こちらも直ちに問題はないのだが、登り坂でゆっくりと登りながら路面を見ていたらナットが落ちており、ちょうど良いサイズのものがあったので、それで代用できている。
体の方と自転車本体には全く問題はない。ただ疲労は蓄積してるだろうし、予備日もそこそこあるので、適当な所で完全休養をとっていきたい。
ヨセミテについては覚悟していたのだが、他のキャンプ場も予約がないと遅い時間に行ったのでは空いてない状況だ。この時期にアメリカできままな放浪をすることは無理なのだろうか?

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2012年7月28日 (土)

リノの一日

7月26日(木)

今日は特別行きたい所があるわけでもないので、ゆっくりと出掛ける。市内と郊外を回ってみるが、さしたる見るべきものもない。本当にリノはカジノだけの町である。
Photo_2リノアーチ

バスターミナルには随分と早めに着いたが、キップも買ってあるので、そのまま乗れるのかと思って、荷物を乗車口に置いて、待合室で待っていると、キップ売場は長蛇の列になる。念のために、乗車口に置いてある他の荷物を見ると皆タグがついている。やはりチェックインが必要なのかと荷物を持って行列に並ぶ。
私の番がきたが、自転車の料金として乗客料金に近い金額を請求される。昨日確認した時には自転車料金は不要だと言われたと抗議したが、オーバーサイズだと言われたので、仕方なく支払う。これで後半戦に進むことが出来る。

車内は満席ということもなく、持ち込み荷物は隣の座席に置ける。Wi-Fi+コンセントということであったが、そんなものはなく、携帯からブログの投稿を行う。投稿が終わった頃には日付が変わり、バスはソルトレイクに向かって行く。

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リノ到着 前半戦終了 その2

夜行バスがあるので、できればそれに乗りたいと思っていた。ただ、この時点では十分間に合うと思っていたので、それほど焦ってはなかった。だが市内中心部までは意外と時間がかかり、バスターミナルがあると思われる一角には出発1時間前にようやく着く。それからは人に聞きまくたが、なかなか場所わからず、出発20分前にターミナルに着き、キップを買おうしたが、荷物の積込があるので今からではダメだと言われて諦め、翌日のキップを買ってから宿探しを始める。ターミナルの近くにはモーテルがたくさんあったので、適当な所に決める。今まで泊まっていたホテルの三分の一の安さである。
リノといえばカジノである。ギャンブルには興味はないが、一応は何軒かは覗いてみる。
Photo
リノのレストランはほとんどカジノの店内にあるようだが、あの雰囲気の中で食事はしたくないなと思っていたところ、すしはーというのを見つけたので足をとめてみた。ところが服装がどうのこうのと書いてあるので、そこもやめて近くの中華料理店で食事した。いずれにしてもこちらにきて東洋系の食事は初めてである。

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リノ到着 前半戦終了 その1

7月25日(水)

うっかりして寝過ごしてしまった。すっかりあかるくなっている。3日連続で湖の畔で泊まったが、前二回のホテル泊まりに対して最後の野宿が一番熟睡できたとは皮肉なものだ。
住人にさとられないように素早く仕度して湖方面に降りていく。途中で昨夜犬に前進を阻まれた道に戻って登り出す。すぐに別荘の住人と思われる老夫婦に出会ったので、リノに行く道かどうか聞いて見ると、ここではなく昨日敗退したフリーウェイのことをいっているようである。フリーウェイはともかく、この道が違うのならば降りるしかない。
全くもって蟻地獄にはまってしまったようだ。人にとってリゾート地というのは極楽のようなものなのだろうが、今の自分にとってはいかにリゾート地獄から脱出するかが最大の問題である。
湖近くまで降りて途方にくれていると、ビジターセンターを見つけ、間もなくオープンしたので、リノまでの道を聞いてみる。するとやはり何度も行きかけた例の道を行くらしい。ただ登りが非常にたいへんらしい。それよりも昨日私が通ってきた道の方が楽であるという。あのフリーウェイは自転車通行可能なのだろうか?でもそれについては聞いてみる気も起きなかった。
これでリゾート地獄脱出の目処がたってきた。昨夜の疲れで朝から足が全く動かなかったのが、また元気が出てきた。昨夜とおなじ600メートルくらいの登りは覚悟していたが、実際はさらに多い700メートルの登りであった。これで前半のゴールのリノまでもう登りはないのだ。
峠から下り初めてすぐに、重装備であえぎながら上ってくる自転車野郎と出会う。日帰りの身軽なサイクラーは別として今回初めての同好の士との遭遇である。お互いに健闘を称えあって、片手をあげて合図しながら通過する。
町まで一気にダウンヒルをしていると、調子に乗ってフリーウェイに紛れ込んでしまった。広い路肩を進んでいる分には問題はないのだが、右方向からの路線と合流するときは猛スピードで通過する車の列を横切るので、車の流れの切れ目が来るまで、かなり待たなければならない。パトロールに見つからないうちにフリーウェイの最初の出口から一般道に降りる。GPSが使えないので現在位置がわからない。フリーウェイを走行中は周りの景色を眺める余裕はなかったが、インターチェンジを通過した記憶があるので、市内中心部を通り過ぎてしまったのではないかとも錯覚したが、はるかかなたの北方には高層ビルがぼんやりと見えるので、市内からはかなり南にいることがわかり、北上を始める。

続く

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2012年7月27日 (金)

