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2013年7月

2013年7月30日 (火)

鉄道の旅

鉄道の旅
今朝の予約してある列車は7時発と早いので乗り過ごしてはたいへんと5時に起床して宿を出ようとしたら、主人が昨日書いた宿帳とは別のノートにビザ番号その他たくさんの事項を書けという。そんなことは昨日言っておいてほしかった。

外に出て、通りかかった老年(といっても自分より若いかもしれないが)のサイクラーをよびとめる。駅までいくらかと聞くと20ルピーだという。一瞬耳を疑った。昨日はもう少し先までとは言え、半値にまけさせて100ルピーも払ったからである。この国の貨幣価値がわからなくなってきた。田舎町では為替レートの10倍くらいはあるのかもしれない。それにしてもただ働きみたいなことをし続けてこの人はもうすぐ一生を終えるのだろうかとしんみりと思ってしまう。 

駅には朝も早いというのにたくさんの人が寝ている。ホームレスであろうか。ホームに停車している列車を見ると、AC車は窓が開かないよぅになっているが、非AC車は窓には不正乗車防止用の柵があって、まるで監獄のようだ。超満員の車内からは髭ぼうぼうのヒマラヤの聖者のような人が出てくる。インドに来ているんだなあという感を深くする。
自分の乗る列車の発車番線はわかるが、乗車位置は直前まではわからず、乗客名簿も始発駅ではないので張り出されない(列車自体に張られていることが後でわかった)。発車直前になっても乗車位置が表示されないので変だと思い、表示されないけれど遅れがでているのかなと思っていたら、定刻に入ってきた列車は隣のホームに入っていきそちらのホームの乗車位置の表示では私はだいぶ前まで行かなけれいけないことがわかり、少し走る。ホーム番線の変更の表示はないままだが、この程度は変更のうちに入らないのだろう。
車内に入ると私の席には他人が座っている。私の切符を見せると、よくチェックした上で席を立っていく。悪びれた所は全くなく、空いている別の席に平然とすわっている。まあ日本にもこういう輩はいるけどね

ニューデリー駅に20分遅れで継ぎ、メインバザールの先日も行った日本食を出す店で遅い朝食をとる。しばらくは日本食は食べられないだろうからとえび天定食を注文する。しばらくすると経営者の奥さんの日本人がやってきて、エビか品切れだという。仕方ないので野菜天定食に変更したが、図らずもまたベジタリアンになってしまった。

食後はオールドデリー駅に直行すると時間があまりすぎるのて、ラールキルによっていくことにする。歩いても行けない距離でもないが、暑いのでオートリクシャでいく。160ルピーというのを100ルピーにまけさせ、私もネパールと間違えられるなと楽しく乗っていた。ところが、ニューデリーからオールドデリーに入るころから値上げ交渉を行いだした。やれ渋滞している。なんキロも走っている。ガソリンをどれだけ使ったなどと言って500ルピーを要求する。どうも最初からそのつもりだったらしい。私の方は「お前が100ルピーと言ったんだ」の一点張りで平行線のままだ。ただラールキル周辺の渋滞を考えると100ルビーでは可哀想そうなので、降りるときに、100ルビーはニューデリーの分、もう100ルビーはオールドデリーの分と言って200ルビーを渡す。彼はまだ500ルピーだとわめいていたが、私が立ち去ると追ってはこなかった。肝心のラールキルの方は入場に際して長蛇の列となっており、この暑さでは並ぶ気にならない。そこでラールキルは昔来たこ
ともあるので、今回は周遊旅行が終わった後に、まだ見ていないラールキルで夜行われる光と音のショーを見ればいいやという気になり、ラールキルを後にしてオールドデリー駅まで歩いていく。ニューデリーと比べると、道も狭く店も小さく、庶民の生活が伝わってくる町だ。
オールドデリー駅にはヒンズー教の最大聖地であるベナレス(現地ではバーラナーシーと呼ぶそうなので、以下はそう表記する)行きの夜行列車の発車2時間に着いたので、構内にあるマックで時間潰しをしてから自分の乗る列車の発車番線に向かった。跨線橋からホームに降りるところにはそのホームから発車する列車の情報が表示されていたが、多分隣のホームの分が表示されていたのを同じホームのものと誤認し、自分の乗る列車は次の次だと勘違いしてしまった。そのため、目の前に止まっている列車には乗ろうともせず、その列車が出ていった後の次の列車を待っ始末である。出発時間が近づいても一向に「前の」列車が発車しないので、多分遅れているんだろうと思って、食料を買いたすために跨線橋を渡ってメインホームに移動し、用を終えて先ほどのホームに降りる階段の上に戻ってきたときは、出発時間を2分過ぎていた。その時ふとホームの列車表示を見ると、乗る予定の列車のものしかなく、「前の」列車の表示はない。その時ピーンときた。ホームに止まってい
る列車が自分の乗る列車だ!自分の乗る車両の位置は予め調べてあってだいたいはわかっていたので、そちらに向かって走るとすぐに見つかり、乗車口に張り出してある乗客名簿に自分の名前もあった、これで間違いないと列車に飛び乗ったのと列車が走り出すのはほとんど同時であった。ちょっとした思い違いから、すんでのところで、2時間も前から待って列車に乗り損なうというドジを踏むところだった。胸を撫で下ろして自分の席に向かうと、他人がすわっている。切符を見せるとすぐに席を代わってくれたが、マトゥラーからの帰りの時もそうだったように、席が空いてれば座るというのは、こちらでは常識らしい。まあその方が合理的であると言えなくもないが
次の駅では予約なしで座っていた人たちもいっせいに降りて、代わって親子三代の女性組が乗り込んできた。同一区画の寝台の客が怪しい連中でなくてほっとしたが、先方にとっては変な外人と一緒で迷惑だったかも知れない。
バーラナーシーまでの長い々々夜行列車の旅が始まる

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マトゥラー

マトゥラー
レーからのフライト予備日を使わなかったこと、同行者の帰国時の空港までの付き添いがなくなって二日間の空きが出来たので、デリー近郊のマトゥラーに1泊2日で行ってくることにした。
マトゥラーはヒンズーの7大聖地の一つで仏教美術もガンダーラに匹敵するものがあるらしいので足を延ばす価値はありそうだ。それに列車に乗っている時間も数時間程度なので、この後に続く長時間の列車旅行の予行練習にもなると考えたからである。
登山関係の大荷物を約2週間後に戻ってくるまでホテルに預かってもらうことにして多少は身軽になって出発する。

身軽といってもそれなりの荷物を持っているので、客待ちのリクシャの格好の標的となって取り囲まれるが、無視して地下鉄に乗り込む。

乗り換えれば、ニューデリー駅まで行けるのだが、あえて途中で降りてメインバザール経由でニューデリー駅に向かう。というのはホテルの無線LAN及び共用PCのネット接続がずっと不調なので、ネットカフェに寄っていく必要があったからである。

駅には発車1時間前には着く。発車番線と乗車位置を確認し、次に張り出してある乗客名簿から自分の名前を見つける。これにはだいぶ時間がかかったが、探し終わる頃には列車が入線してくる。

今回は行きの列車は帰りと比べて料金は倍、時間は半分になっていたので、行きはそこそこの列車かなと思っていたら、なかなかどうして、前回の33年前の時に廃車寸前だったものが、いまだに走っているという感じで、帰りが果たしてどんな列車になるのか怖いくらいだ。
デリー始発だったせいか、定刻どおりに発車。逆にちょっとおどろいてしまう。
乗った列車は三段ベッドタイプで中段ベッドは昼間は使わずたたんでおくのだが、子供連れの夫婦が子供が寝てしまったので、中段ベッドも使わせてくれということになり、おかげでこちらは天井に頭がつかえるようになってしまった。まあ1時間半くらいだからいいんだけど

線路は前日、アグラまで行った道とほぼ平行しているが、その時はマトゥラーまで4時間かかっているのに、この列車は最初はゆっくりゆっくり走っているので、これでは1時間半ちょっとで着くなんてとても無理だろうと思っていたら、列車はボロでも牽引する機関車にパワーがあるのか、ぐんぐんとスビードをあげていき、1時間半くらいたった時点では、マトゥラーとおぼしき町に差し掛かるまでになった。マトゥラーの駅は町外れにあるようなので、実際の下車時間は予定よりも20分ほど遅れたが、この程度はィンドでは遅れとは言わないのだろう。

