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2012年8月

2012年8月27日 (月)

勘七の沢と小川谷

2週続けての沢登りとなった。

翌日は仲間と西丹沢の小川谷に行くことになったので、そのアプローチを兼ねてまだ登ったことのない東丹沢の勘七の沢を登ることにしました。勘七の沢は東丹沢では水無川本谷やセドの沢とともに人気のある沢で、この日も大勢の遡行者を迎えていた。
ほとんどの滝は簡単に越えられるが、15メートルの大滝だけは少し手強そうだ。
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ロープなしでも登れそうな気もしたが、君子?危うきに近寄らずで左側から高巻く。大滝の上部はしばらくは小滝が連続した後、水流も消えて、右側の踏跡を辿っていくと稜線に出て、20キロの荷を担いで順位を争うボッカ駅伝のゴールである花立小屋の前に立つ。何回か参加したレースなので懐かしい場所である。

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小屋の前の休憩所でかき氷を食べている人を見て、私も食べたくなり注文する。山の上で食べられるとは思わなかった。
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今日の行程は玄倉あたりまでで、十分時間があるので、景色を眺めたり昼寝をしたりして1時間余りを休憩場で過ごす。
Photo_4小屋からの丹沢の山並み(氷の旗が揺れている)

鍋割山方面は今回初めて歩くが、久しぶりの稜線歩きは楽しいものであった。
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鍋割までは大倉方面からのハイカー何人かとすれ違ったが、雨山峠に向かうと、パタリと人と会わなくなった。急峻な尾根道で熟達者向きコースとされているからだろうか

雨山峠からは沢沿いの道を下っていく。その昔、バスがまだ西丹沢には通ってない時代には、西丹沢に向かうクライマーが通っていた歴史のある道である。やがて玄倉林道に降り立ち、明日の待合わせ場所まで約8キロの林道を歩いていくが、途中で日没となり、ライトをつけながら進んでいく。
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待ちあわせ場所に向かう分岐点まで来ると、林道がチェーンで封鎖されて車両進入禁止となっている。その旨を仲間に携帯で知らせて、その近くの草地で野宿する。水は十分もってきていたので炊事には不都合はなかったが、川がはるか下で持参したビールが冷やせずに生ぬるいまま飲まざるをえなかったのが残念だった。

翌朝は仲間と合流して小川谷遡行に向かう。今日は久しぶりに12人という大勢で登ることとなり、賑やかな一日であった。
Photo_6めいめいが思い思いの所を登っていく

小川谷は今回で3回目だが、前回登ったのは5年近く前のことでほとんど覚えていないが、下の写真の大岩のことはよく覚えている。
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その時は大岩に付けられているロープをたぐって登ったが、今回は台風の影響で右側の水流通しにも登れるようになっていたので、そちらを登ってみるが、全身びしょぬれとなり、真夏だというのに寒くて日差しを待ち望むようになってしまった。

その少し先には二段の滝が控えているが、水流通しに登るのは困難なため、左側の灌木混じりの壁をトップが固定したロープに墜落止めのテープをつけて登っていく。
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やがて左側が壊れた堰堤の所まで来ると、ここから上部は平凡な流れになるということで遡行は終了となり、踏跡を降りていく。前回来た時はこんなに悪い道ではなかった気がしたが、前半はえらく悪い道であった。1時間半くらいの下りであったが、3時過ぎには林道に戻り楽しい一日の沢登りを終えることができた。 

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2012年8月25日 (土)

久々の反原発デモ

久しぶりの反原発デモに参加してきた。運動の盛り上がりに抗し切れなくなって、野田ブタも運動の代表者と官邸内で会見したが、単に意見を聞き置くというガス抜きに過ぎず、国民の声に真摯に耳を傾ける姿勢は全く見られない。各種の公式非公式調査で圧倒的多数で原発ノーの意見が出ているにもかかわらず、それを無視し続けることに対しては本当に怒りを覚える。
我が家の夏の電力使用量は2年続けて前年実績を2割近く下回った。昨年は文字通りの節電努力の結果だったが、今年はクーラー、冷蔵庫を買い換えたことによる努力なしの成果である。今夏は、我が家にしては珍しく、クーラーをフルに使ってこの結果である。いかに節電技術が進歩してきたかがよくわかる。この節電技術を活用し、日本の立地を活かした洋上風力発電や地熱発電に力を入れていけば、大きな犠牲を払うことなしに脱原発を実現できることは明らかである。
このブログをご覧になられている方の大半は反原発に賛成だと思われるが、思っているだけでも何も行動しないことは、原発推進派の野田ブタ、原子力村、財界と同様に(現在及び未来の)原発被害者に対して加害者になるのだということをよく認識していただきたい。

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2012年8月19日 (日)

奥多摩水根沢

晩秋のような気候のサンフランシスコから猛暑の日本に帰国して、このままでは夏バテになってしまうと、涼しさを求めて近場の奥多摩に沢登りに行ってきました。

今回出かけた水根沢は小粒だがピリッと辛い、そんな印象の沢で、初級の沢の割にはとても楽しい沢でした。そのため大勢の入渓者を迎えていて、悪場では順番待ちとなるほどでした。
ほとんどの滝はロープなしで登れ、何ヵ所かのへつりでは補助的にロープを使用したが、本格的に使用したのは滝の側壁を高巻きしたピッチだけでした。
フィナーレとなる半円ノ滝はトヨ状に流れる水流の両側の壁を突っぱりながら登る楽しいところでした。
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ここから上は平凡な流れとなるため、通常は一般登山道まで上がってから下山するようで、駐車場までは30分くらいでした。

10時に水根沢出合先の駐車場下から遡行を開始したのに3時には駐車場に戻ることができ、避暑気分で行くには最適の沢でした

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2012年8月16日 (木)

アメリカを自転車で走行していて驚くこと

地方の道路を自転車で走行していて驚くのは、道端にタイヤの破片と動物の死骸が散乱していることである。特にタイヤの 破片が凄まじい。タイヤの半分くらいがちぎれたのではないかと思われるほどの大きさのものも珍しくない。路面の構造の影響か、タイヤの品質上の問題か、猛スピードによるものか。多分後者だと思うが、なにかでアメリカの道路はパンクしやすいということを読んだ記憶がある。たしかに路面の粒子が粗い道路が多い気がする。その割にはわが愛車が一度もパンクしなかったのは奇跡的ともいえる。さすがにグレートジャーニーの名前を冠しただけのことはある頑丈な自転車だ。動物の死骸の方は大きいものはシカから小さいものは小鳥に至るまでたくさん見られる。野生の豊富さと猛スピードの影響だろうが、日本でも知床などはシカの多さは以上だが、こんな死骸は見られない。アメリカでは白骨化するまで、そのまま放置されているようだが、日本では役所が処理しているのかもしれない。

アメリカの道路にはカーブミラーが皆無であること、信号もよほど大きな交差点でないとないこと、山間部でもトンネルがほとんどないことにも驚いた。
カーブミラーがないのはアメリカの道路はほとんど真っ直ぐだからと思うかもしれないが、ヘアピンカーブの連続する山間部でも皆無なのである。運転をしない自分にはわからないが、カーブミラーは交通安全にはほとんど役立っていないのであろうか。もしそうだとするとカーブミラーだらけの日本の山間部の現状は役所と業者の結託の産物か。
日本でも計画節電の際にはお巡りさんが交通整理する場面が見られるが、アメリカではそれが珍しい光景ではない。ただ大部分の交差点では信号も交通整理もなく、お互いの譲り合いであまり事故もなく済んでいるのが不思議だ。今回の1カ月の走行中には事故後の現場には一度も会ってないし、都心以外では救急車は一度も見かけていない。また自転車走行していて感じることはアメリカのドライバーの方が運転が易しい気がした。路肩がどんなに広くてもそこに割り込んでくる車は皆無であるし、信号のない交差点で車に出会うと。かなり距離があっても、こちらが通過するまで待っていてくれる。法律等のシステムの問題なのか、モラルの問題なのか
日本ではちょっとした峠でもすぐにトンネルを掘ってしまうが、アメリカではどこまでも道を迂回させながら峠を越えていこうとする。きっと広大なアメリカでは部分的にトンネルによって時間を短縮しても全体的な時間短縮にはさして役に立たないという考え方からであろうか。自転車乗りにとっては、トンネル内の走行は車の爆音が反響して非常にストレスになるので、トンネルがないということは精神的には助かる。その分だけ多く登らなければいけないので、肉体的にはたいへんであるが
逆に日本の現状で不思議に思うのは、アメリカのセブンイレブンでは郊外の場合にはガソリンスタンドを必ず併営しているが、日本のセブンイレブンはあれだけ取扱分野を拡大しているのにスタンドをやらないのは何故だろう。規制等の問題でもあるのだろうか

その他、日米の違いとして驚いたこととして、道路のことではないが、日本の飲料では主流となっているスポーツ飲料がアメリカでは皆無なことである。アメリカではコーラに代表される炭酸飲料が大半である。ただ、これは自転車乗りにとっては有り難くない。自転車の振動の影響で、キャップを開けた途端に半分くらいの量が泡となって外に吹き出すこともあるからだ。それに日射と熱でお湯のようになった炭酸飲料はいただけない。
スポーツ飲料がアメリカで普及しないのは、元々、炭酸飲料好きということもあるが、スポーツ飲料の独特な味がアメリカ人の嗜好に合わないからだろうか

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峠越え

今回は連日峠越えを行ってきたが、標高差1000メートル以上に限れば次の三つである。

① シエラ・ネバタ山脈横断 約1800メートル(ヨセミテを出て標高約1100メートルまで下降した地点から計算)

② ソルトレイク市東側のロッキー前山の横断 約1500メートル(同市中心部の標高約1300メートルから計算)

③ ロッキーマウンテン国立公園の横断 約1300メートルに(国立公園の入口のグランビーの標高約2200メートルから計算)