多難な1日 その2

やがて時間は9時近くなり、辺りがくらくなってしまい、600メートル近く登った時に峠に達したことを確信した。というのは西の空にわすわかに残っていた残照がカーブの先から洩れていたからである。
峠で軽い食事を摂り、防寒具を着こんでから下りはじめるが、あまり急な下りではない。タホ湖自体の高度がそこそこあるようだ。
途中で湖の南と北に行く道が別れるが、勿論北の道をいく。湖によらずに北上する道はないようだ。
やがてタホ湖に到着したが、思っていた以上の高級リゾート地で、こんな遅い時間に着いて、気安く泊れるホテルなどないようだ。仮にあるとしても数時間の滞在のために数百ドルも払うのは馬鹿らしい。ずっと西の方へ行けばキャンプ場はあるようだが、こんな時間にキャンプ受付をしているはずもなく、不法キャンプとして問題になるのもいやだ。となると野宿しかない。リゾート地のど真ん中で野宿するのは論外なので、どうせ明日はリノに向かうのだから、途中の適当な所で野宿をするつもりだった。地図と磁石で目星を着けた道を登り出すが、すぐに犬の遠吠えに前進を阻まれる。明らかに私の存在を知察してのものと思われる。恐らく外には飛び出さないようになっているのだろうが、狂犬病の予防接種をしそこなっているので、暗闇での犬との対決はしたくないと退散する。やむを得ずもう少し西の方向からのぼりだす。この道がリノに行く道に繋がっているかどうかはわからないが、とにかく人里離れたところまで行く必要がある。ところがいくら登っても一向に人里離れない。どうも別荘地開発の道に踏み込んでしまったようである。当然行き止まりまでいっても人家はある。そこで道端の雑草に隠れるように野宿する。お巡りに見つかれば、公共の福祉に反するとして処罰の対象になるかもしれないが、道端なんだから個人の権利を侵害しているわけではないのだと思いつつ野宿する。

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多難な1日 その1

7月24日(火)

今日はタホ湖までの比較的短い行程であるが、グーグルマップで調べておいた湖への近道が果たしてわかるかどうかが気がかりだ。
一つ峠を越えた先にあるはずの近道の分岐点が判然としない。それらしき道もあったのだが、GPSがつかえないため確信がもてない。それでタホ湖に行くのは諦めて、リノ直こうに予定変更する。これなら今日中にリノにつけるかもしれない。
今日は朝から30度を越える暑さで2時間近くはしりつづけていたら、頭が少しふらつく気がした。熱中症の前兆と感じて、雑貨屋で買い物をしてから屋外の木陰のベンチでしばらく休むと元気も回復してくる。途中にあるカジノの多い町で一度道を踏み外してしまうが、地図とコンパスでなんとか正しい道に戻れた。GPSがなくてもなんとかなるものだ。それにしても南のラスベガスから北のリノに挟まれたこのあたりはカジノの多い所だ。
道はこのあたりでは比較的大きな町であるカーソンシティを過ぎて、タホ湖への道を分けると、いよいよリノが間近となる。
リノまで数10キロの距離に迫り、前半部完走の祝杯を上げようかなと考えていると、なんと目の前にはフリーウェイが立ちはだかっていて、今までの道がそこに吸収されていくではないか
路肩は一車線以上の広さがあって自転車走行には危険はないし、入口には自転車進入禁止の表示もない。グーグルマップの自転車モードでも、この道がコースになっていた。ただ自転車モードはベータ版で完璧でないとの注意書はあったし、初日にフリーウェイでパトロールにつかまった悪夢が蘇り、急ぐわけでもないしと、今来た道を戻ることにした。
フリーウェイ以外にも北上する道はないかと探したが、すぐ西側には山が迫っており、あの山を越えないことには埒があかないことがわかった。だがいくら戻っても山を越える道には出会わない。
ついにはタホ湖への分岐点までもどってしまった。やっぱりタホ湖まで行くことになるのか。でも途中で北上する道に出会ったら、そちらの道を行くつもりだった。
この峠がどのくらいの高さを登るのかわからなかったが、今まで越えてきた峠が、シエラネバタ山脈以外は300メートル程度だったので、今回もそんなもんだろうとたかをくくっていた。その高さまでは辛抱していたが、その後はカーブにさしかかる度に峠ではないかと期待したが、毎度裏ぎつづけられた。

続く

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2012年7月26日 (木)

リノ到着の報告

続が不調なため、携帯から投稿しています。
ここまで来るのにも、一筋縄ではいかないことがたくさんあったのですが、それはPCから接続できるようになった時までお待ちください。

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2012年7月24日 (火)

順調な一日

7月23日(月)

アメリカに来て初めての雨中走行となった。といっても、一日中ふられたわけではなく、朝から昼過ぎまでお天気雨というのか、ザーと降ってすぐ止むということの繰り返しだ。そのためカッパはつけっぱなしだったが、汗もかかずに快適だった。

今日は70キロ程度の距離であり、途中たいした登りもないので、ブリッジポートのホテルを10時過ぎにゆっくりと出る。今日はトラブルらしいトラブルもなく順調に推移したが、誤算だったのは、ソノラという地点をお昼時に通過する見込みだったので、レストランでもあれば食事をしていこうと思っていたところ、お店どころか民家もないところで、持参のビスケットがお昼となってしまったことである。

今晩の泊まり場としていたトッパーズの手前の町を通ると、空き室ありの表示をつけたモーテルがたくさんあったので、少し心が動いたが、一応予定どおり、トッパーズまで行くことにする。
ところが、トッパーズについてもホテル皆無であった。きっと湖の方にあるのだろうと、先に進むと、ホテルがあるにはあったが、空き室なしとなっている。さきほどのモーテルまで戻る気はしなかったので、いざとなれば野宿も覚悟の上で先を進むことにする。遠くからでも車がたくさん止まっているのが見えたのは、近づくとカジノであることがわかる。さらにその向こう側にホテルらしきものが見えるので、表口から入ろうとすると、鍵がかかっていたので、廃業したのかなと思ったが、客室の窓から客が顔を出していたので、裏口に回ってみると、そこが受付で宿泊可能ということがわかりほっとする。これで野宿を免れた。それどころか湖が見渡せる素晴らしい立地条件のホテルである。
Photo_8

