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2015年11月18日 (水)

石原莞爾と昭和天皇

「日本の一番長い日」で名高い半藤一利と同じく昭和史研究家として有名な保阪正康の対談である「賊軍の昭和史」を読んだ。明治維新の官軍である薩長出身者や非薩長出身者でも官軍的思考の持ち主がいけいけどんどんで先の大戦を始めたが、賊軍出身者である鈴木貫太郎や米内光政らが戦争を終結させて日本の壊滅をかろうじて免れさせることができたのは、賊軍としての経験から先を読むことができ負け方を知っていたからだというものである。面白い見方だとは思ったが、その説の当否については判断はしかねるというのが正直なところである。ただし、二点ばかり納得できないところがあったのでふれてみたい。

ひとつは満州事変を引き起こした張本人である石原莞爾(賊軍出身者)を非薩長出身者ではあるが官軍的思考の持ち主であった東条英機と対比させて肯定的に評価している点である。たしかに石原莞爾が日中戦争に反対して東条英機と対立したことは事実であり、彼自身は満州国建国の目的をソ連との緩衝帯を設けることと資源等の安定供給の確保に置いており、植民地とする意図がなかったということは事実らしいが、そうだとしても中国人民の抗日運動の激化により日中全面戦争につながることと、世界での孤立によりアメリカとの戦争に踏み切らざるをえなくなることを予見できなかったことは大きな誤りである。その一番の原因は満州と呼ばれていた中国東北部を無主の土地と誤認して五族協和の国家を作ろうとしたことである。なるほど当時の満州は軍閥が跳梁していて国民党政府の支配が及ばない地域であり、日露戦争以来の日本軍の関わりから日本にも当然権益があると考えたのだろうが、重大な二点を見落としているように思う。ひとつは満州は清王朝の出身地であり、
長らく中国本土と一体化しており、たとえ実効支配してなくても、アイデンティティーを有しており、満州国建国は当然日本の侵略と映るに違いないことである。もうひとつは満州は無人の荒野ではなく、満州人等が居住しているにもかかわらず、その現地人の意志を全く無視していることである。それゆえに中国人民の抗日運動の過小評価につながったのだろう。

もうひとつの点は、半藤一利において顕著なのだが、ポツダム宣言受諾におけるいわゆる「ご聖断」に関して昭和天皇の「平和主義者」としての側面が過大評価されているように感じられることである。たしかに昭和天皇はヒットラーのような好戦的な人物ではないことは間違いないようであるが、開戦時においては「勝つ可能性があるか」が、終戦時においては「国体が護持されるかどうか」が最大の関心事であり、戦争により多大な被害を被る国内外の人々についてはあまり関心が払われなかったことは、戦犯に該当するかどうかは別として、批判されるべきである。明治憲法下では天皇はいわば飾りのような位置付けであり、通常は決定権は有していないのであるが、開戦や終戦においての御前会議において、国の方針に対する最終的な決定権を行使したように、天皇にその意志があれば、開戦を避けることも、終戦を早めることもできたはずである。もちろん、戦前の軍部指導者はその言葉とは裏腹に幕末の尊皇攘夷の志士と同様に天皇を玉(ぎょく)としてしか見ておらず、天
皇が自己に都合の悪い行動をした場合には、あらゆる手段をとったであろうから(幕末において公武合体論者だった孝明天皇は毒殺されたという説もある)、昭和天皇にそのような勇気を期待すること自体が無い物ねだりではあるが、少なくとも平和主義者と持ち上げるのは贔屓の引き倒しとしか言えないのではないか

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