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2012年8月12日 (日)

アムトラック鉄道旅行記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨夜は結局1時間くらいしか眠れなかった。というのは携帯の圏内では日本からの仕事の連絡に対応するため、日本のビジネスアワーに合わせてこちらの時間である深夜2時くらいまで起きていることが旅行中の通例になっていて、その代わり、朝は7時頃起きるのであるが(サマータイムの影響もあって、こちらが明るくなるのは6時頃からである。)、今日は列車乗車のこともあって寝過ごしてはいけないと思ってベッドには横にならずに椅子に座ったまま夜明かししたからである。部屋を利用しているのにベッドを利用した形跡がないので、部屋の掃除の人は変な客だと思うだろう。

 

暗いうちからチェックアウトして駅に向かう。駅はまだ乗客もまばらであった。早速バウチャと引き替えに切符を受け取って一安心する。その後に自転車を預けなければならないのだが、セブンイレブンまで買い物を済ませてからにする。寝台車利用客は食事付きだそうだが、座席車利用客は車内のビュッフェのような所で飲食物を買わなければいけないそうで、かなり割高だそうである。そのため、ウィスキーとつまみは昨日中に買っておいたが、日持ちのしないサンドイッチ類は朝買うつもりだったのである。駅に来る途中にもセブンイレブンはあったが、気がせいていたのと、どうせ駅での待ち時間が長いので、その間に買いに行けばいいやと思ったからである。だがセブンイレブンまでは随分と遠く、自転車を利用してもかなり時間がかかってしまい、駅に戻って来た時には、7時45分と聞いた改札時間間近(多分そうだろうと思っていた)となってしまっていて待合室も満員であった。慌てて自転車を預けようとしたら、そのままではダメだといって係の人が自転車収納用の箱を持ってきてくれた。だが箱にいれるためにはペダルを外さなければならない。係の人が工具で外そうとするが固くて外れない。自分の持ってきた工具で外そうとしたがやはり外れない。そこで係の人に携行している厚地のケースに入れるのでもいいかと聞くと、かまわないようだったので、あわててケースに入れる。荷物預けの手続きは5ドルだった。グレイハウンドバスとデルタ航空の預け料がそれぞれ60ドル、100ドルだったのと比べると随分と安かった。

 

改札時間?は過ぎているのに一向に改札は始まらず、待合室の乗客もじっとししていて焦っている表情はない。きっと到着が遅れの案内があったのだろう。ひょっとして、待合室で待っている人は自分とは違う列車を待っているのではないかと疑心暗鬼にもなりかけたが、いやそんなことはない、サンフランシスコ行きとシカゴ行きの各1本が1日に発着するだけで、シカゴ行きは夕方だから今から待っているはずはないからである。なにしろ駅にはお知らせの表示が一切無く、時々ある案内の放送もチンプンカンプンなので、つん簿桟敷に置かれたようなものである。しばらくして待合室の後方で寝台客と座席客に別れてなにやら手続きが始まったようである。ただ待合室の全員がそこに並ぼうとはせず、一部の人が並んでいるだけである。当然自分は座席客の方に並び、順番が来たので、さきほどもらった切符を見せて、これでいいですかと聞くとOKと言われ、紙に手書きで数字と文字が記入された紙が渡された。どうやらこれが座席の指定なのだろうとその時は思った。手書きの紙の記入されたもののうち、511という数字の方の意味はすぐにわかった。駅のホームに順番に数字が記載された表示がぶらさげられていたので、これは乗車位置ないし車両番号を示すものだろう。EMY1という文字と数字の意味がわからなかった。座席の番号にしては妙なものに思えた。出発時間を聞くと、やはり1時間あまり遅れているようである。

 

待合室の外に出てホームの方を眺めていると、やがて列車が入ってきた。だがホームの方にすぐに近寄ったのは一部の人だけで大半の人は待合室から出ようとしない。停車時間が長いことを知っているからだろうか。デンバーで下車する乗客がパラパラと降りてくるが、出口が1カ所しかないため、全員が出口から出るのにはかなり時間がかかり、その間は乗車しようとする客はホームには入れず、待っていなければならない。待合室の方を見ると、降りてくる人に手を振っている人が何人か見かけられる。これでかなりの疑問が解消した。待合室のかなりの人は迎えに来ている人だったのだ。日本と違ってタクシーが待っているわけでもないので、車で迎えに行かないと困るのだろう。それで改札手続きをしない人が大勢いたわけだ。また降りる人が全員ホームの出口から出ないとホームには入れないので、列車が来てもすぐにはホームの方には向かわなかったのだ。