なお①と②は途中で一泊しているが、一日で登った標高差で見ても①が約1400メートルと第一である。すなわち、最後に一番苦しいロッキーマウンテンを越えてロッキー横断に成功したわけではなくて、最初の方に一番苦しい登りがあって、それに耐えてこられたので、最後まで頑張れたという見方もできるわけだ。

追伸
 ボルダー到着以後のブログを一部編集したり、写真を挿入したりしました。

標高差1000メートルを越える登りというと大変なように聞こえるかもしれないが、富士山5合目まで富士吉田から登ると約1500メートルあるのだから、それほどのことでもない。むしろ問題となるのは、それに近い登りが連日続くことによる披露の蓄積である。今回は最初から意図したわけではないが、ヨセミテでのクライミングのための滞在、リノからソルトレイクへのバス移動、バーナルでの完全休養が、結果的には披露の局に達する前でのリフレッシュに繋がって横断成功に結びついたといえる。

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2012年8月14日 (火)

帰国しました

いよいよ帰国の日だ。昨夜というか今朝は閉会式を見ながら3時過ぎまでブログを書いていたので、起きられるかどうか心配で7時に目覚ましをセットしたが、6時に目覚めてしまった。
予定通り8時にホテルを出発。バートも昨日予行演習したおかげでノートラブルであった。改札口の手前で自転車を分解して袋に収納する。帰りは箱がないので空輸に耐えられるように車輪回りはプチプチで念入りに覆う。たとえダメージを受けても修理すれぱいいだけの話なんだけど。
空港に着いてターミナルへの連絡電車に乗り換えたが、EチケットにあるIターミナルというのがない。Aターミナルで降りて案内で聞いてみようとしたら、そこが目的のデルタ航空のカウンターであった。出発3時間前と早かったので、順番待ちもなくチェックインがてきた。デルタ航空のサイトでは、べダル取り外すよう書いてあったが、片方は固くてはずれなかったので、箱に入れるわけじゃないので問題あるまいと、そのまま袋にいれたのが多少心配だったが大丈夫のようであった。
セキュリティもさほど混雑しておらずに、搭乗口へ。あれ、アメリカはイミグレもカスタムもないんだっけ?これらが厳しい発展途上国に行くことが多い自分としては拍子抜けであった。
これで半分帰国できたようなものである。あとは家内の手料理でも楽しみにするか。

11時間のフライトで予定通り帰国できた。
当初はGPSの故障やフリーウェイの障害によって行程が進まず、このブログを書いていなければリタイアしたかもしれない。しかし、多くの方に読んでいただいて応援していただいていると思うと、リタイアをとどまって頑張ることができた。今まで長期間お付き合いをいただきましてありがとうございました。

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2012年8月13日 (月)

安穏な日々は来たらず

今回の旅行には安穏な日々はないことをつくづく思い知らされた。
本来ならば、帰国前日はサンフランシスコをゆっくりと市内見学をしたいところだが、そうは問屋が卸さなかった。

サンフランシスコの最大観光地といえば金門橋(ゴールデンゲートブリッジ)だが、現地では自転車で行くのが流行っているらしく、レンタル・サイクルの宣伝も多数あるようだ。ただ自転車で行くには近すぎる?ので、ベイエリアをランニングしながら行くことにした。きっと旅の最後のいい思い出になるだろう。

すっかり明るくなってから出発したのに、「カリフォルニアの青い空」の歌(古いですな)とは裏腹にどんよりした曇り空でTシャツにハンドウォーマーだけでは寒いくらいだ。旅行中は主として海抜1500~2000メートルくらいのところにいたのだが、海抜0メートルに近いカリフォルニアの方が寒いのは海流のせいかもしれません。

ホテルを出て海岸に向かって走っていると、とあるホテルの前で4,5人がシュプレヒコールを上げながら行ったり来たりのデモ行進をしているのに出会った。不当解雇への抗議だろうか。自分は通りすがりの旅人に過ぎないけれど、ここにもそれぞれの生活があるんだなという当たり前のことを改めて感じた。

海岸に出ると大勢のランナー、ジョガーが走っている。ランナーとジョガーの区別は明確でないが、記録を意識して走っている人がランナーで、健康のためや気持ちがいいからという理由で記録を度外視して走っている人はジョガーだと理解している(自分も今はジョガーに成り下がって?しまった)。いずれにしても疲れ気味の自分はみんなに抜かれっぱなしである。唯一抜いた人はこの体型の人に負けるようでは走るのを止めた方がいいと思わせる人(失礼)であった。
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やがて霧の中から金門橋の橋脚がぼんやりと浮かび出てくる。
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海岸線から橋の上までは100メートル近い登りである。これから金門橋を走れるんだという喜びで、登りも苦にならない。橋に登り詰める直下の広場にカフェがあり、朝はラーメンだけだったので食べて行きたい気もしたが、せっかく高まった気持ちが落ちてしまう気がしたし、対岸にも多分同じような施設があるだろうから、そちらで食べようと素通りする。
橋の上の車道の両側に付けられた側道は歩く人、走る人、自転車乗りで渋滞気味だ。
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ただそれも橋のたもと付近だけのことで、すぐにスイスイ走れるようになる。ただ足がだんだん疲れてきてなかなかスイスイというわけにはいかないのだが
橋は霧に包まれているほとんど展望が効かないのが残念だ。足下の海だけがかろうじて見えている。やがて対岸がうっすらと姿を現す。向こう岸に着いた時には、かなり空腹になってきたので、カフェを探したが、こちら側にはトイレばかりが3カ所もあるのにカフェがない。がっかりしたが、サンフランシスコ側に戻るしかない。最初は歩いて戻ろうかと思ったが、早く食べたいので、空腹を我慢してやはり走ることになってしまった。

サンフランシスコ側に戻って、パンを食べてやっと人心地が着いたが、さてこれからどうしよう。町まで走って戻ることも出来るのだが、ちょっとモチベーションが落ちてしまったなと思っていると、路線バスがやってくる。中心街まで行くのかなと思っていたら、さきほど走ってきた途中にある公園までしか行かないようだ。まあそこで乗り継ぎのバスが多分あるだろうからと乗り込む。バスの車体には大人2ドルと書いてあったので、運転手に渡そうとしたが、受け取らずに中の方に行けと合図する。ほかの人はどうしてるのかなと思って見てたら、回数券を手に持っている人もいるが、それを渡している様子もない。きっと下車するときに払うんだろうなとその時は思った。バスは海岸線を離れて町中を通っていく。とある停留所でほとんどの人が後ろの方から降りてしまうので、つられて降りてしまったが、誰も料金を支払っていないので、自分も意図せざる無賃乗車をしてしまった。今日は日曜だからタダだったのかなとも思ったが、真相はわからずじまいであった。

そこからはサンフランシスコ名物のケーブルカーが登る高みを目指して急坂を上っていく。東京にはないもの凄い急な坂だ。
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やがて坂を登りきると、ケーブルカーが走っていた。ただ乗り場はないようなのでどうやって乗っていいのかわからない。地図をよく見ると、さきほどのバスの終点まで行けば、そこからケーブルカーが出ていて乗れたのに惜しいことをしてしまった。

最初にサンフランシスコに来た時に泊まったホテルがこの近くにあるはずだと思って歩いていったら、すぐに見つかった。その近くに寿司屋があったので入って見る。海外で日本料理店に入ることはあまりない。というのは高い値段を出してまがい物を食べることが多いからだ。ただ柔道が世界のJYUDOになったように、世界の味となったロール寿司を食べてみるのも悪くないかなと思ってカツ巻きというのを注文する。ついでに日本酒も頼んでしまった。真昼間から酒なぞ飲んでしまって申し訳けありません。
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ちょうどテレビではレスリングの試合をやっていた。アメリカ選手以外だけの試合の放映は珍しいのだが、残り競技も少なくなってきたためか、日本人とインド人選手による決勝戦であった。日本が金メダルを取る瞬間を見ることができたのはラッキーだった。
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酔いが回ったこともあって気が大きくなり27ドルの料金に対して5ドルもチップを渡してしまった。

ホテルに戻って酔いを覚ましてから、もう一仕事が待っていた。それは翌日の空港までのアプローチを確保することだ。行きは自転車でフリーウェーに迷い込んでしまい、パトロールに捕まってしまう失敗をしているので、同じ方法を取るわけにはいかない。空港までのポピュラーなアプローチはシャトルバスのようだが、果たして自転車を運んでくれるのかそうかがわからない。バートという電車もあり、これならば自転車を携行することは問題はないだろうが、バートに関しては「地球の歩き方」にも具体的なことは乗っていないのでネットで調べたところ、切符の買い方が難しく、地元の人でも切符売り場の前で立ち往生していることも珍しくないそうで、切符の買い方のユーチューブまであった。これは事前に練習しておく必要があると思ったが、空港までただ往復するのは能がないし、それにバートの乗り場がどこにあるかはネットに乗ってはいるものの、場所の特定が難しかった。それとグーグルマップの自転車モードでは空港まで走行可能となっている以上は一度は通ってみて初日の゙リベンジをしておく必要もあった。それに空港からならば乗り場に迷うこともないだろうし、サンフランシスコで下車しておけば翌日乗り場探しで苦労することもないわけだ、グーグルマップの自転車モードでは所要時間1時間半となっていたので、多少迷っても倍の3時間と見ておけば7時前には帰れるだろうと見当をつけておいた。

フリーウェイに入ってはいけないという心配が出発して30分くらいで早くも現実のものとなった。今まで走っていた道がフリーウェイに吸収されているからであった。そこで手前の道を左に曲がって海側に行くことで、しばらくは一般道を進むことができた。だがこれも無くは続かなかった。左手は小高い丘に遮られ、右の方からフリーウェイが近づいてきたからであった。車はほとんどフリーウェイに分岐していった後も、しばらくは一般道は続いていたが、やがて行き止まりになり、少し戻って道を探してもすべて行き止まりであった。万事休すだ。まだ暗くならないうちにサンフランシスコに戻らなければならないと戻りはじめてしばらく行くと、フリーウェイの下を横切る道を発見したので、また空港を目指すことにする。

