« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

2013年11月

2013年11月30日 (土)

貸切りの聖人岩

聖人岩のアプローチである黒山行きの都合の良い時間帯のバスが冬期にはなくなるので、11月の最終日に聖人岩を計画したのだが、誰も参加希望者がいなかったため、中止にするつもりでいた。それで直前2日間はジムで自分としてはハードなところをガンガン登って、腕の疲労が抜けきれてなかったところ、直前になって参加希望者が現れたため、コンディション不十分のまま岩を登る羽目になったので、適当に登ってお茶を濁すことにした。

いつもの土日は賑わう聖人岩なのだが、どうしたことか今日は人っ子一人いない貸切状態である。冷え込む予報だったため、みなさん敬遠したのかしら
Photo

滅多にない貸切状態なので、調子が良ければガンガン登りたいところであるが、今日は5.7から始まって10a二本とやさしめのところをのんびり登っていく。

午後は10b、10cとグレードを上げていくが、これがめっぽう難しく、十分イレブンはあるのではと思わせるもので、手こずってしまった。

帰り際に毎回お会いする常連さんのご夫婦?がやってきたので完全貸切りとはならなかったが、静かなクライミングが楽しめた一日であった。

聖人岩には当分来ることもないだろうからと、バス停近くの黒山三滝に寄ってみる。滝のスケールも期待した紅葉も今一つだったが、観光気分?を味わうことはできたのでよしとするか。
Photo_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月25日 (月)

御在所岳藤内壁

30数年ぶりに御在所岳藤内壁の前尾根に行ってきました。自分がクライミングを覚えた岩場であり、一時は毎週のように通ったところであるが、クライミングから足を洗うことを考え始めたこの時期になって再び登るというのもなにかの巡り合わせだろうか

前夜、湯の山温泉近くの北谷橋の駐車場で車中泊をし、朝岩場に向かう。5年前の台風による土砂崩れで小屋も倒壊し、登山道も通行不能となったが、その後順次復帰し、最後まで復旧の遅れた日向小屋も今年の夏に再建されたということで、新装なった日向小屋に立ち寄って親父さんに挨拶に行く。いろいろと思い出のある小屋が再建されたということはじぶんにとっても喜びである。

そこからしばらく登るとこれまた数年前に再建された藤内小屋に着く。小屋の近くにテントを張り、北陸から参加した仲間と合流して、総勢5人で前尾根取り付きに向かう。

前尾根はいくつものピークを連ね、技術的には易しいものの変化に富んだ楽しいところである。当日は晩秋の寒い時期にもかかわらず、大勢のクライマーが訪れていて順番待ちもあったが、30数年前を思い出しながらの楽しいクライミングを行うことができた。
1311231
前尾根P3を登攀中の私(同行したKさん撮影)

翌日は中尾根を登るが、人数が多かったことや御在所の岩場に慣れてないメンバーもいたことから行程が捗らず、昼頃には帰途に着かなければならない我々としてはP4のみの登攀に甘んじて下降に移る。途中でせっかく来たのだからと一ノ壁で各自1本を登って全てのスケジュールを終える。後は湯の山温泉で疲れを癒してからKさんの運転する車に乗せてもらって長い長いドライブ(Kさん、お疲れ様でした!)を経て帰宅することとなった。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年11月18日 (月)

野川を走る

武蔵野を流れる野川の水源は国分寺駅近くの日立製作所中央研究所内にあり、年2回一般開放されるということで、開放日の今日、出かけてきた。

研究所内には広大な庭園があり、その中にある大池から野川が分岐している。
野川を走る
開放日の今日は大勢の見学者で賑わっており、模擬店なども多数出店していた。

野川自体は大池から分岐してすぐに研究所外に出て中央線の下をくぐって南下するが、そこには出入口はないので、また来た道を戻って遠回りしなければならない。また野川が中央線をくぐるあたりには線路を横切る道はないので国分寺駅か西国分寺駅近くのいずれかの陸橋を利用しなければならない。

今日はジムでクライミングをする予定なので、西国分寺に向かう。ジムで3時間程度クライミングをしてから、野川の多摩川との合流点まで約20キロのジョギングを開始。

まずは中央線の下をくぐって野川が現れる地点を見に行く。私道のような所に立ち入るので、不審人物と思われないかが気がかりだ。
野川を走る
電車と野川が同時に入る写真を撮ってから、下流に向かう。しばらくは川沿いの道はないので、行ったり来たりしてはなはだ非効率だったが、やがて川沿いの道を進めるようになる。野川は都会の川には珍しく昔の雰囲気が残っていて、河原にはアシやススキが生い茂っている。
野川を走る

ほぼ中間地点である野川公園に着いた時には夕闇が迫る時間となっていた。その後も黙々と走り、なんとか多摩川との合流点である二子玉川に着く。すでに真っ暗となっていたので、合流点の写真を撮ることはできなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月16日 (土)

河又の岩場

何年ぶりかで河又の岩場に行ってきました。
今回は参加者が5人と珍しく多かったし、あまり登りこんでない人もいたので、易し目のルートが多いように思われたタワーロックに向かうことにする。