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2012年7月23日 (月)

ヨセミテ

7月17日(火)

昨日に引き続き132号線をターロック湖付近まで行き、その後はローカル道路を繋いで深夜にヨセミテまで入れれば言いと思っていた。というのは、人気があっていつも満員のキャンプ4の事前予約ができなかったので、当日予約を確実にするには徹夜で並んだ法がいいと思ったからだ。

ただ、いつもの悪い癖で、昨日の分かれたところまでは戻らず、このまま東に進めば132号線とはどこかで合流するだろうという甘い考えをもってしまった。ところが、しばらく東に向かって進んでいると、またもやフリーウェーに入り込んでしまった。またパトカーに捕まってたいへんなので次の出口で一般道に出てしまう。それから後は、フリーウェーにはいらないように東に向かって進むことばかり意識して132号線のことは忘れていた。てっきり132号線よりも北をすすんでいるるつもりで、132号線とはどのくらい離れてしまったかなと、GPSを付けてみると、今回はちゃんと現在を表示したが、132号線よりもずっと南のターロック(湖とは別の場所)付近であった。ただ、最初の予定でもターロック湖から先はいくつかのローカルな道をつないで南東に向かうつもりだったので、道がわかりにくいことには大差はないと思い、このまま東に進んで最初のルートと合流することにした。ちょうど東北東にまっすぐ続く私の地図には出てない道があり、最初は街中を通っていたのだが次第に田舎道となり、種類はわらないがなにかの実をつけた果樹園が両側に延々と続く中を行くようになる。
Photo_2
果たしてこの道がどこまでつづいてくれるのかという不安はあったが、途中で自転車乗りには数人と出あったので、行き止まりで迂回もできないとうことはあるまいとさほど心配はしてなかった。

ところが道は段々と悪くなり、砂利道となった先で農場に突き当たって終わっている。しょうがないので来た道を戻ってすぐのところを北に曲がってみる。さきほどすれ違った自転車は私のと違いタイヤが細いロードレーサーなので、こんな砂利道を通ってきたはずはあるまいとは思ったものの戻るのも面倒なので行ってみることしたが、牧場で行き止まりなる。前方を見定めようと牧場に近づくと、何十頭という牛が一斉にこちら見ると、案の定向かってくる。一応柵はあったので乗り越えてくることはあるまいとはったものの、大声で一喝すると威嚇にビビったのか後ずさりを始めたので、その間にずらかることにした。今度は来た道をだいぶ戻ると、舗装道路と交差するので、そこを曲がってしばらく行くとJ16という私の地図にも載っている道路で、やっと予定のルートに戻ることができた。

J16号線の途中は街らしい街はほとんどなく、アイスクリームを食べたのが唯一のお店であった。グーグルマップでは最後までJ16を行かずに、右に分岐する方が近道となってJ16号線とわかれる。しばらく登りが続いた後、次の分岐点を左に行くあたりからくらくなってくる。当分あらわれない人家からは灯りが洩れ、犬の鳴き声が聞こえてくる。しばらく登ると道はダートになり、やがて左側からはさきほど別れたJ16から続く道(とその時は思っていた)が合流してくる。それから先は砂利道になってくるが、小一時間も進むと、人家も現れ広い通りに出る。この道がてっきりヨセミテに繋がる140号線だと思いこんでしまったので、ヨセミテの表示はなかったものの北に向かう左側の道を進んでみるが、どんどん下っていくし方角も西向きに換えていくのでおかしいと思って引き返す。ここでどうすべきかがわからなくなってしまった。まずは、現在地の確認とGPSを起動するが、今日は正常に起動していたGPSが肝心の時に不調で前回起動した時の位置を示したままである。おそらくメモリーに位置情報が残っているためなので本体の再起動が必要だが、リセットスイッチも機能しなくなっているので、バッテリーが消耗するのを待つしかない。人家の近くにいたので、飼犬が不審がって吠えたて飼い主も出てきたようなので、これはまずいと人家から少し離れる。深夜に道ばたでPDAを持って立ちすくみ、まさに立ち往生である。時々車が通るがかかわりあいになりたくないのか、私を無視して猛スピードで通り過ぎる。パトカーでも通れば、職務質問されるところだが・・・

日付けは変わって7月18日(水)

ようやくバッテリーが消耗して本体が動かなくなったので、予備バッテリーをつけて起動しようとしたところ何としたことか。今度は本体が起動しないではないか。ずっと待っていた時間が無駄になってしまったのだ。それでやむをえず、東南に伸びていて方角的には可笑しいが、さっきと反対方向に行ってみようと、ふと行き先表示の一つの地名が見覚えがある気がした。そうだ!自分が今立っていると思いこんでいた140号線の地名だ。ということはまだ合流点に着いていなかったのだ。そうならば東南の方角は正しいことになる。これで全ての疑問は氷解したが、なんでもっと早く気がつかなかったのかと悔やむがやむをえない。合流点に着いた頃にはそろそろ薄明るくなってくる。道路の標示にはヨセミテまで43とある。これはマイル(キロの約1,6)表示なのだが、この時は寝ぼけていたのかキロ表示と勘違いしていて、これならばキャンプー4の受付時間の8時半に間に合うのではないかと錯覚してしまった。世界的な観光地であるヨセミテは半年前にはホテルのキャンプ場も予約で埋まり、かろうじてキャンプ4だけが一部につき当日受付を認めているが、受付開始直後に一杯となってしまうそうだ。

