« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »

2015年2月

2015年2月25日 (水)

南紀・熊野古道ツーリング最終日

昨夜は早く寝たのと部屋の時計が狂っていたのとで5時前から起き出してしまう。今日は長丁場になりそうなので薄暗いうちから出発する。

今日は初っぱなからどうも調子が悪い。連日の疲れがたまっているのだろうか?昨日の予定を今日に持ち越した御坊までは9時には着けると思ったのに実際に着いたのは10時を回っていた。この調子では和歌山発新大阪乗換の最終に間に合うか心配となってきたが、国道は概ねJRと平行して走っているので、遅れそうになったらJRに乗ればいいだけだ。

今日は概ね平坦な道が多かったが、昼飯に数百メートルの峠越えがあり、これが最後と励ましながら頑張った。峠の上が今日の工程のちょうど半分くらいだったが、時間は既に1時をまわっていた。峠付近には何軒かの飲食店があったが、少しでも距離を稼ぎたいという気持ちから峠では休まずに一気に下降してしまたが、下には飲食店はなく、コンビニ弁当を食べる羽目になり、裏目となってしまった。

後半は和歌山までの距離が減っていくのだけを楽しみにひたすらペダルを漕ぐ。夕方5時を回って和歌山市内に入った時は嬉しかった。だが、これで終わりでない。那智山で西国三十三箇所の第一番札所を参拝したが、和歌山駅近くに第二番札所の紀三井寺があるのだ。今度はいつ来られるかわからないので、寄っていこうと国道から離れてJRの踏切を渡って驚いた。目指す紀三井寺ははるか山の上なのである。ウッソー!と思ったが、最後の力を振り絞って参拝した。きっとご利益があるかな。これですべての予定を終了し、ゴールの和歌山駅で祝杯をあげたのはもちろんである。
南紀・熊野古道ツーリング最終日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月24日 (火)

南紀・熊野古道ツーリング六日目

民家の近くにテントを張ったので、暗いうちに撤収して出発する。海岸線の道だが相変わらず、アップダウンが激しい。

今日は比較的工程に余裕があったので、少し国道から離れて熊野古道を通ってみようと思った。熊野古道は昨日の大門坂もそうだったが石畳の道が多いので、自転車での通行には不向きな所が多いようだが、午前中に立ち寄るつもりの長井坂は比較的平坦な道が続くように書いてあったので、自転車向きの道だと思い込んでいた。

国道から別れて踏切を渡るとすぐに長井坂の説明板が立っている。林道はまっすぐ奥に続いているので、疑うことなく前進する。道はだんだん傾斜を増してくるので、ついには自転車を降りて引いていくことになる。そろそろ古道の登り口があってもいいはずなのに一向に現れない。次のカーブを過ぎてもだめなら林道を降りてしまおうと思ったら、熊野古道の標識を発見した。ところが、その道は登りではなく下りであった。頭が混乱してしまたが、途中から登りになるのではと思い直して下っていた。もちろん自転車を降りてブレーキをかけながら段差のある道を降ろして行くのだが、何度もバランスを崩しそうになる。数年前に南アルプスの転付峠を自転車で越えた時にも苦労したが、それに匹敵する困難さである。だいぶ降りて標識が現れた時にすべてが合点した。今降りている道は先程の説明板の所に降りていくもので、先程の林道のもう少し先に登り口があるのだろう。一瞬引き返そうかとも思ったが、自転車を引いてとても登れる道ではないということで素直に降りることにした。下に降り立って振り返ると説明板の左側に急な細い道が見え、そこを降りてきたわけで、先程は見落としてしまったようだ。もっとも気づいていれば、自転車を引いて登ろうなどとは絶対に思わなかっただろうから、怪我の巧妙で(昨日の大門坂のような)観光地された所でない熊野古道を通ることができたのでよしとしよう。
南紀・熊野古道ツーリング六日目

午前中のトラブルはなんとか無事に解決したが、これで終わりでなかった。今日は気温が高めなので上着を脱いでいたが、午後になって日が陰り寒くなってきたので上着を着ようと坂の途中で自転車を止めて、上着を着るために背負っていたリュックを道端に置いた。その後何もなかったように走り出して30分以上たった時に背中が軽いのに気付く。ガ〜ン、リュックを背負い忘れたの!戻るとなると往復1時間以上かかるだろう。その時間と体力の浪費が惜しいことよりも、精神的ダメージがたまらなかった。幸い交通量が多かったので生まれて初めてヒッチハイクをやって荷物を持ってくることにした。何台目かに止まってくれた運転手さんは本当はすぐ近くまで行くだけだったのに、事情を話すとわざわざ荷物を置き忘れた所まで行って荷物を回収してから戻ってくれた。

トラブル続きのために、午後早く着く予定だった田辺に着いたのは4時過ぎになってしまった。予定では35キロ先の御坊まで行くつもりだったが、これからだと到着は7時頃になってしまう。時間的には無理ではないが、今日中に御坊まで行ってしまうくと翌日の工程は60キロと短くなってしまう。御坊までは明日にした方が良いと思い直して駅前のビジネスホテルに泊まることにした。最後の夜なのでシャワーを浴びてからコインランドリーで洗い物をした後、居酒屋で祝杯をあげる。明日はなんとかゴールの和歌山まで行けそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

南紀・熊野古道ツーリング五日目

始発バスで熊野川沿いに新宮に下る。朝もやの中をゆったりと流れる熊野川が印象的であった。

新宮に着いて、まずはもうひとつの熊野三山である速玉神社を参拝し、その後、神が降り立ったとされている神倉神社を参拝してから自転車で那智に向かう。途中マクドナルドに寄ってwifiで那智駅のバス時刻を調べると、あと25分でバスが出るが、それを逃すと次は1時間待ちとなってしまう。ここから那智駅までの距離は6キロ弱なので、十分間に合うだろうと慌てて片付けをして出発する。

那智駅には時間までに着いたが、バスが見当たらない。一瞬焦ったが、那智駅始発ではなく、勝浦発だったのでほどなくやっとバスがやって来る。自転車で行ってもいいのだが、途中で有料道路となり、そこからは急な坂道を登らなければいけないらしい。体の疲労具合からバスを利用した方が賢明であると判断した。那智の滝は高校生の時も見た記憶はあるのだが、那智大社を参拝した記憶は全くない。熊野古道が注目されるずっと前のことだから参拝してないのかもしれない。

那智山信仰は江戸時代までは神仏混合で一体化していいたものが、明治維新後の廃仏毀釈で熊野三山にもなっている神道の那智大社と西国三十三箇所の第一札所となっている仏教の青岸渡寺は別物となってしまったとのことである。
南紀・熊野古道ツーリング五日目

那智山からの新宮行きまでのバスはだいぶ時間があったので、大門坂という参拝道を下ることにする。30分くらいの石畳の歩きだが、今回初めての熊野古道である。これでブログのタイトルに偽りがないことになった。次の目的地である捕陀洛山寺につながる道は自動車道を横切って更に新宮方面に延びていたが、1時間以上もかかるようだし、舗装道路でもあったので、バスで行くことにする。

新宮に着いてから駅近くの捕陀洛山寺に立ち寄る。南の海上に極楽浄土があると信じられていて、何度もここから船出し、死出の旅路となったそうである。境内にある建物の中には実際に使われたものと同じ船が展示されていたが、よくぞこんな小さな船で向かったものだと感心した。

次は潮岬の玄関口である串本を目指す。そろそろ昼飯をと思ったが、最初のうちは反対車線側にある店だからとか、コンビニ弁当はちょっととか贅沢を言っているうちに全くお店がなくなってしまった。ようやく営業中と書いてある店を見つけて入ってみると、この時間はやっていないとのことである。夕方まで空腹を我慢して串本が近くになってからようやく食事にありつけたが、この時間では夕食と兼用である。

串本の町に入り、しばらくして潮岬へ向かう道が分岐する。潮岬に向かう途中で東にある大島への橋につながる道もある。この大島は明治時代に沖合いで難破したトルコの船の乗組員を住民が救助したということでトルコ人なら知らない人はいないそうで、以来親日の国になったようである。島の東端にはその記念碑があるらしいが、時間がないので割愛する。

本州最南端にある潮岬の灯台には日没直後に到着する。岬の公園にはテントを張っている人もいてちょっと心が動いたが、酒を持ってきていればともかく、この時間からテントを張っていては暇をもて余すということで半島の西側を回って串本に戻ることにする。

串本で酒とつまみを仕入れてから紀伊半島の西側に進路を取る。夜なので安全運転で2時間近く進んだ所で国道を離れた空地にテントを張り、今夜のねぐらとした。熊野三山も潮岬も行けて今回の目的はほぼおわったようなものである。後は二日間かけて和歌山までチンタラ行くだけである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月22日 (日)

南紀・熊野古道ツーリング四日目

6時過ぎにホテルをあとにする。小雨が降っているが走行の妨げになるほどではない。コンビニでサンドイッチを買って朝食とする。新宮までの道は調べた通りに平坦でペースは捗った。ただ体の疲労は抜けきれておらず、平坦な道にもかかわらず結構しんどかった。

新宮には9時過ぎに着き、駅裏の駐輪場に自転車を置いてバスに乗り込む。バスは五条方面に向かうもので高校生の時に乗ったものと同じだ。

熊野大社で下車したのは私一人で(というか他の乗客はいなかった)、今はシーズンオフらしい。帰りに乗りたいと思っていた熊野川の川下りも冬場はお休みとのことである。参拝の後、昼食が終わると時間が余ってしまった。当初予定していた山越え大社に至る道の逆コースを辿ってみようかなとも思ったが、足がかなり疲れていたし、雨で展望のない所を登ってもしょうがないので、川湯温泉まで下って時間があれば一風呂浴びて帰ることにした。1時間ばかり歩いて川湯温泉に着くと最終バスまではわずかしかないが、始発バスは7時過ぎがあることがわかった。そこで急遽予定を変更して、ここに泊まり、翌朝の始発バスで帰ることにした。

河原の温泉は冬場限定で、千人は入れる広さということで仙人風呂となづけられているそうで水着着用の混浴である。場所を選べば結構な湯加減で、連日のサイクリングの疲れを取ることができた。この温泉は高校時代に来た時は時間がなくて立ち寄れなかった所で、ようやく念願を果たすことができたわけだ。
南紀・熊野古道ツーリング四日目

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月21日 (土)

南紀・熊野古道ツーリング三日目


昨夜は疲れでバターンキューで寝てしまい、朝まで爆睡してしまった。朝食は物凄いボリュームだった。おそらく昨晩は到着が遅くなったため、おにぎりだけ出してくれたが、夕食の料理は朝食にまわしてくれたのだろう。いつもならとても食べきれない量だが、昨日疲労困憊したリカバリーなのか完食できてしまった。
ゆっくりと9時過ぎに出発する。昨日の疲れの影響が心配だったが、とりあえずは大丈夫のようである。今日は風もなく穏やかで、海辺を走るサイクリングは最高の気分である。

尾鷲までは峠をひとつ越えるが、まだ元気なので昼前には到着する。ただ朝食を食べすぎたせいか全く食欲がないので、アイスクリームを食べただけで先を急ぐ。トンネルまではかなり登るが、途中一度休んだだけで登りきれた。トンネルを出た先で国道を離れて海岸まで急降下する。そのまま国道を進むと熊野市までは近いのだが、それだと海岸線から遠く離れてしまうのであえて遠回りする。

海岸線の道を行くと、楯ガ崎という有名な岩場も通るし(神武天皇上陸の地でもあるらしい)、熊野古道と何度か交差するので、時間があればさわりを歩くこともできると目論んでいた。
南紀・熊野古道ツーリング三日目
楯ガ崎までは半島の真ん中を突っ切って行くが、かなりの登りとなる。この頃になると、相当疲労を感じるようになってきた。道路から楯ガ崎まで行くには遊歩道をかなり下らなければいけないようだが、もう元気が残っていなかったので諦める。熊野古道の方も同様の理由で素通りしてしまう。夕方になると疲労感はますますたかまってきたので、昨夜と違って時間に追われるわけでもないしと、急な坂では自転車を降りて引いて行く羽目になってしまった。

熊野市には6時半に降り立ち、レストランで昼夜兼用のトンカツ定食を食べる。予定では今日は新宮まで行くつもりだったが、平坦な海岸線の道のようなので2時間ほどで行けそうだったが、連日の深夜残業となるのはいやだったので、熊野市泊まりになってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

南紀・熊野古道ツーリング二日目

夫婦岩の間からの日の出を見ようと早起きして出かけたのだが、冬場は南側から日が出るのでダメでした。
P1030745

鳥羽、志摩と回っていったら午前中いっぱいかかってしまった。予定よりも半日遅れである。この分では予定していた尾鷲や熊野はとても無理なので、紀伊長島だったら65キロくらいなので午後だけでも楽勝だろうと近辺の民宿に予約をいれる。ところが実際に行ってみると激しいアップダウンの連続で民宿に着いたのはなんと23時をまわってしまった。その間、足は痙攣するわ、チェーンが動かなくなるわと大変な一日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月20日 (金)

南紀・熊野古道ツーリング一日目

熊野古道は世界遺産に登録されてからいつかは行きたいと思っていたが、たまたま今年は行くための条件が揃ったような気がしたので出かけることとし、ついでに南紀も自転車で一周してくることにした。南紀は高校生の時に当時の国鉄(JRの前身)で発売されていた均一周遊券を利用して一人で旅行して以来だが、その時は、自分がいい年になってから自転車でツーリングすることになるとは思いもよらなかった。

スタートは四日市としたのは、ここまでは東海道五十三次で歩いているからである(五十三次はその先は京を目指して内陸部に向かっている)。強い冬型だが、南下しているのだから追い風と思いきやどうも向かい風のようでペースが上がらない。伊勢市に近づき東に向きを変えるとペースが上がってきたので、相当西寄りの風も強かったのだろう。途中、鈴鹿市までは海岸線に沿って進んだが、川に差し掛かるたびに橋がないため国道まで戻ることとなり、はなはだ効率が悪い。昼時に国道に戻ってからは国道をそのまま進むことにする。昼食は国道添いの店に入る。刺身と煮魚のランチはボリュームがあって、午後はしばらくは腹がふくれてしまった。その店は老夫婦がやってたが、私のことはお兄さん呼ばわりされてしまった。まあ私の年でこんなことをする人間はいないよなあと苦笑いしてしまう。

松阪を過ぎて伊勢市に近づく頃には暗くなってしまった。伊勢と云えば伊勢神宮であるが、前にも書いたことがあるが、天皇家とつながりの深い神社には参拝しないことにしており、高校生の時も伊勢神宮は素通りしていて、今回も夜だったこともあって外宮は前を通っただけで二見浦に向かう。二見浦は高校生の時にも行きたかったが、時間がなくて行けなかったので、今回はぜひ夫婦岩の間から昇る日の出を見るために二見浦の海岸でキャンプするつもりだった。ところが、現地に行ってみると、海岸線ぎりぎりまでホテルやレストランが立ち並んでおり、見廻りの人まで出ている。これではテントを張るのはためらわれ弱ったなと思ったが、その時、津波の避難先の公園の表示を見かけたので、そこに行ってみる。公園は小高い所にある小さなものであったが、「公園内キャンプ禁止」の立札がある。さすがにそれを無視するわけにもいかずに思案していると、公園の柵の外の斜面の下に細い道があり、かろうじて小さいテントを張れそうである。なにやら一休さんの「橋(端)を
渡るべからず」のトンチめくが、背に腹は代えられずテントを張ってしまう。伊勢神宮の参拝もせず、その足下近くで違反まがいのキャンプをしたりと、神を恐れぬ所業の数々。はたして神の祟りやいかに。
南紀・熊野古道ツーリング一日目

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月17日 (火)

増上寺

増上寺
今日は大門近くの会社に用事があったので、その前に青山のカンボジア大使館に寄ってビザの申請に行ってきた。申請は午前中なので昼近くに行き、その後に大門に向かったが、大門で食事を済ませても約束の時間までは1時間以上あったので、増上寺を参拝してきた。

20年以上前に取引先の社葬に参列するために来て以来である。あの時は暑い盛りで境内で待っているのが辛かったが、今日はみぞれ交じりの寒空である。20年間の時の流れに思いを馳せながら、本堂をお参りしてから増上寺を後にした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月16日 (月)

青梅でマラソン卒業か

青梅でマラソン卒業か
2年ぶりに青梅マラソン30キロを走ってきた。今回は何年ぶりかで息子もエントリーしたので、親子マラソンができることも楽しみだった。

スタート時にちょっとしたトラブルがあった。以前は11時50分スタートだったので、そのつもりでいたら20分繰り上がっていたのに気がつかず、スタート時には息子はトイレに行ってしまっていて、やむをえず一人でスタートする。

息子は最後尾からスタートしたそうだが、ゲストランナーの高橋尚子と一緒に走ってきて5キロ付近で追いついてきた。10キロあたりまで息子と並走したが、その後は私は次第に遅れ始める。

折り返し点では息子との差は100メートルほどだったが、16キロ付近で足に痙攣が走り、しばらく立ち止まって痛みが薄らいでから徐々に歩き出し、そ後はゆっくりと走り続けたものの、何度も痙攣が発生し、はたしてゴールまでたどり着けるか不安になる。

青梅で関門のことなど考えたこともなかったのに25キロ関門では閉鎖4分まえに辛うじて通過する羽目になる。ゴールまで1キロの地点ではレース終了まで8分となるが、今のペースで走ればなんとか終了前にはゴールできそうだった。ところが、ゴール数100メートル手前で痛恨の痙攣が発生し、終了前のゴールは不可能となり、ゴールには終了後、数分たって到着する。時間内の最終ゴール者は高橋尚子と並んでゴールできたそうなのに惜しいことをした。

今回2年ぶりに青梅を走ってみて体力とくに筋力が落ちてしまったことに愕然とした。初めてのロードレースが青梅だったので、マラソン卒業が青梅になるのも何かの因縁か?しかし有終の美を飾れなかったのが、心残りである。来年は青梅マラソンが50回の記念大会となるので、それをラストランとしたい気持ちもあるが、一度劣化した筋力を回復させるには相当トレーニングをしなければならないので、はたしてどうなることやら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月14日 (土)

チェーン洗浄


チェーン洗浄
来週は久しぶりにツーリングに出かけるので、チェーンを洗浄してみることにした。3年前にロッキー横断をする前にチェーンの交換をして以来、ほったらかしてあったので、だいぶ錆びついてきたため、この際に洗浄をしておくことにした。チェーンを回転させるために後輪を浮かせるスタンドと洗浄剤を入れてチェーンを洗うための容器はネットで入手済みであったが、専用の洗浄剤は注文し忘れたので、近くの自転車店に買いに行ったが売っていなかった。チェーンの洗浄などする人はあまりいないのだろうか。別に専用のものでなくとも家庭用のものでもかまわないだろうと、100円ショップで配水管洗浄用のものを買って帰る。
まずはスタンドの上部を後輪の軸にかませるのだが、ちょっとコツが必要なので慣れるまでに時間が少しかかった。次に容器にチェーンを通してペダルを回すのだが、最初は慣れてないのでチェーンがうまく動かなかったが、じきに慣れてくる。容器の中の洗浄剤が真っ黒になるので、何回か洗浄剤を代えて洗浄を続け、次に容器の中を水に代えて洗浄を行い、最後はチェーンに注油して作業を終えた。汚れはだいぶ落ちたが、錆びはまだ残っている。こんどはブラシで落としてみようか
チェーン洗浄

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月 9日 (月)

大倉尾根の2時間切りはならず

マッターホルンの2回目のトレーニングとして大倉尾根から塔ヶ岳に行ってきた。前回は15キロの荷物を担いで塔ヶ岳まで2時間33分かかったので、今回は荷物を軽くして、塔ヶ岳までを2時間を切ることを目標とした。

天気予報では冬型で晴れとなるはずだったのだが、大倉では小雪がちらついている。この冬一番の寒波らしいので、丹沢あたりでもその影響を受けているのだろうが、そう長続きはしないだろうと判断して出発することにした。今日は荷物も軽いのでしばらくは走って行く。気分はトレランである。山道に入ると早歩きに変えたが、その後も傾斜が緩い部分は小走りで行く。

見晴小屋までは31分かかり、前回よりも9分短縮したが、昔出場したボッカ駅伝のタイムよりも3分遅くなっている。20キロも担いでそんなタイムをだせたんだから昔は体力があったんだなあとあらためて思った。ここからは急登が続くが、雪も本降りとなって次第に積もってきて歩きにくくなってくる。

馬止小屋からは傾斜も緩くなってくるので雪道を走って行く。途中で下りとなるあたりで現役のトレイルランナーに追い抜かれる。彼は一気に駆け下って行くが、部分的に氷化しているところもあるし、私の靴裏はすり減っていて滑りやすいため慎重に降りて行ったので、彼の姿はたちまち見えなくなってしまった。

堀山小屋到着は11時10分となってしまい、2時間切りには黄信号が灯ってきた。花立までの大倉尾根の一番傾斜のきつい部分でどれだけ頑張れるかにかかっているので休みも取らずに先を急ぐ。ところが、雪はますます多くなり、気を抜くとスリップするので体力と時間のロスが大きい。
大倉尾根の2時間切りはならず

花立に着いたのは11時45分で2時間切りは絶望的となるが、体力的には余力があったので、少しでも遅れを取り戻そうと頑張る。頂上には12時11分に到着する。目標タイムには11分遅れたが、このコンディションではやむをえまい。次回は雪のない時に再度2時間切りにチャレンジしよう。
大倉尾根の2時間切りはならず

頂上は吹雪いて視界も乏しく、完全な冬山状態である。こんな頂上に長居してもしょうがないので、すぐに下山に移る。予定では表尾根を降りるつもりだったが、トレースも消えかかっているし、稜線で吹雪かれるのも嫌だったので、早く高度を下げられる大倉尾根を降りることにした。

大倉尾根の上部は登りでも何度もスリップしかかったのに下りでは何倍も神経を使って疲れる。ロープを掴んだり、石などの突起物に足を乗せたりして慎重に下って行ったので、ひどいスリップはせずにすんだが、アイゼン装着や登山靴の人に抜かれっぱなしになる。
堀山小屋まで下りてくると雪も少なくなるので普通のスビードで歩けるようになる。見晴小屋から下には雪もほとんどなくなるので、知らずにスビードが上がってくるが、前回はここをかけ下ったために足の疲労を持ち越してしまったことを思い出して、自重してゆっくりと下った。

バス停に着くと、ようやく切れかかった雲の合間から雪を被った丹沢の峰々を望むことができた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月 5日 (木)

シルクロードは遠くなりにけり

ここ数年は垂直の世界と水平の世界を共に楽しんできたが、垂直の世界はそろそろ見切って水平の世界に舵を切ろうと考えていたが、どうも暗雲が漂い始めてきた。

個人的事情でしばらくの間は長期間の外出が難しくなりそうなことがひとつだが、それが解消しても、海外のうちで最も訪れてみたい地域であるシルクロードのうちまだ訪れていない空白部分の治安の回復が見込めないからである。その空白部分というのが中国新疆ウイグル地域、パキスタン北西部、アフガニスタン、イラク、トルコ東部だが、いずれもイスラム過激派が活動している地域ばかりである。危険を覚悟して出かけることも考えらルが、後藤さんのような崇高な目的があるわけではなく、単なる物見遊山では、なにかあった場合には他人に迷惑をかけるだけである。海外の非イスラム圏や国内でも行きたいところはたくさんあるので、シルクロードの空白部分は諦めざるをえないか?

それはともかくとして、戦禍と貧困に苦しむ人たちのことを思うと、これらの地域に平和が訪れることを願わずにはいられない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月 4日 (水)

梅祭り前の湯河原幕岩

梅祭り前の湯河原幕岩
今週末から湯河原の幕山公園で梅祭りが開催されて混雑するので、その前に登っておこうと仲間と幕岩にやってきた。

まずはサンセット10aでアップ。すんなりと登っておきたいところだったが、上部のホールドが乏しい所で臆病風に吹かれて右に逃げてしまった(トホホ)。私のリードの後、仲間がトッブロープで登ったが、そのロープを利用して隣のダイヤモンドヒップ11aにトライする。ところが核心のヒールフックでせりあがるところができずに敗退。昔は1テンながらもトップアウトできていたところなのにガッカリする。

次に帰還兵10cをリードする。昔はすんなりと登れたのにテンションをかけながらトップアウトする羽目となり、またもやガッカリする。どうも昔登ったことのあるルートを登ると、昔と比較してガッカリすることが多いので、今まで登ったことのないルートを登った方が精神衛生上はいいかもしれない。

というわけで初トライとなるゼルダ11aをリードしてみる。ところが1ピン目の下で左のカンテに移るところが難しくてリードを断念し、トッブロープで再トライするが、先ほどの箇所がやはり突破できない。インチキして上のホールドを掴んでしまうと、そこから先はそれほど難しくなくてトップアウトできる(といってもリードは怖そうだが)ので、先ほどの箇所が核心のようである。仲間もトライするが、やはり核心のところが越せずに降りてくる。ただいくつかのヒントはもらったので、もう一度トライしてみる。ここで大発見をする。先ほどは遠くのホールドを掴んでしまうと、両手が伸びきって体が岩に張り付いて身動きできなかったのだが、何気に左足を切って(足場から足を放すこと)左側のフェースの方に伸ばしてみると、なんと体の自由が得られ、今までは保持が困難だった甘いホールドも保持できて、次には仲間が見つけたアンダー気味のホールドにも移れて、後は足を一歩上げれば上のホールドにも届くことがわかった。これから先はさっきやっているので今回は降りてきたが、リードはともかく、トッブロープならば登れる感触が得られたのが今日の唯一の収穫であった。短いルートだけに難しさが凝縮されていたが、久しぶりにムーヴを研究できて楽しかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »