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2015年6月

2015年6月29日 (月)

シャモニへ

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マッターホルンのモルゲンロートを眺めてからヘルンリ小屋を後にする。2時間半ほどでシュバルツゼーに着き、ロープウェイでツェルマットに戻る。

簡単な昼食後、登れなかったマッターホルンに後ろ髪を引かれながらシャモニに向かう。三回の乗り換えでもう2度と来ることはないだろうと思っていたシャモニに到着する。

予定よりも早くシャモニに到着したため、今夜の宿を確保することと、モンブラン登頂に備えて明日のコスミック小屋の予約が必要となる。コスミック小屋の予約はすぐにできたが、今夜の宿の確保には難渋し、郊外のユースホステルにようやく泊まれることとなる。このホステスは明日利用するミディのロープウェイの料金以下の43ユーロでシャモニ周辺のロープウェイが乗り放題というお得な宿泊料金であった。マッターホルンでは水不足で調理らしい調理ができなかったので、今回初めての本格的な自炊てある。切り干し大根、高野豆腐、とろろ汁にアルファ米とスーブ類という軽量化を図ったメニューであるが、思っていた以上にボリュームもあり美味しかった。食後はモンブランの準備を行って明日に備える。

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2015年6月28日 (日)

アクシデントのためマッターホルン撤退

アクシデントのためマッターホルン撤退 朝一番近くのゴンドラでシュバルツゼーに上がり、3時間半でヘルンリ小屋に到着する。ところが小屋周辺の様子がどうもおかしい。小屋が本年から改築されたことは知っていたが、昨年までは黙認されていたらしいキャンプ場が小屋が拡張されてスペースがなくなっったためか、見当たらなくなってしまったのだ。幸い、小屋はまだオープン前で小屋の人も入っていないようなので小屋の前に強引にテントを張ってしまう。以前のキャンプの記録では近くの流水を利用しているとのことだったが、登ってきた道を少し戻った所でしか流水はなかったようなので、水汲みとルート偵察の二組にメンバーを分けることにした。

 

ルート偵察の方は、取りつきの固定ローブを越えてしばらく進んでみたが、ソルベイ小屋直下のモスレイスラブが雪に覆われている以外は雪のない道を進められることを確認し、登頂成功の鍵は雪の付いているモスレイスラブが突破出来るか否かにあることがわかってヘルリン小屋前に戻った。
小屋に戻ってみて、水汲みメンバーの報告を聞いて愕然とした。流水は石灰分を大量に含んでいて飲用には適さないというのだ。こうなっチた以上は小屋の上部にある積雪を融かして水を得るしかない。流水利用を前提とした燃料の用意しかないため、果たして必要な量を確保出来るかどうかが不明であったが、とにかくやってみるしかなかった。

 

まずは第一回目の水を作ってみると、なんとその中にも多少の石灰石が混じっているではないか。風で飛ばされた小石が堆積したものだろうが、この程度ならば飲用には差し支えないという気はしたものの、メンバーの中には不安を訴える者がいる以上は、この方法もとり得ない。となると結論はマッターホルンは断念して下山するしかない。

 

その晩はパンとスープにサラダの極力水を使わない夕食で済ませて、明朝は始発のロープウェイに間に合うように下山することとして早めに寝てまうことにした。

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2015年6月27日 (土)

ツェルマットへ

ホステルで早起きしたので、レマン湖に出かけてみる。南の方角にはモンブラン山群が望めるが、考えてみれば、何度もジュネーブに来ていながらジュネーブからモンブラン山群を見たのは初めてである。やがて東の空が明るくなり日の出を迎える。その後、路面電車で駅まで行ってみてからホステルに戻り、朝食をとる、
ホステルから駅までは空身だったので楽だったが、駅のコインロッカーで荷物を回収してからは大荷物となり、移動もなかなかたいへんである。列車はフィスプ乗り換えで3時間半ほどでツェルマットに着く。ハイシーズン前にもかかわらず町は観光客で賑わっている。目の前に現れたマッターホルンは予想していた通り、雪が多いが、ヘルンリ稜自体にはさほど雪は付いてないようなので予定通り、マッターホルンに向かうことにする。荷物が多いので、登山靴を履いて荷物を軽くしてからホステルまで荷物を運んだ後に町に戻って若干の食料と装備を買いたす。
買い物が終わった頃に昨日からツェルマットに来ている仲間とも合流してメンバー5人全員が揃い、いよいよマッターホルンに向けての行動が現実のものとなってくる。

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2015年6月26日 (金)

