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2013年10月

2013年10月31日 (木)

信濃川(長野まで)

北長岡駅で仮眠していたら、パトロールのお巡りに起こされてしまった。許可なく寝ていた方が悪いので文句は言えないが、お陰で睡眠不足となってしまった。

北長岡駅を暗いうちにスタート。昨日の遅れを取り戻そうとがんばたが、昨日の予定の津南に着いたのが、なんと2時。今日も残業となることを覚悟する。
初日は蛇行が激しくて川沿いに歩くと思わぬ時間がかかってしまったが、中流付近になると、幹線道路に沿って歩るいても大体川沿いに歩けるようになる。
川の名前も途中から千曲川に変わる。紅葉を期待したが、まだ早かったみたいてある。
信濃川(長野まで)
野沢温泉あたりまではアップダウンの連続でたいへんであるが、そこから先は長野盆地に繋がっていく比較的平坦な道で楽である。それでも予約してあったホテルに着いたのは10時過ぎとなってしまった。130キロ以上走って昨日の遅れは取り戻したので、良しとしよう。

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信濃川遡行開始

今日中に帰京する家内と別れて、信濃川遡行のスタート地点である新潟に移動するために、朝食後に宿を出て会津若松駅に向かう。会津の午前中は雨との予報であったが、所々には晴れ間も見えるまずまずの天気であった。

電車にはだいぶ時間があったので、途中で武家屋敷に立ち寄ったりのんびりと過ごす。会津若松駅からは磐越西線の快速に二時間半ばかり乗車する小さな旅である。磐越西線は大部分が未乗車なので、昨日の会津鉄道に続く乗鉄の旅となる。電車が山あいに差し掛かると、予報どおりに雨が降ってくる。一時は随分と降ってきて完全装備の身支度をするが、新潟に近づくにつれて小降りになってきたのでホッとする。

駅で自転車を組み立ててから河口に向かう。河口の特定は困難であったが、海が見えた所を河口として、源流への旅をスタートする。
信濃川遡行開始
雨は降ったり止んだりで、時々強くなるが、自転車での行動を妨げるほどではない。

河口のスタートが3時近くと遅かったので、今日は行ける所まで行くことにする。結局、夜中まで行動して長岡の近くまでは行ったが、予定よりもはるか手前である。どうして距離が伸びなかったのか不思議である。まあ明日がんばるしかない。と言うわけで、今晩は駅で仮眠である。昨晩の温泉宿での宿泊との落差は大きいが、これもまた楽しからずやである。

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2013年10月29日 (火)

会津若松

家内と会津若松の東山温泉に来ています。東武線、会津鉄道と乗り継いでお昼過ぎに会津若松に到着。

私は自前の自転車、家内はレンタサイクルで飯盛山に向かう。途中の蕎麦屋で昼食をとるが、なかなかうまいソバであった。

白虎隊で名高い飯盛山自刃の地は山の上かと思っていたら、ほとんど麓に近い所だったのは意外だった。それでも鶴ケ城は至近に望める立地なので、炎上する城を前に自刃を決意した若き隊士の心情を偲ぶには十分であった。
会津若松

飯盛山を後にして鶴ケ城に向かう。実は鶴ケ城は結婚した年に家内と安達太良山を登った帰りに立ち寄ったのだが、時間がなかったために天守閣を眺めるだけで中には入らずじまいであった。今回は十分時間があったので30数年ぶりに内部をゆっくりと見学することができた。内部の展示は充実しており、入場料500円は高くない気がした。天守閣からは先ほど訪れた飯盛山の自刃の地が望まれたのが印象的であった。
会津若松
鶴ケ城観光後、私は自転車で、家内はバスで東山温泉に向かう。平日だからガラガラからと思ったら、団体客などでそこそこ賑わっていた。

今年は「あまちゃん」の久慈、「八重の桜」の会津若松が観光ブームとなっているが、両方ともテレビは見てないのに、観光だけはしっかりやってきた。ちょっとミーハーだったかな?

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2013年10月27日 (日)

貂が見てた

貂が見てた
先週に続いての聖人岩である。台風一過の青空であるものの、降り続いた雨で岩が濡れていないか心配したが、ほとんど濡れていないので一安心。アップがてらに易しいルートを何本か登っているうちにお目当ての「貂が見てた」11bにトライする人がいて、ヌンチャクがかけられたので、それを使わせてもらって10年ぶりにトライすることなった。
結果はというと、トップアウトはしたものの数回のテンションとなってしまった。前回はマスターでオンサイト直前までいったことを考えると、大幅に力が落ちたことは否めない。まあ、それだけ年をとったのだからしょうがないという気もするが、持久力だけのルートで難しいところはひとつもないので、次回はレッドポイントを目指してみよう。

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2013年10月24日 (木)

久しぶりのジョギングとレース申込

めっきり涼しくなって走りやすくなったからというわけではないのだが、数カ月ぶりにジョギングをしてみた。久しぶりに走ってみると、やはり気持ちのよいものだ。おまけにレースにも出たくなってきた。ということでネットでハーフマラソンを検索してみると横田基地内で行われるフロストバイトというレースのエントリーが始まったばかりということで、今度は無事エントリーができた。

このレースの存在は前から知ってはいたが、基地内で開かれる特異なレースという印象のため、記録を狙っていた頃はエントリーする気はなかったのだが、今となっては変わったレースだから出てみようかという気になってきた。ともあれ、これでエントリーなしのシーズンという事態は避けられそうだ。

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2013年10月23日 (水)

未踏の百名山の攻略法

百名山も先日の火打山で85座を踏破し、15座を残すのみとなった。遠方または奥深い山ばかりが残ってしまったということはあるが、その気になれば1年以内に全てを踏破することも不可能ではない。ただ単に数を稼ぐだけの登り方はしたくない。別に全てをバリエーションルートからというつもりはないが、ある程度充実した内容を伴った上での登頂を行いたい。

15座全てについて予定がたっているわけではないが、次の山についてはほぼ計画ができている。

・水晶岳
・三俣蓮華岳
水晶岳は主稜線から離れているが、これを主稜線からピストンするのでは味気ない。やはり黒部湖からスタートして尾根の末端から取り付いて主稜線に達したい。一方、三俣蓮華岳は10年近く前のトレランをやってた頃に、裏銀座〜表銀座24時間内踏破を目指した時に本来は登っているはずだったのだが、夜間で道を間違えたために、稜線を通らずに黒部源流経由で巻いてしまったものである。そこで水晶岳から三俣蓮華岳を経由して槍ヶ岳まで裏銀座を縦走し、さらには10年前には上高地へ降りてしまって断念した表銀座方面への縦走を続け、さらには一般縦走路のある餓鬼岳まで長駆することを目論んでいる。24時間以内などという制約はないので、天候と体調さへ許せば可能であると思う。

・大峰山
大峰山は奥深い山であるが、道路が奥まで延びているので、車を使えば日帰りも可能らしい。もっとも自分は車を使えないし、そんな安易な登り方はしたくない。ここはやはり奥駆けしかないだろう。吉野から熊野大社まで通常は4、5日を要するらしいが、今の体力でどこまでできるかも試してみたい。ことさら、荒行として行う修行僧の真似をするつもりはないのであるが、余力があれば、さらに高野山まで熊野古道を歩いてみたいとも思っている。

・トムラウシ
単独に登るだけでも日帰りでは無理な奥深い山であるが、もっとスケールを大きくして、石狩川を河口から自転車でツーリングして、行ける所まで行ったら、そこからは歩いてトムラウシに登頂することを考えている。

・霧島山
・開聞岳
いずれも手軽に登れる山でバリエーションの対象ともならないようだが、宮崎県北部まで到達している日本縦断徒歩旅行の仕上げと絡めて登っていくつもりである。両方を併せ行うことは、足に故障を持っている自分にとっては足の負担が大きいが、まあ頑張ってみよう。

・浅間山
噴火活動のため、長らく頂上付近は立ち入り禁止となっていて、頂上手前の前掛山登頂をもって百名山登頂とみなすことが一般的であるが、他人はいざ知らず、自分自身にとっては、それはインチキだと思っている。それに関東国境尾根縦走と併せて浅間山登頂を行おうとしている自分にとっては、浅間山本峰を越えないことには話にならないのである。30年ほど前には浅間山本峰にも登ることができたようであるから、今後もいつの日にかは浅間山本峰に登れる日が来るだろう。
自分の山登りが可能な年数は最大でもあと20年だろう。それまでに浅間山本峰登山が可能になっていれば、関東国境尾根縦走の仕上げと百名山達成の同時進行も夢ではないかもしれない。

他の8山については計画未定であるが、適当なバリエーションルートがなければ冬山登山でもするか

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2013年10月19日 (土)

聖人岩に転進

この週末は私がクライミングを覚えた地である鈴鹿の御在所を仲間とともに訪れることになっていて楽しみにしていたが、天候が急変したため中止せざるをえなくなった。先月の錫杖岳の中止に続き、今年の秋は散々である。

代わりに前回も悪天で中止となった伊豆の城山ならば、土曜1日は天気はもつと判断して転進を考えたが、時間の経過とともに、こちらの天気も怪しくなってきたので、少しでも高気圧に近い埼玉北部の聖人岩に出かけることにした。

聖人岩は10年ほど前に一度来たことがあり、その時は「貂が見てた」という11bのルートをすんでのところでオンサイトを逃し、その後はずっと再訪する機会に恵まれなかった。

今回は10年ぶりに再訪するにあたり、「貂が見てた」を再トライするつもりで臨んだが、いつ雨が降りだしてもおかしくない天気のため、途中退散でヌンチャク残置という事態を免れるため、10台のルートでお茶を濁してしまった。近いうちに是非トライしたいものである。

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2013年10月15日 (火)

火打山・鍋倉谷

鍋倉谷の存在はだいぶ前から知っていたが、特に登ろう気はなかった。ところが百名山を意識するようになってから、未踏である火打山への魅力的な登路として注目するようになった。9月にも一度計画したが台風で中止となったため、今回はそのリベンジである。

荻窪駅でH君にピックアップしてもらって、笹ヶ峰の先の杉ノ沢橋で車を止めて軽く一杯やってから眠りにつく。雨合羽のみでは寒くて熟睡できなかったが4時半に起床して出発準備を行う。何台かの車が来て駐車したが、みな焼岳に登るようで、鍋倉谷に入るパーティーはいないようである。

ヒサゴの滝までは遊歩道を行く。展望台からの滝はなかなか見事で、これを登るのは容易でないと思われる。
P1020667

我々は展望台からは踏跡を辿って、途中から懸垂でヒサゴの滝の上部に下降する。ヒサゴの滝から先は特に問題もなく第1ゴルジュを終えて、気づかぬうちに惣兵衛谷を通過してしまったようである。さらに谷を詰めてサクラ谷と分かれると第2ゴルジュに入る。いきなり現れる4mのチョックストンの滝は悪そうだったので、左岸の尾根を登る。下部の壁は傾斜は緩いが一応ロープをつけていく。中間支点がないのでリードは慎重に行う。後2ピッチで高巻は終わって、懸垂でまた沢底に降りる。この先には特に悪場はなく快適に滝をいくつか越えて第2ゴルジュを終える。

1時過ぎで時間的にはまだ早く、第3ゴルジュも今日中に終えることは可能な見通しであったが、明日にも楽しみを残しておこうと今日はここにテントを張ることにした。沢の途中でH君が採集したヒラタケその他のきのこ汁に舌鼓を打って夕食を終えてからたき火をかこみながら酒を酌み交わす。
P1020684