マトゥラーについては急遽行くことになったため、事前には調べておらず、朝のネットカフェでも調べ忘れたので、ガイドブックにある1ページの記述が唯一の情報である。
自分としては下車したら駅前で昼食をとってホテルに荷物を置いて身軽になってから観光するつもりであった。ところが駅は町外れにあるため駅前にはなにもなくて宛が外れたところに大勢のリクシャのドライバーらにいきなり囲まれて、どう対処してよいかわからなくなったので、一度駅に戻り、跨線橋に上がって周囲を見回して自分のいる状況を把握してから対応を考える。町までは、この暑さでは歩けたものではないのでリクシャは使わざるをえないが、目的地を明確にしないと見くびられてしまう。ガイドブックの短い記述からするとホーリーゲート(このブログの一番上の写真)がよさそうだ。前回の時は眼光鋭いインド人にとりかこまれたりすると、それだけで萎縮してしまったものだが、今は彼らはそういう顔をしているだけで人食い人種だというわけじゃないんだと思えるようになったのは年をとって図々しくなったためだろうか
再び駅から外に出て歩きだすと、一番しつこくまとわりつくサイクルリクシャにいくらだと聞くと200ルピーだという。高過ぎると言って去ろうとすると、追いかけてきて100ルピーに値下げしてくる。これで交渉成立だ。彼は遠いんだけどなあとか文句を言っているが無視する。まあこんなはした金のことでガタガタするのも大人げない気がしないこともないが、これも一種のゲームとして楽しんでいるつもりだ(相手にとっては生活がかかっているんだろうけど)
サイクルリクシャはやがて町中に入ったが、行けども行けどもホーリーゲートには到着しない。これには100ルピーではちょっと可哀想かなという気がしてきた。やがてホーリーゲートに着いたが、彼はなにか文句をいいかけたが、機先を制して、まず約束の100ルピー、次にチップの20ルピーと渡して文句を封じてしまう。ところが彼はその後も私に付きまとい、ホテルの前まで来ると、泊まっていけと誘う。彼の手数料が宿泊代に上乗せされるのは目に見えているので無視する。ようやく諦めて行ってしまったので、別のホテルに宿泊を決める。AC付きでお湯のシャワーが出て、昨日まで泊まっていたホテルの半値以下である。一般のバックパッかーからすればかなり上等の部にはいるのかもしれないが、私の年からするとこの程度を最低限としたい。

荷物を置いて身軽になってから観光に出かける。今回マトゥラーに来た最大の目的が仏教美術の見学なので、美術館に向かう。ところが行ってみると門が閉まっている。月曜休館というのは世界共通なのか
その後は、ホーリーゲートに戻り、さらに道を進める。小さい店がびっしりと続いている先はヤムナー川に突き当たる。あちこちで沐浴が行われていてインドに来たことを実感する。このあと、町を見下ろせる小高い丘の上にヒンズー教の寺院があるとのことで行ってみようかなとも思ったが、カメラ持ち込み厳禁といったうるさい制約があるようなので、行くのはやめた。

今回はわざわざでかけた割にはたいしたところには行けなかったけれど、外国人があまり訪れない土地でインド人の生活が垣間見られたのが収穫か

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2013年7月29日 (月)

アグラ観光

タージマハーッルは33年前にインドに来た時に二度も観光するチャンスがありながら行かず仕舞いに終わって、ずっと宿題をやり残したような気分でいたところである。

朝7時出発ということでホテルの朝食には間に合わないので、サンドイッチを部屋まで持ってきてくれる。

予定どおりホテルを7時に出発。アグラ目指しての長距離ドライブだ。ガンジスの支流ヤムナー川沿いに下っているはずだが、離れているためか道路から川は見えず、あまり変化のない平原地帯を進んでいる感じだ。

途中で給油するために停車している時に車の窓に猿がよじ登ってきたので思わず写真を撮ったら、窓の外で猿の持ち主が騒いでいる。見世物だと気づいて20ルピーを窓から投げると、100ルピーだとどなっている。だましの手口に乗せられて言い値どおりに払うのも腹立たしいので、もう20ルピー出してノーと言ったら、むこうも諦めたようだ。

アグラまでは意外と時間がかかって12時過ぎに着く。地元のガイドと合流してタージマハールに向かう。周辺は一般車乗り入れ禁止とのことで、専用の電気自動車に乗り換える。その際に少年からタージマハールの本を売りつけられる。最初は買うつもりはなく、少年が1000ルピーというので「高い」と言ったら、「じゃあいくらか言え」というので、適当に500ルピーと答えたら「OK」と言われて一杯食わされてしまった。まあ33年越しの宿題を果たすんだからいいか。

写真では何度も見ているが、やはり実物の素晴らしさは格別である。惜しむらくは、ガイドのスケジュールに従っていくために、ゆっくりと鑑賞できないことである。もし再訪することがあったら、現地に1泊して満月のタージマハールを鑑賞したいものである。
P1020197

昼食を挟んで後半はアグラ城に行くのかと思いきや、お決まりのショッピングである。もう買わないわけにはいかないので、なるべく嵩ばらないものをいくつか買って、早々に店を出る。タージマハールを見た後ではアグラ城もつけたしの感がなきにしもあらずで、おまけにガイドの説明を理解しようと務めるのにも疲れてしまい、早く終わってほしいとさへ思ったりもした。

16時半頃にはアグラを発ち、デリーへの長い々々ドライブが始まる。約5時間でデリーのホテルに戻る。デリー滞在中にお世話になったドライバーにチップを渡して前半戦が終わり、明日からは完全自由旅行の後半戦が始まることになる。

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2013年7月28日 (日)

デリー観光

今日はデリー観光ということで、10時にエージェントのいつもの運転手が迎えにきた。

彼の車に乗せられてインド門に向かい、そこでガイドも同乗してきた。実をいうとガイドの同行はあまり好ましくはなかった。というのは、ガイドと一緒だと、ガイドの説明を理解しなければと神経の休まる暇がないからである。客が大勢ならば兎も角、今回のように1:1だとなおさらである。

まずはオールドデリーのジャマー・マスジットに向かう。壮大な建物で、塔の上に登るとデリー市内が広く見渡せる。
P1020161

ここで1時間ばかりを過ごした後、南方に向かう。途中で昼食を摂った後に着いたのはクトゥブ・ミーナールというインド初のモスクである。こちらの塔も目立つ姿をしているが、残念ながら登ることはできない。
P1020184

デリーの主な観光地はたいがいは歩きかリクシャで行ける距離にあるが、クトゥブ・ミーナールだけはバスで30分もほど乗らないと行けない所にあるので、この機会に行っておいてよかった。デリー最大の観光地であるラール・キラー(別名、レッド・フォート)には今回は行かなかったが、昼間なら昔行ったことはあるし、呼び物は夜に行われる音と光のシヨーらしいので、帰国直前に機会があったら行っておこう。

最後はお決まりのショッピングである。自分としては苦手なので、カットしてほしいところなんだが、そのリベートがガイドの重要な収入源になっているのだろうから行かないわけにはいかない。連れていかれた所は絨毯の店だった。ひととおり説明を聞いた後に、自分としては切り札のつもりで「今は旅行中なので携行に困るから買えない」と言ったら、敵もさるもので、「宅配便にすればノープロブラム」とのたまう。そこで苦肉の策で、家具は家内と相談してからでないと買えない」と言ったら、「奥さんへのプレゼントにすればいいい」と軽くいなされて段々窮地に追い込まれるが、「これから各地の商品を見比べて、最終的に決めたい」ということでなんとか逃げ切る。ただ、外に客がいない以上、なにも買わずに出ていくのも憚られたので、邪魔にならない小物をいくつか値引きして買った。店員はこんな値段では自分の首が飛ぶなんて言ってたけれど、その値段でも十分利益は出しているのだろう。

帰りはメインバザールで下してもらうつもりだったが、強い雨が降ってきたので、ホテルまで送ってもらい、メインバザールは天気の様子を見てから出かけることにした。

夕方には雨も上がったので、地下鉄を利用してメインバザールに行ってみる。もう道も完璧に覚えたし、地下鉄の乗り方にも慣れた。ただ、メインバザールの入口にある駅名の読み方がわからなかったので、紙に書いて買う。

今晩のお目当てはタンドールチキンが旨いというお店である。今回は苦労なくすぐに見つけて奥の方に陣取り、タンドリーチキンとビールを注文する。5年前にパキスタンのイスラマバードで食べたタンドリーチキンの十分に熱の通ったとろりとした味が忘れられず、今回のインドでも楽しみにしていたものである。ただパキスタンはイスラム教の国ゆえ、堂々と人前では酒が飲めないのに対して、インドではそのようなことはないので、激辛のタンドリーチキンも十分楽しめるはずだ。結果的に出てきた料理のお味はというと、それなりに美味しかったのは事実だが、あのとろりとした味の再現はなかった。またどこかの地でトライしてみよう。

食事中に店が混んできて、隣の席に座っていた若者が私の斜め前に相席となった。東洋系ではあるが、日本人かどうかはわからなかったので声をかけないでいたところ、私と同じガイドブックを読んでいるではないか。早速聞いてみると、今日到着して明日はムンバイに移動し、近辺の遺跡群を回るとのことである。1週間くらいの駆け足旅行のようであるが、若者の海外旅行離れが言われる中で、限られた日程の中でインドを目指そうとする自分の息子くらいの年齢の若者の気概が嬉しくなって大いに話が弾み、食後はメインバザールをひととおり案内して、ネットカフェの前で別れた。ネットカフェではUSBに予め保存しておいた3日分のブログを投稿したが、30ルピーという安さであった。日本語入力できるPCにはお目にかかったことがないが、ほとんどのPCでは日本語の表示自体はできるようだし、USBの使用にも制限はないようなので、ホテルの劣悪なWifi環境に苦労するよりもネットカフェを利用した方がずっとスマートにネット利用ができると思えてきた。

