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2015年10月

2015年10月31日 (土)

道志渓谷サイクリング

土日に泊まりがけの山を予定していたが、あまり天気は良さそうでないみたいなので、日帰りで前から気になっていた道志渓谷のサイクリングに行くことにした。

道志渓谷は北を道志山塊、南を丹沢山脈に囲まれた奥まった所に位置しており、以前は秘境と呼ばれていたが、今は道路も整備されてキャンプ、釣り等で賑わうようになっている。ただ混雑する道路からちょっと目を外せば、昔とさほど変わらないであろうひなびた風景が広がっている。

相模湖から厚木方面へ1時間ほど進んでから道志方面の道に入る。飛び石連休の初日のせいか、車やバイクの通行が多い。毎度のことながら自転車にも次々と抜かされる。なんでみんなはあんなに早いのだろう?(単に自分が遅いだけかもしれないが)

休日の路線バスの終点である月夜野にお昼前に着いたので、持参したパンで昼食を摂る。あたりは多少は紅葉しているが、針葉樹も多いため、あまり見事ではない。
Photo

月夜野から道志村まではアッブダウンが続き、村のはずれからは山中湖に通じる山伏峠に向かう登り坂が始まる。事前に登りの標高差を調べてくるのを忘れ、せいぜい数百メートルの登りだろうとたかをくくっていたが、いつまでたっても峠に着かないので少々焦ってくる。そのうちに先ほど私を追い抜いたと思われる連中が次々と下り坂を疾走してくる。みな荷物をほとんど持ってないようなので、輪行ではなくスタート地点まで戻るのだろう。登りを終えた彼らを羨ましく思ったが、スタート地点まで戻らない自分はとにかく峠まで登らないことには下りはないのである。

道志村から500メートル以上の登りでようやく山伏峠直下のトンネルに着いた。これでもう登りはないのだ。そこからはかなり高度を下げてやっと山中湖畔に降り立った。湖畔にはサイクリングロードがあったので快適に進んでいたら、富士山駅に向かう道の分岐点を通り過ぎてしまったようで、しばらくしてから気が付き、元に戻って正しい道を進み、1時間ほどで富士山駅に着き、快速の最終にも乗ることができた。
道志渓谷サイクリング

今日の行程は100キロにも満たないものであるが、今の自分にはほどよい距離であり、コースが変化に富んでいることも併せて、正解のコースであった。

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2015年10月30日 (金)

集会のハシゴ

集会のハシゴ
週末金曜日の夜の国会周辺は様々な集会が開かれるというので出かけてみる。現地には早く着きすぎたので、皇居を2周ジョギングして時間潰しをする。その後、国会前に向かうと、外人がパフォーマンスをしている。元海兵隊のおじさんでベトナム戦争から帰還後に戦争の残酷さ、平和の大事さに気付き、日本でもそれを訴えているそうで憲法9条の素晴らしさを力説していた。パフォーマンスもなかなかの熱演であった。おかげで集会が始まるまでのいい暇潰しができた。

脱原発の集会は二ヶ所で行われていて、いずれもそこそこの参加者があったが、国土交通省前での辺野古埋め立て反対の集会はいささか寂しかった。やはり、安保(戦争)法制や原発と異なり我が身に降りかかってくる実感が薄いせいだろうか。この運動が本土でも盛り上がるかどうかは、日本の市民運動の試金石になるであろう。なぜならば、他者の痛みを自分の痛みとして感じるだけの幅広い心があるかどうかが問われているからである。まずは自問自答をしてみたい。

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2015年10月29日 (木)

相容れない考えの溝

安保(戦争)法制採決から一月以上経ち、あらためて国論を二分した双方の考え方の根底にあるものを検証してみたい。

賛成派は武力の脅威に対しては武力をもって対抗すべきであり、海外からの侵略に備える上での抑止力を強化するには同盟国との同盟関係を強化することが重要なので、集団的自衛権は必要であると考えているようである。

これに対して反対派は武力に対して武力をもって対抗するのは憎しみの連鎖を生むだけで問題の解決にならない。地道な外交努力やNGOその他の草の根レベルでの交流こそが真の解決をもたらすと考えている。この考えはイソップの北風と太陽との違いにも通じるし、イスラム教の「目には目を」に対する仏教の「慈悲の心」の違いと言ってもよいだろう。そしてそのような観点からすれば、集団的自衛権については抑止力はほとんど認められず、むしろ同盟国が惹き起こす戦争に巻き込まれるリスクの方が高いという結論にならざるをえないだろう。