翌朝は季節風の吹き出しも収まり移動性高気圧の圏内に入ったようで、無風快晴となって、紅葉の谷間から火打山がくっきりと望まれる。
P1020677

歩き出してしばらくは平衡感覚が悪くてふらふらしていたが、1時間くらい歩いてようやく平衡感覚が戻った頃に第3ゴルジュに入る。最初の7メートルの滝は問題とならなかったが、次の9メートルのチョックストンの滝はとりつく島がないという感じである。
P1020689
そこでやむをえず左岸を高巻くが、こちらも少々悪かったのでロープをつける。その後もいくつか滝があったが快適に越え、最後のヒョングリの滝はフリクションの効きが悪い私の沢靴では無理は禁物と高巻したが、フリクションの効くフェルト底靴のH君は直登していく。

第3ゴルジュが終わると広河原となって火打方面の展望が見事である。
P1020690
もうすっかり終わった気分になったが、実際は天狗の庭までは結構長かった。天狗の庭はまさに天上の別天地のような素晴らしい所でした。
P1020698天狗の庭と火打山

一般登山者が大勢往来しているので、湿原を横断していくのはややためらいもあったが、やむをえないと一般登山道まで湿原横断を行って、登山道脇に荷物をデポして早足で火打山をピストンする。自分にとっては85座目の百名山である。
P1020695

デポ地の天狗の庭に戻ったのは3時半で、明るいうちに下山するためには2時間で笹ヶ峰まで降りなければならない。高谷池の先もしばらくは平坦な道が続き、一向に高度が下がらず、荷物が重くて歩行ペースも上がらない。昔、小学生の娘と妙高山に登った時に、急坂を登りきってもテン場の高谷池が一向に近づかずに値を上げていたのが思い出された。

平坦地が終わって十二曲がりの急坂に差し掛かるとようやく調子も出てきて、先行パーティーを次々と追い抜いていく。最近は調子の悪い足をかばうつもりで下りはセーブして他パーティーを追い抜くということはめったにないのであるが、若いH君に煽られてしまったのかもしれない。

笹ヶ峰まで後1キロの表示の先でとっぷりと日が暮れてしまったのでライトをつけるが、どうも今までのリズムがくるってしまったようで、もうH君のスピードについていけなくなる。ただ、笹ヶ峰は目の前だったので、ようやく重荷から解放された。車の駐車してある杉の沢橋までは4キロ弱は歩いていかなければいけないが、空身だから楽なものである。車に乗って国道近くまで降りてようやく携帯が通じるようになる。遅くなってしまったが、なんとか連絡時間内には下山連絡ができてホットする。渋滞こそなかったものの都内に入ったのは23時近くになっていた。H君には長時間運転をしてもらってご苦労様でした。











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2013年10月10日 (木)

メインPC入替

メインPCとして長らくXP搭載機を使用してきたが、最近はいろいろと不具合が発生し、特にネット関係では顕著であった。またマイクロソフトによるXPのサポート終了もPC入れ替えを急がせることになった。

最新OSは8であるが、ノートPCでその使いづらさを痛感したので、あえて1世代前の7を使用することにした。最初は久しぶりに自作PCでもと思ったが、7搭載機はかた落ちのためか、自作機の部品代と大差ない値段で購入できるということでメーカー機を購入することにした。

アプリケーションのインストール、データの転送(実際に苦労したのはPC間をクロスケーブルで繋いで共有フォルダーを相手のPCに認識させることでした)でほぼ1日を費やしてしまった。ひとつだけ困ったことは古いプリンターが7には対応してなくて使えないことだ。当分はXP機も併用しないといけないようだ。

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新宿city ハーフマラソン落選

先月申し込んでいた新宿cityハーフマラソンの抽選結果が発表され、残念ながら落選だった。

この大会は走り始めて間もない頃に一度出場したことがあり、その時は途中で気付くと、ちょっと前を引退して間もない瀬古さんがゲストランナーとして走っており、なんとか追い付こうと必死で頑張ったことが印象に残っている(結局、追い付けなかったけど)。またスタートとゴールとなっている国立競技場が、当時所属していたランニングクラブの練習場として足しげく通っていた場所であり、2020年東京オリンピックに向けて来年7月には取り壊されるということもあって是非出場してみたかったのだが、この思いは多分他の人にも共通でかなりの競争倍率になったのだろう。