明日はいよいよ今回の旅行のハイライトのひとつであるアグラのタージマハルである。33年前に行き損ねた地であるのでリベンジが楽しみだ。

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デリー帰還

朝5時に起床して荷物をまとめてロビーに向かう。間もなくエージェントのスタッフも迎えに来てくれて空港に向けてホテルを後にする。空港は市内から近いところだったが、一日に数便しかない飛行場も、この時間帯は3社のフライトが集中しているため、ごった返している。国際便ほどは厳しくないようだが、一般に行われているセキュリティ対策の外に、機内預け荷物について乗客が自分の荷物かどうかの確認の手続きが加わっているのが特徴である。レー市内では日本人とは会わなかったが、空港では日本人の団体客と乗り合わせたので、ラダックというのも、それほど日本人に珍しい場所ではなくなったのだろう。

超満員で飛び立ったにもかかわらず、窓際の自分の隣だけ空席だったのはラッキーだった。きっと誰かさんのようにウェイティングの人のチェックインも間に合わないほどの搭乗直前のキャンセルがあったのだろう。

離陸後しばらくは雲の中だったが、完全に雲の上に出ると、雲海の中に浮かび上がるインドヒマラヤの7千メートル級の高峰をずらり眺めることができた。その内でもインド最高峰であるナンダ・デビは双耳峰の特徴ある形をしているため注意深く探したのだが、山座同定することはできなかった。行きの行程のように峠越えをしながら、山を仰ぎ見るのも良いものだが、今回のように遠望とはいえ高峰を一度に眺められるのも良いものだ。

デリー空港に到着して荷物を回収してから出口を出たが、迎えのエージェントのスタッフがいない。今度は二度目だから自分ひとりでホテルに行けというのかな。まさかそれはないだろうと思って建物の外を見ると、最初に深夜に空港に出迎えに来てくれたスタッフが手を振っているのが見えた。なんらかの基準があって、彼は建物内には入れないのだろうと、こちらの方から建物の外に出てスタッフと合流した。この時、デリーに戻って初めて屋外に出たが、レーと比べて暑いのは当然であるが、思ったほどの暑さではなかった。

ホテルまでは1時間くらいかかったが、これでスタッフとは今日はお別れとなる。なお日程表では明日はフライト予備日となっていたが、予備日は使わなかったために二日後に予定されていたデリー市内観光(おそらくスタッフが同行するのだろう)を前倒ししてもらうことにした。

ホテルで一休みした後、今日ちゅうに片づけなければならない大きな仕事があった。それは、先ほど書いた市内観光の前倒しと同行者不参加による帰国日の空港付き添いがなくなったために、北インド周遊旅行の前に二日間の日程が空いたので、その二日間にマトゥーラというヒンズー教の聖地に行ってくるための予約を行うことであった(他の周遊旅行中のインド国内の鉄道予約は日本国内で業者に依頼済)。なぜ、それがそんな大仕事かというと、ニューデリー駅の二階にある外国人専用窓口に向かおうとする外国人を阻止して不当な値段で切符を買わせようとする悪徳業者が駅構内及び周辺にたむろしているからである。

ある人などは5回トライしながら、ある時は言葉巧みに、またある時は威圧的に二階に上がるのを阻止されて、結局は実際の価格の数倍の値段の切符を買わされたそうである。

悪徳業者と一戦交えるつもりでホテルを出発し、地下鉄を利用してニューデリー駅に向かうつもりであった。ところが、最寄りの地下鉄駅で見た光景は想像を絶するものであった。前回は乗らずに見ただけであったが、その時と違って週末の午後だからであろうか。信じられないくらいの大勢の人がセキュリティチェックの枠の中に押し込められて、潰されそうになりながら通過するのであった。あんなんでセキュリティチェックの意味があるのかなという気もしたが、それよりも命の危険を感じたために残念ながら最初から腰砕けになってオートリクシャででかけることになってしまった。だが、そんな時に限って普段は客引き攻勢の激しいオートリクシャも週末のためか空車がなく、たまに見つけた空車も、目的地を聞くと、なぜだかわからぬが乗車拒否までする始末であった。サイクルリキシャ(人力車のようなもの)ならば空車はたくさんあったが、結構な距離をこの猛暑の中で汗水たらして漕いでいく様を後ろから見ているのが心苦しいという気持ちがあって(それが彼らの仕事なんだと言えばその通りなんだけど)、利用する気にならずにいたところ、オートリクシャの空車をしばらくして見つけた。100ルピー(約180円)という言い値はちょっと高い気もしたが、大事の前の小事だと言い値どおりで乗って行くことにする。

ここでまっすぐ駅に向かう前に、腹が減っては戦が出来ぬとメインバザールで下車して遅い昼食を摂ることにする。ガイドブックに載っていた経営者の奥さんが日本人で日本食も出すという店を捜し出した。藤原紀香も来たことがあるらしい店で日本食のメニューは豊富であったが、その中でカツ丼を注文した。別に日本食に飢えていたわけではなく、肉食に飢えていただけである。味はというと、日本国内で商売してたらリピーターは期待できないかなというレベルである。その際に暑かったこともあり、日本人が経営しているという油断もあって、アイスティーを同時に注文してしまい、しばらくは飲んでいたが、やはりこれはヤバイと気がついて、半分くらいで飲むのを止めてしまった。そもそも煮沸したものを冷やしたという保証はないし、氷が溶けた部分は生水を飲んでいるのと同じことになるからである。自分はA型肝炎の抗体を持っているので、普通の人よりも生水に対する危険は低いとは思うものの、今回は長丁場でもあり注意をするのに越したことはないだろう。

さて腹も満たしたので、いよいよ本番突入である。そこから駅までは目と鼻の先の距離なので歩いていく。前回はお上りさんだったこともあり、「切符を持っていないと入れない」と言われて怪しげな旅行代理店につけこまれ、カモにされそうになったのだったが、今回は数回呼び止められたが無視していたら、外国人専用窓口まで達してしまい、後は問題なく切符を買うことができた。あんまりスムーズにいったんで拍子抜けであった。手持ちのガイドブックはちょっと古かったんで状況が変わったのか、単にカモと見られなかっただけなのかは謎である(山の帰りで服もヨレヨレになているし)。

大きな仕事?をなし終えて駅の外に出ると、オートリクシャがずらりと並んで客待ちしている。このままホテルまで帰ってしまってもいいかと思って値段交渉してみると、1000ルピー(1800円)だというので一瞬耳を疑った(もう円換算金額ではなく、現地の通貨価値に慣れてきているようだ)。「100ルピーだ」と言って立ち去ろうとすると追いかけてきて120ルピーで言いという。「ああこれがお上りさん相手の商売なんだ。主要駅や空港では気をつけなくっちゃ」と思って乗り込むと、しばらく行ったコンノート広場に差し掛かった所で降りてくれという。この値段では商売にならないと思ったのか、ここで値段再交渉をしようと思ったのか、いずれにしてもしたたかな連中である。しかし、コンノート広場といえば、ホテルの最寄り駅から直通の地下鉄の駅があることを思い出して、100ルピーだけ払って降りてしまう。ここコンノートは真ん中が公園になっていて、その周りをリング状に道路が走り、その外側を高級店がぐるりと取り囲んでいる所である。さきほどのメインバザールが庶民の街ならば、こちらはファッション街ともいえようか。

山帰りの薄汚れたスニーカーを履いているにもかかわらず、靴磨きの少年が纏わりついてくるのには参った。そのうちに少年もあきらめたようなので、そのまま歩き続ける。

ところがいつまで歩いても、地下鉄の入口にお目にかかれない。一度、公園側の地下に通じる階段を降りてみたが、中心部に通じる道にセキュリティチェックがあるので戻ってきてしまった。そのまま歩き続けて、一周してしまったところで気がついた。さきほどのセキリティチェックの先の同心円の中心付近に切符売場とホームがあることを。普通の駅ならば、切符売場の先にセキュリティチェックがあるのだが、ここコンノート広場では四方八方からやってくる乗客をひとつのセキュリティチェックで対応するとパンクしてしまうため、セキュリティチェックを先に設けて分散させているのだろう。そのため、セキュリティチェック自体はホテルの最寄り駅のような混雑はなかったが、切符売場は長蛇の列であった。だいぶ待ってようやく私の番がある。最寄り駅の発音に自信がなかったの、これで通じるか心配だったが、なんとか通じて切符が買えた。切符といってもコインのようなもので、これを日本のスイカの時のようにタッチさせて入り、出る時は穴に投入してしまうというシステムである。昨年のサンフランシスコではなまじ自動販売になっていたために切符の購入に苦労したが、地下鉄のシステムというのは日本国内でもそうだが、各地でバラバラなために要領を飲み込むまでがたいへんだ。

