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2013年8月

2013年8月28日 (水)

天王岩ニルバーナ

天王岩ニルバーナ
久しぶりの外岩は平日の天王岩となった。午前中はクラックジョイ5.9でアップとカムのセット練習の後、勉太郎音頭10bcを登って終わり。午後は前からやりたかったニルバーナ11bに初トライ。今までは天王岩に来ても、初心者と一緒のことが多かったのでトライする機会がなかったが、今日一緒に登るAさんは私とほぼ同レベルなので、ようやくトライが可能となった。2回トライしたが、核心の出口のカチは一手だけなのだが、もう少し指を強くしてから再トライする必要があるようだ。最後にクラックジョイをクールダウンとして登ったが、久しぶりの外岩で頑張り過ぎたためか、指がつってしまい、騙し騙し登るのに苦労した。

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2013年8月25日 (日)

JR大回り

JR大回り
今日の天王岩クライミングは雨で中止となったので、前から一度やってみたいと思っていたJR大回りにトライしてみた。
大回りというのは、鉄道ファン(鉄ちゃん)には親しまれている方法で、JRが大都市近郊路線と定めている区間については、実際の乗車経路に関わらず、最短経路で運賃を計算するという規則を利用して、最短経路の運賃で大回りの乗車をして、乗車区間の長さを競うという遊びである。ただいくつかの条件があって、①途中下車ができない②同じ路線を重複して通らない③定められた区間外を通らないといったことで、これに違反すると実際の乗車区間の運賃が適用されるというものである。別に違反行為ではなく全くの合法行為なのだが、自動改札口に最短経路の切符を投入しての下車は経過時間オーバーの場合はできないということと、車内検札があった場合には大回りをしている旨を説明しなければならないという煩わしさがある。これに対してよく似た制度であるが、スイカ利用可能区間における大回りの場合の下車では経過時間の制限がないらしく、車内検札の際に説明する必要もないということで、今回はこちらを利用することとした。ただ鉄ちゃんではないことを自認
している自分は、乗車区間の長さを競うつもりはないが、JR全線乗車を目指している関係で(これだけで十分鉄ちゃんだと言われてしまうかもしれないが)、関東地方の未乗車区間のうち、東金線と両毛線の乗車をただ同然で果してしまおうというのが目的である。なおスイカ利用可能区間では千葉県の久留里線も未乗車であるが、こちらは行き止まりの路線であるため、今回は乗車の対象とならない。

7時にクライミング中止の旨を参加者全員に連絡してから家を出る。駅前で食事をするか、買い物をしようかとも思ったが、その5分、10分の遅れがへんぴな路線での1時間、2時間の遅れにつながるかもしれないと考え、阿佐ヶ谷駅ホームの自販機の飲み物で我慢して7時16分発の東西線に乗車する。途中、中野、お茶の水、錦糸町で快速と各駅停車の乗り換えを行って、千葉に8時25分に到着し、8時33分発の外房線に乗り換える。大網に8時58分に着くが、東金線への乗り換え時間が3分しかないうえ、ホームが遠くて少々あせる。ここまでの乗り換えは5回となったが、いずれも乗り換え時間が短かったために朝食は取れず仕舞いであった。東金線の終点の成東着は9時22分と近く乗り換え時間も5分あるので、売店でなにか買えるだろうと期待する。ところが売店は改札の外にしかなく、改札を出てしまうと大回りは成立しなくなるので、ホームにある自販機のアイスクリームを朝食代わりに買って銚子行きの総武線に乗車する。
同一路線を重複乗車しないようにするためには終点の銚子の一つ手前の松岸で成田線に乗り換える必要があるが、松岸到着が10時11分で成田線の松岸発が10時31分と待ち時間が20分もあるが、松岸駅のホームに売店がある可能性はゼロに近いので、ルール違反ではあるが、銚子まで行ってしまい、10分の待ち合わせで、当初予定と同じ電車で成田まで行くことにした。まさか銚子駅のホームに売店がないということはあるまいと思ったのだが、そのまさかが現実になってしまった。やはり売店は改札の外でホームには飲み物とアイスクリームの自販機しかない。さすがにまたアイスクリームを食べる気にもなれず空しく引き返す。まあ待ち時間が短縮しただけでもよしとするか。
成田には11時43分に着くが、我孫子行きの成田線には2分しか乗り換え時間がなく、またまた焦る。同じ成田線なのだから直通にするかホームを隣り合わせにしてほしいものだが、銚子からの成田線はほとんどが千葉行きのようで、我孫子行きの成田線はローカル線扱いのようだ。焦っていたのでよくはわからなかったが、成田駅のホームにも売店はなかったようだ。乗車して間もなく正午となり、朝食抜きが決定的となった。大回りの一番の障害は食事の確保であることを実感した。次の乗換駅の我孫子では乗り換え時間が20分と十分あるのでホーム又は駅の改札内に売店があることを祈ろう。
我孫子駅には12時26分に到着。ホームには運よく立ち食いそばがある。やれうれしやと思ったのもつかの間、隣のホームに勝田行きが入線するとのアナウンスが。先ほど調べたときは20分の乗り換え時間のはずだったのに・・・。食事をすべきか乗るべきか暫し迷う。ただここで食事をしないと、どこで食事ができるかわからないし、後の電車で行っても最終の乗り換え電車は同じ電車になる可能性もあると考えて食事をしていくことに決めて天ぷらそばを食べて、当初予定どおり20分後の電車で行くことにする。ただ後で調べ直すと、この20分の遅れが自宅に帰るには50分の遅れにをもたらすことが判明した。まあ、この程度の遅れは許容範囲内だし、食事も取れて、帰りの時間の目処もついたので、これからはあまり時間のことは気にせずにのんびりしようと気持ちを切り替えた。
友部には14時6分に到着。ここで水戸線に乗り換えるのだが、隣のホームとなっているので楽だ。16分の待ち合わせで水戸からくる電車に乗車する。最初の駅は笠間である。ここは息子が小さい時に一緒に来た記憶はあるが、息子の話では、そのあとに小山経由で帰ったとのことなので、水戸線は乗車済としてカウントはしていたものの、自分の記憶がおぼろげなので、いわば疑惑の乗車済として考えていたが、今日の乗車により、疑惑が晴れての正真正銘の乗車済路線となった。
小山には15時27分に到着、ようやくゴールが見えてきた。小山駅は12分の乗り換え時間があるので余裕綽々であったが、両毛線のホームまではかなり遠くて5分くらいはかかったので、乗り換え時間が短い場合にはおおいに焦るところだ。
両毛線は我が家からだとかなり遠く、どういう機会に行こうか悩んでいたところである。というのは、私のJR全線乗車にはルールを決めてあって、それは単に未乗車区間を乗車済とするためだけに乗車することはせず、必ず別の目的とひっかけて、ついでに乗車してくるというものであるが、両毛線の場合にはなかなかそれと引っかける別の目的として適当な物が見あたらなかったからである。両毛線は関東北部の山が間近に迫る田園地帯を行くもので観光路線としてしても十分楽しめるところである。途中の岩舟駅の先で、石切場の跡であろうか、かなりのスケールの岩肌が現れて目を見張る。こういうところはクライマーの性とでも言おうか、普通の人にはまず理解してもらえないところだと思う。
17時36分に高崎に到着。4分の乗り換え時間で上野行きに滑り込み、後は勝手知った高崎線で帰るだけである。まだしばらく時間はかかるがもう終わったようなものである。赤羽、池袋と乗り換えてゴールの高田馬場には19時46分に到着し、無事スイカで改札口を出る。差し引かれたのは当たり前だが160円だけだった。さすがに12時間乗りっぱなしで少々疲れた。