 

ようやく降車客全員がホーム出口から出たので、ホームに入ることができ、511の表示のある所から車内に入った。車内には座席番号の表示があるが、それは数字だけであり文字の表記はない。ひょっとして自由席なのかと思って近くの駅員に聞くと、どうもそうらしい。駅員には2階に行けと言われる。2階にはシカゴ方面からの乗客の荷物に占領されている座席が多く、その上部には私がもらったのと同じような文字と数字が書かれた紙が貼ってある。荷物が置いてなく上部に紙も貼っていない二人席を見つけたので、そこに座ることにした。誰かが「そこは私の席です」と言って追い出されるのではないかと多少は心配したが、間もなく発車しても誰も来なかったので、その心配も消えた。やがて車掌が来て、私が持っていた手書きの数字と文字の紙を上部に貼り付けていったので、例の紙はこの席は利用済みですということを表す紙であることもわかった。末尾に1か2の数字が書かれているのは利用済みの座席の数のようであった。ようやく疑問が解消したので、これで鉄道旅行が楽しめそうだ。

 

車内には各座席ごとにコンセントがついているので、暇な車中のブログ書きにはもってこいである。これでWifiも使えると言うことなしなのだが、非常に強いと表示される無線LANの電波(といっても54Mbps程度だが)は捉えるものの、接続不能となってしまう。まあアップロードはサンフランシスコに戻ってネット環境のある所でやればいいので、車内では旅行全体を通じて感じたことなどについてまとめておこうとブログを書き始めた途端に睡魔に襲われ、気づいた時にはこの鉄道の最高地点(おそらく3500メートルくらいか)ははるかに通り過ぎてしまった。まあ自転車でそれと同じ程度の高さまで登ったのだからいいやと思うことにした。

 

列車は渓谷を過ぎて次第に高度を下げて行く。途中いくつかの駅に停車するが乗降客はさほど多くはない。山間部の登りではスピードが遅く、数日前に見た5重連の百両余りの貨物列車と大差ないスピードで走っていたが、下りになると流石にスピードが出て車と遜色がない程度にまでスピードアップするが、それでも乗車時間33時間というのはとてつもなく長い。こんなに長い時間列車に乗るのは30年以上前にデリーを起点として、マドラス(現チェンナイ)、ボンベイ(現ムンバイ)とそれぞれ2泊の夜行で周遊したとき以来である。あの時は、特にマドラスからボンベイまでのデカン高原の横断は代わり映えのしない風景が延々と続き、非常に退屈したものである。その点、今はパソコンさへ使用可能であれば、文書書きだけでなく、電子書籍、カシミール地図での山行計画など退屈することがない(ネットに繋げられればもっといいんだけど)。

 

列車はやがて丘陵部分を行くようになる。実は今回の計画段階では最初はこの鉄道に沿ってデンバーを目指すことを考えていた。その理由は鉄道に沿って走れば、もしアクシデントが起きても、比較的容易にエスケープできるのではないかと考えたからであるが、やはりこのコースは距離が長くて日程的にきついことと、エスケープできるといっても、日本のように駅の間隔が数キロ程度というのと異なり、100キロ以上は離れているので、なかなか歩いてエスケープするのは容易ではなく、ヒッチハイクに頼らざるを得ないのであれば、鉄道に沿って走行するというメリットは薄いので計画変更となったものである。ただ一度計画したコースであるだけに、途中の地名でも記憶に残っている所も多く、全然知らないところを進んでいるという気がしない。

 

列車は夕方にはグランド・ジャンクションに着く。沿線ではデンバーに次ぐ大きな町である。クライミング・ジムが二カ所もあることまで調べてあるのだ。グランド・リバーに近づくと段々と平原に成っていき、半砂漠のような状態になってくる。ここユタ州の西隣ネバダは砂漠の州なのだ。あたりは次第に明るさが失われ、日没まではそう多くの時間を要しないだろう。

 

持参したサンドイッチと一緒にコーヒーを飲もうと売店を探しに行くがわからず、食堂車まで来てしまうと、係の人に座席客はここに来てはダメだ。手前の1階に売店があると言われ戻ってコーヒーを買う。2ドルと高くはなかったが、缶ビールの方は5ドルと割高だ。今晩はウィスキーで我慢して明日買ってみよう。

 

外はいつのまにか真暗闇である。人家の明かりも見えない。無人の荒野を進んでいるようだ。ウィスキーを飲みながら音楽を聴いているといつのまにかウトウトしてくる。深夜にソルトレイクに着く。長時間停車するようだが、眠かったので外には出なかった。

 

ソルトレイクを出てしばらくするとネバダ州に入り、時間を1時間戻すことになる。この頃になると、段々目が冴えてきたので、まわりの乗客は寝入っているが、PCでゲームをやって時間を潰す。

 

やがて外もぼんやりと明るくなってくる。周囲の風景は期待した通りの砂漠の風景である。
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乗客もぼちぼち起きだしてくる。今朝のメニューはキャンプの途中で食べるつもりで買ったレトルトのシチューである。日数が経っているので、ちょっと心配だったが、一口食べてみて異常はなかったので、そのまま食べる。もはや自分の体は尋常の体ではなくなっているのかもしれない。

 

砂漠の中に少しづつ緑がまじり、その割合がふえてくるとカジノの町リノである。バス待ちで一日滞在した町で懐かしかったが、ホームからは町は見えなかった。

 

ソルトレイク~リノはバスでも通ったし(夜行ではあるが)、当初は自転車走行の予定もあって、ある程度調べたことがあるので、多少は馴染みがあるが、リノから先はサンフランシスコまでは未知の世界である。ただ、この頃になると列車の旅にも少々飽きてきた。

 

昼前に売店で缶ビールを買って、つまみと一緒に飲んで昼食代わりとする。結局車中での食事は持参したものでほとんど済まし、買ったのはコーヒーとビールだけである。

 

リノ以降の途中の停車駅で名前を知っているのはここまででサクラメントだけである。かなり大きい町である。カリフォルニア州の地図の一部を紛失したので、場所がよくわからないが、たしかサンフランシスコには近いはずである。

 

この時点での遅れはデンバー出発時の1時間を多少上回っていた程度だが、その後も、線路上での無意味な長時間停車があったりして、遅れは2時間近くに広がっていた。遅れを取り戻そうという気などさらさらないようだ。まあこちらも急いではないのだが。

 

リッチモンドに近づくとサンフランシスコ湾の一部が見えてきた。とうとうここまで来たんだという気持ちであった。内陸部ばかり走っていたので、久しぶりに見る海がまぶしい(実際に太陽が反射してまぶしいのだが)。
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列車はサンフランシスコには直接乗り入れずに対岸のオークランドまでで、ここからはバスに乗り込むことになる。34時間に及んだ列車旅行はようやく終わった。
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預けた荷物がどうなるかが気になり、最初はバスの下車地点まで荷物専用車が運んでくれるのかと思って、そのまま乗り込んだが、他の乗客が自分で荷物をバスの横に置いているのを見て、慌てて同じようにする。

 

わからない所で降ろされると、現在位置の確認に苦労するので、壊れたGPSを動かしてみると、どうやら機能している。ところがベイブリッジに向かうはずなのに、違う方向に向かっている。GPSが誤作動しているのかと思ったが、そうではなくて、全員がサンフランシスコに向かうのではなくて途中下車の乗客もいるためだった。

 

バスはベイブリッジを渡る。路肩もないところで、これでは自転車では通れないはずだ。バスはフェリー乗り場付近で停車したので下車し、自転車を取り出す。ここで念のためにGPSを動かしてみると、こんどは動かない。肝心な時に役に立たないヤツだ。こいつのためにどんなに苦労させられたのかと思った。ただ、その場所はよく知っている場所だし、宿泊するホテルも出発時とは別のホテルだが、出発時に場所を調べてあったので、迷わずに行くことができた。

 

今晩は疲れていたので、近くのチャイナレストランで食事を済ませた後、ウィスキーのポケット瓶を買ってホテルで飲んで、市内観光は明日ゆっくり行おう。

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