JR東日本乗り残し消化の旅2日目
最終日の今日は会津側が未乗車となっている只見線の完乗を目指す旅である。越後側を乗車したのは、だいぶ以前のことで、一年に一度くらいしか山登りをしていない時期に、たまたま浅草岳から鬼ケ面を縦走した時に乗車したものである。その後、会津側を乗車する機会がないままに時が過ぎたが、数年前から自然災害で一部区間が不通となったと聞いていたので、復旧したら乗車しようかと思っていた。しかし、一向にの復旧する気配がなく、JR東日本はこのまま廃線にしてしまうつもりではないかという疑いもあるので、この際は代行バスを利用しても会津側の未乗車区間を乗車しておこうという気になった。
代行バスは本数が限られているので、午前中は新潟側で時間待ちをしなければならない。どうしたものかと思ったが、長岡に立ち寄ることを思いついた。長岡には仕事ではなんどか来たことがあるが、観光は初めてである。そして長岡といえば、河井継之助である。長岡にはその記念館もあるようなので時間潰しもできるし、その後に行く只見は長岡での新政府軍との戦いに敗れた河井継之助が会津に落ち延びて行く際に見附から八十里越えをしてたどり着いた地でもある。今日の行程は河井継之助を忍ぶ旅とも言えるもので、歴史好きでもある自分にとってはたまらないものである。そういえば、昨晩、新潟のホテルで見た英雄列伝という番組ではタイムリーに河井継之助が主人公となっていたのもなにかの因縁である。
記念館は駅から至近距離ではあるが、三日前の稚内まで歩いた時に悪化させた足の豆が痛むので結構つらいものであった。記念館はこじんまりとしたものであるが、展示物は結構豊富であった。それでもざーと見るには30分もあれば十分で時間が余ってしまった。そこで、近くにある山本五十六記念館にも立ち寄ってみた。奇しくも今日は山本五十六の130何回目の誕生日だそうで、そのためかどうかはわからないが、団体客が二組も入館していて大にぎわいであった。五十六は河井継之助とともに戦った長岡藩家老の山本家に養子に入ったそうで、見えない所で河井継之助とも繋がっているのが興味深かかった。この二人に共通するのは、高い志を持ちながらも、それが十分に生かされることなく、志半ばで命を落とさざるを得なかったことか
駅への帰り道は歩いても大した距離ではないが、バスに乗っていく。こんな短い距離でバスに乗ることは通常ではないのだが、足の豆が痛かったこともあるが、当初乗る予定の電車は小出での乗り継ぎ時間が3分しかなくて慌ただしいため、観光も早めに終わったことでもあるし、一本前の電車に乗るためには早めに駅に戻る必要があるからである。
一本前の電車には十分間に合う時間に駅に着き、ホームに降りてみると、一本前の電車というのは越Sukula号という酔っぱらいのためのイベント電車で、指定席券が必要なことはともかくとして、途中から飯山線に入ってしまい、只見線の乗り換え駅である小出には行かないことがわかった。やむをえない。またダッシュをするか
長岡駅で車掌に小出駅での乗り換え位置を聞いておいたので、スムーズに只見線に乗り換えられた。ここまでは順調だったのだが、代行バスが出る予定の只見までは、雪崩で被害が出る恐れがあるため行くことができず大白川で折り返しとなること、また大白川から先は道路が決壊しているため代行バスもないことを知る。ガーンである。しかも折り返しの列車は夕方までないということである。
ここまで来る途中でも斜面の雪がいつ落ちてもおかしくない状態だったのでやむをえまい。まあ今回は諦めることにしよう。幸いにも天気に恵まれて越後駒を始めとする山々の展望が見事なので、のんびりと景色を眺めて過ごし、只見線の会津側の乗車は他日を期すこととしよう。
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