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2014年6月

2014年6月28日 (土)

三度目の正直の蔵王熊野岳登頂

昨夜は道路の分岐点の間の芝地にテントを張ったので、どう見てもしかるべき人からお叱りを受けそうなので、明るくなって直ぐに撤収した。

今日はエコーラインの峠までまだ700メートルほど登らなければならない。十分睡眠をとったせいか、峠まではなんとか上がることができた。峠に自転車をデポして登りだすが、刈田岳への登山道は少々荒れている。エコーラインが刈田岳頂上直下まで有料道路として延びているので、峠からの登山道など利用する者などほとんどいないのだろう。登山道は有料道路を何回か横切って刈田岳頂上に達する。頂上直下には売店もあるようだが、帰りに寄ることにして熊野岳に直行する。途中の馬の背からは天気が良ければ御釜が望まれるはずなのだが、今日は深い霧でなにも見えない。今日は自転車で峠まで上がってきた疲れが残っているのか、今一つ元気が出ず、チンタラ登りで熊野岳頂上に達する。三度目にしてようやく登頂することができた。百名山88座目クリアである。
三度目の正直の蔵王熊野岳登頂

頂上から下山する際に間違って蔵王温泉への道を降りてしまった。しばらくして気づいて登り返して時間をロスしてしまった。だが悪いことばかりではないようで、馬の背あたりで一時的にガスが晴れてお釜が眺められたのである。頂上で道を間違わなければお釜を見るチャンスはなかったかもしれない。
三度目の正直の蔵王熊野岳登頂

峠に戻って、今度は南蔵王の縦走である。屏風岳という宮城県の最高峰までの往復である。歩き出す頃から雨が本格的に降りだし、登るに連れてますます強くなって登山道は川のようになってしまう。
屏風岳頂上とおぼしきあたりに着いたが、標識もなにもない。だが、高度計とGPSで判断して頂上はここに違いないということで峠に引き返す。

雨具の下にはTシャツ1枚で、すっかり体が冷えきってしまったため、峠に着くと持参した衣服を全て着込んで下降を開始する。雨で路面もブレーキも濡れているため、慎重に下降していく。体が冷えきっているため、暖かいものが食べたいと、途中の蕎麦屋が営業中と書いてあったので立ち寄るが、今日はもう閉店とのことで空振りであった。こうなれば、遠刈田温泉まで下るしかないので、4時半くらいに温泉に着いて暖かいソバで体の中から暖める。ここには共同浴場もあるので、入りたい気もしたが、風呂を出てからまた濡れた服を着るのもいやだったし、ここから新幹線の駅まで1時間以上雨の中を自転車に乗っていると、折角暖めた体がまた冷えてしまうのでやめにした。因みに前回はここからバスに乗ったので温泉に入ったのだが

温泉から白石蔵王までは200メートルくらいの登りがある。疲れた体にはきつかったが、なんとか頑張って白石蔵王にたどり着いた。途中2頭のイノシシに出会い、またトラブル発生かと思ったが、離れた場所で気長に待ったら立ち去ってくれてほっとした。

今回は概ね順調に予定を消化できたが、階上ボルダーに行けなかったのが心残りである。今回の続きの下北半島のツーリングに行く際には、ぜひとも階上ボルダーにリベンジしてみたい。

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2014年6月27日 (金)

階上ボルダー発見できず

テントを撤収して荷物を自転車につけようとしたら、キャリアの金具が取れてしまって荷物をつけることができない。昨日、車と接触した時のショックで取れてしまったようだ。やむを得ず、前のキャリアに荷物をぶらさげ、後ろの荷台に乗せてあったザックは背負うことにした。

今日のゴールの八戸までは40キロ程度と短いが、途中で階上ボルダーに寄ってボルダリングを楽しんでくるつもりだった。

階上ボルダーへのアプローチはガイドブックによれば45号線と別れて行くように書いてある。どのくらい離れているかは書いてなかったが、自転車で行くんだから大したことはあるまいとたかをくくっていた。目印となる寺下観音までは比較的スムーズに行けたが、次の目印となる鳥居までは行けども行けども登り坂が続き、たどり着かない。45号線と分かれてから1時間半たったところでついに断念、また45号線に戻ることになった。

45号線に戻った地点では八戸までは19キロという表示が道に出ており、予約してあった新幹線までは3時間近くあったので、道の駅でゆっくり昼食をとったりした。

八戸の市街地に入ったあたりで、八戸駅を目的地としてGPSをセットすると、道端の表示よりも5キロほど長いではないか!!あれと思ったが、駅が街の中心部から離れているために生じたハプニングであった。急いではみたものの、結局予定した新幹線には乗り遅れ、次の新幹線は空席がなかったので、立ったまま乗る羽目になってしまった。どうも朝からついてない1日である。

仙台で乗り換えて白石蔵王で下車する。百名山の蔵王熊野岳に登頂するためである。実は熊野岳は2回トライしてまだ登頂していない因縁の山である。三度目の正直が果たしてなるか

