安倍の「1億総活躍社会」論は笑止千万
安倍の「1億総活躍社会」論には笑ってしまう。その狙いは安保(戦争)法制反対で高まる安倍批判から目をそらそうとしていることには間違いないが、もうひとつの狙いには彼の敬愛する祖父の岸信介が日米安保条約を成立させた後に次の首相となった池田隼人が所得倍増政策を打ち出して、日本の高度経済成長を牽引していった歴史が念頭にあって、自分は先人二人と違い、たった一人で政治と経済の両面で成果をあげた政治家として歴史に名を残したいという野望もあるのだろう。
安倍が「1億総活躍社会」をどれだけ真剣に考えているのかは知らないが、中国や韓国が批判しているのとは別の意味で彼の歴史認識の浅はかさには呆れ返ってしまう。というのは池田政権が登場した時と今との経済や政治の違いを全く無視しているからである。所得倍増の頃は日本は潜在的な経済成長力の高い時代であった。すなわち、人口構成も若い世代の多いビラミッド形でボリュームも増加している経済成長を支える土台があり、敗戦の復興から立ち上がって、良いものを作れば売れるという国内市場が見込め、一方、摩擦はありながらもアメリカを中心とした海外市場も広がっているという恵まれた環境にあったのである。それに対して今はその条件は全て失われており、「1億総活躍社会」で実現されるというGDP600兆円をかなえる具体的な処方箋はなにも呈示されていないのである。
だいたい従来のアベノミックスでも第一第二の矢と言われる金融財政政策での効果は大企業や資産家に限られ、一般国民大衆はほとんど恩恵を受けていないし(アベノミックスの最大成果である株高も最近は怪しくなっている)、第三の矢の成長戦略は全くの不発である。この経済政策の失敗の反省なしに次の政策を打ち出して見たところで、絵にかいた餅であることは明白である。
政治的に見ても、池田政権は岸政権が退陣した結果として生まれた政権であり、岸の高圧的反動的な態度に比べて相対的ではあるが、融和的な姿勢が見られたために国民からは一定の支持は得られたのである。これに対して安部政権は民主主義を散々踏みにじっておいてその反省もなく次は経済だと言ってみても、衣の下に鎧が見えるのを懸命な国民はけっして見逃さないであろう。
安倍晋三にもし国民の未来を考える気持ちがあるのであれば(自己の名声を第一に考えているとしか思えないが)、彼にできる唯一のことは即刻、首相の座を降りることである。
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