先日の青梅マラソンのエントリー開始直後の定員締切といい、最近のマラソンブームの過熱ぶりには驚くばかりである。自分がレースに出ていた頃はそれほどでもなかったので、最近の選手はレースに出場するだけでも大変なんだなあと思う。それはともかく、こうしてレースから離れていくと本当に走ら(れ?)なくなってしまうのかと思うと、一抹の寂しさを禁じ得ない。

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2013年10月 5日 (土)

なんとか中山道踏破

昨晩は酒を飲みながら、寝入ってしまたのでGPS機本体及びバッテリーに充電し忘れてしまった。充電には長時間を要するので、今からでは無理だ。充電時間が比較的短い携帯を充電し、そのグーグルマップのGPS機能を利用せざるをえない。

今日はゴールの草津まで45キロ近くの長丁場である。中山道の本当のゴールは京都の三条大橋だが、草津の東海道との合流点から先は既に歩いているので、今回のゴールは草津としたのだ。

今日の出発点の鳥居本宿までは近江鉄道に乗って行く。旧道は国道のすぐ上を通っている。高宮宿までは山道かと思っていたら平坦な道だった。ただ国道はだいぶ下の方を通るので離れてしまう。

高宮宿から愛知(エチ)川宿までは10キロ近くあってかなり遠い。愛知(エチ)川というのは養老の山から琵琶湖に流れこむ川であるが、若い頃に遡行したことがあるので懐かしい。愛知(エチ)川宿にはお昼時に着いたが、旧道沿いには飲食店はなく、宿場を出て国道と合流するあたりからちらほらと飲食店が現れる。その時点では携帯のGPSで見る限りは、行程の半分弱くらいは来ているようなので、この分なら楽勝だと飲食店で長居してしまう。

次の武佐(ムサ)の宿までも10キロ以上あって遠かった。ただ旧道を行くので見るべきものが多く退屈しない。
武佐の宿から次の守山の宿までも10キロ以上あるが、その間に正式の宿場でないが、舞の宿というのがあり、その先で旧道は国道と別れて新幹線の下をくぐって東海道線の草津を目指すことになる。
国道と別れる頃には夕暮れてなり、腹も減ってきたが、足の3重苦(疲労、捻挫後遺症の関節の痛み、足裏の靴擦れの痛み)も限界に達しており、長時間休むと歩けなくなってしまう恐れがあるため、コンビニの前で立ちながら食事をする。

国道と旧道の分岐点はわかりやすかったが、新幹線の下をくぐるのは早すぎたようである。旧道に戻るのはあきらめ、東海道線沿いに歩いて野洲駅を過ぎた先にある野洲川橋で旧道と合流することにする。

この頃になると、時間的余裕はさほどないどころか、下手をすると京都発の夜行バスに間に合わなくなることもありうるという不安がでてきた。そこで携帯のGPSとにらめっことなって現在位置の確認をしていく。ただ本物のGPS機と違って目的地までの距離が表示できないのがつらい
今回の最後の宿場である守山の宿を通過する。もう宿場を楽しむ余裕もない。草津駅到着のタイムリミットまで1時間を切ってしまった。前方の表示に○○駅300メートルとある。うん?と思ったが、よく見ると栗東駅だった。守山駅の次は草津駅だと思ってたら栗東駅があったのか。ガッカリしたが、それに追い打ちをかけたのが、草津4Kmの表示であった。今のペースでは間に合わないではないか。火事場のバカ力ではないが、足の不調をものともせずに走り出すことになった。