ヨセミテバレーまでは尾根を乗越すまでは登りが続くが、その後はバレー目指しての急降下が続く。前夜一睡もしてないため、急下降時に一瞬意識が途切れ、転倒しそうなったり、自動車レーンにはいりそうになったりしてヒヤリとする。このままでは事故につながりかねないと、たまたまあったバス停のベンチでしばらく仮眠する。この頃にはマイル表示のことにも気づいていて、キャンプ受付は明日回しにしてゆっくり行くことにする・。

しばらく行くとレストランがあったので、ここで遅い朝食を摂る。

まもなく、国立公園の料金徴収所を通り、もうヨセミテは近いと思ってからの遠かったこと。どうも脱水症状にかかってしまったようで、ちょっと上り坂になると、もう自転車を漕ぐことができず、歩きながら自転車を引っ張ていく有様で時間ばかりが経って、夕方近くになってようやくヨセミテに着く。直ぐにキャンプ4受付に行ってみるが、案の定、満員となっていて、明日朝の受付を待つしかない。

このヨセミテはヨセミテロッジ、ヨセミテビレッジ、カリービレッジの3区画からなり、それぞれが、宿泊施設、キャンプ場、各種ショップを有していて多少の距離を置いている。まずは全体図把握と、ロッジから順番に回ってみる。すると、途中でレインジャーに呼び止められる。大きい荷物の自転車をこの時間に押しているのは泊まる場所がなくて不法宿泊をしようと疑われたようだ(実際そうなのだが)。何喰わぬ顔でキャンプ4だと言い逃れたが、自転車をどこかに置かなければまずいとヨセミテビレッジのショップの横に置いてカリービレッジまで足を伸ばしてみる。しばらく滞在してショップの営業も終了したので、自転車を回収してからキャンプ4受付に戻ることにする。

さきほども書いたように、ヨセミテビレッジストアの横に置いておいたのだが、何を勘違いしたのか、ヨセミテロッジストアの横に置いたものと思い違いしてしまい、そこで自転車が見つからないのであせる。あちこち探し回っていると、不審人物としてまたもやレインジャーの職務質問を受ける。今晩はあきらめて明日明るくなってから探すこととしてキャンプ場受付に向かう。

キャンプ場受付には「この付近ではキャンプしたり、寝たりしてはいけない」と書いてあるので、少し離れたところにうずくまりながら仮眠する。


日付けは変わって7月19日(木)

3時頃になって、そろそろいいかと受付前に移動。まだ誰もいなかたが、明け方頃になると長蛇の列となり、果たして全員が宿泊を許可されたのであろうか。キャンプ4は当日受付枠がある外、多のキャンプ場が一日20ドルなのに対して5ドルと安いのも人気のひとつとなっている。連続使用は最長一週間となっており、自分の場合は最短は2日でもいいのだが、ネット環境さへ良ければ、仕事上の問題もなくなるので、五日間くらいいてもいいかなと多目のの予約をとる。

予約が終わったら、自転車の回収に向かう。ロッジショップ周辺を探しまわっても一向に見つからない。自転車はあちこちに置きっぱなしにしてあり、寄りによって私のような汚い荷物を盗む人もいないだろうし、仮に荷物だけ盗まれてもまさかあんなボロ自転車を盗む奴はおるまいと考えていたところ、自転車はロッジではなくビレッジの方にあることを思い出して急行して発見。これでツアーの継続が可能になった。

次はネット環境の調査であるが、結局3カ所とも宿泊用には無線LANを開放しているが、キャンプ利用者にはパスワードは有料でも教えていないようなので、ヨセミテからのブログアップロードあきらめる。

最後にクライミングガイドの手配であるが、ヨセミテビレッジの方は初心者向けの教室をやっているだけだが、カーリービレッジではルートガイドも行っているそうなので翌日行ってみることにする。

こんなことをして一日は暮れたが、キャンプ4に戻った時も今回是非立ち寄っておかなければいけないクライミングの聖地巡礼も行っておいた。それは1980年に当時あった山岳雑誌「岩と雪」の表紙にジョン・バーカーが登るミッドナイトライトニングという課題の写真が紹介されて、当時の日本のクライマーの実力では登る対象とすら考えられなかった困難さであり、これが日本のフリークライミングの夜明けを開いたといってもいいものであり、ぜひ実物を見ておきたいと思っていた。この岩自体にももっと困難な課題がたくさん作られたようだが、ミッドナイトライトニング自体であっても自分の実力では手も足も出ないので、近くにあった別の岩で遊んでお茶を濁した。
Photo_3


7月20日(金)

朝早く、カーリービレッジのクライミングガイド受付所に行ってみると、ガイドの予定はいっぱいで今日明日は無理だと言われる。ネット環境からヨセミテにそう長居はできないのであきらめて外に出ると、ガイドの一人が追いかけてきて、4時からなら大丈夫だけどどうかと聞いてくる。現地では夜9時頃まで明るいし、今回予定しているナットアンドクラッカーというルートは4時間以内で終わると思うので御願いすることにする。ルート名が妙に思われるかもしれないが、ヨセミテのフリークライミングの神様と言われたロイアルロビンスが支点としてハーケンの代わりにナットという一種のクサビをクラックという割れ目に使って、岩に痕跡を残さないクリーンクライミングという概念を提唱した歴史的なルートであり、それが現在のフリークライミングにも引き継がれているものであるので、決して行動食としてナッツとクラッカーを持っていったから名付けられたものではありませんので念のため。

時間があいたので、どうしようかと思ったが、観光客に人気の高いグレイシャーポイントというヨセミテの展望台に昔とった何とやらでトレイルランニング(通称トレラン)をすることにした。観光客は車で往復するか、帰りだけは歩いて下るとガイドブックに書いてあったが、実際は登りも歩いている人は多かった。標高差900メートルを登り1時間半、下り1時間25分でゴボウ抜きしていったが、このタイムでは富士登山競争の完走はとても望めません。それはさておき、ポイントからのハーフドームその他の展望は素晴らしく来て良かったと思った。
Photo_4

夕方からはいよいよクライミングである。ナットアンドクラッカーというルートは私にとってはある意味お気軽ルートという認識だったのだが、ガイドはもっと易しいルートに変えてはどうかと言ってくるので、当初予定どおりで御願いしますと言っておいた。ルート自体はクラック主体の5ピッチのほどよい難しさの楽しいルートでした。
Photo_5
日本のルートの比較では、ミズガキのベルジュエールよりは易しく、二子中央稜よりは難しいかなという感じですが、単に技術的な面よりもさきほどの歴史的な背景から見て感銘を受けるルートです。

これでとりあえずヨセミテでの目的を達して次の予定に移ることになります。


7月21日(土)

今日はトーウラミメドーズを目指しての長丁場なので、テントを引き払って早朝に出発する。距離自体は90キロ程度だが標高差は1000メートル以上という今回最大の難路でもある。

140号線をしばらくはゆっくりと下降して、20号線に別れてから長い登りが始まる。翌日以降もそうなのだが、追い抜いていく車やバイクから手を振られたり、おそらく激励の言葉だろうが、声をかけられることがしばしある。何かに向かって進んでいる人間を見ると応援したくなるのは世界共通のようだ。

今回、計画を進めるに当たって、ヨセミテの宿泊事情がたいへん厳しいことを知ったものの、広義ではヨセミテに含まれるにしても、トーウラミメドーズはそれほどでもあるまいと高をくくっていました。ところが途中にあるおくつかのキャンプ場全てに満員の札がかかっているのを見て、今日はキャンプ場以外で寝るしかないと思ったものの、飲料として水その他で5リッターしか持参しなかったので、トーウラミメドーズの売店で水を購入する予定であった。

トーウラミメドーズは標高2500メートルもあり、今日の高度差は1400メートルということになって、6時を過ぎてもまだだいぶ遠い所にまでしか到達できなかった。背負っているサブザックの行動食は食べてしまったので、荷台のザックから食料を取り出そうとしていると、レインジャーの車が止まり職務質問される。時間も時間だし、キャンプ場外で不法にテントを張ろうとしちるのではないかと疑われたようだ。何をしているのかと聞かれたので、これからトーウラミメドーズに向かうが、空腹なので食料を出しているところだと答えると、予約はしてあるかと聞かれたので、何くわに顔であると嘘をついた。最後にどこから来たのかときかれた。キャンプ4からだと答えると、そんなに遠くからかと驚くとともに、この時間にまだ行動している理由も納得できたようで無罪放免となる。

トーウラミメドーズの一角に暗くなる直前に着くとヨセミテの荒々しさとは別な優美な美しさに感動して、ここに滞在できないことが残念でならなかった。
Photo_6

トーウラミメドーズのショップには8時半についたのだが、ヨセモテと異なり、こちらでは1時間早い8時に閉店ということで水を買い損なってしまった。やむをえずキャンプ場に行き、トイレの横に手荒い用の水道を見つけたが、果たしてこれが飲用かどうかが気がかりであった。しばらく見ていると、何人かが飲用と思われるボトルに水を詰めているので、自分も安心して水詰めた。水が確保できたので、後は今日のねぐらをどうするかだ。あまりキャンプ場の近くだとレインジャーに発見される恐れがあるため、先を進むことにしたが、延々と登りが続くのには参った。道路脇に適当な場所があったので、道路を通る車から発見されない程度奥まったところで寝ることにした。さすがにテントを張ることははばかれたので野宿である。満天の星空が見事である。


7月22日(日)

地図で確認すると、まだ数百メートルは登るようであるが、右側の景色が尾瀬のスケールを数倍にしたような素晴らしいものなので、昨晩の暗闇を行く時と違い、さほど辛さは感じない。
Photo_7
最高高度2900メートルで下りに転じた。この高さが自分の自転車で越えた最高高度である。

峠の先にレストランがあったので、昨日はまともなものを食べてなかったのでハム入りのオムレツを食べる。お腹が一杯となってしまったが、その先は下り一方なので特に問題はない。下りきったところからは湖の点在する道を行くようになり、今日はこのまま終わるのかと思ったら甘かった。標高差300メートルの峠が待ちかまえていたのだ。昨日に比べれば標高差自体はたいしたことはないが、気持ちの準備ができてない分だけ、持ってきた水もほとんど飲んでしまった。峠から下り始めると遠方に湖が見えてきた。その畔にあるのが今日泊まる予定のブリッジポートの町のようだ。上から見るとそこそこ大きい町に見えたのだが実際に降りてみるとこじんまりした町である。その中で予め調べておいたホテルに泊まる、六日ぶりのシャワーと洗濯を終えた後、近くのレストランで無事ヨセミテに行ってこられたことを祝って、ビールとステーキで自分だけの乾杯を行った。

その晩はたまったブログの書き込み作業で結局寝るのは深夜となってしまった。

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とりあえず報告

ヨセミテのネット環境が良くなくてアップできませんでしたが、シエラネバタ山脈を越えてネバダ州近くのブリッジポートという町に一日遅れで無事到着しました。

いろいろと苦労も多かったですが、ヨセミテでは現地ガイドとのクライミングやグレーシャーポイントまでのトレランをするなど、充実した日を送りました。

詳細は後ほどアップします。

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2012年7月17日 (火)