かんじんの地下鉄自体も猛烈なラッシュだったが、なんとか乗車して最寄り駅で下車できたのでホテルはもう目と鼻の先だと思った。というのは、午前中に空港からホテルまで送ってもらう時に、地下鉄の駅の少し先を南にまがってしばらく先にホテルがあることを確認済で自分的にはホテルの位置は頭の中に入っていると思い込んでいた。そのため、ホテルの住所や電話番号を書いた紙も持参せずGPSの軌跡もとらず仕舞いで、うっかりするとホテルの名前も忘れるほどであった(実際には何度も忘れて、道を聞くために必死になって思い出したというのが正しいが)。記憶を辿って歩いていくが、どうも午前中に車で通った記憶と一致する部分がない。交通整理かなんかで立っている警官に聞いても知らないという。ここまで迷い初めて1時間近く経っており、多少焦り始めていた。ただGPSで現在地の確認はできていたので、パニックにはならずに済んでいた。ここでやむを得ず、先ほどは乗らないと書いたサイクルリクシャにやむをえずに乗り込む羽目になった。客待ちの少年サイクラー(正式な名称は知らないので仮称である)がそのホテルを知っているというので100ルピー(ちょっと、高いと思ったが、この際、背に腹は代えられなかった)で向かってもらう。少年とはいえ、さすがにプロである。でこぼこ道を客への衝撃を最小限にしていくハンドルさばきは見事であった。ところが、なんとしたことか、さきほど下車した地下鉄の下をくぐって(この部分ではもう地上に上がって高架となっている)、北に向かおうとする。こいつ道も知らないくせに適当に走っているなと怒って、乗車した場所近くまで戻って、100ルピーを払って下車してしまう。それからしばらく右往左往したが、全くわからずに途方に暮れていると、たまたま出会った警官2人連れの一人が知っていると教えてくれた方向はなんと先ほど少年が行こうとした方向ではないか。ここで初めてもう1本北側に地下鉄があり、自分はホテルの場所を完全に思い違いしていることに気がついた。そこで下車した最寄り駅まで戻り(GPSを持ってて良かった!)、客待ちしているサイクラーの中からベテランそうな人を選んで50ルピーでホテルまで連れてってもらって一件落着となりホットした。結局3時間近くデリーの郊外を彷徨っていたことになる。Wanderrerの面目躍如である()

汗でびっしょりとなった衣服を着替え、シャワーを浴びてさっぱりしてからホテルが隣に併設しているレストランで遅い夕食を摂る。スープとヌードルと春巻を頼んだが、どれももの凄い量の上に辛さも半端ではない。水は出してくれるのだが、これは飲むわけにはいかない、辛さをじっと我慢していると、隣の家族連れは皆コーラを飲んでいる。なんでこれを頼まなかったんだと思ったが、もう腹一杯になっていたので、今さら頼む気にはならなかったところ、隣組は食後のデザーに甘そうなアイスクリームまで食べ始めた。もう目の毒なので、食事は半分ほど残っていたが、部屋に戻って、ペットボトルの水や部屋に用意されているコーヒー。紅茶を大量に飲んだ。最後の彷徨∔激辛料理でだいぶ水分不足に陥ってしまったようだ。今日は夕方までは順調だったんだが、最後で大失敗だった。疲れてすぐ寝たいところだが、書くことがあり過ぎてブログ書きに時間がかかり、なかなか寝られそうにない。山の中の平穏な生活が羨ましい!

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レーの休日

今日は登頂予備日を一日残しているので観光にあててあったが、そのスケジュールが知らされてなかったので、朝からずっと待機してなければならなかった。10時になっても相変わらず音沙汰なしだったので、ついにしびれを切らしてこちらから連絡してみることにした。といっても誰だかわからない相手に込み入った事情を電話で説明するだけの自信がなかったので、拙い英語でホテルのフロントに説明して理解してもらい、それを彼からエージェントに説明してもらった。するとほどなくして迎えの車が来たが、一体どういうつもりだったのだろうか。もし、こちらから連絡をいれなければどうなっていたのだろうか。

まあ結果オーライだからいいようなもんだし、観光は最悪中止になってもやむをえないと思っていたのだが

観光自体は4時間程度であったが、東部のゴンパ(僧院)3箇所を専用車で効率よく回ってもらった。バスで回ったら一日がかりであったろう。どの僧院もはるばるレーまで見に来るだけの価値のある素晴らしいものであった。
P1020131

運転手はガイド役までは兼ねておらず車で待っているだけだったが、その方が気楽であった、なまじ説明をされると、それを理解しようと気が疲れるからである。

車の中で運転手と言葉を交わしていてちょっと気になったのは、明日の私の帰りのフライトについて全く知らないことであった。単に係りが違うだけのかもしれないが、帰りにホテルまで送ってもらうことをせずにエージェントの事務所まで直接確認に行くことにした。すると何たることか、私のチケットはまだ確保されてないというではないか。夕方までには入手してホテルまで届けてくれるとのことなので、とりあえずはそれを信じるしかないが。こちらの方も観光の件と同様、こちらが確認をしなかったら、どうなっていたかはわからないのは同様だし、登山予備日を使い切っていたら、残り少ない時間でフライトを確保することができたかどうかも疑わしい。まあ善意に解釈すれば、ほとんどの客は往復ともフライトだろうから、帰りだけ予約するというのはイレギュラーだったのかもしれないが

午後は時間が空いたので、依然不調なままのホテルの無線LAN(よく他の宿泊客が文句いわないなあ)からのブログ投稿をあきらめ、エージェントの近くのネットカフェからの投稿を試みる。そこはWifi自体には対応してないが、私が有線を無線に変換する機器を携行してたのでケーブルを借りて接続したところ、しばらくは順調に行っていたのだが、そのうちに接続不良となってしまった。やむを得ず、カフェの日本語表示のできる(日本語入力は不可)PCを使用して入力済データのコピー&ペイストで投稿を始めたのだが、やはり一部文字化けしたりしまってうまくいかない。そこでしばらく離れたメインバザールにあるネットで評判の良いカフェに移動すると、こちらの方は無線LANが問題なく使用でき、たまったブログはひととり投稿できたので。これで一仕事は終わったと帰りにビールを買ってホテルで飲む。実に10日ぶりに飲むビールの味は格別であった。

チケットがホテルに届く時間が昼間にエージェントで行ってきた時間よりも、さらに数時間遅れるとのことだったので、夕食を食べていても本当に届くのか疑心暗鬼だったが、22時前には無事届いた。朝一番の便で5時起きとなるようだが、今回の登山で早起きの癖がついているので一向に苦にならない(というよりも明るくなるまで寝ていられない)。

さあ、明日からはインドの旅が始まるぞ!でも涼しさに慣れきってしまった体には暑さが堪えるだろうな。

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2013年7月25日 (木)

レー帰還

ラダック山中の最後の夜が明けてレー帰還の日が来た。

前日、ストック村に着いた時に腰に異常を感じた部分は依然として違和感が治らないが、もう山に登らなくてもいいのだから自然に治るまで待つしかないとあきらめる。

朝食の前にスタッフに慰労の言葉とともにチップを支払う。といっても、ガイドとコックの2人だけである。私一人になったためかキッチンボーイはつかなかったし、荷物はポーターは使用せず、全て馬を使用したからである。馬の御者はいるが、他のパーティーの荷物を運ぶ馬と合わせて見ているので、私の専属ではないためチップの対象ではないようだ(馬にはチップはいらないし)。またチップの相場はドル建て表示で聞いていたのでドルで払うつもりだったが、100ドル紙幣でしか持ってきてなかったので、やむをえず、聞いていた相場をルピーに換算して支払うことにした。もっとも、空港で日本円をかなりルピーに交換したが、全部使いきれないおそれも出てきたので、再両替という面倒なことをやらないためにもルピーはできるだけ使ってしまいたいということもあったのだが。

11時前にタクシーが来て、スタッフとともにストック村に向かった。レーまでは車で1時間もかからない距離なのだが、実は心配事が二つあった。一つは登山前にレーのホテルにノートPCその他の登山に不要なものを預けたのだが、預かり証をくれなかったので本当に戻ってくるかということである。ノートPCが手元にないままになってしまうと、今後の旅行中のブログ等の更新や仕事で打ち合わせる場合(まずないだろうが)に支障が出てしまうおそれがあった。もうひとつの心配は、ガイドと別れてしまった後、翌日のレー観光とレー最終日のデリーまでのフライトについてのエージェントからのサポートがどうなっているかということである。