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2013年8月24日 (土)

鳴沢氷結

鳴沢氷結
息子に車を運転してもらって家内と3人で鳴沢氷結に行ってきた。行きの中央道は小仏トンネルの手前でちょっと渋滞があったくらいで、大月から河口湖方面に分岐するとがら空きで、世界遺産登録の影響で予想していた混雑もなく、午前中に鳴沢についてしまう。まずは鳴沢風穴に向かう。風穴と氷結の違いがよくわからないが、こちらも写真のように穴の底には氷結が見られ、半袖では寒いほどであった。次に鳴沢氷結に向かうが、こちらの方はかなりの行列ができるほど賑わっていた。先ほどの風穴と違って撮影禁止となっているので、きっと見ごたえがあるのだろうと期待して長い階段を地底に降りていくが、全く見かけ倒しでたいしたことはなく、さきほどの風穴の方が見ごたえがあるように思えた。
その後は近くにある日帰り温泉に行き、ひと風呂浴びてから遅い昼食をとり、家内と息子はまた風呂に入りに行ったが、私は大広間で惰眠をむさぼる。
帰りは大月からさきはかなりの渋滞となり、普段は穏やかな性格だと思っていた息子がかなり苛つき気味で、運転すると性格が変わるというが、別の一面を見たようだった。
息子が社会人となってから2回目のドライブ旅行だが、休日が平日のことが多いために友人と一緒に出かけるチャンスが少なくなったために久しく絶えていた家族旅行が復活することになったもので、親としては嬉しいというか妙な気分である。

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2013年8月21日 (水)

久しぶりのクライミング

久しぶりのクライミング
仕事帰りにクライミングジムに寄ってきた。インドに行っている間はもちろん、その前もしばらく登ってなかったので、約2ヶ月ぶりのクライミングである。どのくらい力が落ちているかと、恐る恐る長物の10aから始めるが問題なくクリア、続いて休まずに10cをトライするが、最後にちょっと疲れたもののなんとかクリアして、ホッと一安心。その後は前回苦戦してようやくクリアできた4級の課題はムーブを覚えていたいたとはいえ2回でクリアするという上々の滑り出しであった。その後は、疲れもあって精彩を欠いてしまったが、この調子でこれからも頑張っていきたい。

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2013年8月18日 (日)

檜洞沢

檜洞沢
帰国してまだ完全に疲れは抜けてないが、家でくすぶっているよりも、体を動かした方が逆療法で疲労回復によいのではと、仲間が計画していた丹沢の檜洞沢の沢登りに参加させてもらう。

丹沢なかでも西丹沢は東京から遠いこともあってあまり登っておらず、檜洞沢はもちろん初めてだ。同じ西丹沢にあって何度も登っている小川谷と比べると、流程は長いが、美しさでは勝っている気がする。
下界の猛暑を忘れて冷たい流れで身体を冷やせば、すっかりリフレッシュされたようで旅行の疲れも取れたような気がしてくる。帰りに松田にあるドリップコーヒーメーカーの休憩室で無料アイスコーヒー等を何杯も飲んで、体の内側もすっかり冷えきらせてこの日ばかりは猛暑を忘れさせる1日となった。

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2013年8月17日 (土)

ストックカンリ登頂記録アップ

帰国して2晩熟睡して、ようやく疲れが取れました。
ストックカンリの登頂記録をブログ掲載ものを編集して以下にアップしましたので、よろしかったらご覧ください。

http://homepage3.nifty.com/vibram/kaigai/stock.pdf

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2013年8月15日 (木)

旅の終わり

長かった旅も今日が最終日だ。病気その他のトラブルもなく、ほぼ予定通りに行動できたことをまずは喜びたい。

今日は博物館に行くくらいしか予定がないので10時過ぎにゆっくりとホテルを出る。
博物館に行く前にヤムナ川を見に行く。デリー市の東部を流れる川で、その流域には今回出かけたマトゥラやアグラもあり、ベナレスの手前でガンジス川に合流している。私の持っている古いガイドブックではメトロは川の手前で終わっているが、今は川を渡ってだいぶ先の方まで延びている。そこで川を渡った最初の駅まで行ってみることにする。帰りは歩いて川をわたりたかっのだが、道路まではかなり離れていて、歩いて川を渡ると汗をかいてしまいそうだが、チェックアウトを済ませていてシャワーを浴びられないので、汗まみれのまま飛行機に乗るわけにもいかず、改札口を出ずにUターンして博物館の最寄りの駅に向かった。

博物館は休館等で空振りが続いたが、最終日になって念願かなって訪問することができた。国立博物館はかなり展示が充実しており、インダス文明や仏教関係が特に充実していた。
P1020503
その後は近くにある高級土産物店に寄ったが、土産はほとんど買ってあるので、涼みにいったようなものである。ひとつだけ気に入った品物があったが、受付が混んでいたし、まだ外は暑かったので、もう少し日が落ちてから買って外に出ようとしばらくは椅子に腰かけて休んで、四時過ぎに受付も空いてきたので商品を持って受付に行くとグロースと言われる。ガイドブックには7時までと書いてあるのに…。近くにひしめく小さな店を覗いて同じ品物があったら、定価販売の先ほどの店の価格を上限として値引き交渉をしようと思ったが、同じ品物は売っていなかった。ついていない時はこんなものである。

その後にインド随一の高級品店街が取り囲むコンノート広場に向かい、地元のお金持ちがお気に入りというカレー屋に行き、インド最後のカレーとしてフィッシュカレーを注文する。さすがに人気店だけあって味は絶品であった。辛すぎることはなく、まろやかな味で、インドに来て食べた食事の中ではピカ一である。これでカレーにいい印象を持って帰れそうである。
旅の終わり
コンノート広場

その後は数えきれないほど利用した地下鉄でホテルに戻り、タクシーを呼んでもらう。フライトは真夜中であるが、ホテルにじっとしていてもしょうがないので早めに空港に行くことにした。
インドよ!また来る日まで、しばしの別れだ。