一歩前進

GPSの不調で行動がかなり制約されてしまいましたが、そのような状態でも対応できる方法を考えつきましたので、これで一歩前進できそうです。その方法とはGPSを起動させたままにしておくと障害が発生するので、位置確認をしたい時だけ起動して、後は停止しておくことで、軌跡の保存はできなくなりますが、まあそれはよしとします。

今日の最初の難関は北上する道から東へ分岐する道を発見することです。幹線道路ならばフリーウェーの道路番号でわかるのですが、自転車通行の可能なローカルな道となると、日本のような行き先地名の表示もありませんので、GPSによる位置確認ができないと至難な業となります。

GPSで分岐点の位置確認ができたので安心してしまい、方向確認せずに30分ほど進んで方向確認を行うと、東に向かっているはずなのが西に向かっているではありませんか。一瞬混乱してしまいましたが、よく考えて見ると最初の方向自体がかなり南寄りですぐに東方向の道を分岐した後に緩くカーブして西方向に曲がっていったようです。その推理に従って進んで行くと、正しい道に出ることができました。手持ちの大縮尺の地図では道の細か曲りくねりはわかりませんので、常に磁石で方向をチェックすることが不可欠です。
GPSについて長々と書きましたが、アメリカの自転車旅行では正しい道の選択が成功の前提であると痛感しました。

今日2番目の難関は約500メートルの高度差の峠越えです。昨日の登る必要のない峠越えを除くと、これがロッキー横断の最初の峠越えです。これから先、いくつの峠を越えて行くのDしょうか。
下の写真は、峠から見た進行方向の眺めです。
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峠を下って、トレーシの郊外を通過して今日の目的地であるモデストに向かいます。そこそこ大きい町で駅前にあるヒルトンのホテルが目を引きます。安宿を探しに町中を回りましたが、それらしき建物はありませんし、人に聞いてもヒルトンという答えしか返ってきません。およそ自転車野郎が泊まるホテルではないでしょうが、3日ぶりのホテルだし、明日からもキャンプが続く予定なので、まあいいかということになりました。
久しぶりにシャワーを浴びて選択も行い、明日はこざっぱりとした格好で出発できそうです。どうせすぐに汚れるんだけど。
明日の予定は一応ヨセミテまで辿り着くことです。

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無駄に過ごした一日

今日もGPSが不調で現在位置もよくわからない。
とにかく東に向かって進み、地図に出ている地名の所まで行って確認するしかない。
走り出してしばらくして夜明けとなったが、依然として現在地は不明である。走りながら時々磁石で確認するとだいたいは東に向かっているようである。その先で道が左右に分岐している所では勘で左に行く。やがて立ち入り禁止で柵で封鎖してある所に出たが、東方向なので、柵を乗り越えて強行突破を図る。
2時間ばかり登った所で案の定レインジャーに見つかってしまう。パトカーまできて、柵の外においだされてしまう。あまわりにヨセミテ方面の道を聞くと、メインロードを右に行くのだという。それじゃ来た道じゃないかと思いながら分岐点まで戻ると、先程は選択しなかった方の道をサイクラーが次々と通過する。東方向だしと私も後をついていく。ちょっとした峠越えのコースで眺めも素晴らしく人気があるはずだ。
Photo
峠を下ると大きな町に出て、ここで食事をする。
なにげなくGPSをつけると、今回は正常に起動する。ところが南の方のとんでもない所に来ていたのだ。お巡りさんの言うことを聞いていればよかったのだ。仕方がないのでまた峠越えして元に戻り、けさ来た道を逆送する。途中で北へ向かう道に進路をとる。町は近かったが、小さな町でホテルがあるかどうかわからなかったので、線路の脇の道路からは見えない所にテントを張る。
今日1日は無駄に過ごしてしまったが、まだ先は長いので焦らずに行こう。

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2012年7月15日 (日)

実質第一日目は野宿

今朝は近くのスタバで朝食をしてから、ブログの投稿をやったりしてたら、出発は9時を回っていた。
市内の帰りに泊まるホテルの下見をしたりしてフェリーの乗り場に行ったら、12時近くまで便がないということで、1時間近く待たされる。付近は店が立ち並び観光客でごった返すしていた。
やがて来たフェリーに乗って、サンフランシスコにしばしの別れをつげ、30ぬほどで対岸のオークランドに着く。ここからが、実質的なロッキー横断のはじまりである。
GPSは相変わらず調子が悪く、今日も地図磁石を便りに行かなければならない。何度も迷いながら進むため時間がかかり、予約はしてないが泊まるつもりだったホテルのある町には今夜中に着けないことは明らかだった。日本ならば道端にテントを張ってしまうのだが、こちらは下手なところにテントを張るとピストルを打ち込まれかねないので、夜通し走ってキャンプ場までいくしかいかとかんがえていたが、偶然無人駅を発見。ここならば、安全に夜をすごせそうなので、時間潰しに、駅前のピザをたべてから寝ることにした。

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2012年7月14日 (土)

サンフランシスコ到着

サンフランシスコには日本時間の真夜中に到着しました。といっても現地時間では朝の9時半。妙な一日となりそうです。
まずは自転車が無事に到着しているかどうかが第一の問題です。ターンテーブルでほとんどの荷物が回収されてもまだ自転車は現れません。不安になって係員に聞くと、自転車は別の場所にあるという。教えられた場所に行くと、自転車の段ボール箱はさほどの損傷もなく持主を待っていました。さすがに150ドルを払っただけのことはあります。両輪とペダルをつけて五体満足の体に戻りました。ただ段ボール箱は邪魔なので、捨ててきました。帰国便では袋と緩衝材でどこまで衝撃に耐えられるかわかりませんが、多少のダメージは覚悟の上です。