ホテルにはお昼前に着いた。チェックインを済ませると、ノートPCは無事に戻った。もうひとつの心配については、ガイドが言うには、時間はわからないがスタッフが来るということ(らしい)ので、待つしかなかった。

着いて直ぐにやることはネットへの接続である。前回の宿泊時もホテルの無線LANは最初は制限付きでしか接続せずにネットには繋がらなかったため、やむをえず町のネットカフェに行った後に戻ってみたら、今度はなんとかつながったので、今回は最初から繋がるかという期待でトライしてみたが、やはり制限付接続という表示でネットには繋がらなかた。PDAやスマホという他の無線LAN機能を有する機器を使用しても接続済という表示はでるのに、やはりネットには繋がらない。PCの診断機能ではルーターの障害となっている。これではネットカフェのお世話にならなければならないと思うが、エージェントの人が来るかもしれないので、あまり遠出はできない。このホテルは繁華街であるメインバザールへは急坂を30分以上歩かなければならない辺鄙なところで、ネットカフェはメインバザールにたくさんあるが、ホテルの周辺にも小さなネットカフェが二軒あったので、そこへ行ってみることにした。ホテルでランチを食べてから出かけようとしたが、ホテルのレストランはいつまでたっても電気が消えたままだ(後でわかったのだが、実は停電だったのだ)。ついにしびれを切らして、2時に近くのネットカフッェに行ってみると、一軒の店ではノーパワーだから今はネットを使えないという。ここでインドの電力事情がわかったのだが、昼間の停電は日常茶飯事のようである。もう一軒は理由はわからなかったが、とじかくネットは使えないとのことなので(多分、停電のためだろう)、あきらめる(まだ日本にいる時に知ったネット情報によると、メインバザールのネットカフェの中には停電でも対応できるようにしている店もあるとか)。その時はホテルのネット不調も停電のためだろうと思ったので、食事を済ませてからホテルに戻ることとした。といってもホテルの近くには地元の人のための食堂が数軒しかない。いずれもサモサという野菜のコロッケみたいなものの上に辛いカレー汁をかけたものの単品しかなく、自分だからなんとか食べられるが、一般の日本人はまず口に合わない代物である。おまけに出してくれる水は生水だから日本人は勿論飲むことは出来ずに辛さに耐えなければならないのである。その代わり、一食100円以下の安さではある。

ホテルに戻ると、なるほどまだ停電中である。それではと登山中の着たものの洗濯や荷物の整理、さらには縫い目が切れてしまった荷物収容用の大型バッグの修理(こんなところで裁縫をするとは思わなかった)とひととおり終わってから、やっと自分の時間ができたとシャワーを浴びたら、期待していなかったお湯がでてきたので嬉しかった(前回はお湯がでなかったので、水を浴びるのがいやで先延ばしにしていたというのが真相なのだが)。さっぱりして着替えると時間は5時を回っていたが、エージェントの人間からは音沙汰なしである。その頃、停電がようやく終わったようなので、ネット接続を再トライしてみるが、やっぱり接続できない。どうも停電が理由ではなかったようなので、メインバザールのネットカフェに行ってみざるをえない。ただ前回宿泊時の夕食は7時半だったので、それまでだとあまり時間はないし、その間にエージェントの人が来る可能性もあるので、夕食後に出かけることにした。ところが夕食は7時半になっても始まらない。聞きに行くと、そのたびに少しづつ先の時間を言われて、実際に食べられたのは8時半を過ぎていた。ちょっと時間が遅いかなと思ったが、メインバザールなら遅くてもやっているかもと出かけてみたが、結局店も閉まっており、タクシーも見つからなかったため、帰りも夜道を歩いてきたため、ホテルに戻ってきたのは10時半となってしまった。ネット接続とエージェントの人との打ち合わせは一日かけてもなんの進展もなかったことになる。

このままホテルの無線LANが使えなければ、翌日の時間帯の良い時にネットカフェに出かけてみるしかない。ネットカフェで無線LANも日本語対応のPCも使用できないことに備えて、USBで全て対応できるように夜のうちに準備をしておいた(前回ネットカフェ利用時に、日本語入力はできないPCでも日本語表示さへできれば、USBのデータの方からのコピー&ペーストで最底限のことは出来ることは実証済)、またエージェントとの連絡は最悪の場合は観光はキャンセルとなってしまっても(王宮等の見学は終わっているし)、フライトの送迎さへやってもらえればいいということで、もし明日の午前中いっぱいになってもエージェントからの連絡がなかったならば、こちらからなんとかしてコンタクトをとることにしてみよう(こういう面倒なことになった時にもう少し語学力があればなあと思ってしまう)。

どうも、今日はたいへんな一日だった。ストレスが溜まってしまったのか、昨日からの腰痛が悪化してきているようだ。ヤバイヤバイ

 

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下山

当初予定では最大で明日までBC滞在ということであったが、昨日登頂を済ませたので今日はストック村に下山し、今日使わなかった予備日はレーでの観光に充てられることになった。本当は今日中にレーへ下山し、ステーキを肴にビールで祝杯をあげたいところだが、宿の確保等の問題も出るので、おとなしくストック村でラダック山中の最後の夜を過ごすことにする。

4泊したBCを9時過ぎに後にする。BCからはストックカンリは見えないので、後ろ髪を引かれる思いもなく、ストック村を目指す。行きは2日かけて登ってきた道も4時間ほどで降りてしまう。行きは盛況だったストック村のキャンプ場も閑散としている。夏が終わってしまったわけでもないだろうに・・・

私の方はこれで一段落が着いた。レーに戻ったら少しのんびりしよう。

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登頂はしたけれど

前夜11時半に起床して荷物を持って食堂テントに行き、朝食?のおかゆを食べてから0時15分にストックカンリ(6135メートル)のサミットプッシュに出発する。

前日までの悪天とうって変わって満月が出ている。そういえば5年前のガッシャーブルム2峰のサミットプッシュの時も満月だったなあ~。あの時は頂上岩壁の下を左から右にトラバースしたが 今回は逆に右から左にトラバースしていく。どちらも頂上稜線に突き上げる所が急になっていて核心のようである。

BCから前進BC(今は使われてない)までの標高差は約500メートルあるが、2時間で登ったので、1時間あたり高度は250メートルとまずまずのスピードである。さすがに2日間のBC停滞で順化ができているようである。この分なら夜明け頃には登頂できるのではないかと思ったりもした。前進BCから頂上稜線までは標高差約500メートルの急斜面である。さすがに標高5500メートルをこえると息切れがしてくる。ここで頑張ってしまうと高度障害になる危険があると考え、息切れしない程度にペースを落とす。そのため、頂上稜線に達する前に夜明けを迎えてしまった。頂上稜線直下はかなりの傾斜となり、先行するパーティや後続するパーティが多数見られる。今回はコックが用意してくれる行動食の外にアミノバイタルやカロリーメイトを1回分だけ用意してきたが、今回一番きついであろうこの斜面では、急遽参加不能となったKさんが別れ際に空港でくれたキャンディーをなめて頑張った。Kさんの分まで頑張らなくっちゃいけないという気持ちからである。

頂上稜線は案に相違して、八ヶ岳の横岳稜線を思わせるヤセ尾根である。ところが、固定ロープは設置されてなかったので、ガイドパーティーはここからアンザイレンである。いつもの山行ならばロープなど必要としないレベルであるが、ガイド山行を選択した以上は電車ごっこもやむをえない。それよりも参ったのは、安全の責任上からだろうが、ロープをぐいぐいと引っ張ることである。ガッシャーブルム2峰の時は、それに応じてペースを上げたことが高山病になった原因と思われたので、今回は無視して自分のペースを守ることとした。

自分の高度計が狂っていたようで、まだ先だと思っていた頂上に意外と早く着いてしまった。8時20分登頂だから約8時間くらい要したわけだ。本当は6時間くらいで登りたかったんだけど、高山病を防ぐためだからやむをえまい。

頂上には30分くらい滞在して、他のパーティーが下山した後に最後に下山する。途中登ってくる2パーティーと出会ったが、ガイド山行の女性は相当辛そうな表情をしてたので、果たして登頂できたのであろうか。

下りはアイゼンをつけての電車ごっこがまた始まるが、こんなところではロープはいらないんだという気持ちから岩場を駈け下るようにして下っていた。頂上稜線に別れを告げて、前進BC目指して下って行くが、斜面の一部氷化した上の雪が腐っていて実に歩きにくい。そのうちに体に強い疲労感が出てきて頻繁に休んでしまう。どうも頂上稜線を駈け下った影響がでてきたようである。しばらくは休み々々歩いていたが、振り返ると先ほどすれ違ったパーティーが頂上稜線と別れて降りてくるのが見える。彼らにまで追い抜かれてはまずいと思ってペースは遅いながらも休まずに歩いたので、BCが目と鼻の先のところまでは抜かれずにすんでいた。ところがガイドの知合いの人が温かいジュースを持って出迎えにきてくれ、ガイドと長話を始めてしまった。出迎え自体は嬉しかったが、疲れていたので、いいかげんにBCに降りて、テントで横になりたかった。お陰でこの日BCに戻ってきた最後のパーティーとなってしまった。