今回のインドの旅を思い付いたのは四年前に中国シルクロードからパキスタン、インド、ネパールを経てチベットに至る大周遊旅行を予定していたのですが、出発直前に自転車レースでの鎖骨骨折により旅行は中止となった時のインド内のコースにほぼ該当するもので、宿題を果たさねばとずっと思っていたからです。同コース内には釈迦にまつわる仏跡が多数ある外、ヒンズー経の最大の聖地であるベナレスもありますが、ヒンズーと仏教は敵対しながらも親戚のようなところもありますので、併せて立ち寄ることにしました。
たまたま今年は私の父の33回忌、来年が母の13回忌にあたり、母は熱心な仏教徒でしたから仏跡を巡礼してくることは両親に対する供養にもなると考えて計画をたてました。それとともに自分の人生も残り少なくなって死というものを否応なく自分のものとして考えなければいけない年になり、仏跡を巡礼することにより、釈迦の教えが少しでも理解できればという願いがありました。煩悩の塊のような自分は解脱には程遠いですが、この旅を通じて少しでも近寄れたならば幸いです。

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2013年8月13日 (火)

デリーに戻る

ゴラクプールの駅ではニューデリー行きの列車を6時間近く待つ。途中で昼食に駅前の店に行ったが、昨日の昼にチキンカレーを食べた店は味はまずまずだが、出入口がないので暑い外気がそのまま入り込み、辛いからか暑いからかわからないが(多分両方でしょうけど)、滝のような汗をかきながら食事する羽目になったので、せめて外気と遮断されている食堂はないかと探したが、これがなかなかない。ようやく見つけた店はなんと扇風機までついている。ラッキーと中に入ったが、定食しかメニューはないみたいで、しかもベジタリアンの店のようであった。味はというと、1食なら我慢できるが、これが毎日3食続くとなると、旅行を切り上げて日本に帰りたくなってしまうというレベルである。

十分涼んでから、駅に戻り、ひたすら列車を待つ。電光掲示板には乗車予定の列車は定刻通りの表示が出ていて遅れの情報はないにもかかわらず、到着時間を過ぎても一向に現れず、30分遅れでようやく到着した。もっとも、このくらいはこちらでは遅れとみないのたろう。

予約は二段寝台の下段でしてあったが、デリーからベナレスに向かった時と同様に、子連れの夫婦と一緒になったので、今回も私は上段に代わって、夫婦に下段を向い合わせで使わせてあげた。

列車が4回、バスが2回と夜行を利用したが、今回がいよいよ最後となる。夜が明ければもうデリーは目前となる。

朝のニューデリー駅のホームに降り立つ。2週間ぶりのデリーである。街に出ると喧騒ぶりは相変わらずであるが、心なしか暑さの方は和らいだような気がする。|デリーに戻る

帰りのフライトまで丸2日あるが、観光はだいたい終わっているのでのんびり過ごそう。

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2013年8月12日 (月)

クシナガル

巡礼最後の地のクシナガルに向かうにあたって困ったことがあった。ガイドブックにはカシアー行きのバスで途中下車とあるが、バスはあちこちから出ており、行き先もヒンディー語でしか書いてなくて全くわからない。人に聞きまくればわかるかもしれないが、小銭の持ち合わせが少なくて、バス代が払えないかもしれないという不安もあって積極的にバスで行こうという意欲が起きなかったのも事実である。
オートリクシャで行くことにしたが、1000ルビーと言われた。ガヤとブッダガヤの距離の5倍あるので料金が5倍になるのは妥当かなと値下げ交渉はしなかった。値下げさせた分だけ釣りをもらうのも妙なものだし。でも普通のバックパッカーから見れば贅沢旅行だと見られるんだろうな。まあ年に免じて許してもらおう。
2時間弱かかってクシナガルに着くと、門前町のように店が立ち並び大層賑わっていた。まずは大涅槃寺の門をくぐってニルバーナストゥーパーを見る。隣のお寺は拝観料が必要なようなのでパス(後から行ったら、要らなかった)。道沿いにしばらく進んでみるが、荷物を背負って歩くと汗だくとなってしまうので、とうとうギブアップ。巡礼の最後くらいは宿坊にでも泊まらせてもらおうかという殊勝な心掛けも、吹き出る汗を静めるために冷房の効いた部屋へという誘惑には打ち克てずにホテルに泊まってしまう。まあ宿坊だと宿泊代の代わりにお布施をしなければならないのだけど、小銭がないからといって釣りをもらうわけにはいかないしなあ
クシナガル
あといくつか参拝するところを残しているが、夕方涼しくなってからと明朝暑くなる前とし、それまでは冷房の効いた涼しい部屋で仏教関係の本でも読みながら過ごすことにした。
夕方になってさっき見逃したところを見てから表通りに出てしばらく観察していると、バスや乗り合い自動車も頻繁というほどではないが通っているので、多少待てば、これで帰れそうだということがわかった。その後、ホテルの前を通り越して、一番奥にあるストゥーパーに行ってみようと思ったが、意外と遠くてだんだん暗くなってきたので、せっかく着いても写真がとれないだろうと、今日はあきらめて翌朝行ってくることにした。

翌日、朝食後に昨日行き損ねたストゥーパーに行ってきた。やはりかなり遠くて今日に回して正解だった。ストゥーパーの前にはツーリストバスが止まっていて、大勢の信者たちがストゥーパーのまわりを供花しながら何回も回っていた。私は一回だけ回ってホテルに戻った。

これで巡礼の旅は終わった。後はゴラクプールへ、デリーへ、日本へそして我が家に戻るだけだ。
まずは昨日下見した通りに大通りに出てみると、乗り合いリクシャはちょうど出たところであったが、まもなくしてバスが来たので、ゴラクプール行きであることを確認して乗り込む。料金は50ルピーと昨日の20分の1の安さである。
ゴラクプールの駅では夜行列車到着まで5時間以上待つことになるが、下手に動き回ると汗をかくだけなので、じっと座ったままで体力の温存を図った

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2013年8月11日 (日)

インド再入国

いよいよネパールともお別れである。ドルやユーロは別として他の通貨の場合は、いつも残り具合により、使いきるか、再両替するか、次回訪問用として持ち帰るかのいずれかを決めるが、使いきるとした場合には往々にして無駄な買い物をしてしまうものだった。だが、今回は225ルピーしか残ってないので、国境まではタクシーならば交渉次第でなんとか足り、サイクルリキシャなら十分おつりがくるはずだ。もっとも四キロ程度なので歩けないこともないが、雨も降っていることだし、今日の行程は不透明で無駄な時間は使いたくないので、最低でもサイクルリキシャで行っておきたい。
ホテルのチェックアウトの際に50ドルの支払に対して100ドル紙幣を出したら、釣りがないという。どの店でもそうだが、釣りは小銭は金庫にしまっておくのか、支配人等が管理しているらしい。弱ったなと思ったが、インドルピーでもいいというので事なきをえた。バイラワでインドルピーが使えるというのは本当だった。インドルピーは国外持ち出し禁止のはずなのにどうなっているんだろう。
ホテルから道路に出ると、いつもはあんなにうるさくつきまとうサイクルリキシャの姿が全然見えない。仕方なく国境に向かって歩き出す。時々通るサイクルリキシャも客が乗っているのばかりである。やっと空のが来たと思ったら、盛んに時計を気にして、結局は乗車拒否にあってしまった。きっと何か用事があって国境まで行っていると間に合わなくなるのだろう。丁度反対から来た空のをつかまえて国境までいくことにした。100インドルピーまたは200ネパールルピーということでネットの情報よりもかなり高かったが、手元のネパールルピーをほぼ使いきれそうなので、値下げ交渉はしなかった。
リキシャは国境をめざして南に向かうのかと思いきや、逆戻りをしていく。ホテルの前を南下する道は幹線道路から外れているので幹線道路に戻るらしい。歩いた分だけ損してしまったらしい。やがて雨も上がり、30分ほどで国境の町スノウリに着く。
インド再入国
インド東部の国境越えと違って、こちらは遮断機があるだけで踏切のようだ。出国手続きをしていると、流暢な日本語を話す人に連れられた日本人カップルが入ってくる。泊まったホテルの人が付き添いに来てくれているらしい。初めての国境越えらしいので、先輩ぶってアドバイスをしたりする。
ネパール側の出国手続きはどういうこともないが、問題はインド側の入国手続きである。というのは、数年間に新しい規則ができて、インド出国後2ヶ月以上経過しないと再入国できないということになったが、その規則は昨年廃止されたのである。ただその廃止が地方の現場まで浸透されてないと、私の場合にはトラブルとなる可能性があるのである。もっとも2ヶ月ルールそのものが現場には浸透していなかった可能性もあったのだが
結果はなにももんだいなく入国できた。後はゴラクプールまでのバスを見つけることだ。バス乗り場を尋ねると、「バスはない。タクシーに乗れ」と言われた。聞いた相手が悪かった。悪徳商人の国に来たんだ!気を付けなくっちゃ
少し歩くとバスが前方に止まっているのが見える。すると乗り合い自動車というのか、ミニバスというのか知らないがゴラクプールまで200ルピーで客引きをしてたので、バスで行ってもそんなものだろうと彼の車に乗り込む。2時間ちょっとでゴラクプールに着く。もうこからは鉄道でデリーに戻れるのだ。だが、もう一仕事残っている。最後の巡礼地クシナガル行きである。釈迦の涅槃の地を訪れることによって、今回の巡礼の旅も完結するのだ。

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2013年8月10日 (土)

バイラワの休日

ルンビニをローカルバスで午前中に出てバイラワに戻り、ニルバーナという三ツ星ホテルに泊まることになった。一泊5千円というと日本のビジネスホテル程度だが、ネパール入国以来、意図せざる安宿泊まりが続いたので、最後くらいはそこそこの宿に泊まりたかった。ここから4キロほど行った国境沿いのスノウリの方が、翌日の行程を考えると便利かもしれないが、スノウリにはろくなホテルはないだろうから、また安宿になってしまいそうなので、バイラワに泊まることにした。それにニルバーナというホテル名はサンスクリット語で涅槃のことだが、今日はルンビニで釈迦の生誕の地を、明日はクシナガールで終焉の地を訪れるに際しては、なんとピッタリした名前ではないか。
Photo ホテル外観
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ホテル室内

ホテルの雰囲気もなかなかよく、設備も今までの中では一番である。バスタブ付きというのも今回では初めてある。

日中は暑いのでホテルの中でブログ書きや読書で過ごし、夕方多少は暑さが和らいでから、バイラワの町に出る。インドとの交易で栄えて活気のある町である。
Photo_4
ネパール最後の夜だということで、ネパール名物モモを食べる。ストックカンリのBCへの途上でも食べたが、あの時は具は野菜だったのに対し今日は羊肉である。また形状も前回は日本の餃子に似ていたが、今回は丸い団子状である。いずれも美味である。
Photo_5

勘定の時に手持ちのネパールルピーが足りるか心配になったが、なんとか250ルピー(約250円)は手元に残った。明日の朝食はホテル代に含まれているし、ホテル代はドル払いなので、国境までサイクルリキシャに乗ってもおつりがくるだろう。もっともガイドブックによると、このあたりではインドルピーも使用可能なようなことは書いてあるので、未使用のインドルピーはかなり持っているのだが(法律上はインドルピーの国外持ち出しは禁止されているらしいが)。

(追記)

不調だった画像縮小ソフトが直りましたので、登頂日以降について新たに画像を挿入しました。特に登頂日については写真の枚数を多くしました。

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ルンビニ

昨晩泊まったホテルはwifi可能ということであったが、教えてくれたパスワードが違うか接続できなかったが、夕食に入ったレストランがwifi freeだったので、そちらの方で用事が足りて不都合はなかった。ホテルに戻ってしばらくすると、雨が降ってきて夜中には本降りとなったが、明け方には止んでいた。

バスの出発時間よりもだいぶ早くホテルを出たのでバス乗り場までは歩いて行く。昨日は車で行ったので短く感じたが、歩くと結構あった。途中で何度も道聞いてやっとたどり着く。係員らしき人に教えてもらったバイラワ行きのバスに乗ろうとすると、別の係員らしき人に連れて行かれて、別のバスに乗ってしまうことになる。しかも、8時発車のはずなのに、7時半に出発してしまうし、私が座るべき座席番号がない。想像するところでは、後で私をバスに案内した人は、私からバス代を預かったホテルにバス代を請求する権利を私が予約したはずのバス会社から横取りしたのではないか?もっとも横取りされた会社も私が予約した席は空くので他の乗客に売れば、実害はないことになる。この推測が当たっているかどうかは確認するすべはないが

ポカラを出発したバスは途中バイラワに向かうなら南に向かうはずなのに東に向かっている。あれ、たしか昨日見た景色だぞ。GPSで確認しても確かに昨日の道を逆走している。一瞬カトマンズ行きなのかという疑念も生じたが、車掌は私の切符がバイラワ行きであることを確認しているはずだから、そんなことはあるまい。迂回していったほうが、途中で客をたくさん拾えるからだろうか。私が本来乗るはずだったバスは最短距離を行ったのかもしれないが、早くバイラワに着いたからといってしょうがないといえばそうなんだけど
なんかここ何日間かはおんなじ道をいったり来たりしている気がする。中でもカトマンズからボカラを結ぶ道からバラプトゥールに分岐する道は四日連続で通ることになる。