おかげで多少の余裕を残して草津駅の前まで来ることができた。だが、今日のゴールは東海道との合流点である草津追分である。東海道を歩いた時に来たことがあるので、記憶を便りに探し回るが、時間ばかりが空しく過ぎていく。ついにあきらめて駅に戻りかける。その途中で草津宿の資料を取り出してみると、さきほど探したもう少し先に草津追分があることがわかったが、あとの祭りである。まあ草津駅まで歩けたので良しとするかというわけで、今回をもって、ここ数年来続けてきた街道歩きも一段落となった。
Photo

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近江路に到達

ホテルで朝食後に大垣城を見に行く。関ケ原の戦い直前まで、西軍が立てこもっていたが、夜陰に乗じて城を抜け出して西に移動するところを東軍が察知して関ケ原に布陣し、戦いの火蓋が切っておとされることになったことで有名である。江戸時代を通じて戸田氏の居城であったが、歴史の表面に登場することはなかった。

大垣は奥の細道の最終到達地でもある。城の近くの川のほとりにはたくさんの芭蕉の句碑があったが、「五月雨を集めて速し最上川」の句碑を見てからホテルに戻る。

今日は東赤坂に戻って赤坂の宿からの再スタートである。赤坂宿では見事な火の見櫓が印象的である。他の宿場では見られないものである。
P1020650

今日は行程の遅れを取り戻そうと、午前中は垂井、関ケ原宿と休みなしで歩き、お昼もコンビニで買ったおにぎり弁当を5分で食べる慌ただしさである。ごごも頑張ったのだが、国境にある寝太朗の碑を過ぎて近江路に入り、最初の宿の柏原に着いたのが3時過ぎである。ここから今日の泊まり場である彦根までは約20キロある。10キロならば歩けないこともないが、20キロ歩くとなると、翌日の歩行に支障をきたすことにもなりかねないので、とりあえずは電車で彦根まで行き、ホテルに荷物を置いて空身になった上で、自転車を借りて戻ることにした。自転車ならば歩きの4倍以上のスピードは出るだろうから、往復しても時間の短縮になる計算である。

彦根のホテルに着いてみると、ホテルで自転車を借りられることがわかりホッとする。というのは他所で借りると営業時間内に返さなければならないので、柏原までの往復は難しく、一部のやり残した部分は再度ホテルから出掛けて、片道は歩かなければならないからである。

借りた自転車は変速ギアも付いていないママチャリだったが、たいした登りもないので大丈夫だろう。柏原までは時間短縮のために国道を行く。所々歩道のないところは路側帯もないため、後続車の接近には神経を使う。

柏原についてからは旧道を戻る。行きは気がづかなかったが、ほとんど国道沿いの道で交通量も少ないので、行きもこちらを通ってくれば良かったくらいである。

醒ヶ井を過ぎて国道を離れ山道に入る。番場宿のあたりで迷ってしまったが、なんとかホテルまで戻ることができた。

中山道の「歩き旅」は繋がらなくなってしまったが、「踏破」自体は続いているのでよしとしよう。

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2013年10月 3日 (木)

中山道 関ヶ原に届かず

当初の予定では、今日は関ヶ原まで行く予定であった。だが、すでにふれているように、十三峠越えが追加で行われたことで行程はかなり遅れており、到底今日中に着くことは不可能だ。ただ関ヶ原には今に残る街道の旅籠が営業しており、そこに泊まってみたいという気持ちもあったが、予約してたどり着けない場合には、途中を一部パスするしかないので、頭が痛いところであった。

昨日の終了点まで戻って歩き出して一時間くらいたったところで、関ヶ原の宿に予約の電話を入れると、なんでも翌日に団体の受け入れがあって人手が足りないので、今日は休みにするとのことで断られれてしまう。最初は少しがっかりしたが、よく考えてみると、これで今日の行動のしばりがなくなることになったわけで、結果的にはよかったかなとも思えてきた。

昨日の最後の宿場の鵜沼宿から次の加納宿までは17キロもあって、なかなかたどり着かない。頭上では各務原の基地から飛び立つジェット機の爆音がひっきりなしに続く。遠くには小高い山の上から城下町を見下ろしているような岐阜城がいつまでたっても、小さくならない。