その後もフリーウェイが近づくたびに不安を感じたが、なんとか一般道を進んでいるうちに、企業団地の中に迷い込んでしまった。プライベート・セキュリティと書かれた車と出会い、いやな感じがしたが、企業団地から戻る方に向きを変えたので、何も言ってくることはなかった。企業団地から遠ざかろうとしているときに、海側に細い道が分岐しているのを発見し、そこを進むと企業団地を迂回できることがわかった。全くもってグーグルマップの自転車モードの道を行くことは針の穴に糸を通すようなもので、迷わずに行くことは不可能に近いことと思えた。その後もいろいろとたいへんだったが、なんとか空港までたどり着いたものの、要した時間は5時間近くとなってしまった。

肝心のバートの方はネットで調べておいた御陰で、さほど苦労もせずに乗車でき、ホテルからさほど遠くない所に地下に潜るエレベーターとエスカレーターがあることも確認できたので、これで翌日の心配はなくなったが、いやはや今日もたいへんな一日となってしまった。ホテルに戻ったのは9時を過ぎており、早く戻れればジムに行ってみようなどと考えていたのはとんでもないことであった。

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2012年8月12日 (日)

アムトラック鉄道旅行記

昨夜は結局1時間くらいしか眠れなかった。というのは携帯の圏内では日本からの仕事の連絡に対応するため、日本のビジネスアワーに合わせてこちらの時間である深夜2時くらいまで起きていることが旅行中の通例になっていて、その代わり、朝は7時頃起きるのであるが(サマータイムの影響もあって、こちらが明るくなるのは6時頃からである。)、今日は列車乗車のこともあって寝過ごしてはいけないと思ってベッドには横にならずに椅子に座ったまま夜明かししたからである。部屋を利用しているのにベッドを利用した形跡がないので、部屋の掃除の人は変な客だと思うだろう。

暗いうちからチェックアウトして駅に向かう。駅はまだ乗客もまばらであった。早速バウチャと引き替えに切符を受け取って一安心する。その後に自転車を預けなければならないのだが、セブンイレブンまで買い物を済ませてからにする。寝台車利用客は食事付きだそうだが、座席車利用客は車内のビュッフェのような所で飲食物を買わなければいけないそうで、かなり割高だそうである。そのため、ウィスキーとつまみは昨日中に買っておいたが、日持ちのしないサンドイッチ類は朝買うつもりだったのである。駅に来る途中にもセブンイレブンはあったが、気がせいていたのと、どうせ駅での待ち時間が長いので、その間に買いに行けばいいやと思ったからである。だがセブンイレブンまでは随分と遠く、自転車を利用してもかなり時間がかかってしまい、駅に戻って来た時には、7時45分と聞いた改札時間間近(多分そうだろうと思っていた)となってしまっていて待合室も満員であった。慌てて自転車を預けようとしたら、そのままではダメだといって係の人が自転車収納用の箱を持ってきてくれた。だが箱にいれるためにはペダルを外さなければならない。係の人が工具で外そうとするが固くて外れない。自分の持ってきた工具で外そうとしたがやはり外れない。そこで係の人に携行している厚地のケースに入れるのでもいいかと聞くと、かまわないようだったので、あわててケースに入れる。荷物預けの手続きは5ドルだった。グレイハウンドバスとデルタ航空の預け料がそれぞれ60ドル、100ドルだったのと比べると随分と安かった。

改札時間?は過ぎているのに一向に改札は始まらず、待合室の乗客もじっとししていて焦っている表情はない。きっと到着が遅れの案内があったのだろう。ひょっとして、待合室で待っている人は自分とは違う列車を待っているのではないかと疑心暗鬼にもなりかけたが、いやそんなことはない、サンフランシスコ行きとシカゴ行きの各1本が1日に発着するだけで、シカゴ行きは夕方だから今から待っているはずはないからである。なにしろ駅にはお知らせの表示が一切無く、時々ある案内の放送もチンプンカンプンなので、つん簿桟敷に置かれたようなものである。しばらくして待合室の後方で寝台客と座席客に別れてなにやら手続きが始まったようである。ただ待合室の全員がそこに並ぼうとはせず、一部の人が並んでいるだけである。当然自分は座席客の方に並び、順番が来たので、さきほどもらった切符を見せて、これでいいですかと聞くとOKと言われ、紙に手書きで数字と文字が記入された紙が渡された。どうやらこれが座席の指定なのだろうとその時は思った。手書きの紙の記入されたもののうち、511という数字の方の意味はすぐにわかった。駅のホームに順番に数字が記載された表示がぶらさげられていたので、これは乗車位置ないし車両番号を示すものだろう。EMY1という文字と数字の意味がわからなかった。座席の番号にしては妙なものに思えた。出発時間を聞くと、やはり1時間あまり遅れているようである。

待合室の外に出てホームの方を眺めていると、やがて列車が入ってきた。だがホームの方にすぐに近寄ったのは一部の人だけで大半の人は待合室から出ようとしない。停車時間が長いことを知っているからだろうか。デンバーで下車する乗客がパラパラと降りてくるが、出口が1カ所しかないため、全員が出口から出るのにはかなり時間がかかり、その間は乗車しようとする客はホームには入れず、待っていなければならない。待合室の方を見ると、降りてくる人に手を振っている人が何人か見かけられる。これでかなりの疑問が解消した。待合室のかなりの人は迎えに来ている人だったのだ。日本と違ってタクシーが待っているわけでもないので、車で迎えに行かないと困るのだろう。それで改札手続きをしない人が大勢いたわけだ。また降りる人が全員ホームの出口から出ないとホームには入れないので、列車が来てもすぐにはホームの方には向かわなかったのだ。

ようやく降車客全員がホーム出口から出たので、ホームに入ることができ、511の表示のある所から車内に入った。車内には座席番号の表示があるが、それは数字だけであり文字の表記はない。ひょっとして自由席なのかと思って近くの駅員に聞くと、どうもそうらしい。駅員には2階に行けと言われる。2階にはシカゴ方面からの乗客の荷物に占領されている座席が多く、その上部には私がもらったのと同じような文字と数字が書かれた紙が貼ってある。荷物が置いてなく上部に紙も貼っていない二人席を見つけたので、そこに座ることにした。誰かが「そこは私の席です」と言って追い出されるのではないかと多少は心配したが、間もなく発車しても誰も来なかったので、その心配も消えた。やがて車掌が来て、私が持っていた手書きの数字と文字の紙を上部に貼り付けていったので、例の紙はこの席は利用済みですということを表す紙であることもわかった。末尾に1か2の数字が書かれているのは利用済みの座席の数のようであった。ようやく疑問が解消したので、これで鉄道旅行が楽しめそうだ。

車内には各座席ごとにコンセントがついているので、暇な車中のブログ書きにはもってこいである。これでWifiも使えると言うことなしなのだが、非常に強いと表示される無線LANの電波(といっても54Mbps程度だが)は捉えるものの、接続不能となってしまう。まあアップロードはサンフランシスコに戻ってネット環境のある所でやればいいので、車内では旅行全体を通じて感じたことなどについてまとめておこうとブログを書き始めた途端に睡魔に襲われ、気づいた時にはこの鉄道の最高地点(おそらく3500メートルくらいか)ははるかに通り過ぎてしまった。まあ自転車でそれと同じ程度の高さまで登ったのだからいいやと思うことにした。

列車は渓谷を過ぎて次第に高度を下げて行く。途中いくつかの駅に停車するが乗降客はさほど多くはない。山間部の登りではスピードが遅く、数日前に見た5重連の百両余りの貨物列車と大差ないスピードで走っていたが、下りになると流石にスピードが出て車と遜色がない程度にまでスピードアップするが、それでも乗車時間33時間というのはとてつもなく長い。こんなに長い時間列車に乗るのは30年以上前にデリーを起点として、マドラス(現チェンナイ)、ボンベイ(現ムンバイ)とそれぞれ2泊の夜行で周遊したとき以来である。あの時は、特にマドラスからボンベイまでのデカン高原の横断は代わり映えのしない風景が延々と続き、非常に退屈したものである。その点、今はパソコンさへ使用可能であれば、文書書きだけでなく、電子書籍、カシミール地図での山行計画など退屈することがない(ネットに繋げられればもっといいんだけど)。

列車はやがて丘陵部分を行くようになる。実は今回の計画段階では最初はこの鉄道に沿ってデンバーを目指すことを考えていた。その理由は鉄道に沿って走れば、もしアクシデントが起きても、比較的容易にエスケープできるのではないかと考えたからであるが、やはりこのコースは距離が長くて日程的にきついことと、エスケープできるといっても、日本のように駅の間隔が数キロ程度というのと異なり、100キロ以上は離れているので、なかなか歩いてエスケープするのは容易ではなく、ヒッチハイクに頼らざるを得ないのであれば、鉄道に沿って走行するというメリットは薄いので計画変更となったものである。ただ一度計画したコースであるだけに、途中の地名でも記憶に残っている所も多く、全然知らないところを進んでいるという気がしない。

列車は夕方にはグランド・ジャンクションに着く。沿線ではデンバーに次ぐ大きな町である。クライミング・ジムが二カ所もあることまで調べてあるのだ。グランド・リバーに近づくと段々と平原に成っていき、半砂漠のような状態になってくる。ここユタ州の西隣ネバダは砂漠の州なのだ。あたりは次第に明るさが失われ、日没まではそう多くの時間を要しないだろう。

持参したサンドイッチと一緒にコーヒーを飲もうと売店を探しに行くがわからず、食堂車まで来てしまうと、係の人に座席客はここに来てはダメだ。手前の1階に売店があると言われ戻ってコーヒーを買う。2ドルと高くはなかったが、缶ビールの方は5ドルと割高だ。今晩はウィスキーで我慢して明日買ってみよう。