一方、「慈悲の心」が通じない場合の対応については、反対派の中でも意見が別れるだろう。ある者はあくまで、非武装による抵抗を選ぶかもしれないが、多くの者は何らかの武力を用いた個別的自衛権の行使を選ぶであろう。さらにはこれを補うものとして、ある者は集団的安全保障に期待をかけるが、別の者は集団的安全保障は現実性に欠けるとして、同盟国との軍事同盟を重視するであろう。ことほどさように、安保(戦争)法制反対派側の防衛方針は統一性を欠いているが、ここは集団的自衛権反対の一点での一致で連帯して闘うしかないであろう。

もうひとつ検討しなければならないのは、国連が主導する集団安全保障としてのPKOへの参加方針である。今回の安保(戦争)法制による自衛隊法改正に伴い、自衛隊の海外での武器使用制限が緩和されたことにより、PKO活動において他国軍に対する駆けつけ警護ができることとなったが、このことについては賛成派は積極的平和主義として高く評価するが、反対派は現地でのNGOの活動を制約するものとして批判している。すなわちゲリラと交戦状態に入った場合に、ゲリラが一般住民に紛れ込んだ場合等に一般住民にも被害が出る可能性があり、その結果として同国のNGOも一般住民から敵視される可能性があることが問題となっている。実はPKOへの関わり方については不勉強なこともあるが、自分の考えがまだ固まっていない。
治安体制が不十分な国において「ならず者」がのさばるのをPKOによって抑えていくことの必要性はわかるが、それによってNGOが活動の制約を受けるマイナスとの折り合いをどうつけるかは自分にとっての今後の課題である。ただひとつ言えることはPKOへの協力を軍事一点張りで考えることは間違いだということである。もちろん金さへ出せばよいというわけではなく、人的提供を含むあらゆる協力が必要であるが、日本が最も貢献できるのは平和国家として世界中から受けている信頼を最大限に活用して紛争解決にあたっていく努力ではないかと思う。

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2015年10月25日 (日)

秋野菜の発芽

秋野菜の発芽
諸般の事情により遅れてしまった秋野菜の栽培だが、10日ほど前に植えた種がほとんど発芽していた。この区民農園の契約は来年3月いっぱいなので、今回の栽培がこの区民農園での最後となりそうだ。区民農園まで自転車で片道40分はさすがに遠すぎた。今度はもう少し近くの農園が当たれば別だが、そうでなければ、しばらくはお休みとなるかな

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群馬札所

坂東札所巡りも北関東に移り、群馬にある札所二箇所を巡ってきた。バスの時刻の関係で順番を逆にして16番の水沢観音から先にお参りする。
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水沢観音は高崎からバスで1時間近くかかる遠方にもかかわらず、今までお参りした札所の中では、浅草寺は別格として、鎌倉の長谷寺と並ぶ人出であった。このすぐ奥に伊香保温泉があるからだろうか。ここは日本三大うどんの名所だそうで(本当かな?)、さっそくうどんを注文する。三大うどんかどうかは別としてなかなかうまかった。

ここから北高崎までバスで戻り、さらにバスを乗り継いで、15番札所の入口まで行き、そこから約40分の歩きで白岩観音に着く。こちらはさきほどと違い、参拝客もまばらな静かなお寺であった。
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ここからバス停のあるまねきの湯までは関東平野を眺めながら山裾を行く45分程度の歩きである。着いたまねきの湯で一風呂あびるつもりであったが、せっかく伊香保温泉の近くまで来ながら、こんな日帰り温泉に入るのはイヤだという家内の一声でそのまま帰ることになってしまった。




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2015年10月22日 (木)

国分寺界隈散策

国分寺界隈散策 国分寺方面にプライベートの用事があって路地を歩いていたら、昔懐かしい用水が流れていたので、多少遠回りになるが、用水に沿って小道を歩いていると、シーズンにはホタルも観察できるとある。しばらく行くと有名な国分寺の脇に出た。国分寺という地名はこのお寺から出ていることは知っていたが、地名の方が馴染んでいたので、同名のお寺があるのが、却って妙な感じがした。その先には国分尼寺の跡地や旧鎌倉街道の一部が昔のまま保存されていたりと遺跡の宝庫のような一帯であった。用事があったので、あまり寄り道はできなかったが、まだまだ見るべき所はあるようなので、こんどはじっくりと訪れてみたい。

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2015年10月21日 (水)

四国電力東京支社前抗議集会

四国電力東京支社前抗議集会
伊方原発再稼働反対の集会に参加してきた。東京駅近くの銀行協会ビルの18階に四国電力東京支社はあった。四国電力が抗議の対象とされたのは伊方原発の再稼働を目指しているからである。伊方原発は大断層帯である中央構造線上にある上に発生が確実視されている南海トラフによる津波被害によって福島の惨禍が再現されることが懸念されているからだ。

本日の参加者は約60人と寂しいものではあったが、何としてでも原発再稼働を阻止したいという熱意はひしひしと伝わってきた。次回は倍以上の参加者があることを期待したい。

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2015年10月19日 (月)

月命日?

安保(戦争)法案が強行「採決」された(手続き的に無効であり、採決はなかったと見るべきだが)9月19日の怒りを忘れず、新たな闘いを行うために、毎月19日に国会包囲の集会が開かれることになり、この日を月命日になぞらえる人があるが、その命名には賛成はしかねる。命日と言うのは死の悲しみを忘れないためにあるものだが、あの日に民主主義は死んだのか?たしかに民主主義は安部政権の暴挙によって打撃は受けたが、国民の民主主義に対する意識はこれによってかえって高まったことには間違いなく、決して死んではないのだ。よってこの日は「安部政権を打倒する行動の記念日」とすべきだと思う。
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それはともかくとして第一回となる本日は一万人に近い参加者があり、運動は決して鎮静化していないことが確認された。連帯の挨拶にたったある国会議員が来年の参院選で与野党逆転を実現して、参議院で安保(戦争)法廃止の法案を成立させたいと訴えていたことに注目したい。参議院の与野党逆転は第一歩に過ぎず、総選挙で与野党逆転を果たさなければ前進はないと考えていたが、たとえ衆議院で否決されたとしても、参議院で廃止法が成立するインパクトは大きく、その後の運動に大きな弾みとなることは間違いないであろう。こう考えると、来年の参院選が待ち遠しくなってくるが、自分も集会に参加するだけでなく、個人的にもできることは、このブログへの投稿も含めて何でもやっていきたい。

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反省会

事故の保険関係の手続きもすべて終了したので、その時の相棒と一緒に反省会という名目で屏風岩周遊ハイキングにでかける。

初日は徳沢までなので、のんびりとお昼過ぎに上高地を出発する。紅葉はピークを過ぎていたが、土曜日だったためかなりの人出である。徳沢キャンプ場もテントで賑わっていた。その晩は遅くまで酒を呑んでいたため、珍しく熟睡することができた。

翌朝は秋も深まり夜明けが遅くなったこともあって、出発は7時を過ぎてしまった。快晴の下、紅葉の名残と穂高の岩峰を愛でながら横尾を過ぎると、屏風岩の偉容が現れてくる。

今日は誰も登っていないようだったが、我々の登ったルートや事故現場は遠くからでもはっきりとわかった。無事にこうやって元気でいられる喜びをしみじみと味わう。
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屏風岩を後にして涸沢に向かう。シーズン最後の登山を楽しんだ人が次から次へと降りてくる。涸沢が近づくと、木の葉はほとんど落ち、ナナカマドの赤い実が秋の最後を惜しんでいるかのようであった。涸沢ヒュッテも冬籠もりの準備に入っていた。

北穂から前穂までの大展望を楽しんだ後、これで見納めになるかもしれないと後ろ髪を引かれながら涸沢を後にする。パノラマコースは上級者コースという立札のせいか、パタリと人がいなくなった。それほど悪い道でもないが、1ヶ所だけ迷いやすい所があり、我々も少しコースを外してしまいかなりの悪路になったので、これはおかしいと元に戻って正しい道に出られた。

1時間ほどで北尾根最低暗部に出る。予定では屏風の頭を往復するつもりだったが、今の時間は1時で、往復に2時間はかかるだろうから明るいうちに徳沢に降りるのは難しくなるだろうと、このまま徳沢に降りることにした。

パノラマコースの下山路は屏風の帰りに何度も通ったところなので、当時を思い出しながら下っていったら退屈することもなく、徳沢に着くことができた。時間は3時半とまだ明るく、まずはビールで乾杯し、早めに夕食をとってから、連夜の飲み会となって、徳沢最後の夜は更けていった。

最終日の朝は、テントも凍り付くほどの寒さで出発の準備も遅れたが、8時前にはなんとかテントをたたんで上高地に向かうことができた。平日のため若者は減ったが、代わりに中高年が多数押しかけていた。

