ボルダーの休日 行動編
十分な休養を取り、日も陰り始めた頃にクライミングジムに出かける。ボルダーという街はランニングの盛んな街だが、それと並んでクライミングの盛んな街でもあるようだ。なにしろ人口10万に対してクライミングジムが4軒もあるのだ。だがその前にやることがある。クライミングジムの場所お確認することだ。ネットで住所は調べてあるのだが、こちらの住所は通りの名前と番号で表記されるだけだ。日本でもそうだがクライミングジムというのは裏通りの元工場や倉庫と相場が決まっていて、裏通りの名前は地図から探すのは至難の技なのである。そこで登山用具店で確認することとし、ついでに1カ月近くも連日砂を浴び続けてズボンが街中で着るのは気が引けるほど消耗したので、クライミングパンツも購入することとした。昨日から見ている限りは、登山用具店はモンベルという日本から進出したメーカーの直営店しかない。ボルダーまで来て日本製を買うのもなあとは思ったが、いたしかたない。まずパンツを買った後に、ジムの場所を確認する。すると、日本人の店員がいて話に加わってきて、いろいろと情報を教えてくれる。私がサンフランシスコから自転車で来たといったらびっくりしていたが、あんまりそういう人はいないんだろうな(まして登山用具店を訪れる人の中では)。
道順を教えてもらった御陰で多少は迷ったが、無事にジムに辿り着く。
これですぐ始められると思ったら、初めての人の場合には日本でもそうだが登録手続きが必要なのだが、これが一筋縄ではいかない。パソコン画面に入力するのだが、わからないことが多く、そのたびに受付に聞きに行く。受付の人が見かねて、パソコンの横につきっきりになる。全てを入力し終えたら、次は10近い項目について了解したというサインをパソコンに連結した手書き入力装置に入力する。要は事故があった場合のジム側の免責のためなのだろうが、事故さへおこさなければ問題ないだろうと、内容も確認せずにサインを続ける。これで登録完了なのだが、次にさきほどの受付の人から、安全上その他ジム利用上の注意事項について説明を受ける。内容はほとんど理解できないのだが、わかったふりをする。あまり反応がないのも、理解してなのではないかと思われると思って、わかる部分のみを復唱したり相づちを打ったりしてなんとかごまかす。これで天下御免で自由に遊べるようになるのだが、ここまで辿り着くのでかなり疲れてしまった。デンバーやサンフランシスコでも時間があったらジムに寄ってみようかなと思っていたが、この手続きの煩雑さを考えると二の足を踏んでしまう(ジムによってやり方も違うだろうし)。
今回行ったジムはボルダリング専用のジムである。ボルダリングというのは地名のボルダーと発音が似ているが、元々はロープを使わないで登れる崖登りという意味で地名とは関係ないようだ。ジムの内容そのものは日本のものと大きな違いはない。ただ、日本の場合は天井の高さの問題から終了点を両手で保持すればおしまいになるのだが、ここの場合は、いくつかの壁は壁の屋根まで上がって裏側等から降りるようになっていた。自然の岩のボルダリングの場合は当然そうなるわけだから、より自然の岩のボルダリングに近い練習が出来る気がした。難しさのグレードは日本のジムでは段級制が一般的だが、当然こちらではVグレードなんだろうけど、それについてはジムには説明はないようで課題の各ホールドにつけられているテープの色で区別しているようだ。いくつかの課題を登っていると、テープの色ごとのグレードがわかってくるが、なかにはこれはという色とグレードがあっているものもあった。もしかしたら、途中のテープが剥がれてしまったのかもしれない。
一通り遊んで帰ることにしたが、途中、ランニング・カンパニーというシューズ店を見つけた。さすが、ランニングの盛んなボルダーならではという感じであった。
翌日はランニングの高地トレーニングのメッカであるボルダーならではということで、高橋尚子に思いを馳せながら走ってみようということになった。彼女が生まれた岐阜県や小出監督の下で練習した佐倉には尚子ロードというのがあるが、当然こちらににはそのようなものはないので、どこで練習していたのかはネットで調べた限りではわからなかった。ただ彼女はここボルダーよりも300メートルほど高い1800メートルくらいの所を練習拠点とし、金メダルに輝いたシドニーオリンピックの直前には標高3500メートル近くまで走るというハードスケジュールを行っていたということなので、今回は標高2500メートルくらいまでを目指すことした。
出発してしばらくは自動車禁止のコースを行く。自動車道とは立体交差なので、信号にわづらわらされることなく行けるので多くのランナーや自転車が行き交っている。高橋尚子も多分ここを走ったのだろう。シドニーの前には高揚した気分で、引退直前の最後の合宿の時は失意にうちひしがれて。
トレイルはやがて自動車道と合流し、この上は路肩も狭く走りにくいので、ここまで走りにくる人はいない。高橋尚子も多分ここを走ることはなかったのだろうが、今回ここを選んだのにはわけがある。それはアメリカを代表する岩場のひとつとされるボルダーキャニオンがあるので、それを見に行くことであった。
走り始めは快調で、長期の自転車走行の影響もなく、自転車とランニングでは使う筋肉が違うんだなどと考えていたが、じわりじわりとその影響が出始めた。これでは2500メートルまではとても行けないが、せめてボルダーキャニオンまではと頑張ってようやく辿り着いた。標高は2000メートルなのでボルダーからは500メートルの登りである。
岩場自体はかなり規模が大きく多くのクライマーが登っていた。しばらく見物した後、近くにボルダーフォールという滝があって、結構観光客を集めているようなので見に行くことにした。手前の岩に遮られて上の方は見えないが、下の方には滝の流れが見える。きっともう少し回り込めば滝の全容が見られるのだろうと歩いて見ると、さきほど隠れていた部分には滝はなく、滝の下部だと思っていたのが滝の全容であることがわかり、あまりにも貧相な滝に唖然とする。今回はヨセミテでも観光名所の滝が渇水時期のためしょぼかったりと(これは最初からわかっていたことだが)、どうも滝にはついていないようである。
滝の見物もそこそこに下りに移る。しばらくは走っていたが、足の疲労に耐えかねて歩きに変わってしまう。やがて自動車道と分かれてトレイルに移ると、行きは気がつかなかったのだが、トレイルの回りは岩場だらけなのだ。もしボルダーに住むことができれば、クライミング、、ランニングや自転車と楽しむことが出来、魚釣りやスキーと趣味が広がりそうだ。大人たちが子供に交じって行っている川遊びも実に楽しそうだ。
トレイルはやがて中心街に通じる。ここで初日にお祝いにステーキを食べた店で今度はパスタを食べた。本当はスパゲッティを食べたかったのだが、今回行った各地のレストランではついぞスパゲッティのメニューは見かけなかった。イタリア料理の中では自分の嗜好としてはスパゲッティ>パスタ>ピザの順なのだが、アメリカ人の嗜好はその逆らしい。
短い滞在だったが、ボルダーは本当に来てよかった。明日は最終のゴールであるデンバーである(本当のゴールは日本帰国だが)。デンバー周辺にはフリーウェーが多いようなので、迷い込まないように気をつけなくっちゃ
モーテル近くまで戻る途中のバス停で女の人がバスの前面に自転車を乗っけていたのでパチリ
こちらのバスは前面に自転車2台まで乗せられるのだが、どうやって乗せるのだろうと前から思っていたところ、偶然に現場に遭遇。運転手は手伝わずに乗客だけで作業するようだ。でも女性にとってはなかなかの重労働。この女性も「ヘルプミー」と叫んでいましたので手伝いに駆け寄りました。
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