外はいつのまにか真暗闇である。人家の明かりも見えない。無人の荒野を進んでいるようだ。ウィスキーを飲みながら音楽を聴いているといつのまにかウトウトしてくる。深夜にソルトレイクに着く。長時間停車するようだが、眠かったので外には出なかった。

ソルトレイクを出てしばらくするとネバダ州に入り、時間を1時間戻すことになる。この頃になると、段々目が冴えてきたので、まわりの乗客は寝入っているが、PCでゲームをやって時間を潰す。

やがて外もぼんやりと明るくなってくる。周囲の風景は期待した通りの砂漠の風景である。
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乗客もぼちぼち起きだしてくる。今朝のメニューはキャンプの途中で食べるつもりで買ったレトルトのシチューである。日数が経っているので、ちょっと心配だったが、一口食べてみて異常はなかったので、そのまま食べる。もはや自分の体は尋常の体ではなくなっているのかもしれない。

砂漠の中に少しづつ緑がまじり、その割合がふえてくるとカジノの町リノである。バス待ちで一日滞在した町で懐かしかったが、ホームからは町は見えなかった。

ソルトレイク~リノはバスでも通ったし(夜行ではあるが)、当初は自転車走行の予定もあって、ある程度調べたことがあるので、多少は馴染みがあるが、リノから先はサンフランシスコまでは未知の世界である。ただ、この頃になると列車の旅にも少々飽きてきた。

昼前に売店で缶ビールを買って、つまみと一緒に飲んで昼食代わりとする。結局車中での食事は持参したものでほとんど済まし、買ったのはコーヒーとビールだけである。

リノ以降の途中の停車駅で名前を知っているのはここまででサクラメントだけである。かなり大きい町である。カリフォルニア州の地図の一部を紛失したので、場所がよくわからないが、たしかサンフランシスコには近いはずである。

この時点での遅れはデンバー出発時の1時間を多少上回っていた程度だが、その後も、線路上での無意味な長時間停車があったりして、遅れは2時間近くに広がっていた。遅れを取り戻そうという気などさらさらないようだ。まあこちらも急いではないのだが。

リッチモンドに近づくとサンフランシスコ湾の一部が見えてきた。とうとうここまで来たんだという気持ちであった。内陸部ばかり走っていたので、久しぶりに見る海がまぶしい(実際に太陽が反射してまぶしいのだが)。
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列車はサンフランシスコには直接乗り入れずに対岸のオークランドまでで、ここからはバスに乗り込むことになる。34時間に及んだ列車旅行はようやく終わった。
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預けた荷物がどうなるかが気になり、最初はバスの下車地点まで荷物専用車が運んでくれるのかと思って、そのまま乗り込んだが、他の乗客が自分で荷物をバスの横に置いているのを見て、慌てて同じようにする。

わからない所で降ろされると、現在位置の確認に苦労するので、壊れたGPSを動かしてみると、どうやら機能している。ところがベイブリッジに向かうはずなのに、違う方向に向かっている。GPSが誤作動しているのかと思ったが、そうではなくて、全員がサンフランシスコに向かうのではなくて途中下車の乗客もいるためだった。

バスはベイブリッジを渡る。路肩もないところで、これでは自転車では通れないはずだ。バスはフェリー乗り場付近で停車したので下車し、自転車を取り出す。ここで念のためにGPSを動かしてみると、こんどは動かない。肝心な時に役に立たないヤツだ。こいつのためにどんなに苦労させられたのかと思った。ただ、その場所はよく知っている場所だし、宿泊するホテルも出発時とは別のホテルだが、出発時に場所を調べてあったので、迷わずに行くことができた。

今晩は疲れていたので、近くのチャイナレストランで食事を済ませた後、ウィスキーのポケット瓶を買ってホテルで飲んで、市内観光は明日ゆっくり行おう。

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2012年8月10日 (金)

デンバーにゴール

今日はいよいよデンバーにゴールする日である。
ネットで調べると21マイルとある。もっとも、これは両都市をほぼ直線で結ぶ36号線を利用した場合のことで、36号線は途中でフリーウェイに変わるので、敬遠することにする。山側の93号線経由の場合は多少遠回りになるが、13時前に始まる女子サッカーの日米決勝戦は多分、自分の部屋で見られるだろうと思っていた。
93号線を行くのであれば立ち寄りたい場所がある。途中3マイルほど山の奥の方に入ったところにあるエルドラドという比較的知られた岩場である。行ってみると、料金徴収所がある。歩行者3ドル、乗り物8ドル、ペット70ドルとある。自転車の場合、どれに該当するのかよくわからないが、いずれにしてもちょっと見るだけで金を払うのは馬鹿らしいので、料金所の手前から見るだけにする。ここからでも2パーティーが登っているのが見える。スケールは4ピッチほどであろうか、岩場全体の規模はここから見た限りでは前日のキャニオンに比べれば少し小さいようである。
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これで気が済んだので元来た道を戻る。93号線に戻ってすぐに峠を越すと、これでヨセミテと並んで3泊も長居したボルダーも見納めである。ここから少し先からは、128号線に入って既にフリーウェイとなっている36号線に向かって東に進む。緩やかな坂を上って峠を越すと、デンバー市街が見えてくる。今まで通ってきた町とはスケールの違う大都会だ。やがて市街地に入り前方に国内線の空港が見えてくる。このまま行くとフリーウェイの36号線に合流してしまうので、手前で121号線に別れて南下する。高層ビル群ははるかかなたに見えるが、今日のホテルは恐らくあのあたりだろうから、まだ1時間以上はかかるはずだ。女子サッカー決勝戦を開始から自分の部屋で見るのは無理なようだ。後半戦だけでもいいかなと考える。市街地に入ってからは真っ平らなのかと思ったら、傾斜こそ緩いもののアップダウンが多くて時間がかかり、後半戦を見るのも難しく思えて携帯のIモードで試合経過を確認すると、前半1-0で負けている。これはどこか試合をテレビで放映しているレストランを探すが、ファーストフード店ばかりで、こういう所にはテレビは置いていないのでレストランはないかと思ったらデニーズがあった。ここならひょっとしてと思って店内に入ったが、店内監視用のモニターあるだけでテレビ放映はなかった。店内でメニューを渡されると前回のブログでアメリカでは見かけないと書いたばかりのスパゲッティがあるではないか。迷わずそれを注文する。そうかデニーズにはあったのか。でも田舎にはデニーズなんかなかったしな。
スパゲッティ自体は期待した味とは違っていたが、店内に長居している間に試合の方は2対1で負けたことが確認された。まあ負け試合だったからライブで見れなくても良かったかと慰めて南下を続ける。もう急ぐ必要もないので歩道の方をゆっくりと進む。やがて懐かしい40号線と交差する。ロッキーマウンテン国立公園の手前で別れる前に10日近く走った道だ。ここではコフラック通りと名前を変えており、今日のホテルもその道沿いにあるようなので、その通りに沿って東に進路を変える。
段々と家が密集し始めた頃にモーテルが次から次へと現れる。こんなにモーテルがあるんだったらホテルでなくてモーテルにすればよかったかなと後悔する。値段的にはさほど差はないが、ホテルの場合はいちいち自転車を袋から出したり入れたりして運ばなければならないからである。ただモーテルの場合はネットでは予約が困難なようなので、出発日が固定されていて、予め早めに予約しておかないと安心できない場合には利用しずらい面はある。
中心街に近づいて、道が高架に変わったところから、道路の状況が一変し、あの恐怖のフリーウェーの表示が現れる。慌てて戻って別の道を探そうとしたが別の道はないようだ。困っていると、反対側の車線にはコンクリート壁で仕切られた歩道があり、人や自転車が通っている。そこで信号のある横断歩道を渡って反対側に渡り、そのまましばらく行くと高架部分は終わって平地に戻り、両側に歩道のある一般道に変わっている。フリーウェイは気が付かないうちに分岐したのであろうか。アメリカの道というのはフリーウェーと一般道との境目がはっきりしなくて、自転車乗り泣かせの道である。
そんなこんなで時間がかかり、目的のホテルに着いたのは夕方になってしまった。今日中にしなければいけないというわけではないのだが、翌日の列車の乗車券とバウチャーを交換するためにアムトラック鉄道駅に行っておこうと場所を確認するとホテルから1マイルほどなので、これならば歩いても行けるだろうと、市内見物がてらに出かける。実際に出かけてみると、道に迷ったわけでもないのに、思っていたよりも倍くらい多い時間がかかって目的の駅には着いた。だが様子がおかしいのである。駅舎に電気はついているが、まわりを柵で囲まれていて人気がないのである。駅舎は21番通りのウェマッタ通りの交差する場所に引っ越したとあり仰天する。今日来ておいてよかった。当日も多少早めには来るだろうが、こんな表示をみたら大いに動揺するに違いない。全く最後まで楽をさせてくれない旅だ。
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今いるのは15番通りと16番通りの間だから21番通りというのは少し歩けばいいだけだが、ウェマッタ通りというのは地図には出ていないのでわからない。まあとにかく21番通りに行ってみるしかないと歩き出す。ところが21番通りに行って新しい駅のことを聞いてみるがわからない。困ったなあと思ってまたさきほどの駅舎のところに戻って近くにたむろしている人に聞いてみると教えてくれた。反対側の方にぐるっと大きく回っていくとあるという。さっそく行ってみると、あたりは大規模な再開発が行われているようで、教えてもらった所にたしかにあった。駅舎には明かりはついていたが、30分ほど前にクローズされたようだ。まあ手続きはできなかったけど、これで明日は問題なく手続きできるだろう。行ったり来たりで3時間のロスである。こんなことなら自転車で来れば良かったと思ったが後の祭りである。帰りはデンバーの繁華街である16番通りを見物しながらホテルに戻った。

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2012年8月 9日 (木)