上高地からのバスを沢渡で下車して相棒の車に乗り換える。途中で寄るつもりだった日帰り温泉はあいにく休みで、この先は松本までは温泉がないようだったので、半ば温泉はあきらめたのだが、携帯のグーグルマップで探した松本手前の日帰り温泉がやっていたので汗を流すことができた。街中にあるため、露天風呂から紅葉を眺めることはできなかったが、食事代も含めてリーズナブルな値段でまずまずのところであった。

温泉を後にして、今回のもうひとつの目的である松本警察へのお礼訪問に向かう。事故現場でお世話になったお巡りさんは制服姿だと別人物のようで、最初は戸惑ってしまったが、厚く感謝の気持ちを伝えた。この夏の管内の遭難死はかなりの数に上ったようで、あらためて我々が幸運だったことと、救助隊の方々の尽力が多大であったことを痛感した。

すべての目的を果たしたので、帰路に向かう。平日のため途中何ヵ所かで工事による路線規制がおこなわれたが、交通量が少ないためにたいした渋滞にもならずにスムーズに帰ることができた。3日間とも好転に恵まれて目的はほぼ果たすことができたのはラッキーであった。

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2015年10月15日 (木)

ある自由人の一日

今日も1日フリーだ。午前中は月2回の点字サークルの会合に出席する。まだ初心者の自分は仕事をもたせてもらえず、前回、宿題にもらった課題をみてもらうだけだ。

お昼から新宿西口で沖縄の辺野古埋め立ての反対運動の街頭宣伝があるていうのでいってみる。メンバーは10人ほどで、演説とビラ配りをしていたが、ほとんどの歩行者は無関心で通り過ぎていく。安保(戦争)法制反対運動の時とはえらい違いだ。

そこで彼らの一人に話しかけ、安保(戦争)法制は違憲訴訟で勝つ可能性も十分ある上、選挙で勝てば廃止できるという展望があるのに対して、辺野古は法廷闘争は困難が予想される上に、選挙で野党が勝っても、肝心の民主党が政権をとっていた時に辺野古埋め立て推進をしていた状況では、運動の展望をどのように見通したらよいのかと質問してみた。これに対しては反対運動を盛り上げて、民主党内にも賛同者を増やしていくとの返答だったが、野田とか前原とか何故自民党に行かないのか不思議な連中がのさばっている現状ではなかなか難しいだろうと思われ、すっきりしない気分でその場を立ち去る。

その後は大した用事ではないのだが、代々木のお客さんの所に向かう。この会社とは1年に1回行く程度たが、10年以上の付き合いがある。ところが、ここ数年はいろいろと不信を感じることが多くなっていた。そして近々のことであるが、ついに堪忍袋の緒が切れる出来事があり、関係を断つことを決めた。そこで、今日の用事を終えた後に関係中止の申し出を行った。ただし、角が立たないように、引退を考えているので、その準備をするためとの方便を使ったが。すまじきものは宮仕えというが、自分の気持ちに正直に従える自営をやっていて本当に良かったと思った。

夜は久々に官邸前での原発反対の集会に参加する予定だが、今から行くと早く着きすぎてしまうので、渋谷から永田町まで散歩がてらに歩いていくことにした。
神宮外苑から青山あたりは、最近はご無沙汰しているが、以前は仕事でよく通っていたところなので懐かしかった。その先の赤坂離宮脇の青山通りは、昔ランニングクラブに入ってた頃に赤坂離宮一周3.5キロの練習コースでよく走ったところなので、これまた懐かしかった。道は青山通りを離れて南に向かうと赤坂となり、料亭があちこちにあらわれる。昔も今も、そしておそらく将来も、自分には縁のない一帯だが、それは喜ぶべきことか悲しむべきことか

官邸が近づいてきたのは、警備の警官が多くなってきたことでわかる。最近は警備の警官を見ただけでムラムラと闘争心が沸き起こってくるから妙なものだ。

官邸の前まで来て、さて集会はどこでやっているかと探したのだが、見当たらない。もう一度見回すと見つけることはできたが、その人数の少なさに驚いてしまった。安保(戦争)法制反対の時は万単位の参加が当たり前だっただけに百人程度の参加者数には落胆したが、自分も反原発の集会参加は長らくご無沙汰していただけに大きなことは言えないのだが。