昼前にようやく加納宿にたどり着く。
P1020637
加納宿はそこそこ大きい宿場で昔の家並みも多少は残っているのだが、道が曲がりくねっているので、旧道を辿っていくのはなかなかたいへんだ。加納宿を離れてしばらくすると、旧道を見失ってしまった。地区によっては曲がり角毎に表示があるところもあるが、加納宿近辺は少々不親切である。ただ木曽川を越える橋は河渡橋ただひとつなので、その橋を目指して行けば、結果的には迷うことはない。

木曽川を河渡橋で渡った先の河渡宿もわかりにくいところである。散々探し回っても見つからないので、次の宿に向かおうとしていたら、地元の人がわざわざ遠くから教えにきてくれたので、なんとか宿場跡に行くことができた。

ここから先は東海道線を離れて回りこんだコースを通って行くので、中山道沿いには宿泊施設はないようだ。そこで、大垣のホテルに予約を入れて、中山道からホテルまでは往復することにした。まずは美絵寺宿まで行き、、そこから大垣まで戻ることも考えたが、まだ5時過ぎで時間の余裕もあったので、次の赤坂宿まで行くことにした。

赤坂宿に行くには揖斐川を越えていかなければならない。橋は少し高いところにあるので、手元のGPSでは大きく曲がりくねって進むように指示している。ただ、橋は目の前なので、直登すれば1キロ近くは短縮できそうだった。そこで土手を這い上がり、フェンスを越えて橋の上に難なく立つことができた。もっとも暗くなっていたからできたことで、明るかったらちょっと躊躇しただろう。因みに自分のGPSには自動車、自転車、歩行者のモードはあったが、クライマーや忍者のモードはなかった。

そこから赤坂宿まではほぼ真っすくな道であったが、疲れが徐々に現れてきて、最後はバテバテで東赤坂の駅に着き。ここから先は明日また来ることにして大垣のホテルに向かった。

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2013年10月 2日 (水)

中山道御嵩宿〜鵜沼宿

御嵩駅は零時ちょうどに駅構内が自動的に消灯となったので良く眠れたが、始発が5時過ぎなので早起きさせられてしまった。
前夜は遅く着いて良く見られなかったので、宿場内をゆっくり見物してから出発する。次の伏見宿は隣のような感じですぐに着くが、国道が宿場だったところを通ってしまったためか、昔の面影はほとんど失われて見るべきものはさして見当たらないところである。

伏見宿の少し先で、木曽川が近づいてくる。中津川の手前で別れて以来の久しぶりの再開である。

木曽川を渡ると太田宿である。こちらは、資料館等の施設が充実しており、昔の建物もかなり残っている。そのうちの一軒が蕎麦屋を営んでいたので、もりそばと天ぷら盛合せを注文する。そばは地元産の材料を使っているそうで、なかなかコシがあり、天ぷらもさくさくとしてうまかった。

次の鵜沼宿までは10キロ以上あるが、国道を行くので単調である。そこで土手に上がって見ると、足下には木曽川、対岸には岩肌という素晴らしい景観が眺められた。このあたりは本番のライン川になぞられて日本ラインと呼ばれている所である。まだ若い頃に今は亡き両親が当時の勤務地の名古屋を訪ねてきた時に、ライン下りを案内したこともあったので、この辺りも通ったのかもしれない。
P1020625

土手はそのうちに消えてなくなり、また車道歩きに戻る。トンネルを過ぎたあたりにあるらしい旧道の分岐点を見落としてしまったので、そのまま国道を進む。

鵜沼駅の少し先で小道に入ると旧道に戻れた。こちらも昔の家並みがかなり残っている。ここまでで、今日の最低限のノルマは果たせたが、予定外の十三峠越えなどもあって行程が遅れきみなため、少しでも距離を稼いでおこうと、国道が名鉄線と交差する所にある駅の所まで小一時間かかって歩いて、今日のゴールとした。

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