ボルダーの休日 行動編

十分な休養を取り、日も陰り始めた頃にクライミングジムに出かける。ボルダーという街はランニングの盛んな街だが、それと並んでクライミングの盛んな街でもあるようだ。なにしろ人口10万に対してクライミングジムが4軒もあるのだ。だがその前にやることがある。クライミングジムの場所お確認することだ。ネットで住所は調べてあるのだが、こちらの住所は通りの名前と番号で表記されるだけだ。日本でもそうだがクライミングジムというのは裏通りの元工場や倉庫と相場が決まっていて、裏通りの名前は地図から探すのは至難の技なのである。そこで登山用具店で確認することとし、ついでに1カ月近くも連日砂を浴び続けてズボンが街中で着るのは気が引けるほど消耗したので、クライミングパンツも購入することとした。昨日から見ている限りは、登山用具店はモンベルという日本から進出したメーカーの直営店しかない。ボルダーまで来て日本製を買うのもなあとは思ったが、いたしかたない。まずパンツを買った後に、ジムの場所を確認する。すると、日本人の店員がいて話に加わってきて、いろいろと情報を教えてくれる。私がサンフランシスコから自転車で来たといったらびっくりしていたが、あんまりそういう人はいないんだろうな(まして登山用具店を訪れる人の中では)。
道順を教えてもらった御陰で多少は迷ったが、無事にジムに辿り着く。
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これですぐ始められると思ったら、初めての人の場合には日本でもそうだが登録手続きが必要なのだが、これが一筋縄ではいかない。パソコン画面に入力するのだが、わからないことが多く、そのたびに受付に聞きに行く。受付の人が見かねて、パソコンの横につきっきりになる。全てを入力し終えたら、次は10近い項目について了解したというサインをパソコンに連結した手書き入力装置に入力する。要は事故があった場合のジム側の免責のためなのだろうが、事故さへおこさなければ問題ないだろうと、内容も確認せずにサインを続ける。これで登録完了なのだが、次にさきほどの受付の人から、安全上その他ジム利用上の注意事項について説明を受ける。内容はほとんど理解できないのだが、わかったふりをする。あまり反応がないのも、理解してなのではないかと思われると思って、わかる部分のみを復唱したり相づちを打ったりしてなんとかごまかす。これで天下御免で自由に遊べるようになるのだが、ここまで辿り着くのでかなり疲れてしまった。デンバーやサンフランシスコでも時間があったらジムに寄ってみようかなと思っていたが、この手続きの煩雑さを考えると二の足を踏んでしまう(ジムによってやり方も違うだろうし)。
今回行ったジムはボルダリング専用のジムである。ボルダリングというのは地名のボルダーと発音が似ているが、元々はロープを使わないで登れる崖登りという意味で地名とは関係ないようだ。ジムの内容そのものは日本のものと大きな違いはない。ただ、日本の場合は天井の高さの問題から終了点を両手で保持すればおしまいになるのだが、ここの場合は、いくつかの壁は壁の屋根まで上がって裏側等から降りるようになっていた。自然の岩のボルダリングの場合は当然そうなるわけだから、より自然の岩のボルダリングに近い練習が出来る気がした。難しさのグレードは日本のジムでは段級制が一般的だが、当然こちらではVグレードなんだろうけど、それについてはジムには説明はないようで課題の各ホールドにつけられているテープの色で区別しているようだ。いくつかの課題を登っていると、テープの色ごとのグレードがわかってくるが、なかにはこれはという色とグレードがあっているものもあった。もしかしたら、途中のテープが剥がれてしまったのかもしれない。
一通り遊んで帰ることにしたが、途中、ランニング・カンパニーというシューズ店を見つけた。さすが、ランニングの盛んなボルダーならではという感じであった。
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翌日はランニングの高地トレーニングのメッカであるボルダーならではということで、高橋尚子に思いを馳せながら走ってみようということになった。彼女が生まれた岐阜県や小出監督の下で練習した佐倉には尚子ロードというのがあるが、当然こちらににはそのようなものはないので、どこで練習していたのかはネットで調べた限りではわからなかった。ただ彼女はここボルダーよりも300メートルほど高い1800メートルくらいの所を練習拠点とし、金メダルに輝いたシドニーオリンピックの直前には標高3500メートル近くまで走るというハードスケジュールを行っていたということなので、今回は標高2500メートルくらいまでを目指すことした。
出発してしばらくは自動車禁止のコースを行く。自動車道とは立体交差なので、信号にわづらわらされることなく行けるので多くのランナーや自転車が行き交っている。高橋尚子も多分ここを走ったのだろう。シドニーの前には高揚した気分で、引退直前の最後の合宿の時は失意にうちひしがれて。
トレイルはやがて自動車道と合流し、この上は路肩も狭く走りにくいので、ここまで走りにくる人はいない。高橋尚子も多分ここを走ることはなかったのだろうが、今回ここを選んだのにはわけがある。それはアメリカを代表する岩場のひとつとされるボルダーキャニオンがあるので、それを見に行くことであった。
走り始めは快調で、長期の自転車走行の影響もなく、自転車とランニングでは使う筋肉が違うんだなどと考えていたが、じわりじわりとその影響が出始めた。これでは2500メートルまではとても行けないが、せめてボルダーキャニオンまではと頑張ってようやく辿り着いた。標高は2000メートルなのでボルダーからは500メートルの登りである。
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岩場自体はかなり規模が大きく多くのクライマーが登っていた。しばらく見物した後、近くにボルダーフォールという滝があって、結構観光客を集めているようなので見に行くことにした。手前の岩に遮られて上の方は見えないが、下の方には滝の流れが見える。きっともう少し回り込めば滝の全容が見られるのだろうと歩いて見ると、さきほど隠れていた部分には滝はなく、滝の下部だと思っていたのが滝の全容であることがわかり、あまりにも貧相な滝に唖然とする。今回はヨセミテでも観光名所の滝が渇水時期のためしょぼかったりと(これは最初からわかっていたことだが)、どうも滝にはついていないようである。
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滝の見物もそこそこに下りに移る。しばらくは走っていたが、足の疲労に耐えかねて歩きに変わってしまう。やがて自動車道と分かれてトレイルに移ると、行きは気がつかなかったのだが、トレイルの回りは岩場だらけなのだ。もしボルダーに住むことができれば、クライミング、、ランニングや自転車と楽しむことが出来、魚釣りやスキーと趣味が広がりそうだ。大人たちが子供に交じって行っている川遊びも実に楽しそうだ。
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トレイルはやがて中心街に通じる。ここで初日にお祝いにステーキを食べた店で今度はパスタを食べた。本当はスパゲッティを食べたかったのだが、今回行った各地のレストランではついぞスパゲッティのメニューは見かけなかった。イタリア料理の中では自分の嗜好としてはスパゲッティ>パスタ>ピザの順なのだが、アメリカ人の嗜好はその逆らしい。
短い滞在だったが、ボルダーは本当に来てよかった。明日は最終のゴールであるデンバーである(本当のゴールは日本帰国だが)。デンバー周辺にはフリーウェーが多いようなので、迷い込まないように気をつけなくっちゃ
モーテル近くまで戻る途中のバス停で女の人がバスの前面に自転車を乗っけていたのでパチリ
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こちらのバスは前面に自転車2台まで乗せられるのだが、どうやって乗せるのだろうと前から思っていたところ、偶然に現場に遭遇。運転手は手伝わずに乗客だけで作業するようだ。でも女性にとってはなかなかの重労働。この女性も「ヘルプミー」と叫んでいましたので手伝いに駆け寄りました。

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2012年8月 8日 (水)

ボルダーの休日 休養編

リノで泊まったホテルの時だから10日以上になるであろうか。
ほぼ毎晩といてもよいくらい、長時間に渡っての足の痙攣に悩まされている。
もともと睡眠中の足の痙攣は珍しいことではないが、その頻度、継続時間及び部所が従来とは異なっている。
従来は、脹ら脛と太股が多かったが、今回はそれに加えて下肢の前面が多いことが特徴である。これはペダルを長時間踏み続けるという普段はあまりやらない運動により、この部分の疲労がいかに激しいかがわかる。そのため、本日は完全休養をとって、翌日の山岳ランニングに備えることにしたのだが、自転車とランニングは使う筋肉が違うので多分大丈夫とは思うけど、無理はしないようにするつもりだ。

ところで完全休養といっても、食事をしないわけにはいかないので昼過ぎに外出する(朝はモーテルで簡単な食事は用意)。ハンバーガーやサンドイッチは食べ飽きたし、メニューを見ても何が出てくるかわからないレストランよりも、目で見て確認できるマーケットの方がいいと自転車で出かける。繁華街の外れにあるこのモーテルは、主として観光客向けであるレストラン街は比較的近いものの、主として市民が利用するマーケットは歩くと20分以上かかるので自転車を利用する。

マーケットを覗いていると、寿司のパックを発見。そういえば日本食は行きの機内で出た蕎麦以来だから随分食べていないなと迷わず購入。
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モーテルに戻って寿司を食べてからオリンピックのビーチバレー、アメリカ対ブラジル戦を見る。当然こちらではアメリカ選手が出場する競技中心に放映するわけだから日本選手は映らない(結果はネットで大体知っているが)。そんななかで女子サッカーの日米決勝対戦はこちらでも放映されるだろうから楽しみだ。問題はその放映日時だ。日本時間では10日早朝の4時前だから、こちらは9日13時前だ。ボルダーからデンバーへの移動は終わっているだろうから、ホテルのチェックインは通常15時なので、自分の部屋では見られない可能性がある。その場合にはテレビ放映しているレストラン等で観戦するしかない。アウェーでの観戦となるので、ひたすら沈黙を守るのみか