カトマンズからの道と合流するあたりでは今日も渋滞となり、通過に2時間近くかかった。
Photo
バラプトゥールに着き、ここで目的のバイラワが位置する西に進路を取ったので一安心。東に進路を取ったらネパール入国初日に逆戻りするところだ。これでよほどのことでもないかぎり、今日中にバイラワに行けることを確信した。

バイラワの町に入りかけた頃に車掌がルンビニ(釈迦生誕の地)はここで乗り換えるのだと教えてくれる。今日はバイラワに泊まって、明日ルンビニに行ってもいいかなとも思っていたが、このまま乗り換えていけるんだったら、その方が好都合とあわてて下車する。教えられた方向にバスが何台か止まっていたので、ルンビニを連呼したら、乗るべきバスを教えてもらえた。
今日もハラハラドキドキの1日だったが、終わり良ければすべて良し、予定以上の成果をあげることができた。
ルンビニは世界遺産にも登録されているところだから、観光地かなと思ったら、全くの田舎の村落であった。村に入る手前には観光客向けのホテルもあったが、村にはショボいロッジがあるだけだった。観光客はだれもおらず、当然客引きもいない。というか、そのロッジに泊まるしかないのである。

翌日はロッジの人がバイクで釈迦の生誕地であることを記したアショカ王の石柱や日本の寺を案内してくれて、ネパール観光の目的は達成できた。
ルンビニ
天上天下唯我独尊
Photo_2 釈迦の実在を証明したアショカ王の石柱
Photo_3 日本寺妙法寺

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2013年8月 8日 (木)

バイラワ行きのつもりがポカラ行きに

今朝は朝食前に象の背中に乗ってのサファリ観光である。虎は無理でもサイくらいはと期待したが、鹿や兎など珍しくもない動物ばかりでちょっと残念、例外は孔雀くらいかな。でもサファリの気分は味わえてよかった。
Photo_4

出発準備をしている時に、今日の目的地であるバイラワでストがあって行けないと連絡が入り、やむを得ず目的地をポカラに変更することになる。ポカラ行きのバスに乗り込むと、そこには日本人旅行者二人×二組が乗っていて、久しぶりに日本語を話す。

バスは途中までは順調に走っていたが、途中で超大渋滞にはまってしまう。休憩所のところなので水も食料も調達可能で最悪ここで一夜明かしてもなんとかなりそうではあるが

3時間くらいでやっと渋滞を抜け、一路ポカラへ。なんとか明るいうちにはポカラに着けそうだ。

ポカラのバスターミナルに着くと、またしても待ち構えるホテルの客引きの魔の手?に
懐かしいベワタール(魚のしっぽという意味の湖)の近くに立地しているというのも心を動かされた一因ではあるんだけれど
そこそこのホテルに泊まろうと思ったのに、またもや経済的なホテルとなってしまった。明日のバイラワ行きのバスチケットの予約もホテルでしておく。予約できたということは、明日はストはないということ?まあそんなことを四の五の考えたってしようがない。明日は明日の風が吹くだ!

早速、ベワタールに出掛けて湖畔のレストランで33年ぶりの湖(あのときはマチャプチャレも見えたんだけど、モンスーンの今は無理だ)を見ながらビールで1人乾杯、至福のひとときである。
バイラワ行きのつもりがポカラ行きに
Photo_5 ペワタール(魚の尻尾という意味)湖

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2013年8月 7日 (水)

チトワンに向かう

前夜はその前の晩が夜行バスでほとんど眠れなかったせいで9時前には寝入ってしまったので3時過ぎには目が覚めてしまう。ゆっくり支度しても5時には準備万端整うが、おそらくホテルの出入口は閉まっているだろうし、バスの乗り場で長時間待つのもいやなので、部屋でしばらく待機する。
6時前に部屋を出て階段を下り始めると、下で大きな声がする。誰か用事のある人が来たが、カギがかかっているので宿の人を呼んでいるようだ。その声で宿の人も起き出してくれたのは好都合だった。私が起こさずにすんだのだから

集合場所に行ってみると、時間がまだ早かったせいもあるが、まだ誰も来ていない。あれと思って見回すと、だいぶ離れたところにバスが何台もとまっている。あれに違いないと近寄ると果たしてそうであった。

満員のツーリストバスは世界遺産のチトワン国立公園に向けて出発、と思ったら、かなりの人が途中の急流でラフティングをするために降りていく。その後も何人かが降りていくので、本当にこのバスはチトワン行きなのか心配になってくる。車掌(みたいな人)にチトワンに行くんだけどと言ったら、ボカラとの分岐点の町で降りればいいと言われて(というように聞こえたんだが)、ひょっとしてポカラ行きでは?と思ったが、まあそれでもいいか。チトワンは主目的ではないんだからと思い直した。

ボカラとチトワンの分岐点付近でGPSをチェックしていたら、チトワンの方に進路を取ったので、一安心。そからしばらくでバスは終点のチトワンに着く。それからがたいへん。ホテルを予約してなかったために、大勢のホテルの客引きに引っ張りだこなる。生まれて初めての経験である。各ホテルの条件を比較して決めればいいんだろうけど、そんな語学力もないし、結局は力の強い客引きの車に引っ張りこまれる。そして案内された部屋はかなり広い部屋で設備もまずまずながら1泊600円という安さである。
チトワンに向かう
前からやってみたかった象の背中に乗ってのサファリ見物なども含めても4千円以下であった。チトワンでどのくらい費用がかかるかわからないので、多少多目に換金したのだが、ネパールルビーはかなり余ってしまいそうだ。

夕方にはホテルの人がバイクで近くを案内してくれて、川を渡るバッファローや象の飼育場を見物したり、夜にはカルチャーショーを鑑賞したりと大いに楽しんだ。
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2013年8月 6日 (火)

カトマンズの休日

カトマンズはこれで三度目だし、前回は繁華街のタメルに1週間近くいたわけだからタメルの地理は頭に入っていると思っていたが、とんだ思い違いだった。
長距離バスターミナルからタクシーでタメルに向かい、前回泊まったホテルに向かおうとしたが、道に迷ってしまいなかなかたどり着けない。どうもタメルは奥が深いというか、ごく一部を知っているだけみたいだった。ようやく見つけることができたが、朝食付きの文字が目に入って躊躇してしまう。とぃうのは、明朝は早いので食事はできないからである。そんなもんで深い考えもなく、はすむかいにあった安宿をえらんでしまう。せっかくカトマンズまで到達できたのだから、もうちょっとましなホテルにしときゃよかったと後になって後悔。
まずは明日のチトワン行きのツーリストバスの切符を買いに旅行社へ。これでチトワンまでの足は確保できたが、その後のサファリ参加やバイラワまでの足がどうなるかは行ってみないことにはわからない。まあ出たとこ勝負でやるしかないだろう。
時間が余ったので市内をぶらっと歩く。カトマンズに来る人のほとんどの人は、ネパール観光の目玉として来ているんだろうが、私の場合は2回来たことがあるし、今回はあくまで通過点として来ているということもあって格別これを見るということもなく、ぶらぶら過ごした。
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最後に夕食は明日からデリーに戻るまではインド料理が続く見込みなので、日本料理店でサバの塩焼定食を食べたが、まあまあの味だった。
カトマンズの休日

