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2015年10月29日 (木)

相容れない考えの溝

安保(戦争)法制採決から一月以上経ち、あらためて国論を二分した双方の考え方の根底にあるものを検証してみたい。

賛成派は武力の脅威に対しては武力をもって対抗すべきであり、海外からの侵略に備える上での抑止力を強化するには同盟国との同盟関係を強化することが重要なので、集団的自衛権は必要であると考えているようである。

これに対して反対派は武力に対して武力をもって対抗するのは憎しみの連鎖を生むだけで問題の解決にならない。地道な外交努力やNGOその他の草の根レベルでの交流こそが真の解決をもたらすと考えている。この考えはイソップの北風と太陽との違いにも通じるし、イスラム教の「目には目を」に対する仏教の「慈悲の心」の違いと言ってもよいだろう。そしてそのような観点からすれば、集団的自衛権については抑止力はほとんど認められず、むしろ同盟国が惹き起こす戦争に巻き込まれるリスクの方が高いという結論にならざるをえないだろう。

一方、「慈悲の心」が通じない場合の対応については、反対派の中でも意見が別れるだろう。ある者はあくまで、非武装による抵抗を選ぶかもしれないが、多くの者は何らかの武力を用いた個別的自衛権の行使を選ぶであろう。さらにはこれを補うものとして、ある者は集団的安全保障に期待をかけるが、別の者は集団的安全保障は現実性に欠けるとして、同盟国との軍事同盟を重視するであろう。ことほどさように、安保(戦争)法制反対派側の防衛方針は統一性を欠いているが、ここは集団的自衛権反対の一点での一致で連帯して闘うしかないであろう。

もうひとつ検討しなければならないのは、国連が主導する集団安全保障としてのPKOへの参加方針である。今回の安保(戦争)法制による自衛隊法改正に伴い、自衛隊の海外での武器使用制限が緩和されたことにより、PKO活動において他国軍に対する駆けつけ警護ができることとなったが、このことについては賛成派は積極的平和主義として高く評価するが、反対派は現地でのNGOの活動を制約するものとして批判している。すなわちゲリラと交戦状態に入った場合に、ゲリラが一般住民に紛れ込んだ場合等に一般住民にも被害が出る可能性があり、その結果として同国のNGOも一般住民から敵視される可能性があることが問題となっている。実はPKOへの関わり方については不勉強なこともあるが、自分の考えがまだ固まっていない。
治安体制が不十分な国において「ならず者」がのさばるのをPKOによって抑えていくことの必要性はわかるが、それによってNGOが活動の制約を受けるマイナスとの折り合いをどうつけるかは自分にとっての今後の課題である。ただひとつ言えることはPKOへの協力を軍事一点張りで考えることは間違いだということである。もちろん金さへ出せばよいというわけではなく、人的提供を含むあらゆる協力が必要であるが、日本が最も貢献できるのは平和国家として世界中から受けている信頼を最大限に活用して紛争解決にあたっていく努力ではないかと思う。

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