たとえ参加者が少なかろうと、声はあげ続けなければならない。川内原発に続き、伊方原発も着々と再稼働に向けてのレールを進んでいる。集団的自衛権は日本の防衛力を高めるというペテンで国民を騙そうとしたが、世界一厳しい基準をクリアしたのだから安全であるというペテン(桜島の噴火が川内原発に達したら、そんな安全基準がなんの役に立つというのだ)に騙されずに、危険な原発再度稼働を阻止していかなければならない。

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マイナンバーはクソくらえ

マイナンバーの説明会にいってきた。まじめに制度の勉強に来た他の参加者と違い、この制度に国家統制の匂いを感じる自分は、この制度を拒否した場合のデメリットがどの程度なのかが知りたいという「不純な動機」で参加したのだが、当面関係するであろう社会保障や税の分野では制度を拒否しても大きなデメリットはないということかわかった。もっとも私のような「不心得者」が多くなると、デメリットがおおきくなるような制度改正が行われる可能性はあるが・・・

マイナンバー制度に反対する人が、送られてくるカードの受け取りを拒否するという書き込みがネットを賑わしたことがあったが、これは意味のない行為らしい。受け取り拒否したからといって、そのナンバーがなくなるわけでなく、単にその人が自分の番号がわからず、カードを持っていれば受けられる行政サービスが受けられなくなるだけだからだ。その点、カードは一応はもらっておいて普段は使わず、カードを使わないメリットと使うメリットを比較して、使うメリットの方が圧倒的に高いと判断される場合のみ使うというのが賢明なやり方だと思う。

それにしても、情報漏洩のリスクは別にしても、何兆円という費用をこの制度のために使うというのは馬鹿げた話だ。それだけのお金があるならば、社会福祉にまわせば、どれだけ大勢の人が助かるだろうに。もっともその金額を大幅に上回る税金が、不正蓄財等の発見により徴収できるというなら話は別だが。そうでなくて、それだけの費用をかけても、国民ひとりひとりを丸裸にしてしまうメリットは大きいと、権力側が考えているのだとしたら恐ろしいことだ。

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2015年10月13日 (火)

辺野古埋め立て承認取消決定の報道に接して

辺野古埋め立て承認取消決定がいよいよというかやっとというか行われたが、この問題についてコメントしてみたい。

今後の進展は法廷闘争になるだろいから予断を許さないが、反対運動が沖縄県内だけでなく、本土においても高まることは、裁判官の判断にも微妙に影響を与えるだろうから、積極的に反対運動に参加していきたいと思うが、問題は反対の根拠をいかに説得力のあるものとして世の中に訴えていけるかである。

反対運動に批判的な意見の代表的なものは普天間基地を県外に移転することにより、日本の防衛力にマイナスが生じるというものである。この問題については前にもブログで書いたとおり、普天間基地問題は海兵隊の移転問題であり、海兵隊はアメリカの海外侵略の先兵として沖縄に駐留しており、日本の防衛は目的としていないことから、沖縄から移転しても日本の防衛力には影響しないことをわかりやすく説明していかなければならない。

ただここで問題となるのは海兵隊の移転先である。一般論としては沖縄のみに負担を求めることは過去の歴史的経緯からしても絶対に許されるべきではないけれども、海兵隊の問題に関しては、移転先はグアム等の海外であることを明確にすべきである。なぜならば、国内移転を前提に議論をしていくと、移転候補先との間との対立に問題がすり替えられかねないからだ。

海兵隊の主力はアメリカ本土に配置されており、国外配置は日本のみである。これは日本に配置する必要性があってからのことではなく、日本政府の手厚い保護が単に居心地がよいからである。なぜならば、沖縄に駐留する海兵隊の大半は一年のうちの多くはアメリカの海外侵略地に派遣されており、沖縄に駐留する必然性は全くないのである。また沖縄の地理的条件を駐留の必要性に結びつける議論もあり、その例として台湾有事がよくあげられるが(そのことは本来は日本防衛とは直接は関係ないのだが)、沖縄には海兵隊を移動させる艦船はなく、佐世保からの艦船の到着を待たなければならないので、緊急性という観点からは沖縄の地理的条件の優位性はなく、グアムに移転してもなんら支障はないのである。

以上論じてきたポイントをまとめると、辺野古埋め立て反対運動を進めるに際しては①日本の防衛力に関係ない海兵隊の基地を沖縄から撤退させる運動であること②海兵隊の移転先は国外のグアムに求めてもアメリカの戦略上は問題がないことを前提に国外移転を求めていくことの二点を明確にしていく必要がある。

