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2015年8月 6日 (木)

義務としての旅 広島編

義務としての旅広島編
義務としての旅広島編
義務としての旅広島編
太平洋戦争において国内で最も被害を受けた地域としてあげたら、広島、長崎そして沖縄であることに異論はないであろう(死傷者の数としては東京大空襲も大きなものであるが、歴史的な意味も含めると、同列には論じられないだろう)。この三ヶ所については、仕事や観光では何度も訪れたことがあるが、戦争にまつわる施設等は訪問したことがなかった。潜在意識として怖いものは避けたいという気持ちがあったのかもしれないが、同時にそれらを訪れていないことに後ろめたさも感じ続けていた。今年は戦後70年であり、自分にとっても65歳という立派に老人の年齢に差し掛かる節目の年なので、今年行かずしていつ行くのかと言うことで広島、長崎の原爆式典に参加することにした。

この旅を思いついたときは、広島長崎ともに市内近郊でネットで予約できるホテルはすべて満室となっていたので、だいぶ手前の三原に宿を取らざるを得なかった。最初は広島長崎の間は自転車で行くつもりだったが、最短距離でも450キロもあって3日間で走破するには長すぎるし、この猛暑の中を行くのは体への負担が重すぎる。おまけに山で痛めた肩にとっても、長時間の走行による振動はよくないだろうと考え電車で移動することに変更した。その代わりに、できるだけJRの未乗車区間をつないで行くこととし、昨日も相生で新幹線と離れて赤穂線経由で来たし、今朝も広島までは呉線で行くことにした。

そんなわけでホテルを5時前に出て始発電車に乗る。広島駅に着いたのは式典の始まる10分ちょっと前でタクシーで原爆ドームに向かう。ドーム前には戦争法案反対や原発反対を訴えるグループが集会を開いていたが、式場近くは警戒が厳しくて近づけないのだろう。会場内は7時過ぎには満席となるそうなので、当然会場の外で立ったまま参加することになる。式典のスタート時間には間に合わなかったが、黙祷には間に合ってよかった。続いて広島市長のあいさつがあった。その後何人かの挨拶の後、安倍晋三がぬけぬけと出てきた。核武装も視野に入れた戦時体制の構築を着々と進めている人間が核兵器廃絶を願う場に来ること自体が笑止千万で野次ってやりたかったが、さすがにその勇気は出なかった。安倍ヒットラーの話しなと聞いてもしょうがないので、資料館に入ってしまう。自分と同じ気持ちかどうかはしらないが、資料館のほうも満員であった。特に目についたのは外人の姿であった。タクシーの運転手も今年は外人が多いと言ってたが、円安という背景もあるのだろうが、7
0年という節目の年のせいもあるだろう。
資料館自体は初めてであるものの、展示されている内容はテレビや新聞で何度も見たり聞いたりしたことばかりなので、特別の衝撃はなかったが、子供の頃に見た原爆被害を描いた映画「生きていて良かった」には大きな衝撃を受けたように、予備知識なしにこの資料館の展示を見れば衝撃を受けるだろう。このような体験は自分の子や孫に引き継いで行かなければならないとあらためて思った。

広島駅には予定よりも1時間くらい早く戻れたので、スケジュールを多少早められるかなと思ったが、岩国で乗り換えるローカル線の岩徳線は2時間に1本しかないので結局は同じ電車になってしまい、岩国駅では乗り換え時間が1時間くらいできてしまった。観光名所の錦帯橋はタクシーを使えば行ってこれそうだったが、くそ暑い時に駆け足で行ってもしょうがないので、少し早めの昼飯を食べて時間を潰す。

さらに宇部線、日田彦山線と未乗車線を乗り継いで大分県の日田駅に到着し、予約してあったホテルに泊まって、今日1日の長い行程を終えた。

今日はほぼ1日電車に乗りっぱなしだったので考える時間も十分あり、今までの来しかたからこれからの生き方までについて思いを巡らすことができた。

学生、サラリーマンといった本分を忘れて山登りにのめりこんでいった二十代、独立して仕事と家族に対する責任を果たすことに全力を注いだ三十代、四十代、子育てと親の介護から解放されてクライミングとマラソンに没頭することとなった五十代、特にその前半は自己の能力限界に挑戦できたという意味で、自分にとっては黄金の日々であった。そして六十代の前半は体力等の衰えを自覚しながらも、過去にとらわれて自分の目標を見つけられずに過去を引きずって生きてきてしまったと言える。

広島長崎の原爆の日は人類全体にとって、過去の過ちを懺悔する日であるが、自分にとっても、今回の被爆地巡礼は過去と決別し、新しい生き方を探す旅になる予感がしてならない。まだ具体的なものは見えてこないが、今までのように家族を含めて自分のために生きるのではなく、これからの残りの人生は世のため人のために生きていきたいと願っている。

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