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2015年4月10日 (金)

上毛電気鉄道

18切符の利用期間の最終日である今日は最初は、木曽川が中山道と別れる所かわ河口までを目指してサイクリングするために中央線を乗り継いで行くつもりであった。ところが、雨降りが続くという予報のために予定を変更せざるをえなくなった。さあて、どこに行こうか。近場で行きたいところは残ってないしと思ったが、ひとつだけ穴場があった。日本全国のJRと並んで関東地方の私鉄全線乗車も目指しているのだが、群馬県南部を東西に横断している上毛電気鉄道が未乗車だったのだ。

小山で両毛線に乗り換えて桐生に向かい、桐生駅から10分ほど歩いた西桐生から上毛電気鉄道に乗車する。京王井の頭線とよく似た電車である。ひょっとしたら下取りかな?電車の前面の色は様々である。今回乗ったのはピンクである。車内には桜が満開の枝が網だなからぶら下げられ、窓の外も桜が満開と桜づくしである。2両編成の車両は途中駅では前降りとなっているため、乗客はほとんど先頭車両に乗っており、後部車両はがら空きである。そのためか、後部車両には自転車をそのまま持ち込めるようになっていた。
上毛電気鉄道

電車は赤城山の麓の菜の花畑の中をのんびりと進み、1時間弱で終点の中央前橋に到着する。そこから15分ほど歩いてJR前橋駅についてもまだ12時半で帰るにはまだ早すぎる時間である。さあて、これからどうしたものかと考えていたら、世界遺産である富岡製糸場が近くにあることを思い出した。そこで昼食を摂ってから高崎に向かい、高崎駅で上信電鉄に乗り換える。

上信電鉄は関東国境尾根縦走の一環として西上州の山を登りに行ってた頃によく利用したものだが、また乗車しに来るとは思わなかった。当時は富岡製糸場が世界遺産に登録する前の頃なので、富岡に立ち寄ろうなどとは考えもしなかったが、仮に登録されていたとしても、目一杯のスケジュールで動いていたので、製糸場の会場時間内に立ち寄るなどということは到底できなかったであろう。

富岡製糸場は駅から10分強歩いた所にあり、平日にもかかわらず大勢の観光客で賑わっていた。倉庫跡には写真による説明とビデオによる解説が行われていた。繰糸場に当時の作業設備が一堂に並んでいる様は壮観であった。
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学生時代に近代日本経済史を専攻していた自分は、この日本の工業化の原点ともいうべきこの地をもっと早く訪れるべきだったのかもしれない。経済史的な視点に立てば、およそ一国が工業化を目指してテイクオフを果たそうとする時に、繊維分野から入っていくのは、世界共通のパターンであるが、戦前の日本は最後までこの経済構造を脱することはできず、重工業は軍事関連の分野でかろうじて存在したに過ぎず、民生分野での工業化の花が開くのは戦後の高度成長期まで待たなければならなかった。このような脆弱な経済構造であったがゆえに、アメリカに端を発した世界恐慌の荒波をまともに受けて、従来の体制では成り立つことができずに大陸進出に活路を見出ださざるをえなかったという意味で、富岡製糸場は戦前日本の光と影を象徴するものであったが、光の部分のみが強調されていることには不満が残った。

製糸場見学の後は高崎に戻ったが、そのまま帰宅せずに秩父線の未乗車区間を乗るべく八高線経由で熊谷を回って帰宅した。

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