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2012年8月13日 (月)

安穏な日々は来たらず

今回の旅行には安穏な日々はないことをつくづく思い知らされた。
本来ならば、帰国前日はサンフランシスコをゆっくりと市内見学をしたいところだが、そうは問屋が卸さなかった。

 

サンフランシスコの最大観光地といえば金門橋(ゴールデンゲートブリッジ)だが、現地では自転車で行くのが流行っているらしく、レンタル・サイクルの宣伝も多数あるようだ。ただ自転車で行くには近すぎる?ので、ベイエリアをランニングしながら行くことにした。きっと旅の最後のいい思い出になるだろう。

 

すっかり明るくなってから出発したのに、「カリフォルニアの青い空」の歌(古いですな)とは裏腹にどんよりした曇り空でTシャツにハンドウォーマーだけでは寒いくらいだ。旅行中は主として海抜1500~2000メートルくらいのところにいたのだが、海抜0メートルに近いカリフォルニアの方が寒いのは海流のせいかもしれません。

 

ホテルを出て海岸に向かって走っていると、とあるホテルの前で4,5人がシュプレヒコールを上げながら行ったり来たりのデモ行進をしているのに出会った。不当解雇への抗議だろうか。自分は通りすがりの旅人に過ぎないけれど、ここにもそれぞれの生活があるんだなという当たり前のことを改めて感じた。

 

海岸に出ると大勢のランナー、ジョガーが走っている。ランナーとジョガーの区別は明確でないが、記録を意識して走っている人がランナーで、健康のためや気持ちがいいからという理由で記録を度外視して走っている人はジョガーだと理解している(自分も今はジョガーに成り下がって?しまった)。いずれにしても疲れ気味の自分はみんなに抜かれっぱなしである。唯一抜いた人はこの体型の人に負けるようでは走るのを止めた方がいいと思わせる人(失礼)であった。
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やがて霧の中から金門橋の橋脚がぼんやりと浮かび出てくる。
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海岸線から橋の上までは100メートル近い登りである。これから金門橋を走れるんだという喜びで、登りも苦にならない。橋に登り詰める直下の広場にカフェがあり、朝はラーメンだけだったので食べて行きたい気もしたが、せっかく高まった気持ちが落ちてしまう気がしたし、対岸にも多分同じような施設があるだろうから、そちらで食べようと素通りする。
橋の上の車道の両側に付けられた側道は歩く人、走る人、自転車乗りで渋滞気味だ。
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ただそれも橋のたもと付近だけのことで、すぐにスイスイ走れるようになる。ただ足がだんだん疲れてきてなかなかスイスイというわけにはいかないのだが
橋は霧に包まれているほとんど展望が効かないのが残念だ。足下の海だけがかろうじて見えている。やがて対岸がうっすらと姿を現す。向こう岸に着いた時には、かなり空腹になってきたので、カフェを探したが、こちら側にはトイレばかりが3カ所もあるのにカフェがない。がっかりしたが、サンフランシスコ側に戻るしかない。最初は歩いて戻ろうかと思ったが、早く食べたいので、空腹を我慢してやはり走ることになってしまった。

 

サンフランシスコ側に戻って、パンを食べてやっと人心地が着いたが、さてこれからどうしよう。町まで走って戻ることも出来るのだが、ちょっとモチベーションが落ちてしまったなと思っていると、路線バスがやってくる。中心街まで行くのかなと思っていたら、さきほど走ってきた途中にある公園までしか行かないようだ。まあそこで乗り継ぎのバスが多分あるだろうからと乗り込む。バスの車体には大人2ドルと書いてあったので、運転手に渡そうとしたが、受け取らずに中の方に行けと合図する。ほかの人はどうしてるのかなと思って見てたら、回数券を手に持っている人もいるが、それを渡している様子もない。きっと下車するときに払うんだろうなとその時は思った。バスは海岸線を離れて町中を通っていく。とある停留所でほとんどの人が後ろの方から降りてしまうので、つられて降りてしまったが、誰も料金を支払っていないので、自分も意図せざる無賃乗車をしてしまった。今日は日曜だからタダだったのかなとも思ったが、真相はわからずじまいであった。

 

そこからはサンフランシスコ名物のケーブルカーが登る高みを目指して急坂を上っていく。東京にはないもの凄い急な坂だ。
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やがて坂を登りきると、ケーブルカーが走っていた。ただ乗り場はないようなのでどうやって乗っていいのかわからない。地図をよく見ると、さきほどのバスの終点まで行けば、そこからケーブルカーが出ていて乗れたのに惜しいことをしてしまった。