久しぶりに6000メートル以上のピークに登れたのは嬉しかったが、後半バテバテとなってしまって、思うような登山ができなかったことが悔やまれる。どうもこれで心残りなく、高所登山から足を洗えるような気分にはなれそうもない。

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BCの停滞

夜中には止んでいた雨が明け方にはまた降り出した。まあ高所キャンプでの停滞でないだけましだが、早くこの雨が止んでほしいものである。

BC滞在3日目ともなってかなり高所順応の方も進んできた。夜中に二度もトイレに行くほど代謝機能も活発になってきたし、脈拍も平地と変わらなくなってきたので、5000メートルには完全に順化しているといえるだろう。後は天候回復を待つばかりである。他に問題があるとすれば、テントの中で坐りっぱなしなので、腰が少し張ってきたかなという程度である。

今までの自分の経験では順応の壁は5000メートルと6000メートルの二つあるようだ。人によっては富士山くらいでも高所の影響に苦しむことがあるようだが、私の場合は4000メートル台前半までは自覚症状的にはほとんど高所の影響は受けないようだ。5000メートルに順応すると次は5500メートルくらいまでキャンプを上げても問題ないようだ。6000メートルに順応すると、次はデスゾーンといわれる7500メートル近くまではなんとか行けるようだが、デスゾ-ンに順応することはできないので、酸素を使用しない限りは一刻も早く登頂を済ませて下山するしかないようだ。

今回の場合のストックカンリは6135メートルあるので、5000メートルに順応したばかりでは、山頂付近まで行けば多少は高所の影響は出てくるだろうが、それほど長時間6000メートル付近に滞在するわけではないので、体に影響が出る前にBCに下山すれば問題はないと思われる。

昼前にテントから出て見ると、小雨混じりのどんよりとした天気には変わりはないものの、BCの状況は一変していた。テントの数が朝の3分の1以下に減って閑散としているのである。

今日は日曜日。この土日でのストックカンリ登頂を予定していたパーティーが悪天続きで登頂を諦めて下山したためだと思われる。私の場合は予備日が2日あるが、果たしてこれが効を奏してくれるか、はたまた退屈な日々が続くだけに終わるのかは、神のみぞ知るである。

ところが午後になると雨も止み、青空も姿を見せるようになってきた。これで明日の頂上プッシュの可能性が見えてきた。因みに日本人として初めて8千メートル14座登頂に成功した竹内氏によると、海外ではもはやアタックという言葉は使わず、サミットプッシュと呼んでいるとのこと。初登頂や困難なルートからならともかく一般ルートからの登頂にアタックというのは私も大げさだと思うので、このブログでもアタックではなく、プッシュと表記するつもりだ。

天気は回復、体調は万全で頂上プッシュに向かうつもりだが、なぜか顔が少しほてっている。風邪を引いたはずではないのだが、念のために風邪薬を飲んでおいた。

いよいよ明日出発が決定する。6時夕食の後、数時間仮眠して0時起床し、1時出発とのこと。そんなに早く出なくてもとも思うのだが、いた仕方ない。これじゃ明日の午前中にはBCに降りてきちゃうかも。

 

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BCの休日

夜半にかなり降っていた雨も明け方近くには止んでいた。用足しに外に出ようとテントを開けた途端に目の前に牛の顔が現れてびっくりした。馬は遠くに連れていかれたようであるが、牛までいたのか。さすがにインドである。

4時を回ったところであるが、峠までの道にはライトは見られず、どのテントにも明りはついていない。夜半の雨で出発を諦めてしまったのか、それとも出発したパーティはもっと早い時間だったのか。

上空はどんよりと雲に覆われていて星は見えない。明日は天気が回復してくれるといいんだが。

テントに戻り脈拍を測ると70/秒くらいで、昨日は午後は80/秒台だったのが、一昨日までの水準に戻り、順調に順化は進んでいるようで、天候も含めて今日は休息日としたのは正解のようだ。夜明けまでもうしばらくの時間はとりあえずは音楽を聞きながらブログ書きで時間を潰す。

朝のうちは薄日がさしていた天候も、次第に雲が厚くなり、昼食を食べに食堂用テントに行っている間にアラレ混じりの雨が振り出した。ガイドが言うには、夕食の時に明日の予定を決めるとのこと。予備日が二日あるのだから、明日停滞となってもまだ十分登頂のチャンスは残されているわけである(高所順化もさらに進むだろうし)。乾季のこの時期、4日も悪天が続くことは考えられない(是非そう願いたいが)

朝から断続的に降り続いていた雨は夕方には猛烈な雷雨となり、明日の中止が決定となる。過去の高所登山においては悪天が3日連続したことはないので、明後日には多分登れるだろうが、問題は明日の停滞日をどう過ごすかである。持参した本は読み終えてしまったし、ブログ書きも停滞ではたいして書くこともない。レーのホテルに本を3冊おいてきてしまったことを悔いても後の祭りである。携帯は圏外のため本来は不要なのだが、ホテルに預けて万一紛失してしまってもいやだし、邪魔になるものでもないので持参したことを思い出し、なにか暇潰しになるものはないかと、普段はやったことがないゲームをやってみたが、どうも面白そうなものもないので 明日は退屈しそうだ。

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BC到着

今日の行程はBC4900メートルまでの標高差550メートルで予定表では5~6時間となっているが、昨日の例から3時間もかからないだろうとタカをくくる。

今日は調子がよくガイドのペースにもついて行ける。出発する時には豆粒のように見えていた先行パーティーにもじきに追いついてしまう。ここまでの登高速度は1時間で350メートル!である。4500メートルを越える高さでのこの速度は8000メートルを無酸素で登った5年前でも出せなかったと思うし、今じゃ平地でも無理かもしれないのに何を血迷ってしまったのだろう。そんなわけで何と1時間30分でBC到着である。早く着き過ぎて時間を持て余したので、BCから150メートルくらい上部の峠まで高所順応を兼ねて上がってみる。

峠からはBCでは見えないストックカンリの大岩壁が真正面に望めてなかなか迫力のある眺めである(もっとも我々が登るのは左側から回り込んだ稜線からであるが)

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その時は明日は休息の予定であるが、明日登ってしまって早くレーに戻りたいという気持ちがふと湧き起こって、ガイドに明日登頂したいと言うと、明日は休息日だと反対される。ここで言い争っても仕方ないので、BCに降りてからガイドを言いくるめことにして1時間くらい留まって高所順応を行うことにする。

レーに早く戻りたくなったのはアルコールの禁断症状が出たわけではなく(1週間近くの断酒なんぞは一昨年にハンテングリに行って以来であるが)、現代人の悲しい性であるが、ネットや携帯の環境から長期間隔絶されることに不安を感じたからである。ただ良く考えてみると、早く登頂を済ませて下山しても、ストック村からレーまでの交通手段確保の有無が不明であるし、仮にあるとしても、シーズン中のレーでの予定外の宿泊の可能性は乏しいことに気がついた。まあ仕事の段取りは整えて出かけてきたのだし、恐らく二度と来れないであろうラダックの山中で終日のんびりできるのは最高の贅沢なんだと思い直し、予定どおり明日は休息日とすることにした。その場合でも、登頂の予備日は二日あるのだから、晴天続きのこの時期、高所順化が一層進んだ状態で登頂できなくなることは、ほとんど考えられない。

11時にBCに向けて下降すると、コックはもう到着していた。しばらくして昼食となり、メニューはヌードルと野菜炒めにツナのつけ合わせである。これで自分がベジタリアンだと思われていないことは判明したが、食いたいのはもっと歯ごたえのある肉なんじゃ!帰国したらインドでは絶対食えないビフテキをたらふく食ってやろう。食い物の恨みは恐ろしいんだから!?

食後の半日と明日1日は時間がたっぷりあるが、ブログの原稿書き(PDAのSDカードに書き込んだものをレーに降りてからPCで読み込んでブログにアップ予定)と読書(因みに今読んでいるのは猪瀬東京都知事が20数年前に書いた「ミカドの肖像」で、かなり読みごたえがあるので暇をつぶすにはもってこいである)で退屈はせずにすみそうだ。本当はなにもせずにボケーとしているのが、いいのかもしれないが、生まれつきの貧乏症は死ぬまで治りそうもないようだ。

日が陰ってテントの中で読書するには暗くなってきたので外に出て見ると、テントの多さにびっくりする。まるで涸沢のテント村である。ただ涸沢と違うのは荷物運搬用の馬がたくさんいてテントの間を歩き回っていることである。中には張り綱を引っ掛けられて倒されているテントもあった。多分夜中にはどこかに連れて行かれるのだろうが、首に鈴をつけてゴロンゴロンされたのでは眠れたものではない。まあドンキーがいなかっただけでも幸いである。なぜなら愛らしい風貌とは裏腹に、この世のものとも思えない無気味な声で鳴くからである。

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夕食ではまたもやベジタリアンであった。四本足とは言わないまでも二本足でもいいから足のある動物の肉を食いたいものである。もっともクーラーボックスでもない限り、生肉は持参できないだろう。一昨年のハンテングリの高所キャンプでハムの塊をかじったのも侘びしかったが。ただ今晩はラダックに来て以来、ずっと食べたいと思っていたモモ(チベットを中心に食べられているギョウザの一種)が出てきたので二重丸としておこう。

明日は休息日なので、早寝する必要はないのだが、外にやることもないので、早寝するしかないか

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マンカルモ

ガイドと私がコックらに先行してストック村3700メートルを8時20分に出発。ガイドの足は今日も早い。まるでトレランのようだ。傾斜の緩いうちはなんとか付いて行ったが、急な登りになると付いていけずにマイペースに切り替えたら格段に楽になる。ガイドが頻繁に休んでくれるので高所の影響もなく順調に高度を稼ぐ。

今日の目的地のマンカルモ4300メートルまでは予定では5~6時間ということであったが、途中で時間調整のために30分近くの大休止があったにもかかわらず、3時間ちょっとで着いてしまう。後続との時間調整のためちょっと早いが、ここで朝もらったランチボックスを開けることに。なんか遠足にでも来た気分である。

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長い昼休みを過ごしていると漸く下の谷間に後続の姿が見えたので我々も立ち上がる。キャンプ場はすぐ上の谷間が開けた気持ちの良いところであった。右の谷を回り込んだ先にストックカンリの頂上部分が見えるが、ルートは左の谷に入り、ベースキャンプ4800メートルを経て頂上を目指すらしい。

今日中にベースキャンプまで入ることも可能であったが、日程の余裕は十分にあり、高所登山に無理は禁物なので、高所順化を兼ねて、予定どおりここに留まることにする。

しばらくすると、後続もキャンプ場に到着する。他のパーティーとも入り乱れているので、我が隊のポーターが何人いて馬が何頭いるのかはわからないが、いずれにしても私一人のために相当数の人と馬が用意されている大名登山のようだ。さらにはテントの設営なども、お客さんである自分はノータッチというのがルールであるらしいので、国内の登山では味わえない妙な気分である。

1時過ぎには用意された自分のテントにもぐりこみ、お茶や菓子、果物のサービスを受ける。外の景色を眺めながら寛ぐひと時は最高だが、テントの入り口が山側ではなく、トイレ側となっているのは少し興ざめである。

ティータイムが終わっても、夕食っまでは5時間近くもあるが、ここで寝てしまうと夜眠れなくなってしまうので、GPSと兼用になっているPDAに今日のブログの原稿を忘れないうちに書いておいたり、持参した本を読んだりして時間を潰す。

夕方になってテントの外に出て見ると、お昼頃には数張りだったテントが十数張りに増えている。かなり人気のある山のようだ。明日のベースキャンプはもっとテントが多いのだろう。

今晩も夕食は肉なしだった。ベジタリアンといった覚えはないんだけどなあ。早くノンベジタリアンになりた~い。

 

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レーからストック村へ

レーに来たら是非行ってみたかったのが旧王宮である。本場チベット首都のラサにある有名なポタラ宮もレー王宮を模倣したと云われている。

今日は午前中がフリーなので朝食後に行くのが好都合なのだが、登山エージェントの人が昨夜も外出中に訪ねてきてだいぶ待たしてしまったことがあり、午前中にまた訪ねてくるとまずいので、朝食前に行ってこようと6時に出発する。

今回泊まっているホテルはメインバザールからは2キロほど離れた不便な場所で、昨日はメインバザールを探して右往左往したが、今日は勝手がわかっているので、迷うことなくメインバザールを目指し、そこを通り越して人家の間を縫うように急斜面を登って王宮に着く。ところが入り口にはカギがかかって入れない。ガイドブックには7時から開場と書いてあり、受付にも日の出から日没までオープンと書いてあるにもかかわらず、7時半になっても係員はおろか他の観光客も誰もいない。狐につままれたような気分であったが、下のゴンパ(僧院のこと)には人の気配がしたので、見物がてらに行って聞いてみると、8時に開くとのことであった。さっそく入り口に戻って待っていると、8時ちょっと前に受付の小屋に人が入って来る。受付が始まるのかと思いきや、その人はどこかに消えてしまい、しばらくすると、別の人が入り口の方に向かい、カギを開けて中に入って行ってしまう。あの人は一体だれなのかと思うが、相変わらず受付には誰もいないので、入場料も払わずに入ってしまう。

中は薄暗くて特に見るべきものもないようだ。いくつかの部屋にはカギがかかっていたので、貴重品はその中に閉まっているのかもしれない。途中で作業かなにかしているような人に会ったのであいさつをしたが、もしかしたら、今は修復中かなにかで一般公開はしていないのかもしれない。

上の方の階まで行ってレーの市街地を一望してからホテルに戻ったが、一応は中に入れたので満足した。

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ホテルで襲い朝食を食べた後はエージェントの人もやってこないので時間をもてあましたが、ホテルの中庭のテラスのとう椅子にもたれてブログを書いたり登山の資料を眺めたりしながらくつろいで過ごした。

定刻2時にエージェントの車が迎えに来て一路ストック村に向かう。目標の山ストックカンリが前方に見えてきて登高意欲が高まる。1時間程度でストック村に着くが、そこから30分ほど下ったところにあるストック王宮にガイドと一緒に行ってみる。こちらは今朝行ったレー王宮と違って、ミュージアムを兼ねているので、宗教用具、仏画、生活用具などが展示してあって興味深かったが、撮影禁止でお見せできないのが残念である。帰りは登りとなってガイドの早いペースに着いて行くのがたいへんだったが、ガイドが王宮行きに私を誘ったのは、恐らく私の脚力と高所順応具合をチェックする目的だったのだろうと推察される。呼吸が乱れることもなくガイドのペースについてこられたので、まずは試験合格か?

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出発点に戻ると、少し上にテントが張られていた。しばらく休んでいるとテントの前にティーが運ばれてくる。景色を眺めながらティーを飲むのは遠征キャラバンの醍醐味である。

夕食は8時前とやや遅めであったが、最初にでてきたのはトマトスープとチャパティでこれだけでも結構ボリュームがあり、今日はたいして運動してないし、これだけでもいいかなと思ったら、ご飯とともにお数が三品運ばれてくる。今日はベジタリアンだったけど、肉けがなくても全然物足りないという気がしなかった。最後は果物の缶詰のデザートであった。ひょっとしてインドに来てからの最高のご馳走だったかもしれない。ただ贅沢を云わせてもらえば一人で食べるのはやはり寂しい。1日2日ならばともかく、1週間もずっとなんだから、同行者がいればもっと楽しい食事ができただろに・・・

 

夕食が終わってテントに戻る時に対岸の下の方を見ると、昨日ケーロンからレーに向かう時に通った道路に沿って散在する人家の明りがまたたいている。山からの麓の人家の明りはいつ見ても特別なものである。

こうして遠征1日目の夜は暮れていった。

 

 

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2013年7月17日 (水)

レー到着

朝4時にホテルを出発して、車はぐんぐんと高度を上げて行く。1時間あまりで標高5000メートルに近いバララッチャ峠に着く。
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いきなりこの高度に上がっても息切れや頭痛といった高山病の症状は出ないので一安心する。その後も5000メートル前後の峠をいくつも越えていったので、正味半日くらいは5000メートルに近い高度に滞在したことになり、高所順化トレーニングの効果はそれなりにあったものと思われる。

 

朝のうちは小雨まじりで展望が効かなかったが、北に向かうにつれて次第に晴れてきて、カシミールの高原の雄大な景色が眺められ、このコースを選択してよかったと思った。

 

レーに向かう手前で目標の山ストックカンリが初めて姿を現す。思っていたよりも雪が多く美しい姿をした山である。
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レーはやはり携帯の圏外だったので、ネット経由でブログの更新をするしかないが、泊まるホテルは無線LANに対応しているものの、教えてもらったネットワークキーでは接続こそするがホームページにアクセスできないという状況なので、ネットカフェを利用せざるをえないかと出かけてみたが、日本語の使える所が見つからずに引き返したら、どういうわけか今度はホテルの無線LANが遅いながらもつながって更新することができた。

 

明日の午前中はフリーなので、市内見物と旧王宮にでも行ってくるつもりだ。午後からは登山に出かけてしまうので、一週間くらいはブログの更新ができなくなる。次回の更新ではストックカンリ登頂の報告ができるといいんだけど。

 

 

 

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2013年7月15日 (月)