今の時期は土日はエコーラインまでバスが通っているのだが、本数は少ないし、折角自転車を持ってきているのだからと、行ける所までは自転車に乗って行くことにした。

まずは遠刈田温泉までの20キロを3時間近くかけて行く。全くのしゃりばて状態で、最後は平坦な道になったので、なんとか頑張ることができた。

遠刈田温泉では白石蔵王駅で買った弁当を食べ、十分鋭気を養ってスタートしたので、しばらくは順調だったが、次第に疲労が覆い隠せなくなったので、自転車を降りて引いて行く様となり、遠刈田温泉からエコーライン頂上の高度、距離とも約半分の地点でテントを張ってしまう。もちろんテント指定地ではないが、まあ文句を言う奴はいないだろう。

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北三陸ツーリング

しばらく足踏みしていた日本列島海岸線一周の旅を再開した。前回は気仙沼から三陸鉄道の普代までを2年前にツーリングしたので、その続きである。その時は家内にも津波被害の爪痕をみてもらおうと、家内には三陸鉄道やJRの不通区間は代行バスで来てもらった。JRの不通区間はそのままだが、三陸鉄道は今春全線復旧したので、当時は不通区間だった小本〜田野畑を含む北リアス線を乗車して、遅まきながら三陸鉄道全線復旧を祝うとともに、山田線の未乗車区間である盛岡〜宮古も乗車してしまおうという計画である。

山田線の盛岡〜宮古は距離的には多分100キロ以下の短い路線であるが、東京〜盛岡の新幹線の乗車時間に匹敵するという超ローカル線である。宮古駅での三陸鉄道への乗り換えは同じホームの後方への移動だけで済んだので助かった。エレベーター等のない駅での自転車を持っての階段の上り降りは大変なのである。

三陸鉄道の北リアス線の普代駅で下車し、準備を済ませて出発したのはなんと2時半だった。東京を一番早く出てもこの時間になってしまうのだから、実に辺鄙なところである。
ここから久慈までは近道をすればさほど時間はかからないが、今日は海岸線を巡る旅でもあることだしと、朝の連続ドラマ「あまちゃん」の舞台となった小袖海岸経由でいくことにした。最初は海岸沿いに行けるのかと思ったが、途中で道がなくなったりして迷い迷いしながらなんとか小袖海岸に到達した。ここは昨年、東北のクライミングツアーに来た時にも立ち寄っているのだが、今日は日没前の美しい小袖海岸が見られてラッキーだった。日本海側ならいざ知らず、太平洋側で日没前の景観が望めるとは思ってもみなかった。
北三陸ツーリング
久慈に着いて現在地を確認すると、中心地よりも少し北の方にいることがわかった。中心地は昨年行っているので、今日はいいやと近くの海鮮料理店に入る。久慈の名物といえば、あまちゃんで一躍全国に名前がしれわたったまめぶ汁であるが、昨年はものは試しと食べてみたものの格別うまいとは思わなかったので、今日は平凡だが、さしみとてんぶらの北限定食を食す。食後に隣のコンビニで酒とつまみを買って北上する。

当初は今晩中に階上まで行くつもりであった。というのは階上には青森唯一のクライミングエリアとも言える階上ボルダーがあるからである。ただ久慈からだと40キロ近くはあるので、今日中には無理ということで行けるところまで行ってみることにした。

夜道なので安全第一と、歩道のある所は歩道を行き、歩道のない所では、後ろから車が来ると、端によって徐行していたのだが、たまたま、歩道が切れて反対車線に新たに歩道が現れたので、そちらに移ろうと思っていた矢先に後ろから来た車が接触して走り去ってしまった。接触と言っても、体や自転車が接触したわけではなく、サイドバッグが接触しただけなのだが、自転車に乗り出してからの初めての接触事故で意気消沈してしまった。前進する意欲を失いどこでもいいからテントを張ろうとしたら、おあつらえの場所があったので、テントを張って、1人宴会で一夜を明かした。

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2014年6月25日 (水)

初収穫

初収穫
昨日の夕方、仕事帰りに農園に寄ろうと思って渋谷駅で井の頭線に乗り換えかかったが、激しい雨が降っていたので断念し、JRで帰宅してしまった。その後ニュースで農園のすぐ近くで大量のひょうがふったことを知り、被害にあわなかったか心配になる。

今朝はワールドカップを見終わるとすぐに農園に行ってみた。幸いひょうの被害はなかったようで、いくつかの実は赤くなっていた。そこで早速、初収穫をして家にもって帰る。形は悪いが、味の方は・・・。まあ普通かな。緑の実が多いので、まだ半月くらいは収穫できそうだ。枝豆の方もたくさん実をぶらさげているが、豆がまだ小さいようで食べ頃はもう少し先かな

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2014年6月22日 (日)

富士山

富士山
富士山は古くは富士登山競争の練習や本番で、その後は高所登山のための高所順応で数えきれないほど登っているが、今年は海外登山の予定がないことから、特に登りに行くつもりはなかった。たまたま山の仲間が海外登山のために高所順応訓練で富士山に行くことを知り、来年以降に行くかもしれない高所登山のためには、年に1回くらいは富士山の高度を経験しておいた方がよいかなと、参加させてもらうことにした。ただ他のメンバーの出発は金曜の夜だが、私は飲み会の予定があるため、土曜の朝に出発して頂上で合流することにした。

土曜の朝の高速バスで河口湖に向かう。おりしも今日はワールドカップの対ギリシャ戦で携帯のワンセグで観戦しながらの道中となった。ところが、小仏トンネルを越えると電波状態が悪いのか受信しなくなり、エリアを山梨県に変えてもダメ。やむをえずラジオをイアホーンで聞く。結局ドローとなって崖っぷちに立たされたが、最終戦には意地を見せてもらいたい。

河口湖での乗継もスムーズに行き、五合目には10時半頃に到着し、すぐに出発する。頂上には今朝富士宮口を出発した仲間が先着しているだろうと思うと、つい急ぎ足となってしまう。といっても富士登山競争の練習にやってくる連中には次から次へと追い抜かれてしまう。自分が富士登山競争に出ていたのはもう10年近くも前のことであり、あらためて歳月の経つ速さを感じる。

吉田口の頂上には3時前に着き、先着しているはずの仲間に携帯で連絡するが電源を切っているのか通じない。やむを得ず、テントを張っているはずの富士宮口頂上に向かう。事前の計画では、テント設営後にお鉢まわりとのことだったが、吉田口頂上から先には新しいトレースがないので、そんなに早くは着いていないようだ。富士宮口頂上に近づくと、剣ヶ峰から降りてくる3人パーティーが認められたので、仲間に違いないと歩を早めると、小屋近くで合流することができた。自分が持ってきた一人用のテントは荷物入れとして使い、彼らのテントで寝させてもらうことにした。

翌朝は曇っていて稜線は風も強そうだったため、お鉢まわりは中止して富士宮口を下山する仲間と行動を共にする。富士宮口はたいして雪はあるまいとたかをくくっていたら吉田口よりも多いくらいだった。他の3人はアイゼンをつけて下山したが、踏み跡がしっかりしていたし、凍ってもなかったので私はアイゼンなしで降りる。ただトレラン用の靴だとやはり滑りやすく、少々へっぴり腰の下りとなってしまう。
Photo

五合目には10時頃には無事到着する。時間が十分あったので、帰りには大井のブルックスコーヒーでコーヒーの無料試飲をしたり、渋沢付近で寿司を食べたりしてのんびりと帰ることができた。

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2014年6月19日 (木)

トマト少し色づく

トマト少し色づく
今日は西国分寺で飲み会があるので、農園に寄ってから行くことにする。

トマトの実もだいぶ大きくなり、少し色づいているものもある。来月初めには収穫できるかな。前回撒いた種のうち、キュウリの方は芽が出てきたが、小松菜の方は種子を撒いたはずの場所に生えているのはどうみても雑草としか思えない。引っこ抜こうかと思ったが、もしやと思って次回まで様子をみることにした。ジャガイモと枝豆はかなりのさばってきたが、収穫のサインらしきものは一向に現れない。ネットで調べておこう。

小一時間ばかり草取りをしたが、この時期の雑草の繁殖力は凄まじい。用意してきたビニールがすぐにいっぱいになってしまう。今日は用事があって持ち帰れないので、次回まで隅に置いておこう。

かんかん照りの中を帽子も被らずに作業してたら頭の後ろがフラフララするようになってきた。これはヤバイと草取りは中止して、水撒きをして農園を去ることとした。

持参した飲料水を飲んで熱中症にならないように気を付けながら駅方面にむかう。このまま長時間歩き続くけると危険だと感じたが、なんとか駅前に到着し、冷房の効いたレストランに入ってホッとした。

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2014年6月18日 (水)

日和田山のつもりがベースキャンプに

日和田山のつもりがベースキャンプに
上高地から帰った翌日に日和田山にクライミングに行く予定だったが、朝起きてみると昨日の疲れがまだ抜けておらず、午後からは雨の予報である。そこで相棒に延期を申し出るが、もう出発するところだと言う。しょうがないので出かけることにするが、現地まで行って雨に降られても惨めなので、沿線の武蔵藤沢にあるクライミングジム「ベースキャンプ」の会員証も用意して、雨の場合はジムでクライミングを行うことにした。

飯能駅で西武秩父に乗り換えると案の定雨が降ってきた。下車する高麗駅でも止んでおらず、この雨の中を荷物を背負って岩場まで歩いて行く気にはなれなかったので、もう岩場に着いているはずの相棒に電話して、今日は外岩は中止してジムで登るので、都合がよかったら来てくれるように連絡し、改札を出ずに登り電車が来るのを待つ。30分ほどして上り電車が来る頃には雨も上がってしまい、一瞬迷いも生じたが、どうせまた降るだろうと電車に乗り込んでしまう。

ジムに着くと、まだ時間が早いため、客もまばらである。このジムは毎月1回行く仕事のお客さんの近くにあるため、いつもは仕事と引っ掛けて行っており、ジムだけの目的で来るのは始めてである(今回も外岩と引っ掛けて来たのではあるが)。

まずは6級の課題でアップしてから、前回苦戦した5級の課題を登るが、前回登れなかった課題を含めて3本が1回で登れてしまう。気を良くして4級の課題にトライすると、さすがに1回では無理だが、2本ばかりは登れたので、ケガをする前の状態にはほぼ戻ったようだ。続いて3級の課題にトライするが、腕がよれてきているせいもあり1本も登れず、最盛期の状態とはほど遠いことも思い知らされた。

結局、その後は雨は降らず、相棒もジムには来なかった。多分、岩場で顔見知りと出会って登ったのだろう。自分も岩場に行った方が良かったかも知れないが、それは結果論であり、ジムで一定の成果があったこともあり、判断に誤りはなかったと思う。

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2014年6月17日 (火)

大滝山から徳本峠

昨日は早く寝たので3時頃から目が覚めていたが、外が明るくなった4時過ぎに行動開始する。食事と荷物の整理は5時過ぎに終わったのだが、テントの底が濡れてしまったので底を太陽の方に向けて乾かす。その間に槍穂高連峰の写真を撮ったりする。今日は雲もなく、素晴らしい天気である。テントも乾いたようなので、テントをたたんで6時に出発する。
大滝山から徳本峠

大滝山への道は雪渓をトラバースして進んで行く。踏み跡がしっかりしているので、ピッケルやアイゼンが無くても問題ない。そのうちに下って行く道が分岐している。下る道の方が踏み跡もしっかりしているし、マーキングもたくさんあったので、ついそちらの道に誘い込まれてしまった。だいぶ下ってから、ちょっと下り過ぎ出し、方角も南ではなく東なので、蝶ヶ岳から安曇野へのコースに紛れこんでしまったのだろうと正しいコースに戻ることにした。ただ先程の分岐点ははるか頭上であそこまで登り返す気にはなれなかったので、トラバース気味に正しいコースに合流することにする。ただこの選択も結構大変で分岐点まで戻った方がよかったかもしれない。

そんな訳で大滝山に着いたのは9時半と思ったよりも時間がかかってしまった。
大滝山から徳本峠
大滝山より先の道がしっかりしているかどうかが気がかりであったが、道自体はしっかりしていた。ただ道の大部分は雪に被われているのて、何度も道を見失い、大滝山と徳本峠のほぼ中間の槍見台に着いたのは1時過ぎで大滝山から3時間半近くかかったことになる。もし、徳本峠までも同じ時間がかかるとすると、上高地の最終バスには間に合わなくなってしまうので焦りを感じ始める。そのため少しペースを早めて歩きだし、一方、槍見台から先は雪もほとんど消えて道に迷うこともなくなったので徳本峠までは1時間半で着くことができ、これでバスに間に合うかどうかの心配はなくなった。

徳本峠からの下りは気楽な道中だった。40年前に家内を含む職場の連中と上高地に来た時は、初日に徳本峠を往復してドピーカンの穂高の展望を楽しんだが、今日もそれに負けないほどの好天で、同じように穂高明神の眺めを楽しむことができた。40年前の時は、一緒に行ったメンバーの1人とその後一緒になるとは思ってもいなかったが、人の縁とは不思議なものである。そんなことを考えながら歩くうちに、明神近くのメインコースに合流する。いつもは登山者や観光客で混雑するメインコースも平日の夕方ということで人っ子1人いない状態で妙な気分であった。上高地まではもうひとがんばりで着くことができ、今回は珍しく計画通りに予定を終らすことができた。

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2014年6月16日 (月)

蝶ヶ岳

名古屋の実家に親の介護に向かう家内と上高地で別れて徳沢方面に向かう。上高地周辺で唯一登ったことがない大滝山に登るため、まずは徳沢から長塀尾根を蝶ヶ岳まで登り、そこから大滝山を登って徳本峠経由で上高地に下山するつもりである。

徳沢から蝶ヶ岳までは標高差1000メートル強あり、横尾からよりは楽とは言え、なかなかの登りである。穂高のメインコースから外れているため利用する人は少ないようで、今回も出会った人は1人だけだった。雪は2000メートルあたりから時々現れるが、歩行の障害になるほどではない。稜線近くまで樹林帯が続くので展望が開けるのは頂上直下で、蝶ヶ岳ヒュッテと常念岳が同時に見えてきた。時間も4時になったので、そろそろテントを張ろう。まだ小屋はやってないだろうと思ったら営業していたのでテ代700円を取られてしまった。テントも数張りあったのは予想外だった。

天気は良いのだが、穂高方面に雲がかかって折角の大展望が十分楽しめないのは残念だ。明日に期待しよう。展望も期待外れだったのでテントに戻って食事の準備をする。25リットルの小さいザックで来たので、ジフィーズとスープだけの簡単な食事である。昨夜のフルコースとの落差は大きいが、これもまた楽しからずやである。
蝶ヶ岳

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上高地帝国ホテル

40年前に職場の山好きな連中と上高地に行き、その中にはまだ結婚するする前の家内も一緒だった。その時は西糸屋に泊まったのだが、丁度家内の二十歳の誕生日だったので、気をきかせた先輩がバースディケーキを買ってきて皆でお祝いをしたものであった。

時は流れて家内も還暦を迎えることとなった。そこで記念に上高地を訪れることになったのだが、どうせならば、一度は泊まってみたいと思っていた上高地帝国ホテルに泊まってみることにした。予約が取りにくいと聞いていたので、申込み初日の2月1日に早々と申し込んだのだが、満室なのは夏休み期間中だけで、6月は土曜日以外は空きがあるようだった。

スーパーあずさが塩尻を出る頃にワールドカップのコートジボワール戦が始まったので携帯のワンセグで観戦する。新島々からバスが発車する頃に連続して得点されて逆転され、稲こきダム付近にさしかかったあたりで試合終了となり、残念ながら黒星スタートとなってしまった。負け惜しみだが、上高地までの前半の展望がない部分の退屈しのぎには格好であった。

昼時にホテルに着いたので、ホテルのレストランど昼食をとる。シーズン前のせいかさほど待たずに席に座れる。自分はハッシュドビーフとオムライス、家内は名物のビーフカレーを注文する。料理もたいして待たずに運ばれたが、空腹だったので、写真を撮らずに食べてしまい惜しいことをした。夕食は忘れないようにしなくては
上高地帝国ホテル

食後しばらく休憩してから大正池までの散策に出かける。大正池はいつもはバスの車窓から眺めるだけで、湖畔に立つのは久し振りだが、以前に比べると随分と立木の数が減ったようで、景観の見事さがだいぶ削がれてしまったのは残念だった。
湖畔でバスが来るまでソフトクリームを舐めながら、アルプスを眺める気分は最高である。その後、上高地に移動して、河童橋を渡って右岸を散策しながらホテルに戻る。数え切れないくらい通った上高地であるが、いつもは通ったことのない所を行けたので新鮮であった。

ホテルに戻ってしばらく休んでからいよいよお楽しみのディナーである。フランス料理のフルコースであるが、自分はヒラメのムニエルとローストビーフのコースを選んだ。お値段もそれなりだったが、十分満足できる内容だった。もう二度とできないだろう経験をさせてもらえてよかった。
上高地帝国ホテル

上高地帝国ホテル

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2014年6月13日 (金)

クライミング復活

ケガが回復して以来、約1ヶ月ぶり、ボルダリングに関しては多分2ヶ月ぶりとなるが、入間方面に仕事に出掛けたのでクライミングジムに寄ってきた。
クライミング復活

まだ指の痺れが取れてないので、おっかなびっくりで、普段は触ったことのない初心者向けの8級から始めて、7級、6級と問題なくクリアするか、5級となってくると、登れない課題が出てきたり、登れても数回のドライを要するようになってくる。まあしばらくやってなかったのでやむをえないが、ぼちぼち慣らしていこう。ケガの後遺症もなく、クライミングができたことだけでも喜びたい。

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2014年6月12日 (木)

ゼンマイ料理

ゼンマイ料理
ゼンマイの天日干しも終わったので、今度は料理に挑戦。水で戻してからしばらく煮て、ごま油と醤油で炒めただけの料理ともいえない代物である。

酒のつまみとしては可もなく不可もなくといった程度で、かかった手前からみると、割りのあわない気がする。これからはワラビやゼンマイを見かけても絶対に手を出さないぞと誓うのであった。それはともかく、なんとか調理までこぎ着けて、折角の収穫を無駄にすることがなかったことはよかった。

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2014年6月10日 (火)

仕事帰りに農園へ

雨が降り続いて農園に行く機会がなかなかないため、たまたま梅雨の間の晴れ間となった今日は渋谷の先に仕事で出掛けたので、帰りは井の頭線経由で久我山で下車して農園によってきた。

まずは雑草取りをしてから、トマトに追肥として化成肥料をやり、前回、トマトが風で倒れた跡に堆肥を撒いておいたので、そこにキュウリと小松菜の種を撒いた。

下の写真の右手はトマト、左手は枝豆とジャガイモである。どれでもよいから早く収穫したいものである。
仕事帰りに農園へ

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2014年6月 9日 (月)

ゼンマイ

ゼンマイ
布引山を登っている時に八合目付近でゼンマイがそこら中に生えているのを見かけたものの、気がせいていたので素通りしてしまったが、同じコースを下りてくる羽目になったため、しっかり収穫に励むことができた。わずか10分ほどで袋いっぱいになってしまった。

若い頃にワラビだったかゼンマイだったかは忘れたが、山で収穫して持ち帰ったら、母親がアクヌキして調理してくれたことがあったことを思い出し、半ばお土産のつもりで家内に調理を頼むと、ネットでいろいろ調べた結果、手間がかかり過ぎるということで調理を拒否されてしまった。
というわけで自分で調理せざるをえない羽目になってしまった。早速ネットで調べてみると、アクヌキだけすれば済むわけではなさそうだ。まずは頭の部分と茎についている毛を取って、これを重曹と一緒に鍋に入れて熱湯をかけるところまではやってみた。

この後、一晩置いてアクヌキを行い、それから天日干ししてようやく調理できる段階に至るという先の長い話である。

長梅雨でいつ天日干しができるかわからないが、家内が驚くような調理をしてみせなければ。
野に生きる100本近い命を絶ってしまったのだから。

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2014年6月 7日 (土)

白峰南嶺南部縦走断念

所ノ沢越の分岐点を捜すために前日の夕方に頂上近くまで戻ってテントを張ったのであるが、夜半に雨足が激しくなり、テントの中はプール、寝袋は水浸し、マッチの火もつきにくくなっているのに対して、所ノ沢越を目指すと最低でも1泊以上必要になるし、この二日間の雨中の行動で体力が弱っているところに、風雨の激しい主稜線を進めば低体温症にもなりかねないので、縦走を断念することとし、初日に登ったコースを降りることとした。コース自体はよくわかっているので心強いが、ただひとつ心配なのは初日に渡った沢がこの大雨で増水して果たして渡れるかということである。最悪の場合は救助隊のヘリを使えばよいのだし、山岳遭難保険でヘリ代くらいでるだろうと思ったら気が楽になった。
沢までの下降は標高差1600メートル近くあり、下りなら4時間程度の行程である。

沢に近づくと水流が見えてくるが、遠目でも行きの時と様変わりの激流である。沢まで下りきって間近に見ると渡渉することなど考えられない。

ヘリを呼ぶしかないかと思ったときに、流木を渡すことを思い付いた。沢幅はさほどないので10数メートルの流木があればなんとかなりそうである。適当な流木と沢幅の狭い所を探し回っていると、対岸に二人の登山者がいるのに気づいた。今日、下から登って来たが、ここで渡れずに立往生しているらしい。私に気づいたかどうかはわからないが、あきらめて戻ってしまう。向こう岸にいた彼らが無性にうらやましかった。

さーてこれからである。両岸の浅瀬に岩がつきでている所を見つける。岩の距離は7〜8メートルなので10メートルくらいの流木を見つけてなんとか渡す。手前の流木には石をいっぱい乗せて、動いて岩から外れないようにする。向こう岸の岩は高さがあるので外れることはあるまい。試しに空身で渡ってみる。真ん中あたりまで来ると、水は胸のあたりまで達し、激しい水流で流されそうになる。向こう岸まで行ってみるつもりだったが、そうするとまた激流を渡らなければならなくなるので引き返すことにした。これで渡れる目処はついたが、もっと安全に渡れる所ないかと下流の方を物色する。結局、先程の地点がベストであるという結論に達し、荷物をかついで流木を両手で持って渡り始める。流れの早い箇所をいかにスピーディーに渡りきるかがポイントだということを頭に叩き込んだら不思議に恐怖心もなく落ち着いた気分であった。集中した時の気分は難しいクライミングする時と共通しているようだ。
白峰南嶺南部縦走断念激流に飲み込まれそうな流木を渡る

一番の激流を過ぎると向こう岸がどんどん近づいてくる。向こう岸の浅瀬にある岩はつるつるしていて掴みづらい。ここでコケたら元の木阿弥なので、スローパーを登る要領で慎重に岩の上に這い上がる。これで無事に対岸に渡れた。どうも私の山行は最後に試練が待ち構えていることが多い。でも後は3時間ばかり歩けばバス停に着き、一件落着となるはずだった。だが試練はまだ終わってなかった。バス停に着き、最終バスの時間になっても一向にバスは来ないのだ。バス会社に電話して聞いてみると、一定以上の雨量があると、道路は通行止めとなるのでバスは運休になったとのことである。ここから駅までは20キロくらいあるので、水を吸って重たくなった荷物を背負って5時間以上歩かなければならないのか?ガ〜ンである。でも待てよ。通行止めにしては車が通っているではないか。ダメもとで近くのタクシー会社を携帯のGoogleマップで探しだして確認すると、通行止めは先程解除されたので、すぐに迎えに行くとのことであった。ヤレヤレこれで今日中に家に帰れるか。辛
いことがたくさんあった山行だが、こんな悪天続きの日に山へ行ったんだから、まあ自業自得か?

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2014年6月 6日 (金)

白峰南嶺南部縦走2日目

今日は停滞又は撤退のつもりだったので8時過ぎまで寝てしまう。一晩中降り続いた雨も小降りになったようで、食事をしている間にやんでしまった。こうなると前進せざるをえない。

10時過ぎに登り出す。急な登りを終えると布引山に着く(12時半)。頂上に荷物をデポして笊ケ岳を往復する。笊ケ岳は今回の山行の最高峰で、昨年は伝付峠からここまで縦走して、ランカン尾根を下っている。
白峰南嶺南部縦走2日目

布引山に戻ってきたのは4時過ぎで、ここから少し下ったところで、所ノ沢越への道と覚しき道に分岐するか、道が雪に隠れていて判然としない。左手を見ると大きな尾根が見えたので移動するが、午前中に登って来た尾根であった。ただ少し先に午前中のコースは左手に分岐しているように思えたし、コンパスで確認すると、下っている尾根は南に向かっていたので、所ノ沢越に向かっているのだろうとどんどんくだっていった。急な下りの途中で尾根が東に向かっているのに気づいたので、GPSで確認すると、案の定、午前中登った尾根をくだっているところだった。とすると、さきほど道が不鮮明なため前進をあきらめた道が正しいのだろうか

300メートルほど高度を登って分岐点付近まで戻ったが、薄暗くなってきたので、今日はここまでとテントを張ることとした。夕方くらいからまた雨が降ってきたので、今夜もテントは水浸しかな?

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2014年6月 5日 (木)

白峰南嶺南部縦走1日目

シベリアから帰って休む間もなく、白峰南嶺南部縦走に出掛ける。これは40年以上かけて行っている日本海から太平洋までの日本アルプス完全縦走の仕上げとなるものである。
あいにくの天気で予定日5日間が全部雨の予報だが、とりあえず行くだけ行ってみてだめなら中途で撤退もやむなしというスタンスをとることにした。

朝7時頃に家を出たため、電車バスを乗り継いで登山口に着いたのは12時半になってしまった。

覚悟していたとはいえ、雨の中のスタートはいやなものである。沢沿いの緩やかな登りを2時間ばかりしてから、沢を途渉して対岸に移り尾根に取り付く。布引岳頂上まで標高差1600メートルの急な登りである。1100メートルを3時間かけて登り、標高2000メートルに達した時は5時半だった。今日中に頂上まで行くことも可能であったが、頂上は吹きさらしで風雨が強くて大変だろうし、これから先も急な登りが続くので、テントを張れる場所があるかどうかわからない。今いる場所は少し傾いているが1張りはなんとか張れるのでここに泊まることにする。

テントの中に入り込み、セーターと軽羽毛服を着ると、濡れて冷えきっていた体も人心地する。取って置きのビールが腹に染み渡る。食事を済ませると、寝袋に入って横になるだけだ。明日も今日のような天気だと風の強い稜線の行動はやめた方がよいだろう。その時は来た道をとっとと引き返すか、予備日を使って1日停滞するかだが、明日の朝に決めることとしよう。

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2014年6月 4日 (水)

日没直前に農園へ

日没直前に農園へ
シベリア旅行で1週間ばかり行けなかったので、久しぶりの農園である。4時に歯医者の予約を入れてあったので、その足で農園に行くことにした。

治療に思ったより時間がかかったため、農園に着いたのは6時近くになってしまった。農園の利用時間は日の出から日没までとなっているが、日照時間の長い時期でもあり、見張りがいるわけでもないなで、薄暗くなりだした人気のない農園で草取りとトマトの脇芽取りを始める。倉庫にはカギがかかっているので開けるのも面倒と水やりはパスした。どうせ明日からは連日雨だろうから。

だんだんと暗くなってきたので次回に小松菜の種をまくあたりに堆肥をまいてから退散する。トマトの実はだいぶ大きくなってきた。今月中には収穫できるかな

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2014年6月 2日 (月)

バイカル湖

夜明け前にトイレに向かうために廊下に出ると、そちら側の車窓にはバイカル湖沿いの灯りが見えている。オホーツク海から遠路4000キロを乗車してようやくバイカル湖に到達したのだ。目的地のイルクーツクまではもう少しである。

イルクーツクに到着し、当初の予定では町外れの長距離バス停からバイカル湖に向かう予定であったが、駅の対岸の船着き場から水中翼船がバイカル湖畔まで出ているということがガイドブックの「地球の歩き方」に書かれていたので、街中までバスに乗り、そこから船着き場と思われる地点までかなり歩いたのだが、結局そのような場所は見当たらなかった。「地球の歩き方」には今までも何度も騙されてきたが、今回もまた無駄足を踏まされてしまった。

やむを得ず市電の所まで歩き、そこから長距離バスターミナル近くまで乗って下車するとミニバスの客引きにつかまって、ミニバスでバイカル湖に向かうことになる。

バイカル湖までは1時間近くで着いた。期せずして結婚32回目を当地で迎えることになったわけである。
バイカル湖

船着き場近くで下車し、遊覧船に乗ろうとして岸辺の運航表を見ると、シーズンオフの今は月曜日の便はないことがわかりガッカリする。しょうがないので、レストランで名物のオムリ(鮭の一種)を食べる。格別美味というわけではないが、癖のない味である。
バイカル湖

食後にあたりを散策して戻って来ると、バスが停まっているので慌てて走っていくと、路線バスではなく観光バスのようであった。そこで路線バスの停留所を探しに行くと、湖岸に停めてある遊覧船に乗客が乗っているのを見つけて近くに行くともうすぐ出航するという。ラッキーと乗り込むが、先程のバスが路線バスだったら、遊覧船に乗らずにバイカル湖を離れるところであったので二重の意味でラッキーだった。

遊覧船は1時間程度の航海のため、あまり沖合いに出なかったせいもあるが、世界1、2位を争うというほどの透明度は感じられなかった。十和田湖と同じほどじゃないかと思われた。ここにもPM2.5の影響があるのだろうか?

遊覧船にも乗れたので満足してミニバスでイルクーツクに戻る。市内ではデカブリストとして流刑にあった貴族の配所を見学したり、繁華街のカール・マルクス通りを散策したり後、「地球の歩き方」に載っていたお薦めの店で、無事に旅行が終えられたことと結婚記念日のお祝いをすることになった。

最初は肉と魚の両方の料理を注文するが、なぜかわからないが肉の料理は出せないと後から言ってくるので魚料理だけを注文するが、出された料理はなんと生の魚料理で、家内は生臭くてたべられないという。私の方は美味くはないが、食べられないほどのレベルではないという感じであったが、いずれにしても散々な食事となってしまった。
バイカル湖

今回の帰国便は深夜3時過ぎのため、早く行く必要もないのだが、市内にいてもしょうがないので、路線バスで空港に早めに出向くが、イルクーツクはろくな店もないど田舎の空港で待ち時間の長かったことといったらありゃしない。こんなことなら遅くまで市内にいたらよかったと思っても後の祭りである。出発時間まではじっと我慢の子であった。

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2014年6月 1日 (日)

シベリア鉄道・最後の晩餐

シベリア鉄道の旅も3日目ともなると車窓の景色にも無関心となってくる。持参した本も読んでしまったし、テレビは2チャンネルしかなく見たい番組もないので(言葉がわからないのが最大のネックなのだが)、食事が一番の楽しみとなってくる。明日は目的地のイルクーツクに早朝に着くので、実質的には今日が最終日ということで食堂車で食事を摂ることにする。ただオープンが9時と遅いので朝食はまたカップ麺となる。昼食時間になって食堂車に行くが閑散としている(不人気なのは高いからなのかマズイからなのか、はたまた・・・)。メニューをもらって英語表記の材料から各自の好みの料理を選択して注文するが、昼は軽食しかできないらしいことがわかってガ〜ンである。やむを得ずサンドイッチとスープを注文する。とんだ最後の晩餐ならぬ午餐(誤算)である。
やがて運ばれてきたサンドイッチは、違う種類を頼んだはずなのに一見したところ同じもののように見える。と思ったところ半分に切ってみると、一番下がハムかベーコンかの違いであった。
シベリア鉄道・最後の晩餐

一緒に注文したスープの方はサンドイッチを食べ終えた頃にやっとでてくる。全く客のことを考えるという意識はないようだ。私はロシア料理の代表ともなっているボルシチを食べたが、家内が選んだポテトのスープの方が美味そうで失敗であった。これだけで二人合わせて約3500円とそこそこの値段であった。
シベリア鉄道・最後の晩餐

部屋に戻ってしばらくしてからビールを食堂車に買いに行く。その際にピロシキ(野菜の入った揚げパン)を買ってきてくれと家内に頼まれ、ピロシキの綴りと発音を書いた紙を持っていくが、ニエット(ない)と言われる。その理由らしきことも説明してくれているのだが、もちろん皆目わからない。要はだめなんだということでビールだけ買って部屋に戻る。ただネットの情報ではピロシキの車内販売があるとのことだったので、ビールを買いに行った時間帯になかっただけで、夕食の時間になれば売りに来るのではと待ってみたが、夕食時間になっても売りにこないようである。

肝心のシベリア鉄道・最後の晩餐であるが、当初は食堂車で豪華ディナー?とも思ったが、食堂車には裏切られ続けたので、持参の冷凍乾燥ご飯にお湯を入れて待っていると、そこに思いがけずも、食堂車からピロシキを運んできてくれたのである。これで念願のピロシキも食べられて、最後の晩餐は大満足である。
シベリア鉄道・最後の晩餐

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