もうひとつの反対運動への批判としては、辺野古埋め立て反対運動が長期化することは、普天間基地周辺住民の苦痛からの解放を遅らせるものであるというものである。この指摘はもっともなものではあるが、辺野古埋め立てを認めてしまうことは、沖縄の基地の永久的な固定化につながることなので、長期的観点に立って、埋め立て反対運動に理解を示してもらいたいとしかいいようがない。

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2015年10月12日 (月)

坂東三十三箇所1日で3県の札所巡り

坂東三十三箇所1日で3県の札所巡り 今までは1日で県内の数ヶ所の札所を巡るのが普通であったが、今日は12番慈恩寺(埼玉県岩槻市)、13番浅草寺(東京都台東区)、14番弘明寺(神奈川県横浜市)と3県に及ぶ札所巡りとなった。なんでこんな離れた札所が順番となっているのかはわからないが、交通の便が比較的いいので効率的にまわることができた。

 

岩槻は娘が生まれて間もない頃に雛人形を買いに来て以来である。慈恩寺はバスを降りて10分程度歩いた所にあるが、本堂は修復中で被いに被われていた。

 

バスの本数が少ないので往路を戻らずに、岩槻の二つ先の駅まで歩いていく。東部線を2回乗り換えて浅草へ。浅草寺は行ったことはある気はするが、はっきりした記憶がないので、この際行っておくことにする。
3連休最終日ということもあり、仲見世通りは凄い人手である。浅草寺の賽銭箱の前は長蛇の列となっている。他の札所では絶対に見られない光景である。また他の札所では〓〓番札所の表示が必ずあったが、浅草寺ほどの観光地ともなると、札所参拝者は眼中にないのだろう。札所の表示はどこにもなかった。

 

今日の最後の札所は横浜の南にある弘明寺であるが、その前に中華街によって遅目の昼食をとる。

 

昼食後に関内まで歩いて地下鉄に乗り、下車後は弘明寺まで参道が続いているが、両側にお店が立ち並び繁華街のような賑わいであった。

 

弘明寺は階段らしい階段もない敷居の低いお寺であった。お寺の裏には京浜急行の駅もあり、こちらからお参りすれば、一番アプローチの短い札所となるだろう。

 

今回で神奈川、東京、埼玉の札所が終わり、次回からは関東北部に舞台が移って、まずは群馬の札所二ヶ所を巡ることになる。

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2015年10月11日 (日)

伊東光晴著「アベノミクス批判」

伊東光晴著「アベノミクス批判」を読んだ。アベノミクスは第一の矢である「異次元の金融緩和」は円安と株高によって資産家や輸出関係の大企業には利益をもたらしたが、一般国民にはなんの恩恵も与えておらず、第二の矢である財政政策は公共投資により、建設関連業を潤し、その波及効果を他の業種にも及ぼそうとするものだが、予算的な制約からほとんど効果をもたらしておらず、第三の矢である民間の活力については掛け声倒れに終わったというのが自分の認識であったが、この本によると円安・株高もアベノミクスの効果ではなく、安部政権はまたくの経済無策内閣だというのだ。

著者の伊東光晴氏は私の学生時代にはケインジアンとして名高く、多くの著作を読ませてもらったものである。私は元々はマルクス経済学の勉強に重点を置いていたが、それと対立する近代経済学の中ではケインズ理論については、解説書レベルではあるが多少はかじったりした。両者の違いは大雑把に言えば、マルクス経済学は生産力というものに着目した供給サイドの経済学であるのに対して、ケインズ理論は有効需要に着目した需要サイドの経済学であるという点である。この二つの異なった理論を自分の中でどう折り合いをつけていたかというと、自分の専攻である経済史の分野ではマルクス経済学を、現実の経済の分析や経済対策ではケインズ理論を信奉してきたと言える。

近代経済学の中ではもうひとつの勢力として新古典派という人々の主観が経済行動を左右するという考えがある。こんなものは社会科学の名に値しないと真面目に勉強もしてこなかったが、社会人になってまもなくして新古典派の流れをくむマネタリストと呼ばれる一派(その代表格はフリードマン)がケインジアンを凌ぐほど勢力を広げ、アメリカのレーガン大統領の経済政策であるレーガノミックスを主導するまでになったことは有名である。さらにマネタリストの中から金融工学というものが生まれて、それを活用したデリバティブという詐欺まがいの商品がリーマンショックを惹き起こして世界中に大混乱を招いたことは記憶に新しい。

アベノミクスの理論的支柱である日銀の黒田総裁や岩田副総裁はこのマネタリストであり、金融緩和による金利低下が投資を呼び起こすという主張をおこなってきた。これに対して伊東氏は、経営者の投資判断は投資効果によっており、コンマ以下の金利低下は投資判断には影響を及ぼさないとして、マネタリストを痛烈に批判されている。また今回の株価の回復は世界的な株式市況の回復基調を反映して民主党政権末期から起きている現象であって、アベノミクスとは関係ないとのことである。また低金利政策による円安効果も各国が低金利政策をとっている状況ではほとんどなく、今回の円安傾向は為替介入がおこなわれた結果であることを証拠をあげて説明されている。そして円安による経済効果もさほど大きくはないことをトヨタ自動車の利益構造の分析により導きだしている。さらには安倍がよく言う「15年にも及ぶデフレを克服して」というフレーズもリーマンショック前の数年間においてはデフレではなかったとして批判の対象とされている。

第二第三の矢については氏の論調と私の認識とでは大きな違いはなかったが、第一の矢の円安・株高効果については私も完全に安倍のペテンにかかっていたわけで、この年になって多少は世の中の動きが見えるようになってきたという自負も打ち砕かれてしまった。

この本は例の「1億総活躍社会」論が打ち出される前の本なので、当然それに対する言及はないが、もし氏が言及されるとなると、以前にブログで書いた私の批判以外の論点もあるのかどうかが気になるところである。誰の意見だったかは忘れたが、「1億総活躍社会」論における三本の矢は矢ではなくて的であると論じていた。つまり、到達すべき目標(的)が述べられているだけで、そこに至る道筋(矢)が示されていないということだが、まさに至言である。

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西伊豆3世代旅行

西伊豆3世代旅行
西伊豆の長岡温泉に娘夫婦と一歳の孫と3世代旅行をしてきた。天気には恵まれなかったが、なかなかできない旅行であった。いつまで行けるだろうか

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2015年10月 9日 (金)

安倍内閣改造に物申す

安倍内閣改造で主要閣僚は留任となったが、それ以外の大臣は側近で固めて、マスコミからはお友達内閣と揶揄されている。しかし、今度の改造で一番問題となるのは、プロレスラー出身の馳浩を文科大臣に起用したことだろう。この人物は国会内では武闘派として「活躍」し、国会外では河野談話を批判したり、戦前の日本を復活させようと企んでいる連中が作っている教科書を支持したりしている反動的な人間である。こういった人物を教育行政のトップに起用することは安保(戦争)法制の成立と無縁ではない。

戦前日本の軍国主義化は単に軍部の強大化だけでなしとげられたのではなく、言論弾圧と皇民教育の強化がセットでなされたものである。安部政権になってからの特定秘密保護法の制定と道徳教育の強化その他の国家権力による教育への介入を今回の安保(戦争)法制の成立とセットにして考えると正に戦前の軍国主義化の道を思い出させるものである。

内閣改造後の世論調査では安倍内閣の支持率は数パーセントアップして若干ながら支持しないを上回ったそうである。内閣改造後は支持率がアップするのが普通であり、今回は1億総活躍社会という幻想をふりまいても、この程度しか支持率があがらないと否定的に見るかどうかは人次第であるが、いずれにしても近々にも予定されていす南イエメンへの自衛隊の派遣で戦死者が出るという事態にでもなれば(その確率は決して低くはないが)、安保(戦争)法制の危険な本質が多くの国民にも明らかとなって支持率急落は間違いないが、そのような悲劇が起きる前に内閣の危機的ラインと言われる支持率30パーセント割れを実現するにはいかなる手だてがあるだろうか

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2015年10月 8日 (木)

10・8戦争法廃止!安倍内閣退陣!総がかり行動集会

10・8戦争法廃止!安倍内閣退陣!総がかり行動集会
安保(戦争)法制反対の運動の総括と今後の運動についての行動提起を目的とする集会が今回の運動をリードしてきた総がかり実行委員会の主催で行われるということで参加してきた。会場は文京シビックホールで場所的に近いこともあって、秋葉原にあるNGOでボランティアの作業を4時間ばかり行ってから会場に向かう。

今後の運動方向としては違憲訴訟と衆参選挙での与野党逆転による安保(戦争)法制廃止を目指すことははっきりしているが、後者については自公議員の落選運動をいかにやっていくべきかということで自分なりにいろいろ調べてみたのだが、公選法のしばりのなかではなかなか有効な方法が見いだせず、この集会でヒントが得られるかなと思ったのだが、そんな話しは全然でなかった。よく考えてみれば当たり前の話で、今目指すべきは野党の選挙協力であり、各小選挙区で統一候補さへ擁立できれば、しち面倒くさい落選運動などやる必要もないわけだ。