ケーロック

ケーロック
マナリから標高差20000メートルを一挙に登りロータンパスに上がる。あたりにはチョルテン(チベット仏教のお経が書いてある旗)がはためき、完全にチベット文化圏にはいってしまったことを知る。
峠から下は多少悪路あるものの概ね順調で、3時前にはケーロックのホテルに着く。ホテルの自分の部屋前のテラスで地元の酒を飲みながらチョルテンのはためくケーロックの町を見下ろし、はるか彼方にはラダックの山並みを眺めているひとときは至高の時間であり、正直このまま死んでも悔いはないと思わせました。
明日は4時に出発して登山基地レーまで長い々ドライブを経て、カシミールの高原を行く、ある意味ではストックカンリ登頂以上の今回のハイライトです。

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マナリ

マナリ
12時間近く夜行バスに乗ってマナリ近くで最後の休憩に入った。意外なことに携帯がまだ通じているので携帯から投稿している。
デリーのインチキ旅行社でマナリから先は洪水で通行止めだからツアーを乗り換えるように勧められたが(もう少し東側のリシュケシュあたりの洪水のニュースは日本でも報道されていたが)、今のところ天候は問題ないようだ。マナリの先のロータンパスを越えれば、モンスーンの影響のない乾燥地帯に入るので、洪水による通行止めの心配はなくなるのだが・・・
しばらくしてGPSはマナリ近くにさしかかったことを示し、集落をいくつか遠い過ぎるが、地元の人らしき数人が降りただけで、ほとんどの乗客は降りる様子がない。自分の乗ったバスはマナリ止まりと思い込んでいたが、ひょっとしてマナリは通り越してレースまで行くバスではないかという疑念が頭をよぎる。そんな馬鹿なと思い直すと間もなくバスロータリーに着く。出迎えの運転手とも出会えて一安心。
ここマナリは標高1900メートルあり、さすがに涼しい。このあたりでは比べるもののない大きな町だ。
遅い朝食を20円でたべてから、いよいよロータンパス越えだ。

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2013年7月14日 (日)

デリーの1日

デリーの1日
昨日寝たのが遅かったにもかかわらず、5時過ぎには目覚めてしまう。シャワーを浴びようとしたら、お湯が出ないではないか。さすがに水を浴びる気にはならないので諦める。ネットにはバスタブ付きと書いてあったのだけどえらい違いだ。さらに無線LANにアクセスしようとしたらバスワードを求められたので受付に聞きにいくと、私のPCは英語モードではないからだとわけのわからないことを言われて教えてもらえない。今日は携帯アクセスで代用できるからいいけど、レーから戻った時には対応を考えよう。

 

マナリ行きのバスまで時間があったので、午前中は市内をぶらつく。と言っても、猛烈な暑さ(東京の暑さとは大差ないかもしれないが)で歩いていると汗が吹き出してくる。リキシャの客引きが群がってきてうるさい。最初は無視して歩いていたが、あたりには休む所もなく、このまま歩いていると、熱中症になる危険もあるので、勧められるままにツーリストインフォメーションに行ってしまう。しばらくは涼んでいたが、運転手とインフォメーションがつるんでいて、旅行者をカモにしているらしい。私に対してもツアーを売りつけようとしていたが、すでに予約ずみとわかると、私のツアーに難癖をつけて乗り換えさせようとやっきであった。適当にあしらってその場を去り、コンノート広場近くのピザ屋で食事をしながら涼んだ後に、荷物がデポしてあるホテルに戻る。デリーの観光は自由旅行でやろうとすると、暑さと客引きの多さに疲れてしまい、特にこの時期はツアーのほうがいいようだ。

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デリー到着

デリー到着
定刻通りにデリーに到着。ところが、エージェントの出迎えの人とはなかなか落ち合えず携帯で連絡してようやく見つかる。
一路ホテルに向かう。33年ぶりのインドである。以前はオンボロの国産車TATAばかりだったのが、スマートな車が増えている。もちろんオンボロ車も走っているし、オート力車も健在である。
ホテルに着いて荷物の整理などをしたら、どっと疲れがでてしまった。今日は同行予定者のキャンセル等いろいろあった。もう寝ることにしよう

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2013年7月13日 (土)

出発時のトラブル

今日から約1ヶ月のインドの山と旅が始まるので成田に向かう。前半の登山を一緒に行う予定の仲間と空港で落ち合い、手続きも早めに終えて搭乗口まで着いたところで、同行者が体調不良を訴えて離脱を決意。結局、私1人で出発することになる。山じたいは簡単な山であり、現地ではガイドも同行するので行動には何も問題ないのであるが、とんだトラブルに見舞われたスタートとなってしまった。

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2013年7月12日 (金)

久しぶりの反原発集会参加

久しぶりの反原発集会参加
明日からしばらく日本を留守にするので、久しぶりに反原発集会に参加してきました。と言うよりも、あの悲劇を忘れてしまったかのように原発依存社会にまっしぐらに逆戻りしようとする安倍自民党政権に危機を感じずにはいられなかったからである。
1年前に比べると参加者は激減しているが、この草の根の真剣な声を絶対に消してはならない。

総理官邸前より

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2013年7月 9日 (火)

危うし!富士登山競争

インド登山の高所順応訓練のために富士山に行ってきましたが、あまりの人手の多さに驚いてしまいました。昨年はロッキー横断のために富士山には行かず終いでしたが、それ以前のこの時期には、海外登山のための高所順応訓練やさらには富士登山競争に参加していた頃には事前練習で何度も登っているものの、こんな混雑ぶりは経験したことがありません。いかに世界遺産登録の影響が大きいかを思い知らされます。

今回はスバルライン五合目からではなく馬返し方面から往復しましたので、7月下旬に開催される富士登山競争の練習にやってくる人たちがいっぱいで、かつては自分自身も参加していたこともあって声援を送りましたが、あの大渋滞の中で果たしてレースが成立するのだろうかという心配が頭をよぎりました。

今回経験した限りでは、もっとも渋滞するのは九合五勺から山頂までの間ですが、その区間は富士登山競争に出場する選手にとっては、自己記録の更新や制限時間内完走を果たすための最後の頑張り所であり、無理な追い越しによる一般登山者からの大ブーイングや双方の思わぬケガも懸念されます。レースは7月下旬の最終金曜日ですが、土日を外れているとはいえ夏休みも始まった登山最盛期の時期でもあり、試験的に導入が予定されている入山料も千円程度では混雑緩和の効果は見込めませんので、今回以上の混雑が予想されます。

そのような状況下で富士登山競争を存続させるには、本レースの予選的意味合いで実施されている五合目までのレース一本に絞ってしまうか、山小屋も店じまいして一般登山者もめっきり減る9月上旬に時期をずらすか、はたまたコースを吉田口から御殿場口に変更するしかないかなと思います。御殿場口は8月上旬に開催される富士登山駅伝でも使われますが、こちらは登山コースが長いために一般登山者の混雑もさほどではないと思われるからです。

以上、富士登山競争OBからの心配と提案でした。

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2013年7月 2日 (火)

ビーナスラインツーリング+蓼科山登頂

ビーナスラインツーリング+蓼科山登頂
梅雨の晴れ間を利用して100名山のうち未登となっている蓼科山に登ってきた。
蓼科山は山を登り始めた頃に北八ヶ岳の縦走を行って隣の山まで来ながら、時間切れで登れなかったり、トレランをやっていた頃に24時間以内の八ヶ岳全山縦走目指しながら、北八ヶ岳の途中でギブアップして登れなかったという因縁つきの山である。
登山口近くまでバスもあるようだが、今回はアプローチに自転車を利用することにする。さらに日本分水嶺上にあるスズラン峠を越えて遠く佐久平まで足を延ばそうという計画を立ててみた。
茅野を10時頃に出発する。登山口までは標高差は900メートル以上あるが、距離は20キロちょっとなので2時間もあれば着くと思ったのだが、実際は3時間近くかかってしまった。傾斜も緩く、登りやすい道ではあったが、久しぶりの自転車ですっかり脚力が落ちてしまったようだ。
登り始めてしばらくすると、下山してくる登山者数パーティーと出会う。さすが100名山だけあって平日でも結構登られているようだ。
登山口と頂上の標高差は800メートルあり、傾斜もかなりきついので、登りに2時間も要してしまった。
先日の吾妻連峰のような花の美しさはなかったが、さすがに2500メートルを越えるピークだけに、高山の雰囲気に溢れていた。
頂上では一瞬だけ、北八ヶ岳の山波が望まれたが、すぐにガスに覆われてしまった。
展望のない頂上にいてもしょうがないので、例によって証拠写真をとってから下降に移る。さすがに下降は早く、1時間ちょっとで登山口に降り立つ。
ここからは一気に下降といきたいところだが、峠まではしばらく登りが続く。やっと峠に着くと、なんと佐久平方面は工事中で通行止めとある。迂回路があるようだが、相当遠回りになりそうなので、佐久平行きは断念し、ビーナスラインをそのまま進んで白樺湖経由で茅野に戻ったが、白樺湖もシーズン前のためか閑散としていた。

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