ジュネーブ

5年振りのアルプス訪問の日がやってきた。と言っても今日はジュネーあもい
もう食事もまずまずだったし、北京で乗り継いだジュネーブ便はがら空きで快適なフライトを過ごすことができた。ただ北京からでもジュネーブまでは約8000キロと長く、タブレットにダウンロードした映画を見終わってしまうと、後はこのブログを書くくらいしかやることがなく、もう1本映画をダウンロードしてこなかったことと、機内用にと買った文庫本を持ってくるのを忘れたことを悔やんだ。窓が閉められて暗い機内では眠っている人が多かったが、ここで寝てしまうと今夜が眠れなくなって辛くなるので、寝ずにがんばるしかない。

ジュネーブに到着して宿に入り、簡単な夕食を終えて明日に備えて早めに眠りについた。

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2015年6月21日 (日)

最後の高所順化トレーニング

マッターホルンに向けての最後の高所順化トレーニングに富士山を登ってきた。本当は頂上で一泊した方が効果があるのだが、諸般の事情で日帰り登山となってしまった。その代わり、荷物が軽い今回はスピード登山にチャレンジしてみることにした。昔、富士登山競争に出ていた頃は、富士宮五合目よりも150メートルほど低い佐藤小屋から頂上まで2時間ちょっとで登っていたので、体力の衰えた今は、3時間を切ることを目標とすることにした。
小雨の降る富士宮登山口を6時半にスタートする。今回は二人の仲間と一緒に登ることになったが、自分の目的を告げて先行させてもらう。途中、雪が激しく降ってくるようになり、登頂を断念せざるをえないかとも思われたが、それ以上強くはならず、なんとか登高を続けることが可能となった。

後続の仲間はいつしか視界からは消え、先行する登山者をごぼう抜きして山頂に到達する。ノンストップで歩き続けたお陰で2時間45分と目標としていた3時間を切ることができた。今回の1時間当たりの獲得標高は500メートルで富士登山競争時の700メートルにははるかに及ばないが、現状の力ではこんなものだろう。

小屋陰で風雨を避けながら後続者を待っ。40分待って1人が到着したが、もう1人はさらに30分待っても現れない。寒さに我慢できなくなったので、とうとう降りることにした。しばらく降りると遅れていた仲間が登ってくる。なんでも睡魔に襲われてしばらく眠っていたとのこと。もうひとりの仲間が登り返して山頂まで同行することになったが、私は体の寒さが抜けてないので、また寒い山頂に向かう気にはならず、先に降りさせてもらい、風雨のしのげる八合目の小屋陰で二人の到着を待っ。

やがて二人がやってきたので一緒に下山するが、登りと違い、二人に追い付くのに苦労する。それでも下りはあっという間に五合目に着くことができた。ここで、固定ローブでの登降の練習を終えて今回のトレーニングはお開きとなる。昨年から続けてきたマッターホルンに向けての準備は一応全て終えることとなった。後は本番を迎えるだけだ。

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2015年6月19日 (金)

安保法制反対集会に出かけてみたけれど

安倍政権の目指している安保法制は二重の意味で誤りをおかしている。ひとつは政府の恣意的な判断によりいかようにもなりうる極めて曖昧な歯止めにより、際限なき戦争参加への道を開いてしまうことであり、次には解釈改憲という奇手により、本来は権力者の横暴を抑えるべき憲法を改憲手続きを経ることなく権力者の都合のよいものに変えてしまうという民主主義の原則を全く逸脱したことをやろうとしていることである。

何か反対の意思表示をしないわけにはいかないと思っていたら、今週の日曜日に国会前で2万人以上が参加した反対集会があり、来週まで毎日昼間に行われるとの記事を読んだので、早速、国会前まで行ってみた。ところがそこで見たのは100人にも満たない人がこじんまりといるだけの寂しい風景であった。急に気持ちが萎えてきて、雨も降ってきたことや、どこかの宗教団体が激しく太鼓を打ち鳴らす物音にも嫌気がさして、そのまま帰ってしまった。

60年安保の際にデモ隊が国会を包囲して、安倍首相が敬愛してやまないらしい祖父である岸信介を退陣に追い込んだあの熱気はどこにいってしまったのだろうか

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2015年6月14日 (日)

坂東三十三箇所・小田原編と湘南・三浦半島の私鉄のり鉄

坂東三十三箇所の鎌倉編が終わったので、今回は五番札所のある小田原郊外の飯泉観音に来る。バスの本数は1時間に1本程度と少ないが、バス停から徒歩1分と至近距離にあるのは便利である。参拝客もちらほらいる程度で静かなお寺である。境内には八幡神社もあるのは神仏混合の時代の名残だろう。
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小田原駅に戻って、名古屋の実家に向かう家内と別れて、来たときに乗った小田急線ではなく、JRで藤沢に向かう。湘南・三浦半島の私鉄には未乗車のものが結構あるので、いい機会だから、全てクリアしてしまおうという魂胆である。