タワーロックは初めてのエリアだったが、どうもほとんど登られてないようで、取り付きまでの踏跡も不明瞭だし、支点のボルトも古いものが見られ、アップにと考えていた5.9のカンテ沿いのルートも見た目はやけに難しく見えたので、ポピュラーなコーモリ岩に戻ることにする。

P1020773

アップに「ミヤザキミドリ」5.9を登ってトップロープを張るが、みなさん石灰岩になれてないようでかなり苦労していた。というわけで今日はやさしめのルートに徹することにする。

昼食後はコーモリ岩の一番右の「忍吉98」5.9と「忍吉」5.10aのルートにトップロープを張って登ってもらったが、ルート数の割にはかなり腕にきてしまい、十分に石灰岩を堪能?したようなので帰途に着くことにする。
石灰岩はある程度登りこまないとなれないようなので、しばらくは集中的に石灰岩の岩トレを行って1月のプラナン・クライミングに備えたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月 3日 (日)

下山

薄暗いうちから下山を開始する。下山方法は三国峠越、大弛峠越、信州峠越の他に信濃川上から直接JR乗車が考えられる。前二者は通行止めとなっていて論外であり、信濃川上乗車は安易すぎるので、信州峠越のつもりだった。

下りはじめは砂利道で急坂もあったので慎重に下って行ったが、舗装路に出てからは快適なダウンヒルを楽しんだ。川上村のスーパーに着き、そこで体を暖めて朝食を食べてから信州峠越に出発するつもりだった。ところがオープンは9時で1時間半くらい待たなければならない。空腹のまま峠越に行くのはためらわれたし、昨日までの晴天とうってかわった曇り空で峠付近の強風が冷えきった体にはこたえるだろうことが懸念されたため、信濃川上から直接乗車してしまうことにして、今回のツーリングはピリオドとなった。

自分のライフワークのひとつとしている全国各地の大河の河口から水源までの人力(自転車、歩き、走り)のみによる遡行の旅も三大大河のうち残すは石狩川のみとなった。近いうちに行いたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

信濃川(千曲川)水源到達・甲武信登頂

海瀬駅は夜間は電気が消えるのでよく眠れたが、始発が早いので利用客が来る前に起きなければない。支度を終えた頃に数人の乗客とおぼしき人がホームに近づいてくると思ったら、ホームの清掃にやって来る近所の住人であった。始発の乗客にきれいな駅を利用してもらおうという気持ちには頭が下がった。

小海駅あたりからはぐんぐん高度を上げていく。信濃川上の手前では川を離れて大きな峠を越していくので、なかなかたいへんである(佐久広瀬経由の近道を見落としていたようだ)。

信濃川上から先は比較的平坦な道を行くので楽である。途中スーパーで食料の補給と昼の弁当を買う。あたりの山は紅葉がまっさかりである。
P1020741

小川山への分岐点までは何度も行っているのであるが、そこから先は初めてである。梓山への分岐点から登りとなる。1時間近くで駐車場に着く。甲武信だ岳や千曲川源流に向かっているであろう登山者の車でいっぱいである。

駐車場から先もしばらく自転車で行くが、自転車では困難になってきたところで自転車と不要な荷物をデポして上を目指す。もう2時半だが、頑張れば暗くなる前には頂上に着くだろう。

4時半に千曲川水源標識に着く。
信濃川(千曲川)水源到達・甲武信登頂
これで目的達成だが、もうひと頑張りして日没の時間に山頂に立つ。
Photo_3

下りは道がわかりにくくて登り以上に時間がかかったが、9時半頃にデポ地点に着きテントを張る。さすがに疲れました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月 1日 (金)

信濃川(南佐久まで)

今夜はテントか駅のいずれかで時間的制約がないので、ゆっくり出発する。午前中は楽しみにしていた川中島の古戦場巡りまでしてきた。長篠、関ヶ原とともに戦国時代の三大決戦と勝手に私が呼んでいるが、いずれも今年行くことができた。ただ長篠の戦いは物量に断然すぐれた織田軍が武田軍に対して一方的に勝利したものであり(鉄砲の三段打ちはなかったという説が有力のようだ)、関ヶ原の戦いは西軍の主力となるべき毛利三家が裏切りや戦闘不参加となって中途半端に終わってしまったのに対して、川中島の戦いは戦国時代きっての名将ががっぷり四つに組んだことが特徴である。ただ、北信濃の支配をめぐって何度も行われた戦闘も、本気で相手を倒すつもりはなく、家臣団の結束を固めるためのものだったという説もあるようだ。

信玄が陣を敷いた八幡野だけでなく、謙信が陣を敷いた妻女山まで登って戦国の時に思いを馳せた。
信濃川(南佐久まで)八幡野史跡公園(信玄と謙信の一騎打ちの像)
Photo妻女山からの眺め

信濃川も千曲川と名前を変え、川沿いの道は北国街道の旧道にもなるので、街道の旅も楽しめるおいしい所である。
Photo_2

その後も幹線道路を行かずに土手の道を行ったりしたので、時間ばかり食ってしまった。小諸から先は、川が広範囲にわたって幾筋にも分かれて流れていくので、どこを通るべきか悩んだが、だんだん暗くなってくるので、そんなことにはかまっておられず、確実に行ける国道を利用することにした。ひたすら国道を進んでいるうちに夜9時をまわったので、南佐久のとある駅で仮眠することとなった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »