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2015年4月10日 (金)

歴史認識(変革の主体)

引き続き歴史認識の問題を取り上げるが、前回のような政治的な問題ではなく、学問的なことである。

歴史ブームなのかどうかは知らないが、テレビでは英雄を取り上げた番組が多数見られる。それもあまり知られてない事実を掘り下げたものが多い。歴史好きな自分としては毎回興味深く見ているが、なにか違うんではないかなと言う気持ちも否めない。

学生時代にマルクス史観の影響を受けたため、生産力に規定された人民の活動により歴史は作られるという考え方から抜けきれず、英雄が歴史を作るという考え方には違和感を覚えてしまう。たとえば明治維新について言えば、西郷隆盛や坂本龍馬といった英雄の行動に着目するのではなく、商品経済の発展に伴い発生した矛盾(肥料代の増大による生活の困窮)が引き起こした農民一揆が明治維新の根底にあるという考え方で、これを民衆史という次元にまで高めたのが、色川大吉先生である。余談になるが、色川先生の業績の中で最大のものは、いわゆる五日市憲法の発見である。自由民権運動の影響を受けた五日市の地で民衆の手による明治憲法の草案が作られ、その精神は地下水のように脈々と引き継がれて現行憲法に繋がっているというもので、改憲論者が主張する現行憲法は押し付けられたものという主張は皮相的な見方に過ぎないとするものである。

それはさておき、歴史を動かすのは一握りの英雄たちであるか、それとも無名の民衆かという問題はなかなか答えを見いだし難いように思われる。実際のところは、両者の相乗作用によっており、ある時は前者が、またある時は後者が主体となって歴史を動かしてきたというのが真実に近いのではないだろうか

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