藤沢から小田急で江ノ島に寄り、大船まで湘南モノレールに乗る。経営難で身売り話が出ていると言う記事を読んだことがあるが、短い距離なのに運賃が310円もするのは経営難のためなのだろうか?高い運賃が客離れを招いて更なる経営難に至る悪循環となる気がしないこともないが

大船からは横須賀線で逗子に向かい、新逗子で京急の支線に乗り継いで金沢八景に向かう。京急の本線は追浜までは鷹取山に行く時に良く利用するが、そこから先はどこまで乗ったかは定かではない。多分、終点の三崎口までは乗っていない気がするので、終点まで往復してくることにする。途中、浦賀に向かう支線にも乗っておく。三崎口からは往路を戻って金沢八景に戻るが、そのまま京急で品川には向かわずに、シーサイドラインに乗り換える。文字通り海岸沿いを走る自動運転の電車である。海岸の眺望を期待したのだが、すぐに暗くなってしまったこともあってあまり眺めは得られなかったのは期待外れであった。
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終点の新杉田からはJRで帰宅したが、風変わりなのり鉄の旅が楽しめた。

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2015年6月 6日 (土)

糸魚川ー静岡構造線を行く( 七面山~安倍川下降)

ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境であるフォッサマグナの西縁の断層帯である糸魚川ー静岡構造線に沿って太平洋から日本海までを横断することを目指して、今回は七面山から梅が島温泉までを歩くことにした。ここを歩けば静岡から塩尻までの山間部はつながり、後は塩尻から糸魚川までの比較的平坦な部分を残すのみとなる。ただ、糸魚川ー静岡構造線は早川から白州までは鳳凰三山の南東部分の道のない所を通っているので、この部分だけは甲斐駒経由の多少離れた経路で行かざるをえないが、そのくらいは大目に見てもらおう。

お昼過ぎに七面山登山口から裏参道を登り出す。しばらくすると、同じバスに乗っていた女性に足早に抜かされてしまうが、今日は急ぐ旅でもないので、マイペースで登っていく。やがて安住坊という宿坊まで来ると、先程の女性が休憩しているので、先に行かせてもらう。またどこかで追い抜かれるのかなと思ったが、結局は追い抜かれることはなかった。

表参道と一緒になる所にある敬慎院まで来ると急に賑やかになってくる。あたりには日蓮宗の読経が響き渡り、大勢の白装束の人が歩いている。ここは日蓮宗の総本山である身延山の奥の院にあたるようで、信者にとっては神聖な場所なのであろう。寺院には普段から慣れ親しんでいるつもりなのだが、ここはちょっと違和感を覚えたので、参拝もせずに先を急ぐ。

七面山山頂までは標高差300メートル近くの登りで着いた。時刻は5時を回っており、そろそろテントを張る場所を探さなければならない。山頂付近は平坦でテントを張るには絶好であったが、日蓮宗の聖地にテントを張るのは憚られたので、しばらく進んで、道端の平坦地にテントを張る。
糸魚川ー静岡構造線を行く(<br />
 七面山編)

ここのところ連日アルコールに親しんでいて、久しぶりに体脂肪率を測ったら18と随分と随分と上がっていたので、今日は休肝日としたいところであったが、山で酒を飲めないのは寂しいと、今回は初めて山にノンアルコールビールを持参することになってしまった。

ビールを飲んで食事を済ませると、後はやることもない。今回はラジオを忘れてしまったので、長い夜に耐えなければならない。そこでやむを得ず、携帯でのブログ書きで時間を潰すことにする。

翌朝は暗いうちから起き出し5時には出発する。八絋嶺までの間には目印となるものがなく、視界も効かないので、今自分がどこを歩いているのかわからず、気が疲れる。高度計でおおよその位置は推測できるのだが、GPSを持って来なかったのは失敗だった。

高度計を調整してないため実際の高度よりも50メートルほど低く表示される高さで八絋嶺山頂に着いた。まだ先だろうと思っていただけに拍子抜けしてしまった。

朝9時と早かったせいか、下山山頂には誰もいなかった。ガスで展望もないので、写真だけとって梅が島温泉に向けて下山する。下り始めてしばらくすると、何人かが登って来るのに出会ったので、そこそこ人気のある山なのだろう。

梅が島温泉には標高差1000メートル以上を一気に急降下して、2時間に一本の静岡行きの11時台のバスの発車時間ギリギリにまにあったが、このバスには乗らないのである。と言うのは、糸魚川ー静岡構造線を踏破するのが目的なので、前回の山伏からの下山路との合流点までは歩かなければならないのである。1時間弱で合流点に着くと、雑貨屋があり食料品も売っているようであったが、もう少しまともなものが食べたかったので、前回ここから30分ほど下ったところで食事をしたことを思いだし、これから行っても次のバスまでに食事する時間はありそうなので行ってみる。食事をする時間は確保できるくらいに着いたなと安心したのもつかの間、目指すお店には電気がついてないのである。えーと思って店の前まで来ると「本日休業」の看板が。ガーンである。稼ぎ時の日曜日に休むなんてと思ったが、まあ向こうにも都合があるんだろうと行動食のビスケットを腹に詰め込んでバスを待つ。定刻をやや遅れて到着した静岡駅行きのバスに乗り込むが、このバスも静岡駅までは乗れないのである。前回静岡駅目指して進んでいた時に、時間切れで最後はバスに乗ってしまったからである。前回バスに乗車した停留所で今回は下車してみて驚いた。もっと静岡駅に近い所かと思っていたら、なんと駅まで13キロ近くもあるではないか。仕方がないので忍の一字で歩き通し、7時前になんとか静岡駅に着くことができた。

最初はここから海岸までさらに5キロ近くも歩くつもりだったが、今日はもうギブアップである。それに、最近の研究では、糸魚川ー静岡構造線の静岡駅以南は諸説あるが、どうも安倍川が太平洋に注ぐラインてはなさそうである。一説では薩た峠付近としてあるものもあり、これならば、東海道を歩いた時に踏破済みである。いずれにしてもよく調べてみなければいけないが、今日のところは静岡駅到着をもってゴールとして差し支えないであろう。
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黄色実線は糸魚川―静岡構造線、赤実線は歩き、黒実線は自転車で踏破済、破線は予定


 

 

 

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2015年6月 1日 (月)

日本列島横断計画

日本列島縦断は北は宗谷岬、南は佐多岬として人により様々な経路で行われており、自分も昨年に4年間かけての細切れながら、北海道、本州、四国、九州の本州4島を徒歩で通過して行った。日本列島横断となると、経路は人によってさらにマチマチになるだろうが、自分が達成済みなのが、日本海の親不知から後立山・裏銀座コースを経て南アルプスの白峰南嶺まで日本アルプスを縦走して静岡に至るルートで、30年以上かけてすべて歩き(山以外はランニング)で行ったものである。それ以外に奥秩父の中央に位置する甲武信岳に源を発し、東に流れて太平洋に注ぐ荒川をランニング、北に流れて日本海に注ぐ信濃川を自転車で走破(ただし、甲武信岳周辺はいずれも歩き)している。他にこれから予定しているものとしては静岡から糸魚川までのフォッサマグナ地帯、いわゆる糸魚川・静岡構造線を踏破するものがある。全体の半分弱は済ませており、約120キロと距離の長い塩尻から糸魚川までの比較的平坦な部分も自転車を利用すれば一日で行けるだろうから、残すは早川から七面山を登って梅ヶ島温泉に下山するまでの部分だけである。

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赤は歩きまたは走り、黒は自転車でのコースで実線は終了部分、波線は予定部分

 


その他に達成間近なものとしては上越国境越えルートと別ルートから日本アルプスを縦走するものがある。前者は日本海から越後川口までの信濃川と太平洋から水上までの利根川をそれぞれ自転車で走破しており、上越国境は蓬峠を越えて土樽までは歩いている。土樽~越後川口のうち、わけあって10キロ弱は走っているので、未踏破部分は40キロ程度しかなく、自転車なら楽勝の距離である。ただこの部分は自分の足で踏破したいと思っているので、上越方面の山を登った帰りにでも少しずつでも歩いて、何回かにわけて踏破しようと思っている。後者については、南アルプスの間ノ岳から白峰南嶺と分岐する聖岳方面の主稜経由で大井川に下降するルートは畑薙ダムまでは歩きで、そこから御前崎までは自転車で走破しているし、北アルプスの三ツ俣蓮華岳で親不知に連なる裏銀座コースと分岐して立山・剣方面に連なるダイヤモンドコースは早月尾根を降りて伊折までは歩いているが、そこから日本海の滑川までの約30キロが未踏となっている。歩きなら一日がかり、自転車なら二時間程度で終わってしまうが、機会があったら行ってみたい。

まったく手つかずなのが、名古屋から富山までの人呼んで「さくら街道」という名の約250キロのコースである。いつの頃か知らないが、桜守りの人が桜の木を植え続けたことからその名が生まれたとのことで、かってはここを数日かけて走るウルトラマラソンレースもあったようだが、もちろん、今の自分はそんなに長い距離を走る気力も体力もないので、自転車で走破してみたいと思っている。桜の時期に花を愛でながらスタートし、後半は世界遺産の白川郷を走り抜ける旅である。いつかはやってみたいものである。

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