« とりあえず報告 | トップページ | 順調な一日 »

2012年7月23日 (月)

ヨセミテ

7月17日(火)

 

昨日に引き続き132号線をターロック湖付近まで行き、その後はローカル道路を繋いで深夜にヨセミテまで入れれば言いと思っていた。というのは、人気があっていつも満員のキャンプ4の事前予約ができなかったので、当日予約を確実にするには徹夜で並んだ法がいいと思ったからだ。

 

ただ、いつもの悪い癖で、昨日の分かれたところまでは戻らず、このまま東に進めば132号線とはどこかで合流するだろうという甘い考えをもってしまった。ところが、しばらく東に向かって進んでいると、またもやフリーウェーに入り込んでしまった。またパトカーに捕まってたいへんなので次の出口で一般道に出てしまう。それから後は、フリーウェーにはいらないように東に向かって進むことばかり意識して132号線のことは忘れていた。てっきり132号線よりも北をすすんでいるるつもりで、132号線とはどのくらい離れてしまったかなと、GPSを付けてみると、今回はちゃんと現在を表示したが、132号線よりもずっと南のターロック(湖とは別の場所)付近であった。ただ、最初の予定でもターロック湖から先はいくつかのローカルな道をつないで南東に向かうつもりだったので、道がわかりにくいことには大差はないと思い、このまま東に進んで最初のルートと合流することにした。ちょうど東北東にまっすぐ続く私の地図には出てない道があり、最初は街中を通っていたのだが次第に田舎道となり、種類はわらないがなにかの実をつけた果樹園が両側に延々と続く中を行くようになる。
Photo_2
果たしてこの道がどこまでつづいてくれるのかという不安はあったが、途中で自転車乗りには数人と出あったので、行き止まりで迂回もできないとうことはあるまいとさほど心配はしてなかった。

 

ところが道は段々と悪くなり、砂利道となった先で農場に突き当たって終わっている。しょうがないので来た道を戻ってすぐのところを北に曲がってみる。さきほどすれ違った自転車は私のと違いタイヤが細いロードレーサーなので、こんな砂利道を通ってきたはずはあるまいとは思ったものの戻るのも面倒なので行ってみることしたが、牧場で行き止まりなる。前方を見定めようと牧場に近づくと、何十頭という牛が一斉にこちら見ると、案の定向かってくる。一応柵はあったので乗り越えてくることはあるまいとはったものの、大声で一喝すると威嚇にビビったのか後ずさりを始めたので、その間にずらかることにした。今度は来た道をだいぶ戻ると、舗装道路と交差するので、そこを曲がってしばらく行くとJ16という私の地図にも載っている道路で、やっと予定のルートに戻ることができた。

 

J16号線の途中は街らしい街はほとんどなく、アイスクリームを食べたのが唯一のお店であった。グーグルマップでは最後までJ16を行かずに、右に分岐する方が近道となってJ16号線とわかれる。しばらく登りが続いた後、次の分岐点を左に行くあたりからくらくなってくる。当分あらわれない人家からは灯りが洩れ、犬の鳴き声が聞こえてくる。しばらく登ると道はダートになり、やがて左側からはさきほど別れたJ16から続く道(とその時は思っていた)が合流してくる。それから先は砂利道になってくるが、小一時間も進むと、人家も現れ広い通りに出る。この道がてっきりヨセミテに繋がる140号線だと思いこんでしまったので、ヨセミテの表示はなかったものの北に向かう左側の道を進んでみるが、どんどん下っていくし方角も西向きに換えていくのでおかしいと思って引き返す。ここでどうすべきかがわからなくなってしまった。まずは、現在地の確認とGPSを起動するが、今日は正常に起動していたGPSが肝心の時に不調で前回起動した時の位置を示したままである。おそらくメモリーに位置情報が残っているためなので本体の再起動が必要だが、リセットスイッチも機能しなくなっているので、バッテリーが消耗するのを待つしかない。人家の近くにいたので、飼犬が不審がって吠えたて飼い主も出てきたようなので、これはまずいと人家から少し離れる。深夜に道ばたでPDAを持って立ちすくみ、まさに立ち往生である。時々車が通るがかかわりあいになりたくないのか、私を無視して猛スピードで通り過ぎる。パトカーでも通れば、職務質問されるところだが・・・

