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2013年10月 5日 (土)

近江路に到達

ホテルで朝食後に大垣城を見に行く。関ケ原の戦い直前まで、西軍が立てこもっていたが、夜陰に乗じて城を抜け出して西に移動するところを東軍が察知して関ケ原に布陣し、戦いの火蓋が切っておとされることになったことで有名である。江戸時代を通じて戸田氏の居城であったが、歴史の表面に登場することはなかった。

大垣は奥の細道の最終到達地でもある。城の近くの川のほとりにはたくさんの芭蕉の句碑があったが、「五月雨を集めて速し最上川」の句碑を見てからホテルに戻る。

今日は東赤坂に戻って赤坂の宿からの再スタートである。赤坂宿では見事な火の見櫓が印象的である。他の宿場では見られないものである。
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今日は行程の遅れを取り戻そうと、午前中は垂井、関ケ原宿と休みなしで歩き、お昼もコンビニで買ったおにぎり弁当を5分で食べる慌ただしさである。ごごも頑張ったのだが、国境にある寝太朗の碑を過ぎて近江路に入り、最初の宿の柏原に着いたのが3時過ぎである。ここから今日の泊まり場である彦根までは約20キロある。10キロならば歩けないこともないが、20キロ歩くとなると、翌日の歩行に支障をきたすことにもなりかねないので、とりあえずは電車で彦根まで行き、ホテルに荷物を置いて空身になった上で、自転車を借りて戻ることにした。自転車ならば歩きの4倍以上のスピードは出るだろうから、往復しても時間の短縮になる計算である。

彦根のホテルに着いてみると、ホテルで自転車を借りられることがわかりホッとする。というのは他所で借りると営業時間内に返さなければならないので、柏原までの往復は難しく、一部のやり残した部分は再度ホテルから出掛けて、片道は歩かなければならないからである。

借りた自転車は変速ギアも付いていないママチャリだったが、たいした登りもないので大丈夫だろう。柏原までは時間短縮のために国道を行く。所々歩道のないところは路側帯もないため、後続車の接近には神経を使う。

柏原についてからは旧道を戻る。行きは気がづかなかったが、ほとんど国道沿いの道で交通量も少ないので、行きもこちらを通ってくれば良かったくらいである。

醒ヶ井を過ぎて国道を離れ山道に入る。番場宿のあたりで迷ってしまったが、なんとかホテルまで戻ることができた。

中山道の「歩き旅」は繋がらなくなってしまったが、「踏破」自体は続いているのでよしとしよう。

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