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空港から自転車を漕ぎだしてすぐに困惑を感じます。自転車進入禁止の表示こそないものの、どうみても車専用のフリーウェーだからです。お巡りに見つからないようにとっととずらかるしかありません。しばらく行くと、一般道と柵で区切られて並行するようになるので、自転車を担いで柵を越えて事無きをえます。
ここからは本当はナビに従って行くはずなのですが、肝心のGPSが動きません。実は出発直前に反原発のデモに行った時に、「再稼働反対」の決まり文句ばかりを叫ぶのに飽きてしまい、雨の中で電子書籍を読んでいたのがいけないらしく、それからGPS付PDAの調子が悪く、今日は本体の起動すらしなくなってしまったからです。
まあ地図と磁石さへあれば問題ないだろうと適当に走っていると、どうもまたフリーウェーらしき所に迷いこんでしまいました。路肩が優に一車線分くらいもあるので、後ろから猛スピードで追い抜かれてもさほど怖くはありませんが、大型車ですと、さすがに風圧で体がよろけそうになります。こんどは回りには一般道は見あたらないので、このまま行くしかありません。ところが遂にパトカーに発見されて停車を命じられ、フリーウェーだから出ろと言われます。出ろといわれても、一般道はないし、ど~すりゃいいの~さ思案橋でしたが、お巡りはタクシーを呼んで、ホテルまで自転車ごと強制連行されることになり50ドルの臨時出費となってしまいました(まあ罰金をとられなかっただけでもよしとしましょう)。

ホテルでシャワーを浴びた後、飛行機では持ってこれないガスカートリッジを調達しに行きます。近くにあったNORTHFACEやマムートにはウェア関係しかなかったので、事前に調べてあった小一時間は歩くREIまで買いにいくことになります。ネットには自転車は目を離すと鍵をかけてあっても部品を外されてしまうと書いてあったので歩いてきたのですが、店の前には高そうな自転車がいっぱい停車してあり、自転車でくれば良かったと後悔しました。

帰りにホテルの先にあるチャイナタウンで焼きそばを食べ、名物のケーブルカーを眺めて帰りました。

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ホテルの近くでキャンプの食材探しにセブンイレブンに立ち寄ったのだが、レトルト関係は一切なく、日持ちのするものあカップ麺かビスケットしかないのには参りました(REIにもフリーズドライはなかったです)。去年の天山でも欧米人はチーズやハムの塊ばかりを食べていたのが納得できました。

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2012年7月13日 (金)

行ってきま~す

空港で無事自転車受け取り、チェックインも終わりました。
自転車運搬費として片道150ドルの支払いを要し、おまじないとして「取扱注意」のシールを貼ってくれたので、無傷で運搬してくれるかな
次の投稿はサンHランシスコからの予定です。
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2012年7月12日 (木)

出発前日

配達状況で確認したら、自転車は空港まで配達済みだそうだ。後は損傷なしにサンフランシスコまで届いてくれることを祈るばかりだ。これが目下の一番の心配事だ。その他の心配としては、昨日、狂犬病の予防接種に行ったら、2年前に行った接種の免疫はほとんどなくなっていて、新たに3回接種しないと効果はなく、1回だけ行っても気休め程度の効果しかないと言われて接種しなかったことだ。まあアメリカは日本ほどではないにしても、さほど狂犬病の危険の高い所ではないし、もし走行中に犬が追いかけてきたら、逃げずに停車して、睨み付けながら少しづつ距離を広げていけば、まず噛みつかれることはないだろう。それでも襲われたら、あきらめるしかないか。それに噛みつかれても、すぐに傷口を洗浄して、所定の回数(6回)の接種を行えば発症は防げるそうだ。

心配するのはほどほどにして、楽しいことをたくさん想像して夢をふくらませることにしよう。
午後からは気分転換も兼ねて散髪に行ってこよう。走行中はヘルメットを被りっぱなしで、頭がムレムレとなってしまうだろうから、思い切ってスキンヘッドにでもしてみるか。でも髪が生え始めてからの手入れが難しそうなので、短めの髪で我慢する方が無難かな

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2012年7月11日 (水)

自転車発送

今回、一番の難題だった自転車の運搬が運送業者への引き渡しで一応完了した(配送追跡で調べると、まだ成田空港には届いていないようだが)。
国内便の場合は丁重に扱ってくれるので、袋に入れたままでの運搬でも問題ないが、国際便では手荒に取り扱われるとのことなので、段ボールに入れて内部は衝撃緩衝用のプチプチで保護しないといけないそうで、空港までそれをどう運搬するかが問題だった。

最初は宅急便を利用することを考えたが、成田の宅急便の配送所は空港からは離れた所にあるので、そこまで配送所留めにしてもらって空港まではタクシーで運ばなければいけないかとも考えたが、ネットで色々調べると、JALの関連の空港配送専門会社があり、チェックインカウンターの隣で荷物を受け取れるとのことである。これなら、カートで運ぶだけなので全く楽チンである。うがった見方をすればJALが成田空港と結託して、ヤマト等の一般運送業者が空港内で業務を行うのを妨害しているのかもしれない。