 

最初にサンフランシスコに来た時に泊まったホテルがこの近くにあるはずだと思って歩いていったら、すぐに見つかった。その近くに寿司屋があったので入って見る。海外で日本料理店に入ることはあまりない。というのは高い値段を出してまがい物を食べることが多いからだ。ただ柔道が世界のJYUDOになったように、世界の味となったロール寿司を食べてみるのも悪くないかなと思ってカツ巻きというのを注文する。ついでに日本酒も頼んでしまった。真昼間から酒なぞ飲んでしまって申し訳けありません。
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ちょうどテレビではレスリングの試合をやっていた。アメリカ選手以外だけの試合の放映は珍しいのだが、残り競技も少なくなってきたためか、日本人とインド人選手による決勝戦であった。日本が金メダルを取る瞬間を見ることができたのはラッキーだった。
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酔いが回ったこともあって気が大きくなり27ドルの料金に対して5ドルもチップを渡してしまった。

 

ホテルに戻って酔いを覚ましてから、もう一仕事が待っていた。それは翌日の空港までのアプローチを確保することだ。行きは自転車でフリーウェーに迷い込んでしまい、パトロールに捕まってしまう失敗をしているので、同じ方法を取るわけにはいかない。空港までのポピュラーなアプローチはシャトルバスのようだが、果たして自転車を運んでくれるのかそうかがわからない。バートという電車もあり、これならば自転車を携行することは問題はないだろうが、バートに関しては「地球の歩き方」にも具体的なことは乗っていないのでネットで調べたところ、切符の買い方が難しく、地元の人でも切符売り場の前で立ち往生していることも珍しくないそうで、切符の買い方のユーチューブまであった。これは事前に練習しておく必要があると思ったが、空港までただ往復するのは能がないし、それにバートの乗り場がどこにあるかはネットに乗ってはいるものの、場所の特定が難しかった。それとグーグルマップの自転車モードでは空港まで走行可能となっている以上は一度は通ってみて初日の゙リベンジをしておく必要もあった。それに空港からならば乗り場に迷うこともないだろうし、サンフランシスコで下車しておけば翌日乗り場探しで苦労することもないわけだ、グーグルマップの自転車モードでは所要時間1時間半となっていたので、多少迷っても倍の3時間と見ておけば7時前には帰れるだろうと見当をつけておいた。

 

フリーウェイに入ってはいけないという心配が出発して30分くらいで早くも現実のものとなった。今まで走っていた道がフリーウェイに吸収されているからであった。そこで手前の道を左に曲がって海側に行くことで、しばらくは一般道を進むことができた。だがこれも無くは続かなかった。左手は小高い丘に遮られ、右の方からフリーウェイが近づいてきたからであった。車はほとんどフリーウェイに分岐していった後も、しばらくは一般道は続いていたが、やがて行き止まりになり、少し戻って道を探してもすべて行き止まりであった。万事休すだ。まだ暗くならないうちにサンフランシスコに戻らなければならないと戻りはじめてしばらく行くと、フリーウェイの下を横切る道を発見したので、また空港を目指すことにする。

 

その後もフリーウェイが近づくたびに不安を感じたが、なんとか一般道を進んでいるうちに、企業団地の中に迷い込んでしまった。プライベート・セキュリティと書かれた車と出会い、いやな感じがしたが、企業団地から戻る方に向きを変えたので、何も言ってくることはなかった。企業団地から遠ざかろうとしているときに、海側に細い道が分岐しているのを発見し、そこを進むと企業団地を迂回できることがわかった。全くもってグーグルマップの自転車モードの道を行くことは針の穴に糸を通すようなもので、迷わずに行くことは不可能に近いことと思えた。その後もいろいろとたいへんだったが、なんとか空港までたどり着いたものの、要した時間は5時間近くとなってしまった。

 

肝心のバートの方はネットで調べておいた御陰で、さほど苦労もせずに乗車でき、ホテルからさほど遠くない所に地下に潜るエレベーターとエスカレーターがあることも確認できたので、これで翌日の心配はなくなったが、いやはや今日もたいへんな一日となってしまった。ホテルに戻ったのは9時を過ぎており、早く戻れればジムに行ってみようなどと考えていたのはとんでもないことであった。

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