 

 

 

日付けは変わって7月18日(水)

 

ようやくバッテリーが消耗して本体が動かなくなったので、予備バッテリーをつけて起動しようとしたところ何としたことか。今度は本体が起動しないではないか。ずっと待っていた時間が無駄になってしまったのだ。それでやむをえず、東南に伸びていて方角的には可笑しいが、さっきと反対方向に行ってみようと、ふと行き先表示の一つの地名が見覚えがある気がした。そうだ!自分が今立っていると思いこんでいた140号線の地名だ。ということはまだ合流点に着いていなかったのだ。そうならば東南の方角は正しいことになる。これで全ての疑問は氷解したが、なんでもっと早く気がつかなかったのかと悔やむがやむをえない。合流点に着いた頃にはそろそろ薄明るくなってくる。道路の標示にはヨセミテまで43とある。これはマイル(キロの約1,6)表示なのだが、この時は寝ぼけていたのかキロ表示と勘違いしていて、これならばキャンプー4の受付時間の8時半に間に合うのではないかと錯覚してしまった。世界的な観光地であるヨセミテは半年前にはホテルのキャンプ場も予約で埋まり、かろうじてキャンプ4だけが一部につき当日受付を認めているが、受付開始直後に一杯となってしまうそうだ。

 

ヨセミテバレーまでは尾根を乗越すまでは登りが続くが、その後はバレー目指しての急降下が続く。前夜一睡もしてないため、急下降時に一瞬意識が途切れ、転倒しそうなったり、自動車レーンにはいりそうになったりしてヒヤリとする。このままでは事故につながりかねないと、たまたまあったバス停のベンチでしばらく仮眠する。この頃にはマイル表示のことにも気づいていて、キャンプ受付は明日回しにしてゆっくり行くことにする・。

 

しばらく行くとレストランがあったので、ここで遅い朝食を摂る。

 

まもなく、国立公園の料金徴収所を通り、もうヨセミテは近いと思ってからの遠かったこと。どうも脱水症状にかかってしまったようで、ちょっと上り坂になると、もう自転車を漕ぐことができず、歩きながら自転車を引っ張ていく有様で時間ばかりが経って、夕方近くになってようやくヨセミテに着く。直ぐにキャンプ4受付に行ってみるが、案の定、満員となっていて、明日朝の受付を待つしかない。

 

このヨセミテはヨセミテロッジ、ヨセミテビレッジ、カリービレッジの3区画からなり、それぞれが、宿泊施設、キャンプ場、各種ショップを有していて多少の距離を置いている。まずは全体図把握と、ロッジから順番に回ってみる。すると、途中でレインジャーに呼び止められる。大きい荷物の自転車をこの時間に押しているのは泊まる場所がなくて不法宿泊をしようと疑われたようだ(実際そうなのだが)。何喰わぬ顔でキャンプ4だと言い逃れたが、自転車をどこかに置かなければまずいとヨセミテビレッジのショップの横に置いてカリービレッジまで足を伸ばしてみる。しばらく滞在してショップの営業も終了したので、自転車を回収してからキャンプ4受付に戻ることにする。

 

さきほども書いたように、ヨセミテビレッジストアの横に置いておいたのだが、何を勘違いしたのか、ヨセミテロッジストアの横に置いたものと思い違いしてしまい、そこで自転車が見つからないのであせる。あちこち探し回っていると、不審人物としてまたもやレインジャーの職務質問を受ける。今晩はあきらめて明日明るくなってから探すこととしてキャンプ場受付に向かう。

 

キャンプ場受付には「この付近ではキャンプしたり、寝たりしてはいけない」と書いてあるので、少し離れたところにうずくまりながら仮眠する。

 


日付けは変わって7月19日(木)

 

3時頃になって、そろそろいいかと受付前に移動。まだ誰もいなかたが、明け方頃になると長蛇の列となり、果たして全員が宿泊を許可されたのであろうか。キャンプ4は当日受付枠がある外、多のキャンプ場が一日20ドルなのに対して5ドルと安いのも人気のひとつとなっている。連続使用は最長一週間となっており、自分の場合は最短は2日でもいいのだが、ネット環境さへ良ければ、仕事上の問題もなくなるので、五日間くらいいてもいいかなと多目のの予約をとる。

 

予約が終わったら、自転車の回収に向かう。ロッジショップ周辺を探しまわっても一向に見つからない。自転車はあちこちに置きっぱなしにしてあり、寄りによって私のような汚い荷物を盗む人もいないだろうし、仮に荷物だけ盗まれてもまさかあんなボロ自転車を盗む奴はおるまいと考えていたところ、自転車はロッジではなくビレッジの方にあることを思い出して急行して発見。これでツアーの継続が可能になった。

 

次はネット環境の調査であるが、結局3カ所とも宿泊用には無線LANを開放しているが、キャンプ利用者にはパスワードは有料でも教えていないようなので、ヨセミテからのブログアップロードあきらめる。

 

最後にクライミングガイドの手配であるが、ヨセミテビレッジの方は初心者向けの教室をやっているだけだが、カーリービレッジではルートガイドも行っているそうなので翌日行ってみることにする。

 

こんなことをして一日は暮れたが、キャンプ4に戻った時も今回是非立ち寄っておかなければいけないクライミングの聖地巡礼も行っておいた。それは1980年に当時あった山岳雑誌「岩と雪」の表紙にジョン・バーカーが登るミッドナイトライトニングという課題の写真が紹介されて、当時の日本のクライマーの実力では登る対象とすら考えられなかった困難さであり、これが日本のフリークライミングの夜明けを開いたといってもいいものであり、ぜひ実物を見ておきたいと思っていた。この岩自体にももっと困難な課題がたくさん作られたようだが、ミッドナイトライトニング自体であっても自分の実力では手も足も出ないので、近くにあった別の岩で遊んでお茶を濁した。
Photo_3

 


7月20日(金)

 

朝早く、カーリービレッジのクライミングガイド受付所に行ってみると、ガイドの予定はいっぱいで今日明日は無理だと言われる。ネット環境からヨセミテにそう長居はできないのであきらめて外に出ると、ガイドの一人が追いかけてきて、4時からなら大丈夫だけどどうかと聞いてくる。現地では夜9時頃まで明るいし、今回予定しているナットアンドクラッカーというルートは4時間以内で終わると思うので御願いすることにする。ルート名が妙に思われるかもしれないが、ヨセミテのフリークライミングの神様と言われたロイアルロビンスが支点としてハーケンの代わりにナットという一種のクサビをクラックという割れ目に使って、岩に痕跡を残さないクリーンクライミングという概念を提唱した歴史的なルートであり、それが現在のフリークライミングにも引き継がれているものであるので、決して行動食としてナッツとクラッカーを持っていったから名付けられたものではありませんので念のため。

 

時間があいたので、どうしようかと思ったが、観光客に人気の高いグレイシャーポイントというヨセミテの展望台に昔とった何とやらでトレイルランニング(通称トレラン)をすることにした。観光客は車で往復するか、帰りだけは歩いて下るとガイドブックに書いてあったが、実際は登りも歩いている人は多かった。標高差900メートルを登り1時間半、下り1時間25分でゴボウ抜きしていったが、このタイムでは富士登山競争の完走はとても望めません。それはさておき、ポイントからのハーフドームその他の展望は素晴らしく来て良かったと思った。
Photo_4

 

夕方からはいよいよクライミングである。ナットアンドクラッカーというルートは私にとってはある意味お気軽ルートという認識だったのだが、ガイドはもっと易しいルートに変えてはどうかと言ってくるので、当初予定どおりで御願いしますと言っておいた。ルート自体はクラック主体の5ピッチのほどよい難しさの楽しいルートでした。
Photo_5
日本のルートの比較では、ミズガキのベルジュエールよりは易しく、二子中央稜よりは難しいかなという感じですが、単に技術的な面よりもさきほどの歴史的な背景から見て感銘を受けるルートです。

 

これでとりあえずヨセミテでの目的を達して次の予定に移ることになります。

 


7月21日(土)

 

今日はトーウラミメドーズを目指しての長丁場なので、テントを引き払って早朝に出発する。距離自体は90キロ程度だが標高差は1000メートル以上という今回最大の難路でもある。

 