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国境を越えてカトマンズへ

国境を越えてカトマンズへ
朝目覚めると夜行列車の窓の外は雨だった。ダージリンの天気はさらに悪いだろうから取り止めは正解である。ニュージャグパイルの駅に着いたが、思ったより大きな駅だった。国境の町までは乗り合いジープで行くらしいが、乗り場がわからない。うろうろしてたら、ネパール、ネパールと叫んで客を集めている人がいたのでついていったら、運よく乗り合いジープの最後の客となることができた。ジープは10人以上乗っていてぎゅーぎゅー詰めである。今までリクシャを一人で貸し切りで使っていて、いかに贅沢をしていたかがわかる。1時間以上走って国境の町に着く。ここでまずインドのイミグレで出国手続きをする。ただ手続きするのは私だけで、他の乗客は車内に残ったままである。地元の人には国境はないのかな?
手続きが終わるまでジープは待っててくれるとのことだったが、心配だったので荷物は全部持ってイミグレの事務所に小走りで向かった。ボーダーレスに近いヨーロッパ諸国は別として、陸路による国境越えは初めてだったので、ちょっと緊張したが、案ずるほどのことはなかった。
手続きが終わってジープに戻ると、ちゃんと待っててくれてた。それから国境を超えてネバールに着くと、そこがジープの終点である。ジープから降りると、バスの手配をしてくれる人が待っている。手数料かなんか要求されるのかもしれないが、右も左もわからない状況では頼らざるをえない。まずネバールのイミグレで入国手続きを行い、次に両替をしてから、カトマンズ行きのバスの予約をする。先ほどの人はバスチケットの取り扱いもしているホテルの人だった。バスは一応デラックスバスの方を予約したのでACはついているらしい(2千円弱)。夕方5時に出て20時間くらいかかるらしい。バスの発車時刻までだいぶあったので町の中をぶらついたが、結構大きい町で、ホテルも数十軒はあるようだ。ただ、その割には、日本人はもちろん欧米人にはひとりもあわなかった。
Photo_8 国境の町

バスチケット代支払時に渡された切符(かと思っていた紙)にはレポート(意味不明)16時、出発16時50分とあるが、16時を過ぎても一向にバスは現れないので心配になって切符を買ったところに聞きにいくと、切符と思っていた紙を回収されてバスだけてなく座席のところまで連れてってくれて、本物の切符をわたしてくれて立ち去った。ところが、その切符をよく見ると、他人の名前が書いてあるし、乗車日付も違う。料金も1850ルビー払ったのに1650ルビーとある。ただ行き先はカトマンズと書いてあるので、多分大丈夫だろう。なにかあったら、その時はその時だと開き直る。
バスはデラックスというにはおこがましいが、ACとリクライニング付きなので、こちらの基準ではデラックスなのだろう。定刻を少し過ぎて出発。カトマンズを目指しての20時間近い今回では最も過酷な行程が始まる。ガタガタ道を全速力で走るため、一晩中激しい振動で体が揺り動かされほとんど眠れなかった。
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長い夜もようやく明け、カトマンズ方向から流れてくる川に沿って道は遡っていく。カトマンズ盆地に入る手前の峠で大渋滞、1時間近くかかって、ようやく峠に登り着く。目の前にはカトマンズ盆地が広がっている。ここまでくればもう一息だ。ところが、郊外まで降りてきてからが大々渋滞でほとんど動かなくなってしまった。やっとのことで、朝9時にバスターミナルに到着。16時間の行程だった。思っていたよりも早かったのはデラックスバスのおかげかな?
これで今回の旅行の最大の難関を越えることができた。

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2013年8月 5日 (月)

カルカッタ二日目

今日はホテルで朝食後に観光名所にもなっている近くの公園に行ってみるが、広大というだけで特に見るべきものもないようなので、適当に切り上げてホテルに引き返す。途中、両替屋に寄り道する。入国時に空港で両替した手持ちのルビーが残り少なくなってきたからであり。日曜日なので両替屋がやっているかどうか心配だったが、ちゃんと営業していて一安心であった。ドルだけでなくて円も両替できるようであったが、手持ちの多いドルの方にした。

ホテルに戻ると、私がダージリンに行くことを知っている人がダージリンが大変なことになっているから、部屋に戻って新聞を読めという。それで新聞を見たが、該当する記事は見つけられなかった。念のためにネットで検索しても、そのような情報はなかった。ただダージリンの天気予報は豪雨に近いような感じであった。ダージリンがモンスーンの影響で天気が悪いことはもともとわかっていたが、たまたま天気のよい日にぶつかって、ヒマラヤの展望でも得られればラッキーだなと思っていた。ところが、そこまで悪い天気だと、行ってもしょうがないし、最悪、閉じ込められて帰ってこれなくなったら大変なので、ダージリンは今回は見合わせて、麓の町から直接ネバールに入ることにした。

今日は特に行くところもないので、トラム(路面電車)の一日券でも買って、市内をあちこち見て回ろうかなと思っていた。トラムの乗り場が近くにないので、そこまでは地下鉄で行かなければならないのだが、昨日利用した地下鉄の降り口が閉まっているのである。隣の駅まで歩いて行ってみるが、そちらも閉まっている。ということは、日曜日は運休ということか。ラッシュの混雑緩和という目的からはわからないこともないが、日本では考えられないことだ。

カルカッタにはおいしい中華料理の店が多いということで楽しみにしていたのだが、疲れてしまってそこまで戻るとのが面倒になったので近くにあったマックに入り、ハンバーガーで3時間近く粘って、涼みながら時間を潰した。

夕方になって、多少は暑さがしのぎやすくなった頃を見計らって、タクシーで駅に向かう。カルカッタに到着した時の駅は幹線が停車する駅だったので大きな駅だったが、こちらはこじんまりした駅だ(と言っても9番線まであるが)。夜行列車の乗り方ももう慣れたものである。駅の近くにはレストランらしきものはなかったので、駅構内の飲食店でインド式弁当を食べる。タルカリとダル(豆)スープという標準的なメニューである。ベンガルということでなにか特徴があるかと思ったが、特に違いはわからなかった。
カルカッタ二日目

列車は定刻通り発車して、ダージリンの麓のニュージャグパイルを目指す。ダージリンには寄らずにネバール国境越えを目指す公算が強いが、その場合は夜行バス利用で2晩連続夜行となってしまうので、寝台車で横になれる今晩は、よく寝ておかなければ

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2013年8月 4日 (日)