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ボルダーに移動

エステスパークから36マイル(約47キロ)離れたボルダーに移動。
ボルダーの方が約700メートル低いから楽勝かと思いきや、結構アップダウンがあって苦労する。
人口10万のボルダーはソルトレイクを出て以来初めての町ではない都市であった。
これだけ大きいとモーテルを探すにもちょっと苦労するが、1ケ月の旅行で宿を探す勘というか嗅覚が発達したようで、メイン通りの外れにモーテルを発見。1泊9千円と今まで泊まってきたモーテルよりも割高だが、国際的な観光地だからしょうがないか。郊外の山の方に行けばキャンプ場も何カ所かあるようなのだが、今は自転車では1メートルたりとも登りたくない心境なのだ。

一休みしてから、目抜き通りのパール・アビニューに行く。
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ショップやレストランがずらりと並んで賑わっている。とあるレストランでステーキとビールを注文して、ロッキー横断成功のお祝いをする。
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本当は昨夜エステスパークに下山したときにやりたかったのだが、時間が遅かったのでマックしか開いておらず、それも閉店間近なため持ち帰りとなってしまったため、持ち越しとなってしまったのである。

ボルダーはロッキーの山裾にある標高1500メートルの地で山並みが美しい(携帯での撮影のため、実際の美しさを再現でいませんが)。
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ミュンヘンオリンピックのマラソン金メダリストであるフランク・ショーターがここで高地トレーニングをしたことから世界的に有名となり、高橋尚子がここで標高3500メートルまで登るという伝説的なトレーニングを行ってシドニーオリンピックで金メダルに輝いた地でもある。
ここに3泊し、中2日のうち、初日は完全休養に充て、2日目に体力と筋肉疲労の回復具合ではあるが、高橋尚子が走ったかもしれない(実際の練習コースはネットで調べた限りではわからなかった)山岳コースを無理のない範囲で走ってみようと思う。
今回の旅行のうち、メインテーマのロッキー横断とサブのヨセミテクライミングは果たしたので、これが最後のチャレンジである。

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2012年8月 6日 (月)

ロッキー横断成功 続報

8月5日(日)

いよいよ標高差1300メートルに及ぶ峠越えを行ってのロッキー横断の日である。朝、室内で自転車に空気を入れていると、その振動が響いたようで、隣人から壁をたたいて苦情を言われたので、慌てて外で出発の支度を行う。準備も終わりチェックアウトをしに事務所に出向くと鍵が掛かっている。そこでブザーを鳴らしたのだが、その直後に壁に「10時前にチェックアウトするときは、部屋に鍵を置いたままにするように」とあるので、慌てて鍵を部屋に置いて出発する。どうも母国語の場合には注意書きは見た瞬間に理解できるが、外国語の場合は読まないと理解できないようだ。どうも立つ鳥後を濁してとなってしまった。

40号線をそのまま行くのがデンバーへの最短路だが、ロッキーマウンテンを迂回してしまうので、ロッキー横断にはならない。そこで10日近くお世話になった40号線と別れて34号線を行くのだが、その分岐点がわからない。さんざん探し回って、町の入り口手前にあることを発見する。昨日も通ったはずだが、モーテルを探すのに必死で見逃していたようだ。

34号線はしばらくは平坦だが3マイルほど行くといきなりの急登である。約100メートル登ると湖が現れる。それから先は大した登りはなくしばらく行くと国立公園の料金徴収所(自転車の場合は10ドル)があり、そこから先もしばらくは平坦だが、やがて登りとなってくる。といってもさほどの急登ではない。公園内には飲食店はないので、全て自前の物で済ませるしかない。4時過ぎには標高差800メートルを登り切って3000メートルに達する。この調子では最高点には6時過ぎには着くかなと考える。4時半には100メートルほど登って第一の峠に着く。登り返しをしたくないので、大きく下らないことを願っていたら、期待どおりに池のまわりを迂回してまた登りになる。順調に高度を上げて、3300メートルほどに達したとき森林限界を抜けて、これから登るコースの全体が見えてくる。「あそこまで登るのかー」という気持ちと「やってやろうじゃん」という気持ちが交錯する。もちろん後者の方が断然強いのだが
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下から見えていたコースをほぼ登り切り、曲り角付近まで来た時に急に不安になる。「あの先にまだ高いところがあるんじゃないか」という不安である。案の定、まだ登りは続いていた。落胆は禁じ得なかったが、よく見ると大した登りではない。もうひと頑張りで6時半に最高地点と思われる所(手持ちの高度計では3515メートル)につき携帯で手を伸ばして自分の写真を撮る。
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やったーという達成感とともにこれでもう登らなくいいんだという安堵感が入り交じる。車で来る人にとってはなんの意味もない地点のため、何をしているのだろうといぶかって通過していくようであった。

その後は若干のアップダウンもあったが、緩やかな下りが延々と続いていく。最後の最後で事故にあわないように慎重に降りていく。

だいぶ降りた頃にギアを切り替えた時にギアがからまってしまう。チェーンが切れたらたいへんなので、慎重に直していたら。通りすがりの人が手伝ってくれて間もなく直る。やがて暗くなってきてライトを着けながらの慎重な走りとなる。真っ暗になった頃にエステスパークに着くが2軒あるホテルがいずれも満員である。困ったなと思っていたら、地元の人が、ここはリゾート地なので、町に行けばモーテルがあるということで、道順を教えてくれる。町の方でも最初のモーテルは満員だったが、次に当たったモーテルには泊まれて野宿は避けられ、最良の日に最悪の事態になることは免れた。

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ロッキー横断成功 速報

8月5日18時30分(現地時間)にロッキーマウンテン・ナショナルパークを通過するルート34の最高地点3515メートル(手元の高度計表示)に到達し、その後1300メートル下のEstesParkに降りてホテルに宿泊しています。
疲れたので、詳細は明日報告します。

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2012年8月 5日 (日)

ロッキー横断にリーチ

8月4日(土)

朝起きて出発の準備をしていると、ヘルメットの紐が切れかかっているのに気づく。サングラスの折り曲げする部分の金具も壊れてしまった。1月近くのツーリング中に、GPS、カメラ等いろいろと壊れてしまった。人間と自転車本体に異常がないのが救いだ。ヘルメットは布テープか細引きがあれば直せるのだが、あと数日は切れないことを願おう。サングラスは午前中は無くてもいいので、昼食の時にビニールテープで修理しよう。

今日からは本格的のロッキー山中に入るので、ヨレヨレになった胸のROKKIES CROSSINGのゼッケンも新しい物に変え、背中に背負うザックにも新たに取り付けて、

昨日登り残した所を登り始める。
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朝の元気なうちは、登りもさして苦にならない。峠近くになると何人かのランナーが駆け下りてくる。すぐ上に大勢のランナーがたむろしていたので、多分駅伝をやっているのだろう(リレーという表示があった)。間もなく峠と思われる所に着いたが、その後もしばらくアップダウンが続き、本当の峠と思われる所からダウンヒルが始まる。大勢のランナーが苦しそうに登ってくる。中には歩いている人もいる。自分もランニングをやっている(いた?)だけに、その苦しさはよくわかる。英語でなんていうのかわからなかったので、日本語で「頑張れ!」と激励したら「サンキュー」と言われた。こんな長い距離のレースの逆送というのも、自分のランニング経験でも初めてである。ただ私が走行している右側の路肩の方が左側より広いせいか、ランナーは皆、私が走行している路肩の方を走ってくるので、そこそこスピードの出ている下りは、ランナーとすれ違うたびに衝突しないように後方の車に注意しながら車道の方に出なければならないのが煩わしい。

レースとは途中で道が分かれて、また静かになった道をクレムリングを目指すことになる。道が平らになってきたなと思ったら、右手の方を貨物列車が通過していくのが見える。私が登った峠道を大きく迂回してクレムリング方面に行くのであろう。この鉄道のことは観光情報にもないので、多分貨物専用線なだろうが、西部開拓時代には旅客用でもあったのだろう。インディアンに列車が襲撃される映画のシーンが思い出される。

クレムリングもそこそこの町であったが、クレイグなどよりは一回り小さい規模である。レストランに入って注文するのだが、毎回サンドイッチやハンバーガーというのも味気ないので、ソルトレイクを出発した夜に泊まったロッジでアピなんとかという種類の中から適当に注文したら、結構ボリュームがあるものが出てきたのを思い出し、よしそれで行こうとメニューを見る。多分素材と料理法が書いてあるのだろうがチンプンカンプン。かろうじてエビという単語がわかった料理を注文する。値段もそこそこ安い。待っている間にサングラスを黒のビニールテープで補修する。完璧な出来映えである。このテープは給水パイプの補修に続き、今回は大活躍である。

やがて小さなガラス容器に入れられたデザートのようなものが運ばれてくる。誰が注文したんだろうと思ってたら私のテーブルに置かれる。見ればガラスの容器の上部の縁にエビがずらりと並べてある。これが自分の注文した料理かと唖然とする。

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すぐに追加注文したかったが、そんなことをしたら、こちらの心を覗かれて馬鹿にされるだろうと思って止め、さも満足したように食べてチップもはずんで店を出た。その後、マーケットに入ってパンを買い求め、空腹を満たしたのは勿論である。

時間は2時半でまだ外は日差しが強い。マーケットの裏側が日陰になっていたので、日除けを兼ねてタイヤに空気を入れる。後輪の方は荷物が重くてそのままではとても入らないので、横倒しにして負荷のかからない状態で入れる。携帯用の空気入れではなかなかパンパンには出来ないが、前輪後輪ともにそこそこ入ったと思ったので出発する。ところが走り出してすぐに後輪の方がガタガタする。最初はパンクしたのかと思い、5本も用意した予備のチューブの出番かと思ったが、良く考えてみると、今まで問題なく走っていたのが、空気を入れた途端にパンクするというのも妙である。多分、空気入れを差し込んだ時に空気がほとんど抜けてしまいゼロに近い状態から入れたため、マーケットで水4リッターとソーダ水2本計5キロの重量増に耐えかねたのだろうと考え、空気を入れ直そうと思ったが、この強い日差しの下で作業をする気にはなれず、しばらくはガタガタ状態のまま走り、しばらく走行して見つけた表示板の裏が陰になっていたので、そこで自転車を横倒しして後輪に空気を入れることにした。今度は時間をかけて、これでもかというほど空気を入れたので、その後は大丈夫のようであった。