140号線をしばらくはゆっくりと下降して、20号線に別れてから長い登りが始まる。翌日以降もそうなのだが、追い抜いていく車やバイクから手を振られたり、おそらく激励の言葉だろうが、声をかけられることがしばしある。何かに向かって進んでいる人間を見ると応援したくなるのは世界共通のようだ。

 

今回、計画を進めるに当たって、ヨセミテの宿泊事情がたいへん厳しいことを知ったものの、広義ではヨセミテに含まれるにしても、トーウラミメドーズはそれほどでもあるまいと高をくくっていました。ところが途中にあるおくつかのキャンプ場全てに満員の札がかかっているのを見て、今日はキャンプ場以外で寝るしかないと思ったものの、飲料として水その他で5リッターしか持参しなかったので、トーウラミメドーズの売店で水を購入する予定であった。

 

トーウラミメドーズは標高2500メートルもあり、今日の高度差は1400メートルということになって、6時を過ぎてもまだだいぶ遠い所にまでしか到達できなかった。背負っているサブザックの行動食は食べてしまったので、荷台のザックから食料を取り出そうとしていると、レインジャーの車が止まり職務質問される。時間も時間だし、キャンプ場外で不法にテントを張ろうとしちるのではないかと疑われたようだ。何をしているのかと聞かれたので、これからトーウラミメドーズに向かうが、空腹なので食料を出しているところだと答えると、予約はしてあるかと聞かれたので、何くわに顔であると嘘をついた。最後にどこから来たのかときかれた。キャンプ4からだと答えると、そんなに遠くからかと驚くとともに、この時間にまだ行動している理由も納得できたようで無罪放免となる。

 

トーウラミメドーズの一角に暗くなる直前に着くとヨセミテの荒々しさとは別な優美な美しさに感動して、ここに滞在できないことが残念でならなかった。
Photo_6

 

トーウラミメドーズのショップには8時半についたのだが、ヨセモテと異なり、こちらでは1時間早い8時に閉店ということで水を買い損なってしまった。やむをえずキャンプ場に行き、トイレの横に手荒い用の水道を見つけたが、果たしてこれが飲用かどうかが気がかりであった。しばらく見ていると、何人かが飲用と思われるボトルに水を詰めているので、自分も安心して水詰めた。水が確保できたので、後は今日のねぐらをどうするかだ。あまりキャンプ場の近くだとレインジャーに発見される恐れがあるため、先を進むことにしたが、延々と登りが続くのには参った。道路脇に適当な場所があったので、道路を通る車から発見されない程度奥まったところで寝ることにした。さすがにテントを張ることははばかれたので野宿である。満天の星空が見事である。

 


7月22日(日)

 

地図で確認すると、まだ数百メートルは登るようであるが、右側の景色が尾瀬のスケールを数倍にしたような素晴らしいものなので、昨晩の暗闇を行く時と違い、さほど辛さは感じない。
Photo_7
最高高度2900メートルで下りに転じた。この高さが自分の自転車で越えた最高高度である。

 

峠の先にレストランがあったので、昨日はまともなものを食べてなかったのでハム入りのオムレツを食べる。お腹が一杯となってしまったが、その先は下り一方なので特に問題はない。下りきったところからは湖の点在する道を行くようになり、今日はこのまま終わるのかと思ったら甘かった。標高差300メートルの峠が待ちかまえていたのだ。昨日に比べれば標高差自体はたいしたことはないが、気持ちの準備ができてない分だけ、持ってきた水もほとんど飲んでしまった。峠から下り始めると遠方に湖が見えてきた。その畔にあるのが今日泊まる予定のブリッジポートの町のようだ。上から見るとそこそこ大きい町に見えたのだが実際に降りてみるとこじんまりした町である。その中で予め調べておいたホテルに泊まる、六日ぶりのシャワーと洗濯を終えた後、近くのレストランで無事ヨセミテに行ってこられたことを祝って、ビールとステーキで自分だけの乾杯を行った。

 

その晩はたまったブログの書き込み作業で結局寝るのは深夜となってしまった。

|

« とりあえず報告 | トップページ | 順調な一日 »

自転車」カテゴリの記事

海外」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ヨセミテ:

« とりあえず報告 | トップページ | 順調な一日 »