来年の参院選、その次の総選挙と安保(戦争)法制廃止までの道程は長い。その間、単にデモや集会に参加するだけでなく、もう一歩踏み込んだ形で運動に参加することも考えていかなければならないと思うようになってきた。

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2015年10月 4日 (日)

坂東三十三箇所( 東松山周辺)

坂東三十三箇所(<br />
 東松山周辺)
東松山周辺の坂東三十三箇所札所は3ヵ所あるが、いずれも駅から遠く、バスの本数も少ないので2回に分けていくつもりだったが、たまたま息子が車で連れて行ってくれたので、1回で回れて、帰りには温泉の好きな家内のために、日帰り温泉でゆっくりしても4時過ぎには自宅に帰れるというのんびりとした行程で行ってこれた。

今回で11番と、ようやく3分の1が終わった。来春あたりには全部行けるかな

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2015年10月 3日 (土)

グローバルフェスタジャパン2015

グローバルフェスタジャパン2015
午前中は久しぶりに畑に行き、夏に痛めた肩の調子もだいぶ良くなってきたので、遅まきながら鍬を振るって耕し、苦土石灰を蒔いて秋野菜の栽培に備えた。

帰宅してシャワーを浴びてからお台場のグローバルフェスタ ジャパン2015に出掛けた。国際交流関係のフェスティバルで、政府関係組織、各国大使館や企業も出展しているが、民間のNGO,NPOその他の組織の出展が中心でその数は300に達するそうである。
この会場に来る前は、国際協力を目的とする組織がこんなにたくさんあるとは知らなかった。私の所属しているNGOも出展しているが、他の組織がどんな活動をしているのかを知ることも今日来た目的のひとつである。

地味なテーマのフェスティバルなので、あまり人も集まらないのではないかと思っていたが、入場無料ということもあるのかもしれないが、ものすごい人出であった。

各ブースでは活動を紹介する展示の外に、各国のファーストフードや民芸品を販売している所も多かった。どうしても過去に行ったことがある国が親しみがわいてくるもので、一昨年出掛けた北インドのラダック地方を支援しているブースでは現地のお茶であるチャーイを注文する。

各ブースを覗き見しながら進んでいくと、奥の舞台では初耳学で有名な林先生が国際協力の専門家と対談をやっていた。終了間際だったため、どんなことが話されたかはわからなかったが、林先生が最後に述べた「人のためにやったことが、いつかは自分にもいろんな意味で返ってくる」という言葉が印象に残った。

ひととおり見て回ったので、出口近くの別のインド支援組織のブースで、コロッケ風の現地のスナックであるサモサをつまみにインドのビールを飲んでちょっぴりインドの気分を味わう。
まだ日は高かったが、所属しているNGOのスタッフに挨拶して会場を後にした。

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2015年10月 2日 (金)

銀座をデモする

銀座をデモする
今日は午後から難民支援のNGOで作業を行い、夕方から日比谷公園の野外音楽堂で行われる安部政権に反対する集会に向かう。

会場に着くと既に満席で入場できず、集会終了後に行われるデモ行進が始まるまで30分以上待たされる。
やがてデモが始まり、久しぶりに「安部はヤメロ!」のシュプレヒコールを繰り返す。銀座の交通規制された車道を進むのはだいぶ昔の東京マラソン以来であるが、日中の暑さが去った涼しい銀座の通りをデモ行進するのはストレス解消?には最高である。

数寄屋橋あたりまでくると歩道の人出が多くなってきたが、シュプレヒコールが「戦争反対」に変わってしまった。戦争反対をアピールすることはもちろん大事だけれども、この法律は戦争を防ぐためのものだという安倍のペテンに騙されている人にとっては、戦争反対のメッセージはインパクトに弱い気がする。それに対してペテンに騙されている人でも安倍の民主主義を無視した無茶苦茶さ加減には呆れている人も多いはずなので、ここは「安部はヤメロ!」のシュプレヒコールで通すべきだと思って一人頑張ったが、大勢の声に飲み込まれてしまった。

それはともかく、国会閉会中は、銀座の街中を毎週デモするのもいいものだ。今日の参加者は1万5千人だそうだが、月に一度くらいは十万人規模の結集を行って、安部をビビらせなければならない。

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