道は鉄道とその名もコロラド川と並行して走るようになったので、また比較的フラットになってくる。ただ鉄道があくまでフラットなのに対して、道路の方は多少はアップダウンが出てくる。どうして鉄道のようにフラットに出来ないのかと文句を言いたくなる。緩い登りでも時速10キロ以下でしか走れない。そのうちに左側の足が何カ所か痒くなってくる。さきほど長時間空気を入れていた時に左膝を立てていたので、その時に指されたのだろう。アメリカに来て以来、蚊を見かけることが全くなく、虫除けも使わず仕舞いで、この国は蚊のいない国かと思ったが、いる所にはいるものである。ところが今度は右側の手足も痒くなってくる。気がつけば、蚊だかブヨだかに取り囲まれている。10キロくらいのスピードだと動かしている足の部分でも平気で刺してくる。下りで30キロ程度出ていれば刺されないのだろうが、今日は無理だ。もう少しひどければ、防虫ネットに雨具スパッツの完全武装をしようかと思ったがなんとか耐えられそうだ。

道はホットなんとかスプリングス間近の渓谷地帯に入り、鉄道のすぐ横を走るようになる。すると後ろの方から汽笛が聞こえてくる。汽笛は段々と大きくなって、100両近い貨車が現れる。先頭と中間に各2両、末尾にも1両の機関車をつけてやってくる。こちらもスピードアップしたので暫くは併走する。鉄道ファンが見たら涎が出そうな壮観である。やがて列車には引き離されたが、間もなくなんとか(PHの部分のの読み方がわからない)スプリングズの町に入る。今日は40号線と別れた北側の山中でキャンプするつもりであったが、クレイグのとんでもないモーテルの御陰で、随分シャワーを浴びていないことを思い出して2軒あるモーテルに行ってみたが、いずれも満室であった。土曜日でこの時間では無理もないだろう。この先10マイル(16キロ)先のグランビーまで行ってみることにする。

途中でギアを切り替えていたらチェーンがおかしくなってくる。チェーンが切れたりでもしたら万事休すなので、すぐにチェックを始める。その時、カラフルな自転車乗りの集団が後ろから通り過ぎて行く。私の背中のゼッケンにはなんの反応もない。きっと私のようなトラベラーとは異次元の世界なのだろう。

チェーンの方は手で直せるレベルだったので、そのまま走行してグランビーの町に入る。入り口にモーテルがあったが、案の定、満室で、町中にあるかなりの数のモーテルも全て満室であった。この分では、この少し先に2カ所あるキャンプ場も満員だろうから、またキャンプ適地を探すしかなうかなと町はずれまて来たが、道は南の方に向かってしまい、北に向かう道が見つからない。そこで町に逆戻りしたら、先ほどは見落としていた空き室有りのモーテルを見つける。早速、受付をして自分の部屋に向かったところ、空き室なしの表示に変わっていたので、運がよかったといえる。

部屋に入ると、トラウマになってしまったのかシャワーとカギのチェックを始める。問題はなかったし、ネットも回線速度は遅いながら一応通じるので安心する。まわりのレストランはもう閉店となっているので、酒とつまみを買って、酒を飲みながらブログ書きを始める。

明日は今回の最高地点を越えてロッキーマウンテン国立公園に入り、高橋尚子らの高地トレーニングで有名なボルダー(そこからゴールのデンバーまでは数時間の下りで到達可能)に下ることも可能な見込みだが、ここ4日間、毎日500メートルほどの峠を越えながらコンスタントに100キロ以上走行するという頑張りをした御陰で、行程の遅れも取り戻して三日間の予備日を持っている状態になったので、ロッキーマウンテン国立公園内でホテルまたはキャンプが可能であれば1泊しておこうと思っている。

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ロッキー山中へ

8月3日(金)

朝目覚めると、真っ先に頭に浮かんだのはドアが開くかどうかということで、すぐにドアの所に駆け寄って暫く格闘するが、開く気配がない。朝の支度が一段落したら、再チャレンジするが、最悪の場合は網戸を破って脱出し、そこは人間しか通れないので、モーテルの人に自転車を部屋から出す助けを求めなければならないだろう。

支度が全て終わり、ドアに向かう。ダメなら最後の手段と覚悟してガチャガチャやったら、すんなり開いてしまい、ホットしたが拍子抜けでもあった。それですぐにモーテルを経営しているチャインナレストランに行ったら、カギがかかっていて11時オープンとある。仕方がないので、カギは部屋のテーブルに置いたまま出かけたが、最悪の場合に助けを求めても、2時間以上待たされる羽目になったわけだ。とんでもないモーテルに泊まることになったもんだ。

とんだハプニングで出発が遅れたが、今日は野宿覚悟なので、遅くなっても差し支えないのだ。

出発して間もなく鉄道と並行して(こんな所に鉄道なんかあったっけ)、エルク川に沿って上流に向かうため、アップダウンもほとんどないほぼ平らな道で非常に楽であった。昼食に立ち寄ったレストランで長時間待たされたにもかかわらず、スチームボートスプリングには4時半に着いた。ここは前夜泊まったクレイグよりも大きな町である。ロッキーが近いせいか観光客で賑わっている。前回のブログで、クレイグより先にはバルダーまで大きな町はないと書いたのは間違いであった。

ここから先はクレムリングの手前の峠2800メートル近くまでの約700メートルの登りである。今まで楽して来たのだからしょうがない。ただ時間的に峠までは無理なので、とりあえず2500メートルまで行ってみようと思っていたら、丁度その高さに達したときに偶然キャンプ適地を見つけたので早速テントを張る。
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2012年8月 3日 (金)

いよいよロッキー心臓部へ

8月2日(木)                                                   

今日の行程は悩ましいところであった。クレイグまでだと近すぎるし、その先で野宿するとなると、クレイグより先はボルダーまで大きな町はないらしいからである。
出発していきなり、アップダウンの連続である。朝一番の元気な時だから対応できるが、夕方の疲れている時だったら値を上げていただろう。朝はインスタントラーメン1袋だけだったので、ガス欠になりかけた頃、眼前が開けて緑に囲まれた美しい町メイベルが見えてくる。一気にダウンヒルして二度目の朝食を摂るべくレストランを探す。といっても小さい町だからすぐに町外れになってしまう。ホテルとモーテルが1軒づつ(どこが違うのかは外見上はわかえあないが)、マーケットが1軒あるが、肝心のレストランが見つからない。Net’sCafeというのはあった。インターネットカフェのことかしら。こんな所で商売になるとは思えないが、日本のネットカフェでも軽食は出しているのだらと店内に入ってみる。すると店内にはPCはない。なあんだ。ただのカフェじゃないかということになって、スクランブルエッグの朝食を注文する。料理を待つ間にひょっとしてと思ってザックからPCを出して起動してみたが、やはり無線LANは検出されなかった。出された朝食の油で炒めたジャガイモが美味しく、たっぷりチップをはずもうとレジに行くと、料金はいらないという。理由の説明は全然わからなかったが、私の胸にかかっているROKKIES CROSSINGのゼッケンの御利益かもしれない。
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不思議な町メイベルに向かう。朝とうって変わって傾斜の緩い坂が延々と続くので、ギアの高速モードでも楽々対応できる上、コロラド州に入って、めっきり交通量が減ったこともあってルンルン気分で走行を続けていく。やがて最後の峠に達すると眼前にクレイグの町が見えてくる。想像以上に大きな町だ。
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実際に町に降りてみると、完全休養したバーナルの町よりも大きいぐらいだ。時間はまだ3時だが、やはりこの町に泊まっていこうという気になった。というのは、昨日から携帯が圏外となってしまているので、やはりここはネットに接続してブログの更新や仕事上の連絡をとっておいた方がよいという判断からである。それでネット接続可を条件に他は無視してモーテルに泊まることにしたのだが、たしかにネットには繋がるが、昔の電話回線経由のスピードしか出ないし(YOUTubeを見るわけじゃないのだから許せるが)、シャワーはお湯も水も出ない(ヒマラヤだったら1月くらいシャワーなしは当たり前だし)、エアコンはつかない(元々エアコンはきらいだし)、でも一番困ったのはドアのカギ。かけるのも大変なのだが、一度かけると開けるのが更にたいへんだ。今は深夜なので防犯上かかっているが、朝はたしてカギを開けて出られるのかどうかが心配だ。まあ4000円以下という料金のせいもあるが、今までもいろいろな安宿に泊まってきたけど、こんな所は初めてだ。

明日からはいよいよロッキーの心臓部に入るので(朝、部屋を脱出できればのことだけど)、多分ネットには3~4日は接続できない見込みだ。今度のブログ更新はロッキー横断の報告だといいんだけど(このままずっと部屋に閉じこめられたりしちゃってるかも)。

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コロラド州に入る

8月1日(水)                                                   

当初の予定ではバーナルの次の宿泊予定はダイナザールで46キロしかない。これは次の宿泊予定地のメイベルまで100キロ近くあり、その間にはホテルまたはキャンプ場がなかったからである。だが今は野宿というのも選択肢になっているので、メイベルまでは無理としても、できるだけ遠くまで行きたいと、7時過ぎにはモーテルを出る。
前日に完全休養をとったため、快調に飛ばしていける。
午前中は妙義山を思わせるような変わった岩山や緑色をした川など見るべきものも多く退屈しない。
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昼過ぎに待望のコロラド州境の表示が目の前に現れた。その時であった。道路の反対側に2匹の小型犬がいて、こちらに向かってくるではないか。とうとう恐れていたワンちゃんとの対決が始まるのかと覚悟を決めたが、どうも様子が違う。ぜんぜん吠えないだけでなくフレンドリーな顔つきである。黒い方はそうでもなかったが、茶色い方は私の片足に前足でしがみつき、自転車の上によじ登ろうとしたりして放してくれない。しょうがないのでそのままにしておくと、飽きたらしくてコロラド州の歓迎ボードの方に行ってしまったが、この隙にとスタートすると後を追ってくるものの、スピードをあげると諦めてしまった。コロラド州のとんだ歓迎セレモニーであった。おそらく道路の両側には延々と鉄条網があるので、どこかの抜け道から道路に出てしまったものの、帰れなくなって長時間たったところに人間が来たので、嬉しくて寄ってきたのだろう。こんなところを通るのは車ばかりで人間は皆無だから。
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とんだ珍事でダイナザールに着いたのは12時半を過ぎてしまった。モーテル2軒とレストラン1軒があるだけでマーケットもなかった。こんなところを泊まり場にしなくて良かったと思った。サンドイッチを注文してゆっかり食べてから出発したが、マーケットがないのは残念だった。というのは、今日は野宿予定で食料や水が多かったので、ビールは途中で買おうと思っていたかである。地図にはこの先にもいくつか地名が書いてあるのでどっこかで買えるだろうと、その時は思っていた。
地図上の次の地名のブルーマウンテンで8マイル先。昼は暑いので1時間走行して休憩としているので、ちょうどよい距離だ。名前のとおりのおいしいコーヒーでも飲めるのかな。ところがこれが大間違いで、人家もない単に道が分岐しているだけのところであった。その先の地名のあるところにも人家がなかったが、地名の表示もなくて期待していなかった所に忽然とレストランが現れる。最初ドアを引いても動かないので、休みかなと思ったが、明かりがついていたので、強く引くと開いて中にはおばさんが一人暇そうにテレビを見ていた。夕食の時間にはまだ早かったのでコーラだけを注文する。炭酸飲料は携行しているのだが、お湯になてしまっているのに比べれば、氷入りのコーラの旨さは格別である。飲み終わっていくらだと聞くと1ドルだという。それではあまりに安すぎるのでもう1ドルをチップとして渡す。
レストランを出てしばらく走行していると、だんだん雲行きが怪しくなってくる。灰色の雲の上から無数の雲の糸が垂れているような今まで見たこともない情景が広がって、その中では稲妻が光っている。そんな恐ろしい雲が間近に迫ってきているではないか。あんな雲に捕まったら、半砂漠状態で高い木は皆無なので、地面に這い蹲って雷をやり過ごすしかない。幸い進路の峠の向こうには怪しい雲は広がってないようなので、あそこまで逃げれば安全だと思い、必死で自転車を漕いで峠を越えて難を逃れた。その後に強風と激しい雨に見舞われたが、もう雷は遠くで鳴っているだけだったので、ゆっくりと雨具をつけて走行していると、雷雲から離れたためか雨も止んでしまった。
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そろそろねぐらを探さなくてはと思っていると、なんとかスプリングの手前でやたらと表示が出てきて、レストエリアだとかインタレストなんとかとあるので、そこそこの観光地かと期待したが、行ってみると、休憩所がポツリとあるだけであった。これでビールは買い損ねてしまったが、そんなことより今日の泊まり場を見つけることの方が先決だ。
しばらく行くと、地図にはないキャンプ場の表示が出てくる。だがかなり道から外れた所にあるようだし、満員ということはありえないが、逆に営業していないということも考えられる。それで道をそのまま進むと、しばらくして絶好のキャンプサイトを見つけた。道路から10メートルほど奥まったところにあり、灌木が道路からの視界の遮蔽と風よけになっているというものである。水場はないが十分な量の水を持参しているので問題はない。テントを張って食事を終えてくつろいだ気分で外を眺めると素晴らしいロケーションであることに感激する。
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惜しむらくはビールがないことだけである。そこで今日の教訓「酒は売っている時に買うべし」・・・
今日は110キロ近く走って疲れたので、酒の力を借りなくても直ぐに寝入ってしまった。

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2012年8月 1日 (水)

バーナルでの一日とアメリカ自転車旅行雑感

バーナルでの初めての完全休養日でブログの編集をしたり、仕事上の資料をPDFで作成して送ったりしました。根っからの遊び人と思われているかもしれませんが、ちゃんと仕事もしているのだ。今はネット環境さへあれば、メール、ファックスで大概の仕事ができるようになったので便利になったものだ。それに携帯の海外ローミングもドコモのデータでは大都市のみに限られるようになっているが、よほどの山間部でないかぎりは、かなり広範囲で利用可能なようだ。こちらに来ていることを知らない仕事関係の電話やメールには素知らぬ顔で対応しているが、日本のビジネスアワーに合わせて、こちらの夕方6時から深夜2時までは対応可能なように努めているので、睡眠不足になりがちだ。携帯が圏外になるとホットしたりもしている(その場合は固定電話を通して携帯の留守電を確認しているが)

バーナルの町については特に書くべきこともないので、こちらに来てからの自転車旅行について感じるところを書いてみたい。
1. 道路事情
 出発前に一番心配したのは、猛スピードで車が疾走する道路を自転車で行くことだったが、こちらの道はほとんどの場合、路肩が非常に広いので、危険性はさほど高くないといえる(背後からの轟音を聞くと正直怖いが、安全だと信じるしかない)。むしろ危険なのは、路肩が広くても背の高い車が通過するときの風圧でバランスが崩される時と、追い越し車線に変わって路肩が狭められる時に、路肩側を猛スピードで車がすり抜けていく時である。要は走行中は常に背後の車に注意して危険を
感じたら、すぐにスピードを落とすか、停車するかの対応をすることである。
 フリーウェーに関しては、自転車の走行可能なところとそうでないところがあるようで、いまだによくわからないが、極力入り込まないようにすることで、万一入ってしまったらいち早く離脱することである。

2. 宿泊事情
 ホテル・モーテルに関してはよほどの観光地でない限りは、この時期であっても、事前予約なしでも特に問題はないようだ。キャンプに関してはよほど辺鄙なところでないと、この時期は予約なしでは困難なようだ。ただ事前には予定していなかったのだが、野宿というのも有力な選択肢ではある。①個人の土地には立ち入らない(人が住んでいない辺鄙なところでも個人の土地は鉄条網で囲われているのが普通)。②道路などから見えるところではテントは張らない。以上の二点を守れば、野宿も十分選択肢のひとつといえる。なにしろ次のホテルまでの距離が100キロ近くあることが珍しくないので、水や食料も含めていつでも野宿できる準備なしには自転車旅行は成り立たない。

3. 食料事情
 日本のコンビニに相当するマーケットが村落以上のところにはあるので、一日分以上の食料を常時持っていれば問題ない。町と言える所に行けば、アメリカの国民食ともいえるハンバーガー店があるので、注文方法が簡単なことも含めて旅行者にはうってつけである。一般レストランについてはまだ経験が少ないので、書くべきほどの情報を持っていない。

その他書くべきことはたくさんあるが、長くなるのでこのくらいにしておく。なお明日からの行程は予定どおりとすることにした。たとえアクシデントが発生したとしても、ヒマラヤの人界から隔絶した世界にいるわけではないのだから、なんとかなるでしょう。

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コロラドは目前に

7月30日(月)

今日はユタ州東端でコロラドとの州境に近い町バーナルまで約100キロの行程だ。
ソルトレイクから始まって4日間かけてユタ州を横断したことになる。

最後の10マイル(16キロ)までは、たいした登りもなく、少し湿度が高かったものの、雲に隠れて日差しも強くなかったので汗をかくこともなく、最も楽な一日に感じられ、荒涼たる景色も見飽きてしまったので写真を撮ることもなく、このまま終わるかと思われた。
だがロッキーの旅はそう甘くはなかった。バーナルの前に大きな砂山が立ちはだかっていたのだ。
登りそのものは、さしたることもないので、肉体的にはさほどきつくはなかったが、もう終わったと思ってしまったので精神的には辛かった。

ようやく峠にさしかかると、前方のはバーナルの町が見えてくる。
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ここからは約4マイルの快適なダウンヒルだ。路肩が1車線近い幅があるため、車に気を取られることもなく、快適に飛ばして行ける。
やがて道は市街地に入る。ソルトレイクを出てから初めて見る大きな町だ。
まずは、この町随一と思われるホテルが現れるが、自転車乗りが泊まるホテルではない。
さらに進むと中心街となり、レストランやショッピングのお店が並ぶが、もちろん目的とするホテルはない。
中心街を出ると、ヨセミテからリノに行く途中に泊まったホテルと同系列のホテルが現れる。
設備は良いのだが、料金が1万円程度とやや高い。
もう少し、はずれに行けば、さらに安いホテルがあるはずだ。
私の条件としてはインターネットが使えて、お湯のシャワーが出て、自転車を袋に入れて担ぎあげなくても、そのまま部屋に持ち込めるといったとことだ。さらに部屋がそこそこきれいであれば言うことなしだ。
そんな条件を満たすところがありました。朝食込み6400円で、近くには1000円以下でそこそこの内容の中華バイキングまであるという好条件である。アメリカ食に飽きてきたので、これはありがたい。
Photo_7 バーナルのモーテル

こちらにきてから2週間以上休みなしで行動してきたが、明日はもう1泊して完全休養してもよいかなと考えている。

これからの予定であるが、ここから予定どおりロッキー横断のツーリングを続けると、明日の休養を行ってもまだ2日の予備日はある(デンバー観光はできなくなるが)。その代わり、退路を断たれるので、是が非でも、日程内にデンバーまで自力で行くしかない(アクシデントがあった場合にはヒッチハイクでデンバーまで行くしかない)。もうひとつは、南に向かえば二日間の行程で鉄道駅に出られるのでデンバーまで鉄道かバスで行き、そこからボルダーやロッキーマウンテン国立公園を観光するというお気軽プランである。どちらにするか明日休養しながらゆっくり考えよう。

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