仕事の方もどうやら終わりそうな見通しだし、明日、狂犬病の予防注射をする段取りもたてたので、もうやり残したことはないかな。ひとつ気掛かりなのはアメリカは医療費が高いのでAIUの海外保険に加入したのだが、その際に歯の治療の告知義務を怠ってしまったことだ。治療といっても、奥歯のブリッジの代わりに義歯を入れるのが出発前に終わると思って告知しなかったのだが、それが帰国後に伸びてしまっただけのことで治療というほどのことでもないのだが、いざ保険請求の段になると難クセをつけてくる可能性はある。一度は出発前に保険会社にそのことを連絡しようかなと思ったが、そうすると、告知義務違反で契約解除される公算が大であり、契約期間1年未満の保険はクーリングオフの対象にもならないので、保険料が丸損となってしまう。そこで色々調べてみると、不告知と保険請求事故との間に因果関係がない場合には、保険請求が認められるという裁判事例(実際は和解だが)があった。これだと思い、もし保険会社がごちゃごちゃ言ってきたら、この事例をもって対応すればいいのだと気付いたら気が楽になった。

今回の計画を思い立って約2年、いろいろ準備はたいへんだったが、ようやく念願がかないそうだ。

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2012年7月 9日 (月)

東京高層建築物巡り

アメリカ出発直前に自転車のタイヤとチェーンを交換したので、慣らし運転をしておいた方がよいだろうと、梅雨の晴れ間にサイクリングすることにした。どこに行こうか迷ったが、都内で今一番旬な場所といえばスカイツリーだし、そこと東京タワーの新旧見比べツアーというのは良く聞く話だが、どうせ行くなら他の高層ビル巡りも併せてやってしまおうという企画をたててみた。といっても単に高い順に巡るのではなく、東京の高層ビルの歴史を偲ばせる所を絞っていくことにした。

まず最初は池袋サンシャインである。子供が小さい時に、水族館に連れていったことがあるが、当時はまだ都内では結構高い方のビルだったサンシャインも今はなんでこれが高層ビルなのという感じである。
Photo サンシャイン60 239.7m 1978年

次はご存じスカイツリーである。すっかりお馴染みとなってしまった景観も間近で見るとさすがに圧倒的である。あたりはすごい人の波である。
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そこから一路南下して、高層ビルのはしりである霞ヶ関ビルに向かう。
Photo_3 霞ヶ関ビル156m 1968年

その少し先には翌々年にビルの高さ日本一を奪った世界貿易センタービルがある。
Photo_4 世界貿易センタービル163m 1970年

次はスカイツリーに日本一を奪われた東京タワーである。スカイツリーブームの影響なのか、写真を撮っている人も多かった。
Photo_5

時代は下り21世紀に入ると、高さだけでなく、そのスケールで話題を集めたのが六本木ヒルズである。
Photo_6 六本木ヒルズ238m 2003年

その少し前に話題をさらっていたのが恵比寿ガーデンスクエアである。
Photo_7 恵比寿ガーデンタワー134m 1997年

最後は新宿高層ビル群である。淀橋浄水場の跡地に出現した高層ビル群のはしりは京王プラザホテルである。
Photo_8 京王プラザホテル180m 1971年
以後次々と建設された高層ビル群の中でも一番注目されたのは東京都庁だろう。
Photo_9 都庁243m 1991年
今は当たり前な風景となってしまった新宿高層ビル群を写そうと思ったが、数が多すぎてなかなか1枚では撮りきれない。
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2012年7月 7日 (土)

雨にも負けず

昨日も官邸前の反原発デモに参加してきました。
今回は家内も参加です。
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回を追うごとに倍増してきた参加者も、雨のせいもあったでしょうが頭打ちといった感じです。最後は警備を振り切って道路を完全に占拠したため、指揮車上の警官は「すぐに歩道に戻らないと公務執行妨害罪で検挙する」と叫んでいたが、どうも馴れ合いくさくて実際に実力行使する気配は全くなく、警備側もこの場所での道路占拠は織り込み済みのようであった。そのくせ、その先の交差点では厚い警備陣でデモ隊を完全にブロックしていたので、どうも管理されたデモという印象を拭えない。
警備陣を突破して、国会・官邸周辺の交通をマヒさせるぐらいにならないと大きな効果は見込めない気がするが、それには100万人規模の動員が必要だろう。果たしてそこまでいけるか

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2012年7月 5日 (木)

準備は最終段階へ

今日、自転車屋に頼んであったタイヤとチェーンの交換と予備のキャリーバッグ装着済みの自転車を回収し、前輪、後輪とペダルを外して、用意してあったダンボールに収納してみた。
Photo

自転車の周囲を衝撃緩衝用のプチプチで覆えば、このまま業者に空港まで送ってもらってもいいのだが、今回、チェーンとタイヤの交換をしたので、ある程度の距離を慣らし運転しておいた方がいいので、実際の発送は来週になってkらにしよう。

北海道でテントが破損してしまったので、代わりに買ったテントも家の中で張ってみた。
Photo_2

今までのテントと比べてポールの片方の先端が固定されるので、張るのは楽なようだ。前室が無くなったので、やや居住性は悪くなったかもしれないが、その分も含めて、多少軽くて嵩張らなくなった気がする。ゴアテックスになったので、防水性は高まったはずであるが、実際に経験してみないとわからない。

準備はあらかた終わったようだが、後残っている主なものは、狂犬病の予防注射だ。2年前に3回目をしてあるので、本来はしなくてもよいらしいのだが、狂犬病は他の予防注射と違い、万全ということがなく、たとえ予防注射をしていても、実際に噛まれた後は数回の予防注射が必要であり、噛まれた時の免疫度が高い方が有利なそうなので、やっておくに越したことはないだろう。アメリカは日本と違って狂犬病の発症が皆無ではないらしいし、自転車に乗っていると犬に追いかけられる確率は高くなるのだから

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