カルカッタ1日目

夜行列車は朝のカルカッタ(現地ではコルカタ)ハウラー駅のホームに入って行く。デリーから始まった今回の旅も、とうとう東の端のカルカッタに到達した。
駅から外に出ると、タクシーの客引きにとりかこまれるが、それを無視してフェリー乗り場に向かう。ガンガの下流をフェリーで横断しようというのだ。

ガンガの支流であるフークリー河(本流はバングラデシュで河口に達する)は、ベナレスあたりの本流と比べても狭いようで、大河を横断するというイメージとは遠く、ほどなく対岸に達する。そこから遠くに見える搭を目印に歩いてバスの発着場に着いた。ここに来たのには訳がある。

当初計画段階でカルカッタを訪問地のひとつに選んだのは、そこが(たとえ支流であれ)ガンガの河口であると思っていたからである。ところが、実際の河口は100キロほど南にあり、河口にある島には毎年1月にお祭りが行われるガンガサガールというヒンズー教の聖地があることがわかった。ここで想像力を働かして見ると、33年前にガンガの源頭であるヒンズー教の聖地ガウムクに行っており、今回のベナレスが中流の聖地、ガンガサガールが河口の聖地となって面白いかなと思った。ところが、ガンガサガールの情報が乏しく、ガンガサガールに向かうバスなど皆目見当がつかないので、ガンガサガール行きを断念して、カルカッタ宿泊の目的を最後のハードな行程であるネバール横断にそなえての心身のリフレッシュと位置づけることとした。そのため、ホテルも今までよりはランクを上げ(と言っても、一万円程度の中級クラスに過ぎないが)、食事も高級レストランでとるなど、今までとは様変わりである。

まずは昼食であるが、インド歌謡の実演付きのベンガル料理である。基本はカレーであることに変わりはないが、具が海鮮となることに特徴がある。自分はカニを頼んで大失敗。甲羅のままくるから、食べにくいったらありゃしない。魚にしときゃよかった。両手をカレーだらけにして大奮闘する羽目に。まあインド人も右手だけだけど使って食べてるんだけどね。ここで不可解なことが発生。ミネラルウォーターを頼んで係の人がミネラルウォーターのビンを取り出そうとしたら、別の人が制止して水差しを持ってきてグラスに注ごうとする。ミネラルウォーターかと確認すると、そうだと答える。そういわれちゃんとどうしようもないんだけど、他のテーブルではミネラルウォーターのビンがおいてあるんだけどなあ。一流レストランだから信用するしかないし、万一生水だとしても、A型肝炎の抗体はもってんだし、その他の雑菌についてもインド入国後半月たって、ある程度抵抗力もついてきているから大丈夫だということにしておこう。
カルカッタ1日目
次に夕食はまさかまさかのインドでのビフテキとなった。ずっと食べたかった割にはあまりうまくはなかった。やはり日本のビフテキとくらべちゃうんだろ桛、な。でも、これで気が済んだ。
カルカッタ1日目

食事ばかりをしていたわけではなく観光も多少はしてきた。時間が前後するが、まず昼食後に、ホテルの向かいにある東洋一の規模といわれる博物館に行ってみると、なんと改修中で休館であった。今回の旅行では4回連続の空振りである。次にカルカッタの守り神となっているカーリー寺院にも行ってくる。寺院に近づくと、いろいろと説明してくれる人がいる。最初は親切なだと思ったが、だんだんうっとおしくなる。ガイドブックを見ると、説明後にガイド料を請求してくるとある。やはりそうか。それからは彼を無視するが、やはりついてくるので外にでてしまう。すると、山車のようなものを担いだ若者でいっぱいである。朝、喫茶店で隣に来た若者が今夜9時に川でお祭りがあるといってたが、きっとそれと関係があるのだろうと思いながら立ち去った。
夕食後に朝教えられたお祭りを見に川にむかった。すると川の方から山車のようなものを担いだ若者たちが次々にやってくる。しばらくはそのまま川の方へ行きかけたが、結局彼らの後をついていくことにした。だいぶ歩いて、彼らの集合場所に着いた。深夜だというのに大音響の音楽(お祈り?)が鳴り響いている。なにか始まるのかなと思ったが、食事が出されるだけだった。そこで帰ることにしたが、近道のつもりで別の道を帰ってみた。そちらの道からも集合場所を目指す若者たちが次々とやってくる。行きと同じくらい歩いてもぜんぜん帰りつかない。どうやら道を間違えたようである。最後はタクシーのお世話になって、日付のかわ直前にホテルに帰り着いた。とんだアルバイトを強いられてしまった。明日はおとなしくしてよう。

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2013年8月 3日 (土)

仏陀に浸る

今日はゆったりした日程なのでゆっくりと起きる。
朝食後に大菩提寺を参拝する。
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先日の爆弾騒ぎの後だけに警戒はかなり厳しい。搭の裏手には大きな菩提樹の木がある。釈迦がその下で49日瞑想して悟りを開いたという木の末裔だそうである。2500年の時空を越えて釈迦の息づかいが伝わってくるような気がしてくる。
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その後に博物館に行ってみるが、ガイドブックにあるとおり休館日だった。もしやと思ったのだが、今回は博物館にはついていないようだ。

昼食後にセーナー村に行ってみる。近くの前正覚山での苦行でやつれた釈迦はスジャータからミルクを与えられて回復し、その後に菩提樹の下で瞑想することになる重要な土地である。
Photo_13 手前がセーナ村、奥が前正覚山
距離的にはたいしたことではないのだが、この炎天下では歩くにはちょっと遠く、オートリクシャでは近すぎるというのでサイクルリクシャで行ってみた。途中河原で象を見る。インドでは初めてだ。最初は野生かと思ったが、後ろに象使いがついていた。
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セーナー村自体はこれといった特徴のないのどかな村だったが、途中から片言の日本語を話す人がオートバイで並走してくるのにはまいった。最初はなにか商売っけがあってのことかと思ったが、そうでもないらしい。なんとも意味不明な奴である。
大菩提寺の脇に戻って、搭を望みながら、日本から持参した釈迦の本を読んで、自分なりの釈迦像を思いめぐらしていた。ところが、ここはブッダガヤの最大の観光スボットなので物売り、こじき、日本語をあやつる正体不明の人が次から次へと現れて、そのたびに思考が中断させられるのには参った。

大菩提寺の近くには各国の仏教寺院があるが、日本寺院では座禅もやっているというので行ってみる。日本から来た若い坊さんが読経した後、写真の畳の上で座禅を組むというものである。参加者は四人だけであったが、インドとは思えない静けさの中で貴重な経験だった。
仏陀に浸る

以上でブッダガヤを離れてガヤの駅に向かい、次の目的他コルカタ行きの夜行列車に乗り込むこととなる。

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2013年8月 2日 (金)

サルナートからブッダガヤへ

目覚ましを4時半にセットしたが、4時前に目覚めてしまった。ガンガの夜明けを見に行くのである。
頼んだわけでもないのに5時前に宿の主人からドアのノックがある。一人でいくからいいといっても、友達々々と言ってついてくる。親切なのか下心があるのか
肝心の夜明けは雲の間にチラリと太陽が覗いただけだったが、朝のガンガの荘厳な雰囲気が味わえて良かった。
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朝食を終えてから、釈迦の初説法の地で四大仏跡のひとつとされているサルナートにいくのだが、最初は宿の主人がオートバイで連れて行ってくれると言ってたのだが、でこぼこ道をオートバイで行くのは振動が激しくて快適でない上、しょっちゅう話しかけられるのもわずらしかった。それよりも帰りにまた土産物に連れて行かれる可能性が高かったからである。バイクは好ききでないのでリクシャで行きたいと言うと、それでは荷物はホテルに置いてサルナートに行き、昼頃に戻ってくればいいと、あくまでショッピングの時間を確保しようという魂胆がありありである。当初の予定では、この日は夜行でガヤに行くことになっていたが、その場合は二晩連続夜行となってハードなので、サルナートの後は、そのままガヤに行ってしまいたいと言うと、さすがに強欲な主人もあきらめたが、こんどはリクシャに乗る所まで送っていくという。断っても勝手についてきて、リクシャワーラーと600ルピーで話をつけてしまう。さすがに高いと思ったが、こんなことでガタガタしたくないので認め
てしまう。駅から宿まで来たときは100ルピーだったし、サルナートから駅に戻る時は200ルピーだったから、通しで真っ直ぐなら300ルピーを多少は下回るはずなのに倍以上の料金を決めてしまうのは、顔見知りの運転手を紹介して、超過料金分を山分けしようと思っているからに違いない。

ガイドブックのホテル紹介では読者から親切な主人としてベタほめされていたが、からくりに気づかないノー天気な読者である。では悪人かと言うと、そうとも言えない。利にさといインド人共通の点を別にすれば、まあ親切な人という見方も、あながち外れているわけでもない。

サルナートは喧騒とは無縁の静寂な地であった。一通り見学した後に博物館に行こうとしたら、荷物が大きいので入れなかった。それであきらめて駅に向かう。
サルナートからブッダガヤへ

駅では外国人専用窓口で、ガヤ行きの列車を尋ねる。すると10時の列車があるが、その後はしばらくないという。あわてて切符だけ買ってホームに向かうが、何番線か聞き忘れたので、どのホームに行っていいかわからない。デリー駅では、各ホームに止まる列車の表示があったが、ここではないのだ。そのため人に聞いたり、各ホームに止まっている列車を確認したが、該当する列車はない。そこであきらめて、外国人専用窓口に戻ってきくと、次は16時とのこと。まだだいぶ時間はあるが、とにかくこの場は去ろうとしたその時に、係員が、今から五番線に行けば間に合うと教えてくれた。さっき10時と言っていた列車が遅れて到着したのだろう。こんどはホームがわかっているので迷うこともない。ホームにはまだ列車は到着してなかったが、列車を待っ待っ人でホームはごった返している。ここでひとつ問題が発生した。デリー周辺の駅と違って車両の乗車位置の表示がないのでどこに並んでいいのかがわからない。そこで待っている人の服装を見て、ショボい服装の人が多いあたり
に並ぶことにした。もっとも自分もネパール人と間違えられるくらいショボい服装だが

やがて列車は入ってきたが、これはまずい。非AC車も寝台車ばかりで自由席の車両が見当たらない。でも今までだって、夜以外は指定券を持っていない人が寝台車に座っていたのを見ていたので、昼間なら問題ないのだろうと寝台車に乗り込む。まもなく車内検札が始まり、切符をみせると、ここは寝台車だと言われて、寝台料金300ルピーを取られてしまった。同じような人がたくさんいるのに何故自分だけがと思ったが、インド人は大目に見て、外国人には厳格に対応するということであろうか。ても係員は自分の切符は確認しているので、この列車は間違いなくガヤに行くことがわかりホッとした。

夕方ガヤに到着し、釈迦が悟りを開いた地で仏跡の中でも最も重要な地であるブッダガヤにオートリクシャで向かう。ブッダガヤの手前で大雨となり、運転席に激しく雨が降りこむので、運転手はギブアップし、そこから私は完全防備で歩き出す。もっとも雨はまもなく止んだが、

ブッダガヤに着き、マハーボーディの搭を遠望する。
サルナートからブッダガヤへ
今回の旅行の最大目標に到達したのだ。ブッダガヤは明日1日をかけてゆっくり探訪しよう。近くの小綺麗なホテルに宿をとる。1200ルピーながら久しぶりのホテルらしいホテルである。

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2013年8月 1日 (木)

ベナレス( バーラナーシー)

夜行列車の寝台は下段で予約がされていたが、家族連れが上段と代わってくれと言うので、その方が荷物の安全も確保できて好都合なので上段で寝る。
冷房が効きすぎていて、毛布二枚かけても寒いくらいだ。因にこの列車には20両近くの車両が連結してあるが、AC車はこの車両のみのようである。そんなことも、自分が乗る列車だとは思わなかった遠因かもしれない。バーラナーシーには予定よりも約1時間遅れで到着。ホームにはすでにリクシャワーラーの客引きが来ている。彼らのペースにはまらないよう、ベンチで休んで列車をやり過ごし、ホームに静けさが戻ってから、外に出た。
ガイドブックに出ていた評判のよいホテルの名前を告げると100ルビーで行ってくれるとのことだが、運転席の横に一人の男が滑り込んできた。こいつは何者だ。別に怪しいものではなかった。ホテルの手前が迷路のようになっており、オートリクシャでも入れないような狭い道だったので、歩いて案内してくれる人だった。

ホテルで遅い朝食を食べて、しばらく休憩してから、ホテルのオーナーがオートバイで街を案内してくれる。ヒンズー教の寺院をいくつか巡った後に御決まりのお買い物でナある。名産のシルク工房である。100ドル買い物をしたから十分彼のコミッションはでていると思ったのに酒代とチップも要求された。したたかな奴である。最後に、ガートにある火葬場をみてから、モーターボートでガート巡りである。2600ルピーはちょっと高い気もしたが、いい記念になるので乗ってみた。
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途中で、皿に花を飾り、真ん中のろうそくに火をともしてガンガに流すのをやってみろと言われてやってみたが、流す前に火は消えてしまった。それでもしっかり200ルピーはとられた。その代わり、買い物で受け取ってもらえなかった破れた紙幣を混ぜておいた。
ホテルに戻り、屋上でビールを飲みながら、タンドリーチキンのつもりがフライドチキンになってしまった。いつになったら、5年前にイスラマバードで食べたタンドリーチキンの味の再現はできるのか

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